2010-08-13
■ツイッターについて

最近、何かを出力したいという欲求はほとんどツイッターで済ましてしまっており、さすが「便所2.0」であるなと思う。
というか、いまMixiに久しぶりにログインしてみたところ、画面がかなり変わっていたのはもちろん、最盛期はべつにこの人たち主流じゃなかったよな的かたがたによってタイムライン(と言ってしまうくらいTwitter脳になってしまったが要は新着日記)が占められていてなるほどそういう時代かと思った。
■「まおゆう」を読んだ

最初の2スレくらいは読んでいて悲しかった。「魔王モノ」も「ファンタジー世界に現代的価値観(や政治学や経済学や君主論)を持っていって語らせる」というテーマもどっちも個人的にツボであって、なのにこんなにテキトーな会話文体でへらへら書き飛ばしてしまうのは勿体ない、と思った。
そもそもの大問題として「魔王はなぜ勇者を欲するのか」の理由付けが希薄で、なおかつ「勇者が魔王に惹かれるのは魔王が勇者を熱烈に口説くため」であるという理由付けがされているために、「タイトルからして魔王が勇者を口説き落とさねば始まらぬ」という前提を満たすためになんとか頑張っている感が否めなかった。
しかしながら、3スレめを超えたあたりから10スレめあたりまではドラマ展開的に息継ぐ暇がなく、一気にに読まされてしまった。ここまでの話の組み立ては端的に言って素晴らしいの一語に尽きる。
ネットの感想を読むに後半ほど素晴らしい、というような意見も見たが、個人的感慨としては中盤が一番輝いている。なにが良いかというと、劇中の君主たちが述べる演説と、奏楽子弟の奏でる詩が良い。単純に散文としてそれらは良かった。ドラマ的には火竜公女の身の振り方が大変気に入った。後半はむしろ話をクローズするための儀式的なものに見えた。
まあ、感想を述べていても仕様がない。
私としては、「これが何であるか」を述べたい。
ツイッターもでつぶやいたのだが、15年前にこのプロットで、なおかつきちんと小説の体を成していたなら、富士見や電撃といったライトノベルレーベルの新人賞で入賞は固かったのは間違いない。
個人的には「猫目狩り」とか「7人の武器屋」に賞をやるくらいだったら喜んでこっちに賞を授けたい。
しかしながら、実際問題としてこれは小説という体裁では世に出なかったので、その仮定にはさほど意味はない。これがこのまま髪に印刷されて500円で買わされたら私は怒る。私がこれによって一番つよく考えさせられたことは、「表現とは、表現を世に出すとはどういうことだろうか」ということだった。
この話の中で、すべての登場人物には固有名詞が与えられていない。まあ、実際には「一般名詞の固有名詞的用法」によって「名前」が与えられているけれど、たとえば「辣腕会計」にはスティーブとかジョンストンとかの名前はついていない。これに登場するすべてのキャラクターの名前は名前であると同時にその立ち位置や役職の表現系であり、これを象徴とするように、すべての登場要素は高度に記号化されている。これが、「まおゆう」の語り方の特徴であった。
おそらく1〜2スレッドめあたりでは自覚無く使用されていた簡易な
話者「会話内容」
の連続で表現される文章、いわゆる「地の文」がないかたちでの表現はスレッドを重ねるにつれてて洗練されてゆき、序盤では
メイド妹 じわぁ
であるとか、中盤以降では
火竜大公「これで肩の荷が下りますかな」ぼうっ
といったような、擬態語との不思議な組み合わせによる表現に昇華されていった。
(火竜大公の「ぼうっ」はそれを説明する文は全くないのに、「竜族が鼻から火を噴いている」を読み取ることのできる素晴らしい表現だった)
これは、@machiko22氏のTogetter - 「まおゆう」って何が面白いの?の中の「この文体ってシミュゲっていうよりギャルゲのパロディなのね。」という指摘がなされているように、この表現法はこれによって初めて世に出たというより、たしかにビジュアル的制約のあるコンピュータゲームにおいてはこの手の表現方法はかねてから目にするものであったが、「ゲーム内文章」ではなく最初から最後まで散文のみで表現されるメディアの中においての表現としては、やはり画期的なものであったような気がする。
当初、このような表現が採用されていたのは、気楽に文章を書くための成り行きだったのかもしれないが、中盤以降、筆者が文体を維持するために意図的に「地の文」を排していたことについて疑う余地はない。結果、これは全編にわたり、きわめて記号化、抽象化度の高いストーリーテリングがなされており、結果として文章あたりの情報量がきわめて高くなって、読者に濃密な読書体験を与えていた。
実際のところ、文章あたりの情報量は実際には多くないが、「記号化のキーワード」を散りばめることで、読者が脳内に勝手に展開する情報量はいわゆる「まっとうな小説」に比べて決して遜色のないものであったように感じた。
だいぶトイレに行きたくなってきたので強引に纏める。
- 一般名詞の固有名詞化によって高度に記号化され、なおかつ多くを「借景」に依るキャラクターたち
- 「地の文」を極力排した、発話を主体としたストーリーテリング
- もとが2chのVIPスレへの投稿であるという共有性の高さ
この3点が「まおゆう」の特徴であると思う。
(経済学やら自由がどうとかいうのはこれの特徴ではない。ドラマの特徴付けギミックのひとつにすぎない)
難しいのは、じゃあこれに地の文をおぎなって「小説の体裁」にしたらそれは価値あるものになるか、ということである。コミカライズは比較的容易である。すでにアニメイテッドの作品も存在するようだが、表現の転化としてはそれは比較的創造しやすい方法である。
これが「荒削り」「未完成」だからこそ、この「プロット」を補って派生していく現代的表現があるのではないかという予感がするが、今の自分にはその姿は見えない。
2009-07-09
■[ヱヴァ]ヱヴァ破の感想を書いておく<ネタバレ有>

ネタバレセパレータを兼ねてさいしょに用語注。
下記文中で、以下表記はそれぞれ次の意味。
- エヴァ:「新世紀エヴァンゲリオン」。TV版から夏エヴァまで。
- ヱヴァ:「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」。おもに破。もちろん序を踏まえるが。
- EVA:劇中に登場する汎用人型決戦兵器人造人間エヴァンゲリオン。ミサっちゃんが「エヴァー」と呼ぶもの。
- 「えばんげりおん」:「新世紀エヴァンゲリオン」「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」通した一連の「えばんげりおん」と発音するタイトルのアニメ作品シリーズ。
以下本文
久しぶりに劇場で泣いた。
感動した、というか、まあ涙が出るというのは感情が動いたということなので感動ではあるのだけれども、感動のストーリーだったから泣いたのではなくて、俺はシンジに感謝して泣いた。戻ってきてくれてありがとう。綾波を救ってくれてありがとう、と泣いた。
15年前からわだかまっていたものが解放された気がした。
話の途中らへんで思っていたのだけれども、このヱヴァはまさに「15年前に発表されているべき」エヴァだった。すくなくとも、15年前、Nifty-ServeのSGAINAXで「ナディアの庵野監督」の新作発表を知り、漫画版1巻を読み、TV版1話を見たときの僕が展開されることを期待していた「新世紀エヴァンゲリオン」はこういうようなもので、15年たってついにそれを見ることができている、と思った。
しかし、今これを見ている私たちというのは15年前にあのTV版を見て、12年前にあの夏エヴァを見た私たちであって、また庵野監督はじめ作り手側はそれを意識していないはずはない。今回はじめて「えばんげりおん」というものを観た、という人も当然いるだろうし、そういう人たちにとっては単なる良質な娯楽アニメでもあろうけれども、ほとんどの客層は旧エヴァを見ているはずであり、だからこのヱヴァは、ただの「本来の新世紀エヴァンゲリオン」ではありえない。「新世紀エヴァンゲリオン」の次の作品としての「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」でもある。
以下、さらに本格的にネタバレしつつ書く。
エヴァとヱヴァを比較するにあたり、破のストーリー上の重要なポイントは、「参号機事件」の当事者がトウジからアスカになったことである。この変更に伴ってアスカ、シンジの人格表現に大きな影響があった。(どっちが主でどっちが従なのかはわからないがとにかくこれらは相関する)
もちろんプロモーション的な目玉としては「新キャラ登場」なのであろうが、彼女今回はまだ「お客さん」の域を出ておらず、サービスシーンは豊富に提供しているものの主要キャラクターへの内面的影響がそれほど出ていない。
惣流アスカが破滅する原因となった自意識と現実のギャップ、そしてママを含む「私を承認しない世界への憎悪」といった病的な内面部分は今回、式波アスカの登場序盤に強調(アスカ人形が最初から出てくるなど)される代わりに、その治癒されていくさまもまた明示的であった。綾波やシンジを通して彼女の「世界」に対する視点が変わり、肯定的な視点を持ち始めたことがそのまま演出上の「死亡フラグ」へとなっていく。このへんはじつにベタに王道な展開であった。
いっぽうシンジについて。
エヴァのシンジは恐怖と承認欲求、快不快に突き動かされて考えもなしに動き、動かず、そしてミサトさんに救われてすら動かず、救われず、まったく自身の希望とは関係ないやりかたで救われ、ついに救われなかった。ダメなシンジであった。
大してヱヴァのシンジは、自ら決意し、動き、ついにはEVAを覚醒させ、綾波を救うという大活躍をする。
トウジとアスカが置き換わったことが、ストーリー上重要だという理由はここだ。エヴァでのシンジは参号機に誰が乗っているのか、参号機が撃破されるまで知らなかったのに対し、今回は「アスカが乗っている」ことを知っていた。殺されかけながら「(誰か知らない)人を殺すよりはいい」と言うのと「アスカを殺すよりはいい」と言うのとでは、男子中学生が言うものとしては意味がまったく異なって響く。リアリティが違う。顔も見たことのない他人を殺すのは兵士の仕事であり、軍事組織NERVの構成員たるシンジは兵士でもある。しかし、昨夜同じテーブルで飯を食った女の子を殺すというのは兵士から見てさえ狂人の仕事だ。「人」という一般名詞が「アスカ」という固有名詞に入れ替わっただけのこの台詞で、エヴァシンジは「僕は人殺しになるのが怖い」と言ったにすぎなかったが、ヱヴァシンジは「僕は狂ってはいない」と言ったのだ。
また演出上、今作ではダミープラグ起動後にパイロットには映像情報が遮断されていたことを特筆する。エヴァシンジはさんざん参号機解体流血ショーをどアップで見せ続けられ、声も枯れSAN値もほとんどゼロとなった後に相手がクラスメイトだと知らされるというひどい拷問を受けている。ヱヴァシンジはこの拷問からは保護され、健全に怒ることのできる精神を維持している。
ゆえに、エヴァではシンジをドライブしていたのはつねに「恐怖」だったが、ヱヴァではシンジをドライブしているのは「怒り」である。だからゆえに、エヴァのシンジはダメージを受けるほどに立ちすくんで動けなくなり、ついには母たるEVAの暴走を招くのに対して、ヱヴァのシンジは自らの意思で動き、自らの意思でEVAを覚醒させるに至るのである。
さて、そんな新生シンジ君が救った綾波についてもふれておく。
複雑な気持ちである。
僕が15年前に救ってほしかったのは「2人めの綾波」だった。彼女は不器用で無機的な時期が長くて長くて、ついに「碇君とひとつになりたい」と気づいたまさにその瞬間に死んだのだった。その後「3人め」が現れ、人類補完計画が成り、すべての人類がその想う人と溶け合ってLCLとなったときですら、2人めの彼女のたましいは報われることがなかった。それがずっと気になっていた。
ヱヴァの綾波は最初からかなりデレモードの入ったソフトな綾波で、あれが「2人め」なのかというと微妙なところなのだけれども、とにかくエヴァのシナリオ通りであれば喪われる定めであった彼女のたましいをヱヴァのシンジが助け出してくれたことは本当に私にとって救いになった。私が涙したのはそのためである。15年かけて彼女が救われたこと、そして彼女を救えるまでに成長した「シンジ」という名のキャラクターに対して、私は何度でも感謝の涙をささげる。
最後に、もうひとつ印象的だったのは碇ゲンドウだ。
エヴァのゲンドウはSGAINAXでは「外ン道」で通っていたほど、自分のエゴに正直な、子供は作ったけれども父親になれない、なったこともない下衆な男であった。あまりにも下衆なのでついに頼みの妻にも愛想を尽かされ喰われてしまうほどに。
ヱヴァの彼は、ときどき「父の表情」をするようになった。墓参りのシーンでは、いかにもその時間の惜しそうな、義務なので仕方なくそこにいるという表情だった印象があるが、今作では息子とともに色々のことを思いながら所在なげに墓前に立つ「ふつうの墓参り」の姿であった。
また、シンジが「僕はエヴァンゲリオン初号機パイロット、碇シンジです!」と叫んだとき、その勢いに一瞬たじろぐ演出は、エヴァにはなかったような気がした。(あったのかもしれないが)
綾波との食事シーンとその返事ももちろん言うまでもなく、ヱヴァのゲンドウは「エゴの強い自分勝手な男」ではなく「仕事に熱心で不器用な父」であるというシーンが強調されているように思った。
総じる。
シンジはきちんと怒るべきところで怒り行動するようになり、アスカは肉体的にも精神的にもより健康的になり、綾波は「ヒトであることに不器用な存在」から「不器用な人」に近くなり、ついでにトウジケンスケは声がちょっと高くなってより厨房的になりミサっちゃんはより生活が不衛生になり加持は英語がうまくなり、といった感じで、全体的にキャラクターの「病気度」が下がり、より「エスエフロボット漫画活劇」の王道に近づいた娯楽作品となっており、「これが本来の『えばんげりおん』だ」と言われてもおかしくない映像・演出・シナリオのクオリティになっている。
しかしながら、前作をなかったことにして今回のが本物なので前のは忘れてください、なんてもったいないことを庵野秀明ががするはずはないので、エヴァとヱヴァをつなぐ何かが仕込んであると私は信じており、たとえばそれが今回ちょっと出方がありえなすぎて浮いていたカヲル君やらマリ・イラストリアスだったりMk.VIだったりするのであろうよ、と今のところ思っている。いましがた「父になった」と書いたゲンドウも、彼のシナリオのためそれすら演じているのか、と思わせるシーンが用意されていた。しかしながら、私はもう断片情報から正解はああであろこうでもあろと論ずるのには15年前にもう疲れたから、今回は思ったところをこうして書くだけ書いて、あとは忘れて「Q」を待つばかりとする。
以上。
2009-07-07
■[firefox] firefox3.5で使えなくなったアドオンをとりあえず動かす方法

FF3.5入れたらAll-in-one-Gesturesが使えなくて困った。
前にも似たようなことがあったので試したら動くようになったので方法を書いとく。
- C:\Documents and Settings\(ユーザ名)\Application Data\Mozilla\Firefox\Profiles\(ランダム数字).default\extensions\(ランダム数字)\chrome¥allinonegest.jar を探す
- extensions内はフォルダの更新日付=インストール日付なので勘で探す。というかAiOGは初日に入れるだろ?
- そのいっこ上のフォルダにinstall.rdfというファイル(XML)があるのでメモ帳で開ける
- その中の
<em:maxVersion>3.0.*</em:maxVersion>
となってるところを
<em:maxVersion>3.5.*</em:maxVersion>
に直す。
あくまでバージョンチェッカをごまかすだけなので、「たまたま動いている」だけだということを忘れずに。
FireGesturesっていうのもいいらしい。
でも俺もう対応しちゃったのでしばらくこれで。
boussk
2009/07/07 16:47
あ、そうだ、Application Dataフォルダは隠しフォルダだからデフォルトではエクスプローラで辿っていけないけど、そういうときにどうしたらいいかがわからない人はこういうことしないほうがいいと思うので方法は書かない。
hyousuke222
2009/07/10 00:29
素直にNightly Tester Tools使ったほうが手間がない気がしますが…
2009-06-26
■メモ帳を整理していたら昔の文章が出てきたので打ち込んでおく。

商業が大企業に独占されたのはこの50年のこと。
規模の経済が個人事業を駆逐した。
大企業は残存していく
大企業は先鋭化していく。
本物の企業の本物の正社員でいることはますます難しくなっていく。
一方、大企業の中で「本当に価値創出している人」は少ない。
価値創出していける人はマーケットにリーチできるようになる。
マーケットと向き合えるのは大企業だけ
規模の経済に地域が巻きこまれていく。
地域をマーケットにしていた中小企業、個人商店はマーケットを奪われて滅びていく
一方、ネットによってニッチ市場、ロングテールが拓かれた。地域以外のチャンネルが個人や中小に拓かれた。フラット革命。
フラット革命によって消費者の面前では大企業と個人商店は対等たりうる。
・・・すべてが対等たりえない。
機械的に量産し得ないもの、手工業品、芸術品
創り手が直接市場にリーチできる。
中抜きによって、規模の経済に対抗する。
(インフラが充分に発達し安価であること)
∴個人が作りえるものを主たる商品としている企業は苦しくなっていく。
個人が作ったものと企業が作ったのの見分けがつかないか、ついたときに個人が作ったものの方が価値があると判定されるときに。
フリーランス
企業にとって「すべてを内製する」意味が失われていく。
企業がすべての機能を内製化していたのは入手困難性と機密性。
専門化したOutSourcerは食える。
専門化が参入障壁を生む。
重要なのは需要。
需要は十分か?
ロングテールだけでは不十分と思われる。
仕事をもらうのでは駄目だ。
仕事をこなすのは価値を生むことではない。もらえる仕事は他者代替可能である可能性が高い。
需要がわかれば、それを満たすことで報酬を得ていける。
誰もが需要のありかを知りたい。
未来のネットが、この需要情報をきちんと流通させるならば、それは中小企業を代替しうる。
企業とは、そもそもが需要を仲介する存在である。
企業に所属することで仕事を割り当ててもらえる。
仕事がどこにあるか
仕事を手に入れる能力が最も重要。
ネットがそれを代替するなら。。。
観念論
恐ろしいのは失業なのだ。
失業が怖いから、人は企業にしがみついて、どんなつらい仕事もする。
仕事がきちんと流通するならば(食べるものは地球上に充分あるのだから)、お金さえあれば食えないことはない。
お金がないことが問題だ。食べものがないことが問題ではない。
富が偏ることは(それほど)問題ではない。
仕事が(賃金を得る術が)偏ることが問題なのだ。
しかし競争は必要である。
労働はダンピングされている。トイレットペーパが買い占められるように。
企業に勤めるということは、自由を差し出す代わりに、必要量の仕事をもらう権利を得るということ。しかし仕事はチャンクであるので、ときに過小ときに過大である。(そしてほとんどの場合過大である)
「受注できないリスク」を受け入れなければ、自由は得られない。
「経済的自由」は、労働からの自由 ではなく、受注できないリスクからの自由
(受注できないまま迎えてはいけない日を無限遠に遠ざけること)
メモ
おそらく08年の今ごろに書いたと思われる。仕事を辞めるかどうするか悩んでいた頃。
2009-05-06
■[アグリコラ][ボードゲーム]アグリコラ5人戦ふたたび

今回は私は銀行役に徹して資源の補充と決済に終始し、あとは経験者3人と初体験2名でのプレイ。
初体験2名には15分ばかりインストしてから。生まれたての子供は飯半分しか食わないのを説明し忘れた以外はほぼ周知した上で、職業及び進歩ありのノーマルルールでプレイ。
結果的に、今回もまた3時間以上かかった。
資源補充は毎ターン中に次回分を別トレイに載せておくことでだいぶスムーズにできるようになったけれども、それでもやっぱり複数人が長考するとすげえ時間がかかる。
次回は試みにタイマーありでやってみたい。タイムアウトしたら手番なしは可哀想なので次の人が置いていいルールにする。時間は30秒くらいかな。iPhoneにカウントダウンタイマーアプリを入れてみた。
■[ボードゲーム][RftG]レースフォーザギャラクシー

最近はもっぱらこればっかりやっている。宇宙開拓カードゲーム。
仲間内で非常に流行った「王への請願」ダイスゲームのデザイナーによるもの。すでに昨年秋に拡張パック第1弾が出ている。
カード(惑星や設備)を引いて場に配置する。配置コストは手札をディスカードすることで支払う(軍事力パラメータを比較して多ければ獲得できる「軍事惑星」もある)。
最終的にカードに書いてある勝利点と、物資を貿易することで手に入る勝利点チップの数の合計で勝負。拡張パックからはカタンの「ロンゲストロード」「ラージェストアーミー」のようなゴールタイルが追加された。
紹介記事はいっぱいあるので興味のある人はググってもらうことにして、いきなり攻略論について考えたい。
このゲームはカードゲームであるくせに、ドクトリン(大戦略)>戦略>戦術の3層構造がある。
ドクトリンとはつまり経済で行くのか軍事で行くのか、ということである。これは初期ホームワールドや初期手札、序盤の(おもに6コストDevの)引きでだいたい決まる。ドクトリンが定まればあとの考えどころは大きく2点。もちろん何を配置してどういう銀河帝国を作っていくか、という戦略が1つ、もう1つは、ターンのどのフェイズを実行するかという戦術である。
フェイズは各プレイヤーのうちだれか1人が意思表示すれば実行される。意思表示しなかった人もそのフェイズをプレイすることができる。誰も意思表示のなかったフェイズはそのターンプレイされない。意思表示した人はそのフェイズにボーナスの恩恵を受けられる。
とにかくボーナスが得られるのだから、自分のやりたいフェイズを意思表示して行けばよいという考え方もあるが、効率を考えるなら、相手が出してくるフェイズを読んで、それを回避するように意思表示していくほうが望ましい。第1、第2フェーズ(EXPLORE,DEVELOP)は意思表示ボーナスが比較的大きいので自分で選びたい。一方、第5フェーズ(PRODUCE)などは、単発生産惑星(Windfall)を持っていない限りボーナスがないので、できれば他の人の意思表示にのっかりたい。価値の高いWindfall産物と消費能力のある惑星や施設を同時に抱えている場合は、誰かに第4フェーズ(CONSUME)を発動されて本来なら手札5枚の価値のある産物を1VPや1VP+1手札に変換させられてしまう前に売却して手札5枚にしたい。
・・・といった行動の読み合いの部分で、これを意識するとしないとで発展のスピードがかなり変わってくる。
このゲームは基本的にやりたいことはいつか必ずやれるようになっているのでストレスが少ない、といっしょにやったプレイヤーの人が言っていたが、しかし自分のやりたいことを自分の好きな順番でやっているとどんどん遅れて行くのだ。毎ターン平均してすくなくとも1つは何かを立てて行きたい。
基本的には相手の産物状況と手札を見て行く必要がある。相手の手札が少なければ何らかの方法で補充したいと思っているはずで、高価値の産物を抱えていれば高い確率でTRADEを選んでくるはずだ。こちらは勝手に消費されたくなければ合わせてTRADEを出して行くべきだし、あるいは生産か消費に伴ってドローできるのならばそれを見越してPRODUCEを出していく方がよい場合もある。相手が1ターンでは産物を売り切れないような場合で、こちらは毎ターン全産物を消費しきれるのなら、PRODUCEの連発はこちらのアドバンテージとなる。逆に、相手の手札の補充前のタイミングにDEVELOPやSETTLEを出して行くことで、相手は何もできず、自分だけカードを配置できるようなタイミングも狙って行きたい。
とするならば、相手と自分の手札補充、産物補充のタイミングがかぶっているのはいささか都合が悪いということになる。あるいは、かぶっていてもかまわないが、それぞれの能力で相手を上回っていなければならない。
であるから、戦術で優位に立とうと思うなら、相手の序盤の行動から戦略を推し量り、こちらの戦略を調整して行く必要が有るのである。
相手の戦略を読むためには、そしてそれに対応できる自分の戦略を組み立てるためには、まずこのゲームシステム上でどのような戦略が組み立て得るのかを知っておかなければならない。
このゲームの大戦略は大きく2通り、もちろん軍事戦略と経済戦略の2パターンである。もちろんミックスも可能だが、必要なフェイズの種類が増えてくるのであまりうまく運用できるとは思えない。どちらかに徹底した方がよさそうだ。
もし軍事戦略をとるなら、考えるポイントは2点だ。どのように軍事力を高めるか、どのようにして征服先を確保するか、である。
軍事力上昇の方法は限られている。「宇宙海兵隊」「ドロップシップ」といった装備改良と、エイリアンの軍艦や艦隊などの鹵獲だ。「新軍事戦術」による一時的な攻撃力ブーストは可能だが、これを使用するときは必ずそれによって恒久的な軍事力向上ができなければ先が続かない。
また、征服先確保について、探索による方法と、戦利品売却による方法がある。探索能力のある惑星や設備は総じて軍事帝国と相性が良い。最終的には6コストDevの「SETI」を出すことで勝利点のブーストがはかれる。いっぽう、探索はそれほど行わずとも、エイリアン遺物や知性化種族の遺伝子を売却することで財源確保していく方法もある。この場合、生産はいちいちしていられないので、Windfall産物をもつ惑星を狙って落として行くことになる。こちらがTRADEを選んでいないのに勝手に産物が消費されて行かないよう、消費能力のあるカードは配置しないように気を配っていなければならない。
エイリアンは軍事ワールドが多く、鹵獲による軍事力向上も望め、Windfall産物が多いことから軍事帝国とは非常に相性が良い。「異星技術研究院」と「銀河新秩序」のコンボが理想的だ。
または、銀河帝国を樹立してひたすら反乱軍を探索して制圧して行く方法もある。この場合は軍事力については銀河帝国のボーナスでほとんど心配しなくてよくなるので、反乱軍拠点を見つけ出す探索能力に力を割いて行くことになる。
また、「遺伝子研究所」があればUPLIFT種族の遺伝子から継続的な収入を得られるようになるので、他人のPRODUCEに便乗して産物を確保していける。
軍事系はこれらのミックスによって戦略を組み立てて行くことになろう。
もちろんエイリアンや反乱軍の軍事惑星はコストに対して非常に勝利点が高いので積極的に狙って行くべきだが、得点はあまり気にせずとにかく毎ターンカードを配置し続けて逃げ切りを狙うのも良い。経済系戦略は消費システムが動き出すまでは基本点が低いので、その前に12枚立てきってしまえば20点台前半の勝利点でも勝ち目はある。6コストDevによる得点ブーストがあればさらに心強い。
このことから、拡張パックによって「改良兵站」が出たことの意義は軍事帝国にとって非常に大きい。「改良兵站」が配置できた場合は、高得点カードに固執せず、安価なDevと合わせてとにかく毎ターン2枚以上を配置して行くことを目指すべきだ。「星間銀行」「投資貸付」の両配置でDEVELOPでも常に何か立てられるようにしたい。
だいぶ長くなったので経済戦略については次回。
