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ペーパーライセンスボクサーの司法試験日記

2011-11-29

「見かけの数字」の意味

こんな僕をまだ見捨てず

書き込みをしてくれる よんた さんには、

意見の違いを超えた意味で感謝しています。

 

そのうえで、

僕の趣旨をより明確にする試みをしたいと思います。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

先日の日記で、

「原発のコストの試算」について言及した。

 

言及しておいてこんなことを言うと、

一歩間違えれば開き直りの暴論になりかねないけども、

危険を恐れずあえて言えば、

 

僕はああいう種類の試算には意味がないと思っている。

少なくとも僕はまったく重視していない。

 

 

 

ああいう計算の存在意義は、

「どのエネルギーを使うべきか」の選択において、

判断材料の一つにするものだと認識している。

 

その際、もっとも単純な計算の仕方は、

同じ1キロワットの電力を発電するのに必要な、

ウランと石油の価格を比較するというものだ。

 

 

本当に「正確」な比較ができるとしたら、

そういう計算においてのみ、と僕は考えている。

 

 

 

要するに、事故が起きてもほったらかし、

エネルギー使用により周囲の環境に与える影響もほったらかし、

耐用年数の過ぎた発電所もほったらかし、

という数字である。

 

そんな数字には何の意味もないこと、

少なくともエネルギー選択の根拠になんかなりえないことは、

誰の目にも明らかだろう。

 

 

 

だから、事故のリスクとか、

その際にかかりうるコストとか、

発電所の耐用年数とか、

いろんなことを考え合わせて、

現状では圧倒的に一番原料費が安いはずの原子力発電は、

原子力推進に利用したいと考える者の計算でさえも、

他の発電方法よりも「ちょっとお得」という程度に収まってしまう。

 

そこで原子力に批判的な立場で計算をすれば、

たちまちそのコストは跳ね上がる。

 

 

現状の原子力発電のあり方に懐疑的な発言をしている僕が、

その後者の計算の数字をあえて引用したということで、

「それで計算しましょう」

と主張しているように聞こえるかもしれない。

まあ、僕も多少筆が滑って、

「そちらの方が信用できる」みたいなことを書いてしまった。

 

ただ、それは「高い方がまだ僕の意見に近い」というだけで、

本当のことをいえばどちらも信用していない。

そもそもそういう計算の仕方自体に疑問を持っているからだ。

 

 

以前、「極論」として、

宇宙戦艦ヤマトというSFアニメに登場した

「放射能除去装置(コスモクリーナー)」に言及して、

 

そういう方法論が確立されない限り、

核を人間が利用することは許されない、

とすることにも十分な理由があるのだ、

という主張をしたけれども、

 

どんなに原子力の危険やコストを計算しても、

完全に損害を回復することなんかできない、

というのは絶対的に確かなことだ。

 

 

火力発電所が爆発したとしても、

とりあえず周辺の環境に与える影響という点で見れば、

火を消し止めれば基本的に話は終わる。

 

それに対して、

原子力発電所が爆発した場合

(今回仮定の話ではなくなった)、

言わずもがなである。

 

そもそも前提からして、

平等な比較など不可能である。

 

 

 

にもかかわらず、

それをコストとして計算するという行為の意味は何か。

 

何かあったときの努力の量について、

または何かあるという可能性の大きさについて、

 

「ここらへんで良しとしましょう」

という妥協をするということである。

 

 

たとえば、僕は上の「もっとも単純な計算」で、

発電所の設置運営コストさえも計算に入れず、

ただ原料費だけを計算したものだけが正確だと書いた。

 

発電所の設備をどのように設置するかさえも、

どの程度の安全性で「良し」とするかの決定を伴うからだ。

その計算に失敗したのが東京電力であり、

ギリギリ危機を回避したのが東北電力だった。

 

どれだけの安全管理費用をかければ無事で済むのか、

誰も少なくとも断言はできないのであって、

当然すべき水準を満たさないときに過失が認められるだけ。

発電所のコストを計算する時点でもすでに一定のことが終わっている。

 

 

つまり、そこでなされている議論は、

どこまでのコストをかけるかという線引きを、

すでに決めてしまった後の話でしかない。

 

もうすでにその決定の時点で、

議論は90%以上終わっている。

 

 

そういう状態で、はい、具体的な数字を出しました、

その数字を元にして何かを決める根拠としましょう、

というのは、

 

ある意味で、あくまで僕に言わせれば、だが、

結論の決まった議論を、まるで平等な条件で、

客観的合理的に比較して見せているかのような錯覚である。

 

別の言い方をすれば、一種の循環論法であり、詭弁である。

 

それを認識しながらなおそれを主張する者がいたり、

その主張によって自己に利益を誘導する者がいれば、

一種の詐欺である。

 

 

 

それが先日僕が主張した、

 

「見かけの数字に騙されてはいけない」

 

という言葉の意味だ。

 

 

 

僕があそこで、

朝日新聞の発表した7円のコストに言及したのは、

 

「原発が安いという計算」への疑いの意味ももちろんあるが、

 

それ以上に言いたかったのは、

いかようにも数字が変化して行くことへの問題提起である。

 

 

 

そういう僕が、

「結局は高いんだから原発やめよう」

などと言うことはない。

 

もしかしたら、

「高くてもやはり原発が必要なんだ」

という意見をちゃんと言う人がいるなら、

それに賛成する可能性もある状態だ

(さすがに即断はできない)。

 

 

しかし、

「安いから原発を捨てられない」

とか言い出す意見に向かっては

 

んなわけあるか!と叫ぶことにしている。

 

そういう意見の根拠として、

上記のような計算を持ち出してくるとすれば、

その計算方法に文句をつけるとともに、

そもそもそういう計算自体が成立していないと主張したい。

 

 

 

 

 

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とまあ、ここまで理屈を連ねてきたが、

 

実は掲示板で よんた さんに頂いた批判について、

納得できる部分もないではないなあと思っているのも確かだ。

 

 

よんた さんが

「あなたは『僕はこう思う』しか言っていなくて、

 そこに明確な根拠がないのではないかと思える」

とおっしゃるわけだけど、

 

 

別の言い方をすれば、

 

「お前口ばっかりじゃねえか」

 

ってことでもあると思うから。

 

 

 

たとえば、それを痛烈に感じざるを得ないのは、

 

僕が一方的に敬愛してしまっている、

BigBangさんのブログを読んだときだったりする。

 

 

BigBangさんは、

震災の最前線の現場に出かけてボランティアをし、

被災地の生の情報を発信してくれている。

放射能汚染の最前線で実際に除染作業に携わり、

それがいかに大変な仕事なのかを伝えてくれる。

 

 

それに引き換え僕は…。

こんな安全なところで、

私怨なのか義憤なのかよくわからないことを

ただただ喚いているだけ。

 

何もできないなら、

もっと命がけでやるべきことが僕にはあるだろう。

 

そう言われれば返す言葉は何もない。

誰でもない僕自身が痛烈にそう感じているから。

 

 

 

よんた さんが具体的に示す「口ばかりではない努力」については、

 

正直、申し訳ないけれど、

 

そういう発想に囚われることが、

誰か、または何かに騙されているのであって、

僕が批判したいのはまさにそういう考え方なのだ、

 

と強く主張したい。

 

 

それが偽らざる僕の本音であり、

この日記で繰り返し主張してきたことだから。

 

 

 

じゃあ、それを批判するお前はなんなの?

 

 

 

それを言われれば、

 

僕には、

おっしゃる通りの、論外の存在です、

としか言い返せないとは思っている。

  

 

 

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