bogus-simotukareの日記

2018-05-05

【映画深層】“世界のミフネ”を忘れるな 米国発のドキュメンタリー映画が日本上陸

| 18:28 |

 日本が世界に誇る柔道家の三船久蔵(1883〜1965年)がこの世を去って、50年が過ぎた。日本では徐々に忘れられつつある中、“世界のミフネ”の魅力に迫ったドキュメンタリー映画アメリカからやってくる。手がけたのは日系3世のドキュメンタリー作家で、アカデミー賞を受賞したこともあるスティーヴン・オカザキ*1監督(66)。来日したオカザキ監督は「彼は日本を代表する柔道家だったということを改めて認識した」と語る。

元ネタ

■【映画深層】“世界のミフネ”を忘れるな 米国発のドキュメンタリー映画が日本上陸

https://www.sankei.com/premium/news/180505/prm1805050005-n1.html

参考

三船敏郎(1920〜1997年:ウィキペディア参照)

 俳優。1947年(昭和22年)に東宝ニューフェイス第1期生として入社し『銀嶺の果て』で映画デビューした。1948年の『酔いどれ天使』から黒澤明とコンビを組んで、『静かなる決闘』、『野良犬』(1949年)、『醜聞(スキャンダル)』、『羅生門』(1950年)、『白痴*2』(1951年)、『七人の侍』(1954年)、『生きものの記録』(1955年)、『蜘蛛巣城*3』、『どん底*4』(1957年)、『隠し砦の三悪人』(1958年)、『悪い奴ほどよく眠る』(1960年)、『用心棒』(1961年)、『椿三十郎*5』(1962年)、『天国と地獄』(1963年)、『赤ひげ*6』(1965年)と計15本の黒澤映画に主演したほか、溝口健二監督『西鶴一代女』(1952年)、稲垣浩監督『宮本武蔵』(1954年)、『無法松の一生*7』(1958年)、小林正樹監督『上意討ち 拝領妻始末*8』(1967年)、岡本喜八監督『日本のいちばん長い日*9』(1967年、阿南惟幾*10陸軍大臣役)、熊井啓監督『黒部の太陽』(1968年)、『千利休 本覺坊遺文*11』(1989年、千利休役)、山田洋次監督『男はつらいよ 知床慕情』(1987年)など黒澤以外の監督作品や、メキシコ映画『価値ある男』(1961年)、米映画『グラン・プリ』(1966年)、『太平洋の地獄』(1968年)、『ミッドウェイ』 (1976年、山本五十六*12役)、仏映画『レッド・サン』(1971年)、米ドラマ『将軍 SHOGUN』(1980年)といった海外映画にも多く出演した。

 1995年(平成7年)に公開された熊井啓監督『深い河』(遠藤周作原作)の塚田役が最後の映画となった。

■三船久蔵(1883〜1965年:ウィキペディア参照)

 柔道家。身長159cm、体重55kg。小柄な体型ながら「球車」、「大車」、「踵(きびす)返し」、「三角固め」、「隅落(別名空気投げ)」等多数の新技を発明し、1945年(昭和20年)最高位の十段を授けられ「名人」の称を受ける。「理論の嘉納、実践の三船」といわれ、柔道創始者である嘉納治五郎の理論を実践することに力をいれたことから「柔道の神様」とあがめられた。現在、出身地の岩手県久慈市に三船十段記念館が建っている。

・1954年(昭和29年)、久慈市名誉市民。1956年(昭和31年)、紫綬褒章。1961年(昭和36年)に文化功労者に選出される。1964年(昭和39年)には勲三等旭日中綬章を受章。1965年(昭和40年)1月27日、喉頭腫瘍と肺炎のため81歳で永眠。同日、勲二等瑞宝章を授与され、正四位に叙される。

・柔道審判員としても活動し、1956年に東京で開催された世界柔道選手権大会で審判を務めている。1964年の東京オリンピックでは柔道競技運営委員を務め、国際的競技としての「柔道の完成」を見守った。

https://blogs.yahoo.co.jp/musyaavesta/68339315.html

■『「柔道の神様」と呼ばれた男 空気投を生んだ三船久蔵十段』を読書中。

 『大山倍達*13正伝(小島一志*14&塚本佳子著/新潮社刊*15)』と、『木村政彦はなぜ力道山*16を殺さなかったのか(増田俊也*17著/新潮社刊*18)』を読み終えたので、何冊かの他ジャンルの本をはさんだ後、『「柔道の神様」と呼ばれた男 空気投を生んだ三船久蔵十段(嶋津義忠著/PHP研究所刊*19)』を読んでいるところ。

 『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』によると、木村政彦*20の師匠にあたる牛島辰熊と三船久蔵とは、犬猿の仲だったようだ。東日本に比べて、講道館の西日本での普及は遅く、九州地方等ではまだまだ古流柔術が幅を利かせていた時代があった。牛島辰熊は、もともと扱心流柔術*21の修行者であったし、木村政彦が最初に入門したのは、竹内三統流柔術*22である。講道館のルールで戦ううちに、古流柔術も講道館柔道に取り込まれていくが、主に古流柔出身者によって、「武徳会*23」と呼ばれる組織が結成され、その組織内で講道館*24とは別の柔道の段位を発行していく。

 三船久蔵は、最初に学んだのが講道館の柔道であり、講道館の純粋培養である。それに対して、牛島辰熊や木村政彦は武徳会系であり、武徳会から段位をもらっている。三船久蔵が、東北地方出身*25であるのに対し、牛島辰熊と木村政彦が、九州出身*26である。

 そして、読み進めると、三船久蔵の技に対するビジョンと、牛島辰熊の一番弟子である木村政彦の技に対するビジョンが、あまりに対照的で面白過ぎる。両者とも、本人の直筆原稿ではなく、作家と言うフィルターを通しているが、それでもその対比は注目すべきである。

 まずは、『「柔道の神様」と呼ばれた男』の99ページから。

 相手を倒す柔道だから、久蔵は立技の方が性に合っていた。が、得意技は持たない。勝敗は相手の虚(弱点)を衝き、迅速に動いて敵を倒すことで決まる。得意技があったとしても、相手はその技に入るかたちになってくれるとは限らない。そのかたちを作ろうと努めれば、そこに虚が生じて、相手につけ込まれる。体の動きは千変万化ゆえ、お互いに多様な虚を作り出す。その虚に適応した技を繰り出した方が、勝を得ることになる。久蔵はそう考えるから、得意技を作ろうとしなかった。多くの技を研究し、生涯に一度しか遣うことがなくても、それでよい、と思っている。

 続いて『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』の93ページ〜94ページから。

「引くとみせて押す、右技をかけるふりをして左技をかける。そうやって相手をだまし技をかけていてはだめである。たしかにだまし技は成功することもある。だが、本当に強い相手、日本一を狙ってしのぎを削るトップクラスの選手たちには通用しない」

 これは初めての師木村又蔵の柔道を否定した論理と同じである。たしかに柔道の崩しのひとつのパターンは、木村の言うだまし技で成り立っている。

(中略)

 しかし、このように相手が押し返してくるところを狙ったりすると、相手がこちらの思うとおりに反応してくれないと投げることはできない。また、一度はかかっても、手の内がわかると二度とかからない。つまり、絶対に投げることができるわけではなく、相手が反応しないグレーゾーンがあるのである。投げることができるかどうかは運でしかないのだ。こういう柔道を木村は”だます柔道”と呼ぶ。そして、この”だます柔道”を排除することによってしか本物の強さは身につけられないと木村は考えた。どんな体勢だろうと、こちらが投げたいときに投げることができなければ、それは本当の技とは言えない。機敏に動き、相手の機先を制すことも否定した。相手の技を真正面から受け、それを跳ね返す力を求めた。つまり、変化球のような兵法を使わず、技そのものを磨き上げて、直球勝負で勝ちたかったのだ。

 同書の144ページから。

 必殺の大外刈りは、相手がどう動くか、相手が何の技を掛けるか、そういうことは一切関係なく、木村が投げたいときにかければそれでよかった。木村の言うところの「だます柔道」を徹底的に排すところから生まれた「王者の柔道」は完全に完成していた。

 『必殺技』と言う観点で見ると、木村政彦の技に軍配が上がるだろう。しかし、常人がこの境地に至れるかと言うと、かなり疑問である。人の領域を超えるようなフィジカル要素と、死をも覚悟したメンタル要素が不可欠となろう。

 『護身』と言う観点で見ると、三船久蔵の技が長けている。それに、加齢とともに人の筋力は落ち、神経の反応速度は鈍る。また、講道館柔道の理念に近いのは、三船の技の考え方であることは、間違いない。

https://blogs.yahoo.co.jp/musyaavesta/68362672.html

■三船久蔵の肉体(若かりし頃)

 今回は、自分自身で調査・研究した訳ではなく、無許可で画像を転載するのがはばかられるので、下記リンク先を見ていただきたい。画像はクリックすることで拡大表示される。

http://blog.livedoor.jp/akoudou2008/archives/989627.html

 木村政彦の化物じみた肉体については、ハードカバー版『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(増田俊也著/新潮社刊)の148ページに写真がある。

 また、武田惣角*27が身長も低く体も細かったのに対し、植芝盛平*28は身長は低かったものの、体重は80キロ前後もあり、分厚い上半身をしていたことも有名である。

 三船久蔵や塩田剛三*29については、ひょろりとした初老の紳士のイメージが強い。数回前に、三船久蔵と木村政彦の技へのビジョンの違いについて書いた。また、両者の体重差は30キロほどもあり、講道館柔道の理念に近いのが三船の技、柔道よりむしろ剛道の側面も併せ持つのではないか?と思わせるのが木村の技である。どうしても、柔の三船、剛の木村と言う対比に持って行きがちであるが、何と若かりし頃の三船久蔵の肉体の写真が現存するのである!

 日本で、ウェイト・トレーニングが普及するのは、「怪力法」を若木竹丸*30が出版してからであり、木村政彦大山倍達もみんな若木竹丸から学んだ。逆に言えば、三船久蔵の時代は、西洋的なウェイト・トレーニングや栄養学の知識はなかったはずである。三船久蔵は明治16年生まれ、若木竹丸は明治44年生まれ、木村政彦は大正6年生まれ、大山倍達は大正12年生まれ(異説あり)である。

 自分で調査した訳ではないのだが、サイト上でその白黒写真に写った肉体を見て驚愕した。旧制中学時代の画像(しかも当身の研究をしている証拠写真でもある!)と、24歳頃とされる写真が掲載されている。ろくに、ウェイト・トレーニングや栄養学の知識のない時代に、山本KID徳郁*31(公称163センチ、61キロ)や、ブルース・リー*32(身長約170センチ、体重61キロ前後)にも勝るとも劣らぬ肉体である。上半身だけでなく、太ももも尋常ではない。

 一般に「空気投げ」は技術研究の賜物とされるが、若い頃にここまで筋骨を鍛え上げたうえ、たゆまぬ技術研究を重ねて、初めて再現可能な技なのかも、とさえ思った。ちょっと、ショックである。

https://blogs.yahoo.co.jp/musyaavesta/68397160.html

■『琥珀の技 三船十段物語』と『「柔道の神様」と呼ばれた男 空気投を生んだ三船久蔵十段』を、読み終える。

 1985年10月に文芸春秋から(ボーガス注:三好京三)『琥珀の技 三船十段物語』の単行本が発売された訳だが、そののちに(ボーガス注:1990年に)出版された(ボーガス注:文春)文庫版(古書)を、このたび読み終えた。

 結論から言うと、(ボーガス注:三好京三『琥珀の技 三船十段物語』と嶋津義忠『「柔道の神様」と呼ばれた男 空気投を生んだ三船久蔵十段』の)両書を続けて読んだことは大正解だった。

 まず、指摘しておかねばならないのは、両者とも著者(ボーガス注:三好京三*33と嶋津義忠*34)が「小説」だと宣言している点である。「ノン・フィクション」だとも「ルポタージュ」だとも、主張していない。逆に言えば、脚色や著者独自の解釈が入りこんでいてもおかしくない訳で、「史実」だと鵜呑みにしてはいけないと言うことだ。

 次に指摘すべきは、両書とも小説を完成するにあたっての参考文献として、『柔道一路(三船久蔵著/産業経済新聞社*35)』『柔道回顧録(三船久蔵著/黎明書房刊)*36』を挙げていることである。つまり、そのソースは似通っていると言えよう。

 さらには、『琥珀の技 三船十段物語』内の岩淵信八段へのインタビューで、「ああ、あれはずいぶんと嘘つきだ。柔道回顧録なんか、みんな嘘だな。」との記載がある。誰でも、自己を大きく見せたいものだし、自分の都合の悪いことには蓋をしたい。しかも、大山倍達の一連の著作*37や、木村政彦の『鬼の柔道』*38『我が柔道』*39のように、もしもゴーストライター*40が文章を書いていれば、さらに歪みや勘違いが生じる。

 それらのことを前提にした上で両書を比較すると、出来事(エピソード)についてはほとんど同じ内容が時系列に沿って登場するのに、味付け、素材の料理の仕方が全く違うことに気づく。その違いを簡潔にしめすと、『「柔道の神様」と呼ばれた男』には美談が多く、『琥珀の技』の方は、もし三船十段をリスペクトしている者が読むと幻滅するかもしれない内容だと言うことだ。

 どちらも「ノン・フィクション」ではなく、はっきりと「小説」だと宣言しているのだから、どちらかが史実に反していると憤るのは誤りだ。しかし、『琥珀の技』を読むと、(ボーガス注:その内容を概ね事実と信用すればだが)ある分野で日本一となるものは、一般的な「情熱」や「野心」などを超えた、異常なまでの「激情」「狂気」や悲しいまでの「負けん気」を心の内に秘めていると言うことになる。

 以前、武田惣角大山倍達を比較した場合の共通点として、

1.少年の頃は、父親を困らすほどのヤンチャ者だった。

2.長兄ではない。

3.高貴な家庭の生まれでもなかったが、極貧の家庭の生まれでもなかった。

等を挙げたことがあるが、実は三船久蔵についても、この三点は当てはまる。そして両書とも、惣角や倍達に勝るとも劣らない少年時の腕白ぶりを描写している。『「柔道の神様」と呼ばれた男』では、「我儘」「腕白」等の形容がされているが、『琥珀の技』の方ともなると「腕白」では足らず、「狂暴」「兇暴」とまで表現される。『琥珀の技』が書かれたのは、1985年3月の(ボーガス注:月刊?)文藝春秋らしい。(ボーガス注:TBSドラマ)『3年B組金八先生*41』や『スクールウォーズ*42』の時代であり、非行や校内暴力が取り沙汰された時代であるから、『ギザギザハートの子守唄*43』的な「ナイフみたいにトガっては、触るモノみな傷つけた」少年三船久蔵像が示されてもおかしくはない。

 両書に登場するエピソードで、最も趣を異にするのは、久蔵に意地悪くあたる小学校の小使い(今で言う用務員、『「柔道の神様」と呼ばれた男』では権作と言う名が与えられている。)と、その小使いの可愛がる猫クロへの悪戯(復讐)である。もし、『琥珀の技』の方のエピソードが真実ならば、現代的な感覚で見ると相当の問題児で、それ相応の教育施設に相談に行かねばならぬレベルである。はっきり言って、自分はこの部分を読んでゲンナリしてしまった。

(中略)

 二つ目に趣を異にするのは、久蔵を頼って上京する同郷の後輩の話である。『琥珀の技』では野里栄七郎、『「柔道の神様」と呼ばれた男』では民雄と言う名で登場する。この辺り、読み比べてみると面白い。

 どちらの書が史実に近いのかは、原典にあたる、『柔道一路』と『柔道回顧録』を入手して読み通し、三船十段記念館への取材を敢行すれば、ある程度判明するかもしれない。しかし前述の通り、『柔道一路』と『柔道回顧録』にさえ、自己顕示や脚色があるとするならば、アマチュア武術研究家程度では、なかなか真実には至りにくいのかもしれない。

 史実かどうかはともかく、『「柔道の神様」と呼ばれた男』ではあまり描写されなかった牛島辰熊が、『琥珀の技』では登場する。若かりし頃に三船を送り足払いで吹っ飛ばすエピソードが登場する。(ボーガス注:その内容を概ね事実と信用すればだが)のちに犬猿の仲になった一因かもしれない。

 さらに『琥珀の技』では、新撰組の生き残り奥田松五郎*44に当身ありの柔術でボコボコにされたり、グレイシー柔術の源流となる前田光世*45が三船と会話を交わしたり、あの以前に記事として書いた「三船久蔵が締め落とされたエピソード」の締め落とした本人が実名で登場したり、みどころは多い。

http://blogs.yahoo.co.jp/musyaavesta/60912145.html

 また、自分は三船久蔵の空気投げ(隅落とし)とは別に、石黒敬七*46の空気投げ(浮落とし)があることを、夢枕獏*47の『蘊蓄好きのための格闘噺(毎日新聞社*48』で初めて知った訳だが、

http://blogs.yahoo.co.jp/musyaavesta/67416708.html

この事実は『琥珀の技』の中で、既に触れられている。

http://blogs.masoyama.net/?eid=581

■【古記事】 三船久蔵十段インタビュー(1964年)

 今回は講道館が生んだ天才、三船久蔵十段の記事を紹介したいと思います。

 出演者は以下の通り、三船久蔵十段、高田徳重五段、金子宏三段。 インタビュアーはお馴染み、森川哲郎*49先生です。

 剣聖という言葉がある。

 剣の世界で、文字通り最高峯に達し、強者の域を通りこし、達人よりさらに高い。

 剣を用うる聖人という意味である。

 現在、そう呼ぶ名にふさわしい人がいるであろうか?

 もし躊躇なく、そういう言葉を用いて惜しみない人がいるとすれば、柔道界の三船十段ぐらいであろうといわれている。

(中略)

 事実、三船十段は、創始者嘉納治五郎*50先生とともに、力をあわせ、苦心研鑽の末、現在の講道館柔道をつくり上げた名人である。

(中略)

 講道館の歴史が残る以上、永遠に忘れられない柔道界の巨星である。

(中略)

■森川

先生は、鬼横山、往年の講道館四天王、西郷四郎*51富田常次郎*52、山下義韻*53、横山作治*54といわれた、その鬼才鬼横山の愛弟子だとききましたが。

■三船

 よく、そういうことを聞かれますが、実際は、とくにそういうことではないのです。

 私は講道館の直弟子で嘉納門下です。

 ただ、横山さんには、とくに目をかけていただいた。

(中略)

 横山さんとの因縁は、こういうことです。

 中学を終えて、講道館の名声にあこがれていましたから、上京して、柔道家になろうと考えていました。

 そこで、実力随一と評判の高い鬼横山の噂を聞き、頼ろうと思ったのです。

 そこで上京して、真直ぐに、横山先生の道場を訪ねて行ったわけです。

(中略)

すると、横山先生が、恐い顔をしてでてきました。

『君は何だ。 何の用があってきた』

『講道館に入門して柔道家になりたいのです。 先生の御指導をうけたくてまいりました』

『柔道家になるということは、到底生やさしいことではない。 お前は、だれかの紹介状でももってきたのか』

『そんなものはありません』

『ばか者! 一人で訪ねてくる奴があるか? 帰れ!』

 私は、むっとしました。

『失敬します』 と思わず帰りかけて、引き返した。

『すると先生、だれかの紹介状があれば、必ず入門させていただけるのですね』

『そうだ』

『では、その紹介状をとってまいります』

 そういって外にとびだすと、歩きながら考えた。 紹介状をとるといっても全然心当たりがない。

 そしてすぐ引き返したのです。 また道場の玄関に、ずかずかと入って行った。(笑声)

『御免下さい』

  横山先生は、驚いた。

『なんだ。 また、きさまか何しにきた?』

『紹介状をもってまいりました』

『ばかに早いな! だれの紹介状だ?』

『これです』

 私は、手にもっていた一冊の雑誌を、鬼横山の鼻先に突きだした。

  "作興"とその表紙に書いてある。 これは当時、講道館で発行していた雑誌なのです。

『なんだ。 これは、講道館の雑誌ではないか?』

『そうです。 これは私たち地方の青年が、講道館柔道というものを教えられた雑誌です。 私は、これを見て、講道館に学びたくてまいりました。 だから、この雑誌が紹介者です』

『うーむ』

 それを聞いて、鬼横山は、眼を白黒させて唸った。

『こいつ。 面白い奴だ。 上れ!』(笑声)

 そこで、私は道場にあげられたのです。 こうして横山先生の紹介で講道館に弟子入りすることができたわけです。

(中略)

■森川

 私は、神永*55、重松という日本の代表選手にもあって話を聞きましたが、その神永選手は、思いがけなくも、膝の負傷もありましたが、ヘイシンクに敗れた。

 これは、大変残念なことなのですが、世間では、判定に問題があった。

 神永はまけていなかった。 膝の負傷がなければ、はるかに実力は上だと、いろいろの議論があるのですが。

 私たちも、そう思いたいのですが、この点はどうでしょう?

■三船

 いや、そんなことよりも、私としては、オランダのヘイシンク*56にまけたといって騒ぐことが、まったく考え方が狂っている。 おかしいと思うのです。

 ヘイシンクは、講道館の弟子ですよ。 外国で発生した柔道を習ったわけではないんだ。

 私も、ヘイシンクには、ずい分稽古をつけました。 つまり私たちの弟子の一人が優勝したわけで、それに日本人だの外国人だのと差別つけるのは、日本人の肝っ玉の小ささだ。 そんなことでは、柔道は世界の柔道になれない。 日本人も世界の日本人にはなれませんよ。

 ついに、日本柔道も、ここまできた。 世界の柔道になったと悦ぶのが本当で、そのような排他心は、戦争を起した軍閥の独善性を思いださせる。

(後略)

*1:1991年、日系二世の男性と結婚し、大戦中に夫と共に強制収容所に入った白人女性の生涯を追ったドキュメンタリー『収容所の長い日々/日系人と結婚した白人女性』でアカデミー短編ドキュメンタリー映画賞を受賞

*2ドストエフスキーの小説 『白痴』を翻案し、昭和20年代の札幌に舞台を置き換えた作品

*3シェイクスピアの戯曲『マクベス』を日本の戦国時代に舞台を置き換えた作品。

*4ゴーリキーの戯曲『どん底』を翻案し、舞台を日本の江戸時代に置き換えて貧しい長屋に住むさまざまな人間の人生模様を描いた時代劇

*5山本周五郎の小説『日日平安』の映画化

*6山本周五郎の小説『赤ひげ診療譚』(新潮文庫)の映画化

*7:岩下俊作の小説『富島松五郎伝』の映画化

*8滝口康彦の小説『拝領妻始末』の映画化

*9半藤一利日本のいちばん長い日』(文春文庫) の映画化

*10:陸軍省兵務局長、人事局長、陸軍次官などを経て鈴木内閣陸軍大臣。

*11:井上靖の小説『本覺坊遺文』(講談社文芸文庫)の映画化

*12:海軍航空本部長、海軍次官、連合艦隊司令長官など歴任

*13:1923〜1994年。極真空手創始者(極真会館館長)。

*14:『大山倍達の遺言』(共著、2012年、新潮社)、『芦原英幸正伝』(共著、2013年、新潮社)、『添野義二・極真鎮魂歌:大山倍達外伝』(2018年、新潮社)など極真空手関係の著書多数。【追記】コメ欄のご指摘によればライターの吉田豪にくだらない嫌がらせを行うなど、常軌を逸した人間のようです。

*15:2006年刊行

*16:1924〜1963年。プロレスラー日本プロレス興業社長。

*17:著書『七帝柔道記』(2017年、角川文庫)、『北海タイムス物語』(2017年、新潮社)など

*18:2011年、新潮社→後に2014年、新潮文庫

*19:2013年刊行、後に改題し『荒ぶる魂:空気投・三船久蔵十段』(2016年、PHP文芸文庫)

*20:1917〜1993年。柔道家。木村は師の牛島辰熊(1904〜1985年)と共に、本格的にウエイトトレーニングを行い抜群のパワーを誇った。そのトレーニング方法は、100kgのベンチプレスを1時間1セットで何度も繰り返す、仕上げに腕立て伏せを1000回行うなどといった非常に激しいものだったという。その鍛え抜いたパワーは、障子の桟の両端を持って潰すことができ、太い鉛の棒を簡単に曲げたという。また、夏の暑い日、師匠の牛島が木村に団扇で扇いでくれと言うと、木村はその場にあった畳を持ち上げ、それを扇のように仰いで牛島を驚かせたという。その人並み離れた逸話や「全日本選手権13年連続保持。引退前の15年間は不敗のまま引退」という成績から、木村はしばしば「史上最強の柔道家」「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と評価される。増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』によれば、拓殖大に留学経験があり、四十歳代の木村と乱取りもしているダグ・ロジャース東京五輪柔道重量級銀メダル)は、「今の柔道家では全盛期の木村先生には勝てません」「ヘーシンク(東京五輪柔道無差別級金メダル)とルスカ(ミュンヘン五輪柔道無差別級金メダル)ですか。彼らでも無理ですね」と語ったという。だが、戦後の食えない時代に、一時、プロレスラーに転向して力道山と不可解な謎の試合を行い、これに敗れた(なお、後に木村は柔道界に復帰し、母校拓殖大学の柔道部監督を長く務めた)ため、講道館をはじめ戦後の柔道界は木村の存在そのものをあまり語りたがらない傾向があったとされる(講道館は最後まで木村を七段から昇段させず、柔道殿堂(http://www.judo-ch.jp/organization/koudoukan/legend/)にも入れていない。)。しかし、2011年9月に出版された評伝『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(増田俊也著、新潮社刊)がベストセラーとなり、大宅壮一ノンフィクション賞新潮ドキュメント賞を受賞、木村の名前は一気に世間に知られるようになった。(ウィキペ木村政彦』参照)。

*21:福岡、熊本など九州で伝承されていた日本柔術の流派。なお、牛島は熊本出身。

*22:熊本藩で伝承されていた日本柔術の流派。なお、木村は熊本出身。

*23大日本武徳会のこと。1895年(明治28年)4月17日結成。剣道・柔道・弓道・銃剣道・射撃道の五技道を中心に、空手や薙刀、合気道、捕手術、居合・杖術・棒術・手裏剣・鎖鎌・槍術などの古武道を中心にした実践的な武道が奨励された。1909年(明治42年)に財団法人化。第二次世界大戦中の1942年(昭和17年)からは、会長に東條英機首相、副会長に小泉親彦厚生相、橋田邦彦文相、嶋田繁太郎海軍相、湯沢三千男内務相を、各都道府県支部長には各地の知事をあて、(当初は加入団体ではなかった)講道館なども含む武道関係組織を統制する政府の外郭団体となった。1946年(昭和21年)11月9日、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の指令により強制解散させられた。1954年(昭和29年)、京都と東京で大日本武徳会再建運動が起こり、財団法人大日本武徳会の設立認可を文部省に申請した。これに対し、(旧)大日本武徳会の事業を継承する全日本剣道連盟全日本柔道連盟、日本弓道連盟は「類似の団体を設立することは武道界を混乱に陥れる」として共同で反対した。文部省は1年近く慎重に審議した結果、民主的に組織されて健全に活動している連盟が既に設立されており、体育行政上適当でないとの理由から、設立認可申請を却下した。そのため(新)大日本武徳会は任意団体として発足したが、2012年(平成24年)12月3日をもって一般社団法人に移行した。なお、全日本剣道連盟は他の連盟との段位の二重登録を禁じたため、(新)大日本武徳会の勢力は戦前程ではない。

*24:1882年(明治15年)5月に嘉納治五郎によって創設され、1909年(明治42年)に財団法人となっている。

*25:岩手県久慈市出身

*26:熊本出身

*27:1859〜1943年。大東流合気柔術の創始者

*28:1883〜1969年。大東流合気柔術の創始者・武田惣角に入門。その後、独立し合気道を創始。

*29:1915〜1994年。合気道の創始者・植芝盛平に入門。その後、独立し、養神館合気道を創始。

*30:1911〜2000年。ボディビルダー。若木と木村の交友については『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(増田俊也著/新潮社刊)に言及がある。

*31:1977年〜。総合格闘家

*32:1940〜1973年。カンフー映画俳優。代表作『ドラゴン危機一発』(1971年)、『ドラゴン怒りの鉄拳』(1972年)、『燃えよドラゴン』(1973年)。截拳道(ジークンドー)の創始者としても知られる。

*33:1931〜2007年。作家。1975年(昭和50年)出版の『子育てごっこ』(文藝春秋→後に1979年、文春文庫)で文學界新人賞及び直木賞を受賞。著書『女人平泉:藤原四代の妻たち』(1993年、PHP文庫)、『源義経』(1995年、PHP文庫)、『なにがなんでも作家になりたい!:三好京三の文学的自叙伝』(2003年、洋々社)など

*34:1936年〜。作家。著書『上杉鷹山』(2002年、PHP文庫)、『明智光秀』(2005年、PHP文庫)、『竹中半兵衛黒田官兵衛』(2006年、PHP文庫)、『柳生三代記』(2008年、PHP文庫)、『楠木正成足利尊氏』(2009年、PHP文庫)、『平家武人伝』(2012年、PHP文芸文庫)など

*35:1955年刊行

*36:1953年刊行

*37:大山『大山倍達、世界制覇の道』(角川文庫)、『強くなれ!わが肉体改造論』(幻冬舎文庫)、『地上最強への道:大山カラテもし戦わば』(ちくま文庫)、『世界ケンカ旅』(徳間文庫)など

*38:1969年、講談社

*39:1985年、ベースボール・マガジン社

*40:『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(増田俊也)のインタビューで、大山『ケンカ空手 世界に勝つ』(1972年、スポニチ出版)に関してはマンガ原作者・真樹日佐夫(『巨人の星』『あしたのジョー』『タイガーマスク』『空手バカ一代』などで知られるマンガ原作者・梶原一騎の弟)が「俺がゴーストライターをやった。」と証言している(ウィキペディア大山倍達」参照)。

*41:第1シリーズが1979年10月〜1980年3月、第2シリーズが1980年10月〜1981年3月

*42:1984年10月〜1985年3月

*43:1984年発表、チェッカーズ

*44:1854〜1931年。起倒流柔術、天神真楊流柔術をもとに奥田流柔術を創始。

*45:1878〜1941年。グレイシー柔術ブラジリアン柔術)の創始者カーロス・グレイシー(1902〜1994年)に柔術を伝えた人物として知られる。

*46:1897〜1974年。柔道家。1924年(大正13年)柔道普及のため海外周遊に出発、フランス、英国、トルコ、エジプトなどの陸軍・警察で柔道を教えた。1949年(昭和24年)、NHKラジオ第1放送の「とんち教室」に出演、ユーモアあふれる解答で一躍日本中にその名を知られ、“石黒旦那”と呼ばれるようになる。1950年代に入ると同年代の柔道家が講道館9段に昇段する中、石黒は8段のまま据え置かれた。これは講道館の斡旋や推薦ではなく、石黒のように自らの意志で日本を飛び出し海外で柔道指導を行った者に対し、当時の講道館が冷飯を食わせる措置を取ったためと解されている。普段温厚な石黒もこの段位問題では講道館に反感を示したようで、1960年代に講道館の審議員に着任するもほぼ有名無実と化して次第に講道館とは距離を置くようになっていった。これに同情した当時の大日本武徳会・大野熊雄理事長から武徳会10段位を授与された程であった。文化人として、日本パイプクラブ、日本空飛ぶ円盤研究会、日本宇宙旅行協会、ゆうもあクラブなど多くの団体に参加。時計、遠眼鏡、地図、パイプなど様々なものを蒐集、中でも写真機及び写真のコレクター・研究家としても知られる。そのため、『写真の父ダゲール:東西写真発明奇譚』(1937年、河出書房)、『話し方:これだけは身につけよう』(1959年、集英社)、『写された幕末1〜3』(1959年、アソカ書房→1990年、明石書店から復刻)、『ビール物語』(1961年、井上書房)、『ゴルフの習い方』(1963年、新星出版社)など柔道以外の著書も多い(ウィキペ石黒敬七』参照)。

*47:著書『エヴェレスト 神々の山嶺(いただき)』(角川文庫)、『大江戸釣客伝』(講談社文庫)、『仰天・平成元年の空手チョップ』、『慶応四年のハラキリ』(集英社文庫)、『本朝無双格闘家列伝』(新潮文庫)、『闇狩り師:ミスター仙人・九十九乱蔵』(徳間文庫)、『夢枕獏の奇想家列伝』(文春新書)、『陰陽師』、『空手道ビジネスマンクラス練馬支部』、『空海曼陀羅』(文春文庫)など

*48:2007年刊行

*49:1923〜1982年。作家、市民運動活動家。1962年7月、「平沢貞通氏を救う会」を結成し、帝銀事件の再審請求の中心となって活躍した。長男の森川武彦は後に平沢貞通の養子となり平沢姓に改姓。次女・森川千恵子は仮面ライダーの緑川ルリ子役で知られる元女優。著書『幕末暗殺史』(2002年、ちくま文庫)、『身の毛もよだつ日本残酷死刑史』(2006年、日本文芸社)、『疑獄と謀殺』(2008年、祥伝社文庫)、『秘録 帝銀事件』(2009年、祥伝社文庫)など

*50:1860〜1938年。講道館柔道の創始者。1909年(明治42年)にはIOC(国際オリンピック委員会)委員に就任。1911年(明治44年)には大日本体育協会(現・日本スポーツ協会)を設立してその会長となる。

*51:1866〜1922年。富田常雄の小説『姿三四郎』のモデルとされる人物。

*52:1865〜1937年。1904年11月、米国セオドア・ルーズベルト大統領の招聘で柔道使節として渡米し、翌05年1月より同国での柔道普及活動に努めた。なお、小説『姿三四郎』の作者として有名な富田常雄は次男。

*53:1865〜1935年。講道館四天王の一人で、史上初めて十段位を授与された。1902年(明治35年)、アメリカシアトルに渡米、演武や講話を通じて柔道の普及に尽力。セオドア・ルーズベルト大統領に認められ2年契約で合衆国海軍兵学校の教官となる。

*54:1864〜1912年

*55:1936〜1993年。東京五輪柔道無差別級銀メダル

*56:1934〜2010年。東京五輪柔道無差別級金メダル

リベラルリベラル 2018/05/05 22:42 産経新聞は日本の危機と言うなら社員全員を「予備自衛官」にするべきだし、日本の教育が悪いと思うなら社員及びその子弟を「戸塚ヨットスクール」に入校させ、スパルタ教育するべきでしょう。

Bill_McCrearyBill_McCreary 2018/05/05 23:23 >読売新聞『「あの小泉氏も首相見限ったか」自民若手も憶測』

>むしろこうした記事を書く「あの読売新聞も首相見限ったか」でしょう。

まあそういうことでしょうね。去年は、前川氏へのデマ記事を書いたくらいなのにね。もっとも小泉氏が安倍を見限る発言をしたのはもうちょっと前ですが、読売としては今が記事を出すタイミングなんですかね。

>自民党機関紙でもないのに「安倍総理が野党などの集会で独裁者、極右歴史修正主義者、腐敗政治家、嘘つきなどと罵倒されると腹が立つ」と堂々と公言できる神経には呆れますね。

この間記事にした、郵政民営化の際の与太同様、まったく機関紙でしかないですね。

あ、それからこれはどうでもいい話ですが、

>小島一志

>『大山倍達の遺言』(共著、2012年、新潮社)、『芦原英幸正伝』(共著、2013年、新潮社)、『添野義二・極真鎮魂歌:大山倍達外伝』(2018年、新潮社)など極真空手関係の著書多数

というのはかなりの問題人物ですね。こちらは非常に面白い記事です。それにしてもこんな人物に2018年にもなって本を出版させる新潮社という出版社も相当非常識なところですね。なにしろ極右で日本核武装論者です。

http://tablo.jp/serialization/yoshida/news001661.html

ところで

>木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

なんて、そんなん殺せっこねえじゃんとしか思えませんね(苦笑)。殺しちゃったら、史上最大級の大不祥事でしょう。殺さなくて良かった(笑)。これはbogus-simotukareさんもご指摘ですね。

http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20081107/1307052595

bogus-simotukarebogus-simotukare 2018/05/06 00:02 id:Bill_McCrearyさん
>去年は、前川氏へのデマ記事を書いたくらいなのにね。

 さすがにもう安倍にはつきあいきれないと言うことでしょうか。

>極右で日本核武装論者
>http://tablo.jp/serialization/yoshida/news001661.html

 うーん、極真ってそういう変な人間の集まりなんでしょうか?。それとも小島某に食い物にされてるのか?。まあ、新潮もダメダメですけど極真側にも問題がある気がします。

>そんなん殺せっこねえじゃんとしか思えませんね(苦笑)。

 まあhttp://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20081107/1307052595でも書きましたが善意に理解すれば「物理的殺害」じゃなくて「比喩(力道山に対する勝利)」なんでしょうけど(未読ですのでそのあたりは解りません)。
 とはいえあまり上品な比喩とも思えません。そして比喩としてなら「あり得る答えは一つすぐに思いつきます(それが著者・増田氏が考えてる答えかどうかはともかく)」。
 つまり「(比喩として)殺す」には、プロレスの世界で力道山に勝たなければならず、力道山のいるプロレス界にどこまでも居続けないと行けないわけです(力道山が柔道の舞台で戦ってくれるわけがないですから)。
 が、それやるとおそらく完全に柔道界に戻れなくなるし、後進の柔道家を育てたいなど、「柔道界に未練があれば」、力道山に勝つ必要もないわけです。実際、木村は結局柔道の世界に戻るわけですし。
 あるいは木村的には「優秀な柔道家を育てれば力道山に勝ったことになる」つう話かもしれません。

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