晩年は時代考証をやった京伝
江戸時代の町人作家、山東京伝の8回講座が終了した。
講師の棚橋正博さんいわく、「昔は男の研究者ばかりでした。現在は、むしろ女の人が多い」。
8回くらいでは、とても語ることはできない山東京伝。聞くほうも、ほんのさわりだけ。
毎回の講座、半分の時間は棚橋学説とそれに異を唱える「学者業界バトル」のことだった。シロウトにはどうでもよくて、聞き苦しい。
でも、京伝へのキッカケになったことは確か。
時代は、1761〜1816年。宝暦・明和・安永・天明・寛政・享和・文化。墓は両国の回向院にある。
同時代人も多い。
大田南畝・田沼意次・杉田玄白・恋川春町・上田秋成・曲亭馬琴・松平定信・本居宣長・十返舎一九・式亭三馬。
これで時代精神を語るには、僕は浅学すぎる。出版業界でいえば蔦屋重三郎が活躍し、作家が原稿料で食えた時代の始り。
京伝は作家のかたわら、京橋でタバコ屋を開店。プロモーションのために、コピーライターとなって店は大繁盛する。絵もできるから、手拭いデザインもやる。
「山東京伝」ミネルヴァ書房刊を、ずっと読んでた。著者は、佐藤至子さん。
子どもの頃に、親に買ってもらった机を生涯愛用した。その机塚が浅草寺に残っている。
・耳もそこね あし(足)もくしけて もろともに
世にふる机 なれも老いたり
机も、耳が遠くなり、足もおぼつかない高齢者になってしまった。