とりあえず/明察

おしごと、おしごと。
・健康に特に問題はなさそうだったのと、

今年大きい出来事として、「ベンヤミンを読む上で田中先生を切った」というのは
結構大きい出来事だったため、改めて明記。
世界市民」その他からの展開はわりと明るいため進めたいのだが、二度と個人
の状況に手をつけてこないで下さい。
(今朝視力を測る必要があってすぐ視力ネタがあった為怖かったのだが、兎の方怒ってます
よ何か。本来9時に受ける予定だったので私の状況が先だ。視力検査受ける自由もないのかと
思うのだが。仕事におかえりもそうなのだが何で捕捉されてるのか解らず壮絶気持ち悪いのだが)。

・・・繰り返し書くのは申し訳ないのですが。。。
私って澁澤龍彦を12位で読んでいたため、成人してから幻想文学のドロドロ女子にはな
らないと決めてたのだった。(しかも、汚物系の話は流石に取り返しがつかないので・・・
家畜人ヤプーとかも気持ち悪くて読めなかったのだが。そういう事で必死になるのも書くものの質を
限定するし、やっぱり私の方がそれらを今反復してる人より数歳若い気がするため、あと
割と私もブスじゃないため、逃げのようなのだが何の契りもない事を諦めて頂きたい。ほら数歳で
も若いなりの幸福があり得るのに監視されてるなんておかしいし。幽閉とか心中がファンタジー
なってる男はやっぱり病だろという気がする。

行きがかり上書いておくが、バシュラールではなくアルチュセールの認識論的切断って
上手く機能せず、そういうドロドロの相補完を事件にしてしまったという意味では芳しく
ないのだ。今村理論を読んでいた2000年頃にはそういう事も考えていたため、これ以上
迂回したくないと思う次第。勿体無いし)。


後は相互の状況を引き取れる方々、頑張って
くださいませ〜^^

わたしは元気です(苦笑)というか、根がコンプレックス希薄なので、という
のは澁澤龍彦を読まない理由で誰かがあげていた事なのだが、ここに来て改めてそれを感じる。

政治状況に照らしてもそれを思うのだが、20年以上も80年代的状況をそのままにしていた
論壇の罪は結構深いんじゃないかと思われる。。。

        ♪
思うところあり外出先で矢川澄子さん追悼のユリイカを読む。そこにあるのはある種の模倣の底本になりそう
な人間関係の虚ろさなんだが、同時に何となく下世話でもあり、少し気分がつーんとする。要はスポイルされ
た子供だという意識の状態で澁澤と鏡像関係になり、それをリジェクトするように数度澁澤が別の女性に手を出したりする事で段々マゾっぽくなったというお話なのだが、何となくそういう構造から齎されるものを「トラウマ」と呼ぶのであれば、そういう構造で他人を傷つけ得ると思う男は形而上学的に振舞ってても凄い下世話という気がする。ので見抜かれると外堀からやめろと言われるのだろうが、
外堀も内堀もなく、シブサワ的振る舞いを反復したい人が勝手に個人情報を抜く場合根底のところでどう突っぱねるものやら。
(そこから病弱→介護としての共依存→取り扱ってる素材は幻想でも何となく尾篭という形態になるのだろうが、
私もっとマシナリーなものとか街路に向けて開かれているものの方が性格に合ってるのだった)。

もう60年代でも岩谷宏のロック批評とかのアナクロニスムが幻想の領域を補完するような時代でもないような気
もし、真鶴の綺麗な海を見ながら先にアナクロニスムに理解が無いことを明記してからベンヤミンを読みはじめ
ればよかったと思うのだった。
 ・・・それにしてもこの頃の文学者って個々でオーソライズしているものが半端なく、澁澤龍彦が紹介しないと世に出
なかったものが沢山あるんだなと思う。パイオニアとして具体的。
心理的な距離感が全く掴めないうちに読んだため、読まなくなってからの拒絶反応も大きく、だとしても私が凄く反感を抱く権利なんてないよなと思いつつ、つい怒ってしまった。怒るのは結局、矢川澄子澁澤龍彦の関係性はテクストと
関係ないし、過去その読者でも過去完了形で現在時を生きている読者が大半である以上、もしロープレでシブサワ的な
人とヤガワ的な人みたいな立場の幻想性に固執する人が居たら大変気持ち悪いし、そういう態度はスノビスム以上の礼儀を失した何かだなぁという気がする。
 まだご遺族もいらっしゃる事と思うし、枝葉書けないような事が澁澤絡みでもあったのだが、恐らくこの類の
幻想文学絡みの出来事には今後形式を見つけてからしか触れないだろうと思う(というか基本的には
触れません。同時期に読んでいた高橋たか子安部公房
の方が性にはあっていたのです)。

       ♪
 整備してすぐの車がとても走りやすく、つい色々と思い巡らしながら走る。分断と連続のパースペクティヴのどちらを自分が重視しており、より自分の資質らしくものを見てるのか、みたいな事だった。
 今月一番の贅沢をしてしまい2500円の海鮮丼を食べてしまう。父性と言うより端的に自分の周囲
の現象が、食べたり存在する事を容認しているように組織されているのが正当だと思うと
共に、でもそれがいくばくかは原発事故によって脅かされて
も居るのだなという気がする。
        ♪
ある種の察しの良さ(内面で、これはこうだと気づくこと)の察しの良さが、自分で言表する前に他
から感得されるというのは変な体験なのだが、ある意味そこそこの根強い生命観にも繋がって
いるのだと楽観する。
ほんとはその生命観的素材に、個々の出来事が反転したり繰り替えされたりしながら乗っている、
という形式のものを大事に自分の頭から出して行きたいのだが。
       ♪
 せめて自分に起きた事の日本語でのオーソライズはしたいのだが、
これから速攻で外国語を修めねばならない(そのために茂木さんとか
のパクリが壮絶邪魔くさい)。
繰り返しだがコツコツ読む自由位、人間には備わってるかと思っていた
のに。
一回考えている/ある場の肌理が整って誰にも看取されていない事だけ
が大切な気がする。
       ♪
仕事で着用する洋服を数着アイロン掛け。ああ〜
好きな仕事を続けられることはともかく、何かもう今年はほんとパクッて
きたら怒るというか、書きたいと思ってアウトプット出来てない論旨だけで
どれだけあるんだろうか(自分が思考してる事に先に言及されることのぞわ
ぞわっとする気持ち悪さ)。
      ♪
構図が見てとれても機能的にトラウマティックな心因反応を齎すなんか、という
のが壮絶にうっとおしいというか、普通監視されないで済むんだからそこに戻って
まともなリアリティにまともな状態で自分を差し向ければそれでよいはずなんだが、
茂木さんにしろ糸井さんにしろやっぱり下世話でキモい。
 ・・・特にGuest and Meの香料倍で洗濯に使えないリネンウォーターとか、手帳について
る鏡で意味不明に笑ってお言葉みたいなものを確認するとか、何か元々その手の教化を
必要とする人しか買わないんじゃないの、と思う。凄い下世話なセンス。だから監視す
るならそういう類の人中心ですればいいのだ。
 普通に生活している方で家事や家の中の事全般のアクセス性がいい方って、まずそうい
う変な感じじゃないと思う。
宗教がかってる(拝跪の対象として見てる)から女の貸し借り絡みで屈託するのかも知れないが、とにかく・数名の手がついたから何かイヤ
・でも責任なく頂くには汚れてないと無理
というのを第一基準にしてものつくりしてる人間の消費者にはならないし、自分の心身と時間がひたすら勿体ない。クリエイターもこんな気持ちの悪いものばかりではないはずだと思う。

バシュラールももう一度自分なりに読み返してみないとなと思いつつ、自然科学者で娘が居たからというのも大きいとは思うが、そこそこの明るさみたいなものに根源的な信頼感を持っていた人なのだろうと感じる(パスカルもそうだがそこで何か観たと思えるのだろうか)。
バシュラールもスポイルされるという形式があまり考えにくい人。

自分に出来る事といえば心身の深い部分でリアリティを損ねるような技術があるとしても、身体イメージを再組成してその状態を抜けられるという事の明示だろうという気がする。
思考の言語外の疎通というのはあり、ただあるなりの対処として与件を変えてそれが症候になりそうな構成を予め潰していけばいいのかと思う。

とにかく真水の中にいるように、汚染されてないメディウムとか汚染されてない関係性の中で生きてる、ある種真空的なイメージを持つことの重要性。