あの家に暮らす四人の女 三浦しをん

あの家に暮らす四人の女

あの家に暮らす四人の女

谷崎潤一郎メモリアル特別小説として刊行されたようなのだけど、谷崎潤一郎の作品を読んでいないのでそのあたりには触れない。三浦しをんらしい文体で、若干のさみしさを持つひとが、周りからは飄々と日々を過ごしているように見えていても、実際には煩悶しながら生きているている様子が描かれている。この作品では、大きな持ち家があるけど、収入減がなくてあまり裕福ではない母子と、縁あって同居する二人の女性が登場する。子供を持つとなると結婚したほうがシステム的に得なのだろうとは思うけど、子供を持たない人生を歩むと決めてからは、他人と生活する煩わしさに耐えられないだろうとおもっている。ひとりでいることをさみしいとおもうことは、ほとんどない。かつて好きだった人のことをおもいだすとき、その人と生活していたらどうなっていただろうかとほんのり考えることはあっても、さみしくてどうにかなりそうな気分になることはない。誰と生活していたとしても、たぶんうまくいっていないだろう。どちらかが、あるいはどちらも無理をすれば、乗り切ることはできるかもしれないけど、一人でいることの気楽さに勝ることはないような気がする。誰からも求められなかったことが少しさみしい気もするけど、一緒にいたいと思った人はこれまでの人生でわずかしかいなかったので、需要と供給は結構合わないものなのだと感じる。世の中の人たちは結構すごいことをしているのだ。
登場人物の中に、比較的近い考えのひとがいた。でも、そのひとは、強くないつながりの中で誰かと生活することに、何らかの意味を見出した。いじわるな言い方をすれば、のんびりした性格の人に間借りをしているのでそんな考えに至れるのではないだろうか。のんびりと生きられる環境なら、ひとはあまりいがみ合うことがなく一緒に生活することができるのかもしれない。度が過ぎた個人主義とはおもわないし、他者に気を使うのがものすごくいやなわけではないけど、それが一日中となるといやかもしれない。たぶんこのままひとりで死ぬだろう。どのタイミングで(腐敗が広がらないように)ブルーシートを敷けばいいのだろう、などと考えるときもある。まだ、そこまで老化しているわけではないので十分考えることもできる(できているはず)で、物を運ぶこともできるけど、自分の老化は気が付きにくいというし、タイミングを損ねてはいけないとおもう。ちゃんとした死生観があるわけではないけれど、あまり死が怖くないのは、死に至る道がぼんやりとでも見えているからかもしれない。もしかしたら誰かに襲撃されて死ぬかもしれないけど、それを恐れていてはおちおち出歩くこともできないし、基本的には部屋でおとなしくしているので事故にあう可能性は他人より低いのではないだろうか。大きな病気をするかもしれないけど、それもある程度は想像の範囲内にある。時期が前後するのはしかたがない。登場人物も少し触れていたのだけど、逆縁の不孝だけは避けたいところだ。親世代は元気な人が多いので、自分よりも長生きしそうな印象は否めないけれど、せめて親の死くらいは看取ってから死にたいものだ。生きている間は楽しく過ごしたいと思うものの、執着するものがない。現実の人間関係は、以前から予定していた通り、少しずつ疎遠になっていて、仕事以外で親しいと言えるひとはかなりすくない。そのひとたちとも、頻繁に連絡を取っているわけではないので、いずれ連絡もなくなるだろう。一人で生きることはできないけど、人と多くかかわらない生き方は可能だ。それをさみしいとかつまらないとか思うひとは一生懸命交流を持てばいいけど、つまらない人生だなと人に言う(押し付ける)必要はないし、そう言うような人とは交流しなくても良い。あなたのためを思って、という人もいるかもしれないけれど、暑そうだからと言ってアリの巣に水を流し込むのはアリのことをおもった行動ではなく、想像力が足りない人が、自己満足のために行っているだけだ。
本を読みなれている人は、途中であることに引っかかるかもしれない。そのひっかかりは、途中で解消されるので、読み進めてほしい。なかなか楽しくて、少し声に出して笑ってしまった。
三浦しをんの作品で、登場人物はよく話し合う。もちろん言葉が足りない人もいるけど、基本的には、話すことでわかりあいたい、との願いがあるのではないかと思う。完全に理解することはできない。自分自身にだって、完全には理解できていないのだから、そもそも確認する方法がないのだ。それでも、言葉を積み重ね、相手のことを知ろうとする、自分のことを伝えようとする姿が好きだ。あまり、他人に理解されようとして話すことはないかもしれない。多く話すことが、これまで徒労であったことが多いのだろうか。以前はよく話すタイプだったような気もする。いろいろあきらめてしまったのかも知れない。期待をしない生き方は、楽ではあるけれど、本などでそういう世界があることを感じると、若干味気ないようにも思える。それでもたぶん、大きく生き方が変わることはないだろう。静かに本を読み、ときどき感想を書く。そういった人生がこれからも続くだろうし、体力のある限り続けばいいと願う。

三浦しをんつながりでアニメの感想も少し書く。

船を編む(アニメ)

舟を編む (光文社文庫)

舟を編む (光文社文庫)

読んでいて面白い作品だったけど、アニメにして面白いのだろうか、と少しの不安と、何か新しい一面が見られるだろうか、と少し期待しながら視聴した。悪くはないけど、期待していたよりも情報量が少なかった。本で感じた面白さの多くは失われていたようにおもう。映像作品を見たことで得られたのは、文字がぐるぐるするところと、キャラクタの顔と声がはっきりしたところだ。もう一度読み返せば、この顔と声でイメージするだろう。でも、それは、自分がイメージしていた顔と声が、この作品の顔と声に入れ替わっただけで、な気もする。三浦しをんの面白さとして、本人が当たり前だと思うことが少しだけ周りとずれている、というのがあると思っているのだけど、それはアニメでは描きにくい表現なのかもしれない。