失踪日記でみる漫画家と編集者の関係


雷句先生と編集部絡みの対立の話でよく言われる感想が「小学館の編集はなんてひどいんだ」と言う主張なんだが、私はその主張に違和感を覚えていたのであった。良いか悪いか別として、漫画雑誌の編集者ってそんなものじゃないのと言う印象を持っていたからだ。いや私も吾妻ひでおの「失踪日記」読んだ時はさすがにショックだったが。


失踪日記と言えば、ホームレス体験とアル中体験で有名な本なのだが、その中に吾妻先生の漫画家生活を振り返る章があり、それには吾妻先生と秋田書店の編集者との生々しいやりとりが描写されていた。例えばこんな感じ。

ところが'72年10月様相一変


編「吾妻くん そろそろどーんと受けなきゃ!」
吾「受けるって何? オレ人気あるもーん」
編「だからあんたは本の売り上げに貢献してないの! 人気なんて一部のマニア受けなの!」
編「んで こーゆーネタでやろうよ」
吾「やだ そんなセンス無いもの」
編「じゃあ こーゆーのはどーよ」
吾「ダサイ」
編「だったら自分で人気の出るもの考えろよ」


でまあイヤイヤながら編集のアイデアで『ふたりと5人』始めたわけです。今考えればエッチだろうが裸だろうが割り切ってサービスすればいいことだったんだけど、当時は編集の言う通り書くなんて死んでもイヤだった


最初から投げて描いてるから続くにしたがって絵はどんどん荒れてってます。出力20%くらい。今から全部書き直そうかなあ。


先輩が難しい話し方をしているのは担当がいちいちネーム書き込んでるから
でも途中からめんどくさくなったのか普通の話し方になった


編「吾妻くん人気出てきたよ」
吾「うれしくねー」


※1 編:編集者 吾:吾妻ひでお
※2 読点、句読点に関しては私が挿入しています。原本にはありません

失踪日記

失踪日記

と、以上のような文章を先に読んでいたため、小学館の編集が相対的にひどい編集だとは思わなかった。絶対的に見ればひどいのかもしれないし、漫画家と編集者が対等の立場でないというのも分かるんだけど、今までの漫画業界はそれで通用していたわけだし、小学館だけが特にひどい訳でもないのと思う。今後はこんなやり方は通用しないとも思うんだけど。


問題は、このやり方はこのやり方で上手く行っていたのではないかと言う事。読者に取って、漫画家が好き勝手やっている方が幸福なのか、編集者が強く口出しした方が幸福なのかは、正直言って分かりかねる。漫画家、及び漫画家に感情移入している読者に取っては、漫画家がやりやすい形にした方がいいと思うんだが、それが漫画の読者全てに通用するかというと、どうなんだろう。