ニセ脳科学者はキャプテン翼になるか

ニセ脳科学とかニセ脳科学者といわれているものの社会的な功罪を検討してみる。

脳科学の3つのメリット

メリット1)神経科学の啓蒙になる
まともな科学者は、公的な資金を得ているのにもかかわらず、一般に神経科学を浸透させる努力をやってこなかった。そんな中、正確かどうかはともかく、彼らは一般の人にもわかりやすく説明する努力をしてきた。また、実際TVや通俗本を通して、「脳科学」に興味を持つ人は確実に増えている。

メリット2)研究資金が得やすくなる
1)の結果として、脳の研究への社会的な理解が進んだ結果、その分野の研究資金が得やすくなる。
メリット3)神経科学志望者を増やす
これは見落としていたけど、当然1)の結果として起こりえる。
日本の脳科学ブームについて: 脳と意識の最先端を目指そう

これまでも、メディアでとりあげられる「脳科学の話」に問題があるという声は、脳科学をやっているひとたちの中ではあった。実際に研究者の中で知られている現象を輸入してきて勝手に自分のものにしてしまうパターンや、根幹は正しいが話を大きくしすぎて正確さに欠くパターンなどが多々ある。そこを批判する人は実際に多いし、それらは真面目な脳科学者の気持ちとしてもっともだと思う。それでも、こういった脳科学の紹介というのは、一般の人に脳科学のハイライトを伝えるという意味では役割があったと思う。「キャプテン翼」が中田英寿を生んだ(CNNのインタヴューでそんなことを答えていた)ような役割を果たしている。潜在的な層の厚さというのは、その国の底力として反映されてくる。そういう意味では、脳科学ブームによって、日本の脳科学者予備軍の層は厚くなっているに違いない。


 重要なのは、メリット1)の、一般の人々への啓蒙のようだ。メリット2),3)もそこから生じる。これらの点は認めつつも、これがそのままデメリットにもなりうる。

似非脳科学の2つのデメリット

デメリット1)間違った知識が啓蒙される
メリット1)の啓蒙が適切に行われればよいが、「品質管理」が行われてない以上、その質は保てないよ、ということ。その結果「神経神話」なるものが跋扈するようになる。
http://www.mumumu.org/~viking/blog-wp/?p=2695

しかしながら、「脳文化人」たちが「脳科学の素晴らしさ」をはやし立てることには、表裏一体の危険性が伴います。なぜなら、「小難しい」神経科学(脳科学)を人口に膾炙しようとする際には、必ずある程度のデフォルメが必要になるからです。その際にどのようなデフォルメを行うのか?というのは個々の「脳文化人」たちの裁量に任されているというのが現状です。品質管理のようなことは、業界全体では全く行われていません。
その結果として、「神経神話」が問題化するようになってきたことは皆さんもご存知の通りです。

デメリット2)研究資金が得られなくなる
これもメリット2)とは対照的に、デメリット1)から生じること。長期的に見れば、間違った啓蒙がなさえることで、その分野全体が胡散臭いものとみなされてしまい、社会的な理解がえら得なくなっていく。
(同)

しかしながら、神経科学(脳科学)は科学的手法に基づいているにも関わらず、骨相学と非常に良く似た歴史をたどろうとしています。一方で、依然として基礎科学研究は一般の人々の理解(と税金を通じた公的資金による支援)の上に成り立っているものです。その人々に「山師扱い」され、「人気をなくし」ていったら、資金不足や後継者不足によって神経科学は道半ばにして断絶してしまうことでしょう。

 お気づきの通り、デメリット1)、2)というのは、メリット1)、2)の裏返しである。短期的には資金が得られるが、長期的には失うのだとすれば、ややデメリット側に説得力がある。いずれにせよ、ポイントは、啓蒙がどの程度適切になされるかどうか。
 この点で参考になるのが心理学。「神経神話」なんて生まれるはるか前から、本屋の「心理学コーナー」の本はあやしげな「啓蒙本」に占領され続けてきた。もちろん本屋のレベルにもよるが、おそらく心理学コーナーにある本の、7〜8割はアカデミックな心理学とは関係がないものだ。それは「心理学コーナー」の隣がしばしば「精神世界コーナー」であることからもうかがわれる。では品質管理はなされているのか。
 それなりになされていると思う。「心理学はフロイトユングとは違い、血液型性格診断などとも違い…」といった本は、一般の書店の商業ベースに乗るかはともかく、探せばそれなりにあるだろう。もちろん、ちゃんとした入門本や啓蒙書もある*1。あやしげな「心理本」が通浴的すぎるが故に、アカデミックな心理学(実験心理学)とは明確な溝がある。また、それなりの総合大学には、基礎教養の授業の中にアカデミックな「心理学」があるところが多い。
 しかし、実際の人々のイメージはどうなのかというと、ある程度教養のある人は除いて、相当程度「心理学コーナー」に影響されているのではないかと思う*2。また、とくに日本の場合、「臨床心理学」という謎の領域がある(もちろん実験屋から見ればだけど)。エビデンスベースな研究は少ないと聞くし、精神分析みたいに、今だに通浴心理学と連続する分野も日本では健在だ(といってもすべてが一緒なわけではないだろうが)。つまり、実験心理学と臨床心理学にもこれまた深い溝がある。通浴心理学と合わせて3層構造といってもよいかもしれない。いずれにせよ、通浴心理学とアカデミックな心理学はかい離しており、現在まで分野としては一応存続しいる。
 だから神経科学、脳科学においても、通浴なものとアカデミックなものとの明確な分離がなされれば、骨相学ほど悲惨な状況にはならないのではないかと思う。それにはやっぱ、「品質管理」が必要で、誰かがやるしかないのだろう。

で、キャプテン翼にはなれるのか

 長くなったが、今回はメリット3)がポイントだと思って書いたのだった。おもしろいのが、別に品質管理がなされまいと、啓蒙が間違ったものであろうと、「キャプテン翼」効果はある程度あると思う。というのは、たとえ当初は間違った知識を持っていたとしても、正規の専門教育を受ければ矯正されるから。とりあえず「大学(専攻、専門)までもっていく」量を増やす効果はあるのではないか。やはり、心理学でもそういう傾向はあると思う。いったい、正しい「心理学」像を描いて大学に行った人がどれだけいたか。もちろん、大学に入ってみて、イメージとは異なったがために後悔したり、専攻を選択しないという人は一定数いるだろう。が、イメージとは異なったが、アカデミックなものもそれなりに面白いと感じ、先に進む人も一定数いる。(まあ、実証的に示せないからなんとも今ここではいえないけど。)*3
何度もいうけど、メリット3)はメリット(デメリット)2)の研究資金の話とは独立に生じるものだ。つまり、最終的に研究資金が得られやすくなるか、得にくくなるのか(信用を失うのか)がわからないとしても、この「キャプテン翼」効果はまた別に可能性がある。また、研究資金は結局得にくくなる、のだとしても、このメリット3)と比して、どっちが重要か考えないと、社会的に見てトータルでニセ脳科学が良いか悪いかはわからない。
 と、いままでさんざん茂木健一郎を批判してきたくせに、こんなトーンかと思う方もいるかもしれないが、批判ができるかどうかと社会的な効果はまた違うというだけの話。しかし、もちろん「実際に研究者の中で知られている現象を輸入してきて勝手に自分のものにしてしまうパターン」をやってしまうだけで私は科学者としては最低だと思うのだけど。利根川進がいっていたが、発見は一ヶ月でも一週間でも早いもの、最初のものだけが意味があるのだから。本業の方から卑怯だとか詐欺師だとかいわれもしょうがない。

*1:心理学で何がわかるか(ブックレビュー): お父さんの[そらまめ式]自閉症療育で紹介されている本とか非常によさそう

*2:逆にいえば、他分野についてどれだけ正確な概要や印象化という点が教養を測る指標にもなりうるのだろう

*3:でも実際まあ、一番多いのが臨床やりたかったけど実験かよ、ではあるのだが。