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ボディワーカーの夢とお仕事 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2016-05-23

【業務連絡】:2016年5月26日(木曜日)午後11:00に、翌月6月の『ボディワイズ 予約可能日程表』更新させていただきます


【業務連絡】:

2016年5月26日(木曜日)午後11:00に、

翌月6月の『ボディワイズ 予約可能日程表』更新させていただきます


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☆ 以下、ボディワイズにお通いいただいているお客様への


  業務連絡となります ☆


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お世話になっております。

ボディワイズの鈴木です。




{2016年6月の予約表更新、予告日時}


■ 2016年5月24日(日曜日)午後11:00

誤記訂正

※5/23のブログの10行目に誤記があります。

正:        ■ 2016年5月26日(木曜日)午後11:00

誤:        ■ 2016年5月24


※ 更新時刻がいつもの更新時間帯より2時間遅い、


  『 午後11:00から 』の受付となります。

   ____________


  どうぞよろしくお願いいたします。




上記の日時にボディワイズの予約可能日程表を、

更新させていただきます。





更新された『ボディワイズ 予約可能日程表』をご覧の上

ご都合のよい日時がございましたら、

ご予約のご連絡をいただけましたらと思います。




『 ボディワイズ 予約可能日程表 』


http://bodywork.s73.xrea.com/goyoyaku.htm




※ 新規の予約表が表示されないとき


ブラウザーが過去の情報を記憶し、それを表示しているときがあります。

たとえばその際は、Windowsパソコンであれば

キーボード上方にあるファンクションキー5 <F5>を押していただければ

更新された内容が表示されるでしょう。

また他の機種ではそれぞれブラウザーの更新の仕方が異なりますので、

お手数をおかけいたしますが利用機種の更新法をお調べください。



【 ご注目願います!! 】


※ 施術の休日につきまして 

  半年間、変わります!


○ 3月から半年間、「木曜日」を

  3〜5月の毎週、

  6〜8月の隔週をお休みさせていただきます。


お休みを頂戴させていただく理由。

2016年3月より木曜日にコーチングスクールに通わせていただきます。


そのためスクールに通う通学日の木曜日を、

お休みさせていただければと願っております。


私の都合により

お客様に対し、大変なご不便をおかけいたしますことを、

申し訳なく感じております。


コーチングスキルを身につけることで、

それが施術への良好な礎になることを期待して学んできます。




・---------------------------------------------・


『編集後記』


みなさま、お読みいただきまして、

ありがとうございます!




先日、特別企画として2名の方にコーチングを受けていただきました。 ^-^



私自身にとって、すばらしい勉強になったと感謝いたしております。




人は、感情が揺さぶられるときに行動に移るものでしょう。





自分が何を求めているのか?



それが腑に落ちるまで考えを深く掘り進め明確化するお手伝いがコーチング・セッション。






たとえば、

「ダイエットをしたいな!」って思っているんですよね。


というテーマがあったとします。


でもダイエットをするための知恵や知識はちまたにあふれている。

ネットに「効果的ダイエット法」といれて検索すれば、

いくつも魅力的な情報がでてきますから。

情報源は、すでにみなさまは持ってます。


むしろコーチング・セッションを受けるよりも

ダイエットトレーナーのような仕事をしている人のところへ。

直接、ライザップにでもいってもらったほうが

具体的な成果があがるかもしれません。。。



それでは、、、コーチング・セッションをする意味があるの?



となりますが、、、、、あるんです。 ^-^



ダイエットとは体重が減って適正体重になるもの。


そこからコーチングで話を拡散してジャンプする。



ダイエットをして得たい本当の成果は、別にある?


たとえば、、、?


他には、、、、?


他には、、、、?



しつこいやつだなと言われることを恐れずに、

クライアントの表情を見ながら聞いていきます。


そのうちにひょっこりでてくるときがあります。


適当に出した言葉のなかであったとしても、

それはいいぞ!と思えるような理由がでる。

そのとき、少しだけ顔つきが変わるものです。


それを見逃さないようにします。


なにかちょっと脈がありそうな、

喩え話をしてくれました。



「高齢者となっても自分の足で歩きたいのよ。

それには健康体として太り過ぎは良くないのよね」



「ほぅ、高齢者になっても自分の足で歩ければいいのですね」



「そう、、、。

 だって年老いて足が弱って自力で歩けないで生きていくの。

 そういう人を知っているけど、つらそうでしょ・・・。」



「そうですよね。

 年老いてもシャキシャキと歩ける人に、自分もなりたいですよね。」



ここで、

単にダイエットしただけではかなえられない課題がでてきました。


それも本人的にも実は高齢者となっても自分の足であるけること、

それをかなえるためのツールとしてダイエットをしたいと思っていることに気づきました。



自分の足で歩けなくなった不自由さ。

そのような想像をさせられることが、

かつてその方にあったのでしょうか。。。



だったら、

ありありとイメージを描きます。

70歳になっても自分の足で軽快に歩けている姿を!!


笑顔になりませんか?


潜在意識に書かれた不安感の根っこで引っかかるものがある。

(おそらく自分も、高齢者になれば足が痛くなりそうだな・・・)

と、最悪の状況を想像して恐怖感が作られれば

負の未来イメージが今の自分を縛り付けますし。



その像の存在感を緩めるために、

すでに解消されたイメージを描いて脳内で体験する。


わずかばかりかもしれませんが、

喉のつっかえがとれたイメージが描けたならば。



そうなるためなら、

少しだけ高いハードルでも飛ぶ勇気がわいてきますよね!


その夢がかなうならば。


そう感じてもらえれば、

そうならばこれから1年後、2年後、5年後、10年後と、

まずは各々のタイムライン上で取り組む課題を設定します。


そして夢をかなえる具体的なアイデアを付箋に書きだして、

こんなことができていれば高齢でも歩けそうじゃないかな。

まずは大胆に、できるできない考えずに、

なんら制約がなければこんなことができていれば、

思いがかなうんじゃない?

というリストを作っていきます。



というところまでくれば、

そのセッションは終った。

、、、も同然。




実際に動いていただくのはクライアントです。


ただ遠方より誰かがその人の夢を知り、

共感しかなえてほしいなと願っている。

応援してるよ!とつたえたい。


そんな存在がコーチなんです。




ここまで話を脱線を繰り返しながらすること3時間半でした。


時間、かかりすぎでしょ。 ^-^;


その他、セッション中の反省点が目白押しでした。


めげずに、最後まで付き合ってくれたお客様。


感謝しております。



コーチングって、受けてみたいな・・・と、

関心を持ってもらえた方がおられましたら。


またコーチングを受けませんか?企画を開いた際は、

ぜひご自身で体験してみてくださいね。



よろしくお願いいたします。


================-

ボディワイズ

鈴木政春

〒142-0063

東京都品川区荏原5-16-18

電話:03-5498-2220

http://bodywork.s73.xrea.com/hhpp/top.htm


sfcsfcsfc_2001@yahoo.co.jp

================-

2016-05-20 健康グッズ紹介:『パワーポジションボール』 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

先日、アマゾン経由で購入した健康グッズ。

気に入りました。 ^-^


【肩こり グッズ 解消グッズ ストレッチ 器具 マッサージ 足 肩 太もも】 パワーポジションボール(B414)



コリをほぐして血行促進、疲労回復!

ボールをつなげたような形が絶妙に体にフィット!

軽くてコンパクトだから持ち運びに便利!

首から足の裏まで全身につかえる

デスクワーク中にもつかえるので仕事の合間に簡単リフレッシュ



足裏でコロコロするだけでかなりの疲労回復。


あとクラニオセイクラルセラピーでおこなうところのCV4というテクニックがあります。

後頭骨の下にこちらを使って枕のようにして寝てみましょう。

実はこの枕では硬すぎて、あまりCV4っぽくはないのです。

でも、気持ちよいのでどうなるかもうちょっとトライしてみています。

結果が良好なときは、再度、お伝えしますね。

2016-05-19

「どうあるべき」かを、問い続けたい


「人生をどう生きるか」を希求して何かをせねばならないと、

切羽詰まった気持ちが、心の根底にあり続ける自分がいます。


そのように自問自答する上で、

年々、私の友人との話の中で、

人生の折り返し地点を過ぎた今、

何をすべきかを問うていくべき。


そのような話し合いをすることが多くなりました。



私には、この年になってまで、長年注力した「施術」。


願わくば、多くの人に受け入れられるようになりたい。

別に、それで収入をあげたいという話ではありません。

人は、生まれてきたときには



『そのためにはどういう手段があるのか。』


それを、まず、見極めなければならない。

それの青写真が見えて設計図が描かれる。

それが荒唐無稽なものであったとしても、

なんとなく自分にしっくりくるところが。


それじゃ、ぜひ、それを行動に移したい。



では、今の自分を振り返ってみると。

自分の性格上も行動力の点について。


『そのように、果たして自分でできるか?』




自分がやりたいことはイメージ出来ます。


そして広められたときに、

幾ばくかのしあわせを感じる人も増えるはず。


そう期待しているものの、

実行可能状態にまで自分を変える自信がない。

そこでの戦いでくすぶり続けるのです。


日々の仕事を進めるだけでも、

体力を根こそぎもってかれる。

かなりハードな施術ですから。


ただそういった気持ちの裏側には、

「体が疲れても、わずかな前進は可能だ」と知っています。


つまり「何をすべき」かということはわかるのですが、

どうしても自分の身が呪縛されたかのように動けない。



施術の課題研究にしか頭にない施術バカの私です。


結局は自分の望みをかなえる行動力もなくて、

そのまま日々の生活を淡々と過ごしつづける。


自分の望む想定の、大幅減のことしかできず、

それに落胆し続ける自分が悲しんでいる。



ですがそれが本来のふさわしい自分かもしれない。



そのようなヘタレっぷりが著しい、

悩みの縁を歩き続けておりました。


そのようなときに、

人生の師と言わせていただきたい、

とある70代の男性から、2時間もの時間をかけて、

私の考えの根底を揺さぶる強烈な印象を与えていただきました。



先日、桜の咲く時期です。


私は、とある70代の男性とお会いいたしました。

自他の心を遠大に賞賛する気持ちのある御仁です。




今となっては、、、ですが、

音声テープばかりではなく、

映像で残して繰り返し学びたかった。。。




そのような方から、

私に対して次のような内容のメールを書いていただけました。


できればブログをお読みいただいている方々とシェアしたく、

一部、転載許可を得て転載させていただきました。


お時間がございますときに、

ぜひ、お読みいただけましたら幸いです。




・----------------------- ▽ ここから ▽ ---------------------・


人生まだ50歳の若さだとこれからの残す人生でもっとやるべき課題や目標(what to

do)で頭がいっぱいになってしまう気持ちは自然であり普通であり真面目な証拠であ

りその気持ちは当然と思います。 

でも人間は何も特別の事をやらなくても生きているだけ、存在しているだけ(to be)

で十分価値があることに年を取り死が身近になってくると気がつきます。 悟りま

す。 自分や友人知人や政界財界文化人達のそれぞれ歩んできた平凡乃至は波瀾の人

生を振り返るとそれをしみじみと実感します。


人間のやることなぞたかが知れている。 歴史に残る偉大なことをやろうが事業に成

功し何千億円残そうが、そんなことは本質的には50万年の人類の歴史の於いてはゼロ

に等しい、どうでもよいことです。1万年後には誰も覚えていません。

ましてや50億年の地球の歴史における人類の歴史50万年に於いては、一個人の人生な

ぞ蚊の命同様「どう生きても大同小異」です。 若い元気な内はそれぞれ目標や課題

に向かって切磋琢磨しますが「何をすべき」(what to do)より根本的でもっと大切

なことは「どうあるべき」=「どう生きるか」(how to be)です。

どう生きるかは他人に関係ない「自分の心の中だけ」の問題です。

自分の「心が宇宙」です。 広く悠久で無限で喜びに満ちた世界になるかどうかは自

分の考え方ひとつだからです。 これは天は万人に等しく公平に与えてくれていま

す。 あとはそれを自覚して自分がどう使って自分の宇宙、他人のまねでない「自分

の宇宙=自分自身の人生」を造るかです。

「色即是空・空即是色」とは何事も実態なぞはなく心ひとつで目の前の万物は、色と

りどりの綺麗なお花畠にもなり無味乾燥の荒野にもなります。自分の思う心の色が映

し出される。 実に天・神は万人を平等にしてくれています。貧富の差は実際はない

のです。自分の心が差を感じさせるだけです。

今の私の場合は、クロを手本に人生の基本に帰るこを教わっています。


地球の歴史50億年を1年365日に換算すると人類の誕生50万年前はたった12月31日

11:50pmであり、人類歴史50万年を365日だとするとコペルニクスの地動説でもたった

12月31日11:45pmのことです。如何に人間の歴史は浅く人間知能・知恵はまだまだ猫

犬同様でありETやUFO基準では原始人レベルの下等生物だということです。だから人

間はET並みの高等生物だと勘違いせず、難しいことを考えず野良猫に負けない謙虚で

質素な単純な生き方に学ぶべきです。

雨風避ける家もなくても朝が迎えられ太陽の暖かさと運良く一日一食の僅かな餌にあ

りつければ嬉しくて喉をゴロゴロ鳴らし道路に仰向けで寝ころび猫同士でじゃれあっ

て明日の事を考えず今を一日を楽しく愉快に送るクロちゃんは私にとり「明日の事よ

り今を生きる」という「人生の基本」を教えてくれる大先生です。クロの心自由は並

みの人間のはるか上を行っています。

50億年の地球の365日カレンダーでは人生100年は0.5秒の超瞬間。短い蚊の命に負け

ない人生を送るならこの0.5秒瞬間を「生きてることに感謝し」「楽しく愉快に」生

きる以外に正解はありません。

その基本の上での「what to do」です。若くて元気な内は「how to be」と「what to

do」の順番が逆になりがちです。 




・----------------------- △ ここまで △ ---------------------・


私は、この考え方に今までにない居心地の良さを感じました。



それだけではありません。



事の大小のスケール感も、さほど気にならなくなりました。


それは実際に2時間もの間、

人を育てようという強い意志を感じる言葉を聴き続けたから。


それを受け取り、それからメールで語っていただいて。。。

この方が、どれだけメールを打つことが、大変な作業なのか。

それを知っているだけに、私には読ませて頂く際の重みが違っているのです。


『存在しているだけ(to be)で十分価値があること』


の言葉の重みをかみしめながら、

無邪気に日々の暮らしを楽しみたい。


私の内側にある存在感があふれてでてきたときにだけ、

自分が思い描くような未来も何もかも叶うものかもしれません。




「どのようにすべきか」という考えに流され自分を忙殺せず。

自分の在りようを、

透徹した目で見つめ、

自分の素性が目を覚ましたとき。


そんな願いのかなえ方が自分にふさわしいと思える次第です。







このような生き方に導いて頂き

U様、ありがとうございました。

感謝いたしております m__m

2016-05-16 私自身の転換期が到来?=-= このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

施術とは関係がないものですいません。


最近、タロットカードの大カナルを手にして占いのようなものにこっています。

すると

以下のカードが、以下の順序ででてきました。



デビル(悪魔) ー> 死 ー> 愚か者



不思議と、先日お客様が来る前にやってみて、このようなカードが出てきたので、

これからの施術に何かを暗示しているのだろうか?

どう言った意味だろうか?



なんだかデビルや死や愚か者って、、、あまりよろしくない感じに思えるのだが。。。



だが実は、また引いてみると、驚くほど同じカードが同じ並びででてきてしまう。


タロットカードをシャッフル。

そして引いてみるとこのカード。


それが10回も繰り返されれば、

どんなに鈍感なものでもわかる。



これって、私のことへのメッセージなのだろうか?



そのように初めて気づいた。

自分で引いているようでいて、

誰かに引かされているような。。。


このようなことは珍しいことではないので、

おおきく驚くと行ったことはありませんが。

よほどの大事なことがあるのだろうと思う。



そしてちゃんとタロットのサイトをみてカードの意味を読み解くと、

ざっくりといえば、次のような内容だろう。



【 あらたな転換期が訪れています。


  今から死生観を受け入れなさい。

  

  そうすれば、常識に囚われず無邪気な生き方にたどりつくだろう。 】


※ 死生観_死を忌み嫌うものと考えるのではない。生を際だたせ輝かせる人生観のようなものだ。



というような内容だろうか。


サイトでカードの意味を読み、直感も併せて読み解くと、

どうもそんなことがいわれている気がします。


今、同時に、人の生とは『どうあるか』にはじまり、

『どう生きるか』はその結果であろうという教えをいただいています。


それが、私の知り合いの月のタロットの意味を感じられる女性の方からも、

そして先日お会いさせていただいた太陽のようなタロットカードがでてきそうな男性からも。


とらわれのない自由な在り方を楽しんでいる姿。

底抜けに無邪気ですし、

私心や私欲が感じられない。

それが両名から強烈に輝きながら私の目に届く。


いつかこの両名がお会いすることがあれば、

きっと両名とも話があうだろうなと思った。


後者の男性からは、

文章化して在り方を優先するようにいきなさいというメッセージ(教え)をいただきました。

そちらにつきましては、後日、ブログに転載させていただく予定です。 乞うご期待!!



私の人生にとっての転換期というのは、

いきなりコーチングスクールに通い始めたのもそのような流れのもと、

気づきをえられる機会をそこに感じられたからだろう。


そしてコーチングスクールで教えるライフコーチング。

それは生き方の先々を考え想定するものであるために、

意見を異ならせるような気がしていた。


だが生き方よりも在り方を優先せよという気持ちでいけという考えでいいと、

先日、講師の方が気合をいれて数時間、語り続けてくれていた。

そこから、流れはひとつに合流して畳み掛けているように感じた。


転換という、

まだ見ぬ世界に不安や恐怖を感じて後込みをするなか。

転換を無理なくさせてくれるような、

ベイビーステップのような妙縁を感じてやみません。

2016-05-15

書籍紹介:『クラニオセイクラルセラピー』




前回のブログで、ラニオセイクラル・バイオダイナミクスという

ラニオセイクラルセラピーについて紹介させていただきました。



では自分でできるクラニオセイクラルセラピーのやり方を伝えてくれる本はあるの?


はーい。


あります!


クラニオセイクラルセラピー


自分で自分にセクラニオセイクラルセラピーを施すというアイデア。


いいですね〜。



自力で前進できるようになるまでには、

馴染み熟知できるようにならなくては。

そうなると長い時間がかかるでしょう。


ですが本書の進行はよくできています。

次のような初級からステップアップできる流れで学習できます。


パート1 のエクササイズ:スローダウンして自分の中心に入っていく

パート2 のエクササイズ:リラックスして身体感覚を高める

パート3 のエクササイズ:深いリラクセーションに入る。

            それにより頭蓋仙骨系、

            とくに中枢神経系を包む膜をリラックスさせ、脳脊髄液の流れを促す



ページ数は152ページほどで比較的薄いページにもかかわらず、

エクササイズの紹介されている量は、これでもか〜というくらいぎっしり詰まっています。



以下、アマゾン内にあった紹介文です。


■内容紹介

ラニオセイクラル・セラピーの施術は、

病気の症状にではなく、人というシステム全体に働きかけるもの。

セラピーの概念としては、頭蓋仙骨系を直接的、間接的にリラックスさせることによって、

頭蓋の骨と骨を関節のようにつなぐ頭蓋縫合が柔軟になって緩んでいき、

その働きで、自調整力と自然治癒力が改善される効果を得るものである。

このセラピーはリハビリテーションや看護や介護、末期医療など、

さまざまな現場で利用できるため、理学療法士、マッサージセラピスト、

代替療法家、助産師などのプロフェッショナルな方々にも、スキルを持つ人が増えている。

乳児から大人まであらゆる人をそれぞれの成長に合わせてサポートでき、

また、幅広い層の人びとの関心とニーズに対応している本書は、

これから始める方へも、さらに知識を深めたい方へもおすすめしたい。

■主な特徴として

●クラニオセイクラル・セラピーのセルフトリートメントを教える初めての本であり、

より健康で幸せになる方法を模索するすべての人にとって素晴らしい情報源になる一冊。

●本書はクラニオセイクラル・セラピーの理論にもとづいており、

手を当てるアプローチで頭の骨や顔の骨、脊柱や仙骨仙腸関節

結合組織の痛みを穏やかにリリース(解放)できるテクニックを豊富に掲載している。

●各セルフトリートメントはタッチの質と手や指の正確な位置が示され、

手順がカラー写真つきで詳しく説明されていて、初心者にも始めやすい内容になっている。

●クラニオセイクラル・セラピーを25年間実践しているダニエル・アグストーニが、

読者へ向けて自分の持っている全ての情報を簡潔に解りやすく書き下ろした優れた入門実践書。


以下の出版社元のガイアブックスで本書を紹介しているページがあります。

同ページ内の『数ページ試読できます』にて

冒頭の数ページ分だけPDFファイルがアップされていて閲覧できます。

http://www.gaiajapan.co.jp/books/physiotherapy/chiropractic_osteopathy/2886/


ご関心ある方は、ご覧いただくとよいでしょう。



本書の内容とは関係のない話ですが、

定価が税抜きで2800円の本です。


それがアマゾンではマーケットプレイス¥ 5,630もするんですよね。 

値段が倍まではいきませんが、

2015/12/25に出版されたということでまだ半年もしていないのに。

かなりの高値で販売しようとしてますねー。


人気があって品薄状態で手に入りにくいのでしょうか?

そうするともしかすると重版になるかもしれませんね。 ^-^

2016-05-11 あなたは健康の定義付けをどうなさっておられますか? このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

ラニオセイクラル・バイオダイナミクスという、

ボディワークのひとつがございます。


私の知り合いの方から、

そちらのセッションをなさっておられるプラクティショナーのおひとりが、

まさに涙がでるほどに感じ入るようなセッション中の気づかいを受け取れ

すばらしいものでしたと教えていただきました。


Y様、ありがとうございます!!



それで私も関心をもって、

そちらに関するホームページやそれについての映像を参照させていただいております。


そのとき見つけた映像に、

大変興味深いクラニオセイクラル・バイオダイナミクスのプラクティショナーがなさる

<Health(健康)>の定義付けが紹介されていました。


私にとって、目から鱗が落ちる捉え方で。


そのように説明なさるのか、納得します!


「う〜ん、わかりやすいな」と。

自分の健康の定義付けを再認するべきだと感じた次第です。


下記に張りましたyoutube映像の冒頭の数分間で語られているものですので、

ご覧いただけると幸いです。


もしクラニオセイクラルセラピーやクラニオセイクラル・バイオダイナミクスなどに関心ある方は、特に。


ラニオセイクラル・バイオダイナミクス ICSB創立者バードレイナによる講演会 「身体の潜在能力について」

https://youtu.be/zPMtyAuHULQ

2016-05-07 「まさにコミュニケーションは、生きるということだ」 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

TEDをたまたま観ていた。

海外のスピーカーですが、

車いすに乗り、

コンピュータを通して発話支援を受けて話をする30代ほどの男性。


12歳で意識障害に陥り寝たきりとなり体が動かせない。

他者との対話ができなかった男性がプレゼンターとして語っていた。

ずっと寝たきり状態で言葉を発することはできなかった。

だがすでに意識は戻ってきていて、看護されているときに受けていた虐待や、両親の言葉は聞こえていた。


ずっと会話ができないときは、頭のなかで空想の物語を作ったりしてときを過ごしていた。

だが彼が、父に自動車で買い物に連れて行かれたとき。

彼は、助手席にいたままにされて父だけが買い物に店に入る。

そして取り残された彼に向かって、たまたま外を歩く人が笑顔でウィンクしてくれた。


そのとき、まさに他者が自分をひとりの人間として認めてくれたという衝撃を受けた。



この男性の意識はないものと周りではみなされていたが、

あるときアロマセラピストが、

セッション中に男性の目の動きを見て意識が絶対にあるのだと見抜いてくれた。


そして検査結果により、会話する能力があると周囲が理解してくれた。


今は、コンピュータのコミュニケーション支援ソフトにより、

話をすることができるようになっている。

その後、彼は、

言葉を発話するのに障害がある方に向けられたコンピュータを使った発話ソフトの開発などに携わる。


その彼が言う。

「まさにコミュニケーションは、生きるということだ」と。


他者との会話で意思疎通ができなかった長きに渡る時間に、

どれほどの寂しさを、悲しさを、苛立ちを、切なさを感じていただろう。


そしていまは、

どれほどのしあわせをコミュニケーションを取ることから得られることか。

実感なさっておられることだろう。


・--------------------------------------------・



施術の話ではないのですが、


アスペルガー症候群の方々のための会話術や、

発達障害がある人のためのみるみる会話力がつくノートなど、

他者との会話が苦手だと感じる傾向がある方々向けの本など。

最近、資料を集めている。


それらの本を読み込むと、

他の会話法の本にはない、

基礎的かつ重要な実践すべき内容がが解説されている箇所も多くあって。


「これは、いいぞ!この会話の基礎。私自身も必要としているだろう」


そんな気持ちにさせられました。


前出のTEDのプレゼンターよりも自分の声帯を使って会話ができる能力があるが、

彼ほどコミュニケーション能力を

「まさにコミュニケーションは、生きるということだ」

というよりも、

「他者との会話はやっかいなものだから、敬遠したい」

というような思いを持つのが発達障害をもつ一部の方々の傾向があります。


それが、

もしも

「まさにコミュニケーションは、生きるということだ」という実体験をして実感することができたなら。

一部のアスペルガー症候群学習障害を持つ方々の人生観が変わっていくことだろう。


ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズなど、

時代を創った寵児たちはアスペルガー症候群といえるような傾向があったといわれています。

おそらく、それは才能の塊でもあったということだ。

だから成し得た仕事だったんだ。


だがアスペルガー特有のコミュニケーション上のトラブルで、

スティーブ・ジョブズなどは散々な目にもあっている。

正確に言えば、彼から送られる無理難題は常軌を逸しているとしか思えない。

そんな人々のほうが、当惑を余儀なくされて、つらかったのかもしれない。


スティーブ・ジョブズほどの存在感が際立つものならば、

社会が彼を必要としてくれて、

周囲も彼の実力を認めた分だけ付き合ってくれただろう。


だが、そこまでではないような場合は、

やはり、空気の読めない奴とかいわれ。


いつしか、家族や恋人との会話からもトラブルが生じだしてしまうだろう。


私はそうは思わないが、

コンピュータでプログラミングをする人々の多くが、

そんな発達障害を帯びていなければ自閉的にひとつの作業に取り組めないとか、

他のTEDのプレゼンターが言って、聴衆の笑いを誘っていたことがある。

(私も、かつてプログラマーをしていたことがあるので、笑われている張本人のひとりですね  ^-^;)


そんな笑いを誘われる的になった人達も、

「まさにコミュニケーションは、生きるということだ」

という衝撃的な発見をしたならば、

そういう潜在的にも優れた学習能力を発揮できる人は、

まさに英国紳士以上のコミュニケーターに化ける人だ。


私には、ほんとうにそう思えてなりません。


そうなれば、

周囲の人達もですが、

本人もしあわせでしょう。



個人的に、

実は今の社会では、このようなアスペルガー症候群の人のための題された会話の基礎。

そこから学び取れることが、非常に多いのではないかと感じています。

それは当然、私自身も、そのような恩恵を受けてみたい一人だと言えます。


ただ会話は教習所に通わなければ車の免許が取れないのと同じような仕組みでなければ身につかない。

本よりも、

ワークショップ的な実践参加型の訓練や実習がともなったセミナーがないか、探していますが、、、。

なさそうなんですね、いま、ネットでざっと検索しただけなんですが。



そのようなものがないならば、

創ってみたいと思います。

私一人では、できることじゃないので、

構想だけは、しっかり持ち暖め続けることになります。

それは本当に社会的にも意義が深いものになると直感しています。


施術で人の体の部分を癒やすことって大事だよなと思っていたが、

そこだけでは、、、なんだか足りないような気がしていたのです。

このような「まさにコミュニケーションは、生きるということだ」という分野にかかわることが、

大事なんじゃないかと思うと腑に落ちる。


それは健康面にも大きな影響を与えます。


それだけでなく、

人の生き死ににまで、影響するものです。



私自身、

「まさにコミュニケーションは、生きるということだ」と、

少しは感じていても臆して突き進めていないところでした。

ここがとても大きな長年の課題です。

だから大事にしなくちゃいけないな。


そう感じるのです。


・--------------------------------------------・


また、余談ですが、

「まさにコミュニケーションは、生きるということだ」という生き方を極める達人の方がおられ、

その方のお話をお伺いすると、やはり人とのつながり方を自分で選択して距離感をリードできる。

そのような能力に長けておられるのですね。

それが他人との会話にとどまらず、自己との対話で深い叡智にアクセスするまで突き進めれば、

非常に生き方が自由闊達な生き方ができておられるようにお見受けいたしました。


もともとの人を好きで興味関心を持てる好奇心旺盛さ。

そんな生まれ持った性格。

それもあるのでしょうが、

たとえ人生にどのような幸不幸が起こるとしても、

人が好きで会話を楽しみ、人と関わる関係性を大事にしようとする姿勢から、

人の幸福感が現れてくるものだと感じられました。


まさにこの達人からも、

どれほどコミュニケーターとしての才覚を磨けるかが、

人生で感じられるしあわせの幅でもあると感じました。

2016-05-06 頭で想像できたことは、実現しやすい このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

昨日、お客様からというか友達からメール。

詳しいことはいえません。。。

ですが、肉体的に大変な状況だということを知りました。




先日、他のお客様から奇跡的治癒をした人の本について耳にしました。

死に至る手前の末期的な状態に症状が進んでしまった。

すると医者からは「医学的には、生存率が〜%でしょう」と

目安を伝えられることもあるでしょう。


そのときに、ほぼ絶望的な生存率を告げられたときには、

気持ちはもう負けたときのモードに収まる可能性もある。


そのようなときには、

頭に、絶望的な生存率を自分に当てはめてしまうために、

「頭で想像できたことは、現実化しやすい」状態に、

いったんは陥りやすいといえるだろう。




ときとして。。。

私は、正直自分勝手な考えだが、

医師に診てもらうのは手段であり、

目的は体を治そうということです。

目的がかなえられる障害と医師の言葉を感じたならば、

それは自分の都合の良い解釈で印象をかえるしかない。


自分にとって真実は劇薬になるならば、

その劇薬を飲むよりも、

こころを癒すうそという常備薬がいい。



頭にありありと改善した後の状態に、

たったいまなったならば、どうだろう?

そんな想像をうながすようなうそなら。。。




教えていただいた本の著者のケースでは奇跡的治癒が生じた人は、

どんな手でもいいから、実行可能で成果が高そうな治療法をかき集めて実施したそうです。

そのときに奇跡的治癒が起きるということが頭で想像できないような、

ずっと先の遠い距離があるように感じたとするならば。

自分の皮膚感覚や感情は奇跡的治癒が起きた想像ができません。

「頭で想像できないことでは、現実化しない」



人間って、本来は自分の脳の活用率は、ほんの数%程度だといわれていて、

ほとんどのパワーを温存して未使用のままにしています。

筋力もそう。

筋肉の力も、常日頃からリミッターをかけていますから、

ちょっとでもそのリミッターを催眠状態ではずすならば、

びっくりするような強烈な筋力を発揮するものです。

それは、ほぼ100%。


誰でも起こることですし、

誰でもがそんな潜在能力をふんだんに持っているものなのです。


いつものような自分の思考で、

いつものような自分の体の使い方で、

いつものような自分の観察力・注意力で。


頭で想像しやすい常日頃の状態の延長線上にある。


私にはそれこそが、

頭で想像できることのリミッターをかけた状態だろうなと考えています。


たとえば、催眠術をかけなくても、

私が気づきの瞑想というヴィパッサナー瞑想の真似事をして、

ひたすらに自分の観察力や注意力を想像力をたくましくして、

意図的にいつものような自分のやり方を捨ててかかってみる。


するとそれで不思議なほど脳への血液流入量や脳脊髄液の流れも良くなったように感じ、

そのモードで握力計を握ると数値がいつもの状態ではありえないくらいパワーが出てる。


近代的な飛行機が自動操縦プログラムを創りだして、

操縦士の負担を軽減させるようにしてくれますよね。

それと人間の脳も同じようなものなのです。

省エネで動くことを得意にしていますから。


でも、いったんそのような自動操縦プログラムを創りだすと、

「そこだけ!」は、今までの経験から得られたやり方を元に、

対応可能なのですが、かえってそこだけ以外のところを見ず、

観察力や注意力を元にした想像力のスイッチが落ちる悪癖も。

そこで力の発揮のリミッターが設定されたということですね。



だから気づきの瞑想で、自動操縦プログラムを切るようにし、

いつもの想像力の範囲を振り切ればリミッターが軽く外せる。


このようなリミッターの設定は、

免疫力についてもいえるのかもしれない。

複雑な説明になりそうだから省きますが、

気づきの瞑想を深めてマインドフル状態。

そして脳が活性化して活用率を上げよう。

3%くらいしか脳を使っていなかったら、

10%くらいは脳を活性化させてみよう。


そうなることで、

精度にリミッターがかかっている自動操縦プログラムに対して、

手動式で微妙な感覚にもとづいてさらに精度のあがった様子に。

気づきの量は、五感のキャッチ能力とともに、創造的に得た情報を編集する力で増すこともできる。

そのようにすることでバックグラウンドでは神経の働きの量が比例して増していくともいえるはず。


脳が、

意識が、

成長する状態。


そこに私は奇跡的治癒が起きる土壌を見出したいと願っています。



「頭で想像できないことでは、現実化しない」

そのようなことが言われています。


ならば、次のようなことも言える。

「頭で想像できたことは、現実化しやすい」


自動操縦プログラムで日常を送る楽さから離れて、

手動で頭で想像できるものの範囲を増していこう。


そんなところにも、奇跡的治癒へ至るきっかけが得られるときもあるだろう。


私ごとですが、

幾度もかつて施術がハードすぎて、

それが元で体を壊して半年や一年以上も休業したことがあります。

貧乏もいいところです。

もちろんただ休みたかっただけじゃなくて、

それだけの期間、休まざるを得なくなった。

そこまで突き詰めて差し迫った状態になる。


でもそのような折に、

今までの自分の生き方を内省し、

今までの自分を捨ててきました。


そのように見方がかわったとき。

私の体は精気を取り戻して復帰。


そんなことを繰り返しています。


日ごろ創りだしたリミッターに、無意識層で気づきましたとき。

それに嫌気が差して今までの状態を破棄して自動操縦プログラムを黙らすために、

体が悲鳴をあげるという方策で改善のきっかけを与えてくれた。

心身に人生の変化を促したのでしょうか。




Yさん、幸運を祈っています。

がんばっていきましょう!

2016-05-05

人生の青写真と今の在り方を見通す知恵と。




ここ最近、5キロ超えのいせごろたを利用した施術のおかげで、

私の体が悲鳴をあげている状況。


施術中に体力を使うのも当然ですが、

神経のすり減らし方は施術成果の上昇とともに格段にディープに。。。

慎重に仮説検証を繰り返して安定感が出てくるまでは、きついですね。


それでブログを書く体力的というより気力上の余裕もなく

施術の研究メモを数時間気力を振り絞って書いた後には、

施術後に気絶する感じで寝入っています。。。

それが続いてますが、これもまたいい経験です。


(そんななかでも、なぜだか書かなければ的な感じを受けて、

ブログ書かせていただきました。文章中でいいたいことのまとまりが悪くて申し訳ないです m__m)




ですが、

進む道へ方向性を直感で選ぶならば、

ここにこだわるしかないんですよね。


それが、私にはわかります。


私の目に映るビジョンからは明瞭に、

そういった映像が流れていますから。


ごくごく、このようにすることには、

納得づくでやれているのです。



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今日、施術をしているとき。

お客様と話をして話題にでた言葉があります。


ブループリント(青写真)。


これは設計図を複写したときの青写真のことですが、

青写真は複製だから原本はちゃんと保管しています。

複写した設計図を普段使いで現場監督さんが見ながらメモを書き込んだりするでしょ。

いつも手元に置いて紙がボロボロになるまで見返すような設計図が青写真です。


建築現場に行くと、現場監督さんや職人さんたちは青写真を手元に置いておく。

建築完成には必須アイテム。

寸や部材や細々した指示や指定を表記された設計図を見ながら、家は建てられていく。




人はこの世に生を受けて生まれ出てくるときに、

人生の青写真を携えて生まれてくるのでしょう。




このたび生まれ出たときもそうだったはずです。


人生の青写真を手にして設計図通りに完成させ

自分がかなえるための課題に取り組んでいます?


そのような意味合いも含めただろう言葉でしょう。




「(ボディワイズの)鈴木さんの、人生の青写真は?」と、

鋭く切り込んでいただきました。




なにげない一言ででた質問かといえば、

前後の文脈からはそうともいいづらい。


私自身、施術をして極めて行くことで、

そこで得た部材を建築材料として使い、

それから建物を建てていくつもりです。


施術技術は建材ですから、

その建材が無様なものなら、

設計図通りに作ってみたとしても、

3びきのこぶたの藁の家程度です。

やはり強固なレンガの家を建てる。

そこにこだわりたいから、

日々、建材集めに邁進するのです。


いいひのきの柱になる建材を集め、

それからようやく家の建築に入る。


建材としての施術技術が集まると、

そちらを使って家を建てる作業へ。


人生の青写真としての設計図には、

なんら悩むことも必要がないほど、

精度のいい指定がしてあるのです。


すべてが抽象的な設定ではなくて、

ゴーサインや待てサインのような時期の時間指定も具体的にその場に立てばわかるものですし、

次のステップへの進行もどこかの誰かが必要に際して取り揃えていてくれているようですから。

時期が来れば、自身が想像していた範囲の事柄が具現化されたままにでてきます。



成功はディテールに宿るものです。

ディテールを読み解き腑に落ちる形で周囲を見回せば、

ジグソーパズルのピースはそろっていることに気づく。


それは、、、無理やりにでも生み出してしまえばいい?


私には、個人的な意見ではそうではないと思えている。

人それぞれの状態設定が違っていて、

今の立ち位置から一歩を踏み出すと。

すでにジグソーパズルのピースを得ているならば完成させればいいし、

未だにピースが用意されていないならばそれを集める時期なだけです。


実際には完成を図るためのピースあつめの時期であっても、

人生の青写真通りであれば、後に自分を振り返ったときに、

ひとつのピースを創りだすための、

小規模ピースを集めていた過程だったと気づくものです。


すべての自身が納得のいくような結果は、

自分が思い描いたもので決まってきます。


それは生まれてきたときに携えてきた青写真通りのものが思い起こされる仕組みになっている。

それに逸脱せずに進められていると思っています。


完成形の結果は、青写真に数字や線で要点が記載されたものを見て作っていればいいのならば、

その通りに作るのがとても楽なんです。

完成に至るまでには、工程上の工夫や想定外の事件や事故が起きることもあるでしょう。

ですがそのような試練もすべてが完成品がかゆいところにまで手が届くための肥やしに。


自分が納得づくで描いた設計図ですから、

間違いなく満足できる成果が得られます。


満足した成果のご褒美とは、

充実感かもしれないし、喜びであろうし、

平安で清浄な落ち着きかもしれませんね。


別に大それたことをせよと青写真に書かれているわけではありません。


それは個人が顔も生まれ出た親も育った環境も違うように、

多様な結果が導き出されれるように初めから出てきている。


ささいなことでも、ちっぽけに思えることで、

誰彼なく自慢できることではないとしてでも、

自身の人生の青写真に素直に『YES』といっていれれば。

ただ自分が描いた人生の青写真を参照し続けるだけでいい。


そう思えてなりません。



ただ。。。

人生の青写真を持って生まれてきたのに、

その青写真をほっぽり出して参照しない。


「そんな青写真なんて、幻想でしかない」と。

そう考えて、設計図を持たずに日々を送る。



そうであれば、

「あなたの、人生の青写真は?」と、鋭く切り込まれたならば。



そのようなモノの必要性は感じられないとか、

他にも取り繕われた言葉を出すしかなくなる。




それでは

私は後悔の念が死の間際に訪れると思います。


それは、

別にライフプランニングをしない人はダメだというのではありません。

私は今の自分自身の在り方が見据えられたときだけ、

青写真が閲覧できるようになっていると感じられる。

自分自身について観察すると、そうであるからです。



忙殺されるほどの滅私状態に陥るときには、

自分と他人を相対的に鑑みて競争している。


絶対的な自分のありようを観察するよりも、

他人ばかりが気になりだし、

競って勝ちを負けを感じて。




人生における混乱期。

苦悩する日々も必要。


ですが瞑想的に今の自分に気づき、

自分を客観的に見つめ俯瞰視する。


そのような自分にできていること、

できようとしていることなどから、

何かをみつめるだけでもなくて。


自身のナマのままの体という心の具現化して表出したものを、

そのまま眺め尽くすこと。

これが、生身の人間には必須修行アイテムだと信じています。


皮膚の内外からにじみ出てくる様子を注視観察することから、

私自身、数限りなく多くのことを学んできました。


肉体には、心や精神につながる叡智が具現化された、

いくつもの特徴をみてとることができるからです。



それは得てして素直な目で見つめる力を持つなら、

直感的に自己の内側の名医から情報が伝えられる。

そのようなものでもあります。


私ども、施術者は。

系統だって場合別でおおよその体のこの部位の状況がこのようであれば、

こんな状態が推測できるという経験則上の知恵を持っているものですが、

それは本人が自身を詳らかに見つめるほどの精度では見計らうことはできません。

ざっくりとした、大雑把な把握をしているにすぎないのです。


「自分は施術者じゃないから、わかるわけないでしょ」では、

自分が持っている内なる名医を活躍させる能力が封印させられている状態でしょう。



医学的な話ではありませんが、

自己の繊細な感覚器官の目を詰まらせずに全開にできているとすれば。


人は、ほとんどの能力にリミッターをかけて10%ほども筋力も感覚力も、判断力も、免疫力さえも、

使い倒してはいないといわれていますし、私もそのような状況だと思えてなりません。

自分だからわかることや自分にしかわからないことのほうが多いのです。

リミッターというブレーキを踏む意味。

ブレーキを弱めてアクセルをもうちょっと踏んでみて、

選択的に爽快感を伴う疾走するような自身を乗りこなせるまで修練する。

自伝車のロードレースをするときには、

登りの体力の養成を行い体の使い方を学び、

下りでは疾走して暴走する恐怖に打ち勝ち路面の小石や亀裂、水たまりにハンドルが取られないように

事前に下調べをしておいたり見通す目の力や動体視力を磨くこと学び。

徐々に優秀なロードレーサーになるようなものと同じことでしょう。


そうすることで体感できる、アクセルとブレーキの使い方の関係性。


より早く安全なドライビングをすることでゴールへたどり着く工夫です。


自分の体の内外を見つめる視野や注視の力がどれほどあるかが、

敏感に自分の人生の青写真通りに道を歩んでいられているかどうかを知り、

大胆に前進する力を得て、機敏に軌道修正を測ることもできるのだと思う。




機械図面や建築図面の複写(青図、blueprint)に多用されたため、

「設計図面」の意味で使用されるようになった青写真。

また、これから転じて、将来の計画などを指して「人生の青写真」というそうです。


私には、各人の「人生の青写真」には、

自身の健康状態に対しての注意書きも書かれているんじゃないかと。

そして避けられないこともあるが、

現状の苦境を乗り越えるヒントが明記されているものもあるのでは。

そう感じられるような疾患や症状もあるように見受けられています。


自分の在り方がわかること。

どのような人生を送るかは

その在り方がベースになり描かれるロードマップのようなものです。

人生の計画は自分の在り方といえる自分を知るための青写真という設計図を見据えた時に、

自ずと見えてくるものだと思います。


その逆の、

人生計画が自分のあり方を見せてくれるものでは、決してないものだろうと信じています。


よいライフプランニングをするアドバイザーがいたとすれば、

自分のあり方を問い続ける人を限定にして役に立つでしょう。



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つい数日前に、施術者をなさっている友人と電話で、

自信とはどこからでてくるのかという言葉のやり取りをしていて、

しばらくそこから話が発展してきた時に。


「目先の事物にとらわれる前に、自分がどうあり続けているかという、

自分のあるべき姿ではなく、

自分のありのままの姿を観ることからはじめよう」と語り合いました。


五感の感覚器官を今までの倍以上のセンサー力をあげていきましょう。

そこからの気付きは無限大に広がるほど多くの事物を伝えてくれます。

感情やこころについて感じ取れるセンサーもそうでしょうね。

最近ではマインドフルネスのようなエクササイズをしてみたりすると、

今、ここにいる自分がわかりだすでしょう。


今の自分自身が把握できていること。


自分の内側の世界の目が、

外側の世界を規定する尺度だと気づくでしょう。


自分の肥沃な内側の世界を知る純粋に見通す知恵が自信を生む源泉です。


今の自分の肉体を通して自分の内側と外側との関わりの扉を磨きをかけること。


今という言葉が連発していますが。。。


自分が踏みしめているタイムライン上の行く先ばかりを気にして、

今の足元が見ようとしていないか、見えていないときも、

目をつぶって疾走する危険は本能的にわかるかそれはしない。

足元の石ころや階段を見ないでは転げてけがをするだろうし、

死に至る崖を歩いているような場合にさえ、

1キロ先のゴールと決めた夢の地を見ているようなことでは。。。


自分の在り方をよく見えてしまえるようなトレーニングをする。

安全に疾走感を持って走れるように目を見開いている状態です。

私には今を知る知恵にセットで生まれてきたときに

描いた人生の青写真を閲覧することがかなうものと感じられますので。

2016-05-01 五行からの身体のにおい判断チェックについて、、、 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

今日、施術をさせていただくときに、普段、あまり聞かないことを問われました。


「もしかしたら、私は何らかの病気なのかもしれなくて、、、

鈴木さんは、臭いで病気かどうかを嗅ぎ分けると聞いたことがあるんだけど。

なにか気になることがあったら教えてくれませんか」


と、お客様がおっしゃられました。


ちょっと、びっくりしました。


実際は、後日に医療機関で検査にいかれるとのことでしたので、

もしも何か気になるようなことが先にわかればとのことでした。

とりあえず気になりそうなことがわかればな、ということです。


私が、

「私は医師ではないので、

臭いでなにかちょっと気づいたことがあればお伝えしますが・・・というところでいいでしょうか」

とのことです。



施術をし終えて、立ち方をチェックさせていただいているとき。


私が愛用している本の『気内臓療法』の本のP58 「五行間の関係図」を見ていただきました。




そちらに『身体の臭い』という項目があるのです。


「内臓」 ・・・ 「身体のにおい」

肝臓、胆嚢・・・ 臭い、やぎのよう

心臓、小腸・・・ 焦げ臭い

脾臓膵臓、胃・・ 香りの良い

肺、大腸・・・・ 腐敗、肉のよう

腎臓、膀胱・・・ 臭い、悪臭



内臓がダメージを受ければ、その内臓に対応した身体のにおいがしてくるというものです。


ただし注意しなくてはならないことがあります。


私が臭いを感じるとき。

いくつかの臭いが混じっているように感じています。

それはひとつの内臓がダメージを受けているならば、

他の関連する内臓やそれ以外の内臓部位もダメージを受けているわけではない。

たいていは同時に「他の臓器も何%かのダメージの蓄積が進行している」から複雑な臭いとして感じられる。


だから単体でこの臭いですというようにいえることはないようですし、

複数の臭いが混ざり合っている。

それを調香師のようなところまで精度よく臭いを嗅ぎ分けられる力まではない。

どれとどれがあるが、そのどれとどれがどの程度臭ってくるのだろうかなどは、

直感的に感じ取れるところもあるのですが、

なかなかどうして。


頭のなかではそれぞれの臭いの混じりが在ると、

私の脳裏では実体を捉える力がまだ足りません。



よほど偏りがあってわかりやすいものを除いて。

正確な臭いの割合は、私にはわかりません。



ただし私は、いささか不案内な情報源でも、

使えるものは使えという考えを持ちます。

使おうと意識することで、

そこが研究を深めるきっかけになるからです。


完全ではないという自覚があれば、

そのわからないままのところには、

どれほどの不確定条件を認識して、

どこの部分は信じられそうだろうかといったことを、

イメージの分別をしていく必要が出てくるのですね。


わからないから放置すべきというのでは臨床では成長しないですね。


自分なりの他の追随を許さない力を持てるかどうか。


そのようなものは少なからず第一線でがんばるには、

必要なアピールポイントになるものです。

そういうものを取りこぼさずに修めると、

他との差別化がいずれ顕著になります。



そのような曖昧さを含んでいるものの、

臭いから情報を得られるかどうかで、

そこから内部状況を探りだし、施術のシナリオを組み立てやすくなっていくのは確か。


私は、嗅覚は不思議といい方です。

だから、そこに臭いを感じ取ろうとすると、

その嗅覚を入り口にして、

他の感覚器官にも容易にアクセスできるようになっていくのです。




ただし、自分が得た臭いの情報をお客様に正直に伝えるかどうか。


そこは本当に迷うところです。



このたびは、長年のお付き合いがある気心の知ることができているお客様です。

そして、すでに医療機関で検査を受けるという明言をなされておられますから、

ほんの、参考までに私が気づいたことを伝えるというのでしたらいいでしょう。


もう10年来の、お付き合いいただいているお客様ですからね。

私の感じ方ですが、

二人三脚で、私もこのお客様を改善を祈り施術の技術を磨きました。

そのような人間関係がありましたから、

意固地になって「絶対、いい加減なことならいいたくないので・・・」と、

断るような気持ちにもなれなくなっています。


そのように考えまして、

私がお客様の身体の臭いから嗅ぎ分けた結果をお伝えさせていただきました。

「問題ない気がします」とお伝えさせていただきました。


後日、検査を医療機関で受けられて、

検査結果がどのようにでてくるのか。


私もお客様同様に、

ドキドキしながら検査結果を待つようです。



ただ、このようなことこそ、

慎重な姿勢でなければならないと思っています。


それは自分の述べた言葉が幾度かあたったとき。

そんな経験を繰り返すとしたら、

天狗になってしっぺ返しを受けるものでしょう。


知ったかぶるような姿勢をかもしだすことこそ、

恥ずべき行為だと思いませんか?

品格を自ら落としてしまうこともでてきますし、

第一に、気付かないうちに決定的な色眼鏡で人を観る習慣が着くことは避けるべきでしょう。


本当にケースバイケースですが、

身体のにおいのチェックというものは「人を見て内容を伝えるかどうか判断する」というところでしょう。


時々起こることですが、

その他のことも、やはり人を見て伝えるべきかどうか、

常に私の頭のなかでは計算をし続けてしっぱなしです。 ^-^


それで丁度なんでしょう。