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2012-04-21

[] 蒼天航路 王欣太

極厚 蒼天航路(1) (モーニングKCDX)

極厚 蒼天航路(1) (モーニングKCDX)

面白かった。あまり三国志のことは知らないのだけど、それでも十分以上に楽しめた。三国志といえば、劉備とか曹操とか、有名どころしか知らないし、そもそも曹操が悪役として捉えられていることも知らなかった。Wikipediaをみたら、近年みかたが変わってきているとのこと。

それはともかく、こういった物語では脇役に目が行ってしまう傾向にある。もちろん主人公やその他の人たちも印象的だし目を惹かれる部分は有るのだけど、自分だったらたぶんその他大勢の一人なのだろう、とおもうとそちらへの感情移入のほうが大きい。怪力のひとや武芸に秀でたひとにあっさり殺されてしまう、物語ではほとんど顔も出てこないような人たち。世の中はそういった人たちで動いているのだと思うのだけど、確かに物語の主人公にするには弱いかな。

天下を獲る、と主人公たちは言う。それはいったいどういうことなのか。絶対的な権力を持って、すべてを意のままにしたいのか。あまり他人を動かしたいと思ったり贅沢をしたいと思うほうではないので、そういう気持ちがよく分からない。全くないわけではないので、そこから広げて想像すると、どうしても面倒だろうな、とか命を狙われたり陥れられたり大変そう、と思うほうが強いので、想像できてはいないのだろう。大勢を救うために少数を見殺しにしなければいけない場面と言うのはきっと今でもある。見極めはとてもむずかしい。49対51だったらどうするのか、とか。ただ、少数であろうと力を持った人を優遇しているように感じられる(あたりまえとも言える)社会だ。その他大勢で、あっという間に殺されるキャラクタとしては、もう少し何とかならないかと思う。民のことを考える、との設定である劉備ですら贅沢は大好きだし、大勢の民の死を比較的あっさりと受け入れてしまう。今とはだいぶ考え方が違うのだろう。劉備にしても、結局は王家の血筋だかなんだかで認められている部分があるように思えた。民衆の命が軽いころだったのだろう。

ところで、頸をつったらその瞬間にブラックアウトしてしまうとの実験を昔の学者が実際に行った(自分自身で)。漫画のように首をすぱっと切られてしまうとしたらどのような意識のあり方なのだろう。おそらく、頸をつったときよりは長く意識が有るのでは。とはいってもすぐに首から上は回転するだろうし、感覚としては同じようなものだと想像します。となると飢えで苦しむよりはそちらの方がいいかな。あっさりと死ねるのならそれもいいかも。死を思いとどまらせるのは人や社会とのつながりと死に至る過程の不明瞭さだ。前者も残っている部分は少ないし、後者も何とかなるような気もする。まあ、ここの更新がとまったからと言って死んだわけではないのであまり気にせずに。しないか。

週刊連載でこの絵はすごいなと素直に思う。途中で少し絵が乱れてきたかしら、と思う部分もあったけれど、総体としてはとても良かった。おきにいりのキャラクタとしては、まず「許〓」素直で純真。それだけに残酷な部分もありました。しかし老けないひとです。次に、「夏侯惇」。頭がいいのか悪いのか。兵卒に戻ったあたりが一番すきだ。そして、曹操の軍師二人。彼らがいてこそ物語が締まった。曹操もある程度話を聞いてからだと、頭の回転が速いようなのですぐに理解し、先を読めるかもしれないけれどそこに気づくことができるのか、というとできないのだろう。もちろん即理解できることはすごいことですが、気が付く方が(その分野に関しては)明らかに優れている。

無知をさらすようだけど、州牧とかって普通に有る言葉だったのね。あまりなじみがない漢字の組み合わせなので、てっきり造語かと思っていた。三国志も、ほぼ完全に創作なのかと思ったら一応史実と重なる部分も有るようで。ではなくて史実に基づいて作られているのか。司馬遼太郎みたいなもの?あまり書くと馬鹿をさらにさらけ出すのでこの辺でやめておこう。

三国志といえば吉川三国志(読んでいませんが)もしくは北方三国志。北方謙三といえば水滸伝(ちがうかも)で、北方水滸伝は読みたいなと思っているのですが、なかなか手が出ません。いつか読みたい作品のひとつ。

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2012-02-08 [読了] 海野碧 篝火草

篝火草

篝火草

海野さんの作品はハードボイルドなのだろうけど、そうでもないような印象を受ける。主人公が万能びっくり人間ではないからかもしれない。人間そんなものかもしれないけれど、ものすごく残酷な描写がされているのにどこか甘かったり、計画的であるにもかかわらず肝心なところがずさんだったりする。読んでいる最中に気になる、と言うほどではないけど、読み終わったあとに、そういえば、と思い出す感じ。

物語は、子どもを亡くし、別れた夫婦の妻側が変死したことで始まる。この先はネタばれになるので書かないけど、この女性から受ける印象は、前作(前シリーズ)のヒロインに近い。痩せ型で薄幸。

さて、この作品には知能が突出した少年が登場する。ライトノベルのように、頭がいい上に見栄えがいい訳ではない。歯並びが悪く、育児放棄に近い扱いを受けているため、薄汚れた服を着ている。でも、彼は虐待された子どもに良くあるように、親をかばう。少し違うのは、親の心情などを汲み取った上でかばっている点だ。決して無邪気に慕っているわけではない、と主張。しかし、本文中にもあるように、感情はこどもにすぎない。真賀田四季レベルの天才ならともかく、ちょっとIQが高いくらいでは、親を慕ったり、甘やかされることを望んだりするのはあたりまえなのだろう。

ところで、これまでの人生でIQを測ったことがないのだけど、IQを測ることって一般的なのだろうか。どんなものか知らないのだけど、立体パズルを解いたりするの?と、ここで思い出したけど、吉田秋生のバナナフィッシュで、アッシュの知能指数を測っていたけど、あの時はフィボナッチ数列がどうとか言っていた。もちろんレベルによって問題も違うだろうから、賢いと判断された子は何度も受けなければいけないのだろう、と予想するけど、解ける問題を解かせてもいまひとつ「知恵」は分からないような気もする。でもまあ、簡単には解けないパズルを簡単に解くのは、相応の知恵があるのでしょうね、といいたいところなのだけど、ある程度なら発想も練習で何とかなるとおもう。何とかなるというか、考えるパターンを増やすのは比較的簡単だし、少し頭のいい子なら若干の応用ぐらいは可能なのではないか。何がいいたいかというと、本当に頭のいい子は検知できるかもしれないけど、そうでない子も結構拾ってしまうのでは、と言うこと。 この作品に出てくる少年は、結構本当に頭が良いみたいで、観察力もある。面白そうなことを見つけるのも才能だ。うん。

こんなことばかり書いていると、主人公はこの少年なのか、となるけれど、主人公はもちろん先述の、妻を亡くした中年男性だ。ハードボイルド探偵物では、ちょっと一般人には無理だろうとおもうような行動をとる人がいる。痛みに強かったり、やくざにからんでみたり。頭がおかしいと相手に思わせたら勝ち、との文章も時折見るけれど、ああいった人たちに「頭がおかしい」と思わせるのはかなり大変だ。そこいらの一般人にできそうにはないし、少なくともできない。この作品では、ちょっと他人の力も借りるけれど、基本的には自分の力の及ぶ範囲で物事を進めている(まあ、そうでない部分もあるけれど、基本的にはだ)。それが特別新鮮だとはおもわないけれど、一般人にできそうな視点で話が進むのは良かった。

主人公の能力に関して、現実とのバランス感覚はとても優れているし、読みやすい作品ではあったものの、裏返せば、強力に推すものがない、とも言える。そのあたりは好みになってしまうのだろうけど、物足りなさを感じる人もいるかもしれない、と読了後少しおもった。でも、個人的には面白く読めたし、海野碧さんの作品は、今後も読みたい。

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2012-01-16 [読了] 真藤順丈 畦と銃

畦と銃

畦と銃

ミナギという架空の農村が舞台。村の英雄的存在の三喜男とその弟子の少年二人が村の悪徳業者と戦う第1部「拳銃と農夫」、ライブのために山の木々を伐採することになり、その担当となった女性が奮闘する第2部「第二次間伐戦争」、周りになじめないこどもたちが集まった牧場で、目的の見えない敵と戦う 第3部「ガウチョ防衛線」の3部で構成される。

農村で働いたことはないし、家畜といっても本当に少しだけ見学した程度しか知らない。知らない世界が舞台になっている話はおもしろいけど、どのていど本当なのだろう、なんて考えてしまう。考えてもわからないことなので、あるていどで考えるのは止めるのだけど、この作品はとても臨場感があって良かった。生きていくうえでものを食べることは避けられないことなのだけど、生き物を殺す場面など、どの程度見ておかなければいけないものなのだろう。興味本位で見学させて欲しい、といってもあちらが不愉快になるだろうし、映像でみたところでそれほどの実感はきっと得られない。以前、教室で豚を飼育して、その豚をどうするのかというテーマの作品があった。実際にあった小学校での話のようで、こどもたちはきっといろいろと考えたことだろう。考えることが重要だ、とも思える。その作品が表に出てきたとき、教育上よくないとかいいとか、周りが騒いでいたように記憶しているけど、個人的には、生き物と食について考えることは良いことだとおもう。この作品でも家畜に名前はつけないようにしている、とあった。情が入ると別れが淋しくなるのは、生き物が身近にいる異常避けられないことなのだろう。あまり関係は無いのだけど、生き物を飼ったことがほとんど無い。金魚ぐらいだろうか。それもかなり放置していた気がする。生き物を飼うことに限らなくても、もともとあるものがなくなることや、離れ離れになることに弱い。恋人がいなかった、いない言い訳には弱いかもしれないのだけど、楽しい時間があればあるほど、これが失われたとき果たして立っていられるのだろうか、と考えてしまう。たぶん大丈夫だし、何もないよりは楽しい過去があった方がいいのではないかともおもうのだけど、勇気が出ない。今は猫や犬が飼いたいと少しおもっているのだけど、仕事で部屋を空けることもあるし、その時間のことを考えると飼うことに躊躇してしまう。

それはさておき、この作品では方言が多く使われている。だから読みにくいか、というとそうでもなくて、引っ越した人が方言に慣れていくのはこんな感じかな、とおもってしまう感覚で方言を受け止めるようになる。引っ越したことは何度かあるのだけど、結局生まれ育った言葉がまったく抜けないので偉そうなことは言えないけど、子供なら当たり前にできそうなその感覚を擬似的にもできたのは楽しい。第2部では共感覚の持ち主であろう登場人物が複数現れる。自然を音楽として受け止めるウッドマンが登場して、繊細なようで荒々しく、その逆でもある。彼らそのもののようになりたいわけではないけれど、格好よく年をとることができるだろうか、と若くなくなった今、よく考える。

農業に限らず、知らないことはたくさんあるだろうし、知らないまま終わることもたくさんあるだろう。ほんの少し触れたからといって何かを知ったつもりになる気はないけれど、こんな風に楽しい作品をもっと、もっと読みたい。

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2012-01-05 [読了] 佐島勤 魔法科高校の劣等生

魔法科高校の劣等生〈1〉入学編(上) (電撃文庫)魔法科高校の劣等生〈2〉入学編(下) (電撃文庫)魔法科高校の劣等生〈3〉九校戦編〈上〉 (電撃文庫)魔法科高校の劣等生〈4〉九校戦編〈下〉 (電撃文庫)

ウェブで話題になっていたという作品。一冊一冊が厚いのは、その世界観を細かく説明しているからで、それを楽しめる人だったら楽しめる作品だ。舞台は、魔法を使える人たちが現れた世界。どんなものでも生まれもった能力があるように、この世界でも魔法を扱える力は生得的なものだ。主人公は魔法自体を使える力はあまり無いものの、それを補佐する器具や戦略を立てる能力がずば抜けている。そのほか、まだまだ設定はあるのだけれど、それは読んでのお楽しみ。

現実でも、たとえばジャイアントキリングではサッカーをする能力が無くても監督として力を発揮する青年がいるように、力が無くてもその競技で能力を発揮できることはある。それを、魔法の分野で描いていることがおもしろい。細かいところは、ん、と引っかかるときもあるけれど、それはもしかしたら読み手の力不足ではないかともおもう。そうおもえるくらいいろいろと考えられた世界観だ。

異性のきょうだいがいないので実際に恋人のようなきょうだいがいるのかどうかはわからないけれど(主人公には妹がいる)、この先二人がどういった関係になっていくのか興味深い。主人公が通う学校はある意味エリートぞろいなので、当たり前なのかもしれないけれど、周りにいるキャラクタも魅力的で、スピンアウトもどんどん考えられそう。書き溜めがあるのか、執筆速度が速いのかはわからないけれど、刊行速度もかなり速いのでこれからが楽しみな作品。

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2011-12-25 [読了]中田永一 くちびるに歌を

くちびるに歌を

くちびるに歌を

中田永一さんの作品をアマゾンで検索したら、普通に乙一さんの作品が並んでいて、ああ、乙一さんの別名義だったのね、と受け入れた。乙一さんは、映像の方に興味をもっているみたいだったので、中田永一さんが乙一さんとはおもわなかったけど、知ってしまえばなるほど、とおもう。乙一名義の作品と比べると、ひねくれている部分がうまく隠されているような気もする。

さて、作品だけど、とてもおもしろかった。あらすじはまあ、どこかのサイトに書いてあるだろうから避けておこう。この作品では自閉症の兄をもつ少年が主人公だ。親は、どういうつもりか、この兄を支えるために彼を産んだ、と少年に伝えてしまう。もともとその通りだったこともあるのだろうし、手助けをさせるためにはそのことを伝えておかないと、と考えたのかもしれない。こどもが理由もなく親の手伝いをすることはあまり無いからだ。先に生まれた子を助けるために、とおもって授かった子供は結構たくさんいるだろう。この少年は比較的素直に育っているけれど、ぐれてしまう子もたくさんいるのではないかと想像する。大人になってからだと、そういった事情は理解できる。子供がほしい、というだけで相手に愛情が無いこともあるだろうし(肯定はしないが)、白血病などで、適合するこどもがどうしても欲しい場合もある、と理解できるのだけど、それをこどものうちに伝えるのはいかがなものか。主人公たちと同じ年のころ、親から、お互い嫌いあっているけれどお前たちが生まれたから仕方がなく一緒にいる、といわれたことがある。仲がいいわけではなかったので、そうだったのか、とおもった一方で、こどもをいいわけにするなと頭にきたものだ。その世代の人間には結構多いのかもしれない。その話を聞いてしばらくして、結局別れたので、こちらの態度にでたのかもしれない。今となってはかれらは別れて正解だったのだろうとおもう。しばらくは、異性に対してぎこちなくなってしまった、とこちらも言い訳をしてしまいそうだけど、それはもともとの性質だったのだろう。大人になってから、たぶん、彼らもそれほど大人ではなかったのだ、と理解できる部分はある。あるけれど、やはりこどもに対してはそういったことを伝えるべきではない。

作品に出てくる子供はとても素直だ。そんな素直な子供ではなかったので、素直になれることが羨ましかったりする。でも、素直ではなかったからこそ、小説に登場する素直な子供たちを見て、素敵だと感じられるのかもしれない、と少し前向きに考える。こどもはとても不自由だ。行く場所も、環境もほとんど選ぶことはできない。その不自由さの中で、懸命に生きる姿がまぶしい。今の子供たちも、こんなに素直なのだろうか。素直さや素朴さは、大人が勝手に望んだものかもしれないけれど、確かにあるようにもおもう。閉塞した感じが世の中を覆っているのだけれど、未来のある子たちが、未来に期待できるような世の中になって欲しいものだ。話がおおきくなっているので、このあたりで終わるとしよう。

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