[書評]岡田斗司夫「いつまでもデブと思うなよ」読了

いつまでもデブと思うなよ (新潮新書 227)
岡田斗司夫
新潮社 (2007/08/16)
売り上げランキング: 6


先日、dankogaiの書評を読んで、友達から概要を聞いて、ブログも見たりして、じゃあ俺もということで食ったもの帳をつけはじめたのが8月21日のこと。

いちおうなんとか続いている。
最初は律儀にカロリー計算とかもしていたんだが、面倒くさくなって記録自体を止めそうになったので、「いやいや食ったものを記録しさえすればいいんだ、カロリーは書かなくてもいいんだ」と自分を説得して今に至っている。

じつはこのことは、ちゃんと「いつまでもデブと思うなよ」を買って読むと書いてある。最初はカロリー計算なんていらない、とにかく記録をつけ、傾向の分析をしろと。いきなり対策を始めるなと書いてある。なるほどと思った。岡田氏自身はこのただ「つけるだけ」の期間に5ヶ月ほどかけたそうである。

記録が習慣づいたらカロリー計算をしてみて、カロリー計算自体も習慣化する。習慣化のハードル=めんどくささを下げるためのWEBサイトなんかもいろいろ紹介してあった。こういうときにテキスト媒体だと気軽にクリックというわけにはいかないが、ブログのほうを見に行けばいいのかな。

で、記録とカロリー計算の習慣がついて、傾向を読んで、俺のライフスタイルだったらここをこう削ると基礎代謝ベースでいけるんじゃないか、というのが見えてきたらカロリー制限を始めろ、と書いてある。やたらめったらはじめるな、と。

で、その後もダイエット完了までに陥りがちな罠や心境変化や嗜好の変化についていろいろと先回りしてガイドしてくれていて、ちゃんとハウツー本だなあと思った。

たとえば株式投資のハウツー本なんかでも、「ここでこういうときはこうしなさい。何故ならこうだからです」と書いてある本が多いが、本書のいいところは、そういった理由を岡田氏が発見するに至った話を書いてくれている。単におまじないとかルールとしてやれ、ではなくて、一緒に苦労話をしてくれる。そこが読みやすいところだろうと思った。

さて、しかし翻って俺自身がそうやってカロリー制限をしてみようかと思うのに、いちばん高いハードルは、痛いニュースなんかでも叩かれていた(http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1027419.html)けれども、「食わない分は捨てろ」というルールなんだよなあ。
もちろん、岡田氏もずっと捨て続けろ言っているのではなくて、捨てるよりは最初から買うなと言っているんだが、「食べたいものは食べていい」を十全に適用しようと思うならば、食べたいものが必要以上に盛られて出てきた分は、食べないという選択をしなければならない。
自宅ならともかく、外食していて出てきたものを食べないということは、捨てるということだ。
この部分の俺にとってのハードルは、たぶんほんとうにカロリー制限をしようと思ったらここが最大の難所であると思う。
難所とか言う以前に、そもそも本当にそこを通らなければいけないのかという、倫理的な悩みである。
岡田氏はこの点、たぶんなにかの理由で比較的スンナリ通れたんだろうと思う。「いつデブ」中でも記述が少なく、それよりは自分の欲望とどう付き合うかのほうに紙数が割かれている。
しかし普段からほとんど間食もしない俺としてはそんなところはどうでもよく、頼んだもの(というかテーブルに出ているもの)は残さず食べないと気がすまない問題のほうがはるかに重大な問題だ。

理屈はわかる。こないだも会社の近所の蕎麦屋で昼飯にカツ丼を食べて、半分くらいで「あー、もう満足だな、うまさのピークは過ぎて、あとは食えば食うほど苦しくなるだけだな」と思ったけれど、結局全部食べてしまった。というか、食べないでいるという選択はできなかった。

俺としては、食卓に(取り分け用ではなくて俺のために)載せられているもので、とくに嫌いとかでもなく、とっといてあとで食べる、ということが出来ないものを、食べずに捨てることが平気でできる自分というのはきわめて想像しにくい。そんな自分になってまで痩せる必要なんかないと今は思う。
それよりか、戦争に行くことになって、戦場で勝つために迷いなく人殺しをしている自分のほうがよっぽど納得感があるくらいだ。

私は1日食べる食事をできればぜんぶきちんとしたものにしたいと思っているけれども、本書で岡田氏が述べる「3食のうち、きちんとおいしいものを食べる「食事」は1回だけにして、あとの2回は「カロリー摂取」「体調調整」という機能に特化したものにする」という提案については受け入れられるような気もする。

でも、今目の前に供された食事を、食べられない理由はないのに、「もう満足したから」という理由で食べずにいるということは断然受け入れがたい。そんな自分はいやだ。
これは宗教的な問題になのかもしれない。

この問題がなんとかできると、俺のダイエットはすんなりうまく行くだろうと思う。そもそもこの問題に衝突しないやり方を考えるほうが賢いやり方なんだろう。