選択的なシニシズム(追記あり)

 McCrearyさんを批判したエントリ『選択的なシニシズム』(http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20140524/1400946736)にも一言二言。というのも小生について触れた箇所があることに気付いたので。小生に関係ないところは基本ノーコメントです。

チベット差別を振りまく人間と結託してチベット側に「現実を見ろよ」と言っているから,それらの言説はシニシズムなのだ。

最初読んだときは意味がわからなかったんですが、『チベット差別を振りまく人間*1=小生』なんでしょうね。何ではっきりと「チベット差別を振りまくボーガスと結託して」と、誤読がないよう、小生の名前を明記しないのかよくわかりませんが。
 小生は McCrearyさんと「結託」した覚えはないし、たぶん McCrearyさんも「結託」した覚えはないでしょうがid:Mukkeさん的には「結託」してるんだそうです。
 Mukkeさんの「結託」理解ってどういうもんなんでしょうか。「僕は××さんのAという意見に賛成です」と一回でも言うと即、結託になって「Mukkeさん支持者」もMukkeさんと「結託」してることになるのか。
 それはともかく、「チベット差別者ボーガス(つまり小生)と結託してるから McCrearyはチベット差別者だ、だから、ライプツィヒの夏『「経済のほうが政治よりよっぽど現実(実状)に正直だ」の実例(追記あり)』(http://blog.goo.ne.jp/mccreary/e/0923078995318b8a865f3339b5611701)はチベットに対するシニシズム」ということのようです。まあ、何とでも言って下さい(苦笑)。
 本当は「McCrearyさんがボーガス(つまり俺)と結託していようがしていまいが」、「味方以外は全て敵」がMukkeさんだと俺は理解していますが。「チベットを褒め称える言葉」以外は耳に入らないんでしょう。「星の王子様」の「自分を称える言葉以外は耳に入らないうぬぼれ男*2」が「Mukkeさん」だと俺は理解しています。
 つうか「歴史修正主義に反対」とか抜かしながらチベット関係者(歴史修正主義者安倍と会うダライラマ河野談話否定論と言う歴史修正主義主張を公言するペマ・ギャルボ)が歴史修正主義とずぶずぶ関係なのを黙認するMukkeさんは「選択的な〜」じゃないんですかね。でその選択が正当化出来ると俺は全く思いませんね。「チベットはかわいそうなんだ」で正当化出来ると思ったら大間違いでしょう。
 あと俺の指摘「俺やMcCrearyさんを批判するよりもノルウェー批判でもしたら?」に対するMukkeさんの応答も見ておきますか。

 少なくともわたしは直接的にノルウェーを批判してはいない。彼らに他国民の人権のために窮乏しろ,霞を食って生きろなどとはとても言えない。ノルウェーが自国民の生活に責任を持たねばならない国家としてそのような態度――つまり,人権よりも経済を優先させる態度――を取ることそれ自体は,望ましくないことではあるがしかし積極的に非難する気にもなれない。日本についても同じだ。問題は,その態度を正当化する言説である。つまりこれは徹頭徹尾ノルウェーの問題でもチベットの問題でもない。あなた*3がそれら*4をどのように評価するかという問題なのだ。

 俺やMcCrearyさんも別に「ノルウェーを擁護」していないんですけどね。単に事実を指摘しただけで。
 つうか仮に俺やMcCrearyさんが「ノルウェーを擁護」していたとして
・俺やMcCrearyさんの「ノルウェー擁護」は批判するがノルウェー自体は

他国民の人権のために窮乏しろ,霞を食って生きろなどとはとても言えない

といって批判しないつもりらしいMukkeさんがさっぱりわかりませんね。「お前らも批判するがノルウェーも批判する」というなら大変よくわかるんですが。
 俺やMcCrearyさんが仮にノルウェーを擁護していたとしてMukkeさんの批判に「ノルウェー擁護して済みません」と謝罪したとして*5政治的にどれほどの意味があるのか?。俺達は「安倍内閣閣僚」「外務省キャリア官僚」「全国紙論説委員」「経団連役員」のような政財官界等の大物でも何でもありませんよ?
 むしろ「何らかの政治的行動(別に批判でなくてノルウェーを取り込む政治工作でもいいですが)」をノルウェー相手にやって首相にでもダライと会ってもらった方がよほど政治的に大きい意味があると思いますがね。何というかMukkeさんの脳内構造がさっぱりわかりませんね。わかりたくもないですが。


【2014年6/9追記】
『過度の仏教信仰やダライ・ラマ崇拝はけっきょくチベットに不幸をもたらしたと思う』(http://blog.goo.ne.jp/mccreary/e/a39b37f789b69f015019ee9fed0a4466)のコメ欄にMukkeさんコメント(2014年6/8分)への反論を書いたんですが、「コメント許可制」なのですぐにはアップされずちょっと残念です。いずれアップされるでしょうが、一点だけここに思いついた反論を書いておきます(6/10追記:現在では小生のコメントもMcCrearyさんエントリにアップされています。McCrearyさんエントリのコメと、ここの文章は文章内容は若干違います)。

 あなた*6ダライ・ラマ14世ツェリン・オーセル*7は批判しても,チベット人の先住権を踏み躙る様々な中国の施策に関して,チベット人への批判と同等かあるいはそれ以上の具体的かつ熱のこもった批判はしていない*8

結局id:Mukkeさんが言いたい事はこれに集約されるわけです。
『中国シンパのボーガスやMcCrearyはチベット関係者を批判するな、お前らの批判は中国を有利にするためのものだろう」と。
 ばかばかしいですね。俺は中国シンパではないし、McCreary氏も中国シンパではないでしょうがそれはさておき。
 仮に我々が中国シンパだとして何がどうだと言うんでしょうか。
 我々が中国シンパなら「ダライ・ラマオウム真理教念仏宗無量寿寺といった怪しい宗教団体から恥知らずにも高額の金銭を受け取っていいのか」。そうしたダライの愚行を我々は批判してはいけないのか。
 我々が中国シンパなら「ペマ・ギャルポ南京事件否定論河野談話否定論への支持を公言していいのか」。そうしたペマの愚行を我々は批判してはいけないのか。
 そんな馬鹿な話はないわけです。批判動機はともかく人民日報『真相:ナチスオウム真理教とダライとの関係』(http://j.people.com.cn/94709/6562097.html)の以下のダライ批判「オウム真理教の犯罪を助長したのはダライなのに、ダライは反省の弁を述べず無責任な男だ」は「批判それ自体」は全く正論だと思います。こういう批判に対し「麻原とつきあってなんかいない*9」などとまともに反論するならともかく、「チベット弾圧側の立場の、人民日報の癖に何言ってるんだ」と言っても居直りにしかならないわけです。そんなことで人民日報の「麻原とダライには不適切な関係があった」という批判をなかったことになんかできるわけもない。

http://j.people.com.cn/94709/6562097.html
 地下鉄サリン事件の発生後、平和を愛する世界中の人々が怒りの矛先を麻原彰晃オウム真理教に向けていた頃、ダライは共同通信を通じて、「オウム真理教は仏教の教義を広める宗教であり、麻原彰晃は自らの友人である」との意見を発表し、大きな反響を呼んだ。ダライはなぜこのような意見を発表したのか。それは、麻原彰晃という邪教の指導者が実のところダライの「生徒」だったからだ。ダライのこのような汚れた過去に対し、良心を失ったメディアは見て見ぬふりをし、二人の関係をなかったもののようにしている。
 ダライはこれまで12回にわたって日本を訪れている。1984年の訪問では当時29歳の麻原と会ったという情報もある。麻原は1986年、インドを訪れた後にオウム真理教を正式に設立。翌1987年、麻原は再びインドを訪れ、ダライと会っている。この時、ダライは麻原に対し、「親愛なる友人よ、日本の仏教はすでに退廃してしまった。このまま行けば、仏教は日本で消えてしまうだろう。あなたは故郷で本当の仏教を伝えなければならない。仏の境地を知るあなたは最良の人選だ。あなたが日本で布教することを私はとても嬉しい。そうすることは私の仕事を助けることでもある」との内容の発言を行った。この会見時、ダライは麻原に祝福を与え、「師弟関係」を結んだといわれる。
 ダライは自らの「生徒」の働きにとても満足していた。1995年の事件が発生するまでの8年間、二人は5回にわたって顔を合わせ、手紙のやりとりをしばしば行っていた。1989年、麻原は10万ドルをダライに寄付し、ダライは証書と推薦状をもってこれに返答した。ダライは東京の関連部門にあてた推薦状の中で、「麻原彰晃は能力のある宗教的指導者であり、オウム真理教大乗仏教を広め公共の善を促す宗教だ」とし、「オウム真理教への免税を許可するべきだ」とまで書いている。オウム真理教はこの証明書と推薦状によって、日本政府が正式に承認する宗教団体となった。その後、大量の資金を蓄積してサリンの研究と生産を行ったのは周知の通りだ。
 麻原は日本で合法的な地位を得た後、ダライに感謝状を送り、「私たちの希望はチベットができるだけ早くチベット人の手に帰ることです。私たちはそのためにできるだけの援助をしていきます」と述べている。麻原はダライの指示を受け、チベット地域に2回にわたってもぐりこみ、「布教活動」を行っている。麻原はダライが自らの指導者であることを正式に認めている。オウム真理教の教義や教則なども多くがダライを由来とするものだ。
 ドイツの週刊誌「フォーカス」は、「ダライの支援がなければ、麻原彰晃が自らの宗教帝国を作ることは不可能だった。ただの治療師であり詐欺師でしかなかった麻原が数年の短期間であっという間に大教団の教祖となるのも、ダライの支援がなければこれほど簡単ではなかったはずだ」と指摘している。ダライが麻原をこれほど重用したのは、麻原からの金銭支援をあてにしていたためだけではなく、麻原を通じて日本の仏教を改革したいと考えていたためだ。ダライが麻原と結託したのは、「チベット独立」を支援する弟子たちを日本に増やしたかったからにほかならない。ダライのこの勝手な計算は邪教の崩壊という結果に終わった。自己の信徒の生命を損なう邪教が目立つ中で、ダライの高弟である麻原彰晃が作り出したオウム真理教は、教団外の罪のない人々をテロ攻撃する教団として、人々に大きな衝撃を与えた。

 チベットの事になると、「中国シンパがダライ猊下批判するな」などという馬鹿な事しか言わないから俺はMukkeの馬鹿野郎の事を「チベットキチガイ」「ダライ・ラマ狂信者」と呼ぶわけです。id:Mukkeほど「低劣な人格の持ち主」も珍しいじゃないですかね。正直、Mukkeの低劣さに比べたらMukkeが非難してる人間、たとえば小保方某の方がよほどまともに見えてきます。いやそれは言い過ぎかな。「小保方と同レベルの人間=id:Mukke」と書き換えておきましょう。
 まあ、小保方ネタで言えばid:Mukkeが「ダライ擁護する詭弁」ってのは「小保方問題で理研を非難する人間」に向かって「お前は理研の社会的意義を否定するのか」とか「野依理事長の学者としての価値を否定するのか」とか言うのと同じ、そのレベルの詭弁ですよね。
 野依氏がノーベル化学賞を受賞した偉大な学者だからと言って、理研理事長として小保方問題での批判を免れないのと同様、あるいは理研がいかに過去に大きな業績を成し遂げた組織だからと言って小保方問題での批判を免れないのと同様、ダライがチベット仏教最高指導者で「ノーベル平和賞受賞者」だからと言って、「子分たるペマの愚行(例:南京事件否定論河野談話否定論への荷担)」や「自らの愚行(例:オウム真理教念仏宗無量寿寺からの高額金銭受領)」の責任を免れないのは当然でしょうよ。 
 id:Mukkeみたいに詭弁で擁護してどうするんでしょうか。

*1:もちろん小生はチベット差別を振りまいてる覚えは全くありませんが。

*2:あのうぬぼれ男の描写は明らかに子ども向けではないと思う。まあ、それを言うなら「酒飲み」とか他の記述もあまり子ども向けではない気がする。

*3:もちろんこの文脈では小生のこと。もしかしたらMcCrearyさんのことも含んでるかも知れない。

*4:ノルウェーチベットに対する態度

*5:少なくとも俺はそんな謝罪する気ないですけどね

*6:小生の事

*7:チベット人作家。著書『殺劫:チベット文化大革命』(2009年、集広舍)、『チベットの秘密』(2012年、集広舍)

*8:まあ、興味がないから批判しないわけです。ただし別に中国のチベット支配を全面支持してるわけでは勿論ありません。「民族問題が発生している以上、統治に問題は勿論あるだろう」が、「近代化という面では必要悪だったかな(必要善とはさすがに言わない)」位には思ってます。まあ、そのレベルでもMukkeさんは「中国に甘い」と激怒するんでしょうけどね。

*9:とはさすがに言えないでしょうね