ベアー・スターンズと梶山静六

 米ベアー・スターンズの処理スキームが決まった様である。簿価譲渡かどうかは定かでは無いが、時価算定が困難な会計上レベル3と思われる仕組みものアセットを切り出し、JPモルガンが10億ドル出資し、公的機関がローンを出す別会社が、集めたカネでアセットをベアーから買ってくるとのこと。もちろん、買ってきたアセットは公的機関からのローンの担保に供される。結果、不透明な資産を切り離したベアー・スターンズは優良会社に生まれ変わる、という寸法である。
 この仕組みは筋が良い。今の米国における信用収縮は、明らかに金融機関村の中だけで発生している。これまで金融機関は世界的なカネ余り、クレジット市場の安定に支えられて、別の金融機関への融資を増やしていた。この融資を元手に、投資銀行レバレッジをかけて自己投資したり、証券化のタマを仕込んだりしていたし、ヘッジファンドも投資家からの出資額に加えて、融資でレバレッジをかけて、巨額の投資を行っていた。つまり、信用創造は金融村の中で起きていたのである。それが、サブプライムショックを契機に、金融村の中で、相手の資産内容が健全かどうかの不信感が増幅され、これまで出していた融資を引き上げるという逆流が始まった。これによって、ベアー・スターンズに限らず、あちこちのヘッジファンド流動性が枯渇して破産したり、或いは流動性を作る為に資産を投げ売って、それが価格下落を引き起こし、結果他の会社がまた時価評価損を出して不信感が増す、という信用収縮のスパイラルを作り出している。
 これが日本のバブル崩壊と違う所である。日本のバブルでは事業法人が財テクに踊ったり、不動産会社がすごいレバレッジで土地を買い占めたりという事象に加えて、好景気によって事業法人の設備投資の過剰、雇用の過剰、その結果による債務の過剰、という3つの過剰が発生した。この結果、企業がストック調整過程に入った事が不況の本質であり、要は金融村の外側で健全性が損なわれたのである。事業法人の健全性が損なわれた為に、金融機関に巨額の不良債権が発生し、そこで初めて金融機関間の信用収縮に発展した。事業法人の健全性が損なわれたのは90年代初頭からだが、金融機関間の信用収縮に至ったのは98年位からであり、ここで初めて公的資金投入が現実となったのである。
 米国は、いずれ個人の住宅投資の過剰、消費の過剰、その結果による債務過剰という3つの過剰に経済は苦しみ、比較的長い不況に陥ると僕は見ているが、その前に金融村の中での信用収縮が始まっているから、これだけを解決するのはそんなに難しい話ではない。要は、

  1. 相手のバランスシートが信じられないから与信出来ない
  2. 損失を出した結果自己資本が毀損し、一定のレバレッジを守る、或いは保守的に自己資本比率を積み増そうとすると、アセットを減らすしかなく、結果与信が出来ない(=所謂、貸し渋りである)

というこの二点に信用収縮の原因は集約されるから、それを解決すれば良いのである。
 ベアー・スターンズの処理スキームはそこを突いていて、価値が信じられない資産の本丸である時価算定の困難なレベル3資産を別会社に切り出して、まず時価評価の出来る信頼できるバランスシートにベアーを再編成して前者を解決した。その上で、JPモルガンという巨大資本に救済させること、及び300億ドルという切り離し資産を、10億ドルのJPモルガン出資と290億ドルのローンという、30倍のレバレッジをものともしない公的資金ファイナンスすることで、信用収縮が原理的に起きない仕組みとし、後者を解決しているのである。
 この形で、NY連銀が本気で信用収縮を止めようとするならば、各証券会社・各銀行のレベル3資産の内、自己資本の一定レベル以上のものを強制的にNY連銀が時価で買い上げた上で、各社各行の自己資本がそれで毀損するならば公的資金で出資して埋めれば良いのである。そうすれば前述の2つの問題は解決されて、バランスシートは信頼できるものに戻り、自己資本毀損による貸し渋りは発生し得ない。日本の様に事業法人側のバランスシートにまず問題が発生すると、幅広い事業法人全てに徳政令を発布は出来ないから、より解決は難しくなるが、米国の問題はまだ金融村に限られているのだ。
 ただ、日本より解決が容易と言っても、現実的には巨額の資金が一時的には要るし、国債買いオペと同じく、金融緩和効果があるので、そのマクロ経済的インパクトは考慮されるべきだが、Sense of Urgencyからすると、この究極の解決策を取るべき必要性は有るだろう。そして程度の差はあれ、米国は着実にその道を歩んでいる様に思う。
 この様に米国では問題発生から1年を経ずして最初の公的資金投入に至った訳だが、ひるがえって日本の過去を振り返ると、日本の銀行への公的資金投入は遅く、かつ規模も小さかった、というのが一般の後講釈である。だからと言って闇雲に早く大規模に入れれば良いという訳では無く、どうすれば結局良かったかを考える上でヒントとなるが、梶山静六が作った不良債権処理私案である。梶山静六は、僕がある種信頼している(いた)数少ない日本の政治家であるが、この様な米国の状況を見るにつけ、彼が首相だったら、と思われてならない。98年に自民党官房長官であった梶山が発表していた不良債権処理私案は、実に正しいプランだったからである。
 この案は、全銀行が一斉に不良債権を査定し、債権を4分類する。その中で最も悪い第4分類債権は100%、次の第3分類債権は75%、正常債権に近い第2分類債権は20%の引当を強制させ、それで自己資本不足に陥る銀行があれば、公的資金を強制注入する、という内容であった。当時、僕は駆け出し銀行員で、この私案はプライドの高い銀行員の間では極めて評判が悪かったが、僕は何とはなしの感覚的な正しさをこの私案に感じていた。これは、知恵のついた今考えると、銀行のバランスシートを強制引当で信じられるものにして、かつ公的資金による資本増強によって自己資本比率をキープする限り貸し渋りを発生させないという、上に書いた2つの問題の両方を同時に解決する案であり、多分最も正解に近かった解決策だったのである。
 梶山静六は、経世会の中で懐かしいあの七奉行の一人であり、「平時の羽田、乱世の小沢、大乱世の梶山」とも称された政治家だったが、残念ながらその後の総裁選で小渕恵三に敗れ、程なく世を去っている。小渕の仕事も悪くなかったと思うが、梶山静六は、繰り返しになるが、僕にとって一度天下を取ったら日本はどうなったかと、想像を抱かせる数少ない政治家の一人である。少なくとも2-3年は早く日本の金融危機と不況は終わり、今この何年かに1度の乱世で、日本の金融機関は違う力強さを世界に見せていたのではないか、或いは政治の世界においては日本の経験を同盟国である米国にいち早く正しく語れたのではないか、と思うのである。その意味で、梶山静六が総裁選に敗れたのも無念ではあるが、彼の私案でさえも、銀行高給批判の様な、国政の一大事からすると、実に取るに足らない庶民感覚なるもの、或いは単なる嫉妬深い国民性に起因する公的資金投入への感情的反対によって換骨奪胎されたのは実に惜しい。国家的損失の程は、多分計ることすら出来ないであろう。