2009年01月21日
■[法律] よくあること

例えば、最終報告書案において、児童ポルノを「社会的法益侵害情報」として扱っていた点に対して、児童ポルノ禁止法のそもそもの目的が児童の人権を擁護すること(個人法益)であり、「権利侵害情報」として扱うべきとの意見が多く寄せられた。
これに対して総務省では、確かに児童ポルノ禁止法では、児童の権利侵害という側面を重視しているが、「同時に、同法は、児童を性欲の対象としてとらえることのない健全な社会を維持するという社会的法益の保護をもその目的としているものと考えられる」と回答。
児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律
(目的)
第一条 この法律は、児童に対する性的搾取及び性的虐待が児童の権利を著しく侵害することの重大性にかんがみ、あわせて児童の権利の擁護に関する国際的動向を踏まえ、児童買春、児童ポルノに係る行為等を処罰するとともに、これらの行為等により心身に有害な影響を受けた児童の保護のための措置等を定めることにより、児童の権利を擁護することを目的とする。
そうそう、権力ってのはそういうものなのだ。法律に明記されてたってこうなんだから、法律を作るときに、運用に任せる部分を残しとくことはとっても危険なんだ。
2008年11月20日
■[徒然] 議員さんの側のパラダイム変革を

昨日は森議員をやり玉にあげるようなことをしてしまったけれど、あの発言のような感覚は多分多くの議員さんが持っていると思うし、それがこれまで(というか現状で)普通だというのも分かるんだな。
ただ、ちょっとやっぱり議員さんたちに考えてもらいたいと思うのは、もしもネット世論が不愉快だ、うざい、煽動されている、などと考えているのであれば、その考えの前提となっていること―マスコミにコントロールされている人々に投票してもらうということ―は、本当に民主主義だったのか、ということだ。どちらの人々が、より「自分の意見」らしきものを持っているか、と言ってもいい。
言論の自由や表現の自由が弾圧されない限り、これからは間違いなく質・量ともネット世論が優位になっていくだろう。これは社会のパラダイムの変化なのだから、議員さんたちの考え方のパラダイムも変わっていかざるを得ないと思う。ならば早めに、と思うのだ。
あ、だからと言って、言論の自由や表現の自由の方を弾圧しようという今のアプローチはナシね。もちろん人権擁護法案、共謀罪、児童ポルノ単純所持処罰のことですよ。
おっとダウンロード違法化を忘れていた。っていうか多すぎなんだよ。
2008年11月19日
■[議員] 森英介氏。自民党衆議院議員、千葉県第11区、法務大臣。

国籍法改正案 質疑 民主党石関議員 法務委員会 2008-11-18 ‐ ニコニコ動画(原宿)
http://jp.youtube.com/watch?v=Owg4HKcDnMc(抜粋)
FAXで意見を送ってくる有権者は「好ましからざる人物」だそうだ。こういう発言は珍しい。政治家の失言で、直接に有権者に向けられるものは聞いた覚えがない。これは記録に残すべきだと思ったので書いてみる。紙がもったいないとまで言っている。有権者の意見を自分で見もせずに、それよりもFAX用紙の方が大事なんだそうだ。これは記録的だ。
マスコミから与えられる情報を受け身的に鵜呑みにするのでなく、自発的にネットで何か情報を仕入れ、自分の頭で考えて、何らかの文面を自分の手で書き、自分のお金と時間を使って、適切でなかったかも知れないけどFAXで意見を送った人は、好ましくない、と。
逆を考えると、マスコミからの情報をそのまま受け取り、特に自分で何もすることなく、選挙のときだけ自分に票を入れてくれる人々。そういう有権者が好ましいということだろう。うん、そりゃそうだな。楽だもの。
2008年11月17日
■[国籍] 重国籍はつまらない

国籍法改正の話がよく聞こえてくる。偽装認知が問題になる、ってのはその通りだと思うけど、それは何とか頑張ってほしい。
私はそれよりも、ついでに二重国籍を許そうって話の方が嫌な感じがする。国籍を複数持つことは、特権だと思う。それを、単にある条件で生まれただけで持てるなら、法の下の平等に反すると思う。人権擁護法案という詐欺法案が問題視する私人の間の差別より、よっぽど普通に差別だと思う。
日本人としての権利義務は重国籍者でも変わらないから憲法14条には反しない、という主張もできるかもしれないが、それならば国籍法が違憲な理由も成り立たないと思う。法の下の平等は「国民」についてのみ憲法に規定されている。誰を国民と認めるかは、条文をそのまま解釈すれば、憲法の埒外ってことになる。もちろんこんな解釈は無茶苦茶だ。でも、だから同じ理由で、重国籍も法の下の平等に反すると思う。
でも、こんな法律論は疲れる。それよりも、国の集まりで世界が成り立っている、という仕組みの元では、重国籍はつまらないと思うのだ。ふたまたをかけて、状況に応じて自分に都合がいい方で暮らせるというのは楽だけど、ひとつの国(それが生まれた国であれ、移住した先であれ)で一生懸命暮らして、頑張ってその国をよくするという考え方が、世界を面白くするような気がする。もちろん侵略や搾取はいかんけど、そういう時代ではないはずだから。
たとえて言うなら、野球ファンになるならどこかひとつのチームを応援しようよ、ということ。
国籍という概念の対極にあるのは、国家という仕組みの廃棄で、ある種の人々は国家などない方がいいと考えているようだ。でも政治的仕組みなしで現代社会は成り立たない。ならば、国家の廃棄イコール世界統一政府の実現だ。それは強大な権力、地球上のどこへ行ってもその力から逃れられない権力を意味する。さまざまな国家があって、曲りなりにも住む国を選べるという今の状態の方が、個人にとっては自由な状態だと思うんだがな。