文部科学大臣秘書からFAXをもらう

山口洋さんのブログ経由で、このエントリを知った。直情径行を自認するおれは、それで何度も痛い目に遭っているのに懲りず、この上記のエントリをプリントアウトし、「しっかり官僚を監視してこのようなことを許しておかないように!!職務怠慢ですぞ!」という文言と、「四日市、織田」と書き加え、10月10日の未明、文部科学大臣の国会事務所にFAXを送りつけた。


そのFAXに対し、「文部科学省 大臣秘書官室」の担当・藤吉氏より返信をいただいた。
これは正直なところあまり期待していなかった反応だっただけに、少々驚いた。まずはきちんと返信をいただいたことについて、中川文科相、及び藤吉秘書官に敬意を表しておきたい。


以下、藤吉秘書官からの返信を文字起こしして公開する。
「今頃ストロンチウムだと!」に対する、文部科学大臣秘書官からの回答ということで、これを文部科学省の公式見解と見なして構わないだろうと考える。

平成23年10月19日

F A X 送 信 状


送信先  四日市 織田様
発信者  文部科学省 大臣秘書官室 (担当:藤吉)


〒100−8959 東京都千代田区霞ヶ関3−2−2
TEL 03(6734)2101
FAX 03(6734)3580

下記の件につきファクシミリにて送信いたしますので、
よろしくお願い申し上げます。


いただきましたFAXについて、大臣からの指示で
別添のとおり、回答させていただきます。
貴重なご意見をいただき、ありがとうございました。


(改ページ)



いただいたFAXへの回答について


 貴重なご意見をいただきありがとうございました。
 文部科学省としては、引き続き、様々な手段を駆使し、環境放射線モニタリングを着実に実施し。今後とも、東京電力(株)福島原子力発電所周辺地域の環境回復、子どもの健康や国民の安全・安心の確保に貢献してまいります。
 さて、頂きましたFAXの内容について、下記のとおり事実関係の説明をさせていただきます。




1.事故直後からストロンチウムについて指摘があったのに今頃になって発表したという指摘について


○これまで、事故発生当初の3月16日からの福島県内の比較的空間線量率が高い陸域において文部科学省が土壌や植物について、4月18日から福島第一原子力発電所から30kn圏内の海域において東京電力(株)が海水及び改定の土壌について、随時にストロンチウムに関する分析を実施し、速やかに結果を公表してきており、9月30日に公表した分析結果が初めてではありません。なお、文部科学省が9月30日に公表したプルトニウムストロンチウムの分析結果は、プルトニウムストロンチウムの拡散状況をより詳細に確認するために、調査範囲や点数を拡大して実施したものです。


2.土壌100試料のストロンチウムの核種分析がサンプル終了から3ヶ月が経とうとしている時期に公表した文部科学省の態度は「人の命に関わる問題である」という意識が感じられないという指摘について


ストロンチウムの各種分析の結果の好評が、9月30日となったのは、他核種と比較した被ばく量への寄与の大きさや半減期の長さを考慮して、放射性セシウムセシウム134、セシウム137)及びヨウ素131を優先して分析したためであり、今回の事故による放射性物質の拡散が国民の健康に影響を与えるものであるという問題意識のもと、優先順位の高いものから分析を行なった結果です。


(改ページ)


○なお、ストロンチウムの正確な核種分析を行うためには、ストロンチウム以外の核種の化学分離等を行うことから1試料あたり3週間程度字間が必要であり、このことも試料採取から公表までに時間のかかった一因となっています。



3.土壌100試料のプルトニウムストロンチウムの核種分析結果の公表日を金曜日にしたのは、都合の悪い状況があるためであるという指摘について


○ 文部科学省では、今回の調査におけるストロンチウム及びプルトニウムの核種分析に限らず、本調査での核種分析の結果については、分析結果がとりまとまり次第、有識者により構成される「放射線量等分布マップの作成等に係る検討会」において公開で議論した上で、速やかに分析結果を公表してきており、都合の悪い状況があるため、金曜日に公表したという事実はありません。
○土壌100試料のストロンチウム及びプルトニウムの核種分析結果についても、検討会の主査及び委員の都合を踏まえて可能な限り早い日程で検討会を公開で開催し、その議論を経た上で、即日公表しています。


4.土壌100試料のストロンチウムの核種分析結果における被ばく評価を、「土壌からの再浮遊に由来する呼吸被ばく」と「土壌からの外部被ばく」だけで行うのは誤魔化しではないかという指摘について


○ ストロンチウムの核種分析結果に置ける被ばく評価については、
 ・土壌を直接口に入れることはないこと
 ・ストロンチウムプルトニウムが土壌において検出された箇所の周辺に居住する住民がストロンチウムプルトニウムが含まれる食べ物を食すかどうか判断できないこと
から、「放射線量分布マップの作成などに係る検討会」で議論した上でIAEAが提案している緊急事態時の被ばく評価方法に基づき、本調査結果で得られた核種ごとの沈着料の最高値が検出された箇所に50年間滞在した場合における、「土壌からの再浮遊に由来する呼吸被ばく」と「土壌からの外部被ばく」について評価したものです。前述の通り、ストロンチウムプルトニウムが含まれる食べ物を食することによる内部被ばくを評価しなかったものであり、意図的に隠しているものはありません。


……文字起こしだけで疲れたので今日はここまで。
FAXのスキャン画像もつけておきます。


トラックバックのために。
http://nucleus.asablo.jp/blog/2011/10/01/6120341/tb

中国政府によるウイグル人虐殺に抗議するデモ

友人id:Mmcmixi日記から情報転載。

日時:7月12日(日)
   15:00 集合
   15:30 集会
   16:15 デモ
   16:45 解散

会場:渋谷 宮下公園

主催:日本ウイグル協会

コース予定:宮下公園→電力館→渋谷区役所→神南→渋谷駅前→宮益坂下→宮下公園

【追記】デモ用のいろいろ:
http://www.ttrinity.jp/471097.html
http://www.ttrinity.jp/470988.html
https://www.mmjp.or.jp/ssl.sarago.co.jp/shop/ (アジア地域の旗)


僕は地方在住ですので参加できませんが、首都圏在住でウイグルの方を支援したいというお気持ちの方はよろしくお願いいたします。

↓こういうことも起こっているらしいです……。

日本ウイグル協会サイトからの情報
http://uyghur-j.org/urumqi_090705.html

  • - - - - - - -

最新情報

2009/07/08 11:10
ウルムチの20ヶ所で漢人によるウイグル人襲撃事件が起きたが、中国政府の武装警察は来ていません。

カシュガルの小学校を漢人が襲撃。20人の子供を殺害し、遺体を道路に捨てた。

・中国政府は生産建設兵団の中国人に武器を配りはじめた。
新疆生産建設兵団 - Wikipedia
新疆生産建設兵団(しんきょうせいさんけんせつへいだん)は、中華人民共和国西部新疆ウイグル自治区中国人民解放軍から離れ、軍隊組織で開墾と辺境防衛を行う国家機関である。兵団員のうち、88%が漢族である。

情報元
http://www.wetinim.org/forum/viewthread.php?tid=1828


「教育における体罰を考える」シンポジウム 津田大介氏Twitter実況まとめ

維新政党・新風主催の 「教育における体罰を考える」シンポジウムが6月26日(金)に開催された。
ジャーナリストの津田大介氏がシンポジウムの模様をTwitterで実況した。
津田氏はご自身のTwitter上の発言をクリエイティブコモンズライセンス(表示-継承)の下で公開している。津田氏の実況を元に、若干の整理・加筆を行なってシンポジウムの内容をお伝えする。

Creative Commons License
このエントリは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。

第一部:対談  
テーマ:「教育における体罰について」

 ・東京都知事 石原慎太郎
 ・ジャーナリスト 櫻井よしこ


第二部:パネルディスカッション
テーマ:「教育に体罰は必要か?」

パネリスト
 ・小林正(元参議院議員、教育評論家)
 ・高橋史朗 (明星大学教授)
 ・田久保忠衛(外交評論家)
 ・南出喜久治(弁護士)
 ・村松英子 (女優)
 ・佐山サトル初代タイガーマスク 興義館 総監)
 ・鈴木信行 (維新政党・新風 幹事長)
 ・光永勇  (全国勝手連合会 会長)
 ・西村幸祐 (作家・評論家・ジャーナリスト)

総合司会 水島総 (チャンネル桜 代表取締役社長)
日本国歌独唱 MASAMI (ソプラノ歌手・藤原歌劇団


以下の引用部分の原著作者は津田大介氏

六本木ヒルズで行われる「教育における体罰を考えるシンポジウム」に来ましたよ。今回は事前に取材申請して、プレスパスもらってます。http://bit.ly/ikdDV

第一部は石原慎太郎東京都知事)と櫻井よしこ(ジャーナリスト)の対談。第二部はパネルディスカッション。

このシンポの主催は「教育における体罰条項を考える会」という団体で、昨年教育基本法学校教育法から体罰を禁止するという条項を削除するために活動しているそうです。

シンポに先立って、全員起立、君が代独唱と斉唱。

教育における体罰条項を考える会会長加瀬英明さんの挨拶。

加瀬「慶応の創始者福沢諭吉は、慶応の幼稚舎作った。幼稚舎のモットーは人心よりも重心を育てよというもの。学校教育法という話でいうと、戦前も体罰を禁止していたが、現在は体罰の解釈範囲が異なってきている。廊下に立たせたりするのも体罰と解される」

加瀬「子供は動物に近い、と言ったのは福沢諭吉。理知的な体罰を加えることは認められなければならない。それを認めないことが学校教育を混乱させている。そのため体罰条項をなくすため、この会を作った。皆で体罰問題について考え、今日の常識を逸した体罰を禁ずる学校教育の現場を変えていきたい」

続いて戸塚宏戸塚ヨットスクール)さんの挨拶。

戸塚「体罰には帰納法演繹法がある。体罰の定義とは何なのか。善悪をどう決めるのか、その両方をできない人が体罰を悪という。そういういい加減なことで国中が動いている。もう一度体罰、権利、自由など、すべての言葉、定義を見直していきましょう。体罰を見直せば今の教育は8割方良くなる」

続いてハリウッド大学院学長の山中さん。

山中「今なぜ体罰問題なのか。なぜヒルズでこれをやるのか。しかし、金がすべてと言っていたホリエモンヒルズからいなくなり、村上ファンド、リーマンもいなくなった。我々はお金で買えないもの、ことをやっている(会場拍手)」

山中「体罰とは表現を変えれば躾の問題。私どもも徹底した厳しい精神教育をやっている。将来日本を担う人間を作るにはそれぐらい厳しくしないとだめ。今日は皆さんと一緒にこの問題を考えていきたい」

津田氏感想:
※最初のところで「教育基本法」って書いたのは「学校教育法」の間違い。学校教育法第11条の体罰禁止条項を削除させるということが目的ってことですね。

※第一部の石原都知事の到着が順調に遅れており、本来第一部と第二部の幕間にやるはずだった「日本のうた」のコーナーが粛々と行われています。

.。oO(普通にどれも良い曲だなー。ustしたい)

※歌っているのはMASAMIさん(ソプラノ歌手・藤原歌劇団

石原都知事到着。司会は日本文化チャンネル桜社長の水島総さん。

第一部:
櫻井「体罰を考えるときに一体何が体罰なのかよくわからない。いろいろな人がいろいろなことを連想するが、新聞記事で問題にされる体罰事例を見ると、子供が先生のいうことをきかないので、教室の後ろに立たせたり、子供が先生の尻を蹴ったので、壁に押しつけたら体罰と言われた。それも体罰?」

水島「わたしは常日頃から『子供には体罰を受ける権利がある、親には体罰を与える義務がある』ということを持論にしているが石原さんはどうですか」

石原「そもそもこんな会やるの遅すぎだよね(会場笑)。今は昔の良かった時代をセンチメンタルに振り返ってる暇はないね。私たちは世代や個人、情念の違いなどはあるだろうが垂直的に統合できる価値観というのが失われていて、それが教育にもいえる。私は子供よりまず国家が体罰受けた方がいいと思う」

石原「とにかく金閣寺が焼けたりミサイルとかも東京に落ちたら良かった。そうしないとこの国は気づかない。それは半分冗談で半分本気だ。ただ北朝鮮は絶対に日本にミサイル撃ってきませんよ。それやったら米国とのバランスが壊れることわかってる。日本が今見習うべきは北朝鮮の外交術だよ(会場笑)」

石原「私は戸塚さんの後援会長をまだやっている。彼の言っていることはすべて正しいと思ってる。事件で不幸なことになってしまったが、彼の言っていることは改めて見直されるべき。彼の受け売りだが、小さい頃に肉体的な苦痛を受けたことがない人間が社会に出て増えていくと、ろくなことにならない」

櫻井「幼い頃に肉体的苦痛を知らずに育った子はダメだという話だが、私の両親祖父母の世代はそのことをよくしっていて、家庭教育でも学校教育でもそれをやっていた。きちんと正座をしてお茶の真似事をさせる、冬の寒いときに寒稽古をさせる。そうしたことをきちんと当たり前のようにやらせる親がいた」

櫻井「戦後の教育を見ると、子供の好きなように、自由なようにして肉体的な苦痛を与えないことが理解のある親、先生ということになった。昔と違ってこの頃の子供たちは背を伸ばして座れない。昔の日本は先生がビンタをはらなくても日常的に肉体的鍛錬をしていたから規律が取れてた」

櫻井「体罰、訓練、そうしたことを我々の生活の中に取り戻さなければならない。そういうことが当たり前になれば、戸塚さんがつかまるようなことはなかった(会場拍手)」

石原「東京では都立幼稚園から小中高大を集めてする会があって、そこでいつも同じことを言ってる。「皆さん子供の教育の責任者として、子供の教育の最高責任者は親だ、と親に言ってください」と言ったら、先生たちから感激された」

石原「何で国会議員ってのは役所出身のやつが多いんだ。そんな人間たちに議員やらせるから年金の問題みたいようなことが起きる。自民党は次の選挙で負けるだろうが、自業自得だ」

石原「自民党が河野時代に野党に下ったときに、徹底的に今の自民党を見直して新しい政策を作ろうということを言った。教育では今の子供を鍛え直すために、1年間病院の手伝いやらボランティアやら、自分を殺して他人のための奉仕するという教育政策を提案したのだが反対された」

石原「この今の時代に最低限1年間ボランティア、社会的な部分に関わらせることをしなきゃいけない。でも今の時代体罰条項削除とかいったら、世間からはものすごい反発があるよ。この会場にいる人たちはそういう覚悟はあるの?」

石原「戸塚さんがやったことはパーフェクトな試み。警察でも手を焼くような子供を大量に更正していたが不幸な事故でああいうことになった。彼によって再生した子供たちはたいてい親が酷かった。子供の方がしっかりしていた。あの印象は今でも忘れられない。今ダメなのは若い先生と親だよ(会場拍手)」

櫻井「今の日本家庭で子供たちに教えられていないことは、いかに敗北に直面してその敗北を乗り越えるかということ。今の親は愛情とお金を注いで子供を敗北から守ろうとしているが死力を尽くしても敗北せざるを得ないという状況に向き合わせなきゃいけない。お手々つないで一緒にゴールじゃないでしょ」

櫻井「圧倒的な力で子供を押さえつける、ということを今の父親はしない。私は常にそういう風に親が子供を抑圧しろといってるわけじゃない。一生に一度くらい、そういう親が子供を押さえつけるようなことをしてもいいじゃないか。それくらいの心構えが今の親にはない」

櫻井「子供に敗北を認識させるということが重要。自分で敗北を認められたとき、そこから復活できる。敗北して初めて相手に敬意を払うことが学べる」

櫻井「自民党は今回恐らく敗れるだろうが、そのとき自民党に立派に敗北してもらいたい。自分たちの悪いところを認識して誇り高く落ちることができれば、そこから確実に再生することができる(会場から大拍手)」

石原「選挙は政治だからどうでもいい。それより国家の主体をどうするかということの方が重要。小沢は米国とにぎってるんじゃないか。小泉が一番嫌いなのは田中真紀子、小沢が一番嫌いなのは私(会場笑)」

石原「人間で一番重要なのは脳幹。熱いと思ったら熱いと思う。そういうのが重要。木の幹が細いのに、実がたくさんなるから実は落ちちゃう。今の子供はそう。ITで情報を取りすぎていて頭でっかちになって他者とのフリクションや敗北に耐えきれない子供、そして親も増えている」

石原「この頃の男は酷い。男は元々女を一生懸命追っかけてやっちゃうもんなんだよ(会場笑)。ところが最近は女子に男が追いかけられてやられてる。男は高嶺の花の女子はすぐにあきらめる。もっと踏み込んで何をどうするか具体的に考えなきゃだめ。俺とか櫻井さんの愚痴きいたってダメだよ(会場笑)」

櫻井「日本の教育で欠けているのは、私たちは必ず死ぬということを教えてない。必ず死ぬんだから生きてる間に何をするのか考える教育がいる。麻生総理はこのまま野垂れ死にしてどうなるのか。何も残らない。肉体が徐々に滅びていくなか精神が滅びていないときに何をして、自分の人生を開いていくか」

櫻井「強いと言うことは心身ともに強いということ。親も心身が強いということを子供に示さなきゃいけない。体罰を教育の一環として位置づけるのは、肉体的な苦痛を教育の中に組み込むということ。人間は無限の可能性を与えられているが、無限に何でもできるわけじゃないことをきちんと教えるのが重要」

石原「体罰は子供の親自身が行わない限り敷衍しない。限りのある人生の中で親は子供に対して責任をどう果たすか。いい学校にいれて先生お願い、みたいな依存心強いのはダメ。日本はいろいろな力持ってるから、それを大きくして、北朝鮮とは言わないもでも持ってるカード切ればいいじゃん(会場拍手)」

石原「日本は米国に頼らなくてもある程度はいける。でも依然として日本は臆病な巨人。なぜこうなったのか。その根幹は教育。先生お願いします、先生殴ったらけしからんというわけのわからない依存性。これは日本の外交の依存性と同じ。何とかしようじゃないかこの日本を!(会場から大拍手)」

津田氏感想:
第一部終了。石原慎太郎って、1つの話題なのに途中で話がめちゃくちゃ飛びまくるので、要約してまとめるのはかなり大変。ただ、話は抜群におもしろい。石原発言って一部がメディアに切り取られて文脈が変わるみたいなねつ造騒ぎあるけど、これだけ話飛んだらある種しゃーない部分もあるかなと思った。

第二部:

津田氏感想:
佐山サトルタイガーマスクかぶって出てきた!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

佐山「体罰を与えるというのは、強い人間を作るということじゃないか。日本人には武士道というものがあり、それは人を助けられなければ死、という精神。それが戦後左翼に傾倒してる人によって憲法が作られて宗教も宗教心もおかしくなった。体罰とは免疫。社会に出たときに免疫がないから悩んでしまう」

佐山「礼儀作法がしっかりした戦前のような社会になってもらいたいと武道の立場からそう思います」

光永「僕たちは人が動くときはどういうときかということを研究している。それは暴力と愛。それらを強弱付けて教えていくのが教育じゃないか。教育者に話をきくと、金が儲かるから、生活が安定するからという理由で教育している人がいる」

高橋「体罰問題の本質は子供の自由や権利をはき違えた誤った子供中心主義。自律というのは元々他律があるから自律ということが理解できる」

田久保「学校教育法第11条の問題。「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」とあるが、これは最後「体罰を加えることはできる」に変えればいい(会場拍手)」

村松「命は地球より重いという言い方をしたが故に生きることを大事にしなくなったんじゃないか。死生観がおかしくなった。人間としてのありようの本質を誇りを意味を知らなきゃ子供をしつけることなんかできない。子供たちが生き死にを把握してないという先生の嘆きを聞くが親が理解してないのが悪い」

村松「私はキリスト教徒。前にパウロさんから教わったのが「愛はエモーションではない。それは理性の光によって導かれなければならない」ということ。体罰そのものは認めるが、理性の光によって導かれたものでなければ私は反対。体罰を与える親は子供よりもっと痛い。深い愛に根ざした体罰が必要」

村松体罰と称して自分の破壊衝動を子供に向けている人を私は憎む。親の人生観や親の痛む姿を見て、親の深い愛を感じて子供は育つ。そういう育てられ方をしたら、教育現場で体罰を与えらることはしない。もしそれでも体罰を与えられるようなことを子供がしたなら私はどうぞ体罰与えてくださいという」

小林「昨年に文科省が教員が生徒から暴力をふるわれた数字を発表した。6959件でこれは前年比で565件増えている。その中で小学生が激増している。教育現場で教師は生徒からの暴力に悩まされている。しかし法律上、子供たちが学校で何をやっても学校側ができることは少ない」

小林「今の法律の仕組みでは、子供の保護者に対して学校に来ないように命じることはできるが、子供に対して直接懲戒を行うということはできない。学校の暴力は増えているが、小学校で出席停止という措置は小学校では0件。中学校で40件しかない。そこまでいくまでの学校の指導負担が非常に大きい」

南出「体罰現場の最前線の立場から話す。戦前にも体罰禁止条項あったが、訓示規定みたいなもの。学校教育法自体は占領下に作られたもの。民主化と称する日本弱体化の一環で厳しく運用された。最前線での問題は家庭における体罰がどうなっているかということ」

南出「学校体罰は禁止されていたが、家庭の体罰は禁止されてなかった。ところが児童虐待の防止等に関する法律ができて、それは必要があっても体罰できるという立て付けになってない。今は家庭体罰の全面禁止になってしまった

南出「実際の現場では本当にひどい虐待は年間4万件のうち1%程度。その1%がマスメディアによって喧伝されてる。児童相談所は、家庭に対して子供を拉致してくることをノルマにしていて相談員に対して拉致してきた子供の数に応じて報奨金が出るようなことになってる。これがきっかけで家庭崩壊する」

南出「児童相談所が野放し状態。予算は9000万円とっていて、それを消化するためにどんどんどんどん、細かい親の必要な体罰でも虐待と称して児童を一時保護と称して相談所に拉致してきてしまう。これは大問題だ。体罰の問題は学校体罰よりも家庭体罰児童相談所の問題なんだ。これを訴えたい」

南出「児童相談所は家庭崩壊の元凶。99%以上誤った判断している。令状もなしに引っ張ってこれる。抑止力もない。親権の剥奪などもたくさん起きている。これは本当に大問題だ」

西村「児童相談所の問題は初めて聞く人多いだろうが、この問題の関係者はよく知ってる話。まともなジャーナリズムはこの問題を取り上げるべき。日本の法務省人権擁護法案作ったりやってることが日本社会を破壊することを官僚が進めている。日本人が培ってきた家のあり方などを根本的に打ち砕くもの」

西村「現場の問題。体育の授業で跳び箱を教えるときに、女子に対して身体に触れることができない。ちょっとでもさわるとセクハラ扱いされる。今の日本は体罰を許す許さない以前に狂った状態にあるということを認識してもらいたい」

西村「台湾のテレビ番組問題でNHK集団訴訟で訴えた。台湾の人たちの中には戦前の良い日本がそのまま残っている。NHKのディレクターとプロデューサーがもみ消しに必死になって台湾をかけずりまわっている。なんて恥ずべき人間か。そういう人間こそ体罰が必要だと思う(会場笑・拍手)」

鈴木「教師と生徒は対等じゃない。私が卒業した中学は校内暴力でNHKで特集を組んでもらったほどの荒れた学校。そんなとき1人の新任校長が乗り込んできた。彼は毎日校門で全員の生徒に挨拶した。それに加えてある日帽子をかぶらない生徒を一切校門の中に入れなかった。制服正すことで秩序を戻した」

鈴木「すべての生徒が暴れるのをやめたわけじゃないが、ちょっとずつ学校は静かになっていった。一つの方法として力を見せつけた。これも一種の体罰と言えるのではないか。高校の時は授業抜け出したのが見つかって、柔道場に連れ込まれて乱取りさせられた。でもそこでしめないと次は警察になる」

鈴木「今の教育を立て直すためには相当思い切ったことをしなきゃいけない。それを地方自治体任せでいいのか。地方分権じゃなく、教育というのは国がやらなきゃいけないこと(会場から大拍手)。教師は地方公務員ではなく、国家公務員になり、教育委員会日教組もなくしてしまえばいい(会場拍手)」

水島「柔道昔やってたとき、先輩からしごきで、頸動脈じゃなく、気道のところをひたすらしめられ、落ちる寸前でゆるめられ、またしめられたということを繰り返された。生きるか死ぬかという経験をしたそのあと、アドレナリンがたくさん出て、それから自分は柔道が強くなった。そういう経験は大事」

高橋「体罰は義愛と慈愛に満ちたものでなければならない。ある子供が万引きしたとき父親が真冬外で水を子供にかけ、その後自分にもかけ、最後に風呂に入って身体を拭いてあげた。その子は二度と万引きしなかった。これが義愛と慈愛」

田久保「戦前の体罰は立派だった。戦後は国家そのものが拡散してだめになった。こういうときに限ってこそ体罰が必要なのに体罰が例外になっている。これはおかしい」

光永「愛の反対は無視だ、とマザーテレサが言った。僕の仲間が戸塚さんの地元で選挙に出ている。ぜひ清き一票を(会場拍手)」

水島「日本には三種の神器がある。剣の「勇気」というものが戦後すっぽりと抜け落ちているのではないか。この問題についてはこれからもみんなで考えて引き続き運動として議論を提起していきたい。本日はありがとうございました(会場拍手)」

津田氏感想:
以上で終了。

シンポの感想を本当に一言でいうと

「程度問題」だったな。うん。

今回のシンポ聞いて石原慎太郎好きになったわ。主張はビタ一同意できないことも多いけど。あのおっさん、サービス精神の塊だね。政治家だなーと思った。

@ Tristan_Tristan 会場は200人くらい入る感じで9割方埋まってました。世代は5〜60代かもしくはそれ以上の老人が多かったですが結構若い人もいました。ハリウッド大学の学生とかもいたのかな。見た目がガチの右翼っぽい人はほとんどいなかったですね。男女比は男8女2くらい。

昨日のシンポ、ガス抜き感があまりにも強くて個人的にはあの場の空気や客の高揚感が「世間」まで浸透していくかはかなり微妙だと思った。ああいうのがガス抜きで終わってしまうことを石原慎太郎は身をもって知ってるから客を何度も「世間に理解させるのは大変だぜ、覚悟あるの?」って煽ってたんだな。

あとは児童相談所の児童保護ノルマ話は興味深かった。イギリスとかでも国が親から子供を引きはがすということで結構めちゃくちゃな事例が起きてるよね。ここは保守革新とか関係なく、実態をちゃんと明らかにする必要ありそう。櫻井よしこの話は地味だったけど、悪くなかったな。

僕自身の感想を言うと、体罰積極肯定派の人たちは、基本的にノスタルジーとファンタジーに生きている人が多いな、という印象。ただ、佐山はファンタジーの中に生きている人だけど自分自身もファンタジーを与えるというか、ファンタジーそのものみたいなところがあるからしょうがないw。あと、佐山は自身が殴る、そして殴られてそれを受けることを生業とし、そういう規律の中に自分の身を置いているので、彼の意見に同調は出来ないまでも一定の説得力は感じる。
オバマに関して酷い(そしてクソ面白くもない)人種差別的な冗談を吐いていた田久保忠衛を「なんだその醜い人種差別意識は!」ってぶん殴ったら「この無礼者!年長者を敬わんか!」とか言って怒り出しそうだもの。


総じてパネリストとして出席した体罰積極肯定派の人たちには「現場感」がない、実際の教育の現場に真っ向から向き合ってないという印象が否めなかった。
僕自身も二児の父であり、体罰というものを全否定している訳ではない。子供に手を上げることも皆無ではない。ただそこには常に葛藤が伴う。小寺信良さんの この感想に近い。
あと Tristan_Tristanさんの感想にもかなり共感できるものがあったので Tumblrにまとめさせてもらった。
この辺でもごちゃごちゃ言ってるので、よろしければご参考に。

石原慎太郎について。まあ彼は話は面白いわな。
石原慎太郎橋下徹東国原英夫(北川正恭も入れてもいいかも)は、戦後を代表するデマゴーグ(僭主)だと思ってます。話が上手いのは僭主の必須条件。
もちろんギリシャ文明時代の僭主同様、僭主の全ての言動が間違っているというわけでもないし、善政を敷いた僭主も歴史上存在したわけで(個人的には橋下徹は大嫌いだし、例の懲戒請求の件は今でも許し難い暴挙だと思っているけれど、新型インフルエンザへの対応については相当によくやっていたと評価している)。ただこの現代において都道府県知事レベルで僭主が跋扈しているというのもどうなのかと。ネットの普及によって直接民主制が近づいた結果(ギリシャ文明時代の繰り返し)と言えるかも知れないけど。だとするとますますこの傾向が強まるのかと思うと暗澹とした気持ちになる。


最後はシンポとあんまり関係ない話になってしまった。
とりあえず以上です!

友人が本を書きました

僕とうつとの調子っぱずれな二年間

僕とうつとの調子っぱずれな二年間

  • 作者: 三保航太,はらだゆきこ
  • 出版社/メーカー: メディア総合研究所
  • 発売日: 2009/05/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • 購入: 10人 クリック: 77回
  • この商品を含むブログ (6件) を見る

友人のid:tuktukcafe06さんが「三保航太」のペンネームで著書を上梓した。
はらださんの可愛いけどどこか哀調を帯びた優しい絵柄のマンガと、三保さんの文章によって綴られる闘病記……っていうと堅苦しいな、「うつ病」とこうして向き合い、付き合ってきた(そしてどう付き合っていくか)、ということを記録した本。
個々のエピソードは三保さんのmixi日記(最近mixiやめちゃったんだよなー)や本人から直接聞いていたこともあって、断片的には知っていたんだけど、三保さんがはっきり「うつ病」だということはこの本の存在を知るまで認識していなかった。去年の秋にお会いしたときは「テンション低めだなあ」とは思ったけど、そこまでとは知らなかった。


僕も「うつ病?そうは見えないけど」って言われがちではあるんだが。
そう、僕自身も長年うつ病と付き合っている。未だに緩解に至らず、特にここ何週間はいろいろな要因が重なったせいもあるのか症状が酷く、相当な調子っぱずれ状態。
そんな中この本を手にとって、いろいろ示唆を得た。
もちろん読んですぐ「よっしゃーこれでバリバリやれるぞ!」という状態に急になれる訳はないんだけど。じわじわと「暗示の外に出る」試みをしていきたいと思う。
そう、僕らには未来がある。


これは何度も読み返す本になりそう。
実はこの本には多数の友人・知人が関わっているのだけれど、そういう身内びいきを割り引いても、みなさんにオススメできる本です。
うつ病で辛い想いをしている人も、そういう人が身の回りにいて悩んでいる人も、是非。


関連リンク:
三保航太×はらだゆきこ - TUK TUK CAFE日記
山口洋×三保航太「光と闇の中で」 - INTERVIEWS for land of music “the Rising”
ROCK'N ROLL DIARY(僕とうつとの調子っぱずれな二年間)

【緊急署名】裁判員制度における被害者のプライバシー確保を求める要請にご協力ください

http://ajwrc.org/jp/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=454

裁判員選任手続きにおける性暴力被害者の安全とプライバシーの確保を求める緊急要請にご賛同ください

5月6日付読売新聞九州版で報じられたように(→リンク)、21日に開始される裁判員制度裁判員選任手続きにおいて、性暴力事件被害者の氏名が裁判員候補者に開示されてしまうことが明らかになりました。しかし最高裁はこの問題について対策指針を出していません。
被害者保護の手段を講じることなく制度を開始してしまわないよう、緊急の要請を行うことにしました。21日まで時間がありませんが、できるだけ多くの団体・個人の声を届けたいと思いますので、どうぞご協力をお願いいたします。なお最高裁への申し入れを19日に予定しています。

●賛同するには●
以下のフォームを利用して ajwrc.shomei@gmail.com にお送りください。*1

                                                                      • -

裁判員制度における被害者のプライバシー確保を求める要請に賛同します。

●団体賛同の方
団体名:
●個人賛同の方
氏名:
肩書き(あれば):

                                                                      • -


要請書
////////////////////////////////////////////////////////////////////////
裁判員選任手続きにおける性暴力被害者の安全とプライバシーの確保を求めます
////////////////////////////////////////////////////////////////////////


最高裁判所長官 竹崎博允 様

 私たちは、性暴力被害者の権利回復の観点から、5月21日より開始される裁判員制度における性暴力犯罪の取り扱い、とりわけ被害者のプライバシー保護について、重大な懸念を抱くものです。

裁判員が参加する刑事裁判が対象とする事件には、性暴力犯罪である強姦致死傷、強盗強姦、強制わいせつ致死傷、集団強姦致死傷が含まれますが、これらは対象事件の2割以上を占めると予想されています。にもかかわらず、報道によれば、性暴力犯罪事件においても、他の事件と同様に、それぞれの事件で100人にも及ぶ裁判員候補者に対し事件の概要と被害者の氏名が知らされるとのことです。

 裁判員候補者が事件の情報を漏洩することは「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」の秘密漏示罪の対象とはならず、漏洩を防止する確実な手段は整備されていません。しかし最高裁判所はこの問題に対する対策の指針を出さず、各地方裁判所に解決をゆだねる方針であると報じられています。これでは、地裁によってまちまちな解決策となり、被害者のプライバシー保護が公平に保障されない可能性が否めません。現在刑事裁判において被害者のプライバシーが保障されていることとも大きく矛盾します。

 性暴力犯罪は他の犯罪と異なり、性・ジェンダーに関わる社会的偏見ゆえに、しばしば被害者の側に責任が転嫁されたり、スティグマが付与されてきました。適切な配慮が行われなければ、裁判プロセスそのものが二次被害を及ぼす場となる危険性があります。こうした性暴力犯罪の特殊な性質が考慮されることなく、他の刑事事件と同様の選任手続きが行われれば、被害者に二次被害発生の不安を呼び起こすだけでなく、二次被害を避けるために、被害にあっても被害届を出さないといった傾向を助長することにもなりかねません。

 一般市民が参加する裁判員制度で性暴力犯罪を取り扱う上では、性・ジェンダー偏見を排除するために十分な配慮を払い、被害者のプライバシーと安全を確保することが必要不可欠です。事件情報の漏洩を確実に防止する措置を講じることなく、拙速に裁判員制度を開始すれば、この制度そのものが、被害者にさらなる加害を招き、性暴力犯罪の訴追と被害者の救済を阻害する原因となりかねません。

被害当事者および支援者との協議のうえ確実な安全保護の措置が講じられるまで、裁判員制度の開始を延期するか、それが困難な場合は、性犯罪に関連する事件について裁判員選任手続きを開始しないよう要請いたします。

*1:「要請書」をコピペする必要はありません。「裁判員制度における……」〜氏名(肩書き)までで結構です。

シンポジウム「岐路に立つテレビ」津田大介氏Twitter実況まとめ

NHK放送文化研究所主催のシンポジウム「岐路に立つテレビ〜ピンチとチャンスにどう対峙するのか?〜」が開催された。
IT・音楽ジャーナリストの津田大介氏がシンポジウムの模様をTwitter経由で実況した。
津田氏はご自身のTwitter上の発言をクリエイティブコモンズライセンス(表示-継承)の下で公開している。津田氏の実況を元に、若干の整理・加筆を行なってシンポジウムの内容をお伝えする。

Creative Commons License
このエントリは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。

以下の引用部分の原著作者は津田大介氏

NHK放送文化研究所 2009年春のシンポジウム
変容の時代 メディアの可能性を探る
岐路に立つテレビ〜ピンチとチャンスにどう対峙するのか?〜


パネリスト
堺屋太一:作家・経済評論家
竹中平蔵慶応義塾大学 教授
樋泉実 :北海道テレビ放送 専務取締役
前川英樹:(株)TBSメディア総合研究所 取締役相談役
山川鉄郎:総務省 情報流通行政局長
金田新 :NHK 専務理事


司会
鈴木祐司:NHK放送文化研究所 主任研究員


パートI 「テレビ局の収支問題」
鈴木:地上波テレビ放送のデジタル化に伴う大きな負担、100年に一度の不況、テレビ広告に構造的な課題。このトリプルパンチに襲われている。
前川:今日のテーマはどれも重たい。ネットとテレビの融合時代に、テレビはインターネットを取り込むことで情報社会におけるポジションを確保する。ネットは、テレビを先行するメディアをある種の環境として捉えることで将来を選択する。こういうことになると思う。この入れ子の構造は成長していくだろう。さっきの事前打ち合わせで、テレビとネットの融合を一番最初に言い出したのは、堺屋太一さんだったということがわかった。
樋泉:テレビは上り坂の時期にトリプルパンチが前倒しで来たなというのが実感。景気が回復すれば(以前のような状態に)戻るということではないだろう。北海道テレビの信条は「夢見る力を応援する広場です」ということ。そのあたりを踏まえて議論に参加したい。
山川:地デジ移行のため、着々と努力しているところ。すべての先進国はデジタル化に向かっている。我が国も地デジ移行は予定通り断行する。
竹中:テレビとネットの将来を真正面から捉えて議論するのはすばらしいこと。何年か前はこういう議論すらできなかった。総務大臣時代に通信と放送の融合を話したが、業界からは猛反発を食らった。しかし、日本のテレビは真剣に考えて努力している。法律体系をどうするか、という問題も解決しつつある。そういう中で、融合の(是非の)議論をしてもあまり意味がない。実際にどうやっていくのか、そこの難しい問題を議論するところまで来たことに対して敬意を表する。枠組みの話と経営の問題が大きなウェイトを占めていることを指摘しておきたい。ただ、100年に一度の不況という認識は違うのではないか。
堺屋:(通信と放送の)融合という話が出ているが、わたしが最初に言い出したときは、経済企画庁の長官のときの話。当時は広い範囲に雨を降らす(ような)放送と、通信はメールのようなもので、不特定多数には発信できないということが近代の情報体系だった。ところが、インターネットになって平面だった情報環境が立体化した。1955年の体制がテレビ業界には残っている。それを解きほぐさなければならない。外国のいろいろなテレビを見て比較すると、日本のテレビが一番素人芸ばかりになっている。それは55年体制があるから。55年体制とは東京中心のキー局体制ということ。今後も日本のテレビが高い文化水準を誇れるか、それは地方局の再生や広告のありかたなどを含めて体制を変えられるかにかかっている。
金田:昨年経営計画を担当して3カ年計画を発表した。本来の公共放送のありかたという議論が足りなかったと反省している。
NHK小川(←誰?):民放各社の単体の営業利益は軒並み落ちている。スポンサーにアンケートを行った。前年度比で聞いたら、減らした、または減らすと応えた企業が6割にのぼった。減らす理由でもっとも多いのは経営悪化ということと、テレビ広告の単価が高いから、ということが減らした大きな理由になっている。広告単価のグラフをチェックすると、2007年の景気拡大局面においても、テレビ広告の単価が下がっている。何らかのテレビ広告の効果が変わっているということがわかる。最近は視聴率が良くても企業の価値が下がるような番組には出稿したくないという企業が増えた。(広告費を)テレビ広告に出すより、販促費やネット広告へのシフトに充てる企業が増えている。実際にネット広告を増やしている企業も増えている。PC、ケータイ含めてネット広告には5割程度の企業が広告費を増やすことを検討している。(テレビ広告の)効果の見えにくさ、コストの高さ、番組の質への不満、販促費へのシフト、ネット広告へのシフト、それに景気後退が加わって放送局の収入が激減しているとまとめられる。NHKは受信料収入の10%を24年度から還元すると発表した。しかし、人口減や景気後退で収入が減る可能性はある。

前川:どこも厳しい数字が出ていて、民放経営者は誰もが承知している。自分が見た感じだが、景気の要素と、モバイル広告が伸びてるという構造的要因があるだろう。今民放の広告収入に直接影響しているのは経済環境の悪化が一番大きい。今テレビ局として何を考えなきゃいけないのか。一つは今まで自然成長的に広告費も伸びてきた、そういう形が今自分たちのメディアが一体どういう特性、力を持っているのか認識し、それを第三者に説得できるようなロジックを持つこと。自己評価自己分析をしっかりすることが大事。メディアの告知力と消費者の認知力の大きさはまだまだ強い。強い部分と、それ以外のメディアをどうリンクしていけば、広告効果が上がるのか、自分たちで分析して開発していく必要がある。米国ではTAMYという方法で媒体力をはかっている。1つの情報がどう展開するかで、顧客に伝わるかを指標化する研究がある。それを日本にも持ち込んで分析すべきである。
樋泉:我々はメディアだから、出口はテレビに限らない。物作ることをしっかりした上で価値を高める。やっていかなきゃいけないのは変化に応じて我々のコンテンツの価値を高めること。それしか方法はない。原点は変わってない。
鈴木:放送外収入に関してはどうか。
前川:ネット系のメディアに二次利用という形で出していくということは可能性があるだろう。明日からものすごく儲かるというわけではないが、可能性はある。2つめは映画制作。コンテンツの展開としては意義がある。3つめは不動産ビジネス。それと連動した物販。それらをバラバラではなく統合していく。
樋泉:放送外収入は売り上げの10%程度。手品のような方法はない。95年くらいにネットメディアが登場してきて実感したのは、当時はダイレクトマーケティングがチラシだったが、それにかわるものが出てきたということ。我々のビジネスモデルに限界が来ることは予想していた。シングルインカムからマルチインカムに体制を変える、これしかないだろう。広告という意味では、エリアマーケティング的なことにシフトしていく。広告主はクロスメディアマーケティングに対応する。広告とコンテンツビジネスをきちんとやっていくことが基本だ。01年に「水曜どうでしょう」をネット配信、03年にDVDで発売して、のべ200万枚を売って収益の大半を支えている。ただしこれはビジネスモデルというより、過渡期の一現象でしかないという認識をしている。
竹中:昔議論したのはそんなに特別な話ではない。テレビの力は凄い。そのテレビ局に自由を持ってもらいたい、その上で経営努力で道を切り開いてくださいということだった。その中でテレビは構造的に不況業種になっている。今までのビジネスモデルは電波という流通経路を独占してきたことによる利潤だった。ところが1対Nの通信がIPでできたことで独占が崩れた。その独占が崩れていることを言いたかっただけ。新しいテレビのコアコンピタンスは、コンテンツ制作力とテレビのブランド力。ほとんどの人がテレビ局を知っている。地域興しを役所がやってもだめ。テレビ局が地域興しをやれば、もっとうまくやれる。ブランド力をいかに出すか。それを発揮して欲しいが、現実には国民は(テレビ局の)コンテンツ制作力に不満を持ち始めているし、ブランド力も十分に生かしてない。広告収入という、流通インフラ独占による超過利潤を使うコスト構造。国民は、このコスト構造を削減しよういう経営努力をしていると思ってないのではないか。思い切ったコスト削減をやって、その浮いたコストを制作に生かす。それを経営判断としてやってもらいたい。
前川:景気と構造的要因を、どう経営的視点で捉えるか、という話(だと思う)。
竹中:あなた方は危機感がなさすぎなのではないか。
前川:いや、5年前と比べて危機感は持っている。
竹中:米国と比べてテレビとネットの融合は遅れた。しかし、それがいい部分もある。米国も必ずしも成功してない。それは理由があってネット広告は出し先が無限大。それによって単価が影響を受けている。日本はテレビとネットの融合では後発なのでむしろメリットがある。
堺屋:今のテレビ局の人たちが言っていることは、私が10年前に経企庁長官をやっていたときに銀行の頭取たちが言ってたこととまったく同じ(会場笑)。テレビ局はまだ55年体制をがんじがらめに守ろうとしているような議論をしているように見える。竹中さんの言ったようにそこから飛び出すべき。大量生産型の工業社会はすでに遠く過ぎ去った。今は多種少量生産の時代になってる。コストは高コストで分業体制が進み、広告スポンサーは代理店、制作は下請けに任せる。これは90年代後半の日本の銀行と同じ古い体制。今や広告の概念も変わった。多種少量生産で、いろいろなブランドが出ている時代なので、広告の価値がどこにあるのかを真剣に考えなければならない。コンテンツの制作の基本が変わっている。日本のメディアははっきり知名度を増やして買うときの意志決定を引き下げる方向にしか動いていない。そういう状態からいかに脱するか。アメリカのテレビはペイ・パー・ビューをうまく使い、ボクシングなど(のコンテンツ)でめちゃくちゃ稼いでいる。日本のテレビ局は通信から上がってきたメディアをうまく活用しなかった。
金田:日本はコンテンツ産業に従事する割合が非常に低い。国内だけで解決するのは難しい。グローバル展開に目を向けないといけないだろう。「おくりびと」がアカデミー賞を取るとかそういうこともできるようになった。NHKのモデルは世帯数がベース。2015年までは世帯が増える。その後は構造不況業種になる。どの程度の合理化をすべきか。BBCは560億の交付金をもらってる。NHKは政府から 35億。BBCは商業化されたグローバル販売する部分が1000億くらいの収入を上げている。
竹中:NHKBBCと並ぶ世界の放送。民放と公共放送の2つ、これが並ぶことは重要。その上で公共放送に何が求められるか。1つは報道を中心に質の高いコンテンツを提供してもらうか。それが国民の大きな期待。もう1つは全体をリードする役割を担ってもらいたい。日本のコンテンツ産業を育成するときにNHKはどういう役割を果たせるのか。それを考えることも重要。外部からコンテンツを受け入れることもやった。そういう姿も重要。しかし、巨人×阪神戦をNHKで放送する必要はあるのか。大草原の小さな家NHKっぽいドラマだなと思ったがあれはアメリカの民放制作。これは別にNHKがやる必要はないんじゃないか、というものが多い。はっきりいって、NHKのコンテンツ制作力は落ちていると思う。NHKの報道は事実を踏まえて質の良い報道していると思ったが、今はそこが揺らいでいると思う。視聴率競争に巻き込まれることなく質の高いコンテンツを作ってほしい。
金田:そういう怖れは持っている。 80年のときにNHKが総合と教育だけ。18000人いた。今は放送メディアが増えているのに16000人。この間20何年あるのに、人数がずっと減り続けているというのはマネジメント、制作というところでおかしいだろう。そのあたりは経営改革でも意識したい。
前川:70年くらいまでは視聴者が正座して見ていた。80年代になって、視聴形態が番組と会話するフランクな感じになった。90年代になるとテレビを見ながらパソコン、ケータイを使う時代になった。どういう風にテレビを作ればいいのか、現場は相当悩んでるのではないか。
堺屋:本当にテレビは衰退産業として決めつけていいのか。今の業界のありかたが衰退の原因となっているので、改善すれば成長する可能性はある。NHKは放送時間占有しすぎではないだろうか。疲弊してるなら放送時間を返した方がよい。国民の財産としてやっているのだから、「人数が足りないんだからダメ」とか言うのはよくない。
金田:21世紀、公共放送がやるべきことは広がっていると思っている。
山川:堺屋さんから多品種少量生産、大量生産という軸が提示された。ローカル局は昭和43年から広がった。それは番組の多様化について地域からの要望があったからだ。ローカル局は地域との密着が重要な役割を持っている。住民のニーズに応えているのも事実。以前、伊豆で大雨に降られたとき、道路があらかた封鎖されて帰れなくなった。そういうときにテレビを付けても伊豆の情報は流れない。(ローカルな)災害情報はローカル局じゃないと出せない。テレビの役割を十分に認識してもらいたい。基本の役割を認識し、価値観を守りながら新しい時代に対応してもらいたい。(テレビの)コアコンピタンスは何か、コンテンツ制作力とブランド。それは私もそうだと思う。そこを一生懸命探していただきたい。
堺屋:竹中さん(が総務大臣に就任して)以来、少し前進した程度で古いテレビ局の体質は変わっていない。本当にテレビが総合情報メディアに変わっていくのか。ローカル局は地域情報だけか。地方から日本全国・世界に出ていくことも大事。あとは地方局単位で連携したりしてもいい。切磋琢磨でコンテンツ力も上がる。刺激がないといけない。


(休憩)
ここまでの津田氏の感想:
最初は確かにぬるい感じのシンポだったけど、途中で堺屋太一が司会の鈴木さんに「そんな官僚的なぬるい司会じゃシンポやる意味ねえよ(意訳)」的なことを言ってから、そこそこ盛り上がり始めた印象。なんだかんだいって堺屋太一ってことか。
第2部は地デジどうするんだよ問題なんだけど、もうノートのバッテリーが切れそう。


パートII 「アナログ停波問題」
会場からの質問:他業界では不況時に同業者間の協業が進んでいるが、NHKと民放、民放同士の間で新しい協業はないのか。
前川:「沖縄の情報を北海道で」というようなことが起きた。キー局ではないローカル局同士の連携などはあるだろう。NHKと協業する場合、ビジネスというよりアーカイブの分野になるだろう。アーカイブを共同で使える仕組みを構築できると意味があるのではないだろうか。放送の公共性を過去にさかのぼることをやりたい。
山川:難視聴対策については、いろいろ前倒しでやれば何とかなるだろう。
会場からの質問:僻地対応でIP再送信(のインフラを?)整えて対応させると言っていたが、都市部しか引かれない。どうしてくれるのか。
山川:IP再送信より電波で基本はやりたい。ただどうしても無理なところは衛星放送で機器も貸し出して対応する。
会場からの質問:結局アナログ停波は延期するのか、それともしないのか。
山川:世界のどこの国も停波した上で移行している。「延期するかもしれない」と言うとさらに消費者が買い控えをするからそれはやっぱり延期はしない。
前川:地デジは堺屋さんの言っていた55年体制から変わるチャンス。
竹中:「出来る」「出来ない」ではなく、やるべきことをやるというのが政策。日本は数年後にはブロードバンドゼロ地域がなくなる。再送信もうまく組み合わせてやればいい。軟着陸をどうするかが問題。
会場からの質問:国の支援策が遅すぎではないか。
山川:経済政策は必要最小限が基本。一年前なら良かったのか。
堺屋:(山川氏のコメントに対して)国会答弁のようだ。国民に対して(地上デジタル放送に)移行するメリットが十分に示されてない。それでは国民は納得しない。



パートIII 「社会・地域への貢献の道」
堺屋:地域情報を世界に発信するのがこれからのテレビの仕事。今は東京に一極集中しすぎているし、東京人は地方で何が起きてるかわからない。地域情報を新しい文化として発信すべし。地域も特色ある文化を意識して発信すればいい。地方は東京に「右に倣え」しすぎ。
会場からの質問:地方局がダメなのはキー局から天下る経営者が原因なのではないか。
前川:そういう時代もあったかもしれないが、そういう保守的なマインドではこれからは(地方局は)生き残れないだろう。
樋泉:北海道はこれから観光爆発が起きる。日本の中の北海道ではなくアジアの中の北海道という認識をしている。地域情報を伸ばしていく必要を感じ、ネットも使った新しい地域情報をメディア展開している。
竹中:国民は相反するものを求める。テレビは公共性がある。それは権力だけでなく、大衆からも距離を置くということ。公共性を考えて、枠組みや制度を自分達で変えていけばいい。和歌山のテレビが北海道で見られてもいいじゃないか。
堺屋:テレビ局は住民の代表だと思って欲しい。地域を代表して発言する意識を持つと地域住民の意識も変わる。希望と責任感を持ってやってもらいたい。
前川:「地方局をどうするか」とは、「県域免許をどうするか」という大きなタブーを含む議論。ただ、それをしなければいけない時期に来た。地方局が番組作るのは大変なこと。しかし作りたいという情熱は大事で、そういう思いが地方局を支えている。ネット配信は、端的に言えば(コンテンツの配信経路として?)一番条件の良いところに出すということ。
山川:基本は放送局の資源とは何か、それをどう生かしていけるか。
竹中:公共性を主張するのはいいが、国民を人質に取るようなことはやめてほしい。
堺屋:テレビは楽しい暮らしを作るメディア。もっと自信を持て。世界に通じる番組を作れ。テレビを見てたら楽しい世の中になるようにしてほしい。
竹中:コスト削減はいいが、コンテンツ制作費は削るべきではない。
山川:地デジを導入した人は八割が満足してる。楽しいテレビにするには地デジだ。
樋泉:地デジは地方局にとってチャンス。地域情報を掘り起こすこともやっていきたい。
前川:テレビ局にとってネットは最良の友。しかしあくまで友達で、置き換わる訳ではない。情報が多様化する中、公共性の意味も変わってきてる。メディアの自立を踏まえてテレビのあり方を考えていきたい。
金田:カナダは英語圏だが米国とはかなり社会制度が違う。共通の情報交換ということが今後のテレビのポイントになるのでは。


(終了)


終了後の津田氏の感想:
いろいろ不完全燃焼だったなあ。会場からの質問が一番面白かった。会場でリアルタイムに携帯電話経由で匿名の質問できて適宜議論の中に挟まれるって構成はかなり良いと思った。

なお、
「今日のシンポジウムは教育テレビで後日放送するから正確な発言はそっちを参照してね。」
とのことです。


また、津田氏の実況の中でどうしても意味が取れず、発言者の意図を汲み取れないままパラフレーズ出来ずにそのまま残してある部分が多少ある。シンポジウムに参加された方の中で、「この発言はこのような文脈でなされたので、こう表現した方がよい」というアドバイスがあれば是非ともコメント欄、Twitterなどでご指摘をお願いいたします。できる限り反映します(てゆうか津田さんにツッコんでもらうのが一番早くて正確なんだろうけど)。

追記

はてなブックマーク経由で、id:koabeさんから「5月31日(日)午後6時から NHK教育テレビ『日曜フォーラム』で放送予定」との情報をいただきました。ありがとうございます。

村上春樹氏のエルサレム賞受賞演説

村上春樹さん:ガザ過剰攻撃に苦言 エルサレム賞授賞式で - 毎日jp(毎日新聞)

 村上さんは英語で演説し、ガザ攻撃について「1000人以上が死亡し、その多くは非武装の子供やお年寄りだった」と言及し、事実上イスラエル軍の過剰攻撃を批判。日本国内で受賞拒否を求める声が挙がったと説明するとともに、「私は沈黙するのではなく(現地に来て)話すことを選んだ」と述べた。

 そのうえで村上さんは、人間を殻のもろい「卵」に例える一方、イスラエル軍の戦車や白リン弾イスラム原理主義組織ハマスのロケット弾など双方の武器や、それらを使う体制を「壁」と表現。「私たちは皆、壁に直面した卵だ。しかし、壁は私たちが作り出したのであり、制御しなければならない」と述べて命の尊さを訴えた。

asahi.com(朝日新聞社):村上春樹さん、エルサレム賞記念講演でガザ攻撃を批判 - 文化

 村上さんは、授賞式への出席について迷ったと述べ、エルサレムに来たのは「メッセージを伝えるためだ」と説明。体制を壁に、個人を卵に例えて、「高い壁に挟まれ、壁にぶつかって壊れる卵」を思い浮かべた時、「どんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていても、私は卵の側に立つ」と強調した。


僕は、彼の小説の読者ではない(正直、よくわからない)し、エッセイについては面白いと思うが熱心な読者とは言えない。
そんな立場で偉そうなことを言えたものではないが、これだけは言いたい。


あんた漢(おとこ)や。

追記

中国新聞共同通信から配信された講演要旨が掲載されている。
http://www.chugoku-np.co.jp/NewsPack/CN2009021601000180_Detail.html

 一、イスラエルの(パレスチナ自治区)ガザ攻撃では多くの非武装市民を含む1000人以上が命を落とした。受賞に来ることで、圧倒的な軍事力を使う政策を支持する印象を与えかねないと思ったが、欠席して何も言わないより話すことを選んだ

 一、わたしが小説を書くとき常に心に留めているのは、高くて固い壁と、それにぶつかって壊れる卵のことだ。どちらが正しいか歴史が決めるにしても、わたしは常に卵の側に立つ。壁の側に立つ小説家に何の価値があるだろうか。

 一、高い壁とは戦車だったりロケット弾、白リン弾だったりする。卵は非武装の民間人で、押しつぶされ、撃たれる。

 一、さらに深い意味がある。わたしたち一人一人は卵であり、壊れやすい殻に入った独自の精神を持ち、壁に直面している。壁の名前は、制度である。制度はわたしたちを守るはずのものだが、時に自己増殖してわたしたちを殺し、わたしたちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させる。

 一、壁はあまりに高く、強大に見えてわたしたちは希望を失いがちだ。しかし、わたしたち一人一人は、制度にはない、生きた精神を持っている。制度がわたしたちを利用し、増殖するのを許してはならない。制度がわたしたちをつくったのでなく、わたしたちが制度をつくったのだ。