あなたは自分の両親に、どのように生きて欲しいですか?


昨日、施術を受けていただいたことをきっかけに、
友達となっていただいた方から電話があった。


信州のご両親が東京に出てくるという。


その際、私の施術を受けることはできないか?
と希望しているといいます。



その方はシステムエンジニアでデスクワークが終電まで続く日々。
そこでこしらえた腰部の負担を持っていました。
一般的な整体ではリリースができない質の、
仙骨の沈み込みと腰椎のねじれがあります。


しかし、
その方は日頃、禅を実践している人ですから、
私が施術で深層まで筋膜をリリースしますと、
その後、継続的に問題のない状態になります。


大幅に軽減させた状態を日々、
自身で増長させていくのです。


禅は、こころ、からだ、呼吸を見つめる行です。
そちらのやり方がうまくいくようになったから
体のバランスをとり続ける意識が体を改善する。


日々、整体に体を調整をするが禅なのですね。


だから
千葉県のほうでヴィパッサナー瞑想を修行する場に行く前に、
体を最適化させて臨みたいからというタイミングを見計らい、
施術は年に一度程度。


その彼が、
両親が東京に来るから施術を、、、という希望を持ちました。


自分の身を授けてくれたのは「親」です。


だから両親を大事にしていくことこそが、
親も喜んでくれるでしょう。
そのときに子も喜んでくれたことがうれしい。
その喜びの気持ちが両者に広がるものですね。



私の施術への考えは、
一回や二回では、よほどピンポイントでどこだけを改善したいという者以外は、
焼け石に水」となるような、全身をくまなく同時進行でバランスよく書き換えられない取り繕い。
それは私の施術のやり方を体験して自分に合うかどうかを判断するためには役立つでしょう。
ですがそこで生み出された一時的な改善をもって「良くなりましたね〜」などはいえません。


つまり富士山に上るときに、まだ山の斜面を登る第一歩を踏み出したところ。
山頂を見つめる私は、そこへ辿り着くルートを見つけようと脳は計算します。



症状がたくさんあるかたも長丁場で、
ご高齢の方も、一般的に長丁場です。


それを経験的に多数のお客様を通して観ていますから、
そのときにも、友達付き合いをさせていただいていて
ご両親の体を気遣う彼に、
「本当に良くするには一回じゃむずかしいですね」
と正直にお伝えするしかありませんでした。


信州にお住まいのご両親ですから、
電車で通われるにしても、
遠路から足を運ぶ疲労は施術成果を減少させてしまいます。


それで『筋膜リリースをするというところを、現地で見つけられないか?』と質問すると、
「そういうところを見つけて通った人が、まったく効果がなくてすぐにやめたよ」という。


実際に筋膜リリース関係のテキストは私はほとんど持っているのですが、
その通りに施術をしたとしても、現代の日本人の緊張ストレスを貯めて
相当な負担の蓄積を持った人たちには効きが悪いというか、、、
「跳ね返されるだろうな、、、このテクニックでは」と思っています。
特に症状をお持ちの方や、難しい状態の方々には刃が立ちませんから。


私は自分の勝手な評価ですが、
筋膜リリースをテキスト通り、
という場合は評価が低いです。


体質まで書き換えるという結果を重視してますから、
そこに辿り着けるツールかどうかといえば、
それだけでは難しと思うこともある。
そのようなテクニックは見習い身につけつつも、
普段はそれは私の施術上では使われてませんし。


効果がでないと私が思うことをして費用をいただくことはできませんから、
それらのテキストに書かれている作業より、
はるかに施術者に負担がかかるものでも効果がでるものを工夫して作成へ。
だから「筋膜リリースをしています!」といってましても、
ほとんどが効果優先で自作したやり方で通しているのです。



ということなので、
彼が「他の施術院でうまくいかなかった人がいうには、、、」という言葉も、素直に頷ける。


著名な施術をなさる方の技術を見せていただいたときに、
参考になりましたといいつつも、勝手なところで申し訳ないが、
私のこころのなかでは
「私のお客様には、変化の持続性が弱く十分な対応はできなさそうだ。
100点中15点だな」と判断させていただいたようなこともあるし。


普段から自分が自分の施術に冷めた目で評価することが多くて、
他の先生の施術もそういった同様に見つめる癖があります。



私としては
「両親を、自分の体が楽になったのだから、
そのように暮らしていってほしいと思う。」
という希望をかなえてあげたい。


私の施術は、別に全世界の人を救い出すようなたいそうなものでもない。
ちょっとしたかかわりを持たせて頂いて、
それでは私がと手を気軽にあげられるようになれればなと思うのですが。


ただ日頃のことで手一杯になっているところが、
自分の胸の内側ではどうにか改善なさっていて
ご両親の、たとえば彼は父親も自分のような腰の傷みやすい状態だろうからと気遣っていて、
そのようなところを治せるようなきっかけを持たせていきたいと思う。


ですが、なかなか私の施術方法を伝える機会など広がりのあることができていないことで、
近隣の知人の施術にもフットワーク軽く自分の身を使うことができていないことに気が重く感じます。


意外にそのような自分ではできない虚無感を抱くようなことは、
「自分だったらそれは対応できるかもしれないのだが」という
落胆で気を落とすことのこころの悪寒が気に病んで身を沈める。


本当に縁のあった方々には、
理想のボディヘルス・ウエルネス的な結果をかなえていただいて、
勇気を持って、
「確実にこの施術を受けてくだされば、ご両親の健康的な生活を向上させるきっかけになりますから」
とにっこりして、
「ぜひ、いついつにお越しいただけるようお願いします!」
と言えるように、自分で施術をする機会を選択できれば。
とても相互の喜びが深まり手応えも大きいことでしょう。



ただ、たった一人の自分の身だけでは、マンパワーが圧倒的に足らないので、
すでに現実的に施術を受付させて頂いているお客様の人数でいっぱいになる。


私が同種の施術をしていて同様レベルの施術を提供なさる先生を知っていて、
そちらに紹介をさせていただいて分業的にいくこともできるのでしょう。
しかし自身の癖のある施術法を教えることの手間ははんぱではない。
片手間にできることではないと思います。


自分の行う作業を削り自由時間を増すことで、
そこにタイムリーに自分が
「その施術を、ぜひ、させていただきたいです!」
と縁の感じる依頼を受け付けられること。


そうなれるような夢をかなえることが、
私にとって最高の贅沢かもしれません。