体が整体で変われば、体の操作方法も変えなければ、話は済まないので

お客様と話をしていました。


椎間板ヘルニアや、股関節や膝関節を悪くして手術をした人がいるのだが、
せっかく手術をしても、再度、または再々度、度々同じ症状がぶり返される人がいるのはなぜか?


実際にそのような繰り返される症状に苦しまれる人は数多くおられます。
いったんは手術をして痛みが改善した傾向にあったのだが、
やがてまた不具合がでてきて再度手術に踏み切らざるをえない。


そのようになると、
その負のスパイラルから抜け出せなくなり、
精神的にほんとうにつらいどん底を観ることになってしまう。



それは、なぜおきるのだろう?


もちろん、理由はひとつだけじゃありませんよね。


数多くあげられて当然です。


ただとりあえず、
決して見過ごしてはならない
ひとつの、可能性あるパターンを見てみましょう。



過去に覚えた自身を歪ませる悪癖となった条件反射的な動き方をどう扱うかで、
その後の再発するかどうかに開きが出るということです。




ここで、ちょっと想像してみてください。


たとえば、
私がロボット工学の実力たくましい科学者だとします。


アンドロイドタイプの高性能の鉄腕アトムのようなロボットを作ったとします。


ロボットを制御するのは、
運動制御プログラムですね。
どのようにして体を立たせるか。
事細かに指示するのです。
それはプログラムに書き込まない動作は一切ロボットはしてくれませんから。
本当に、事細かにすべて規定し尽くすのです。


ですがちょっとしたパーツの発注ミスで、
右大腿部が短くなってしまいました。
それで右側へ体が傾く状態になります。


でも、大丈夫。


そんな決定的な不具合のあるボディでも、
気合の入ったプログラミングをしてみて、
傾斜に対しての補完作業を計算していく。
かなり複雑化していくものですが、
右側に傾斜した胴体であっても立ち居振る舞いができるようなプログラムを書き上げて、
そのプログラムに乗っ取って体を動かすような操作をすることができるまで仕上げられた。


だが、結果として、傾斜した体はバランスをとるのが苦手で、
ボディのブレが大きくなり複雑な動作を強いられていきます。


すると関節部分が過剰にぶつかり削られてしまうようになる。
気づけばボディにジグザグに点在する故障箇所が増えてきた。


右足首、右膝、右股関節などは悲鳴をあげていく。


そこで英断を振るう。


「じゃぁ、右大腿部の部品を新調して左右の脚部の長さを同じ寸法にしてしまえ!」


なぜ、そこに気づかなかったのか! ^-^


そう言われそうですが、
得てして人間はそんな凡ミスばかりをして生活をやりくりするようなところってありませんか? ^-^;


右大腿部の部品を取り替えて、
ロボットの脚部の左右差は消えた。
骨盤部分も地面に対して平行です。


すると、安定して歩けるようになっただろうか?


でもそのロボットは、
ちっとも歩くことはできなくなりました。


それは体がゆがんでも動けるような特別な動作プログラムを書き込まれいて、
そのプログラムを元にして動くしかないからです。


そして再度、左右の脚部の長さを揃えたのだから、
それに見合ったプログラムを新たに書けばいいが。


だがどうも全く新たなプログラムを書くのは面倒だから、
その歪ん体を動かすためのプログラムを元にして、
どうにかこうにかプログラム行数を少なくて済むような
以前のプログラムを消さずに書き足すという方法をとる。


だがそうすると、複雑な歪んだボディを動かすプログラムに、
さらに複雑化された状態のプログラムが書かれていくように。。。



それは愚かなロボット製作者だけの話。


あなたならば、
歪んだ状態で動くようなプログラムは捨ててしまい、
新たに理想的な整体となったボディに則したプログラムを書きますよね。


歪んだボディをコントロールするのにかかる労力の、
何百分の一程度の作業で、釣り合いの取れた体は制御できるプログラムが組めるからです。


そしてプログラムの行数が少ないほうが、圧倒的にレスポンスがよいし、
後々にプログラムを書き換えるにも容易。


歪んだ状態のプログラムを下敷きにして、
そちらを捨てずにプログラムを書き足すほうが実に厄介な作業になるはずです。
それは中心軸が正確に据えられたものをバランス良く操作するプログラムではなくて、
バラバラに積み上げられた崩壊寸前の積み木を壊さずにどうにかこうにか動作させるようなものですから。
リアルタイムにそんな作業をするなんて、よほどの計算力があっても厳しいですね。


至難の業なのです。


あなたならば、そんな究極的には百害あって一利なしの至難の業に挑みませんよね。




ですが実際はそうともいえないのです。


人間のボディも、いったん歪んだ状態で動かすプログラムを書き上げてしまうと、
そのプログラムを捨てずにそのまま生かそうとしてしまう。


上記に例えたように、それは脚長差が左右揃ったとしても、
歪んだ状態の身体操作プログラムを使い続けようとします。


自動反射。
自動的に反射で動いてしまって、
すでに頭で動作法を考えないようになってしまった人は、
本当にほとんどの人が一様にそのような反応をするのです。


結果的に、理想状態で体を操作するには、
重心の丹田キープや、
てこや滑車の力学的に楽に体を動かす操作力の発揮など、
遺伝子に書き込まれている運動操作の機能を使うこともせず、
無駄や無理をつのらせた操作上では、
神が与えた身体操作の省エネかつパワフル化された賜物があることに気づきもせず。



いったん、自動的に歪んだ状態のプログラムを使おうとする自分がいることを客観視できるかどうか。


そこの見極めをする力が必要で、
それと同時にそれを捨ててしまう勇気と、
それに変わる理想的なボディコントロールのノウハウを獲得してすげ替える作業をすること。


そしてそれは膝や股関節等の手術をした人のことばかりじゃないのです。



施術で脚長差が左右ともなくなったという人も、まったく同様な話です。



身体の整体と同時並行に身体操作プログラムへの手当がなければ、
歪んだ体の使い方を適えるプログラムの上に、
整えられた状態という新たな場面のプログラムを付け足して付け足して。


自動化された人間の反射的な動作。


「それって、ダメなんじゃないの?」
「歪んだ状態のプログラムを自動的にしちゃうなら、また同じように歪むような体に持っていかれるだけだ」
「改めて変化した自分の体にふさわしい動作プログラムをインストールしなくっちゃ!!」
と気づいて、改善のメスを入れられるかどうかです。



改善のメスをざっくりといれられなければ、
すでに体にしんどい症状が出てしまっている方は、特に再度、体を壊してしまうのです。



それは私は幾人かの、そのような状態で苦しんでいるお客様を観てきましたから。。。


どうしても、自身の身体操作法を変えなければならないのだという理解に達しない場合。
つらい、です。


ただ残念ながら、再度、以前と同様の不具合が再燃するのは火を見るより明らかです。
そういえるほど、急場しのぎのつぎはぎだらけの身体操作プログラムは危険なのです。


手放したくない。
そういう思いがでてきます。
面倒だし、今までこれで生きてこれていたという自信があるんでそれを否定されるのは嫌です。
つらいですよね。
他者からとやかく言われるのは。
そこに、大きなひっかかる点ができて、
改善の先にある肥沃な大地に住まうことを拒むことがあります。




または体の現在の使い方を手放せと言われても、
その仕方がわからないのかもしれません。
それは、そうだろうと思います。
本当に奥深いものですから、
一気に全部食べ尽くせるものじゃないのです。
欲張らずに野口三千三先生の「原始生命体としての人間」などのテキストを読んだり、
アレクサンダー・テクニークやフェルデンクライス・メソッドを受けたり、
中国武術や日本古来の武道を学び達者なものから手ほどきを受けるのもいいでしょう。
やる気になれば、いくつも有効なやり方はあるものです。
まずは、自分にあったものを見つけて取り組みましょう。



人体というハードウェア。
そちらを操作するソフトウエア。


ハードウェアの状態が変われば、

ソフトウエアも変えてください。


それらは自転車の前輪と後輪のような両輪が回って機能する関係のものだからです。


ボディと身体操作プログラム。
両者が同時に変化変容するものだということを、
肝に銘じれば腑に落ちるところもあるでしょう。


どちらか一方が現状維持で済ませられるものではないのですね。