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女アルピニストを娶った山嫌い男の百名山奮闘記

2012-10-16

2011-11-13

女アルピニストを娶った山嫌い男の百名山奮戦記

一  ∧前書き∨

深田久弥百名山を踏破して何人かの方から何か書き物に残してはどうかとのお声を頂いた。百名山登頂を達成した方を何人も知っていた私は当初あまり大したことをしでかしたとは思っていなかった。ところが時が経つにつれてもしかすると大変なことなのかもしれないと思うようになってきた。山好きな頑強な男が達成したのではない。私は山が大嫌いであった。百名山登頂を達成した今「山が嫌い」とは言えないが山好きのかみさんや山好きの友人達がいなくなったら果たして一人で山に行くだろうか? 答えは多分「否」である。小さいときは虚弱体質で学校へ上がるまでは入退院を繰り返していたし、小学校でも体育の評価はいつも低く、運動会の徒競走はいつも尻、野球が好きでもクラスでは補欠の補欠で試合には一度も出させてもらったことがない。小学校、中学校といじめっ子に虐められるので学校に行くのが嫌いであった。

中学へ入学した時体重は28キロで骨皮筋衛門、好き嫌いが多く、野菜、魚、うどん、そばはどうしても食べられず中1の時弁当は一年間毎日パンであった。高2の時2000m徒競争での私の記録が学年最低記録として暫く学校の廊下に張り出されていたのを今でも覚えている。こんな男が最近気付くと小学校、中高、そして大学時代の同級生の中でも丈夫で、スタミナもある部類に入っている。勤めていた頃患っていた糖尿病、慢性膵炎も今では完治している。百名山と関わりが出来たのは退職前後なのを考えると登山のご利益としか考えられない。

こんなわけで山が苦手であった私の百名山奮戦記を記すことにした。これは登山の専門書ではないので登山ルートや歩行時間等はあまり記していないが山嫌いの方に何らかの興味を持っていただければそれでいいと思っている。



二 初めての山登り

終戦翌年の昭和21年春、疎開先の茨城県新治郡七会村七会村小学校からの遠足である。学校から一時間程歩いたところにあった「やまもと山」である。麦飯に水っぽいサツマイモ片が混ざった弁当を引っ提げ暑い田舎道を汗をかきかき歩かされ、辿り着いた先は岩山であった。都会育ちでひ弱な小学2年生にはキツイ行軍である。岩山は頂上まで黒ずんだ岩で覆われていた。そんなに高い山ではなく両手を使ってよじ登ってゆくと短時間でてっぺんまで登れた。多分丘程度のものだったのであろう。仲の良い友達数人と大きな岩の上で弁当を食べた。その岩のすぐ下には常磐線が走っていた。左手遠方に白煙を吐く黒い点が見えたと思ったらあっという間に近づいて来て轟音と共に右手に消え去った。上野行きの上り列車である。数十年たって懐かしくなり茨城県の地図で常磐線西側にある筈の「やまもと山」を探してみたが見つからない。私にとって幻の山なのか。その内に常磐線神立駅から線路際を北上し「やまもと山」を探し当てたいと思っている。

この初登山以降にも二度ほど山に登る話が出たことがあった。小学校3年時の遠足で東京高尾山が候補に上がった。ところが高尾山はきついので4年生以上にならないと無理という校長の判断で中止となった。中学2年の夏休みには戦争中に疎開していた茨城県の農場へ友人と泊まりに出かけた。広い畑の向こうに姿の美しい筑波山が見えていた。友人と登ってみたいと話していると宿泊先の大人達に「君たちには厳しすぎて登れるわけがないから止めときなさい」と強く言われ結局登るのをあきらめた。今では高尾山筑波山もそんなにきつい山とは思えないが当時は戦争中にケーブルカーは撤去されていて麓から歩かねばならなかったことを思えば大人たちの判断も強ち間違っていたとは言えない。さて、それからまもなくして私を大の山嫌いにさせたきついきつい山行に出会うことになったのである。



三 もう山になんか登らないぞ

中学2年の秋だった。学年のクラスで東京都の最高峰雲取山に登ることになった。山などに興味がなかったのに参加したのであるから全員参加の行事だったのだろう。 友人からよく「今まで登った山で一番素晴らしかったのは?」とか「一番きつかったのは?」との質問を受ける。印象の良し悪しはいろいろな条件によって決まる。一回目の登山でつまらない山と思っても次に登って見ると全く違う印象で素晴らしい山になってしまうことは往々にしてある。山に登る季節、天候、体調、意欲、同行者、そして選んだ登山ルート等がその時の印象に大きく作用する。私の場合は体調万全で紅葉の真っ盛り、秋晴れの中、家内と登った八甲田山は今まで登った山の中で一番である。さて、話を雲取山にもどそう。どの山が一番厳しいですか?(客観的な問い)との質問であれば答えは違ってくるがどの山が一番厳しかったですか?(主観的な問い)との質問であれば私は躊躇なく雲取山と答える。こんなに苦労して登った山は後にも先にも他にはない。疲労困憊で途中何度となく足が上げられなくなり動けなくなる。三峰口から登ったのであるが行けども行けども新たな尾根が出てきて頂上につかない。引率の先生から登りはあとひとつ、あとひとつと何回も何回も励まされてはだまされ、しまいには先生が狼少年になったように思えてくる。その時の悪夢はトラウマとして残り続け今でも雲取山には登る意欲も湧いてこない。もう二度と山になんか登らないぞと思ったのはこの時である。

最近になって自分よりも体力がないと思われる人達がそれ程苦労せずに雲取山に登ってくる。何故だ? 自分なりに答えを出してみる。雲取山に連れて行かれた時、体重32kg、肺活量2400cc(18歳で蓄膿症の手術を受けるまで鼻の奥の酸素吸入口が幼児のものと思われるほどの大きさあった)。登山意欲はゼロ。靴は運動会用の普通の平べったいアサヒ運動靴で親指部分が擦り切れて穴があいている。リュックは三峰登山口に着く前に切れてしまい引率の先生にひもで結んでもらう。正に悪条件下での登山であったのは間違いない。こう考えて納得してみても未だに雲取山に再挑戦する気になれないでいる。それを機に私はもう二度と山には登らないぞと心に決めたのであった。



四 山男の歌

雲取山で山嫌いになってから10数年後、カナダバンクーバー米国シアトルとの間の国境近くに位置するマウント・ベーカーのスキー場で転んでも転んでも雪まみれになったまま平気な顔をして立ち上がり急斜面を滑り降りていく女性がいた。妻との最初の出会いであった。私が米国シアトルにあるワシントン大学へ留学した最初の冬である。ところで私には山よりも嫌いなものがあった。歌である。聴くのは嫌いではないが歌うのが苦手であった。大人になっても知っている歌は「ポッポッポ鳩ポッポ」くらいであり「君が代」ですら歌詞を知らなかった。とにかく歌が苦手であった。カラオケのない頃には集まりがあると多くの場合車座になって酒を飲み、宴たけなわともなると誰かが歌い始める。するとみなの手拍子が始まり「お次の番だよ」と順番に歌わされる羽目になる。こんな場に出くわすと私は必ず胃が痛くなり居ても立っても居られなくなり自分の番が回ってくる前に何か口実を見つけてはその場から逃げ出すのであった。スキー場で家内と出会って間もない頃シアトルの先輩の家で集まりがあった。 

暫くすると恐ろしい事が始まった。「お次の番だよ」である。急に胃が痛み出した。困ったことに中座する言い訳が見つからない。そうこうするうちにも順番は確実に近づいてきた。そうして終に私の番が来た。何も出来ずに暫し沈黙が続いた時突如彼女が立ち上がって「娘さん、よく聞けよ、山男にゃ惚れるなよ・・・」と歌いだしたではないか。「山男の歌」であった。私を見かねて助け舟を出してくれたのだ。これ以来私は彼女には頭が上がらなくなった。今では我が家の「山の神」となっている。

「山男の歌」で窮地を救われた翌年の夏、シアトルの先輩が婚約パーテーをしてくれることになった。その日に彼女に誘われて岩山に登った。Mt.Rainier 近くのマウント・サイである。頂上近くには両手で懸垂をしなければ先に進めない岩場があった。私は高所恐怖症なので躊躇したが彼女に先に登られてしまう。目をつぶってでも頑張るしかない。ここで登らなければ男がすたる。ようやく登りついた頂上からの眺めは正に絶景。山をどうやって下ったかは覚えていないが麓まで降り雪解け水の渓流に飛び込んだ。身を刺すような冷たさであるが心身共に洗われ、始めて登山の楽しみを味わう。今でも山小屋にたどり着いてのビール一杯や下山後の温泉は登山の楽しみであるがMt.サイ下山後の渓流での水浴の気持ちよさに勝るものには未だ出会っていない。



五 再び山登りへ

結婚してからは山登りから遠ざかっていたがスキーには長男が2・3才の頃から家族揃って出かけた。家内が下の子(赤ん坊)を背中に負ぶってゲレンデを滑る姿は当時でも珍しかったと思う。何年かは本格的な山登りの話は出てこなかったが子供たちが小学生になった頃からかみさんの山の虫がうずき始めた。小さい子三人を連れて北アルプスに行くという。いくら何でも幼い子三人をかみさんだけで面倒見るのは大変だと言うことで渋々お供することになった。最初の山は爺が岳であった。それからは奥武蔵のハイキングコースへ行くことも多くなり、高い山にも毎年のように連れて行かれた。燕岳、西穂等々。すべて夫婦円満、家庭円満のためである。未だに「お父さんは何時もつまらない顔をしていた」と言われるが確かに喜び勇んで出かけたとは言えない。

退職の数年前から仕事が極端に忙しくなりストレスがたまり、タバコも吸い出し、十二指腸潰瘍、糖尿病、慢性膵炎等に悩まされ始めていた。これは何か気晴らしのスポーツでも始めないと危ないと感じ始めた。家内が入っていた近所の山岳サークルに入ることになったのは家庭円満のためではなく自分の健康保持のためであった。他のスポーツは相手を見つけなければならないが山ならいつでも先導者が横にいるではないか。こんなふうにして私の山への再挑戦が始まった。



六  登山ヨチヨチ歩き

私は山より海が好きであった。成長した娘たちと海岸に寝そべってゆっくりと海を眺めながら一緒に甲羅干しをするのが夢であった。退職して時間がやっと出来たと思っても、もはや娘たちは家にはいない。私にとって相手探しの手間がかからないという意味で手軽に出来る運動は山の神について行く山行である。

初めて家内の山の仲間について登ったのは「棒の折れ」であった。雪が積もっていた。何でこんなところを歩くのが楽しいのだろうと思う。一緒になったご夫婦と話をするとご主人は私と同い年であった。仕事をやめて何か趣味を持たないと時間をもてあますので山を始めたという。やはり山好きの奥さんに追従したようだ。このグループについて月に一、二度は山に行くようになった。グループ山行では他人に迷惑をかけぬようてきぱきと行動しなければならない。家に戻ると先ず家内の説教がはじまる。「今日何処そこでの行動にはこういう問題があった。連れて行った私は恥ずかしかったよ・・・」。いろいろの山に連れて行ってもらったが流石に山好きの人達の集まりで山頂から見える遠方の山々の名前を言い合っている。あんなに沢山の山をどうやって見分けるのか。よくもまあ諸々の山の名前を覚えたものかと圧倒されるばかりである。私の方は山の名前で知っていたのは富士山浅間山筑波山、そして高尾山ぐらいのものだったのである。

そんな時、高校のクラス会の帰り電車で一緒になった友人が「最近何人かで山に登っているんだ」と話をしてくれた。「僕も最近少々登っているよ」と言うと「どんな山に登ってるの?」と訊かれた。「先週は御正体山に行って来たよ」と言うとしばし考えていた友は何とか一緒に登れそうな者と判断したのであろうか「今度一緒に行かないか」と言うではないか。酔いのせいもあったが少々山に関して知ったかぶりをしていた手前、後には引けなくなって「うん、ご一緒させてもらおうかな」と言ってしまったのである。その友人の誘いで手始めに唐松岳から五竜岳に行こうと言うことになった。 家内に話すと「それは大変ね。ちゃんとした登山靴を買わないとだめよ。」と仰せになる。 2・3日すると家内の懇意にしている登山専門の店に行けと言う。良さそうな登山靴を見繕ってもらってあるからと仰せになる。とにかく言われた店に行ってみると家内が良く知っている店員が出てきて奥様から言われてご主人に向いていると思われる登山靴をご用意してありますと言うではないか。兎に角山にうるさい家内が手配した靴を買うことになる。その時この靴で百名山のほとんどを登ることになろうとは思ってもいなかったのである。こんなふうにして中高年登山を始めていた2人の友人について行くことになった。最初は小手調べで百名山の一つである五竜岳に行くことになった。

唐松岳を通って五竜岳の山小屋に着く頃には靴擦れがひどくやっぱり山はだめだなと思い始めていた。それでも友人がガムテープを足の靴擦れの出来た部分に貼ると靴擦れにならないと教えてくれた。不思議なことにその通りであった。翌早朝山小屋を出て五竜岳の頂上を目指す。結構な岩場であったが約1時間程頑張って山頂に到着。絶景であった。しばし休息して下山を始める。五竜遠見のアップダウンの続く長い下りであった。これでもかこれでもかと上っては下り上っては下る長い尾根で再び山が嫌いになりそうになる。やっとのことで五竜スキーゲレンデのゴンドラ乗り場までたどり着くと疲れがどっと出てくらくらする。しかしながらゴンドラで地上に下りて食べたかき氷イチゴは美味かった。安曇野の友人宅にいた家内が車で迎えに来てくれた。亭主の初本格的登山の成否が気になっていたに違いない。



七 標高3000m以上の21座登頂を目指すことになる

日本には標高3000m以上の山が21座ある。高校同期の山仲間とはどうせ山に登るなら何か達成可能でしかもあまりやさしくはない目標を立てようと言うことになりこの21座の登頂を目指すこととなった。21座とは高い順に並べれば富士山(3776m)、北岳(3192m)、奥穂高岳(3190m)、間ノ岳(3189m)、槍ヶ岳(3180m)、悪沢岳(3141m)、赤石岳(3120m)、涸沢岳(3110m)、北穂高岳(3106m)、大喰岳(3101m)、前穂高岳(3090m)、中岳(3084m)、荒川岳(3083m)、御嶽山(3067m)、農鳥岳(3051m)、塩見岳(3047m)、仙丈ヶ岳(3033m)、南岳(3033m)、乗鞍岳(3026m)、立山(3015m)、聖岳(3013m)である。これらの内13座は日本百名山にも選ばれている。高校同期の山仲間4人中2人は既に南アルプス北岳荒川岳、悪沢岳、赤石岳、仙丈ヶ岳には登ってしまっている。南アルプス北アルプス中央アルプスに比べるとベテラン登山家向きの山が多く、後発の新人2人が単独で挑戦するのは楽ではない。そんな訳でこの山仲間ではなかったが同じ高校時代の友人で学生時代から山に取り組んでいた山のベテランs君に頼んで一緒に行って貰うことになった。

9月の出発予定日には運悪く台風関東地方を通過し大変な天候となった。しかしこの機を逸すると3人の都合が付くのはずうっと先になってしまい南アルプスの登山シーズンを外れてしまう。一か八か決行してみようと言うことになり朝9時頃東京を風速20mを越える強風の中車で出発する。静岡を通過するあたりで風はますます強まり心配したが登山口の椹島に到着した頃には風も弱まって来た。翌日は台風も去りうす曇ではあったが登山には問題ない天候となった。台風の中出掛けると言う一見無謀な決断が功を奏したこととなったのであった。大変な苦労もあったが友人に誘われて始めた標高3000mを超える山21座の踏破は5年間で達成できた。



八 登山の嫌なところと大変なところ

山に登って何が楽しいのですか? とはよく訊かれる質問である。確かに嫌なことが山ほどある。まず、早起きしなければならないこと。山小屋泊まりの縦走にでもなれば3時ごろから起きだし4時前には懐中電灯で足元を照らして出発する。そんな時に限って大いびきをかく奴や歯軋りのうるさい輩と同宿となる。睡眠管理と排泄管理は登山する者にとっての大問題である。寝具が湿っていたり暑すぎたり、寒すぎたりすれば神経質な人間は寝られたものではない。又、排泄物は小の方は山の中でも問題ないが大となるどこでもよいというわけにいかず適当な場所が見つかるまで痛い腹を抱えて辛い行軍が続く。という訳で出発前に是非とも済ませておくべきなのだが普段と違う早朝にうまく排泄できるかが問題なのである。山小屋の便所は混んでいることが多いしグループで登山している場合は長い時間待たせるわけにはいかないので短時間で済ませる必要がある。便秘症の家内が羨ましくなるのはこんな時である。山に登り始めると20〜30分で汗が出てきて身体中グショグショしてくる。気持ち悪いことこの上ない。

真夏の尾根歩きは直射日光にあたり頭がクラクラしてくる、喉もからからになる。そんな時には水を多めに持って行くのだが重量がかさんで登りがきつくなる。次に問題となるのは靴擦れだ。どんなに足に合わせて買ったつもりでも急登や急な下りが続くような山に行けば早かれ遅かれ足のどこかがすれて痛みだす。何時間歩いても何処も痛くならないような既製登山靴にあたる事は期待できない。そこで各自工夫をする。敷き革の厚みを調節したり、足と靴との間にパットを貼り付けて足を保護する。そういう努力をしても登山し始めて2・3時間で痛みが出てくる靴、5・6時間くらいまでは大丈夫な靴ということになる。履いていく靴の許容時間を越えて歩くときには少しでも痛くなりかかったらすぐ靴を脱いで足の痛む部分にテーピングすることが肝心である。早めの手当てを怠って歩き続けると痛みのため歩行困難になることすらある。

又、強風や激しい雨の中での山行も大変である。雨具や懐中電灯は登山の際の携帯必需品であるが雨具を着ると蒸し風呂に入ったようで汗でぐしゃぐしゃになる上岩場や木の根っこがつるつるして一歩一歩神経を使うことこの上ない。ある時五日間山に入りその期間毎日連続して土砂降りにあったことがある。夜はテントの中まで水が流れ込み一晩中水をかき出す作業で寝ることが出来なかった。もう二度とあんな目には会いたくない。ただ、それ以降ちょっとした悪天候などはなんでもないと感じるようになったことは確かだ。とにかくこんなに嫌な事の多い山登りに何故出かけるのか自分ながら答えが出せずにいる。



九 百名山登頂を目指すこととなる

標高3000m以上の21座を踏破した時点で数えてみると既に百名山を30近くも登っている。この時ふと思った。 家内は既に70近くの百名山を登っていたが特に百名山踏破を目指してはいない。既に登っている山でも人に誘われると出かけて行く。どうせ家内のお供で山に登るなら少しでも多くの百名山を登ってみたい。そんな思いから家内が山の友達と私の登っていない百名山にゆく時は努めて連れて行ってもらうことにした。便乗である。百名山を目指し自分で計画し単身登山で完登した人はすごいと思う。私のように人に便乗して登ったのに比べると数倍の価値があるだろう。そうこうして我が家の「山の神」に付き合って山登りをしている内に百名山の半分近くに達した。年々体力の衰えを痛感し始めていた頃である。挑戦するとなるときつい山は少しでも体力のあるうちに登ってしまわねばならない。

当時未だ登っていない大変そうな山をリストアップして見た。利尻山、笠ヶ岳、光岳、高妻山、皇海山トムラウシ平ヶ岳、飯豊山富士山、幌尻岳、宮之浦岳であった。利尻山は登りそのものも可なりきついがそれよりも夏の登山シーズンに利尻島の宿を確保するのが大変なのである。悪天候で登れずに帰ってきた人の話も聞いていたので予備日も考えるとこちらの都合よい時に宿を確保するのが難しい。笠ヶ岳は新穂高からの笠ヶ岳新道は距離があって大変であると言う。光岳(テカリ)は他の山からちょっと離れたところにありなかなか他の山を登ったついでに寄って来るというわけにはいかない山である。高妻山はアップダウンが9回もあって登りがかなりきついと聞いていた。皇海山(スカイ)は登山口までのアクセスが距離のある悪路で大変であるという。普通の乗用車では難しいのでランドクルーザーのような車で行くしかないと聞いていた。トムラウシは登山時間が長い上に雨に降られると大変な泥沼の登山道となり苦労するという。現に私より先に山仲間と登った家内は帰りに膝まで泥水に埋まり大変な苦労をしていた。平ヶ岳は正規な登山ルートで登ると距離があるうえ上に山小屋がないのでテントを持って登らなければならないという。

豊山も奥が深く長時間歩く上避難小屋で寝るための寝具を持ってゆく必要があると聞いた。富士山は大勢の人が登るが高度のため登山病にかかる恐れがあるというのでやはり少しでも体力があるうちに登っておきたい山である。幌尻岳は何箇所もの渡渉場所があり天候が悪いと水嵩が増して渡渉できなくなり登山不可能となるか又は運良く登っても水嵩が引くまで何日も山の上で待たなければならなくなることがある。十分な予備日を持って計画しなければならず時間に余裕のない人には時期を選ぶのが難しい。屋久島にある宮之浦岳は遠くて出向くのが大変だし雨の多い屋久島なので天候の良い日にぶつからないと土砂降りの中を長時間歩かねばならないことになりかねない。やはり時間と財力が必要な山の一つである。以上の山には積極的に機会を作り早めに挑戦することにした。



十 体力と時間と財力

ある時親しい友人が「百名山を目指すには所詮体力と時間と金がなければ出来ないさ」と言った。まあ、外れてはいないと思うがもう一つ必要なのはやってやろうという強い意志である。次に大事なのは言うまでもなく体力で時間や財力があっても体力がなければ山へは登れない。時間はあるに越したことはないが勤めている間はなかなか何日も連続して休みを取るのは難しい。こつこつ少しづつ片付けて行くほかない。金がなければテント持参で宿泊費は倹約できるが遠くの山に行くにはやはり交通費はかかってしまう。百名山は北は北海道から南は九州まで広く散らばっているので交通費は無視できない。北、中央、南アルプスに多くの百名山が集中しているので比較的関東地方に住んでいる人は有利かもしれない。しかし北海道は存在する百名山の数も多く退職後で時間に比較的余裕があっても数回に分けないと全部はカバーできない。九州屋久島を除けば一回で回れないことはないが北海道の山はアクセスその他の条件が難しく数回に分けないと回れないようである。私の場合も3回に分けざるを得なかった。長野県に家があったので比較的安い交通費で登れた百名山も多かったがやはり平均すれば交通費・宿泊費込みで1座あたり一万円以上は掛かっているだろう。ちょっともったいない気もするがそれによって得られた健康を考えれば決して高くはないと思っている。



十一 富士山に登る

標高3000m級の山に挑戦していた時、富士山に登るチャンスは意外に早くやってきた。山中湖にあるとあるリゾートホテル富士山登山の企画をたて参加者を募っているのを知った。家内は既に登っていたしこの際一つ一人で参加してみるかと思いたった。登山前日件のホテルには登山希望者8名ほど集まっていた。見たところ私が一番の年長者である。若者たちについて行けるのかちょっと不安になったが行くしかない。ホテルの登山随行者に翌日の行程の説明を受けながら明日の仲間と夕食を共にし早めに部屋に戻って就寝した。

翌朝、早めにホテル側が用意した朝飯を食べホテルのマイクロバスにて出発する。幾つかある登山口のうち一番ポピュラーな吉田口5合目(2305m)に向かった。5合目に付くと7月中旬であったためか既に大勢の登山者でいっぱいであった。そこで出会った一人のかなり年配の登山者は今回が290回目の富士登山だと言っていた。富士山詣でをする人がいるとは聞いていたが驚きの回数である。富士山は一度登れば良い、あれは眺める山で登る山ではないという人が多い中何に取りつかれてそんなに登るのだろうか? 私は一度登れば充分だと考えている方である。

5合目から3800m近くある山頂までは標高差が約1500mであるから気温差で約10度、又、山道では通常1時間で標高差300m登れるから5時間から、酸素不足で後半ペースが落ちれば6時間かかるかなと予測して歩き始めた。6合目を過ぎ、7合目を過ぎた頃気が付くと一緒に登り始めた同行者達は遥か後ろになってしまっているではないか。グループで登山する時には単独行動は厳禁であるが私の場合は自分のペースを崩すと疲れるので特別今回は許してもらった。私の場合、普段だと標高2100mあたりから酸素吸入量減少の影響で息切れが始まるのだがこの日はどういうわけかほとんど息切れが始まらず、8合目に付いた時には仲間の姿は遠く下の方でほとんど見えなくなっていた。 8合目まで3時間弱で登ってしまったわけである。どん尻になることを覚悟していたのに意外な結果であった。

どうしてそうなったのか考えられる理由が3点ほどあった。まず、私は登って行く先が見えているのが好きである。舗装道が苦にならない。階段が好きである。富士山はこの条件に合っている。目標地点が見えながら登れる御嶽山も比較的楽な気分で登れた記憶がある。仲間が全員8合目まで登ってくるのを待つこと1時間以上であった。2・3人が疲労のためか高山病かでダウンしていたのと雨が降り始めたので初日はここで終わりとし小屋で一泊することになる。

翌朝3時頃から頂上を目指して登り始めたが強い雨と暗さのため展望はゼロである。 2泊することは出来なかったので浅間大社奥宮の小屋で富士登山証明のスタンプを押してもらい下山することとなった。 残念ではあったがこのときの経験で足に自信を持つようになった。有難う富士山、万歳!である。



十二 皇海山(すかいさん)

皇海はスカイと読むのだが初めてこの山の名を耳にした時には英語の「Sky」だと思ってずいぶん面白い山があるなと思ったものである。 又、日本三百名山の一つである中央アルプスの越百山(こすもやま)も初めてコスモと言うのを耳にした時には宇宙を表す英語の接頭辞「Cosmo」と思いずいぶん雄大な名前が付けられているなと思ったものである。もっとも奥穂高岳の西南西にあるドーム型の岩稜はフランス語のジャン・ダルム「gens d’armes」(憲兵、転じて前衛峰の意)と呼ばれているのであるから日本の山の名に外国語が使われていると思ってもあながち変ではない。

さて、皇海山に登るには栃木県側の銀山平から庚申山・鋸山をへて皇海山にいたる伝統的なルートと、群馬県側の不動沢からのルートがある。庚申山頂への登り、鋸山の峰々の登降は梯子、鎖が数多く現れる険しい道のりであり、初心者には勧められないと言われている。群馬県側の不動沢ルートは、車で登山口まで行ってしまえば比較的短時間で登頂することができる。家内からは庚申山経由のルートは難しいと聞いていた。初めから不動沢ルートしか考えていなかったのであるがこちらのルートは登山口までのアプローチが難しいと言うのだ。長い悪路で普通の乗用車では無理だろうとも聞いていた。

家内は皇海山には既に登っていて一緒に付き合ってくれる様子もない。あのひどい林道を長時間、車に揺られるのはいやだと言うのである。そこで思いついたのが高校同期の山仲間n君の頑強な4輪駆動車であった。 n君に話すと喜んで一緒に行ってくれると言う。善は急げと同じく高校同期の山のベテランk君にも一緒に行ってもらうことにした。

登山当日、群馬県沼田市利根町の老神温泉近くから林道に入ってでこぼこ道を約1時間走って登山口に到着する。確かに悪路ではあったが普通の自家用車では無理と言うほどのものではなかった。登山口には新しい立派なトイレが出来ていたので家内達が登山した後で、林道ともども皇海山登山者の為の整備が進んでいたのかもしれない。登山口からの登山はそんなにきついものではなく紅葉をたのしみながら楽しく登山を終えた。帰路老神温泉に泊まり無事皇海山登山は終ったのである。

富士山にしろ皇海山にしろ大変な山と考えていただけにちょっと拍子抜けした感がある。



十三 畏敬の念を起こさせる釼岳

ハイシーズンの山小屋は混んで大変である。特にお盆の期間になど訪れようものなら、たたみ一畳に3人も寝かされるような羽目に合う。 こんな場合、上を向いてなど寝られず皆横向きになっていわしの缶詰のようになる。 夜中にトイレになど起きようものなら戻って来ると自分の寝るスペースは完全になくなってしまっている。 元の場所に潜り込むのは至難の業である。 退職後は時間を自由に使えるのでそのような時期をはずして登山計画を立てることが出来る。 高校同期の山の仲間と行くことになった釼岳は登山前日の山小屋泊がお盆の終了日になるよう計画した。

長野県側の扇沢からトロリーバス、ロープウェイ、バスと乗り継ぎ、室堂に到着したのは午前10時前であった。一休みしてから覚悟を決めて雄山への急登にかかる。山頂は雄山神社のあるピークで、標高は3003メートルである。社の真後ろに釼岳の威容が見えてくる。 目の前に延びる大汝から別山へと稜線を辿り二日目にあの頂に立つのが目標なのだ。白馬、鹿島槍、裏銀座、槍、穂高、薬師・・北アルプスの名 だたる山々はすべて視界の中にあった。雄山神社の裏側を回り込むようにして岩稜を伝うと、立山最高峰の大汝山はすぐである。釼岳に登るためにはこのようにまず3000m級の山々を超えていかなければならないので大変である。

大汝山を過ぎて高山植物の咲くなだらかな道をしばらく行くと、富士の折立から砂礫の急な下りに変わり、真砂乗越に降り立つ。 山頂のピ ークは突き出た山稜の先端にあった。その先端に立つと、これまで胸から上しか見えなかった釼岳が、ここではその全容を余すところなく見せるのだ。 釼沢を隔てて堂々と天を圧する釼岳を目にした瞬間背筋がゾゾッとした。 まさにサタン(悪魔)の山ではないかと思われるような怖さがあった。切り立つ黒い岩肌が登山者を寄せ付けないぞと言っているようであった。あんな山に果たして登ることが可能なのだろうかと思わずにはいられなかった。 畏怖と同時に畏敬の念を抱かさずにはいいられない釼岳があった。

そこから雪渓を四つほど横切りながら釼沢を下ると宿泊地の釼山荘である。 盆休みの登山客が去った後の山小屋はすいていた。 山小屋には珍しいお風呂にゆっくり浸り疲れを癒して夕食をとり翌日の行程を調べて早めに床に入った。 翌朝は午前3時半に小屋を出る。暗いのでヘッドライトで足元を照らしながらの行進である。急な岩道を登るのだが足元だけを見ながら進むので怖さはない。未だ暗いうちに可なり登ってしまったので明るくなっても目に入るのは周りの岩肌だけで恐ろしい釼岳の威容は目に入らないのが幸いした。

鎖や鉄梯子が架けられているので岩場の連続でも何とか通過でき予定通り山頂にたどり着けたが登りの「カニのタテバイ」とか下りの「カニのヨコバイ」と言う難所はスリルがあった。 特に下りの「カニノヨコバイ」は岩に削られている足場が見えないので先に降りている人に最初の足を置く位置を教えてもらわないと足が中ぶらりんになって怖いことこの上ない。 鎖も、梯子もましてや岩に彫られた足場もなかった時に登頂した人がいたと言うのは驚きである。

百名山の中でも釼岳は私が家内より先に登った数少ない山の一つである。 数ヶ月遅れで釼岳に登ってきた家内に「どうだった?」と聞くと「あなたが言っていたほど難しい山じゃなかった」との返事であった。



十四 苦労を避けて登った百名山

登頂はしたけれど登山をしていない百名山も幾つかある。自動車、ケーブルカー、リフト等を使えばハイキングのような感覚で1時間もかけずに頂上まで歩ける百名山があるのだ。 高い順に挙げれば乗鞍岳(3026m)、草津白根山(2171m)、剣山(1955m)、霧が峰(1925m)、蔵王山(1841m)、大台ヶ原(1695m)、岩木山(1625m)、八幡平(1613m)、伊吹山(1377m)、筑波山(876m)といった所である。草津白根山霧が峰蔵王、大台ケ原と八幡平は登山者の多くが頂上近くの駐車場まで車で行きハイキング気分で頂上まで歩くのが普通と思われるがそれ以外はちゃんとした麓の登山口から登り始めればそれなりの時間がかかる山々である。麓の登山口から正規のルートで登頂を目指す登山家には敬意を表するが私はすべて狡をして乗り物を使ってしまっている。

乗鞍岳は登山と言っても標高2740メートルの畳平まで自動車で登ってしまうので、実質 300メートルの高度を自分の足で歩くだけである。畳平駐車場から肩の小屋までは広い車道を歩く。その先から登山道らしくなり歩き始めて1時間程度で乗鞍岳最高峰の剣ケ峰に立つことができる。

剣山(つるぎさん)は名前から北アルプスの釼岳(つるぎたけ)と混同しやすいが四国に二つある百名山のうちの一つである。因みに四国にあるもう一つの百名山石鎚山(1982m)である。剣山は登山口の見ノ越まで車で行き、そこからリフトに乗ると頂上近くまで運ばれてしまう。そんなこととは知らずにリフトに乗ってしまったがここは歩くべきだったと思う。里山に登ったみたいで頂上についても何の感激も起きないのである。やはり山はある程度は苦労して登らないと達成感がわいてこない。

岩木山は麓からの正規登山ルートが数本ありそれぞれ4・5時間の登りである。私と家内はその日のうちに八甲田山も登って酸ヶ湯温泉まで行く計画だったのでスカイラインを8合目駐車場まで車で行った。そこからはリフトを利用しなくても頂上までは大した距離ではない。私達が駐車場に付いた時はリフトの運行時間前だったのでリフトに沿って早足で登った。リフトの上に着くと岩木神社からの登山道を登ってきた年配の登山者に出会った。5時間ほどかけて登ってきたようだが途中で熊に出会って大変な思いをしたと言っていた。麓で熊が出ていて危険と聞いていたがやはりほんとうだったのだ。 幸いなことに我々は熊との対面なく無事登山を終えた。 

伊吹山名神高速道路から眺めると滋賀県の最高峰だけあって威風堂々とみえる。伊吹山ドライブウエイを9合目まで自動車を走らせた。ひどい濃霧で視界は30メートルあるかないか。山頂駐車場に着いても乳白色のミルクの海に沈みこんだようだ。右、左と適当に移動して山頂表示のあるところへ登った。20分ほどで山頂についてしまった。これで伊吹山へ登ったというにはちょっと後ろめたさが残る。

筑波山はケーブルカーを使うと山歩きに慣れていない御仁でも1時間も歩けば男体山、女体山を回れてしまう。一度は麓から歩いて登ってみたいと思っている。



十五 高妻山

高妻山はまっすぐに頂上を目指さずに遠回りして、さらにアップダウンが続き、最後は相当な急登があるので、百名山の中でも難関の山と評価している人が多い。通常の登山路は戸隠牧場から入り一不動に始まり、二釈迦、三文殊、四普賢、五地蔵岳、六弥勒、七観音、八薬師、九勢司と九つのアップダウンを経て十阿弥陀が高妻山となるが、未だ途中である。十一、十二と来て、十三虚空蔵の乙妻山で始めて完結する。山登りなので登りは当然だが、あいだに下りがあると「何で下がっちゃうの」と恨めしくなる。多少楽なアップダウンを含んでいるとしても九つもあるともううんざりする。似たような体験は雲取山登山の時と五竜岳からの遠見尾根へ下った時に味わって以来のものである。

高妻山は家内も登っていなかったので二人して出かけることになった。体調が良く天候も良い時を選んで戸隠の宿坊に前泊して登山日の早朝戸隠牧場へと車を走らせた。牧場には既に数人の登山者が登山の準備を始めていた。我々は靴を履き替えるだけで登山準備は完了。直ちに牧場の柵を超え登山道へ向かうと家族で高妻山へ向かっている一行に追いついた。道を譲ってくれたので「お先に失礼」と声をかけて先に進んだ。私と家内は一時間に5分休憩を取るペースで登るので中高年の登山者としては早い方かもしれない。

アップダウンが多いので牧場から山頂までの単純な標高差より相当長い距離を登ったことになるが各アップダウンには石仏があり何処まで登ったのかがはっきり解る。 これが反対に大きなはげみとなりペースを崩さずに進めた。高妻山山頂には標準登山時間よりかなり短い時間でたどり着けたのはそのせいかもしれない。頂上からの北アルプス妙高、火打、焼山等々の展望は素晴らしかった。弁当を食べるにはちょっと早すぎる時間だった。

初めは高妻山だけで引き返すつもりであったが時間が余りすぎてもったいない。一寸きついが乙妻山まで行ってみようという事になった。こういう時二人だと直ぐ決断できるのが嬉しい。高妻山から乙妻山までは標高差はほとんど無いのだがスリリングな岩場が続き神経を使う。一時間弱で乙妻山山頂に到着。乙妻山山頂からの高妻山の山容は見事である。

高妻山から先に足を伸ばす人はかなり少なく、静かな山頂であった。大部分の人は高妻山だけで下山するが、それは乙妻山まで足を伸ばすのは日帰りの行程としてはきつ過ぎるという事らしい。我々は苦労したおかげで喧噪の高妻でなく静かな乙妻山頂でゆっくり休むことが出来たのである。乙妻山から高妻山までは行きと同じく一時間弱で戻り、一気に下山を開始した。牧場近くまで来ると高妻山だけで引き返してきた件の家族一行に追いついた。乙妻山まで行ってきたと告げるとあきれた顔して「凄い健脚ですね」と言われた。私もついに健脚の仲間入りをしたようである。登山前に難しい山だと聞かされていると覚悟がきまって気合が入り楽勝するケースが多いみたいである。



十六 平ヶ岳

平ヶ岳に登る正式なルートは新潟県魚沼市鷹ノ巣からの登山道で、そこから下台倉山〜台倉山〜池ノ岳を経て平ヶ岳山頂にいたるルートである。山頂はなだらかで高層湿原があるのだがそこまでの行程が長い上、山中に山小屋はなく、また道中はキャンプ禁止なので健脚者向けの山である。健脚者ですら往復10時間以上はかかると言うのだからその凄さが解る。その正規ルートで登ってしまっていた我が家の山の神はさすがだと思う。

深田久弥の『日本百名山』のうち、奥が深くて大変だと言うのは飯豊本山にも言われるが飯豊山は上に非難小屋があってシュラーフを持っていけば一応泊まれるのであるから大変さは平が岳の方が上となるようである。こんな大変な山に付き合ってくれる人を見つけるのも大変である。ところがインターネットであれこれ平ヶ岳の情報を集めていると比較的楽に登れるルートのあることが判ってきた。それは皇太子が平ヶ岳に登ったときに用意された特別な登山道とのことである。皇太子が訪れると山小屋が改装されたり、水洗便所になったりいろいろと便利になるところが多いのであるが特別な登山道まで用意されることがあるとは知らなかった。インターネット上では、そのようなルートは環境を破壊するし、公にすべきでないとの意見も見られたが既に大勢の百名山ハンターが利用していることも判った。

私もこの楽に平ヶ岳に登るルートを利用する誘惑には勝てなかったのである。早速、高校同期の登山仲間k君とn君を誘い中ノ岐林道の送迎をしてくれる銀山湖(奥只見湖)の民宿に予約を入れたのである。当日はn君の奥さんの参加も得て無事平ヶ岳登山に成功した。確かにこのルートは楽な登山道で、あれほど長いこと大変な山と覚悟していた平ヶ岳を簡単に済ませてしまい後ろめたい気がする。



十七 山で出会う怖いもの、煩わしいもの(一)

山行で出会う怖いもの、煩わしいもの挙げれば熊、蜂、マムシ、小虫(私は顔にぶんぶんまとわり付いてうるさいので以下ぶんぶん虫と呼ぶことにする)、蛭、笹ダニ、雷、落石、強風、濃霧等であるが、ぶんぶん虫、蛭、笹ダニ以外は命にかかわるので細心の注意が必要である。山に行くとよく「熊に注意」とか「マムシに注意」とか「落石注意」といった立て札を見かける。熊が冬眠している真冬の期間を除き春先から冬が訪れるまでの間、登山者は必ず熊除けのための熊鈴、口笛等を持って山に入るのが普通である。人によっては山行中、携帯ラジオをがんがん鳴らして歩いている人もいる。兎に角音が聞こえれば熊の方から近寄ってくることは無いといわれている。私は登山中に熊に出くわしたことはないが熊に同僚が食われてしまったと言う人に出会ったことがある。熊はやはり登山で注意しなければいけないものの筆頭ではないだろうか。

蜂は大したことないと思っている人もいるかもしれないが、これが大間違いで、下手すると命を落とす羽目になるから怖い。大抵の毒素は、身体の中に入った後、血流に乗り肝臓で分解されて無毒化されるのだが蜂毒は、人によっては「アナフィキラシー」と言うアレルギー反応を引き起こすことがある。これは最初に刺されたときに、身体の中に蜂の毒に対する抗体ができて、二度目に刺されたときにそれによって激しいアレルギー反応を起こす現象である。現に知っている方の奥さんは生まれつきのアレルギー体質のためか登山中に鉢に刺されてそのまま帰らぬ人となった。

又、私の家内は甲武信岳に登る途中で蜂の大群に襲われ命からがら麓の病院に駆け込み、点滴を受けて何とか命を取り留めた経験がある。その恐ろしさは死ぬと思ったほど大変だったらしくそのトラウマの為二度と甲武信岳には登れないと言っており私が百名山を踏破した後も家内は甲武信岳を除く99名山登頂のままになっている。蜂の巣の近くに人が近づくと一人目、二人目までは、様子を伺っていて三人目が来るとわっと襲い掛かると言う。家内も甲武士岳に登った時には三番目を歩いていたそうで同行の登山者のグループ中被害に遭ったのは家内と四番目に歩いていた二人だけであったと言う。

マムシは登山靴を履き、しっかりした服装で足元に注意して歩けばまあ大丈夫と思われるがマムシでなくても歩いている目の前に蛇が現れれば背筋がぞっとして嫌なものである。ぶんぶん虫と言うのは正式名ではないが顔の周りに無数に飛び回り手で振り払ってもしつこく付きまわり動いても一緒についてきて煩わしいことこの上ない。特に厄介なのは耳の穴に飛び込んだり、目玉に取り付き、コンタクトレンズのように眼球の上にくっ付いてしまい取れなくなる。完全に取り除くには他の人にティッシュペーパー等で取ってもらうしかない。家内と登山しているとほとんどの虫は家内の方に行き、私には付きまとわない。どう言う訳か虫が好む人とそうでない人があるようである。だがこのぶんぶん虫だけは例外で、私にもよってくるので一番苦手である。



十八 山で出会う怖いもの、煩わしいもの(二)

次に山蛭である。これは怖いと言うより嫌らしいし、気味が悪い。蛭はどこの山にもいるというわけではないが蛭の多い山があちこちに存在する。有名なのは千葉県の麻綿原高原や丹沢、光岳の登山道などである。たちが悪いのは山を歩いているうちに気がつくと何匹もの蛭が足元から偲び上がって来て足のすねやひどい時には下着にまで潜り込んで至る所血だらけになっていることである。蛭も虫に似て攻撃されやすい人とそうでない人がいるようである。幸いなことに私は一度も蛭の餌食になったことが無いが同伴者が血だらけになったのは目の当たりにしている。山蛭は塩をかければ解けてしまうが登山者用には蛭除けスプレーも売られている。

山で笹藪を通って進むと気が付かぬ間に笹ダニに取り付かれていることがある。山蛭と同じように気が付かない間に肌に取り付くのだが蛭よりたちが悪い。蛭の場合には血をすって膨れ上がった蛭は皮膚の表面にくっ付いているので取り払うことが出来るが笹ダニは気が付くのが遅いと皮膚の中に潜り込みどんどん内部に食い込み、取り出すのが大変なのである。一度、家内の腕の皮膚に食い込んだ笹ダニを針を使って皮膚の下から穿り出したことがあるが気が付くのがもう少し遅ければ医者に行って切開してもらわねばならなくなったかもしれない。家内が虫に神経質になっているのも頷ける。

山で雷に遭うと生きた心地がしない。毎年何人かの登山者が雷に打たれて命を落としている。木立の中を歩いている時なら何とか身の隠し場所も見つけられるかもしれないが石ころだらけの尾根道などで雷に遭うとどうしようもない。雷が早く遠のいてくれるよう神に祈るしかない。燕岳から大天井岳を通り槍ヶ岳に向かって東鎌尾根を進んでいた時、突如雷が鳴り出した。周りを見渡しても身の隠し場所が見当たらない。この時ほど慌てたことはない。普通は天気予報を良く調べてこのような事態に遭遇しないよう登山計画を立てるのであるが天候が急変し危ない目に会うこともあるのである。



十九 山で出会う怖いもの、煩わしいもの(三)

落石も下手をすると命取りになる。山を登っているとちょっとした弾みで石を蹴落としてしまうことがある。石を蹴落とした登山者は即「ラク!」と言って後続の登山者に警告を発することになっているが石に弾みがついて勢いを増して落ちてゆくと大変に危険である。登山者が蹴落とす石はあまり大きくないので大事に至ることはあまり考えられないが富士山や白馬の大雪渓等でかなり長い距離転がり落ちてくる石はたとえこぶし大ほどのものでも当たれば命を落としかねない。 特に雪渓を転がり落ちて来る石は音がしないから時々上方周囲に細心の注意を払って進む必要がある。

強風も又厄介なものである。風の通り道になっているような尾根では身動きできなくなることがある。先に進もうと思って片足を持ち上げると体が流されてしまう。唐松岳から五龍岳に向かう途中、尾根の大きな岩道に差し掛かった時であった。雨と強風の為に足が動かせなくなったのである。歩こうとすれば間違いなく吹き飛ばされ尾根から転落すると思われ身動きが出来なくなった。結局、長い時間をかけ身を低くし、すり足で安全な場所まで少しづつ移動したのであるが、その時の恐怖は今思い出してもぞっとする。もし、長い間動けずにいれば低体温に陥りかねないのである。

濃霧で道を誤り山で遭難する登山者は多い。山の天候は変わりやすくしかもその変化は急激である。さっきまで晴れていたのに一瞬にして霧が出て来て、周りが見えなくなることは往々にして起こりうる。特に午後になると霧が多くなるのが常である。そんなわけで山頂での良い展望を望むのであれば午前中に(出来れば10時ごろまでに)山頂にたどり着くよう計画する。又、山で泊まるなら山小屋には午後3時までには着くようにするのが登山の常識のようである。もし霧にまかれたら、必ず晴れ間が現れるのだから慌てずに時を待つ、要は地図とコンパスを持つこと、そして使い方に慣れておくことが大切である。



二十 暑さ、寒さとの戦い

かんかん照り、灼熱の太陽の直射日光を浴びながらの登山は我慢ならないし、逆に厳寒下での登山も又辛い。そんな悪条件は避けて登山計画を立てるのが普通である。しかし、予想できない天候の急変によって余儀なく過酷な天候下、山歩きをせざるを得なくなることがあるのである。頂上まで背丈より高い木に覆われている山の場合は問題ないが、ある高度から上は木が無いか、あっても潅木しかない山は結構多いのである。真夏にそのような山に登れば暑さで苦労するが、私の場合は意外にも一番辛かったのは北海道十勝岳に登った時であった。うだるような暑さで頭が朦朧としてきたのである。

しかしながら私には寒さの辛さの方がより印象に残っている。9月の末に日光奥白根山に登った時である。朝から曇ってはいたが登山開始直後から気温がどんどん下がってきて岩場の鉄梯子では手がかじかんで確りと梯子を握れないほどになった。山を下る頃には小雪がばらつき始めたのである。9月にこんな状況になるなど予期していなかったので大きな驚きであった。又、12月初旬ではあったが四国石鎚山に登った時も天候の急変に遭遇した。前日に同じく四国にある百名山の一つ、剣山に登った時はぽかぽか日照りで鼻歌交じりで気分爽快であったのに、その夜から寒冷前線が入り込み翌朝石鎚山に登るべく、ゴンドラの麓駅に付いた頃から雪が降り始めた。ゴンドラを降りて歩き始めても雪は降り続け、山の中腹ぐらいまで行くと既に登山靴が雪に埋もれるほどとなった。吹雪になったのである。山頂に着いたときには周りは真っ白でないも見えない。前日との温度差は実に20度ほどあったと思われる。

次に思い出されるのは11月初旬岩手山に登った時である。登山前日岩手山麓の神社前にテントを張った。夜、早飯を済ませ厚着をしてテント内のシュラーフ(寝袋)に潜り込んだが猛烈な寒さで身体の芯まで凍りそうに感じられ眠れるものではなかった。我慢できずにテントを飛び出し身体を温めるため神社前の広場を駆けずり回った。20分も走ると少し身体も温まって何とか眠ることが出来たのである。翌朝隣のテントの人に「夜中にずいぶん走り回っておられましたね。」と声をかけられた。またテントの思い出としては仙丈ケ岳、甲斐駒ケ岳に登った時である。仙丈ケ岳に登った日に翌日の甲斐駒ケ岳挑戦に備えて北沢峠にテントを張った。仙丈ケ岳に登った時点ではぽかぽか陽気であったのだが夜半から急激に冷え込みだした。夜中に寒さの為目が覚めたついでに近くのトイレに行こうと思ってテントから出ると周りは真っ白に霜が降りていた。このときの寒さも尋常ではなかった。昼間と夜の温度差が20度以上になることはそんなに珍しいことではない。やはり秋に入っての登山には防寒対策を怠ると大変なめに遭う。

防寒対策を甘く見てひどい目にあったことがある。やはり11月初旬であった。蓼科山に登ると頂上付近で白いものがちらつき始めた。頂上の小屋の傍で弁当のおにぎりを食べたが寒さで身体ががたがた震えだす。小屋の外側に掛かっていた温度計はマイナス2度を示していた。マイナス2度ぐらいは大したことの無い気温なのだがその日は厚手の衣類を持っていなかったのである。薄いウインドブレーカーを通して寒さが身体に襲い掛かってきたのだ。やはりフリースの上着などは常にリックに入れておくべきだと悟ったのはこの時である。

2011-02-02

39.HPへ移行のお知らせ

皆様へ、

今年6月に二つのブログ

(1) グッジーの青春放浪記(小生の米、仏、独への遊学時代の記)

(2) 女アルピニストを娶った山嫌い男の百名山奮闘記

を立ち上げてから多くの方々にお読みいただき感謝しております。

この度ブログより読み易いホームページ(目次がついて第一話から並んでいるのでスクロールの手間が少なくなる)に移行いたしました。是非ホームページの方を試してください。ホームページで見るには先ず小生のホームページ(http://www.bonadult.com)

をクリックしトップページ画面で<随筆集>をクリックしますと上記二つのタイトルが現れますので読みたいほうをクリックしていただけば読み易い画面が現れます。

愚爺晩成

HPへ移行いたしました。

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を立ち上げてから多くの方々にお読みいただき感謝しております。

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愚爺晩成

2010-12-31

38.日本百名山あれこれ

普通「百名山」と言えば登山家であり文筆家でもあった深田久弥が1964年に随筆日本百名山」で紹介した百の山を指す。 日本列島の山から品格、歴史、個性を兼ね備え、1500m以下の山も6座選んではいるが比較的標高の高い山と言う基準を設け選定した山々である。 NHKの番組で紹介されてから中高年の登山ブームを巻き起こして現在に至っている。

この深田久弥選定の「百名山」以外にも山梨百名山など各地の百名山岩崎元郎選の「新・日本百名山」、作家・田中澄江の「花の百名山」に掲載された100の山があるがそれらは「新」とか「花の」とかの修飾語をつけて呼ばれる。深田久弥百名山岩崎元郎選の「新・日本百名山」と重複するのは52座であり「花の百名山」とは39座重複している。 

ちなみにこれら三つの百名山の全てに選ばれているのは雌阿寒岳利尻山、大雪山鳥海山、月山、安達太良山雲取山立山、仙丈ヶ岳、御嶽山槍ヶ岳天城山大山(ダイセン)、剣山、石鎚山九重山、祖母山、霧島山の18座のみである。何を基準にして選ぶかによって名山も違ってくるのであろう。深田久弥の「百名山」を登破した人は「新・日本百名山」、「花の百名山」、200名山や300名山と好みに合わせて登山を続ける者が多いようである。

37.朝日岳登頂と百名山完登

朝日連峰の登山道入口にある山小屋の「朝陽館」は家内からよく話を聞いていたので一度は泊まってみたいと思っていたところである。 大江町の山奥に位置していて、いかにも隠れた温泉という雰囲気である。 宿の駐車場までのアプローチは舗装路なので車でなんなく到着可能だが、そこから宿までは5分ほど歩かねばならない。

到着すると早速温泉に入るようにすすめられた。温泉鉱泉を薪で加熱したもので、鄙びた風呂場には長方形浴槽がひとつ。二つに仕切られたもので、一方には程よく過熱された湯、もう一方には冷たい源泉が流し込まれている。この湯は入浴中は勿論、浴後もお肌がツルツルになるという嬉しいものだった。 入浴後の食事も宿の御主人が採ってくる山菜は新鮮そのもので美味しいものであった。 ビールを飲んで宿前の清流のせせらぎを聞きながら床に就いた。

翌日になると4人の仲間の内2人が前日の飯豊山登山の疲れが取れず宿で休んでいたいと言い出した。結局、笠ヶ岳、黒部五郎岳、薬師岳縦走に付き合ってくれた二人と日帰りで朝日岳に登ってくることになった。 可なりきつい登りであったが7時間強で往復してしまった。 無我夢中で歩いたので登ったと言う以外の記憶が無いのが不思議である。同行してくれた二人と飯豊山に再挑戦することを決めたのはこの時であった。

百名山最後の飯豊山にはこの友人二人と9月9日に別ルート(川入登山口)より再挑戦し登頂に 成功した。尾根ずたいの長い登りであったがこのルートでは雪渓にであうこともなく本山小屋に着いた。そこで軽装になり頂上に向かった。 主峰の飯豊山の頂上に着いた時であった。 K君がおもむろにデイバックから取り出したものがある。見ると「百名山完登おめでとう」と描いてある横断幕であった。私のためにわざわざ作って持ってきてくれたのであった。 とても嬉しかった。 その時撮って貰った写真は今でも大切に保管している。

このようにして私の百名山は完結したのであるが一つだけ問題が残ってしまった。暫くうちの山ノ神のご機嫌が悪かったのである。 後で分かったのは100番目の山を朝日岳に決めた時に家内は一緒に登って私の百名山完登を見届けるつもりになっていたのだ。 いつも私の登山には無関心の振りをしていた家内だが山嫌いだった私の百名山完登を楽しみにしていたのだ。それを思うと心が痛むがこうなればいつの日か家内が残している百番目の山、甲武信岳に一緒に登って彼女の百名山完登を喜び合いたいと思っている。

36. 99座目の山で勇気ある撤退

利尻山を終えて百名山完登まで残すのは新潟県の飯豊山山形県朝日岳の2座になった。既に両方とも登ってしまっていた家内は「どちらも付き合うよ」と言ってくれていたのだが飯豊山には高校同期の山仲間とも一緒に登ろうと約束していた。 結局、99座目の飯豊山には友人達と登り100番目の朝日岳には家内と登ることにしたのである。

 

飯豊は何人かの山のベテランに奥が深くて大変な山だと聞いていた。 飯豊連峰を縦走するには数日を要すると言う。我々が目指したのは主峰の飯豊山だけであったが、それでも山の上で一泊せざるを得ないのである。しかも寝具は持ってゆかねばならない。8月1日に高校同期の友人4名と大日杉登山口より登り始めた。5時間以上も登ったところで急に現れた深い雪渓と大きなクレパスに行く手を阻まれた。尾根に出る手前で切合小屋はさほど遠くないはずだ。何とかして尾根まで登ろうとルートを探したが先行登山者の足跡がどうしても見つからない。

強行突破するか撤退するかリーダーのK君の判断を仰いだ。 暫し黙考した後K君の出した結論は勇気ある撤退であった。 もし直ぐに尾根に出られなかったら日暮れ前に下山出来ないというのがその理由であった。 無理して進んでいたら遭難していたかもしれない。そう考えるとこの判断は正しかったと思う。

その日は何とか暗くなる前に下山できたが日程が一日余ってしまった。 そこで思いついたのがさほど遠くない朝日岳へ回ろうと言うことであった。 朝日岳登山口の一つである古寺鉱泉朝陽館に着いたのは日が暮れて周りが暗くなってからであった。

35.羊蹄山、利尻山と続く

羊蹄山は別名「蝦夷富士」と言われているだけあって富士山を見ているようだ。登山口まで車で行き頂上を目指して歩き始める。天候にも恵まれ快調に歩を進めていると後からマラソン姿で駆け上ってきた人がいる。頂上まで駆け上るのだと言って我々を抜いてそのままどんどん駆け登って行ってしまった。時々マラソン人やマウンテンバイクで山を登っていく人に出会うが世の中には凄い人達がいるものである。

羊蹄山を大した問題も無く登り終え先を急いだ。その日は稚内近辺まで行き一泊する。翌朝、稚内のフェリー乗り場駐車場に車を止めフェリーで礼文島へ渡った。予約してあった民宿に荷物を置いて礼文岳に登ることにした。礼文岳は花の百名山にも新百名山にも選ばれている山である。それほど高い山ではないが結構汗をかいてしまった。途中で見た可愛い花々もさることながら頂上から見た美しい海岸線がとても印象的であった。

翌日は朝一番のフェリーに乗って利尻島へ向かった。フェリーから見えた利尻山はかなり厳しそうに見える。泊まる民宿は船着場の直ぐ近くだった。その日は足慣らしの為に宿の裏の高台に登りしばし散策をした後町の公衆温泉に入りに行き身体を休めた。

翌日いよいよ利尻山へ登る時が来た。民宿の主人が三合目まで車で送ってくれることになった。 心配していた天気も問題なく、はやる気持ちを抑えながら三合目から出発した。登山道に入って500メートルほど行ったところに手の切れるような湧き水《甘露泉》がある。日本最北端の100銘水とのことなので早速コップにすくって味わった。このコース唯一の水場であり水筒も一杯に満たした。  

展望のないダケカンバの中を徐々に高度を上げていくとやがて黒木の高木帯を抜けてミヤマハンノキや笹原の明るい尾根道の5合目に出た。天気が良く利尻の山頂と鴛泊港、遥かにサハリンも眺望出来て大感激である。更に休まずに頑張ると、だんだんと傾斜を増した尾根道がじぐざぐになってきて可なり体力を消耗する。ごつごつした岩の道をひと登りすると8合目、避難小屋のある長官山に立った。円錐形の山頂が直ぐ近くに見えた。

まぎれもなく利尻山だ。ハイマツに覆われた山肌の濃い緑が目にしみる。やや平坦な道を過ぎるといよいよ本格的な急登が始まった。直ぐ近くに見えるのにここからが大変であった。 胸を突くような急登は半端ではなかった。右手が赤茶けた崩落の急傾斜となって落ち込み、左手は草付きの急斜面なのである。足元はざくざくの火山礫で、非常に歩きにくい。3歩登ると2歩滑り落ちると言う感じである。これほどずるずるとずり下がってしまうのは九州高千穂峰登山で経験して以来の事だった。

9合目を過ぎると尾根道は風の通り道になっていて冷たい強風が吹き付けていて汗をかくどころか体が冷えていく。疲れて休んでいる人達を次々と追い越して頂上に立った。終に最北端の日本百名山利尻山に登ったという喜びが湧いてきた。ローソク岩などの奇観を眺めたりしてひとときを過ごした。やはり利尻山は大変な山であった。

34.百名山残り5座となる

笠ヶ岳、黒部五郎岳、薬師岳縦走を終えた後、未だ登っていなかった比較的近場の会津駒ケ岳(福島県)との至仏山(群馬県)を家内の案内で登り百名山の内95座を終えた。残り5座は北海道の幌尻岳、羊蹄山利尻山の3山と東北の飯豊山朝日岳となった。やはりスケジュール的に難しいのは北海道の3座である。

北海道には百名山に数えられている山が9座あるがすでに6座は家内の山仲間のベテランご夫婦にお誘いを受け二回に分けて登頂していた。北海道は広いので車で行かないと効率よく回れない。 二回とも誘って下さったご夫妻のRV車で新潟よりフェリーで小樽まで行き比較的短期間で目的の山々を踏破出来たのであったが、今回は家内との二人旅である。残された3座は離れ離れに存在する。幌尻岳は日高山脈の最高峰で東部に位置し、羊蹄山札幌近くでどちらかといえば西にあり、利尻山は稚内からフェリーで渡る利尻島にあるから北の方だ。

よほどうまく回る順序を考えないと許された時間内に3山の踏破は難しくなる。もうひとつの問題は天候であった。羊蹄山は多少天気が悪くてもなんとか登山可能であるが残りの二つは悪天候にあったら登山そのものが難しくなる。特に幌尻岳は登山に際して数箇所の渡渉場所があり、登山日に晴れていても大雨が降った後では川の水嵩が高くなり渡渉困難な状態になったり水流が強くなって渡渉するのがすこぶる危険となる。また、登山がうまくいっても上にいる間に雨が降れば下山できなくなり頂上小屋で2〜3日待機せねばならないことすら起こりうる。そんなわけで予備日を考え3ヶ所回るのに全日程で10日以上とったのである。すべてが順調にいって日程があまればいくらでも他に登ってくる山はあるのでそれで調整すればよい。

前2回と違い自分たちのRV車で茨城県大洗から苫小牧までフェリーに乗ることにした。正午前に大洗港を出航したフェリーは翌朝苫小牧に着く。週間天気予報を見て登る山の順序は幌尻岳、羊蹄山利尻山とした。北海道での初日は苫小牧から車を飛ばして襟裳岬まで行き一泊、2日目には早出をして幌尻岳登山口の山小屋まで行き泊まる。ここで以前よく一緒に山行したことがある家内の知り合いにぱったり出会った。数多くの山の中で同じ山に同じ時に登るというのは確率的に珍しいと思ったら家内はその方に過去2回も偶然山中で出くわしたことがあるという。

翌日は快晴となり勇んで早朝幌尻岳へ向かった。途中登山靴を脱いで膝上まで冷たい流れに浸かって川を渡る幾つかの渡渉箇所があったが何とか無事こなし、終に幌尻岳を征服した。大した苦労も無く登れたのは天候に恵まれたのが大きかったと思う。その日の内に車で羊蹄山の麓の宿までたどり着くことが出来た。

33.笠ヶ岳、黒部五郎岳、薬師岳縦走(2)

翌日も朝食は弁当にしてもらい、薄暗いうちに笠ヶ岳山荘を後にする。暫くして槍ヶ岳の左から出る日の出を見て感激。弓折岳の直前で、我々より1時間以上も後に出発した田中翁に追いつかれた。弓折岳を出発して間もなく雪渓上に雷鳥の親子を発見。槍穂高縦走に向うという田中さんと別れ、双六岳へのきつい登りを経て昼前に双六岳頂上に立った。中腹にコバイケイソウの大群落。そこから三俣蓮華岳を通過して石ごろごろの歩きにくい道を下り、黒部五郎小舎には2時頃には到着した。

小舎の前はコバイケイソウの大群落ビールを飲んで暫し景色を楽しみ小舎に入る。ここでも一人一枚の布団で寝られたのは嬉しかった。 縦走を始めて3日目はガスのち曇の天候だった。朝食を食べ4時半には出発しカールコースをとりカール上部コバイケイソウの大群落の中で一休み。そこから黒部五郎肩を経て黒部五郎岳頂上には8時には着いてしまった。ガスで視界きかなかったのは本当に残念だったが長居は無用。

急な下りと意外に長い昇り降りの後、中俣乗越で昼食を取った。そこから赤木岳、北俣岳を正午前後に通過ししばらく行くとハクサンイチゲイワイチョウなどの大群落に出会った。 ここで太郎平を望みつつ休息した後、木道を辿り4時太郎平小屋着した。一人一枚の布団で寝られたのは良かったが、大部屋でいびきの大合唱には参った。

4日目は晴となった。 軽装で小屋を出発し途中で朝食を取るため小休止を取ったが薬師岳頂上には7時前に到着した。立山方面、後立山、鷲羽、水晶赤牛、槍、穂高、笠、みんな見えて大感激。太郎平小屋に戻って400円のカレー味のカップヌードルを食べ帰路につく。途中、キンコウカの群落を通って正午一寸過ぎに富山県側の登山口折立に着く。そこで体を拭いて着替えタクシーで新穂高駐車場へ戻った。

この縦走はかなりハードなコースであったが、結果的には休憩を含む所要時間でも案内書のコースタイムを下回った区間もありよくやったと言っていいだろう。毎日天気予報に脅かされたにもかかわらず、良い方にはずれ、幸運であった。花期が遅れていたためか、各所で見事なお花畑が見られたのは幸運だった。特に、コバイケイソウ群落が目立った。その他、チングルマハクサンイチゲアオノツガザクラ、キンコウカ、イワイチョウなどの群落が方々にあった。

[観察した花と鳥と蝶] <花>オタカラコウウサギギク、ミヤマアキノキリンソウ、タカネヤハズハハコ、ミヤマタンポポチシマギキョウエゾシオガマヨツバシオガマイワイチョウ、ミヤマリンドウハクサンシャクナゲミネズオウアオノツガザクラコイワカガミゴゼンタチバナシラネニンジンハクサンフウロミヤマキンバイ、ミヤマダイコンソウ、チングルマ、イワオトギリ、シナノキンバイハクサンイチゲ、ミヤマカラマツ、イワツメクサコバイケイソウ、ミヤマバイケイソウ、キンコウカ、ニッコウキスゲクロユリ、ヒメサユリ、クルマユリシモツケソウ。<鳥>イワヒバリ(声)、メボソムシクイ(声)、ルリビタキ(声)、ホシガラス(声)、カヤクグリ、ウグイス(声)、ライチョウ親子。<蝶>クジャクチョウ、タカネヒカゲ、アカタテハ、イチモンジチョウ。

32.笠ヶ岳、黒部五郎岳、薬師岳縦走

光岳登山を済ませて間もなく、高校同期の山仲間二人と岐阜県から富山県に連なる北アルプスの笠ヶ岳、黒部五郎岳、薬師岳を一気に縦走する計画を立てた。3座ともそれぞれが結構厳しい山なので縦走ともなると相当な覚悟がいるのだが友人二人は快く同行してくれることになった。

初日は新穂高まで車で行き、そこから林道を1時間弱歩くとわさび平小屋である。ここはハイキングコースにもなっているので軽装のお客さんも多いし、風呂にも入れる。ここで一泊し身体を休めて翌日からの縦走に備えることにした。 翌日の朝食は弁当にしてもらい、宿から少々新穂高方向へ戻ったところにある笠新道登山口へと急いだ。 笠新道の途中に水場がないとの事なので登山口で旨い水を飲んだ。この笠新道は多くの人から大変厳しい登山道であると聞いていたので気を引き締めて歩き出した。

笠新道入口から杓子平らへの道は急登道であったが嬉しいことに一時間半も登ると樹林帯を抜け、槍〜穂高連峰の素晴らしい山容とお花畑が目に入ってきた。 不思議なことに私は前方が見える登山道は大好きで疲れをあまり感じない。 富士山然り、御嶽山然りで気持ちよく足が進む。 そんなわけで思ったより楽に笠が岳山荘に着くことが出来て、午後の早い時間に山頂に立つ事が出来た。 笠新道を正味6時間ぐらいで登ってしまったことになる。インターネットで調べると7-8時間ぐらい掛けて登っている人が多いようであるから我々のペースはかなり速いほうであった。

笠が岳山荘では梯子付き上段のスペースが与えられた。 込み合っていなかったが暫くすると一人の老年の登山客が入り込んできた。70歳の田中さんという方だ。話を聞くと前日夕方4時までテニスをやり、その日の夜行バス新穂高に着き、4時間強で笠が岳に登ってきたとのこと、驚くほどの健脚である。しかも両膝を痛めていて整形外科医に注射を打ってもらっているというのだから恐れ入る。最近は若い人、特に女性軍が山に戻ってきているようだがこのような元気のいい老人にも時々出会うことがある。

2010-12-19

31.光(テカリ)岳に登る

静岡県長野県にまたがる光岳はテカリ岳と読む。頂上近辺に白く光っている大きな岩があるところから来ている名前だそうだ。 百名山を目指す人にはこの山を最後の方に残す方が多い。残すというよりはなかなか他の山を登ったついでには行きにくい所に位置しているのでついつい後回しになるというのが本当のところであろう。幸い家内も未だ登っていなかったので積極的に付き合ってくれることとなった。私が登っていて家内が登っていなかった唯一の山であった聖岳にも回ることで話がついた。便ヶ島の聖光小屋まで車で行きそこから光岳に登り、光岳の小屋に泊まって次の日に聖小屋まで行き三日目に聖岳に登って下山するという計画である。

このルートで一つ大きな問題があった。便ヶ島の聖光小屋に前泊して登るのであるが登山口から陽老岳の尾根に出るまでの樹林地帯には無数の蛭(ヒル)が待ち構えていて登山者に襲いかかると言う。光岳に登った人の手記を読むと必ずといってよいほど蛭の話が出てくるぐらいであるからかなりの名所なのであろう。それでなくても虫に襲われやすい体質の家内は虫とヒル対策の準備に神経を尖らせる。頭から被るネットやヒル退治のスプレーを買ってくる。現に前泊した聖光小屋で下山してきた一人の登山者の腹部にヒルが食いついているのを見せられて恐れをなした。ヒルが衣服の上から侵入し皮膚にまで達していたのである。

確かに長時間かかる登りのきつい山であったが光岳の山小屋に着くと既に6−7人の登山者がいた。早めの夕食をいただきながら同宿の皆さんとの団欒のひと時は楽しいものであるがそこで驚いたことがある。 私は光岳が百名山の90番目に登った山であったがそこに集まっていたのは99番目、97番目、95番目、91番目が二人といった具合で皆私より百名山先行者達ばかりであったのだ。要するに光岳はどうしても後回しになる山らしい。翌日も晴天で聖岳小屋まで順調に歩けた。以前3000m級の山として友人と登った聖岳は霧のため視界ゼロでなんとつまらない山かと思ったが今回は見晴らしもよくなんと素晴らしい山かと思う。山というのは登った時の条件でこんなにも違ってくるものなのだ。

幸いなことにあれほど心配していた蛭にもやられずに3日間歩けてなんとなく拍子抜けした感じがするが光岳を終えて百名山完登がやっと見えてきた感じであった。