唯我独尊なクソ評論に中指を突き立てる。

『Comic Studio』を使って原稿描き。何の原稿かはまだ秘密。
コミスタ、全然使ってなかったから使い方完全にド忘れ。そのせいで締め切りをぶっちぎって申しわけありません。
締め切りぶっちぎった理由はもうひとつ、ウチのパソコンのスペックではコミスタのデータを扱うにゃ荷が重くてデータを飛ばしまくったこと。そろそろパソコンも買い換えかなぁ。
でも、これでデータ入力用の原稿の描き方がわかってきた。もう少し練習して夏には初のオフセット、行ってみる?


休憩と食事のためマンガ喫茶で『ONE PIECE』を26巻まで。もう少しで最新刊まで追いつけそう。
しかし、最近のジャンプの作家さんってトーンをあまり使わないんですね。今の流行なのかしら。


『批評〜』関連の日記について、あちこちから見にきていただけてるようで大変嬉しく思っております。
批評と感想の区別も書かなきゃなぁとは思ってるんですが、少しまだまとまらないので。


ネット上の"批評"がしばしば問題になるのは、その"批評"の正体が私的で感情的な"感想"であり、その感想を普遍化しようとし、自分以外の感想を排除、認めようとしないからぶつかり合いが起こるんじゃないかと思ってるんですね。
"感想"が私的なモノであるならば、アナタはアナタ、ワタシはワタシ、どちらの感想もありでいいんだと思う。だから感想は感想でいいと書いたんですけれどね。
それなのに「お前の感想は認められねぇ!! オレの感想が正しいんだぁ!!」となっちゃうから泥沼になるわけで。
"感想"が私的で感情的なものであるならそれは普遍化できるわけがない。それなのに普遍化を目指そうとするから争いが起きる。


それに対し"批評"とは普遍化とはいかないまでも"多数派の意見を目指す"ものだと思う。だからわかりやすく、意味が伝わりやすく、理論的で誰もが納得できる文章を書かなければいけない。そして少数派の意見の存在も認める。違う意見も、そのモノを別の角度から切ったものだと受けとめる。これが批評じゃないかなぁ。


で、話は変わりますが、自分はネットでマンガを発信してるんですが、そのときある人にこう言われたんですね。「作家はすべての批評を受けとめなければいけない」と。でも果たしてそうかなぁ? と。作家はすべての意見を聞く必要なんてないんじゃないかなぁ。少なくとも批評を取捨選別する権利ぐらいは作家にあると思う。
というのも作家にぶつけられる批評も玉石混交してるから石を拾っても仕方ないし。確実にステップアップに繋がるものだったら、たとえ耳が引きちぎれるくらい痛くても素直に聞こうと思いますし。
よく批評で聞くのが「○○と比べて〜」ってヤツ。
それなら○○読んでりゃいいじゃん? 作家は○○のコピーなんて描こうと思ってないんだから。


批評というのをあまりにも作品より上位概念であると思いこんでる方々もいるようだけど、その批評も作家から批評されてるというのを忘れてるんじゃないかなぁ。ゴミみたいな批評ぶつけられてもこっちはハナで笑って丸めて捨てるだけだし。(逆に作家の作品もハナで笑って捨てられるんですけどね。その意味で作家と批評者との関係は対等だと思う。)
作品が描きっぱなしでないのと同じように、批評も書きっぱなしでは済まされない。批評も誰かの批評を受けるということ。それを忘れて「批評とは唯一の上位存在、この世の真実」「作家風情の虫けらが、神である批評家様に楯突くとは何事だ!!」と思いこむから衝突が起きるのだと思う。批評は多数派であっても唯一とはなりえないのだから。まぁ、そんな唯我独尊自称批評家様は家でマスかいて寝てろってことですよ。
批評も誰かの批評・感想を受ける、お忘れなく。OK?


作家が唸るほどの批評を書ける人ってネット上に0.01%ぐらいじゃないかしら? だから批評家・評論家という商売が成り立つのだと思うんですけれどね。