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ペーパーライセンスボクサーの司法試験日記

2011-07-21

脱クーラー

ここ数日は台風のおかげで非常に涼しい。

やっと机に向かう気力が出てくる。

毎年のことだが、夏は全く勉強の能率が上がらない。

 

僕は一切クーラーというものを使わないから。

 

 

別に節電に協力しているわけではなく、

単に電気代を払う余裕がないだけだけれど。

 

だからクーラーのスイッチに手を触れていないのは

今年に限らずここ数年ずっと。

 

ただ、各所でエネルギーのあり方が根本から見直されている現在、

日本に住む者全員が僕のことを見習うべきじゃないかなと思う。

 

 

 

そもそもクーラーってのはひどい機械なんだよね。

 

自分のいる密閉空間だけ冷やして、

それと引換えに発生する熱風を他人に向け発射するんだから。

 

 

僕はもういい加減古い人間の方になってきていて、

僕の幼少期の記憶は「昔」といっていいレベルだけども、

 

「昔」はそんなにはクーラーは普及していなかった。

少なくとも性能や電気代の点で問題だらけで、

思う存分使える代物ではなかった。

 

その時代、今ほどは「暑く」なかった。

 

自然環境の喪失などのための世界的な気候の変化、

といった理由も大きいだろうけども、

こと日本については、

「クーラーの普及」も「暑さ」の大きな原因と考える方が自然だ。

 

 

実際、夏の季節に街中を動いていると、

照りつける太陽の熱だけじゃなく、

明らかに自然ではない熱風にくるまれることがある。

そこかしこで使っているクーラーの仕業だろう。

 

 

クーラーの使用をやめれば、

一体どれだけの体感温度が下がるだろうか。

考えたことがない人間は基本的にいないはずだ。

 

暑くなると必ず熱中症で倒れる人が出てくる。

場合によっては亡くなる人もいる。

 

クーラーを使う人間、使える人間は、

その原因にそれなりに寄与しているというべきだ。

 

 

人は皆業を背負って生きているわけで、

ある行為の影響だけを非難するのはむつかしい面もある。

 

それでも、

クーラーを使う人間は、

使わない人間に比べて、

より人殺しに近い位置にいる

という疑いが強く強く存在する。

 

 

 

この電力不足が叫ばれるご時世で、

日本経済を支える産業界に回す電気が足りないと言われながら、

なぜか多くのクーラーが未だに回っている。

「そういうクーラー」が使われ続けている。

 

明らかに家の中に人がいるのに窓は閉め切られ、

公共施設や大型店舗などの人の集まる場所に行けば、

こんなご時世なのに強力な冷気に当たることができる。

 

 

全員がクーラーをきっぱりやめれば、

クーラーを使う理由が相当部分なくなるというのに、

それでもクーラーを使って、

クーラーの必要性をあえて増やしている。

貴重な電気をそちらに回している。

 

僕も今この文章をパソコンを使って書いているわけだし、

電力使用に関して他人を批判する資格は必ずしもないかもしれない。

しかし僕は、熱風を家の外に吹き出して、

自分だけ涼しくなるような真似はしていない。

電力需要の負のスパイラルに加担していない。

 

 

 

じゃあ、クーラー禁止にして何もかも上手くいくのか、

といえば確かにその保証はない。

 

コンクリートで密閉された住居や建造物が多くなった。

そういう建物では自然の風の恩恵はとても少ない。

たとえ風が入ってきても、

自然環境が失われた都市部では熱風に晒されるだけだったりする

(さらには他人の使うクーラーの熱気を浴びるのが現在)。

 

到底文化的な生活はできなくなるかもしれない。

熱中症の被害者はむしろ増える可能性もある。

 

僕がこの時期にまったく勉強が進まないように、

仕事の能率も激下がりで経済にも影響が出るかもしれない。

 

「さあ明日からクーラー禁止です」は

必ずしも現実的ではないのはもちろんだ。

 

 

それでも、少なくとも、

自分を取り巻く環境について反省する機会にすべきだろう。

 

熱中症になりそうだったら、

人間としての尊厳を捨てて、

窓全開のまま真っ裸になって、

とりあえず1日だけでいいから、

何にもせず行水して昼間を過ごしてみればいい。

 

いかに自分たちが作り上げてきた生活環境が、

非人間的なものなのかを思い知ることができるだろう。

 

当然のようにクーラーを使い、

他人に熱風を吹き付けていることを開き直るのは間違いだ。

 

コンクリートで作る建物を建て続けることを止める、

緑を切り倒し続けることをやめる、

少なくとも意識の上でそういう契機にすべきじゃないか。

 

 

この瞬間電気を使わないようにするのが大事なのではなく、

もっと根本的に意識や仕組みを変えていかないと、

また同じことを繰り返す。

 

同じように電力需要が高まり、

同じように搾取者の言いなりにエネルギー政策を進め、

同じように危機を迎えることになる。

 

 

 

そのためには、いろんなものに目を向ける必要がある。

 

 

たとえば、カークーラー

 

 

電力不足という問題だけを考えるなら、

自前のガソリンエンジンを利用した電力で動くカークーラーは、

昨今の課題とは無関係のようにも思える。

 

もしかしたら、

「家ではクーラー使えないから車で涼む」

みたいな考え方の人間さえもいるかもしれない。

 

間違いだ。

 

クーラーにより外部に放出される熱気が、

さらなる電力需要を生み出している面がある。

むしろカークーラーは電力不足を加速すると考えるべきだ。

 

 

文字通り動けない「不動産」である建物の中については、

クーラーを使うことを一律に禁止すれば問題が出るかもしれない

(それでも僕は一度完全禁止をやってみるべきだと思うが)。

 

しかし車は動く。

それも高速で動く。

すごい勢いで空気が流れる。

巨大扇風機じゃないか。

 

もちろん信号や渋滞で止まることもあるが、

それでも車の外面はほとんどが窓だ。

空気の流れは止まらない。

渋滞するような場面で無駄な車利用はやめる、

といった注意と併用すれば、

我慢できないものではないはずだ

(周囲からもカークーラーの熱気が来ないのが理想だ)。

 

 

なぜ車に乗っている人間はほぼ全員が窓を閉めているんだ?

 

 

僕は一日の一番暑い時間にバイトで毎日オートバイに乗って、

風を直接身体に受けることで暑さをやり過ごしているけども、

 

窓を開けて走っている車に出会うことがほとんどない。

 

 

また僕が幼少の頃の話をすれば、

その頃はクーラーを積んだ車がそんなにはなかった。

 

みんな窓を開けて走っていたじゃないか。

 

それでも、車に乗せてもらったときには、

むしろ車は涼しい、というイメージを僕は持っていた。

車の風を受けるのが大好きだった。

 

とりあえず今年からは、

僕が車に乗るときには窓に頼ることをはじめた

(ガソリン代も節約できるしね)。

 

 

いつからこうなったのだろう?

 

車を使うこと自体で放出する熱も問題だけど、

そこにクーラーの問題を加える必要なんかあるのか?

 

車のクーラーのような、

明らかに必要性の乏しいものを使いまくって、

世の中の気温を上げている事実を見ると、

「クーラーなしではやっていけない」

という言葉の信憑性はどこまであるのか。

実は嘘なんじゃないかとさえ思う。

 

少なくとも、クーラーの弊害に、

人々があまりに無自覚であることは確実だろう。

 

 

いっぺん現状のままクーラー全部やめてみたらどうだ?

気温などの問題がどれだけ緩和できるか実験してみようよ。

むしろなしでいけるってことになるかもしれないじゃないか。

 

それでダメな部分は、

住環境なり自然環境なり、

見直していく機運を高める方に持ってくのが正当だ。

 

 

もちろん、上にも書いたとおり、

たとえば法的にクーラー使用を禁じるような方法は、

相当の無理が生じることが予想されるものではある。

 

しかし、現在のように、

夏にはクーラーを使うことが前提となり、

世の中のあらゆる物が形成されている状態では、

どこかで無理をしなければ、

何にも変わらないように思えて仕方ない。

ホント、いっぺんやってみたらどうだろうか。

クーラー禁止。

 

 

 

今世の中でよく言われている、

「節電」だの「脱原発」だのってのは、

要するに

脱クーラー

のことだ。

 

 

 

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