上高地漫歩記・その4は梓川
歴史の教科書で習うのは、ほとんど政治と軍事の歴史でしょ? ちょっとだけ宗教・病疫・民族。
天変地異は、ほとんど不問です。
富士山が最後に噴火したのは、1707年。江戸時代の「宝永噴火」。調べたら赤穂浪士の討ち入りから5年後。綱吉の時代で、新井白石や近松門左衛門が暮らしてた。
神奈川県温泉地学研究所の発表では、この「宝永噴火」は12月16日午前10時に始まった。噴火は、90分間。高さ23kmまで上がった。
1回収まって19日、12〜22km級の噴火が続く。再度収まって30日、14〜20km級と計3回。
成層圏に達した火山灰は、神奈川・東京・埼玉・千葉・茨城に降った。大江戸八百八町は、空前のダメージ。
それでも綱吉は、「お犬さま」だけは保護してただろうか?
上高地の大正池は、大正4年(1915)6月6日午前7時35分に、焼岳の噴火で梓川がせきとめられてできた。と案内板にありました。
その後、土砂の堆積で小さくなる。当時は、今の10倍の大きさ。
「野麦峠」で働く女子労働者は、休暇をもらって実家に帰っただろうか?
今回、大正池までは行きませんでした。だいぶ手抜きをして、梓川下流は穂高橋・田代橋まで。
Uターンして、上流に向かう。Carleen Anderson 。
眼前に広がるのは、北アルプス穂高連峰。奥穂高と前穂高のピークをつなぐ鍋底状のラインが吊尾根。
はい、これまた、すべて案内板の説明を見ながら。
吊尾根の直下が、グレーになってる。
「あれは、何でしょうか?」。コインを入れる双眼鏡で、しばし穂高連峰を覗いているおじさんに尋ねる。
「コンクリに見えますが?」
「花崗岩です」
「はあ」
「御影石って聞いたことあるでしょ? あれですよ。白御影と黒御影があって」と、その後延々と産地・組成・用途を講義してくれる。
地学の先生?
噴火で地表に出てきた花崗岩。そういえば、上高地に上るバスから、採石場が見えた。あれも、花崗岩?
湿原を歩いて、上流の明神池を目指す。
「岳沢からの水です。イワナが泳いでますよ」と、湿原スケッチ中のおじさんに出会う。上流では、鱒の養殖場があると言う。
水面から立ち上がる、枝を落とした樹木群。撮影にもってこい。想像しました。大正4年の噴火直後も、こういう風景だったのか?
岩石は好きだが、川も好きだから、梓川が気になる。
穂高とならんで、名の知れた槍ヶ岳。これが源流だったんですねぇ。
盆地の上高地に注いだ後は、南下するかと思いきや、茶嵐→沢渡→新島々→松本へ。要は、バス・鉄道が上って来た道沿いに下る。それから、どこへ?
犀川に合流してました。で、犀川は川中島で千曲川に合流。新潟県で、信濃川に名前を変えて日本海へ。
最初と最後がわかってスッキリしたぜ。
これ、帰りのバスターミナルでわかる。「上高地のいろは その4」は「梓川はどこへ行く?」。
も一つ、「その8」は「梓川はなぜ碧色なの?」
実に鮮やかでした。もともと太陽光のスペクトルは、赤を吸収するので、水は青・緑に見える。加えて、梓川底の白砂が光を反射するので、ハッキリと色が強調される。
なるほどねぇ。
おまけに「その1」は「梓川の名の由来は?」。
古来より、川の上流は上質な梓の産地だった。梓弓の材料として、朝廷に献上されていた。
見たことないよね、梓の木。カバノキ科。樺の仲間。
梓みちよさんは、元気だろうか?