選挙の投じ方ー僕のやり方。そして予言。

 
ナベタくん(仮)の選挙 ※大塚英志さんのメールの転載 - 続・はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記
ぼくはもう選挙ってのは
ずっと昔からこう思ってる。

『党ではなく人(立候補者)への1票』

なんでかっていうと前回のエントリーでも書いたけど

クズ政党にいる立派な人間と
立派な政党にいるクズ人間。

仕事をするのは前者です。

それに今はその糞政党にいるとしても、
志のある人は無意味にそこにいるわけではないのです。

それにものすごく上から目線だけど、そういう人は成長します。

むしろ立派な政党で無気力な奴の方が、
保身に走りまくっててなにもしないんです。
肩書きだけを求めてて、ただ威張りたいだけ。

だから選挙は立候補社の人となりでえらばなければいけない。
それが『民主主義』です。

『政党主義』というのは日本人のブランド志向がよくあらわれてると思います。



僕は実際に選挙でそういった手法をとりました。
上のブログでは直近の選挙について触れられてますが、

正直直近の選挙はまじめんどくさくててきとうにほんのわずかな気持ち支持してる政党(自民でも民主でもないです)にいれときました。

クズでサーセン
でもまぁ、キリストみたいなこと言わせてもらうと、

政党支持で個人の候補者がどういうやつかまったく見向きもしてない人は俺と同罪だから(^^)

とりあえず、谷垣氏がひいて、安部氏がでてきた時に、もう思考するのめんどくなった。自民が勝つだろうし、安部総理と麻生副総理でどうにもならんなら、しょうがねぇだろみたいな。
つまりほんとなんも考えてない。


なので参考になる話としては、
ぼくが真面目に取り組んだ選挙は2011の市長選挙と、
そして神奈川県知事選挙です。

なのでこのとき実際にぼくは個性をみて投票しました。
正直俺の人を見る目はやっぱすばらしいと思った。

どうやって選んだのか?何を参考にしたのか



それは動画です。

一応予言しますけど、
『選挙時に立候補者が動画を発信し、それをみて有権者が人となりで投票を判断する。所属政党は二の次』

これが標準になる時が絶対きます
2億%間違いない。言いきれる。
ネットの普及で若い世代は民主的な思考をしてる人が非常に多い。
世の中のブランド評価でなにかを選ぶのではなく、
有権者個人のものさしによる投票の時代は必ずやってくる。


ただいつの選挙からなのかがまだよめない。
『未来の当たり前』がやってくるのが日本はめっちゃ遅いです。
5〜7年後からじわじわ流行って、
ひとつの指標になるのは15年後、
スタンダードな投票基準になるのは25年後とかかなぁと思う。


そういう選び方を僕は実際したのです。
市長選挙は問題なかったので、
問題のある県知事を今回は題材にしましょう

それがこれら、神奈川県知事選挙、です


僕はこの動画をみて露木さんにしようって思いました。

でも黒岩氏が当選してめっちゃがっかりしました。

質問の内容は『神奈川県が抱える政令指定都市が3つあること、県庁所在地の移設について意見を聞かせてください』でした

露木さんは、
神奈川県の中で政令指定都市が力を持ちすぎる事を懸念し、
神奈川県がその3都市に振り回されないようにしなければならないことについて言葉を選びながら、かつ大胆な事も言ってます。横浜は神奈川でなくてもいいばりの。

震災については設問1の早い段階で触れてた。

黒岩氏は
マグネットだなんだのと、
目先の東日本大震災に頭がとらわれているし、
あげくのはてには、見聞きしてきただけの中身のない勘違いリーダーシップを意識してるし、(スピード重視とか、決断力アピールとかもう典型的なリーダー勘違い病)
こいつは見栄えだけの男だと思った。

しかも質問の答えになってない、つまり言い換えると、
『自分の言いたい事しか言わない。』
こいつは知恵袋とか対話とかいうけど、
場を設けるだけで相手の話を聞くつもりは全くないなと。
これは県民の声とか100パーきかないと思った。

まぁきかなくてもうまくやってくれるんならいいんだけど、
独裁できるほど、強烈なパワーとかなさそうだしすごく地雷だと思ってた。

この対比は鮮明に覚えてる。

僕は当然露木氏にいれた。

この方法はすごくいい。
支持した人間がうまくやればそれは自分の目は間違ってない事の認識になるし、立候補者が血迷ってたら、己の判断の過ちに気づける。


党への1票だと、みんなヤクザ投票になっちゃうんだよね。
選んだ自分が悪いのではなく、公約を果たせない党が悪い、みたいな。これを僕は有権者のヤクザ化と呼んでます。

「おまえができるっていったんだろ?なぁ?どうおとしまえつけるんじゃ?」

できもしない要求を有権者がするのです。

しかも党っていっても党の誰が悪いのかとかは曖昧だからね。
責任の所在が有権者から党へうつり、個人にはいかないままうやむやに消える。

つまり誰も自分が悪いと思わないから、
誰も何も学ばないんです。

それが個人への1票だと、間違いがすごくリアルです。

だから投票ってのは帰属意識からやってはならんのです。

人を好きになって、そいつにいれる。それだけのことなんです。




それにしても上記記事のナベタ君の『市民』

ものすっごくかっこいいよね。

物書きとか、正社員とか、たしかに見栄だよね。
ニートもふざけることでごまかそうとしてる。

それが『市民』
こんなに堂々とした、飾り気のない、言い訳不可能の名乗り方はない。

すごく純粋だ。

常識を疑う

今日は常識を疑います!!!

今回疑いがかかってる容疑者はこちらの方々です!!

政党主義。
鬱屈とした社会、不景気。
老人定年主義。
売価主義
憲法が我々の命を守っている。


政党主義

政治の選挙でどこに投票すればいいかという話になる時、
どの政党にいれるかというのがテレビやネットでよく言われている印象を受けます。
しかしこれは過ちです!!!
どんな会社にも政党にも組織にもクズはいます!!!!
あなたのとなりにいます!!!!!

よさそうな政党のクズ人間を選んでるあなた!!
そんなんじゃそのあなたがいいと思ってる政党に毒送り込んでるものです!!

どんないい政党でもクズや無能は仕事できません。かえってマイナスかもしれないです。
政治に関心を持たない人にとって党で選ぶブランド投票は非常に楽ですが、同時にクズ当選に貢献してます。
つまり日本の現状は国民の怠慢の反映です!

かつての総理大臣田中角栄、そして共産党志位和夫は言いました。

「確かな野党」が必要であると。

自分の応援している政党のためにテキトーな人間を選ぶのではなく、
それが自分の応援していない政党であっても、
あなたの応援してる政党が日本のことを憂いているというのなら、「確かな人間」を選ぶことが、日本のためにもなるんじゃないでしょうか!!!

おわり。




鬱屈とした社会、そして不景気

この鬱っぽい社会はとても日本的です。
不景気?違います!!これが普通です。
いままでがよかっただけです!
ぼくたち自分たちの性格を見直してください!
おわり。




老人定年主義

若者は老人にひっこんでもらいたがってますが、60以上たっても元気なら仕事してもいいんじゃないでしょうか?
年齢で区切るなどはもったいない!

「老人はガンコで、ばかで、うるさくて、話がわけわからない」
言いたい事はわかります!!!
しかしそうやって決めつけて、さっさと引退して年寄りをのけもの扱いにする。

自分たちだっていつかは老人になるのに、そうやって老人は邪魔者であるというイメージ像をつくるのはどうなんでしょうか?
こういう老後がおくりたい、というのは、かならずしも『平穏な余生をおくる事』ではない!!
駆け抜けたい人だっているんです。

日本という国は年功序列が骨の髄まで染みきってます!
つまり信長の野望です!!
寿命がつきたら世代交代です!!

定年で引退してもらって、自分がトップになっても、前のトップが相談役とか微妙なポジションになって、ちょっとやらしいことしたいときに困惑するのはあなたでしょう!はやくしなねーかなってなります
ずっとトップで居座ってもらって過労で早死にして、財産そっくりそのままもらいましょう!!
おわり。




売価主義

『買うときの金額がすべてである』
ひとことで言うとプライスでしか考えない人です!
金額にもよりますが、1万の差額に3日悩む人!1000円に1時間悩む人・・・。
逸失利益発生です!自由な時間は金額に変えられないです!
自分にとってそれだけの価値があるかを考えたほうがいいです!
おわり。




憲法基本的人権

憲法は我々を保証していません。
江戸時代にも、社会を円滑にまわすための法律がありました(公事方御定書とかそんなかんじ)
でも結果的に理不尽な思いをして死んでいった人はいるでしょう。

それに比べれば今は命の保証がされている、となぜ言えるのか!

なぜ自殺者がでるのか、サービス残業ブラック企業があふれまくってるのか、
ホリエモンが収監されたのに、オリンパス行政処分ですむのか。
麻雀とパチンコの扱いの差はなにか?
憲法なんてあってもむごい目にあうひとはあうし、差別は起きるし、平等ではないのです。

『日本には徴兵制度がない。基本的人権が約束されている。』
そんなの被ばく線量とおんなじです。
改正すりゃいいんです。

憲法は壊されていないだけです。
憲法ははじめはある程度日本を定義付けしたかもしれませんが、
現状は日本という国が、憲法という形で日本国の大体をあらわされてるだけです。

日本という国の空気雰囲気や、
為政者のおもうようにいくらでも憲法は変わるものです。
今は誰も望んでない。ただそれだけ。

憲法や法律は便宜的であっても絶対ではない。
社会や憲法はフィールドであってゆりかごではない。

おわり。



自分という人間をいくらみなおしても、自分の事がいつまでたってもわかるきがしないけど、流されまくる人間だというのは間違いない。
意思を強く持つのは大変な精神力がいる。
メランコリックになるのでそういうのはいや。

人が自分の中になにかもたらすとしたら、

時間の使い方、
付き合う人、
住む場所、

このどれかを変えるしかない。
僕もそう感じている。

ただ僕は環境に左右されるタイプ。
住む場所が変わらない限り、時間の使い方も、付き合う人も変わらないでしょう。

ということでひっこします。

アザラシ的ラップ入門編

ラップとかジャンルわからんけど、
車内で聴けるかんじのものっぽい個人的にはまってるものをあげとく。

外国から

Black Eyed Peas

Deltron

Beastie boys

in 渋谷

Souls of Mischief

日本

THA BLUE HERB

スチャダラパー

Nujabes





この中で面白いアーティストを混ぜておいた。
Nujabesである。
彼は死んでもなおメロディメイカーとして評価が高く、
僕自身もluv (sic) pt3などは好きな曲だけど、
センスがよすぎる層からはめちゃくちゃ否定されるアーティストである。

その点僕はまだまだミーハーなんだなとか思う。
Dragon AshのGrateful Daysや、
キックザカンクルーのsayonaraが好きだし。

なぜヌジャベスが否定されるのか?
これは俺自身も納得している。
彼のリズムは正直退屈なときが多い。
トラックへのこだわりもうちょっといけんだろと思うとこが節々にある。
他のアーティストの動画のドラムとベースを聴けば、
リズムが凝ってるなーというのがわかる。

単調なリズムの曲ばかりなのでサンプリングばっかして自分のリズムをいれないチキンやろーと言われてしまうのだ。

メロディーだけが勝負をしている。そしてメロディーラインもあざといのが多い。
それがセンスいいやつらからするとしゃらくさいのである。

アルバムでだしてるのだからあともう2、3側面がほしいというのがセンスよすぎる層と僕の要望である。はっきし言えば冒険的でなく、単一的。でもだからこそ音楽聴きます中間層や雑食系の支持を大きく集めたのかもしれない。

たとえ生きながらえててもヌジャベスはメロディー重視のトラック作りをやめなかったんだろうな。
ヌジャベスが聴いてもらおうとしてる層が俺じゃねーなってすぐ思ったし。

こんだけぼろくそに言うけどでも俺はluv sic pt3は好きである。

さかもと末明事件

今ネットで流行ってるさかもと末明事件について思うのは、

この問題をさかもと末明という個人の問題にして終わらせてしまうということがもったいないなと思う。

たしかに彼女はモンスターである。

だけれど「公共の乗り物の中で赤ちゃんが泣く、子どもがうるさい」
ということに寛容ではいられない感情はよくわかる。

余裕のある人間がそれくらいは我慢しろという。
そういうのを自分以外の人間に求めるの簡単だけど、
みんな余裕がある訳じゃないのだ

こういうのはさかもと未明という人物が起こした特異的現象ではない。

日本という国が「他人に迷惑をかけるな」という常識を植え付けてきたことの結果。だからさかもと未明はキレた・・・
彼女はモンスターになることを選ばされたんだよ!!!

この問題で大切なのはさかもと未明という人物を吊るし上げて
「みんなでがまんしよう」じゃなくて

インドの教えみたいに
「他人に迷惑をかけてもいい。」
ってなっていないことが問題の根源だってきちんと認識することじゃないかな。

泣いている子どもの親も
それをまわりで聴いてるほうも
形式的。

泣いている子どもの親は、まわりの他人に迷惑かけちゃいけないという観念にとらわれている。

まわりの他人は「子どもが泣くのはしょうがない。」と思いながらも、「それを親が負い目に感じないのは許さない」と思ってる。

だからみんなイライラする。我慢ばかりでこの中で笑ってる人はひとりもいない。

普段は他人に迷惑かけるなとかみんなそういうのを根源にもってるのに、赤ちゃんはしょうがないとか。応用が利いてるつもりの奇麗事。


拙者が思うにこれの折衷案は
常識を「迷惑かけるな」として、さかもと未明が定期的に発生するのを受け入れ、「おお、面白いこと起きてんな!」とするか、

常識を「迷惑かけてもいい」として、泣いている子どもに寛容になり、
突発的に乱れる中高年には、「どうしようもねぇなあいつは」と、嘲笑しながら遠ざかるかしたほうがわかりやすい。

どっちにしたって、迷惑かけるなは圧迫感があるし、迷惑かけてもいい、は配慮がなくなる。

世界に一つだけの花が流行ったおかげでオンリーワンが極端に推進されちゃうように、バランスを求めるのは無理。

バランスと完璧を他人に求めすぎ。そういうのは自分の中だけにしないと。
そんな余裕もてない人も、頭もよくない人もいっぱいいるから。
人によって寛容になれるレベル違うし、成長できない人間もいっぱいいる。

だから最低水準の中でストレスフリーを考えていかないと。

もっと笑いに持ってく方向を模索して、洗脳していくべき。
とりあえずキューブリック北野武の作品をみんなみるべき。

感受性が悪いから、ネタになりそうなこともストレスとしてとらえる。もっと間抜けになんないと。

さかもと未明のあの堂々としたJAL再生記事はめちゃめちゃ面白いだろ。

なんであそこまで胸をはれるんだ。

タイトルだけで笑える。

日本の笑いに彼女は必要。

一応、さかもと未明の「赤ちゃんの泣き声に寛容になれない」というのは彼女自身のいかりでもあった。

「もうやだ、降りる、飛び降りる!」は至言。

でも彼女の思い込みの中で「他の人間にも迷惑かけている」という正義の代弁者的な思い込みもあっただろうから、ちょっと著名人は攻め過ぎだと思うね。
もうライフゼロなんだから。

でももし『わがままなうえに身体も弱く、さらにファーストクラスに乗るお金はない勝手な』さかもと未明が自分のことしか考えていなかったとしたら、
どうしても言いたいことがあるので最後に書いておくことにしよう。


















ファーストクラスに乗れ。

つぶやき

KDDIの田中社長は魅力的だと思う。
スマートバリューもそうだし、iPhoneを取り入れたところも。
LTEは10Mbpsでいいと断じるところも。
AndroidもHTCを取り入れてるし、失策が見当たらない。

ソフトバンクのiPhone4に滅多打ちにされたころから、
すべてが始まっていたんだと思う。

ぼくは孫社長もすごいとは思うが、田中社長のほうがすごいと思う。




Windows 8 になってスタートが消えた。
アップルもiOSからGoogleのマップやYouTubeを消した。

ジョブズがいたころのアップルはスマートフォンにもともとあったボタンという概念を消して全面タッチパネルにした。

何かを追加する以上に何かを削ることは難しい。






ブッチャーズが何故ココロノを作ったのか少しだけわかった気がする。

10月のあのはやびきは肌に痛い風を強く感じる

7月の始まりは照りつける太陽、そして後半の陽炎を浮かばせる轟音。

音楽性と表現が成立している。
表現にどれだけ向き合えるか、強弱。
アプローチの仕方、
どうやってそれを表すか。でも冬を表すのにベルを使うような安易ではダメ。