それにしても

内田樹先生の平板化酷い。
この人他人から横領しなかった場合の正味分どれだけだ、
と思うと怒りがこみ上げる。小説が書ける訳でも無いし。
リセの先生を淡々としながらシュルレアリストで居られた
フランスってまともな国だと思い、仕事しながらちょっと
自分で色々読もうかと思うと、人権根こそぎにされる日本は
フリークスみたいな国だと思うのである。
尚更自分で発想して自分で形にする事にもっと対価が無いと話にならない。

もう、結論から言えば間に入っている広告代理店と変な芸能
絡みの買春組織みたいなものがいけないという事なんだと思うが、
文系だろうが理系だろうが情を通じる事それ自体に左右されない
記述する時の形式があるはずで、その辺りの事どうなってるの
と思わざるを得ない。田中先生が人の言葉の端をTwitterで取り込んで絡むので便宜上書くにしても、異常に卑小な例えだけれど例えば駒場が私にベンヤミンを専攻する結婚相手を媒酌して夫婦で有意義な研究するように、と言ったら、やっぱり違和感を感じない訳にいかないと思う(そんな事と具体的に書く事はまるでリンクしてないし、リベラリスム以前に自由に考える与件が壊れてると思う)そんな中で対価無しにこちらのしてる事が切り崩されて、人身売買まがいの跳躍を経ないと考えて書く事の内実を取り戻せないとなると凄く気分悪い。くれるなら先にポスト欲しいんである。
何かもう、ブラック企業以下の悪場所に過ぎないのに引き合いかけてくる事に気持ちの悪さを感じるし、結果病気を擬音で呼ばれてるのも気持ち悪い感じしかしない。
アジェからベンヤミン通ってソンタグの経路に覗き幇助女性とか盗撮女子とかいない気も。

汚物に必死に塗れていくタイプの内装提案に下衆さを覚える。
市内で仕事するので余計薄汚な、という気がし、4.50代のコンプレックス半端ないなという気に。変なエージェントみたいなものも
若い人はまず必要としてない気がする。60代の男が30代女性入手したいとか思った場合、よく知らないけど対価半端なく払う必要がある気がしており、何か文化生産のフェーズの殆どがそういう下品な場での符牒なのってどういう事よと思う。
提案書の最後の詰めしながら邪魔臭く、この話に少なくとも2.30代はコミットしてないなと改めて思う。
性愛の相手獲得に必死なおばさんは醜いし、60代は本来そういうのにたかるべきなのにもっと若いのがいい、みたいになっているとなると、やはり40代以上の女性の頑張りが足りない気がする。というか何のために後妻入れたのか意味が分からず、こういうシステムに寛容なおばさんの(男みたいな)性欲と器の大きさ(自称)とか毛嫌いしている。
何かそれはヴィオレッタを2.30代の女の子が嫌がりそうなのと重なる気がしており、いい歳の女性が小児性愛とか買春に理解示して自分も性愛にあぶれないようにするシステムって気持ち悪く、女衒女性を見てるとモロそれを感じる。
文章と資料手直ししつつ、何か内分泌レベルでの気持ち悪い誤作動とかそういう事を考えてしまう。

地味にぐりとぐらを見に行き損ねたことに痛恨を感じる。
2000年代始め時点で、トレヴィルっぽい感じとか幻想文学ディシプリンとかなりずれたことしたかったのだが、それって表象文化論科にあるのかなという気に。しかしベンヤミンの「来たるべき哲学のプログラム」からはそれを感じていたのだが。
ヴィオレッタのイヨネスコという人、天野可淡と同じ版の小さい写真集もトレヴィルから出てたことがあり(娘さんの写真集じゃなく)家のどっかにあるような気がするのだが、そういうものを情報として確認出来てもあんまり自分を投影出来ないし、人形愛は単にストーリーテリングとして無くないけどやっぱり10代後半位までだった。しかし80年代に新人類だったおっさんにとって2000年代時点で20代とか30代は人形愛の対象であり、視差とか感覚の間をちゃんと折衝出来てないので話が混乱するのである。
しかしひとつ新しい話として内面まで際限無く可視化されるという点があり、表層の問題とちょっとずれる気も。それに対して倫理的に切断を試みるのは色気の無い話なんだが、明確に科学的、あるいは人文科学的に解答があるんだろうか?と思う。(人間は内面や視点を際限無く可視化して、科学的にどうなるのか?)
それで中井正一とかはその視る/視られるみたいな事を素敵に書いてるなという事をいつも思う。
このまま澁澤論とか書ける気もするのだが
男性的な視覚優位性とずいぶんずれたとこに中井の視る/視られる関係性みたいなものを措いてる。
当たり前だけどファンクショナルに視覚の仕組みを解明するのと、
倒錯者として歯止めかからない可視化とはかなり違い、感覚質を解明する科学者が他人の視覚をトレースするという事がもしあれば、どんな比重でそうしてるか聞く権限がある気がする。でもおじさんなのでそれが出来ず、Twitterでパクって本まで出してしまうという酷い事になっているのである。
そしてパクリ脳科学者に寛容だと、まだ女だとみなして貰えるかも私、とか思ってそうな4.50代は別に女子でなく、かなり色んな意味で終わってる人が多いように思う。老人の相手は一律、そういう余剰性労働力にさせるべきなんである。
足芸や売春駒に対して私を本命扱いしようというのに何か困惑。
筋違いなものと比較されるのに覗きの被害にあってると思うとひたすら気持ち悪い。

視覚化より小説の形式の問題をやりたかった。何で人間は思弁という形式を選択する事があり、信念体系をもつか、や、ロマン主義的な転生の問題は、オカルトで処置も出来ないしかと言って科学的にも解明しきれない為、やはり民俗学とか集合知にしか解が書き込まれてないように思う。その最小単位が家族形成として、オイディプス的にでなく親と子が居る景色には何らかの(人類学的な)意味がある、というような事。

どすっぴん流石にこれは(内分泌とかよくない)
メーカーさんの確認はともかくコーヒーの過剰摂取だけ治らない。。


駒場はやはり世間とずれてる気がするが、立場貰えるなら学律内でやり取りされてることがら分からないでもない。でもうっとおしい気もするし、老人コピーライターのようなものが80年代への郷愁でじめっと張り付いてるとしたら、あんまり研究する意味ないように思うのである。それでじめっと張り付いては盗用し、共有物化を繰り返すとなると気持ち悪い。なんかそれが如実に現れてる精神障害くさい顔立ちしてると思う。キモいので雑貨や食べ物作るな、と言いたい。

このブログは老人コピーライターの名前で検索されることが多いので、何かのご縁で記事を読んだ方は老人を呪って欲しいと思う。こいつが居なくなればクリエイター職や言葉使って仕事をする人の待遇はもっと良くなる。というかそういう人の制約として盗用なんか絶対許されないのに、それだけで居直ってるのがおかしいのである。

ヴィオレッタ見ないけどバルテュスはギリギリ見ようかどうか迷う。
トレヴィルの小さい写真集は確かごてごてした旅芸人みたいなものを撮った過度にアーティフィシャルなもので、天野可淡何で買ったか忘れてしまった。http://www.amazon.co.jp/イリナ・イオネスコ写真集-イリナ-イオネスコ/dp/4845706687/ref=sr_1_4?ie=UTF8&qid=1399723128&sr=8-4&keywords=イリナ・イオネスコ
嘘これだ4800円。探さないと。
シュルレアリスムの写真は概ね素晴らしいが、いい歳したおばさんが目をカッと剥いて自分の娘の耽美まがい物写真撮ってたのかと思うと何かゾッとする感じに。同様に60代クリエイターにとって若い女人形愛の対象で、40おばさん相転移とかくだらな過ぎて泣きそうなのだが、中井正一の視覚化と射影についての文章って凄くさらっとしていてとても良い。
ブラッサイのこのカットの美しいことhttp://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/00/3/0082180.html
 

打ち合わせをしつつ、何を何処まで可視化されたかわからない恐怖を早いとこ軽減しないといけないという気に。でもかなりまともに状況把握出来たが、根源的な気持ちの悪いものをどうにかしないといけない。
オーソドックスにラカンのような話なのだが、何か悪くない眼差しとしょうもない窃視的なものがあり、後者が変な隠語運用と悪意みたいなものに塗れてるのだと思う。老人コピーライターから本当にそういう要素しか感じず、凄い気持ち悪い。
変なおばさんとかそういうのあてにすれてるひとが、一貫してこいつのキモさを引き受ければ良いのである。何か意識活動まともにしてる人間と違う感じ。勘弁して欲しい。

駒場、常識的に考えて困るんだけどというのは、身体情動みたいなものにたからないで欲しいわよねという点で、バランスよく確認しないといけない時に全身全霊で転移して来ないで欲しいなぁという気がする。その度に気持ち悪さですくんで作業止まるのだが、根底で一体何をしてるのか。絡まれなきゃなんでもいいという気になる。

怖い事にこういう話が、人にとって有意義な何なのかという話に
紐付けられてない。それで人間の感覚解明するとか言わないで欲しいわよねという気がする。普通に現象学の本でも読んでた方がマシという気がするのだが。
茂も内田樹も今までの原稿料払えと思うし、究極的には変な儀礼にはまった人間と関わって意識についてなに解明されるか不明。もういい加減この人たちじゃなく、私に原稿料あげるよという人は直接ご連絡を下さい。

打ち合わせから帰り流石に日常性と気持ちの悪さの落差でダウンしてしまう。が、すべきことを続けないと。
改めて内田樹とかを確認。つくづくキモいという気に。話があうと思われていたらきつい。。
えげつないおばさんというのは少ない訳じゃないので、そういうのをレヴィナス分かるように啓蒙すればと思う。
資料手直ししてるこの場の、クリアランスの取れた一回性すら怪しい。しかし覗きのキモさよりかなりマシという気に。