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2011-12-18

教員免許更新制度


授業の準備をしつつ試験問題をつくり採点もしてその合間に教員免許の更新講習を受けてとやたらとあわただしかった11月と12月を乗り越え、どうにかこうにか年も越せそうである。なんだか今年はやけに働かされている気がする。昨日ははるばる葛飾まで行って教員免許更新の試験を受けてきた。


えっ教員免許の更新制度なんてまだやってるのかって?そう、まだやってるのである。民主党政権がぐだぐだしているせいでいまだに廃止になっていないのである。とんだ災難である。えっ非常勤講師も免許更新の講習を受けなきゃならないのかって?そう、理不尽なことに受けなきゃならないのである。いままで一切連絡がなかったので、これについては私も知らなかった。11月になって勤務先の事務室から、このままだと半年後の来年3月で教員免許が失効になると指摘されてはじめて知ったのだった。


おそらく教員たちには、学校経由で免許更新の連絡が行ってるのだろうし職場の話題にもなっているのだろうが、私の場合、基本的に授業だけでしか学校との関わりがないため、この手の情報がまったく入ってこない。新しい制度が導入されても学校側からは説明もないし、たとえ授業を受け持っている生徒が暴力事件を起こして警察沙汰になったとしても、情報の共有はなく蚊帳の外に置かれる。学校によっては、こちらから尋ねても「うーんちょっとね」などと口を濁す職員ばかりというところもあって、学校の内部事情については生徒よりも疎い(こういう学校にかぎって「生徒ひとりひとりの事情に応じた指導」を要求してきたりする、できるわけねえだろそんなもん!)。情報の共有がないことをとくに不満に思っているわけではないし、むしろ学校運営や生活指導になど関わりたくもないが、ときどきこうして不便なことがあるのも事実だ。なので、講師も免許講習を受けろというのなら、せめて自動車の運転免許のように教育委員会が自宅宛に案内を送付するくらいのことはすべきではないか。ところが、東京都の教育委員会に電話で問い合わせてみたところ、文科省と各教育委員会のWebサイトに講座を開設している大学の一覧表が載っているから、自分でネット検索して調べろの一点張り。ずいぶんとまあ高飛車な対応である。何様のつもりだろう。その担当者の名前を聞いておけばよかった。政府は各教育委員会に丸投げし、教育委員会は講座開設している大学に丸投げというのが免許更新講座の実態のようである。


この教員免許の更新制度は、国家主義者の安倍晋三が国粋主義の思想団体である文部科学省と手を組んで、2007年に教育職員免許法を改正し、2009年からスタートした。医師・弁護士・建築士・公認会計士司法書士といった他の主だった資格については、免許更新制が導入されていないので、教員の国家統制を強化しようという政治的意図が露骨にあらわれている。こんなのに賛同してる人間が世の中にいるんだろうかと思ったらいたいたネット上にうじゃうじゃと。日本の諸悪の根源は日教組であると信じているようなある特殊な政治思想の持ち主にはいたって好評らしい。彼らによると、PISAの学力テストで日本の高校生の点数が悪いのも福島原発が大事故をおこしたのも日本が戦争に負けたのもバブル崩壊もオウム事件も911テロもリーマンショックもギリシアの財政破綻もみんな悪の秘密結社である日教組の陰謀ということらしいので、ショッカーもびっくりの大活躍である。そりゃあなにがなんでも教員を拘束しなきゃね。


そんなふうにはじまった教員免許の更新制度だが、講習の内容が優れたものならばまだ救いがある。しかし、学校経営や施設の安全管理やモンスターペアレントへの対処の仕方といったものばかりで、まるで管理職試験の対策講座のようである。非常勤講師に学校経営や施設管理を教えていったいどうしようっていうんだろう。私は授業以外で学校と関わらずにすむから、この仕事をやっているというのに。また、面倒な保護者に「モンスター」のレッテルを貼って切り捨てようとするのも組織防衛の発想でしかない。非常勤の場合、保護者から苦情が出たら、それがどんなに理不尽なものであっても、その学校との契約は年度末に確実に打ち切られてさようならなので対処もなにもない。トカゲの尻尾も面倒な保護者同様にただ切り捨てられるだけである。切り捨てられる側の尻尾にまで切り捨てる側の理屈を学ばせようっていうのはずいぶんなツラの皮である。いま受け持っている授業と自分の興味が重なる分野としては、ヨーロッパ各国におけるナショナリズム多文化主義の現状やフーコーによる近代理性主義批判といったあたりだが、そういう専門性の高い講座はひとつもなかった。必修講座のテキストもまたひどい内容で、「文部科学省の定義では……」「文部科学省の調査では……」「文部科学省の位置づけでは……」「文部科学省の報告書によると……」と役所すじの見解ばかりがずらずらとテキストに列記されている。たかが役所の見解をあたかも宇宙の法則であるかのように権威づけるなんて、教育学の研究者たちはいつから文科省の太鼓持ちになったんだろうか。このまま免許の更新制度が継続されると、各大学で実施している講習は天下りの受け皿になっていく可能性が高い。いや、私が知らないだけで、すでに教育学部は文科省の下請け機関になっているのかも知れない。日本の学校教育が国家戦略の視点でばかり語られ、教育を受ける権利の人権保障のために存在するという基本的な認識がちっとも定着しないのも、このへんに理由があるように思う。


ともかく、講習期限がせまっていたので講座を選んでいる余裕はない。先月の時点でまだ受講者募集をしていたのは名前も聞いたことのない私立大学の通信講座だけ。期限ぎりぎりでそこへ潜り込み、ひと月の間、文科省の見解ばかりが列記されているテキストとテキスト棒読みのビデオ授業につきあって、昨日、試験を受けてきたという次第である。費用は約3万5千円也。すべて自腹である。泣けてくるぜ、まったく。ちなみに評価は、2千字のレポートと試験によって行われる。試験で6割以上とらないと追試ということらしいが、あの試験で落とされる人はいないだろう。なんせ問題の半分が文章の正誤に○×をつけるだけの問題なのである。でたらめに答えても5割はとれるわけである。テストで0点を取ったのび太にドラえもんが「なんでのび太くんは○×をつけるだけの問題なのに50点以下がとれるのぉ!?」と驚いてる場面を試験中に思い出してしまった。「いやあ才能かなあ」「なに得意になってるの、のび太くん」とその会話はつづくが、のび太のような才能がないと60点以下はとれないだろう。こうした難易度の設定には、受講者を確保しようという大学間の市場原理が働いているはずである。誰もが渋々受講してるのだろうから、あそこは試験が難しいとうわさがたてば受講者は他の大学へ流れてしまう。そういう意味では、免許更新講座など大学側にとってはあくまで商売のひとつにすぎず、役所と組めば濡れ手に粟のおいしい商売ができるという典型的なケースに見える。それにしても3万5千円かよ。


私もいまの学校がうまくいっているとは思っていない。しかし、教員にあれこれやらせれば学校が良くなるという役所側の発想とはまったく逆で、教員が授業に集中できる環境づくりこそが必要だと考えている。学校に求められる役割が増えるにつれて、どこの学校でも授業の優先順位は年々下がってきており、教員たちは常になにかの会議でバタバタしている。以前勤めた学校には、授業料の取り立てまで担任がやらされてるところもあった。その一方で、教員同士が授業のやり方についてアイデアを出し合っている光景は見たことがない。8年くらい前のこと、最高裁で女児の交通事故の賠償金を男児よりも安く算定する判決が出た際、それを授業で取りあげようと社会科の教員たちにこの判決をどう思うか尋ねてみたところ、「さあ、裁判所がそう言ってるんならそれでいいんじゃない」という反応ばかりで唖然としたことがある。この人たちは本当に社会科の教員なんだろうか。役所で施設管理でもやってるほうがお似合いなんじゃないのか。それともその学校では、権威すじの決定にうかつなことを言えないような雰囲気だったんだろうか。そうして授業は物事を考える場ではなくなり、テキストの表面的な解説に終始することで進学校は受験予備校化し、そうでない学校は授業中に生徒をただ静かにさせておくだけの託児所と化していく。でもさ、授業の優先順位が低い学校なんて学校としての存在意義がないじゃん。学校ってさ、本来、学びたいものが集まってきて、その意欲にこたえられる授業をすることが一義的な役割じゃないの……とまあ考えてるわけですが、今回は最後まで愚痴でした。ご静聴どうも。

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