「頑張る」の解釈について

頑張れとか復興とかって、多分、今言うことじゃない。

これを読んで思い出したことがあった。
以前、男3人で飲んだときのことである。何の話からそうなったのかは忘れたが、3人が3人とも「頑張る」という言葉が嫌いだという意見で一致した。

  • A氏曰く
    「頑張る」の語源は「我を張る」である。つまり、周りを顧みず自分を押し通すことなので、そんなことはするべきではない。
  • B氏曰く
    「頑張る」は自分でそう思って行動に移せばいいことであり、他人から言われることじゃない。

  • どんな人のどんな人生も頑張らないと成り立たないものであり、人間だれしも基本的に頑張っている。既にそうしているのを改めて言う必要は無い。

詳しくは書かないが、A氏は経営者、B氏はたたき上げの苦労人である。
僕はというと、「自分にも他人にも甘い」人間だ(これは我が家の家系であると言ったら母親にえらくしかられたことがある)。結論も一致しているようで微妙にずれている。
「頑張れ」は反論を許さない無敵の言葉だ(誰かに対して「不謹慎だ」と言うのと同じように)。
もちろん、「頑張れ」としか声を掛けられない場面がある、ということは重々承知している。だが、「頑張れ」という言葉の空虚さは言われた方にしか分からない。そんなことをちょっと思い、書いておくことにした。
まったくやりきれない(3月11日以降何度この言葉を口にしたか)。