Hatena::ブログ(Diary)

FICTION

2017-09-21

[]まみえる(2009年) 20:36



川が流れている。街灯の光が川面に反射している。上下黒のウインドブレーカーを着た人が、わずかに白い息を吐きながら、ゆっくりと僕を追い越し、暗闇の中に溶けていく。川は浅く、ところどころ苔の生えた石が頭をのぞかせている。コンクリの護岸壁は高く、かつては大雨のたびに氾濫していたという、母の昔話を思い出す。川の両端の道は狭く、4人乗りのセダンが通れば、僕のような歩行者は、思い切り端に寄り、それをやり過ごさなければならない。水音が絶え間なく聞こえてくる。住宅を隔てた向こう側、市営バスの通る地方道を猛スピードで駆ける、マフラーあたりをいじっているのだろう、ビッグスクーターのエンジン音が、水音をかき消す。バイクは西に走り去る。そしてまた水音。川面に昼の光は揺れ、テレスターが光を浴びながら、東に流されていく。僕は先回りし、裸足になって川へと入る。川底の泥はぬらりとして、足首まで埋まってしまう。傍らではボウフラが流れに揺られるままその場に漂っている。足首を掴んでくるような泥濘から足を引き抜く間に、テレスターは指先をかすめ、さらに東へと流されていく。朝陽は丘の上のマンションの給水塔を前景に昇る。給水塔は今僕の右手にある。僕は南へ走っている。30分も走れば横浜の北端に辿りつける。港北区とか、その辺。区画の整然とした、管理の行き届いた新興住宅地。緩やかなアップダウンを繰り返す。あの辺は真っ平らな印象があるけど、どうだったか。ウインドブレーカーのポリエステルが規則正しい擦過音を鳴らし続けている。僕はようやく汗ばんできたところで、昨晩はずいぶん雨が降った。この丘を下ったら、氾濫に遭った生まれたてのベッドタウンに見(まみ)えることができるだろうか。咳払いして唾を飲む。血の味が鼻腔を抜け、つむじの辺りがぞくりとする。


父は、いつ死ぬだろう。母は。父の骨はどこに還せばいいだろう。母のそれは、どこに。見上げれば、くすんだ濃白色の3号棟。僕がここに欠いているのは、出生の記憶だけだ。その程度に、僕は貧しく充足できる。その程度に、僕は充足しなければならない。いつしか僕の故郷は奪われる。父はいつ死ぬだろう。そして母は。ここは根こそぎ瓦解していい。何年ぶりかに、川崎でも大雪になった。窓はひどく結露している。ガラス越しの滲んだ景色は、とにもかくにも、白、それから、着色されることを拒む、錆びた鉄塊のような、老いていくベッドタウン。窓をあけ、ベランダに出る。今日は水音が聞こえない。




死ね、家族たちよ

この濃白の建物は刑場だ



いつからか、左の内頬が切れている。母にそれによく似た細い下顎には、普通よりも一本歯が少なく、そのくせ僕はしょっちゅう内頬や、舌を噛みながら喋っている。アスファルトに唾を吐く。それとわかるくらい、赤が混じっている。どうやらこの冬は雪が降りそうもない。ゆっくりと北に反転し、僕は復路をはじめる。きっと、小一時間もあれば多摩川にたどり着ける。それを越えれば、もう何度目だろう、東京だ。指折りして数えられるくらい、愛しいことはない。今年も1年早かったね。そんな風に、特に感慨もなく僕は、誰かと早口の挨拶を交わしつづけるだろう。


午後3時は白々として、太陽はわずかに傾いている。4月。僕はひどくぎこちなく世界に参入し、結局テレスターは東に流されてしまった。正確に言えば、流されるに任せてしまった。僕は、校庭に飛びだして、ボールを蹴ったりしたかったわけじゃなく、放課後にはただ、ブラウン管のようにまどろんでいたかった。その程度に貧しく充足する才能にだけ富んでいた。靴と、靴下を、両手にぶらさげ、裸足でアスファルトを歩いている。足の甲からすねの辺りまでこびりついた川底の泥は、ようやく乾きはじめている。高い護岸壁のある川沿いの道で、時折自転車の女性とすれ違い、50CCのカブに追い越される。僕は3号棟に向かって歩いている。テレスターを失くした言い訳を、氾濫にあったベッドタウンのイメージに少しだけ高揚しながら、考えている。鯉の魚影が反転する。水しぶきが跳ねる。


長身で痩せた男と、中肉中背の女が歩いている。湾曲した地平線の向こうから、朝と夜とが同時にやってくる。ふたりの距離は夫婦のそれでも、恋人のそれでもなく、ただこの朝と夜の端境に偶然居合わせた、そんな距離で歩いている。やがて鴉が生まれ、それから斧が生まれる。真新しい鉄筋コンクリ造りの公団は緩衝、で、月日は薪木のように積み重ねられ、やがて火が放たれる。天井から溶けて流れ出すポリエステルが痛覚を刺激する。霙まじりの雨が家族の頭より先に肩へ降りそそいでくる。朝でも夜でもない、名づけられることのない端境に、打ち捨てられていく荷物。鴉は低く、低く見据え、轍を埋める濁った雪解け水を、啄ばむ。


雪の日は 魚影が濃いなあ 後ろでそうひとりごちた父の頭部を 斧は打ち落とし 肩には薄く霙混じりに いや これは雲脂だ 猛烈に働いていた父の背広の両肩に 片足の 鴉がとまり 母は じゅうたんの上に転がる父の頭部をつまらなそうに見やり ワイシャツにアイロンをかけている 蒸気がたちのぼる 父の金切り声 僕らは興味なさげにブラウン管に目を移す 傘 という名を 本当はお前に与えたかったのだが お父さん 僕は壁の薄さと 縁(えにし)の逃れがたさが どうしても許せません お母さん また裾上げに失敗しました 一体いつになれば 僕達はまっとうな服を着られるでしょう

2017-09-20

[] 08:33


花から花へ

飛び交う僕らの

概念を

捕まえそこねて

花を握ったその

手のひらは赤く

濡れている


いかにも

なそぶりで

まとわれたその論陣

わずかの正統も与えず

無謬と一言 呟いて

新鮮な水を求めるように

夢をみる


それでもいいし

それでなくてもいい

しかし ここで

僕らの取りこぼした

花 を束にして

語られ得なかった

ものに

手向けることだけは」

2015-11-26

[] 21:26

隙間を埋めると誰かが言った。僕は肯き、帽子を深く被り直した。山行きに持っていくような、それだ。

僕は山に向かっているのではなく、ただ誰かの言葉に、耳を傾けていればそれで良かった。身体の中で何かが

持ち直していくような、乾いた地面に水がしみこんでいくような…。僕は直喩の多用に反省する。しかし、たとえ

それが自分の肉体の中で起きていることであっても、僕にはそれを実感として捉えることが、ひどく困難な

ことに思える。インフルエンザ予防接種を受けた夜、自分の血液中で、血液により行き届けられた身体の隅々で、

何が起きているかを正確に把捉することは困難で、僕はただ、注射を打った二の腕の痛みと、その後に訪れるであろう

痒みを誰かに伝えることでのみ、僕の身体に起きているであろう何かを言づけるだけだ。夜は静かに眠る。

隙間を埋めていく濃度が、血液中を駆け巡っていく。目深の男が身体をよじる。どこか見知らぬ遠くの、誰かの外国語

聞こえてくる。

2014-11-24

[] 21:04


矯正器の口元を隠して

みあげる空は明るい

表から 裏

裏から回って

片っ端から扉を開け放っていく

傍らに眠る

それは

置き去りにしておこう

と 少なくとも


白人の青い眼差し

消し忘れた電話のビープ音

なりたいものになるために

まず その手を退けて

大きく口をひらいてみせる

日差しが陰り

白いシーツにくるまれて

目覚めるそれに

どう声をかければいい?


血の味がする

この昼下がりに

どんな名を付けよう

君にもこれが

何か分かるように

呼んだ名でそれは来る

その速度や様態に

相応しい形容詞が

今は見つけられない

2014-02-15

[]Stealing 20:37


どこに置かれてあるか、による。誰が腰掛けているか、にもよる。長椅子を純粋に

長椅子として見るのは殊の外難しいことだ。今それは手術室の扉の脇にある。部屋が

使用中であることを示す赤いランプは点灯している。それだけで時間は区画的で限定的に

流れているように思える。


男は長椅子の端、扉から遠い方の端に腰掛け、黒い綿のパンツを履いた足を、左を上にして

組んでいる。白塗りの壁に背中を預け、目を瞑って、彼は何か音楽を聴いている。時折胸元から

プレイヤーを取り出し、親指を鷹揚に動かし、そしてプレイヤーを胸元に収める。また時折、

足を組み替えることもある。誰にでも経験のあることだ。


僕がこんなにも彼の一挙手一投足に詳しいのは、この時僕が手術室の中にいたからだ。

厚い壁を透かして、手術の間ずっと、僕は彼を眺めていた。そして僕の肥大した全能感は、

この時僕自身から、清潔な開創器から、区画的な時間とそれに付随するものから逃れ、

彼の腓腹筋の一部になり、高まっていく血管の圧力を、ワックスがけされた冷たい床に

逃がそうとしていたのだ。彼の耳からはUs3の"I'm thinking about you"が注ぎ込まれている。

血液のように、と思いかけて止める。それは腓腹筋たる僕の埒外であるからだ。無論、僕の

薔薇色した傷口から流れ落ちる血液についても。


次に何が訪れてくるか、それは分からない。彼のプレイヤーには5000以上の曲が収められている。

それらはジャンル別にも分類され、彼は好んで"Hip Hop"とタグ付けされた曲群を、順不同に聞く。

だから今流れている曲が"Excursions"であってもなんら不思議ではない。

僕は寝返りを打つ。もちろん打つ素振りを見せるだけだ、腓腹筋たる僕に。僕のそれは脱力し、

時折電気的な符丁を宿主に投げかけて、しかし、彼が目を覚ますことはない。


赤いランプが消えた後も、男はしばらく長椅子に腰掛けたままでいた。胸元からプレイヤーを

取り出すことも、あれきり一度もなかった。間断のないフロウの快感を得られた今日を、彼はしばらくの間

覚えていることだろう。最後の曲はとりわけ快感だった。それがフェード・アウトしていく最中、胸元から

プレイヤーを取り出しタイトルを確認する。"Heavy Hittin'"。アーティスト名は見なかった。しかし

それで十分なことを彼は知っている。立ち上がる。足元に停滞していたものが、途端に巡り出す。