矢車通り~オリジナル小説~

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拍手の向こう側(12)

浦戸シュウ小説目次

「拍手の向こう側」目次
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          12
          
 かこは約束の日時に学校の最寄り駅に降り立った。駅から延々と二十分ほど歩いて、ようやく学校の門にたどりつく。古めかしい鉄製の門の中にはプレハブの守衛室が木の下にあり、制服制帽の守衛が二人も座っていた。
 門の前まで来ると、中に男性が立っているのが目に入った。送ってくれた写真の中にいた顧問の先生だ。落ち着いた茶系のブレザーを着て、清潔そうな白いポロシャツと細身の焦げ茶のパンツを穿いている。茶色っぽい服装が大人っぽい落ち着きをかもしだしている。
 顔はこの世にはつらいことなんかなんにもないみたいなほんわかした雰囲気だ。眉が盛大に垂れてる。鼻がまんまるだ。分厚い唇はほんのり口角が上がり微笑をしているように見える。
 左手の薬指に指輪はない。
 かこはここまで一目で読み取ると、先生に笑みを向けた。極上の笑顔と洋平に絶賛された奴だ。常識的な人間に見えるようジーパンにTシャツといった、極めておとなしい格好をしてきた。先生と服装のくだけかたが揃っていて、なんとなく、気持ちが浮き立ってくる。
 目が合うと、先生はかこのほうに近寄ってきた。
「鹿山先生ですね」
 深い海の底から響いてくるような落ち着いた声だ。耳を傾けているとうっとりと目を閉じて夢の世界に行ってしまいそうだ。遠のく意識をたぐりよせて返事をした。
「はい。演劇部の顧問の先生ですね」
「ええ。野川といいます。このたびは生徒のために、わざわざご足労いただきまして、ありがとうございます。どうぞ、お入りください」
 野川先生が守衛室に軽くうなずきかけて、かこを伴って歩き出した。
「みんなで出迎えなくてすみません。部員たちは来たがったのですが、いきなり十人並んで待っていては、かえって無礼だと思いまして」
「あ。お気遣いありがとうございます。あの、せっかく先生とだけお会いできたので、ちょっとお伺いしておきたいことがあるのですが……」
 葉桜の並木を抜けながら、かこは切り出した。野川があたりをキョロキョロと見回して、杉の大木に目を止めた。何があるのかと目をこらすと、木の下に石造りのベンチがある。野川がそちらのほうへ手招いた。二人で並んで歩きながら、かこは部員の写真を取り出した。
「彼らと早く親しくなりたいので、呼び名を教えていただきたいのですが」
「呼び名ですか? うーん」
「ダメでしょうか」
 二人同時に、石のベンチに腰掛ける。
「ええとですね。このポニーテールの子は『りの』」
 野川が写真を指さしながら、呼び名を語りはじめた。
「背の低い子が『なりっち』。髪の毛を二つに分けてまとめているのが『なみっち』。こっちの小さい男の子が『こさく』。リーゼントにしているのが『だうら』。真ん中の巻き毛の女の子が『まみ』です。この子たちは、鹿山先生のファンですし、名前を呼ばれたら喜ぶと思います」
「あら。ファンだなんてそんな」
 真面目な顔をしていようと思っていても自然とにやけてくる。
「この、ひときわ大きな男の子は『角浜』です。マンガの主人公に似ているからといって、半ば強制的に参加させられています。でも、やる気はあるようで真面目に練習をしていますし、何より、この子はマンガが好きですから、先生に親しく話しかけていただいたら、きっと喜ぶでしょう」
「嫌がるようならしませんから」
 かこは首を傾げて野川に笑いかけた。右斜め下からの角度からだと、かこだってけっこう美人に見えるのだ。とにかく第一印象を良くしなくてはいけない。ここぞとばかりにアピールする。
「お願いします。こちらのロングヘアの女の子は『ルイ』、女の子みたいな顔をしている男の子が『海』です。この二人は元々演劇部なのです。マンガに思い入れはないかも知れません。でも、ノリがいいほうなので、きっと先生に呼ばれたら喜ぶはずだと思います」
 野川が淡々と紹介を続けた。
「じゃあ。この、ショートカットの子が『倉崎美園』さんですね」
「ええ。みんなは『美園』と呼んでますが。この子は、ね、いきなり呼ばれたら、『そんなに親しくなった覚えはありません』、と、言いそうです」
 気づかわしそうな野川をわき目に、かこは大声で笑いだした。
「いやあ。好きです。そういう子。他人のペースにすんなりのらない人を、あの手この手でこちらに向かせるのが、こう、醍醐味だと思ってます。人づきあいって」
「それは頼もしい。美園はいい子なんですが、こう、真面目すぎるというか、人の言葉を言葉通りに受け取りすぎるきらいがあるんです。反発するようなことを言っても、けっして、敬意がないわけではないので、汲んでやってください」
「ええ、わかりました」
「では部室にご案内……」
「あの。もうちょっと」
 偶然、二人きりになれたのだ。このチャンスを逃がしたら、二度目があるかどうかわからない。かこはできるだけ、二人で話を続けようと話題を探した。
「野川先生は、台本に関わってらっしゃるんですか?」
「いえ。演劇はぜんぜんわからないんですよ。名前だけの顧問でして。実際のところは美園が仕切ってます。この子が詳しいんです。小学生のときは子どもミュージカルを習っていたそうです。四年生あたりから商業演劇を見に行ったり、劇団が主催する研究会みたいなのに参加したりしてる子でして。とても頼りになるんです。それで、すっかり任せっぱなしにしています。毎年、そういう子があらわれるので、演劇部の顧問は楽なんですよ」
「あ。そうなんですか。ええと。それで、台本なんですが、何か、先生のほうからご注文はありますか? あの、教育上の制約とか、有りますでしょうか?」
 かこは上目づかいに野川を見た。表現に対してどんな考え方をする人なのかを知ることは大事だ。考え方がかけ離れているようならば、最初から近づかないほうがいい。妙に慎重な自分に嫌気がさしたが、他人の考えは変えられないということは、ここ十年で嫌というほど知った。
 野川が目元をほころばせて笑った。
「鹿山先生のマンガはつぶさに読ませていただきました。色気とアクションが目立ちますが、充分抑制されていると思います。鹿山先生が指導してくださる台本なら、ぜんぜん問題は生じないでしょう。いや、むしろ、教育的かも知れませんね。ジミー神父のやり方は」
 野川先生。
 褒められて、頬がポウッと熱くなった。