bogus-simotukareの日記

2017-12-18

新刊紹介:「前衛」1月号

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「前衛」1月号の全体の内容については以下のサイトを参照ください。「興味のある内容」のうち「俺なりになんとか紹介できそうな内容」だけ簡単に触れます。

 http://www.jcp.or.jp/web_book/cat458/cat/

特集『2017総選挙はどのようにたたかわれたか』

■座談会『市民と野党共闘の前進、日本共産党躍進への挑戦』(菅原則勝、樋渡士自夫、鶴渕賢次)

(内容紹介)

 今回、残念ながら共産党は議席を減らしたわけで「それをどう克服していくか」という話の訳です。

1)「自民公明を支持する人間」や政治的無関心層からどれだけ野党支持者を増やしていくか

2)野党支持者のうち、どれだけ共産支持者を増やしていくか(今回は立憲民主に票を食われたつう面もあるし、立憲民主支持層には阿部治平*1のような反共派もいるわけです)

つうことになるでしょう。

 まあ、それはなかなか簡単な話ではない。

 基本的には「共産党は共産主義だけやってるわけでは無い。また、少なくとも当面は、欧州社民主義を模範に保守リベラル派とも共闘し、日本政治のリベラル化を目指していきます(軍事外交面でハト派、内政面では福祉、教育を重視した社民路線)」「安倍政権の政治は極右反動、弱者切り捨ての新自由主義という意味で容認できるもんではない」というアピールになっていくでしょうが。


■”新潟ショック”から民主主義の再生へ:地方の変化が日本政治の行く手を示す(佐々木寛)

(内容紹介)

 佐々木氏は『市民政治の育てかた:新潟が吹かせたデモクラシーの風』(2017年、大月書店)という著書を出されてるのでそれを読むと彼の主張がもっと解るのだろうとは思います。

 佐々木氏は「新潟の事例が全国に単純に適用できるわけではないし、新潟においても野党共闘はスムーズに進んだわけでもない」と指摘する一方で「新潟の事例*2野党共闘の意義を改めて示すことができたと思う」としています。

 また佐々木氏は「野党共闘の成立による勝利が目立つところは新潟以外では沖縄があるが、そこからは1)争点の明確化、2)保守派選挙民の共闘支持を取り付けることが共闘成功において重要なポイントだろう」としています。

 新潟ショックについては以下の記事を紹介しておきます。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-10-23/2017102311_02_1.html

■赤旗『新潟 自民惨敗野党共闘が追い詰める、6選挙区中で当選2人だけ』

 新潟県の六つの小選挙区では、前回総選挙で新潟3区以外の五つの小選挙区で議席を獲得した自民党は今回、4選挙区で敗れ当選は2選挙区だけと惨敗しました。

 昨年の参院選、県知事選(ボーガス注:での野党共闘勝利)に続く“政権、新潟ショック”を再び起こそうと、市民と野党の共闘を「本気の共闘」にさらに発展。前回総選挙では民進党公認だった候補者も、今回は野党共闘でたたかうなど、五つの選挙区で共闘体制がつくられました。そして安倍自公政権を追い詰める結果となりました。


■市民を愚弄する政治から真の意味での「市民と野党の共闘」へ(岡野八代*3

(内容紹介)

 赤旗の記事紹介で代替。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-10-30/2017103003_01_1.html

■赤旗『総選挙結果うけて、政治と市民つなぐ:同志社大大学院教授 岡野八代さん』

 選挙だけが市民にとっての政治ではありません。とはいえ選挙は国の最高機関である国会に、私たちの代表を送り出す決定的な手段である限り、最大かつ真摯な政治的意思表明の機会です。

 前回の「アベノミクス解散」にも辟易しましたが、今回の解散は、最低の、この上なく選挙民を愚弄した選挙でした。

 与党だけでなく、野党と市民の共闘という約束を反故にした(ボーガス注:希望の党の)政治家たちも、選挙に出る資格などなかった。この1月(ひとつき)、総選挙をめぐって露呈した日本政治の醜悪さに、唯一振り回されず、政治を本来の姿に引き戻そうとしてくれたのが、共産党*4でした。

 今回の選挙結果は、市民に対する愚弄の道具に成り果てた選挙を、市民の政治へと近づけようとする、真の意味での「市民と野党の共闘」の始まりだと感じています。

 市民とともに歩む。政治の原点に返りつつ、クオータ制導入*5や多様な社会構成員の声を救いあげる方途を模索してほしい。共産党には、議会政治と市民をつなぐ要となってくれることを期待しています。


■「働き方改革」はどうあるべきか(昆弘見*6

(内容紹介)

 働き方改革といって「残業代不払い法案(ホワエグ)」を出すような安倍政権の「働き方改革」には何の期待もできないつう話です。

 そして働き方改革の肝は「長時間サービス残業、過労死などのブラック労働をどう是正していくか」つう話です。

参考

赤旗

■主張『「働き方改革」:「残業代ゼロ制度」は撤回を』

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-07-30/2017073002_01_1.html


特集『保育のいまと保育指針改定』

■急速にすすむ規制緩和と求められる保育・子育て支援策(近藤幹生*7

■新幼稚園教育要領・保育所保育指針の何が「問題」か(響菊也)

■保育指針改定の現場で大切にしたいこと(平松知子*8

■保育の規制緩和がもたらした保育職場の変質(小澤明美)

(内容紹介)

 各論文を一貫している内容は「保育指針改定が保育士の待遇改善に役立っておらず、むしろ現在の劣悪な労働条件を当然視している」というところです。

 あと、かなり話題になった「日の丸・君が代の持ち込み」も批判されていますね。

参考

日本共産党『2017総選挙/各分野の政策:5、保育―認可保育所増設、保育士の処遇改善、安心安全の保育施設』

http://www.jcp.or.jp/web_policy/2017/10/2017-05-horiku.html

赤旗

■主張『安倍政権と保育:切実な願いが分からないのか』

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-11-27/2017112701_05_1.html

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2017-02-25/2017022501_05_1.html

■赤旗・主張『「君が代・日の丸」:保育所・幼稚園への強制やめよ』

 安倍晋三政権が保育所や幼稚園でも「国旗」「国歌」に「親しむ」ようにすることを盛り込んだ指針案をまとめたことに驚きが広がっています。保育所については、厚生労働省が今月公表した「保育所保育指針」改定案に3歳以上の幼児について「行事において国旗に親しむ」「国歌、唱歌、わらべうた(中略)に親しんだり」と記載しました。幼稚園については、文部科学省が「幼稚園教育要領」改定案で、現行にある「国旗」に加えて「国歌」にも「親しむ」としました。

 もともと「君が代・日の丸」は戦前、日本の侵略戦争のシンボルとして使われたもので、拒否感をいだく国民は少なくありません。「君が代」の歌詞は“天皇の世の中が未来永劫続きますように”というもので主権在民という国のあり方に真っ向から反する内容です。

(中略)

 安倍政権は一昨年大学への押し付けをはじめ、今回ついに幼児にまで広げようというのです。

 歌詞の意味もわからない子に「わらべうた」のように「君が代」を歌わせる―。

 幼児には「国」とは何かも理解できません。幼い子どもたちに国家権力が「君が代・日の丸」への“愛着”をすり込むのは、憲法19条「思想良心の自由」に反し、幼児の心を都合よく操作することになりかねません。幼児期にそうしたことを繰り返せば、主体的な子どもを育てるという点でも大きな問題です。

(中略)

 保育園、幼稚園への「国旗・国歌」押し付けに強く反対するとともに、全学校での強制をなくすことを訴えます。

 さすが「森友学園(塚本幼稚園)を理想の幼稚園とした安倍夫婦だけのことはある」というべきでしょうか。


■インタビュー『菊池事件違憲国賠訴訟が問うものとは何か:ハンセン病への差別、偏見の克服を』(志村康)

(内容紹介)

 ネット上の記事紹介で代替。前衛記事や後で紹介するネット記事が主として問題にしていることは「ハンセン病差別」ですがこの事件にはもちろん「死刑えん罪」という問題もあるわけです。改めて死刑の廃止を強く主張したいと思います。

 なお、前衛記事、後で紹介するネット記事が「鎌田慧氏の記事を除き」「死刑となった人物」を「F氏」などと呼び事件名も「F氏事件」ではなく「菊池事件」としてる点は興味深いところです。つまりはハンセン病差別への配慮ですが。

http://www.asahi.com/articles/ASK8X4D06K8XUBQU00B.html

朝日新聞ハンセン病「菊池事件」 元患者ら明日にも国賠提訴』

 ハンセン病患者とされた熊本県の男性が隔離された特別法廷で裁かれ、死刑が執行された「菊池事件」をめぐり、元ハンセン病患者らが29日にも、最高検を相手取り国家賠償を求める訴訟を熊本地裁に起こす。検察が男性の再審請求をしないことで、元患者らの人権を侵害していると主張する。

 ハンセン病患者を隔離した特別法廷については、最高裁が昨年、「社会の偏見や差別の助長につながった」と謝罪。今年3月には最高検も特別法廷に関わった責任を認めたが、元患者らが求める再審請求は「理由がない」などと拒んだ。

 提訴するのは、特別法廷が設けられた国立ハンセン病療養所菊池恵楓(けいふう)園(熊本県合志市)などに入所する元患者ら数人。元患者らは「菊池事件の再審なしに、ハンセン病の問題は解決しない」などと訴えてきた。国賠訴訟では「検察官には誤った政策で患者が受けた被害を回復する義務があり、その義務を行わないのは元患者に対する人権侵害だ」と訴える。

 再審は、検察以外に元被告本人やその家族も請求できる。ただ、菊池事件の再審を求める弁護団によると、男性の遺族はハンセン病に対する差別や偏見を恐れ、請求には消極的だという。

 ハンセン病の問題に詳しい内田博文*9九州大学名誉教授(刑事法学)は「菊池事件は、ハンセン病患者が憲法のらち外に置かれていたことを象徴する事件。遺族が再審を求めないのは、差別の被害が過去のものではなく今も続いていることを表している。検察官は再審を行い、国の政策の過ちを正すべきだ」と話している。

https://mainichi.jp/articles/20170830/ddp/041/040/009000c

毎日新聞ハンセン病:菊池事件提訴 差別と偏見、解消を 元患者ら「司法は逃げないで」』

 元ハンセン病患者らが「菊池事件」で無実を訴えながら死刑になった男性について検察が再審請求しないことで精神的苦痛を受けたとして、29日に熊本地裁に起こした国家賠償請求訴訟。元患者らは、死後再審による無罪獲得とハンセン病患者への差別の解消に向けて一歩を踏み出した。

 「なんとしても彼の無念を晴らしたい」。

 提訴後に熊本市内で開かれた原告・弁護団の記者会見で、原告の一人で国立ハンセン病療養所「菊池恵楓園」(熊本県合志市)入所者自治会長の志村康さん(84)は力を込めた。

 志村さんは、園に隣接する医療刑務支所に拘置されていた男性と自治会役員として定期的に面会していた。事件のことを話すことはできなかったが、事件の影響で高校にいられなくなった娘が関東の高校へ転校することが決まったと知らせると安心した様子で喜んだことを覚えている。

 「真っすぐ前を見て話す穏やかな人で、面会を重ねるうちに無実を確信した。ハンセン病を理由とすれば誰だって犯人にされてしまう時代だった。彼の無実が証明されなければハンセン病問題は終わらない」。

 志村さんはこれから始まる裁判を見据えてそう語った。

 鹿児島県鹿屋市から駆けつけた原告の一人で、元ハンセン病患者の竪山勲さん(68)は「私たち元患者は菊池事件を放置したままでは死んでも死にきれない。差別と偏見が充満した時代の裁判で死刑になって殺された男性にあの世で合わせる顔がない。司法はこの事件から逃げずに真相を明らかにしてほしい」と涙ながらに訴えた。

 弁護団共同代表の徳田靖之*10弁護士は「最高裁は特別法廷がハンセン病への差別、偏見を助長したとして元患者らに謝罪したが、被害回復には検察による再審請求しかない」と訴訟の意義を強調。同じ共同代表の八尋光秀*11弁護士は「検察が再審請求すれば再審無罪が出て(特別法廷に関与した)裁判所として謝罪があるはずだ。検察が再審請求しなかったのは司法を中心に社会的正義を守り、是正していくという観点から見ても非常に残念」と話した。

 ハンセン病問題に関わってきた識者は国賠訴訟をどう見るのか。

 特別法廷に関する最高裁有識者委員会で座長を務めた井上英夫*12・金沢大名誉教授は「検察は国民への説明責任を果たしていない」と厳しい。「関係者のプライバシー」を理由に再審請求しない理由を一切明らかにしないからだ。

 同委は2016年4月、患者の隔離・収容の場で行われた特別法廷の裁判が「裁判の公開原則」を満たしていたか否かについて「違憲の疑いはぬぐいきれない」と指摘し、違憲性を認めなかった最高裁の調査報告書を問題視した。しかし、検察も今年3月、この調査報告書を引用し、開廷を知らせる張り紙や傍聴人がいた記録があるとして違憲性を否定する見解を示している。

 井上氏は「検察が最高裁の見解を安易に引用したのは問題で、独自に調査すべきだった。検察は冤罪ではないとするなら合理的な根拠を示すべきだ。できなければ自ら再審を請求しなければいけない」と語り、国賠訴訟で事態が進むことを望む。

 同じ有識者委の委員だった石田法子弁護士も「誤った隔離政策に基づく差別が根強い中、本来の再審請求者である遺族が請求できない状況がある。国賠訴訟を審理する裁判官は、検察が再審請求をしない問題点をしっかり見てほしい」と言う。

 国のハンセン病問題検証会議で副座長を務めた内田博文・九大名誉教授は「憲法を擁護すべき裁判所や法曹がハンセン病の人を別扱いするという人権侵害を引き起こしたのが特別法廷の本質だ。患者・家族全体が被害者であり、実質的な審理をすべきだ」と指摘する。

http://yahiromitsuhide.com/

■八尋光秀『菊池事件』

 菊池事件は司法関係者にまでも蔓延ったハンセン病差別がなければ、存在しなかった死刑えん罪事件です。ハンセン病ゆえに彼は追い詰められ、拳銃で撃たれ、自白調書を作られ、非公開で審理され、有効な弁護をうけられず、粗雑な証拠評価と事実認定によって死刑を強いられました。

(中略)

 ハンセン病差別に由来する「不健全な社会常識」によって死刑執行されたえん罪について、私たちがどのようにして雪冤し、これを刑事司法改革にどう結び付けるのか。これがこの事件の本質だと思います。

 死刑制度の適否は刑事裁判の実際と相関して考える必要があります。誰もえん罪死刑を良しとする人はいないでしょう。しかし冷静に考えてみると、刑事判決がどこまで行っても仮説である以上、死刑制度はえん罪死刑を容認する制度と考えるしかありません。私たちの社会はえん罪死刑を維持しなければ社会治安をほんとうに保てないのでしょうか。人口比での殺人の数は世界有数に少ない国です。ところが私たちの社会より人口比で多くの殺人件数率をもつ国々、その3分の2を超える国が法律上・事実上死刑をすでに廃止しています。死刑を廃止したからといって、犯罪率が増加したという統計はありません。逆に減少したという報告は少なくありません。私たちの社会で死刑制度を継続する正当性はあるのでしょうか。被害感情を優先するということかもしれませんが、はたしてこの被害感情というものは社会制度を設計するうえでどのような正当性をもたせることができるのでしょうか。被害者が死刑を望まなければ死刑にしないなどという制度設計が困難なように、刑罰の枠組みを形造る直接的な要因として位置づけることは困難です。

 死刑を求刑し、宣告し、執行を命令するのは、検察官であり、裁判官であり、法務省・法務大臣です。でもそれをさせているのは私たちです。私たちは施行された死刑に責任をもたなければなりませんし、(ボーガス注:菊池事件のような)えん罪死刑であればなおさらです。

 犯罪被害者の悲しみと叫びを聞けば、死刑もやむなしと思われるかもしれません。他面あなたやあなたの家族がえん罪で死刑を宣告されたときでも、あなたはその死刑を受け入れることができますか。

http://blog.goo.ne.jp/kurukuru2180/e/3c20f119c49439f02ab8954fd9c40573

■菊池事件−ハンセン病と無実の死刑囚

 僕が前からこの事件に関して思っていることは、そもそも「特別法廷」で裁くということが、憲法違反なのではないかということだ。憲法第76条に「特別裁判所は、これを設置することができない」と定められている。76条の規定は、現行の司法権の外に「軍法裁判所」などを置くことの禁止規定で、ハンセン病特別法廷で裁かれたFさんも、最終的には最高裁判所で死刑が確定している。だからこの裁判も憲法違反ではないというのが、通常の理解だろう。しかし、「らい予防法」はそもそも違憲の法律だとも考えられ、その法律で隔離された療養所内におかれた「特別法廷」は「本来はあってはならないもの」だった。もし隔離しなければならないような病気なんだったら、精神疾患や他の出廷できない病気にかかった場合と同じく、病気が治癒するまで裁判は停止されるべきものなのではないか。また憲法第82条には「裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ」とある。Fさんの裁判は明らかにこの条項に違反している。

http://www.higashihonganji.or.jp/release_move/shinshu/shinshu09.html

ハンセン病差別と死刑(鎌田慧*13

 死刑執行のあと、救援運動の中心だった玉井乾介さん*14は、ひとり残されたFさん*15の娘の将来を嘆いて、こう書いている。

『F君、父も母もいない貧農の娘の一生は大へんだろう。死刑囚の娘の一生はさらに大へんだろう。ハンセン氏病を父にもつ娘の一生はさらにさらに大へんだろう。君のひとり娘M子さんはこの重みを全部背負って社会に生きて行くだろう。F君。』

 涙とともに書いた文章であろう。処刑の日から半世紀たったが、いままた、再審請求の運動がはじまっている。


シリーズ『日本の農業・農村の再生を考える』

国際社会に広がる小規模・家族農業の評価の流れ:持続的発展への大きな可能性(関根佳恵)

(内容紹介)

 ネット上の記事紹介で代替。

http://www.nouminren.ne.jp/newspaper.php?fname=dat/201404/2014040706.htm

■農民連『小規模家族農業を見直し、発展させる農政へ転換を:CFS専門家ハイレベルパネル報告書作成に参加した関根佳恵さんに聞く』

 世界食料保障委員会(CFS)専門家ハイレベルパネル(HLPE)の報告書作成に参加した立教大学助教(4月から愛知学院大学経済学部専任講師*16)の関根佳恵さんに話を聞きました。

 今年*17が国際家族農業年に定められていることにも表れているように、世界ではいま、家族農業を再評価する大きな動きが強まっています。2010年ごろから国連食糧農業機関(FAO)や国際農業開発基金(IFAD)などの国際機関が次々に家族農業・小規模農業の社会的役割を見直し、政策を転換してきているのです。EU(ヨーロッパ連合)からも昨年、家族農業がEU農業の基礎であるとの声明が出されています。

 実は国連でも長い間、規模拡大や多国籍企業との取引の促進などの開発主義が支持されてきました。しかしこうした開発主義のもとで、資源枯渇や環境問題が顕在化する一方、小規模農家が土地から追い出され、貧困が深刻化しました。また貧困と飢餓の撲滅を目指す国連ミレニアム開発目標も達成できないことも明らかになっていました。

 転換点になったのが、2008年の世界的な経済危機・食料危機です。行き過ぎた新自由主義政策や経済効率優先の社会システムに警鐘が鳴らされるようになりました。またWTOや最近ではTPPなど貿易を自由化する動きが強まるなかで、各国が食料・農業政策を自分たちだけで決められない、食料主権が奪われる事態も広がっています。こうしたことへの反省が、小規模家族農業の見直しというパラダイムシフト(社会の規範や価値観が、劇的に変化すること)ともいえる大きな方向転換に結び付いているのです。

 日本ではよく「国際競争に備えるために、農業経営の大規模化が必要だ」というような議論があります。しかし世界的に見れば、世界の農業経営体数の73%を1ヘクタール未満、85%を2ヘクタール未満の小規模農業が占めています。さらに世界の貧困層の70%が農村に住み、そのほとんどが家族経営の小規模農業に従事しているわけですから、「小規模家族農業が世界を養っている」と言えるのではないでしょうか。

 またこうした家族農業による食料生産を、先進国や新興国でも重視する動きが強まっていることも大切なところで、食料自給率が低く、潜在的な“飢餓リスク”を抱える日本にとっても、大きな課題が突きつけられています。

 CFSの報告書では、小規模家族農業が食料生産だけでなく、国土保全、生物多様性の維持、文化伝承などでも大きな役割を担っていることも、明らかにしています。とくに経済危機で失業率が高まるなかで、小規模農業の雇用調整力は重要な役割で、工業化された大規模経営に比べてもはるかに雇用創出力もあり、人口扶養力も高いものがあります。小規模農業は石油などの資源依存度も低く、環境への負荷も小さいと言われています。こうした背景から、08年の経済危機・食料危機以降、こうした小規模家族農業の役割を改めて見直すことで、この世界的危機を乗り越えようとする機運が広がっています。

 こうした世界の大きな潮流から見ると、安倍政権のTPP参加や大規模化一辺倒の「攻めの農政」といった方向は、まったく逆行しています。世界から取り残されているのです。

 先進国では経済発展とともに農家数が激減し、労働節約型の農業技術を高めることで農家数を減らし、大規模化することこそが「農業の発展」だというのが、これまでの経済発展モデルでした。

 しかしCFSの報告書では、現在、経済成長著しいブラジルインドでは、農家数が増える一方、経営規模は小さくなるか、変わっていないことに注目して、これまでとは違う「発展経路」があることも示唆しています。つまりこうした「規模拡大が経済発展」という考え方こそ、転換が求められているのです。

 とくに日本は中山間地域が多く、大規模な企業的農業でも国際競争に勝てるのは平場のごく一部だけです。CFSの報告書を日本の現状に引きつけて考え、小規模家族農業を発展させる農政にこそ転換していく必要があるのだと思います。

 小規模家族農業が世界的に見直されているのは、農民連やビア・カンペシーナのような農民運動や、良心的な研究者が粘り強く訴え続けてきた成果でもあります。だからこそこうした動きを、国際家族農業年に定められた今年で終わらせてしまわずに、小規模農家が世界的規模で連帯し、新自由主義的政策に「異議あり」の声をあげていきましょう。


論点

■日本農業をさらに追いつめるCPTPP(小倉正行*18

(内容紹介)

 赤旗の記事紹介で代替。「CPTPP」とは「アメリカ抜きのTPP」と理解すればいいでしょう。

参考

赤旗

■米国抜きTPP11 強引に装った「大筋合意」のつけ、日本農業への打撃はTPP12以上になる:東京大学教授 鈴木宣弘さん*19(農業経済学)』

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-11-15/2017111503_02_0.html

■主張『安倍政権貿易交渉:TPP前提では危険拡大する』

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-11-16/2017111601_05_1.html


■日産の「完成検査偽装」の背景に何があるか(阿部芳郎*20

(内容紹介)

 赤旗の記事紹介で代替。

赤旗

■主張『製造大手の不正:違反横行させた体質問われる』

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-11-06/2017110601_05_1.html

■収益優先し安全軽視、日産、検査不正で報告書提出

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-11-18/2017111801_03_1.html


暮らしの焦点 

■宮崎市近郊における森林盗伐問題(伊豆康久*21

(内容紹介)

 ネット上の記事紹介で代替。

https://mainichi.jp/articles/20170930/ddl/k45/040/321000c

毎日新聞宮崎版『盗伐:「被害者の会」結成 監督強化や条例制定、被害回復実現へ/宮崎』

 県内の民有林で盗伐や誤伐が相次いでいる問題で29日、県庁で被害者らが「県盗伐被害者の会」結成について記者会見した。被害者の1人の海老原裕美会長(60)は「声を上げることで違法伐採が多発していることを知ってもらいたい」と話した。

 この日、県庁には被害者ら7人が集まり、それぞれの被害の状況や行政の対応について説明。「大切に育ててきた木が突然盗まれ許せない」と訴えた。行政の監督強化や条例の制定、被害回復の実現を働きかけていくことも明らかにした。

 その後、会は宮崎市森林水産課に会の設立について報告。笠島誠嗣課長は「被害者の方々と情報を共有し再発防止に努めたい」と話した。

■怒りにじませる被害者、市や警察対応に疑問も

(中略)

 被害に気づいたのは、父の墓参りで宮崎市に帰省した昨年8月。所有しているスギを見回った時だった。海老原さんは9月、市役所に伐採届の情報開示請求したところ、書類には2000年に病死した父の名前で署名、押印されていた。

「亡くなった人の名前で出された伐採届がどうして受理されたのか」。

 市の担当者に訴えたが、「警察に相談を」との対応で、宮崎北署に行くと当初「示談したほうがいい」とアドバイスを受けたという。

 海老原会長が市や署に質問を繰り返し、盗伐について調べると、ほかにも被害に遭っている人は多数いることが分かった。

 その1人、会員で同市吉野に住む川越員(かず)さん(77)は自宅近くのスギ林から盗伐された。隣接する土地所有者と伐採業者が交わした伐採届が市に提出され、そこに川越さんが所有するスギ林の地番も加えられていた。「市がきちんと伐採届を確認していたら、盗伐はなかったのでは」と市の対応に疑問を持つ。

 海老原会長は「私が知っているだけでも、被害者は20人いる。同じような事件を起こさないよう、市や県警はしっかりと対応してほしい」と話した。

■背景に木材価格の高騰

 盗伐の背景には木材の需要増による価格の高騰がある。県森林組合連合会(宮崎市)によると、2012年には木材1立方メートルあたり約7000円だった価格は現在1万500円前後で取り引きされている。木質バイオマス発電所や木材の輸出といった新たな需要先が増えているからだ。

 盗伐を巡っては宮崎市は9月市議会で、市農政部の岡山秀昭部長が、海老原会長の土地の伐採届が受理されたことについて「森林所有者の確認において改善すべき点*22があった」と*23答弁している。

 市は4月から、伐採届を改訂し、隣接地との境界を業者に確認させるほか、詳しい伐採地の地図や発注者である土地の所有者の登記簿謄本の添付なども求めている。また、偽造された伐採届については、私文書偽造罪での告発も検討している。

 県も8月、被害を発見した段階で速やかに警察に通報する協定を県警や県内市町村、林業団体と県庁で結び、県警も被害届の一部を受理し捜査を進めている。

http://www.sankei.com/west/news/171026/wst1710260107-n1.html

■産経『書類偽造しスギ盗伐疑い3人再逮捕 神奈川の男性被害、宮崎』

 宮崎県警は26日、伐採届け出書を偽造し宮崎市の山林からスギの木を伐採して盗み取ったとして、有印私文書偽造・同行使と森林法違反の疑いで、伐採仲介会社役員、岩村進容疑者(77)=同市佐土原町西上那珂=ら男女3人を再逮捕した。

 岩村容疑者らは今月5日、同様の手口で千葉県の女性が所有する別の山林からスギの木を盗んだとして宮崎県警に逮捕された。処分保留で26日釈放され、再逮捕された。

 再逮捕容疑は、神奈川県在住の50代男性が所有する宮崎市内の約0・5ヘクタールの山林からスギを盗もうと共謀し、男性の名前や住所などを記した伐採届け出書を偽造。昨年1月、別の業者を介して市に提出し、6月中旬ごろ、スギ約300本(105万円相当)を伐採したとしている。

http://rkb.jp/move/contents/20170625.html

■私の森が消えた!〜森林盗伐問題を追う〜

 森林面積が、県全体の76%を占める宮崎県。 林業は、県の代表的な産業の一つで、スギの素材生産量は26年間全国一位を誇っている。

 ところが、その宮崎県で、スギやヒノキの人工林が、所有者に無断で相次いで伐採されている。

 切り出された丸太は、木材市場で売却され、伐採にかかわった業者たちが、その利益を不当に得ている。

 このため、被害を受けた所有者たちは、「無断伐採は森林窃盗罪にあたる」として、業者たちの逮捕を求めているが、県内では、事件としてほとんど立件されず、過去5年間に逮捕されたものはいない。

 被害者は、業者との示談に応じるか、泣き寝入りしている。

 宮崎県産のスギは、「みやざきスギ」というブランド名で、販路拡大などに力が入れられている。しかし、無断伐採を防止する抜本的な対策はなく、こうした状況が続けば、「不当に流通している木材」として、イメージの悪化も懸念される。なぜ、宮崎県内で、無断伐採が広がったのか。

 被害者の思いを辿りながら、その実態と背景に迫る。

http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20161118-OYT8T50014.html

読売新聞『相次ぐ盗伐、その裏に見える日本の森の大問題』森林ジャーナリスト 田中淳夫*24

 今年9月、宮崎市で森林所有者に無断で伐採届が同市に提出され、所有者の知らないうちに約2000平方メートルのスギ林が伐採されていたという事件が発覚した。その伐採届は昨年11月に提出され、所有者の氏名や押印もあったのだが、その所有者はすでに死亡していた。同市は盗伐の可能性が高いとみている。所有者の親族は、宮崎北署に被害届を提出した。

 森林法では、伐採を始める90日前から30日前までに、「伐採および伐採後の造林の届出書」を市町村に提出しなければならない。自治体は届け出を確認したら、所有者と伐採業者に受理した通知書を送付するのだが、このケースでは所有者が死亡していたため、所有者側に通知書は届かなかった。電話しても通じなかったという。

 この類いのケースは宮崎県だけではなく、全国的な傾向になっている。

 福島県相馬市では昨年、森林所有者13人の同意を得ないまま、伐採業者が約8700平方メートルの森林を伐採した。山梨県身延町でも昨年、伐採届が提出されないまま、森林3万9000平方メートルが伐採されてしまった。三重県志摩市では同じく昨年、伊勢志摩国立公園内の森林を無許可で伐採して太陽光発電所を建設したとして、東京都の発電会社などが書類送検された。

 ほかにも「業者から伐採させてくれという話は来たが、断ったのに勝手に伐られた」「久しぶりに所有している森林を見回りに行くと、知らないうちに道が作られ、広範囲に伐られていた」「国立公園や景観保全地区に含まれる山林が無断で伐採されていた」――といった盗伐事件が全国で多発しているのだ。

(中略)

 実は、日本の森林の境界線の大半は不明確なのだ。測量して境界線を確定した土地は少ない。昔は「山の尾根」とか「何々の木が生えているところ」といった曖昧な目印で済ませてきた。それでも地元に境界に詳しい人がいたので、問題にならなかった。

 しかし、現在では森林所有者が山村を離れてしまい、手入れをするために人が入ることも減った。その結果、境界線もわからなくなってしまう。さらに所有者が亡くなっても相続手続きをせず、いまだに数代前の人の名義のまま放置されることも少なくない。相続資格者が大人数となると、許認可を取るのも難しくなる。すると権利を継承した上での伐採や売買が事実上、不可能になってしまう。

 国土交通省の調査によると、不在村森林所有者(所有する森林とは別の市町村に住む個人や法人)の約8割が所有森林を放置しているほか、約2割は相続手続きをしていない。そのため、意図的ではなく、境界線を誤って伐採しやすいことに加え、無断で伐採してバレたときも「誤って伐ってしまった」と業者は主張するのだ。

 厳密には、無断伐採は刑法261条の器物破損の罪で3年以下の懲役または、30万円以下の罰金、もしくは科料だ。民事告訴を行えば損害賠償請求もできる。しかし警察なども、なかなか立件しようとしないという。山奥だと捜査がかなり大変であるうえ、測量などが必要になれば手間も費用もかかりすぎる。裁判も、所有者の負担が大きくあきらめがちだ。

 面倒くさいから捜査したがらないというのはこういう盗伐だとそれでええんか?、と思いますが、「事件発生から10年以上たった殺人」みたいな「今更、物的証拠なんか出ないし、僥倖が無い限り、もう事件解決なんかしねえよ、被害者遺族の気持ち考えれば公言できないけど」つうのはよくわかります。


メディア

■テレビ『意欲的な選挙報道はなされたか』(沢木啓三)

(内容紹介)

 政策の掘り下げでは無く、今回も「小池劇場」のようなワイドショー報道がされたという批判です。

 正直、日本のテレビにはジャーナリズムを期待しない方がいいのかもしれません。高世人も嘆いていましたが今や、ドキュメンタリーは深夜にしか放送されませんし。


文化

■音楽「トランプ政権の芸術基金削減と闘う」(小村公次)

(内容紹介)

 トランプが「金儲けにならない」として芸術予算を大幅削減しようとしていることが批判されています。


■演劇「山本周五郎没後50年 劇団前進座の「柳橋物語」」(水村武)

(内容紹介)

 ネット上の記事紹介で代替。

https://mainichi.jp/articles/20170824/ddf/012/200/004000c

毎日新聞今村文美、前進座「柳橋物語」主演 やがて気づく本当の愛』

 江戸の下町を舞台に、ひたむきに生きる女性の姿を描く前進座の舞台「柳橋物語」(山本周五郎原作、田島栄脚色、十島英明演出)が、31日〜9月5日、大阪・国立文楽劇場で上演される。

 前進座は時代小説の作家、山本周五郎の18作品を舞台化してきた。「柳橋物語」は1977年初演。約10年にわたり、各地を巡演したが、その後上演が途絶えた。今回はファンの要望を受けての29年ぶりの再演。いまむらいづみが演じた主人公おせんを、新たに姪(めい)の今村文美(あやみ)が演じる。

 杉田屋の大工、幸太(嵐芳三郎)と庄吉(渡会元之)は、共に研ぎ屋の孫娘おせんを愛していたが、杉田屋の跡取りが幸太に決まり、庄吉は上方へ修業に出る。帰りを待っていてくれと言う庄吉に、思わず「待っているわ」と答えたことが、おせんの人生を縛っていく。幼なじみ、おもん(浜名実貴)との関係も描かれる。

 周五郎作品が大好きだという今村。中学時代、周五郎原作による前進座の「さぶ」を見て「席から立ち上がれないほど感動しました」という。

 「それが舞台の道を歩くようになった理由の一つです」

 「柳橋物語」のおせんは、大火事や洪水に見舞われ、大切な人々を失うが、自身の真実を貫いて生き抜く。

 「やがて本当の愛に気づき、自立した女性になる。このことを、どんちょうが下りる前の、最後のせりふで表現しなければならないのが難しいですね」

 「夢千代日記」の夢千代役などで見せるしっとりとした風情も好評で、劇団をけん引する今村。

 「でもまだまだこれからです。アンサンブルがいいのが前進座。仲間たちに支えられてつとめます」


■美術「働く民衆の心の詩:吉田利次作品展」(朽木一)

(内容紹介)

 ネット上の記事紹介で代替。

http://digital.asahi.com/articles/ASKC64TJSKC6PTIL00M.html

朝日新聞大阪版『労働者の姿描く 吉田利次さん作品展』

 働く人に共感をよせた岸和田出身の画家吉田利次さん(1916〜98)の生誕100年作品展「働く民衆の心の詩」が、大阪市港区アトリエで開かれている。全6部構成の第2部(18日まで)には、吉田さんが後半生に力を入れた三池争議の作品群が並べられている。

 吉田さんは、中国大陸に送られた戦争で画家の夢を一度は断たれたが、戦後すぐから鉄工所に勤めつつ再び筆をとった。弟子の坪井功次さん(68)=堺市=によると、「美術の社会性」について自問を重ねた画家だった。画壇に背をむけたり、53年の「平和をまもる美術展」(現・関西平和美術展)に参画したり。転機は60年。三池争議に大阪から参加したことだった。

 三池炭鉱(福岡県大牟田市、熊本県荒尾市)であった労働争議には、三井鉱山によるクビ切りに抵抗した三池労組の闘いに、全国から支援者が集まった。44歳だった吉田さんもそのひとりだった。労働側の敗北で終わったが、63年、450人以上の死者と800人以上の一酸化炭素中毒患者を出す炭鉱事故が発生。クビ切りは、労働者が現場で紡ぐ安全策の切り捨てでもあるという教訓を残した。

 ログイン前の続き働く者が手をとりあい、家族ぐるみ、地域ぐるみで団結する姿に心をゆすぶられた吉田さんは「現実をありのままに表現する。働く人に寄り添う」という画法を確立する。粉じんで汚れた顔に美しさを見いだし、労働運動平和運動を大カンバスに描いた。この姿勢は、がん宣告後に完成させた最後の作品「炭鉱の男たち」(97年)まで貫かれた。

(中略)

 作品展は、大阪市港区三先2丁目のアトリエガレリア・リバリア」で開催中。第3部「炭坑の詩」は12月3〜16日。第4〜6部の「海にいきる」「平和を願って」「民衆の詩」は来年1〜3月にある。会期中は無休で無料。


■スポーツ最前線『“平和の外交官”荻村伊智朗の精神』(和泉民郎)

(内容紹介)

 荻村については過去の拙記事

■「珍右翼が巣くう会」に突っ込む・番外編(3/13分:ミスター卓球・荻村伊智朗の巻)(追記・訂正あり)(http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20170313/5064208022)を紹介しておきます。

 荻村の「日中国交正常化」「南北朝鮮融和」で果たしたピンポン外交の業績はまさに「平和の外交官」にして「日本の誇り」といっていいでしょう。

http://blacknightgo.blog.fc2.com/blog-entry-2138.html

 正直荻村伊智朗は、(ボーガス注:ピンポン外交や南北朝鮮合同チームの功績で)ノーベル平和賞とかもらっててもおかしくないんじゃないか、って思うぐらいとんでもない人間だと思いました。

という指摘には改めて同感です。

 まさに日本人離れした怪物といっていいのではないか。

参考

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-11-10/2017111001_06_0.html

■赤旗コラム『潮流』

 アントニオ・サマランチ国際オリンピック委員会会長が、日本のあるスポーツマンを評したことがあります。「スポーツ界のリーダーである以上に極めて優秀な外交官だ」▼卓球の故・荻村伊智朗さんのことです。1950年代に男子シングルスで2度世界を制し、日本の団体5連覇の立役者。その生き様を伝える明治大学公開講座が9日、都内でありました▼“外交官”ぶりは中国と米国を結びつけた71年の“ピンポン外交”に始まります。91年には国際卓球連盟会長として世界選手権での北朝鮮と韓国の統一コリア結成に奔走。10回以上も北朝鮮に足を運び、政治の壁を越え、実現にこぎつけました。統一チームが女子団体で優勝した際は、両国の人々が朝鮮民謡のアリランを大合唱する光景が広がりました▼98年長野五輪招致のため、ともに仕事をした元日本オリンピック委員会職員の春日良一さんは語ります。「荻村さんは選手時代にスポーツが人々の融和をもたらすと実感し、一貫してスポーツによる友好、国際平和を目指していた稀有(けう)の人」▼いま北朝鮮問題をめぐり緊張が続いています。政治の世界では、対話や外交的解決が後景に追いやられ、軍事力行使容認の空気さえ漂います。その中でスポーツができることは大きくないのかもしれません▼しかし、来年2月には平昌(ピョンチャン)五輪が控え、2020年は東京、22年北京と東アジアでの五輪が続きます。スポーツが果たす“平和の外交官”の役割がこれほど求められているときはありません。

http://genkina-atelier.com/sp/index.php?QBlog-20170909-1

■スポーツ外交の極意:荻村伊智朗の回想(春日良一)

 今秋、明治大学リバティアカデミーの特別講座で荻村伊智朗のスポーツ外交を講演することになった。

(中略)

 縁あって敬愛する荻村伊智朗を語ることができる機会を持つことができるのはこの上ない幸せである。このスポーツ思考でも二回ほど荻村論を展開したが、改めて彼の著作を再読して、なぜか元気をもらうことができた。

(中略)

 文化大革命による中国選手たちの悲報が荻村を動かしたと同様に、北朝鮮のアスリートへの思いから行動を起こせる人がいないだろうか?。はっきり言ってしまえば、拉致問題を抱えてほとんど進展のない状況に平然としている日本国政府は(ボーガス注:まともな)民主主義国家の政府とは言えないのだから、もはや全て政府に頼ることは諦めよう。

 韓国の文大統領が平昌冬季五輪の共同開催や同大会への統一コリア選手団実現について打ち上げたのは、スポーツの政治利用であるが、これを逆手にとってスポーツが結果的に政治を利用する結果にすればいいのである。

 実は1987年に国際卓球連盟の会長となった荻村は、1991年千葉での世界選手権で統一コリアチームを実現している。会長初年に公約どおり加盟国80を周り、その後も毎年40か国から50か国を精力的に訪問して卓球の普及に努めつつ、各国の政治事情やスポーツ情勢を収拾、世界卓球の未来に戦略を練った。

 しかしこの実現のためには南北の競技力を同じレベルにしなければならない。そのために北朝鮮に何度も趣き選手、コーチの育成に努め、合同合宿を日本で開催した。卓球では国旗、国歌の問題はそもそも存在しないので、その部分はクリアとしても競技力向上は簡単にはいかない。

 その意味で北朝鮮へのIOC委員チャンウン(張雄)が「(ボーガス注:平昌五輪の南北朝鮮合同チームについて)政治的解決がなければ難しい」としたのもそういう経験があるからで、統一コリア実現には、平昌五輪よりもむしろ東京五輪が焦点として可能性があり、かつ五輪が平和のツールとして生き残る可能性がそこに見いだせるかもしれない。

 荻村はかなり現実的な目でスポーツを見ている。スポーツには平和を構築する可能性はあるが、それは今未だ力として政治の1000分の一くらいだと生前語っている。荻村ならば自分のスポーツでまず突破口を開くはずだ。今そのチャンネルが乏しいところに制約がある。

 少なくとも東京五輪のビジョンに東アジアの友好ということは掲げるはずであり、それは平昌で灯がともり、東京で開き、北京に繋がるという流れになるのだろう。

 そのための布石を平昌での統一コリアをまず呼びかけることから始まらなければならない。それに北朝鮮がどのように答えるのか?。偉大なる先人荻村伊智朗は、文化大革命の真只中、国慶節への招待を受け、その中で極秘会談を設ける。10月10日は朝鮮労働党創建記念日である。この日にスポーツ界からの使者が何らかの役割を果たす戦術はいかがだろう?。折しもその日は「体育の日」である。日本がスポーツによる復興を遂げた記念日なのだ。

http://genkina-atelier.com/sp/index.php?QBlog-20170701-1

■五輪の政治力:平和構築へのヒント(春日良一)

 私のスポーツ外交において、最も共鳴し、最も同調した役員は故荻村伊智朗(世界卓球チャンピオン国際卓球連盟会長、JOC国際委員長)。彼は中国とのピンポン外交に貢献し、1991年世界卓球選手権で統一コリア実現の奔走した。

(中略)

 荻村の志を繋げば、今回の文在寅大統領の南北共同開催や南北合同チームの「スポーツの政治的利用」発言は願ったり叶ったりの好機であり、スポーツが政治を利用して、平和への架け橋となるためのステップになりえる。

(中略)

 今は亡き荻村伊智朗がいれば、そのために心身を尽くしたことだろう。

http://blog.goo.ne.jp/gekkan-io/e/248a39a6ea0124198455d81bd78e5cc8

■日刊イオ『コリア卓球統一チームの取材と荻村伊智朗さん』

 今日は月刊イオ4月号の締め切りの日となります。4月号の特集では、朝鮮問題に深く関わって活動した日本の人たちを取り上げました。

 私はスポーツ分野の人物と言うことで、卓球の荻村伊智朗さんを紹介する文章を書きました。荻村さんについて書かれた本を読み、荻村さんをよく知る人たちの話を聞いて文章をまとめました。荻村さんは、世界大会で数々のタイトルを獲得し、国際卓球連盟の会長を務めた人物。

 そして、荻村さんと朝鮮とのかかわりと言えば、1991年の千葉での第41回世界卓球選手権大会(4/24〜5/6)でのコリア卓球統一チームの実現とその活躍のことを触れないわけにはいきません。

 不敗を誇っていた中国を破っての女子団体の優勝の瞬間は、今でも脳裏に焼きついています。優勝の瞬間の会場の興奮、表彰式で流れる「アリラン」、一番高いところにはためく統一旗。観客席では誰もが抱き合って涙していました。「統一とはこんなに素晴らしいものだ」ということを、実際に目の前で見せてくれたのがコリア卓球統一チームでした。(写真は表彰を受けるコリアの女子団体チーム。日本卓球協会発行の「写真で見る日本卓球史」より)

 統一チーム実現のために大きな役割を果たしたのが、当時、国際卓球連盟の会長だった荻村さんだったのです。

 コリア卓球統一チームの取材は、短くない記者生活の中でもトップクラスの思い出深い取材でした。まさに夢のような日々だった。大会がちょうどゴールデンウィーク期間で、連休がすべて取材のためになくなりましたが、まったく苦にならなかった。幕張の会場まで毎日通いました。

 大会期間のある日、いつものように会場の幕張メッセの最寄り駅に降りて改札を出ました。すると、すぐ後に、荻村さんが同じように改札を出てくるのでした。すぐに荻村さんだとわかりました。

 一瞬、躊躇しましたが、この機会を逃す手はないと、荻村さんに近づくとあいさつし、自分が何者かを名乗って、「コリアチームの活躍をどのように見ておられますか?」といった内容の質問を投げかけたのです。すると荻村さんは「よく頑張っていると思います」という内容の言葉を返してくれました。詳しい話はせずに、当たり障りのない内容の極めて短いコメントだったと記憶しています。

 そして、「これ以上はもう質問しないでください」という雰囲気で、すたすたと歩いていかれました。強引に会場まで横について質問を投げかけていたらどうなっていたのか、いま振り返ると「記者としての根性がない」と後悔しないでもないですが、その時はできなかったというか、荻村さんの全身から出るオーラに負けてしまったのでした。

 しかし、あの「世界の荻村」さんと少しでも直接、話せたことは良かったしうれしかった。コリア卓球統一チームの話題が出るたびに、取材の日々を懐かしむと共に、記者として少しほろ苦い思い出として荻村さんのことを思い出します。

http://japantopleague.jp/archives/1510

■世界のオギムラ(堀荘一)

 この世で私が最も尊敬するスポーツマンは元国際卓球連盟(ITTF)会長の故荻村伊智朗さんである。何故尊敬しているかというと、選手時代の1950〜60年代は世界選手権で計12個の金メダルを獲得し、力道山やフジヤマのトビウオ古橋広之進とともに戦後日本復興のシンボルになったほか、卓球のみならず幅広くスポーツ全体を冷静に見て、世界平和に貢献した偉大なるスポーツ外交官と言えるからだ。

(中略)

 1971年世界卓球選手権名古屋大会。私は入社2年目で早くも出張取材を命ぜられた。そして世界的なビッグニュースと触れることができた。この年、「ピンポン外交」と呼ばれた世界の歴史を変える出来事が名古屋から発信された。

 この大会に、国内で嵐が吹き荒れた文化大革命の最中にあった中国が6年ぶりに世界の舞台へ復活出場を果たす。

 ここで荻村さんの登場である。前年の1970年に周恩来首相に招かれた彼は中国の復帰と米中の和解、つまりピンポン外交を提案した。そして名古屋大会終了後に米国チームが中国へ招待された。1949年以来険悪だった両国の緊張緩和が実現したという話である。周首相の心を動かし、中国代表選手団を参加させ、米中の国交を結ぶきっかけをつくり、さらに日中国交正常化にも繋げたすごい人物、これらすべてを演出したのが中国から唯一信頼を受けていた荻村さんというわけだ。

 彼はこれらの成功で、新しい卓球人生を切り開いていく。世界を巡る旅に出かけ、特に国際紛争にある国を訪れ、卓球を通じて和平を訴えた。ITTF理事になると、ますます国際社会に目を向け、紛争の絶えない中東諸国、日本と国交のない北朝鮮など、数10カ国を飛び回る。1950年の朝鮮戦争以来、敵対してきた南北朝鮮を何とか統一させようという気持ちも持っていた。

 ここに荻村さんとのエピソードを紹介しよう。1973年春、私は北京で開かれるアジア・アフリカラテンアメリカ友好招待卓球大会に時事通信社記者として初の海外出張することになった。卓球については全くの素人である私に荻村さんは丁寧に技術、国際情勢、勢力地図、大会の意義などについて語ってくれた。誰にでも熱心に接してくれる人柄の良さを痛感した。

 74年、横浜市でのアジア卓球選手権大会が始まる前の出来事。法務省に務める知人から国交を結んでいない北朝鮮が参加の意思があるようだとの情報をもらった。真夜中のことだったが、荻村さんに電話で「来日の可能性」「実力の程度」「韓国との対戦になった場合」など、矢継ぎ早に質問した。

「堀君、その若さでよく情報をキャッチしたね。だが、この問題は今紙面に出てしまうと参加が実現しなくなる恐れがある。君にはこれから情報を流すから、記事にするのは待ってくれ」

 その後、荻村さんから情報をもらったが、既に多くのマスコミ北朝鮮出場の事実を知ることになったため、特ダネは逃した。結局、大会途中から参加した北朝鮮だが、これを実現させたのは荻村さんだった。

 70年代から80年代にかけて、荻村氏さんは年間300日近くを海外で過ごす生活を続けていた。卓球の普及、発展、技術の向上のためにアフリカ、中南米諸国を歴訪。卓球後進国への指導とラケットやラバーなど用具のプレゼントが主な目的だった。

 真面目で几帳面な性格と目的遂行のためなら絶対にあきらめない情熱とタフネスぶりに私以外にも周囲は畏敬の念を抱いていた。語学力、特に英語はネイティブに近く、そんな彼が87年にITTF会長に就任したのも当然の成り行きだった。

 日本人として、外来スポーツ競技団体の長になったのは史上初めてのこと。日本古来の競技・柔道で日本人会長*25の例はあるが、荻村さんは信頼と人間性、そして行動力とリーダーシップで国際競技連盟(IF)のトップに君臨したわけだ。

 日本オリンピック委員会(JOC)の国際委員長としても世界を飛び回り、国際オリンピック委員会(IOC)のサマランチ会長とも懇意となり、ますますスポーツ外交に力を入れていく。98年の長野冬季オリンピックの招致実現にも尽力した。

 荻村さんが生涯をかけて実現したかったのが南北朝鮮の統合だった。スポーツの力、卓球の力でどうしても成し遂げたいと口癖のように言っていた。91年春、千葉・幕張での世界卓球選手権大会。ついに南北朝鮮の友好の橋渡しをやってのける。ITTF会長としてではなく、一人の平和の使者として「南北統一コリアチーム」結成を実現させてしまったのだ。

 実現までの努力がまたすごい。韓国に20回、北朝鮮に14回も足を運んだ。スポーツ関係者だけでなく、政府首脳とも話し合った。必死で説得の連続をした結果、南北双方がOKした。日本での宿舎、練習会場、合宿地の手配、準備に汗を流し、万全な受け入れ態勢を整え、南北朝鮮選手団を迎え入れた。

 このコリア統一チーム結成は、まさに荻村さんの本領発揮と言っていい。86年ソウルアジア大会、88年ソウルオリンピックも統一チームを模索していたが、実現しなかった。だからこそ、幕張での世界選手権に賭けたのだろう。大会本番では女子の統一チームが、絶対的な強さを誇った中国に対し、決勝戦で死闘の末破って優勝した。下馬評ではコリア不利と誰もが思っていたのに、それをひっくり返したのは団結の力しか考えられなかった。

 表彰式では朝鮮半島を薄いブルー一色に染め抜かれた統一旗が掲げられ、国歌の代わりに両方の代表的な民謡「アリラン」の曲が流れた。在日の人たちも分け隔てなく抱き合って喜んだ。選手たちも統一という文字に感激して泣いた。荻村さんの胸にも熱いものが去来しただろう。彼の外交努力が実を結んだ瞬間だった。

■城島充『ピンポンさん』(2011年、角川文庫)のアマゾンレビュー

■天才であり、奇人であり……秀逸な評伝!

投稿者:ICHIRO:2008年2月12日

 私が卓球をやっていたのは、今から45年ほど前になる。荻村伊智朗は当時の卓球少年にとって「神様」のようなもので、グリップを真似たり、フォームを真似たりしたことを覚えている。

 当時(1960年代)の日本の卓球は強かった。そこに中国の前陣速攻型卓球が日本を脅かす。

 そんな昔のことを懐かしく思うつもりで購入したのだが、懐かしむよりも何よりも、荻村伊智朗とその周りの人の人生に圧倒された一冊だった。

 何より、引退後には国際卓球連盟の会長まで務めた荻村伊智朗が、ここまで奇人だったとは思わなかった。まさに天才と奇人は紙一重。

 彼はその後、中国や朝鮮との「ピンポン外交」を進めたのだが、若い頃の「奇人ぶり」を諭したりたしなめたりする、卓球場の経営者「上原さん」の目を通して、この本は描かれる。この「おばちゃん」がいたから、荻村は奇人から天才になれたし、「ピンポン外交」もできた――

 そのことがよく伝わる好著である。

 中高年で荻村、長谷川*26……といった名前を少しでも覚えている「元卓球少年」には堪えられない一冊である。

 しかし卓球の経験がなくとも面白く読める、まさに入魂の「一代記」である。

■出色の評伝

投稿者:yoshi2:2008年11月16日

 評者は、彼を昭和39年に見ている。クロスのロングサーブからの第三球攻撃は、いまだに目に焼き付いている。

 そして、世界選手権、その後の電光石火のピンポン外交、南北統一朝鮮選手団の結成などを見て、只者ではないなと感じていたものだ。

 そうだったのか、だから出来たんだなと腑に落ちた。

 一気読みして、人に会う度に勧める本など、そうあるものではない。これがそういう本だ。

■日本スポーツ界の偉人、ここにあり!

投稿者:Getuplucy:2011年11月6日

 1950年代から60年代にかけて世界のトップ卓球プレイヤーとして君臨し、その後、国際卓球連盟会長を歴任、日中関係の架け橋ともなった荻村伊智朗氏の評伝です。

 孤高、ストイック、異端、努力の人…荻原氏を表現する言葉は様々あるかと思いますが、ひっくるめていうならば「卓球の鬼」であると思います。亡くなる前に若い卓球選手たちに対して「卓球選手に一番大切なことは何だと思う?」と問いかけ、「フットワーク」や「サービス」と答えた選手に荻村氏は首を振り「命、すなわち時間」と言います。

 この言葉に荻村氏の人生哲学が凝縮されているように思えます。

 「オギムラが生きていたらIOC会長になっていただろう」という声もあるように、リーダー不在の今の日本にあって、荻村氏の生き様はあるべきリーダー像ではないでしょうか。

■天才中の天才!

投稿者:occhi:2017年10月19日

 荻村は高校生の時にノートに「天才はごろごろしてるぞ。俺は天才中の天才になる。」と書いているが、まさに荻村は天才中の天才になったと思う。

 しかも、荻村は選手として金字塔を打ち立てただけでなく、指導者としても歴史的な偉業を成し遂げている。

 国際卓球連盟の会長として、世界中を飛び回り、卓球を通じての世界平和を実現させようと数々の業績を残している。

 作者はあとがきで「スポーツ界だけでなく、あらゆるジャンルを見渡しても、もうこんな日本人は出ないのではないか」と書いているが、確かにこんな人間は二度と現れないであろう。

 素晴らしい読書体験だった。

 荻村伊智朗の偉業を後世に伝える名著です。


グラビア『被災した限界集落:柿の里の“集団移転”』(野田雅也)

(内容紹介)

http://www.jcp.or.jp/web_book/cat458/cat/

 過疎・高齢化していた中山間地域(福岡県朝倉市杷木志波)は、被災*27後に集落存続の危機に直面している

だそうです。限界集落であることから復旧の見込みに乏しく、行政からも「集団移転の話」がある中、住民の総意は「集団移転」にまとまりつつあるようです。

 「柿の里」というのは「福岡県朝倉市杷木志波」は「志波柿」というブランド柿の産地だからです(なお共同通信配信の日経記事(https://www.nikkei.com/article/DGXMZO23783990S7A121C1ACX000/)によれば福岡県自体が「柿の生産量全国3位」)。ブランド柿の消滅*28は残念ですが仕方の無い話なのでしょうか。

 ただしどこに移転するか、移転費用を行政がどれだけ支援するか(逆に言えば個人負担はどの程度になるのか)という問題があるので、移転する場合もそう簡単には進まない話ですが。

 なお、この九州北部豪雨については高世仁が

■三連水車の里、朝倉市が豪雨被害

http://d.hatena.ne.jp/takase22/20170710

という記事を書いています。

参考

https://www.nishinippon.co.jp/nnp/f_toshiken/article/371433/

西日本新聞『九州豪雨4カ月 復興未来図、住民が汗 集団移転も視野に 朝倉市・杷木志波 [福岡県]』

 流木や岩、土砂を含む濁流で、朝倉市杷木志波地区は全壊27世帯、大規模半壊4世帯、半壊20世帯の甚大な被害を受けた。中でも4人が犠牲となった道目木集落は壊滅状態となり、隣の平榎集落でも家屋がいくつも流された。

 「安全が確保されれば帰りたい。しかし…」。

 住民は集団移転も視野に協議を進めている。

 「自宅があった場所は今も川の中ですよ」。

 10月13日夜、志波小体育館で市が開いた最初の「地区別復旧・復興推進協議会」。住まいや生活の糧だった農地を失った住民が悲痛な声を上げた。

 道目木集落の上流には、災害から4カ月がたっても、手付かずの流木や大きな岩が残る。災害直後の意向調査では9割が集団移転を望んだ。住民代表の坂本茂代さん(60)は「ばあちゃんに、これだけは聞いてきてくれと頼まれた。生きている間に住めるようになるのか。集団移転はできるのか」。

 河川改修、道路復旧、砂防ダム建設、のり面補強、宅地造成…。集落の復旧には費用がかさみ、何年かかるのか分からない。平榎集落の日野博さん(53)は「集団移転の用地を確保し、元の土地建物の移転補償を充実させてはどうか。費用も時間も節約でき、住民の安全も確保できる」と提案した。

 国の防災集団移転事業は原則「10戸以上」が対象で、実現には地域のまとまりが重要。市側は「集団移転という言葉が出た。進めるならば事業計画が必要。地域の意見を聞き、私たちも勉強し、煮詰めていく」。住民から行政へ、議論のボールは投げられた。

*1:まあ例は彼でなくてもいいですが

*2:いずれにせよ新潟において「田中角栄の遺産(日本最強と言われた田中後援会・越山会)」はもはや影も形も無いわけです。

*3:著書『法の政治学』(2002年、青土社)、『シティズンシップの政治学(増補版)』(2008年、白澤社)、『フェミニズムの政治学』(2012年、みすず書房)、『戦争に抗する:ケアの倫理と平和の構想』(2015年、岩波書店)など

*4:まあ、前原の解党を阻止できなかったという意味で立憲民主党(元民進党連中)をそれほど岡野氏は評価してないのでしょう。共産支持者の俺もそうですけど。

*5:まあクオータ制(あるいは女性の政治進出応援やより広く、女性の社会進出応援)に話を限る必要は無いのですが1)クオータ制に岡野氏が興味がある、2)「共産党は共産主義だけやってるわけでは無いということをもっとアピールすべきだ」つうことを言う場合に何の具体的事例も無いと説得力が無いのでクオータ制あげてみました、ということでしょう。

*6:著書『あなたを狙う「残業代ゼロ」制度』(2016年、新日本出版社

*7:著書『保育園と幼稚園がいっしょになるとき:幼保一元化と総合施設構想を考える』(2006年、岩波ブックレット)、『保育園「改革」のゆくえ:「新たな保育の仕組み」を考える』(2010年、岩波ブックレット)、『保育とは何か』(2014年、岩波新書)など

*8:著書『保育は人 保育は文化:ある保育園民営化を受託した保育園の話』(2010年、ひとなる書房)など

*9:著書『ハンセン病検証会議の記録』(2006年、明石書店)、『冤罪・福岡事件:届かなかった死刑囚の無実の叫び』(編著、2012年、現代人文社)、『自白調書の信用性』(2014年、法律文化社)、『治安維持法の教訓』(2016年、みすず書房)、『治安維持法と共謀罪』(2017年、岩波新書)など

*10:著書『ハンセン病絶対隔離政策と日本社会』(編著、2014年、六花出版)

*11:著書『転落自白:「日本型えん罪」は、なぜうまれるのか』(編著、2012年、日本評論社

*12:著書『生きたかった:相模原障害者殺傷事件が問いかけるもの』(2016年、大月書店)、『なぜ母親は娘を手にかけたのか:居住貧困と銚子市母子心中事件』(編著、2016年、旬報社)など

*13:著書『自動車絶望工場』、『日本の兵器工場』(1983年、講談社文庫)、『ドキュメント失業』(1985年、ちくま文庫)、『ドキュメント 去るも地獄残るも地獄:三池炭鉱労働者の二十年』(1986年、ちくま文庫)、『アジア絶望工場』(1987年、講談社文庫)、『ロボット絶望工場』(1988年、講談社文庫)、『国鉄処分:JRの内幕』(1989年、講談社文庫)、『ドキュメント 労働者!:1967〜1984』(1989年、ちくま文庫)、『国鉄改革と人権:JRは安全か』(1990年、岩波ブックレット)、『ドキュメント 隠された公害:イタイイタイ病を追って』(1991年、ちくま文庫)、『「東大経済卒」の十八年』(1991年、講談社文庫)、『反骨:鈴木東民の生涯』(1992年、講談社文庫)、『ドキュメント 造船不況』(1993年、岩波同時代ライブラリー)、『日本の原発地帯』(1996年、岩波同時代ライブラリー)、『ドキュメント 屠場』(1998年、岩波新書)、『大杉榮語録』(2001年、岩波現代文庫)、『原発列島を行く』(2001年、集英社新書)、『反骨のジャーナリスト』(2002年、岩波新書)、『椎の若葉に光あれ:葛西善蔵の生涯』(2006年、岩波現代文庫)、『教育工場の子どもたち』、『いじめ自殺:12人の親の証言』、『死刑台からの生還』(2007年、岩波現代文庫)、『狭山事件の真実』(2010年、岩波現代文庫)、『六ヶ所村の記録:核燃料サイクル基地の素顔(上)(下)』(2011年、岩波現代文庫)、『残夢:大逆事件を生き抜いた坂本清馬の生涯』(2015年、講談社文庫)など

*14昭和20年岩波書店に入社。「文学」「世界」などの編集長を務め、編集部長となるが47年退社。早大講師を経て49年から国際交流基金派遣の客員教授として、米国プリンストン大、タイ・チュラロンコン大、仏パリ第3大、ブラジルサンパウロ大で日本文学の講義をし、日本文化の海外普及に尽力した(コトバンク『玉井乾介』参照)。

*15:ボーガス注:原文は実名だが、伏せ字にしました

*16:役職は当時。現在は愛知学院大学経済学部准教授

*17:2014年のこと

*18:著書『放射能汚染からTPPまで:食の安全はこう守る』(2011年、新日本出版社)、『TPPは国を滅ぼす』(2011年、宝島社新書)、『TPP参加「日本崩壊」のシナリオ』(2013年、宝島SUGOI文庫)など

*19:著書『食の戦争:米国の罠に落ちる日本』(2013年、文春新書)、『TPPで暮らしはどうなる?』(共著、2013年、岩波ブックレット)など

*20:著書『ウィと言えない「ゴーン改革」』(2005年、本の泉社)、『企業年金減額に立ち向かう法:訴訟現場からのレポート』(2007年、本の泉社)、『日産の人減らしにブレーキを!:外資系企業となって13年』(編著、2012年、本の泉社)

*21:共産党宮崎市議

*22:さすがに「売り手が故人」という文書偽造ケースではこう言わざるを得ないでしょう。

*23:「共産党の伊豆市議の質問に対して」でしょうか?。そのあたりは伊豆論文を読んでも解りません

*24:著書『日本の森はなぜ危機なのか:環境と経済の新林業レポート』(2002年、平凡社新書)、『森林からのニッポン再生』(2007年、平凡社新書)、『森林異変:日本の林業に未来はあるか』(2011年、平凡社新書)など

*25ウィキペ国際柔道連盟」によれば国際柔道連盟会長に嘉納履正(1952年〜1965年:講道館創始者・嘉納治五郎の次男。第三代講道館館長(1946〜1980年))、松前重義(1979〜1987年:東海大学創始者)が就任している。

*26長谷川信彦のこと。ウィキペディア曰く『1967年の世界卓球選手権ストックホルム大会では男子シングルスおよび山中教子と組んだ混合ダブルスを制し、また男子団体でも優勝に輝いた。1969年ミュンヘン大会では日本の男子団体2連覇に貢献し、また今野安子と組んだ混合ダブルスでも連覇。世界選手権では合計5つの金メダルに輝いた(ただし1967年ストックホルム大会、1969年ミュンヘン大会には、当時世界最強と目されていた中国は文化大革命の影響で出場していない)。』

*27:「平成29年7月九州北部豪雨」のこと

*28:「可能ならば柿の移転をしたい(そうなると移転地は近隣ということになるでしょう)」つう話が出てるそうですし、そうなればブランド柿は掃滅しません。しかし、現実問題、それは相当難しいでしょうね。

Bill_McCrearyBill_McCreary 2017/12/18 18:37 すみません、しばらくPCのWiFiの調子が悪かったのでコメントできませんでしたがまたコメントします。

>誤解を与えたのであれば、大変遺憾に思う

また誤解ですか(笑)。ほんと稲田といい、こいつら都合が悪くなると「誤解」ばっかですね。ほかにも「誤訳」とか「報道が誤っている」とか、都合の悪いことは全部他人のせいだから、本当に始末に負えません。

bogus-simotukarebogus-simotukare 2017/12/18 19:17 id:Bill_McCrearyさん
 とはいえ「遺憾に思う」といってるだけいくらかましでしょう。安倍なんぞ加計森友疑惑で完全に居直ってますからね。

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