新刊紹介:「前衛」9月号

 「前衛」9月号の全体の内容については以下のサイトを参照ください。興味のある内容だけ簡単に触れます。
 http://www.jcp.or.jp/web_book/cat458/cat/
■2016参議院選挙 激戦・奮戦の記録
(内容紹介)
取り上げられているのは以下の通り。
1)野党共闘(一人区での野党統一候補)での勝利として、宮城、山梨、長野、沖縄*1
2)残念ながら敗北したが「共産党候補の野党統一候補」が実現した香川
3)共産党議席を獲得した東京(複数区の為、野党統一ではない)。
4)残念ながら敗北したが共産党が善戦した神奈川(複数区の為、野党統一ではない)。

参考
赤旗
野党共闘11選挙区で勝利、共産、比例改選上回る 東京選挙区で山添氏
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-07-11/2016071101_01_1.html
■桜井さん*2が接戦制す、“憲法守ろう”に共感、宮城
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-07-11/2016071111_04_1.html
■宮沢さん画期的勝利、当確に「やったー」、山梨
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-07-11/2016071111_05_1.html
■杉尾さん*3改憲認めぬ」、“長野県民の勝利だ”
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-07-11/2016071111_01_1.html
■イハさん*4歓喜の舞、翁長*5知事とがっちり握手、沖縄
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-07-11/2016071102_03_1.html
■たなべさん大健闘、「憲法守れ」共同広がる、香川
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-07-11/2016071102_04_1.html
■山添当確にコール、市民とともに大歓声、東京
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-07-11/2016071102_02_1.html


■市民とともに野党共闘をさらに発展させ、安倍立憲主義破壊政治に対峙する(中野晃一*6
(内容紹介)
 中野氏は「基本的には野党共闘を支持、評価しながらも」、この野党共闘をより強く、大きな物にしていくための工夫が必要だろうとしている。氏は問題点の一つとしては「与党の改憲隠し」にうまく対抗できなかった面があるのではないかとしている。
 また前原*7元代表、細野*8元幹事長、馬渕元国交相らの野党共闘潰しにどう対抗していくかが当面の問題としている。
 なお、中野氏に近い見解として以下の記事を紹介しておく。

■誰かの妄想・はてな版『現職大臣2人*9を討ち取った点、一人区での野党統一候補をまとめた点、鹿児島県知事選を制した点は評価できる』
http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20160711/1468168846
五十嵐仁*10の転成仁語
改憲勢力が3分の2を上回った参院選の結果をどう見るか 
http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2016-07-11
参院選で新たな可能性を切り開いた「野党共闘」の効果と教訓
http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2016-07-12
■〈参院選結果をどう見るか〉上 露骨な争点隠しが奏功
http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2016-07-28
■〈参院選結果をどう見るか〉下 改憲は思い通りには進まず 
http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2016-07-29
■「足し算」以上の効果発揮
http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2016-08-02
参議院選挙の結果と政治変革の展望(その1)
http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2016-08-06
参議院選挙の結果と政治変革の展望(その2)
http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2016-08-07
野党共闘の成果と安保法廃止に向けた課題(その1)
http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2016-08-08
野党共闘の成果と安保法廃止に向けた課題(その2)
http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2016-08-09
■「政治を変える」ことと労働組合参院選の結果をふまえて(その1)
http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2016-08-10
■「政治を変える」ことと労働組合参院選の結果をふまえて(その2) 
http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2016-08-11 
■「政治を変える」ことと労働組合参院選の結果をふまえて(その3)
http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2016-08-12
■新しい情勢で注目すること〜革新懇運動にもふれて 
http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2016-08-13
■市民と野党の共同の発展を願う―参議院選挙をふりかえって(その1) 
http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2016-08-22
■市民と野党の共同の発展を願う―参議院選挙をふりかえって(その2)
http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2016-08-23
■実証された市民と野党共闘の力
http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2016-08-24
■ここにこそ活路がある―参院選の結果と野党共闘の成果(その1)
http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2016-08-28
■ここにこそ活路がある―参院選の結果と野党共闘の成果(その2)
http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2016-08-29
■ここにこそ活路がある―参院選の結果と野党共闘の成果(その3)
http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2016-08-30


■「多様で柔軟な」統合は可能か:イギリスのEU離脱と欧州統合の行方(森原公敏*11
(内容紹介)
Q&A形式で書いてみる。

「EU離脱派は極右排外主義で、残留派はそれ以外という理解でいいのでしょうか」

「必ずしもそうは言えません。労働党現党首のコービン氏は離脱を積極的に主張したわけではありませんが、残留論を積極的に唱えることもせず、曖昧な態度に終始しました。そこには『EU離脱問題で党内意見を統一しようとすると残留派と離脱派の対立で党が崩壊しかねない』という事情がありました。その結果、党内のEU残留派を中心にコービン退陣論がおこっています。一方の保守党も、キャメロン前首相は残留派でしたが、党内ではマイケル・ゴーブ司法相(キャメロン内閣)、ダンカン・スミス雇用・年金相(キャメロン内閣)、ボリス・ジョンソンロンドン市長(現在、メイ*12内閣外相)など、公然と離脱派が活動していました。EU離脱論が保守党、労働党内に与えたダメージは大きいと思います。」

EU残留論、離脱論についてどう思われますか」

「私個人はEUの価値を認め、残留論を支持しますがそれは『EUの現状を認めること』とは違うと思います。ポルトガル、スペイン、ギリシャなどから出ている『EUによる緊縮財政の押しつけノー』の意見は正当なものであり、そうしたEUの現状批判にEUがどう対応していくかが問題だと思います」


特集「2016年米国大統領選と経済社会」
■「サンダース旋風」の歴史的意義はなにか(萩原伸次郎*13
■現地リポート『トップ1%が支配する経済・政治の変革を求める米国人:大統領選挙のテーマが変わった!』(薄井雅子*14
(内容紹介)
 赤旗記事の紹介で代替。基本的にはサンダース旋風を評価しながらもそれが今後どう発展するかは楽観視できないとしている。なお、萩原氏に寄ればサンダースは尊敬する政治家の一人として「ユージン・V・デブス」の名前を挙げ、事務所にも彼の写真を掲げてるそうなのでウィキペ「デブス」の記述も紹介しておきます。サンダースはさすがにデブスほどの左派ではないと思いますが。

赤旗
クリントン政権時の労働長官、サンダース氏支持を表明
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2016-03-08/2016030806_01_1.html
■2016 米大統領選、サンダース氏 運動継続の背景、「大変革を」 声やまず
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-06-10/2016061007_01_1.html
■2016米大統領選、サンダース氏と会談、オバマ氏 挙党態勢を要請
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-06-11/2016061107_01_1.html
米大統領選 民主党大会 政策綱領を採択、最低賃金の引き上げ 富裕層へ課税を強化
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-07-27/2016072707_01_1.html
■変革の風とウォール街、サンダース氏がもたらしたもの
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-07-30/2016073007_02_1.html
■主張『米大統領選挙、既成の政治「変革」の可能性』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-08-01/2016080101_05_1.html

■ユージン・V・デブス(1855年11月5日〜1926年10月20日
・17歳の時に鉄道労働者(機関士)となり、2年後の1874年に組合活動を開始。頭角を現した彼は1884年民主党インディアナ州議会議員となる。1893年にはそれまでの保守的な組合を離脱し、アメリカ初の産業別労働組合となるアメリカ鉄道組合を組織。翌1894年のグレート・ノーザン鉄道でのストライキを勝利に結びつけた。しかしこの年のプルマン・ストライキでの強硬路線は政府・軍の弾圧によって失敗し、デブスは逮捕される。この獄中でカール・マルクスの著作を読んで社会主義者となった。
・翌1895年に釈放されたデブスは、プルマン・ストライキの経験者と社会民主党を組織し1900年の大統領選挙に立候補したのを皮切りに、1904年、1908年、1912年の大統領選挙にアメリカ社会党から立候補した。そのうち、1912年の得票率6%が最高の成績であった。
・また、1905年にはサミュエル・ゴンパーズ率いるアメリカ労働総同盟(AFL)の労使協調路線を非難し、新たに結成された世界産業労働組合(IWW)にダニエル・デ・レオンらとともに創設者のひとりとして加わった。しかし、ストライキプロパガンダ活動、ボイコットなどの直接行動が主流となるなかでアメリカ社会党を軸に政党や選挙、議会などの政治闘争を重視するデブスやデ・レオンの路線は少数となり、1908年にはIWW離脱を余儀なくされた。
・その後、第一次世界大戦においてはドイツによる無制限潜水艦作戦の影響でアメリカ世論がタカ派に傾き1917年には参戦するなかで、1918年には大戦参加に反対するデブスの演説が前年に制定された諜報活動(スパイ)防止法違反に問われてしまう。彼は最高裁判所まで争ったが、1919年4月にはジョージア州アトランタの刑務所に10年の刑で収監される。こうして1920年の大統領選挙にはデブスはふたたびアメリカ社会党に擁立され、今度は獄中から立候補することになった。この選挙では有権者増により過去最高の得票を得たものの、反戦論を非国民視する風潮のなか得票率では3.4%にとどまった。
 1921年のクリスマスに、デブスはハーディング大統領による恩赦で釈放された。その5年後に70歳で死去。


■定数削減・小選挙区制度温存の衆院選挙制度関連法の成立で問われたもの(山本陽子
(内容紹介)
 赤旗の記事紹介で代替。

赤旗
衆院定数 根拠なき10減 国民に不利益、小選挙区制廃止こそ
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-05-05/2016050501_01_1.html
衆院定数削減に根拠ない、参院委で法案可決 井上議員がただす
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-05-19/2016051901_04_1.html
衆院定数10減が成立、共産党  “民意切り捨て”と反対
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-05-21/2016052102_02_1.html


特集「空襲体験と戦争孤児が問う日本の戦争」
■グラビア「日本と中国の空襲被害者」(鈴木賢*15
(内容紹介)
 以下の記事紹介で代替。

http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/?p=5060
週刊金曜日『加害と被害の事実は東京地裁が認定:重慶大爆撃裁判で原告敗訴』(鈴木賢士・フォトジャーナリスト、2015年3月6日号)
 日中戦争のさなか日本軍が中国の臨時首都重慶に対して5年半にわたり空から無差別爆撃を行なった重慶大爆撃。その時の被害者・遺族188人が日本政府に謝罪と一人1000万円の損害賠償を求めた重慶大爆撃裁判の判決が、2月25日に東京地裁であり、村田斉志裁判長(河合芳光裁判長が代読)は原告の請求を棄却した。
 河合裁判長は「主文、原告らの請求はいずれも棄却。裁判費用は原告負担とする」と読み上げた。言い終えるや3人の裁判官は法衣をひるがえし法廷を後にしたが、その間わずか30秒ほど。満席の傍聴席には30人以上の中国人の姿が見られたが、日本語がわからない人たちの間でざわめきが起こった。国際化の時代に、原告が中国人の民事裁判で、裁判官の発言が日本語だけで済まされていいのかなどの疑問の声も上がった。
 ただ、判決書には注目すべき内容が含まれている。判決書では80ページ以上にわたり、200回におよんだ重慶大爆撃の加害の事実と、それによって原告一人ひとりに重大な被害を与えた事実について、「当裁判所の判断」として事細かに記述されているのだ。裁判の弁護団事務局を担当した一瀬法律事務所によれば、「判決書にこれほど長文で具体的な事実確認をした例は、極めてまれ」だという。市街地=非軍事施設への爆撃を国際法違反と認定したことも重要だ。
 だが個人への請求権は認めず、1947年に国家賠償法が施行される以前の行為に関し国は賠償責任を負わないとする「国家無答責」などの法理論で、請求は退けた。
 ほかの原告・支援者らと来日した栗遠奎原告団長は「188人の原告と10万人の被害者を代表して、不当判決に抗議する。控訴します。日本政府が謝罪するまでたたかいます」と話した。原告団の意向を踏まえて弁護団は、東京高裁に控訴の手続きを開始した。

http://j.people.com.cn/n3/2016/0527/c94689-9064409.html
■人民日報『重慶大爆撃の被害者ら、民事訴訟2審が7月開廷 日本』
 重慶大爆撃の被害者らが日本を相手取り賠償を求めた民事訴訟裁判の2審が行なわれるにあたり、原告団は5月25日、準備会議を開催した。取材によると、2審裁判は7月、東京にある高等裁判所で審理される見込みだという。
 1938年から1944年までの6年間、中国侵略日本軍は国民政府の戦時首都重慶を延べ2百回以上爆撃し、甚大な死傷者と財産の損失を引き起こし、「重慶大爆撃」と呼ばれている。
 2004年、重慶大爆撃の被害者らで結成した民間団体が日本を相手取り訴訟を起こし、重慶成都などから集まった188人の爆撃被害者は国を跨いで訴訟の原告になった。
 2015年2月25日、10年にわたる訴訟で重慶大爆撃の被害者らによる裁判は東京地方裁判所で原告188人に対して敗訴を宣言、申し立てを棄却、訴訟費用は原告側が負担するとの判決を下した。原告団と日本の弁護団共に判決を不服とし、その場で控訴した。
 このほど、重慶大爆撃の被害者らによる民事裁判における日本の弁護団東京高等裁判所から同訴訟裁判の2審は7月に改めて開廷すること、原告団は裁判所に新たな証拠を追加し、法定で証言する証人を立てることを要求されている。
 6月5日、重慶大爆撃の被害者らによる裁判の日本の弁護団・田代博之弁護士、一瀬敬一郎弁護士は東京から重慶に飛び、控訴した原告団を応援した。これを受け、原告団の粟遠奎団長は、「控訴する決心をより一層固めた」と語った。


■「駅の子」(戦争孤児)たちの戦争と戦後(本庄豊*16
(内容紹介)
 以下の記事紹介で代替。

http://www.kyoto-minpo.net/archives/2013/10/29/post_9768.php
 京都府の戦争孤児一時保護施設「伏見寮」で亡くなった8人の子どもの追悼法要と講演、つどいが、遺骨・遺髪を保管してきた京都市下京区真宗佛光寺派大善院(佐々木正祥住職)で営まれ、関係者ら約40人が参加しました。
 主催者の佐々木住職が「縁が重なって追悼法要が出来た。若い人が戦争遺族のことを考える機会になれば」とあいさつ。
 講演は京都の戦争孤児について研究中の本庄豊・立命館中学校・高等学校教諭が行いました。本庄氏は、「空襲をまぬがれた京都駅に数千人の子どもたちが集まり、暮らしていた。大量の戦争孤児がいたことが教科書にも載らず、歴史からドロップアウトしている」と調査・研究の必要性を解きました。

http://www.sankei.com/premium/news/150808/prm1508080004-n1.html
 戦災孤児の研究を行っている立命館宇治中学校・高校の本庄豊教諭(60)は、京都に戦災孤児が多いのは、「戦災が比較的少なかったからではないか」と話す。
 京都駅は被災を免れたため、雨露をしのぐことができる屋根もあった。また、駅という性格もあり、毎日人が行き来し、関西一円から孤児が集まったというのだ。東京・上野駅なども、同じような現象が見られたという。
 京都府宇治市の奥出広司さん(76)も、そんな戦災孤児の一人。
 「とにかく食べるものがなくてな。駅の利用客からイモなんかをもらってようやく生き延びていた。明日は死ぬのかと、毎日思っていた」と振り返り、「戦争は絶対にあかんのよ」と訴える。
(中略)
 戦災孤児8人の遺骨や遺髪が保管されている大善院(京都市下京区)で行われた追悼法要には、奥出さんも出席した。奥出さんが「♪ワッと泣きたい時がある 父さん母さんあいたいよ」と、自らが過ごした施設の寮歌を歌い上げると、涙を流す参列者もいた。
 海外からの観光客らであふれる京都駅に、かつて、戦災孤児がいたことをうかがわせるものはない。が、70年前にそんな生活を送った子供がいたこと、そして、その場所で命を落とした子供もいたことに、思いをめぐらす時間があってもいいのではないか。

http://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2015/08/0815.html
 この授業を企画した本庄豊(ほんじょう・ゆたか)さん。
 近現代史を教えています。
 本庄さんが戦争孤児に関心を持つようになったのは3年前。
 京都駅前にたたずむ、戦争孤児とされる少年の写真を見つけたのがきっかけでした。
 終戦後、頼る人もなく、駅でぎりぎりの生活を強いられた孤児たち。
 その経験を掘り起こし、若い世代に伝えていく必要があると考えるようになりました。

http://radiocafe.jp/20130803/episodes/2015-8-13oa/
 私は戦争遺児への聞き取り調査をしてきましたが、最近、それを本にまとめました。この本をベースにNHKが関西熱視線という番組で7月10日に放送してくれました。
 8月15日の敗戦まで戦争孤児は「靖国の遺児」として、まわりの人に守られていたが、この日を契機になくなり、弱肉強食の世界に放り出されました。孤児は行くところがなくなり、京都駅にたむろし、物乞い、盗み、靴磨きなど生きるための「戦争」が始じまった。3年前に生き残った戦争孤児に、私の生徒の前で話してもらったところ、生徒たちは驚いていました。
 この遺児の追悼供養を真宗仏光寺派大善院で続けてきましたが、「再び戦争孤児を作らない」ための事業として「おじどうさん」を作り、さる7月20日にお披露目式をしました。「おじどうさん」は5対で「戦災孤児」「沖縄の戦場孤児」「原爆孤児」「引揚・残留孤児」「混血(国際)孤児」をあらわし「せんそうこじぞう」と命名しました。この「せんそうこじぞう」のデザインは、私の教え子・高校3年生がしました。費用がかさみましたので、カンパをいただければありがたいです。


■論点
【全国どこでも時給1500円が必要】(斎藤寛生)
(内容紹介)
 赤旗の記事紹介で代替。

赤旗
最低賃金審議会スタート、今すぐ1000円めざせ1500円、これが世論
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-06-16/2016061610_02_1.html
■生活できる最低賃金を、全労連最低生計費調査 大幅引き上げ必要、中賃審が議論再開
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-07-14/2016071405_01_1.html
■主張『最低賃金引き上げ、中小支援し、時給千円直ちに』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-07-21/2016072101_05_1.html


■暮らしの焦点
【東北大3200人が雇い止め危機:希望者は全員無期転換に】(黒瀬一弘)
(内容紹介)
 以下の記事紹介で代替。

■弁護士・中村和雄のブログ『東北大学で大量雇止め通告』
http://neo-city.jp/blog/2016/05/post-372.html
j-castニュース『東北大、非正規教員3200人「雇い止め」? 非常勤講師労組がブログで告発』
http://www.j-cast.com/2016/06/01268512.html
朝日新聞『法律変わったのに「雇い止め」? 東北大、上限5年に』
http://www.asahi.com/articles/ASJ6Z5GF7J6ZULZU00K.html
毎日新聞『東北大:雇い止め通告、法学者や弁護士が撤回求める』
http://mainichi.jp/articles/20160721/k00/00m/040/048000c
河北新報『非正規雇い止めの恐れ 組合と東北大が団交』
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201606/20160628_13039.html


■メディア時評
【テレビ:選挙報道と表現の自由】(沢木啓三)
(内容紹介)
 赤旗の記事紹介で代替。

赤旗
■各党党首討論会開催を、野党4党書記局長・幹事長がテレビ各局に要請
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-06-28/2016062801_04_1.html
参院選報道 テレビから消えた?!、党首討論 公示後は1回だけ 自民の圧力で強まる萎縮傾向
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-07-03/2016070301_04_1.html
参院選テレビ報道、「量質ともに異常な後退」、批判が高まる
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-07-17/2016071704_01_1.html


■文化の話題
【映画:広島の原爆犠牲者、一人一人に名前が:『いしぶみ』】(伴毅)
(内容紹介)
 映画「いしぶみ」(http://ishibumi.jp/)の紹介。

参考
東洋経済オンライン『テレビは「視聴者の想像力」を信用していない:是枝監督が映画「いしぶみ」に込めた反骨心』
http://toyokeizai.net/articles/-/127969
産経新聞『映画「いしぶみ是枝裕和監督 子供たちの最期…綾瀬はるかが朗読』
http://www.sankei.com/entertainments/news/160715/ent1607150003-n1.html
毎日新聞ドキュメンタリー映画、あす公開・是枝裕和監督「いしぶみ」 “目に見える朗読”で語り継ぐ』
http://mainichi.jp/articles/20160805/ddf/012/200/018000c

ウィキペ『いしぶみ
・1969年および2015年に広島テレビ放送広島テレビ)が制作・放送したドキュメンタリー番組、もしくは1969年の番組をもとに1970年にポプラ社から刊行された書籍。
・1945年(昭和20年)8月6日、勤労動員中に広島原爆で全滅した旧制広島県立広島第二中学校(現・広島県立広島観音高等学校)1年生321名の記録である。
■1969年版
広島テレビの制作により、1969年10月9日に1時間番組として、『碑』のタイトルで、日本テレビほか全国23局で放送された。
 広島市出身で、生徒たちの母親とほぼ同世代(1906年生まれ)でもある女優・杉村春子が、生徒たちの遺影が掲げられたスタジオ内で、朗読の形で、遺族の証言や生徒らの最期を語ってゆく内容である。 昭和44年度文化庁芸術祭優秀賞、週刊TVガイド主催・テレビ大賞優秀番組賞、第7回放送批評家賞(現・ギャラクシー賞)を受賞。その後、デンマークやスイスなど海外でも放送された。
■2015年版
 1969年版のリメイクとして、同じく広島テレビの制作により、2015年8月1日に『戦後70年特別番組:いしぶみ〜忘れない。あなたたちのことを〜』のタイトルで、テレビ宮崎を除く日本テレビ系列29局ネットで放送された。是枝裕和が脚本・監督を務め、広島市出身の女優・綾瀬はるかが朗読を担当した。また本編の途中には、ジャーナリストの池上彰による取材の模様が挿入された。この取材では、被爆した生徒・教師の遺族などにインタビューを行ったほか、広島二中の慰霊碑にも訪れた。
 このリメイク版では、ごく少数ながらも難を逃れた生徒たちの存在がとりあげられ、インタビュー出演した。なかには、一時は慰霊碑に名前を刻まれたものの、後に生存が確認されたため、自分の名前を削除してもらったという生徒も紹介された。


【美術:1950年代の労働運動と美術文化】(武居利史)
(内容紹介)
 筆者が関わった『下丸子文化集団neoサークル誌「試誌 下丸子 コンペイトウ」出版記念展』、『燃える東京・多摩、画家・新海覚雄の軌跡』の紹介。

参考

武居利史 TAKEI Toshifumi ‏@toshify 8月8日
・『前衛』9月号「文化の話題」に「1950年代の労働運動と美術文化」を寄稿。「下丸子文化集団NEOサークル誌『試誌 下丸子 コンペイトウ』出版記念展」と「燃える東京・多摩 画家・新海覚雄の軌跡」(府中市美術館)の二つの展示を紹介。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201608/CK2016081002000149.html
東京新聞『砂川闘争を取材し描く 社会派画家・新海さんの軌跡』
 旧米軍立川基地(旧砂川町=現立川市)をめぐる「砂川闘争」を題材にした作品を残した社会派の画家、新海覚雄(しんかいかくお)さん(一九〇四〜六八年)の作品を紹介する展覧会が、府中市浅間町一の市美術館で開かれている。九月十一日まで。 (榊原智康)
 展覧会のタイトルは「燃える東京・多摩 画家・新海覚雄の軌跡」。新海さんは本郷(現文京区)生まれ。著名な画家を輩出した川端画学校で油彩画を学んだ。戦後、住民運動などの現場に出向き、社会問題を題材にする「ルポルタージュ絵画」と呼ばれる作品の制作に取り組んだ。一九五五年に始まった砂川闘争では連日、現場に通って取材。基地の拡張を阻止しようとした農民らを描き「斗(たたか)う砂川の人々」との題で発表した。
 展覧会では、油彩や水彩、版画など七十点を展示。社会問題を描き始める前の戦前から、核兵器廃絶などに力を入れた晩年までを六つのコーナーに分けて紹介している。砂川闘争関連では、農民らの肖像画十点のほか、警官隊とデモ隊の衝突シーンを描いたリトグラフなどを並べた。
 新海さんは、住民運動だけでなく、労働組合の活動にかかわる作品も多く残した。「構内デモ」と題した油彩画は、国鉄(現JR)の労働者たちが腕を組んでデモ行進する様子を表現。東京駅八重洲口にあった「国鉄労働会館」に飾られていたもので、美術館で展示されるのは初めてという。
 同美術館学芸員の武居利史(としふみ)さん(47)は「新海氏が多摩地域の美術史に大きな足跡を残したことを知ってもらえれば」と話している。
 観覧料は一般二百円など。月曜休館。鳥羽耕史*17・早稲田大文学学術院教授による講演会(二十八日)や砂川闘争の現場を歩く探訪会(九月四日)などの関連イベントも予定されている。

http://mainichi.jp/articles/20160625/ddm/041/040/118000c
毎日新聞『新海覚雄展覧会:「公立らしい中立的展示を」 学芸員*18は反発 東京・府中市美術館』
 東京の府中市美術館で来月始まる、戦後を代表する社会派画家、新海覚雄(かくお)(1904〜68年)の展覧会を巡り、同館の男性学芸員が23日、上司から展示の見直しを指示されたとフェイスブックに投稿。ネット上に「行政による表現への圧力」などと非難する投稿が相次ぎ、波紋が広がった。須恵正之副館長は「公立美術館にふさわしい中立的な展示を要請した」と話している。
 同展は「燃える東京・多摩 画家・新海覚雄の軌跡」の名称で、来月16日から9月11日まで開催。新海は1950年代、社会問題を取材する「ルポルタージュ絵画」を発表。同展では米軍立川基地の拡張反対運動「砂川闘争」や国鉄で働く労働者のデモを描いた油彩や版画など約70点を展示する予定。須恵副館長は「社会事件に比重が置かれた展示構成だったため、画家の軌跡に焦点を当てるように見直しを求めた」と話している。

http://www.huffingtonpost.jp/2016/06/24/fuchu-city-museum_n_10649962.html
■ハフィントンポスト『府中市美術館「内容に偏り」理由に展示の再検討を指示? 学芸員の投稿に美術館側は』
 東京都府中市府中市美術館で7月から始まる予定の展示が「内容が偏っている」ことを理由に「中止の可能性も含めて再検討」を指示されたと、同美術館の学芸員がネット上で発信し、波紋が広がっている。
 この展示は「燃える東京・多摩 画家・新海覚雄(しんかい・かくお)の軌跡」。常設展の特集展示として、7月16日から9月11日まで開催されると美術館のホームページで告知されている。
 美術館の告知によると、新海覚雄(1904-1968)は東京生まれの洋画家。1950年代から社会運動を題材に絵を描くようになり、「砂川闘争」(砂川事件)と呼ばれる1955年のアメリカ軍立川基地の拡張反対運動や、国鉄の労働運動や原水爆の告発などをテーマにした作品を残した。展示では、油彩画や水彩画、版画など約70点を展示するとしている。
 この展示について、同美術館の武居利史学芸員が6月23日夜、「昨年から準備してきた展示に上の方からクレームがついたのである。中止の可能性も含めて再検討せよ、ということだそうだ」と、Facebookに投稿した。「理由は『内容が偏っているので公立美術館にふさわしくない』ということらしい。半世紀も前に亡くなった画家の作品を展示するだけなのに、どこがどう偏っているのか説明を求めても納得のいく説明はない」と、上層部からの圧力で展示が中止になりかねないと示唆した。
 美術評論家沖縄県立芸術大准教授の土屋誠一氏は、以下のようにツイートした。

土屋誠一『ゲンロン3』発売中! ‎@seiichitsuchiya
 これは隠す必要もないと思うので、オープンにしますが、府中市美術館で小特集展示が予定されていた新海覚雄の個展が、「上のほう」からの圧力によって中止を含む展示の再検討を指示されているとのこと。新海覚雄は日共系の画家であるが、恐らくそれが理由なのだろう。
2016年6月24日 02:11

 一方、府中市美術館の須恵正之副館長は24日、ハフポスト日本版の取材に「中止という命令をしたことはない」と述べたが、「公立美術館なので、それに合う形態の展示をしなければならない」と話し、展示の政治的な内容について内部で議論があったことは認めた。
(中略)
【UPDATE】2016/06/25 0:57
 武居学芸員は24日夜、Facebookに再度投稿し「職場の上司・同僚とも協議をしまして、計画通り実施いたします。ただ、いろいろいただいたみなさまからのご意見は勘案して、よりよいものにさせていただく方向で企画に反映させていく所存です」と報告した。

http://momoseya.jimdo.com/
 府中美術館で「燃える東京・多摩−画家・新海覚雄の軌跡」展を観た。新海覚雄と言えば、戦後日本美術会の創立に関わり、48歳の時には日本美術会の事務局長を努めた私たちの大先輩だ。やはり大先輩の箕田源二郎さん*19などとともに、戦後の美術運動を牽引した人物として美術史に刻まれている。府中美術館学芸員の武居利史氏の意欲企画として今回この作家に光を当てられたことの意味は大きい。実は今回チラシに「構内デモ」(写真右)が大きく掲載されたことから、府中市の方から「偏向しているのではないか」との指摘があったが、氏の努力で何とか開催にこぎつけた経過がある。画家の創作内容にまで「偏向」のレッテルを貼ってくるなど、現在の危険な社会的方向の自主規制的反応であるが、許せないことである。
 新海覚雄は、戦前は大正モダン・写実的な作風で太平洋画会や二科展などに出品し、新進気鋭の作家として登場した。戦争中は大東亜戦争美術展にも「貯蓄報告」という戦時下の郵便局の労働者をテーマにした作品も描いている。戦前から内田厳*20や岡本唐貴*21らと交流があったこともあって、戦後すぐの日本美術会の創立に参加する。以降社会的リアリズムに目覚め、社会の現実を絵画の目を通して見つめていく。第6回日本アンデパンダン展に出品された有名な「独立をしたが」(1952)(写真左)はサンフランシスコ条約で形だけの独立を手に入れたが、依然として半占領状態にある日本をアメリカ軍人の遊ぶ姿と飢餓と貧困の少年の姿を対比して描いている。その後も内灘闘争や砂川闘争、三井三池闘争、安保闘争や総評など様々な労働運動などに関わり戦う人物像を描き続けた。ルポルタージュ絵画というジャンルを打ち立て、戦いの前線で描くことをやめなかったが、それは戦いのための絵画ではなく、戦いを励まし戦いから学び、絵画を時代の生き物として高めていく「価値の創造」を求めての歩みだったと思わせてくれる貴重な軌跡だ。改めて”描く”ということの意味を考えさせてくれた展覧会であった。(9/11まで府中美術館)

http://www.r-yuuki.jp/2016/07/1266/
 今年、府中市平和憲法の精神と、非核3原則遵守の精神を後世に伝えることを目的に制定した、「平和都市宣言」から30周年をむかえます。制定当時(1985年)、府中市議会で共産党議員をされていた方に当時の話を伺ったところ、「この宣言の提案は保守系議員からなされ、全会派一致の賛成で制定された」と話されていました。そして今年、府中市では、いくつかの同宣言制定の記念行事を予定しています。まず府中市美術館では、新海覚雄(しんかい・かくお)の画業紹介を7月16日から9月11日まで行います。市のHPの紹介によれば、「終戦を迎え美術界の民主化を掲げる日本美術会に参加」「戦争に抵抗したドイツの美術家ケーテ・コルヴィッツに影響を受け、ヒューマニズムの立場で現実に生きる人々を描き、戦後のリアリズム美術運動を主導」「1955年、砂川町(現在の立川市北部)で起きた米軍基地拡張に反対する住民運動を記録した仕事は、ダイナミックな群像表現の起点となりました」「盛り上がる世論を背景に基地返還へ至った砂川闘争は、農民、労働者、学生とともに、多くの美術家も支援に参加した文化運動でもあった」「新海は、日本労働組合総評議会(総評)傘下の国鉄労働組合など、全国的に高揚する労働運動を、絵筆をとって励ました」「戦後社会派を代表する画家として、東京・多摩の平和・労働運動に足跡を残した新海覚雄の知られざる軌跡を、油彩・水彩・素描・版画・ポスターなど約70点でたどる」とあります。平和運動から労働運動にまでおよぶ、新海覚雄氏の興味深い作品です。このほかにも府中市では、戦争体験談の朗読会(8月6日)、小学生の「平和ポスター作品」表彰式、映画「母べえ」(山田洋次監督、吉永小百合主演)上映会、「沖縄戦ひめゆり学徒」のパネル展示を予定(7月27日から8月2日、会場は府中グリーンプラザ・分館ギャラリー)しています。詳しくは市のHPでもご覧ください。

http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2010-02-13-4
 新海覚雄、つまり父が砂川基地拡張反対闘争の反対同盟の人々の肖像画を描いたのは、推測するに、当時絵描きはどうするべきか、という問題にぶつかったのではないかと思いますね。単にアトリエにいるだけでなく、当時の社会的状況で社会的な問題もたくさんありまして、(ボーガス注:砂川のような米軍基地反対闘争が行われていた石川県)内灘の現地に行って取材をしたことがありました。それから基地反対の問題とか次々に行くようになって、そのうち砂川へも行って、反対同盟の人たちに会って、自分としてもテーマとしてそれを措きたいという気持ちがあったんじゃないでしょうか。やっぱり、絵というのは現実があって、それを措かないと絵空事にすぎないんで、当時の闘いの状況、農民の方々の表情を描きたいと。絵描きというのはモデルを使って、という時代があって、それが現地で闘っている人たちを直接見て、自分が肌で感じたものを作り上げなければならないと思い始めて、現地に行き、その人々の顔を描き、砂川闘争の絵を描くという壮大な目標があったんでしょう。その過程で肖像画を描くということになって、それが今日残っているわけです。父は50代の頃だったのではないかと思います。60年安保のちょっとあと、63歳で亡くなりました。
(中略)
 絵を描く人たちのうち、父と同年代の方たちはあまり頻繁には砂川にいらっしゃらなかったけれど、若い人たちは座り込みなんかにも参加していましたね。
(中略)
 社会情勢がそういう感じでしたので、こういうこともするようになって。政治思想が、というよりも、そういう社会情勢だったからだと思います。あと、砂川闘争のポスターもあります。警官が踏み荒らした虚地をおばあさんと子供が苗を立て直してるという感じの絵ですが、箕田(みた)源二郎さんという方が描かれました。もう数年前にお亡くなりました。内灘とか大牟田の闘争*22にもご一緒した方です。
 父は職業的には画家でしたが、当時絵は売れませんでしたので、いろいろな会社のサークルで絵の指導をしたり、労働組合のポスターや機関誌のカットを描いたりして、生計を立てていましたね。家のアトリエで子供の絵の指導をするとか。板橋美術館に父の亡くなるちょっと前に、日本の世相と基地闘争をテーマにして、400号の大きな油絵が入っております。60年安保前後の、集大成となるものも1,2点入っております。砂川闘争に関するものは石版画、現場スケッチ、肖像画があります。


■スポーツ最前線『義足は人の心を変える力がある:義肢装具士・臼井二美男さん』(栗山萌実)
(内容紹介)
 以下の記事紹介で代替。

毎日新聞日本スポーツプレス協会、大賞に義肢装具士の臼井さん』
http://mainichi.jp/articles/20160604/k00/00m/050/168000c
日刊ゲンダイ『「技師装具士」臼井二美男さんは睡眠5時間のフル回転』
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/185058

http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/2015-08/27.html
NHKハートネットTV『人生に寄りそう義足:義肢装具士・臼井二美男さん』
 パラリンピックのアスリートをはじめ、事故や病気で足を失った人たちの生活を支えるための義足を作るプロフェッショナル、臼井二美男さん(59)。一つ一つオーダーメードで、これまでに2000本をこえる義足を製作してきました。臼井さんのモットーは、依頼主の要望や願いにNoと言わず、満足してくれるまで、何度でも作り直すこと。
 トライアスロン優勝を狙うアスリートが記録に挑むハイテク義足、日々の楽しみだった太極拳を続けたいと願う女性の義足、母の形見の着物を着たいと願う女性の義足。臼井さんの作る義足は、絶望の淵にいる人たちに、再び生きる希望を与え、新しい人生を一緒に切り開いてくれる“パートナー”となります。
 番組では、「使い倒してボロボロになった義足を持ち込んできて、修理や新しい依頼をしてくれるとき、職人冥利に尽きる」と語る臼井さんに密着。彼の作る義足によって、笑顔を取り戻していく人々の姿を描きます。

*1:他の勝利した7選挙区はちなみに青森、岩手、山形、福島、新潟、三重、大分

*2:菅内閣財務副大臣、野田内閣厚労副大臣民主党政調会長(海江田代表時代)を歴任

*3:TBSワシントン支局長、TBS『JNNニュースの森』キャスター、TBS解説委員など歴任

*4:沖縄県議、宜野湾市長を経て参院議員

*5:那覇市議、沖縄県議、那覇市長を経て沖縄県知事。著書『戦う民意』(2015年、角川書店

*6:著書『戦後日本の国家保守主義:内務・自治官僚の軌跡』(2013年、岩波書店)、『右傾化する日本政治』(2015年、岩波新書)、『徹底検証・安倍政治』(編著、2016年、岩波書店)、『ガチで立憲民主主義:壊れた日本はつくり直せる』(共著、2016年、集英社インターナショナル)など

*7:鳩山内閣国交相菅内閣外相、民主党政調会長(野田代表時代)、野田内閣国家戦略担当相など歴任

*8:野田内閣環境相民主党幹事長(海江田代表時代)、政調会長岡田代表時代)など歴任

*9:岩城法相と島尻沖縄・北方等担当相のこと

*10:個人ブログ(http://igajin.blog.so-net.ne.jp/)。著書『保守政治リストラ戦略』(1995年、新日本出版社)、『徹底検証・政治改革神話』(1997年、労働旬報社)、『政党政治労働組合運動』(1998年、御茶の水書房)、『戦後政治の実像:舞台裏で何が決められたのか』(2003年、小学館)、『この目で見てきた世界のレイバー・アーカイヴス:労働組合と労働資料館を訪ねる旅』(2004年、法律文化社)、『労働政策』(2008年、日本経済評論社)、『労働再規制:反転の構図を読み解く』(2008年、ちくま新書)、『日本の雇用が危ない:安倍政権「労働規制緩和」批判』(共著、2014年、旬報社)、『対決・安倍政権:暴走阻止のために』(2015年、学習の友社)など

*11:著書『NATOはどこへゆくか』(2000年、新日本新書)

*12:キャメロン内閣で内務相

*13:著書『アメリカ経済政策史:戦後「ケインズ連合」の興亡』(1996年、有斐閣)、『通商産業政策』(2003年、日本経済評論社)、『世界経済と企業行動:現代アメリカ経済分析序説』(2005年、大月書店)、『米国はいかにして世界経済を支配したか』(2008年、青灯社)、『日本の構造「改革」とTPP:ワシントン発の経済「改革」』(2011年、新日本出版社)、『オバマの経済政策とアベノミクス:日米の経済政策はなぜこうも違うのか』(2015年、学習の友社)など。最近の翻訳にサンダース『バーニー・サンダース自伝』(2016年、大月書店)

*14:著書『戦争熱症候群:傷つくアメリカ社会』(2008年、新日本出版社

*15:著書『韓国のヒロシマ:韓国に生きる被爆者は、いま』(2000年、高文研)、『中国人強制連行の生き証人たち』(2003年、高文研)、『父母の国よ:中国残留孤児たちはいま』(2005年、大月書店)、『写真で伝える東京大空襲の傷あと・生き証人』(2007年、高文研)

*16:著書『混血孤児:エリザベス・サンダース・ホームへの道』(編著、2014年、汐文社)、『戦災孤児:駅の子たちの戦後史』(編著、2014年、汐文社)、『引揚孤児と残留孤児:海峡を越えた子・越えられなかった子』(編著、2015年、汐文社)、『戦争孤児をしっていますか?』(2015年、日本機関紙出版センター)、『戦争孤児:「駅の子」たちの思い』(2016年、新日本出版社)など

*17:個人サイト(http://www.f.waseda.jp/toba/)。著書『運動体・安部公房』(2007年、一葉社)、『1950年代:「記録」の時代』(2010年、河出書房新社)など。

*18:前衛コラム筆者・武居氏の事

*19:1954年〜1956年まで、日本美術会事務局長を、1989年〜1995年まで、日本美術会代表を、1991年〜死去(2000年)するまで財団法人いわさきちひろ記念事業団理事長を務めた。また、1964年、いわさきちひろ滝平二郎久米宏一らと「童画ぐるーぷ車」を結成した。1992年に日本共産党の前参議院議員・小笠原貞子(日本共産党副委員長、新日本婦人の会事務局長など歴任)に永年在職議員の表彰として肖像画が贈られることになった時、肖像画を描いた。「小笠原貞子像」と題するこの作品は日本共産党本部に所蔵されている。1972年、挿画を担当した「憲法を考える」(星野安三郎、ポプラ社)で第19回産経児童出版文化賞を、1974年、挿画を担当した「算法少女」(遠藤寛子岩崎書店)で第21回産経児童出版文化賞を、1978年、挿画を担当した「やまんばおゆき」(浜野卓也、国土社)で第25回産経児童出版文化賞を受賞。著書『子どもたちに美術のうたを』(2003年、新日本出版社)など。(ウィキペ『箕田源二郎』参照)

*20:1946年日本美術会を結成し初代書記長に就任、1948年には日本共産党に入党し、戦後のプロレタリア画壇にあってはその牽引役として重きをなした。(ウィキペ『内田厳』参照)

*21:世間一般にはマンガ家・白土三平(本名・岡本登、代表作『カムイ伝』)の父親として知られる。

*22:戦後最大の労働争議と言われた三井三池争議のこと(三池炭鉱は福岡県大牟田市にあった)。