:5.パンチと笑顔と悪い夢


 わたしにとってはじめてのデスクワーク。その勤務先は、いつかはと望んでいた、誰もが知っているような大企業といって差し支えないところでした。

 テレビのコマーシャルなんかでも見かけるような、いわゆる、大手電機メーカーです。しかも、おどろいたことに、明日からでもすぐに勤務してほしい、というのです。

 さいしょはじぶんの耳を疑いました。だって、なにも知らない、なんの経験もない、素人ですよ。パソコンのパ、の字も知らないのですから。

 『外国の工場』だとか『地下壕』などでなくて良かった、というよろこびよりも先に、

 わたしで大丈夫なのか? わたしなんかがやっていけるのか?

 という不安な気持ちのほうがむくむくとふくらみはじめました。けれど、そんな不安をよそに、パンチの人は、明日の初出社に際しての必要事項を次々説明していきました。

 会社の場所、出社時間、明日出社したら訪ねるべき人――○○部○○課の○○課長さん、とかなんとか。

 もう、いまさら後には引けないような気がして、わたしはただ黙って、機械的にその説明を手帳に書き取りました。

「――というわけで、急で申し訳ないけど、明日から頑張ってね」

 さいごに、パンチの人はくしゃっと笑って言いました。

 わたしは、え、はい、とだけこたえ、退きました。

 帰りながら、駅まで歩きながら、ローカルの長距離電車に揺られながら、上野駅の中をさまよいながら、地下鉄に乗りながら、考えていたのは、なんでこんなことになるのだろう、ということでした。わたしなんかが行ったって、門前払いを喰わされるのが落ちなのではないかしら、と。あるいは、門前払いされなかったとしても、わたしがなにもできないことを知ったら、その会社の人たちは、いったいどんな反応を示すのだろう? ――そう考えると、おそろしくなりました。

 明日訪れるべき、まだ見ぬ会社の人たち。いったいどんな人たちなのだろう? わたしを受け入れてくれるのかしら? いえ、さいしょから拒否されることよりも、むしろ、なにかのまちがいで紛れ込んでしまった私の素性を知って軽蔑されることのほうが、より酷なような気がしました。

 新しい仕事、新しい職場への期待などはなく、ただただ恐怖でむねがいっぱいになりました。



 悪い夢であってほしい。一晩やすんで、朝になったら、やっぱりあの話はなかったことにして、なんて、パンチのひとから電話がかかってくるのではないか。なんて。そんなことを考えたりして、できるだけ明日の、憂鬱なことは考えないようにしました。

 なにもかも忘れ、目を閉じて、深い眠りに落ちてしまえば、なにかが変わっているかも? ――そう考えるようにしました。