東義大事件と暴行事件

これがもし政治問題として大きくなっていくとすれば、民主化と国家、あるいは死者と国家をめぐる対立構図の揺り戻しと先鋭化とを伴って、国内的な混乱を招くことになるかも知れない。
もっともそれ自体、金大中盧武鉉の10年に対する修正として位置づけられている様々な動きの一環であるだけに、いずれにせよ簡単に収拾できる類の話ではない。また、今の動きが最終解決への道であるとも思われない。
とりあえず、見れなくなる前に『朝鮮日報』日本語版の記事をクリップしておく。

記事入力 : 2009/02/28 10:01:49
女性議員が国会で暴行受けケガ

 ハンナラ党の田麗玉(チョン・ヨオク)議員は27日、国会議事堂本庁舎内で、政治活動などにより逮捕されたり、服役したりした人々の家族団体「民主化実践家族運動協議会」(民家協)メンバーらに集団暴行された。メンバーらは、民主化補償審議委員会が民主化運動だったと規定した釜山・東義大事件について、再審が可能になるよう関連法の改正を推進しているに田議員に対し不満を抱き、同議員に暴力を振るったものとみられている。

 田議員側によると、田議員は同日昼12時50分ごろ、国会議事堂本庁舎1階裏の面会室出入り口から議事堂の外に出たところ、近くにいた民家協・釜山支部代表の68歳の女ら5−6人に顔などを殴られた。この女は1989年に大学生が火炎瓶を投げ、警察官7人が死亡した東義大事件で、火炎瓶投てきなどの容疑で逮捕された大学生(当時)の母親だ。

 この時、田議員に随行員はおらず、一人で議事堂の外に出ようとしていた。すると、田議員は駆け寄ってきた5−6人に取り囲まれ、髪をつかまれ、手やひじで顔を殴られたという。これを目撃した国会警備の警察官らが制止、田議員はやっとのことでこの場を逃れ、国会内にある医務室で応急措置を受け、ソウル市内の順天郷大学病院に入院した。

 田議員側は「暴行中、女は指で田議員の目を突いた」とし、病院側は「最初の診断では、田議員は左目の角膜上皮細胞がはがれ、結膜に出血の症状が見られる。精密検査後、手術が必要かどうか決める」と述べた。

 田議員暴行後、この集団は現場から逃走したが、女は午後2時40分ごろ、国会本庁舎付近の厚生館駐車場で田議員関係者の通報により駆けつけた警察官に身柄を拘束された。

 警察は、この女らが田議員暴行に先立つ同日午前11時ごろ、ソウル市永登浦区堂山洞にある田議員の地元事務所前で記者会見をした後、抗議のため国会に来た約40人の一部である可能性もあるとみており、襲撃が事前に組織的に計画されたたものかどうかを捜査している。

崔慶韻(チェ・ギョンウン)記者

イ・ソクホ記者

http://www.chosunonline.com/news/20090228000036

記事入力 : 2009/02/28 10:04:23
田議員襲撃:「眼球をくりぬいてやる」と10分間暴行(下)

◆国会議長「許されないテロ」

 キム・ヒョンオ国会議長は27日午後に事件に関する報告を受けた後、「民意の殿堂であってはならない衝撃的な出来事が起きた」と強い遺憾の意を表明し、直ちに真相究明を指示した。キム議長は「国会議員が国会内で暴行を受けるなど想像もできない出来事で、非常にショックで残念な事件だ。今回の事件は憲政機関であり、国民の代表である国会議員に対する明らかなテロで、どんな理由であれ容認できない」として、警察に徹底した捜査による容疑者検挙と法的措置を求めた。

 キム議長は国会庁舎内で事件が起きたことについて、事務処の責任者を厳しく叱責(しっせき)し、「今回のような出来事が再発しないよう備えを徹底し、対策を立ててもらいたい」と指示した。

ハンナラ党「民主主義を破壊する行為」

 田議員が所属するハンナラ党も、今回の事件は単純に議員個人のレベルで起きたものではなく、国家の根幹を揺るがす事件だとして、対応に乗り出した。同党の趙允旋(チョ・ユンソン)広報責任者は「白昼に文明国であってはならないことが起きた。民主主義を破壊する行為だ」とする公式論評を発表した。

 論評は「加害者らは事件後に国会で堂々と食事までする余裕を見せたという。田議員の民主化運動関連法改正推進に対する明らかな報復テロだ。国会議員の活動を脅迫する出来事が起きるとは、文明国では想像できない」と指摘した。

 田議員が襲撃されたとの知らせを受けたハンナラ党議員は同日夜、田議員が入院している病院に続々と集まった。キム議長をはじめ、パク・ヒテ代表や最高委員、所属国会議員ら30人が病室を訪れた。

 大統領府(青瓦台)とハンナラ党は、今回の事件は大きな波紋を広げるとみて、事件の展開を注視している。与党幹部は「単純に法律の内容に反対する利益団体の活動とは事件の性格が異なる。ともすると保守、進歩(リベラル)の両勢力が対立し、社会全体のムードに波紋を及ぼす可能性がある」と懸念した。

 田議員ファンクラブの会員らは同日、田議員を暴行したとされる団体の前で抗議デモなどを計画していることを明らかにした。ファンクラブ関係者は「報道されているように、万一左派団体の所業だと判明すれば、それは田議員に対する暴行の域を超え、政府全体を狙った行動だ。徹底した真相究明を求めるため、永登浦警察署を訪問し、真相が確認されれば、加害団体に対する抗議デモや記者会見を行う」と語った。こうした団体間の対立が保守、進歩陣営全体に広がる可能性もあり、大統領府も緊張を強めている。

権大烈(クォン・デヨル)記者

http://www.chosunonline.com/news/20090228000038

記事入力 : 2009/02/28 10:27:41
田議員襲撃:加害者側「胸倉つかんだだけ」

 ハンナラ党の田麗玉(チョン・ヨオク)議員に暴力を振るった容疑で警察の取り調べを受けている68歳の女は、「田議員の胸倉をつかんだだけで、暴行した事実はない。事前に計画したテロでなく、全く偶発的に起きたこと」と主張している。

 この女の関係者によると、女は同日午前6時ごろ、東義大事件の逮捕者やその家族からなる「5・3抗争同志会」と「民主化実践家族運動協議会」釜山支部のメンバー約20人と共に28人乗りの貸し切りバスで釜山を出発したという。ソウル地域の在野団体メンバーらとともに、田議員の地元事務所前で抗議の記者会見をするためだ。

 午前11時30分ごろ、田議員の地元事務所があるソウル市永登浦区堂山洞のビル前に到着した一行は、民家協ソウル支部民主化運動精神継承国民連帯(継承連帯)、韓国進歩連帯所属の約20人と合流し、「民主化運動の名誉回復法改正法案」の発議中止を訴える記者会見を開いた。

 これに出席した継承連帯の関係者は、「午後12時20分ごろの記者会見終了後、この女をはじめ釜山から上京してきた約10人が国会に向かった」と話している。この集団は、民主党の姜除・ウ(カン・ギジョン)議員と民主労働党の李正姫(イ・ジョンヒ)議員に面会し、田議員の改正案通過を阻止してほしいと陳情、国会で記者会見が開けるよう要請しようと思っていたという。

 女と一緒に上京した一行によると、国会に向かった約10人のうち、一部は厚生館食堂に直行したとのことだ。女を含む5−6人は国会に入れず、本館1階に残っていた。この時、田議員が一人で歩いてくるのを女が発見し駆け寄り、改正案発議に抗議、胸倉をつかんで押したと主張している。この集団は「国会警備の警察官や仲間の制止により、10秒ほどでそういう状態は終わった。田議員が主張するような目を突くなどの激しい衝突はなかった」と話している。継承連帯の関係者は「田議員自身が主張する通り、髪をつかんだり、ひじなどで顔を殴ったりしたとしたら、現場で倒れているはず。田議員とハンナラ党は“ショー”を演じている」と主張した。

 だが、警察関係者は「田議員が暴行されたのは確か」としている。警察が医療関係者に聞いたところ、田議員は角膜と目の回りに傷があり、出血し、腫れているという。また、体のあちこちも負傷していた。また、警察は目撃者から「誰かが田議員の髪をつかんだ」という証言も得ている。警察としては、こうした行為は国会内で国会議員に暴力を振るったという重大な事案であることから、逮捕状を請求することも検討している。

イ・ソクホ記者

ヤン・ヒドン記者

http://www.chosunonline.com/news/20090228000040

記事入力 : 2009/02/28 10:28:29
田議員襲撃:騒動の発端、「東義大事件」とは
89年、警察官7人が殉職

 与党ハンナラ党の田麗玉(チョン・ヨオク)議員が、民主化実践家族運動協議会(民家協)の会員らから暴行を受けた。金大中(キム・デジュン)政権下の2002年、民主化運動補償審議委員会が「釜山・東義大事件」の関係者を民主化運動関係者と決定したことについて、再審議を求める「民主化運動関係者補償法改正案」を国会に提出しようとしたためだ。東義大事件とは、1989年5月3日、釜山市の東義大キャンパスで学生らに拉致・監禁された戦闘警察隊(機動隊)員を救出しようとした警察官7人が、学生らが投げた火炎瓶がもとで死亡した事件だ。

 当時、同大の学生らは不正入試について真相究明を求めるデモを繰り広げていたが、5月1日のメーデーと重なったことで、火炎瓶を使った過激なデモに発展した。

 そして2日、学生らは戦闘警察隊員5人を拉致、中央図書館に監禁した。この戦闘警察隊員を救出するため、警察官600人が図書館の7階に進入したところ、学生らがまいた石油やシンナーに火炎瓶の火が引火し、瞬く間に燃え広がり、警察官7人が死亡、10人が重い火傷(やけど)を負った。

 この事件で、現場で逮捕されたデモ隊のうち31人が、特殊公務執行妨害・同致死罪で懲役2年から無期懲役の判決を受けた。学生運動が過激な暴力デモに発展した最悪の惨事として、この事件は記録されている。

 ところが、金大中政権末期の2002年5月、民主化運動補償審議委員会(以下、補償委)はこの事件の関係者46人を「民主化運動関係者」と認定し、有罪判決を受けた者も含め、一人当たり平均2500万ウォン(現在のレートで約159万円)の補償金まで支給した。

 これに対し、事件で亡くなった警察官の遺族たちは激しく反発し、「加害者の名誉を保障することにより、遺族の名誉を傷つけた」として、補償委の決定を無効とするよう求める憲法訴訟を起こしたが、憲法裁は「遺族は補償委の決定で人格権や名誉権を侵害された直接当事者ではない」として棄却した。その後、遺族たちと保守系団体が引き続き再審議を求めてきたが、補償委は法律の規定を盾に拒否した。

 こうした中、田麗玉議員は今月に入り、東義大事件に関する補償委の決定について「果たして適正な判断だったのか、再度検討し直す必要がある」として、関連法の改正を進めてきた。

 田議員の改正案は、特定の事件についての補償委の審議が終わった後でも、1回に限って職権で再審議ができるようにし、その時効は10年としている。この改正案が国会で成立すれば、金大中盧武鉉ノ・ムヒョン)両政権下で補償委が下したすべての決定について、再審議が可能となる。

崔宰赫(チェ・ジェヒョク)記者

http://www.chosunonline.com/news/20090228000041