雷句先生が訴訟を起こした理由を考える


陳述書を読んだ時、おかしな裁判だなと思った。

しかしながら、法的な側面でみた場合、未だ漫画の原稿を「著作物」として扱われることはあっても、「美術品」として扱った前例がない。漫画の原稿の紛失については、数々の事例があるが、いずれも「美術品」としての損害賠償請求がなされたことがない。
http://88552772.at.webry.info/200806/article_2.html

つまり、美術品なのか原稿なのかを裁判所に決めてもらうという事であるが、美術品かどうかの位置づけは、本来なら作者と出版社の間で決めるべき事であり、裁判所で決めるものではないはずである。雷句氏は、裁判所が「原稿はあくまで原稿」と判断したらそれに従い、美術品としての価値は主張しないという事になるのだろうか。


また、

さらに自分より若い新人の漫画家は、 「雷句誠がこの金額で納得して、君が文句を言うのはおかしいだろ?」 と、何も言えなくしてしまう事も出来るのです。それだけは絶対に防がなくては行けません。

以上のように主張しておいて、原稿の損害賠償額を「Yahoo!オークションの落札額」を基準にして算定するのは矛盾があるように見受けられる。新人の漫画家の原稿が2千円で落札された場合、「雷句誠のオークション落札額は30万円だが、君の原稿の落札額は2千円。文句を言うのはおかしいだろ?」と言う理屈が成り立ってしまい、結果的には、人気漫画家の原稿は高く補償されるが、新人漫画家には厳しい結果となってしまうのではないだろうか。


ただ、色々と調べてみると、雷句先生が訴訟を起こす理由が分かるような気がする。

出版社の「学習研究社」(東京都大田区)に約1,300万円の損害賠償を求めた訴訟で、120万円の支払い*1を命じた、という事件についてです。
 学研側は、漫画『天使のたまご』の原稿紛失の事実を認めた上で、「原稿料を払った時点で、所有権は漫画家から出版社に移った」と主張したが、裁判官は「原稿料は所有権取得の対価ではなく、原稿は漫画家に返すのが一般的」として、岸さん側に所有権を認めた。
 ただし、紛失したのは単行本刊行の後で、製版フィルムを使って再出版が可能だったことから、財産的損害はなかったと判断した。
参考資料 掲示板過去ログ

なぜ「原稿」としてではなく、「美術品」として訴訟を起こしたのかというと、過去の同種事例の場合、原稿紛失に対して「財産的損害」はなかったと、裁判所に判断された事が理由なのであろう。判決文を見ないではなんとも言えないが、漫画において、原稿は原稿であり、紙やインクと同じように、原稿も素材の一つだと裁判所は考えたのであろう。つまり、裁判所は原稿は出版のための素材であり、原稿自体は存在しなくても製版フィルムを使って出版できるのであれば、財産的損害は存在しないと判断したのではないだろうか。


原稿としての価値を主張すると漫画家側に取って不利なので、美術品としての価値を主張したのではないだろうか。しかし、そうすると原稿は「原稿」として扱われているか、「美術品」として扱われているかと言う事が裁判所で判断されるわけだが、裁判所としては作者と出版社、業界の認識が重視されると思う。例えば、「美術品であるのならば、なぜ雷句先生は原稿を自分で保管せず、小学館の管理に任せたのだろうか」と言う事も争点になると思う。はたして雷句先生ご自身は、原稿を美術品だと認識していたのかどうか。

こう考えてみると、この訴訟はかなりリスキーなものであることが分かる。オール・オア・ナッシングであり、小学館の主張、雷句先生の主張によっては、小学館から一文も取れないリスクが少なからず存在する。雷句先生の主張には必ずしも賛同できないが、心意気は伝わってくる。


追記

陳述書に以下のような項目があったのを見逃してしまった。

そのため、被告に貸与した原稿は、白黒原稿についてはコミックス出版後半年程経過したころに各々すべて返還されたが、カラー原稿については、少年サンデー誌の巻頭ページに再使用されたり、広告媒体などに再使用されることがあったため、連載終了に至るまで、被告が保管することとなった(原稿についての寄託契約)。


上記の契約がされていたのであれば、出版社に管理義務があり、雷句先生はできる範囲で管理を行っていたということになりますね。事実誤認でした。ただし、このような契約がされていたのであれば、雷句先生、小学館双方ともに「美術品ではなく原稿」と言う認識を持っていた言う証拠にもなるかもしれません。

*1:支払いは精神的損害について http://comic.2ch.net/comicnews/kako/1030/10305/1030539541.html