10代のころ、痛み、喜び。


心が成人式の余韻をまだ引きずっている。



そうそう、同窓会では、とりわけ印象深い出会いがあった。



高1の時、クラスメイトだった女の子。
そして、それ以降学校に来なくなった女の子。



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彼女と私は、小学生のころから面識があった。
当時はそうとう仲が悪く、顔を合わせば悪口の言い合い、
といった感じで、お互いに日々罵りあっていた。



中学に入学してからもその関係は変わらず、
さらに間の悪いことに二人とも同じクラスだった。



悪口、罵声の応酬。
拙い感情のぶつけ合い。



二人とも、あまりにも幼かった。



2年以降はクラスが別になり、しばらく疎遠だったが、
3年生のとき、また話す機会ができた。
「友人の友人」という関係から、である。



一年近い空白を挟んでのコミュニケーション。
この時期の一年間は大きい。
少年少女の感性が大きく揺れ、変わり続ける。



だから、前のように罵り合いにはならなかったけど、
正直言って、どのように話したらいいのかわからなかった。



そうして、ぎこちないやりとりを続け、しばらくが経ったころ。
高校(中高一貫校)の新クラスで、私と彼女は同じクラスになった。



話す機会が増えるにつれ、いつの間にかわだかまりも溶け、
気付いたころには良き話し友達同士になっていた。
リアルでもメールでも、今から考えてみるとずいぶんとりとめのない話をしていた気がする。



今だからわかるけど、衝突できるというのは、
相手を強く意識しているということである。
無関心なら、衝突すら起こらない、平行線の関係になるから。



相手に対する意識が強いというのは、良仲と悪仲のどちらにも転ぶ可能性がある。
良仲であっても、ふとした出来事がきっかけで険悪になりかねないし、
たとえ悪仲であっても、何らかの形でわだかまりが溶ければ、まるで人格が変わったかのように仲良しになったりする。



私と彼女は、後者だった。



そんな出来事が年度の最初にあったからか、
高1のころは、けっこう楽しかった。
クラス仲が全体的に良く、男子サイド・女子サイドの交流距離も近かった。



数か月が経って、気付けば、
私と彼女を含め、よく遊びに行っていた集団で、派閥ができていた。



遊びに行くだけでなく、たとえば携帯SNSを作ったりして
繋がりを強めて、内輪でのコミュニケーションをどんどん充足させていった。
学校に行くのが楽しく、なかば夢心地のような思いだった。



しかし、あるとき夢から醒めたように、現実の冷たさが肌に触れる。
気付いたときには、その集団はクラス内で孤立しつつあった。
内輪でのやりとりを充足させることは、外部との隔絶を強めることに等しい。



ひとたび「あれは内輪の集団だ」というレッテルを貼られると、
人の目には、その集団の様々な部分が、悪く映ってくる。



授業中の私語が鬱陶しい。
休み時間もなんだか騒がしい。
なんかあいつら、ウザいよね。
勝手に盛り上がりやがって。
それこそ、勝手にしてくれ。



3学期になるころには、このような空気が蔓延し、
クラスはバラバラになっていた。



そのころである。
――彼女が学校に来なくなったのは。



しかし私は、彼女に連絡を取ることをしなかった。
共通の友人と「心配だね」とか話すことはしても、
本人に直接メールや電話で問いただすことが、何故か、できなかった。



どうしてできなかったのか、いまでも理由はわからない。
たぶん、当時の私は泥臭いことを嫌い、人に踏み込むことを恐れていたのだと思う。
嫌われるリスクを被ってでも、その人に声を届けようとする気概が、欠けていたのだ。



数か月経って、私は彼女が学校を辞めたことを知った。
私はべつだん泣きもしなかったし、直情的に悔しがったりもしなかったが、
その心には、漠然とした空虚感と後悔が残った。



何故あのとき、もっと必死に自分から連絡を入れて、引きとめなかったのか。
結果が変わったかどうかは、今でも解らない。しかし、「自分がやらないで誰がやるんだ」とばかりに、もっと自分に自惚れてもよかったのではないだろうか。



このもやもやとした感情はその後しばらく続いたが、
人は実にいい加減なもので、気付いたら忘れていた。
いや、感情が時期と共にだんだんと薄れていって、あるとき風化したのだ。



風化してしばらくした、高2のとき。
私は、ある朝、通学中にあるコンビニに寄った(買い食いは校則違反だが、このさい時効だ)。



おにぎりと紙パックの緑茶をレジに出すと、
そこには彼女がいた。



話す言葉を失念するくらい、私は驚いていた。
彼女は昔のように笑って、少しばつが悪そうにはにかんだ表情で、私の会計を済ませた。



この時、会計の短い時間で何を話したかは、憶えていない。
記憶に残らないくらい、短い会話だった。
私も急いでいたし、なにより仕事の邪魔をしては悪いという遠慮があった。



だが、このとき、心の中の欠けた部分が戻ってきたような感覚を得た。
そして、「元気にしているなら、それでいい」という妙な納得があった。



私と彼女が会ったのは、それが最後だった。
――成人式後の同窓会までは。



市内の某ホテルのパーティ会場に、彼女はひょっこり顔を出した。
振り袖姿は見れなかったが、そのパーティでは黒を基調としたトラッドな服に身を包んでいて、それがよく似合っていた。



200人近く参加者がいたので、あまりじっくりは話せなかったが、
今は関西の大学に行っている、と聞いてなんだか安心した。



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大学生活も2年が過ぎようとしていて、今年は勝負の年。
気を引き締め行動を起こすにつれ、10代の頃の感性はだんだんと薄れていく。



しかし、どこかに置き忘れてきたその感情が、
旧交に触れることで急に蘇ってくる。



それが、同窓会の持つ価値かもしれない。



正直、出る前は「今更地元ノリで騒いでもなあ……」と
斜に構えている所があった(これが自分の悪いクセ)けれど、



案外悪くないじゃないか。



10代のころ、
皆さん、何か心に残っている想い出はありますか。