2012-05-03
とんでもない月曜日
私は、あるSNSに参加しています。
そこのコミュの一つ、「図書館倶楽部」に籍を置いていますが、そのコミュで今、「笑える本、楽しい本」というトピックが立てられ、大勢の方が、楽しい本を紹介してくださっています。
私も、一冊、紹介しました。
児童文学ですが、ジョーン・エイキンという人の作品、「とんでもない月曜日」です。
アーミテージ一家には、毎週月曜日に、とんでもないことが起こります。
ユニコーンが庭に迷い込んで来たり、マークとハリエットの兄妹が、突然、天使のような声になって、合唱団に加わるのですが、その魔法の効き目は、真夜中に消えることになっていたり・・・
そうそう、それから、アーミテージ家には、幽霊の下宿人がいます。
ファンタジーなのですが、充分に現実的で、マークとハリエットも、現実的な性格です。
その二人を含む、アーミテージ一家が、右往左往しながら、不思議は進み、やがて収束します。
作者には、独特のユーモア感覚があり、そのセンスが合う方には、とても面白い、笑える本だと思います。
*なお、今、手元に、その本がありませんので、記憶違いがありましたら、ご容赦ください。
2012-04-15
空気が読めないって、いけないこと?
以前、あるSNSのあるコミュニティに参加していたことがあります。
初めてのオフ会に参加して帰ってきたら、そのコミュニティの管理人さんから、メールが来て、そのコミュニティから、除名されてしまいました。
理由は、私が、コミュニティのほかの方たちと合わないからだそうです。
要するに、空気が読めない人だと思われたのでしょう。
たしかに、周囲から浮き上がってしまうと、相手にされなくなるので、本人は辛いですが、その意味ではいけないことかもしれませんが・・・
自分を殺して、ひたすら周りに合わせるって、いいことなのでしょうか?
空気が読めないって、本当に、いけないことなのでしょうか?
2012-04-12
霧の朝
今朝早く、玄関の扉を開けて、外を見たら、うっすらと霧が立ち込めていました。
子供のころとっていた幼児向け雑誌に、「霧の朝」という一ページがあったような気がします。
それとも、「霧の朝」という歌があったのでしょうか?
ともかく、今朝は、あ〜春が来たなあ、と感じました。
(通勤の方は、電車が遅れないといいですね)
2012-03-19
20年後の MASTER キートン
今朝の新聞に広告が出ていました。
「マスター・キートン」が、20年ぶりに、連載再開、ということらしいです。
キートン・平賀太一、日英のハーフですが、元SASの隊員、そして考古学者、本業(生活費を得る手段)は、保険会社のオプ(調査員)、というわけで、世界中を飛び回ります。
キートンは、一種のスーパーマンですが、人間的で、温かい人柄です。離婚経験があり、日本に、女の子と、動物学者で、女好きのお父さんがいます。
説明するのは面倒ですから、もし興味がおありなら、今朝の新聞の広告をごらんください。
「MASTER キートン」の完全版は、全12巻だそうで、昨年から、毎月末に、一巻ずつ発売されています。
20年前には、このコミックのことを知りませんでした。
(忘れていました。この本はコミックです。)
20年前は、私は、大変な時期でしたし、ビッグコミックに連載されていたらしいので、情報が入ってこなかったのです。
ビッグコミックは、男の人が読むものだと思っていました。
とにかく面白いです。
作品の世界に没入できます。
しばし現実を忘れますので、いい気分転換になります。
泣いたり、笑ったり、しみじみしたり・・・
ビッグコミックオリジナルは、毎月、5日と20日発売だそうです。
明日、発売の号から、連載開始となるようです。
定価は300円です。
もう、おばさんなので、ビッグコミックを買うのには、抵抗ないかな?
いや、かえって恥ずかしいでしょうか?
2012-03-11
目に見えるようだ・・・
近頃は、瀬戸内寂聴の紀行エッセイ、「嵯峨野みち」や、森茉莉のエッセイ、「幼い日々」を、いろいろなところで朗読する機会がある。
「嵯峨野みち」からは、「花」や「雪」など、四季折々の描写、「幼い日々」は、長いエッセイなので、冒頭だけを読んでいる。
「幼い日々」は、森茉莉さんが、父、鴎外や母、弟たちと過ごした、千駄木での幸せな子供時代の思い出を書いている。
四季折々の煌めくような日々、そして、懐かしい明治が浮かび上がってくる。
これらの作品の朗読を聴いてくださった方々は、みなさん、「情景が目に見えるようだ」と言ってくださる。
これからは、この線で行こうかと思う。
「耳なし芳一」や「宮本武蔵」のような作品を読むには、体力も気力も衰えた。
これからは、静かで穏やかで、肌理の細かい作品を淡々と読みたい。
そういえば、以前、須賀敦子のエッセイを読んだ時も、「目に見えるようだ」と言ってくださった方があった。
目に見えるようだ・・・
近頃、瀬戸内寂聴のエッセイ「嵯峨野のみち」や、森茉莉のエッセイ「幼い日々」などを、朗読する機会が多い。
「嵯峨野みち」からは、「雪」や「花」などを読む。
「幼い日々」は、長いエッセイなので、その冒頭部分を読む。
いろいろなところで読むのだが、聴いてくださった方々は、みなさん、「目に見えるようです」とおっしゃる。
「嵯峨野・・・」の方は、嵯峨野の四季の描写で、「幼い日々」は、森茉莉さんが子供のころ(明治時代)に、父(森鴎外)や、母、弟たちと住んでいた千駄木での幸せな子供時代を描いたものだ。
聴き手は年配の方が多い。
若い方が、どういう感想を持たれるかはわからない。
しばらく、この路線で行ってみようかと思う。
「耳なし芳一」や、「宮本武蔵」などを読む体力、気力がなくなってきた。
穏やかで、静かな文章を、淡々と読みたい。
そういえば、須賀敦子のエッセイを読んだ時も、目に見えるようだと言ってくださった方があった。