言葉に閉じ込められてみる。

 「世界」や「時間」と不意に触れた気分というか。そういう風に思いがけないときに触れることしかできない「世界」や「時間」について、「本当に言葉にすることができるの?」と言われればそのとおりで、「世界」とか「時間」という抽象的な次元のことでなくても、こうして山の中を歩いていると、木の種類どころか、椿の葉の緑と宿り木の葉の緑と針葉樹の葉の緑の違いだって、僕自身の色についての語彙の少なさということを越えて言葉ではカバーしきれないし、木の幹や枝の形となると人に伝えるどころか自分の憶えのためにだって言葉で明示できるなんて最初から思っていない。
 そしてそういう風に考えてみると、「世界」とか「時間」というのは抽象的で漠然としているから言葉にできないのではなくて、逆にこの山の中にあるものと同じく、具体的すぎるほど具体的な、まさに"物"としてあるから言葉にできないのではないかということにもなって、さっきの疑問の答えにはなっていないけれどそんなことを言うと、
「ねえ、中野さん―」
と、美沙ちゃんはあらためて僕の注意を喚起してから、
「言葉にできないんだったら、クイちゃんだって、お兄ちゃんや中野さんと同じこと考えたり感じたりしている可能性だって、あるよね」
と言った。


『もうひとつの季節』 保坂和志

ブックファースト渋谷店の二階文庫・新書コーナーで保坂和志の『季節の記憶』を手に取るとき、こうしてバンバン本を買うようなことをしなければもう少しいい生活ができるのだけれどね、ということを心の中で呟いた瞬間に、いい生活って何だろうということを考え始めてしまい、HMVに寄ろうと思っていたのだけれど「いい生活、いい生活・・」と呟きながらセンター街を歩いているとHMVに行くことをすっかり忘れてしまい渋谷駅に着いてしまったので山手線の中でもずっといい生活について考えていて、帰り道池袋西口でに530円のハンバーグを食べながら相変わらずいい生活について思考を巡らせていたのだけれどよくよく考えてみたらここで『季節の記憶』を買わずに何か高いものを食べる生活と『季節の記憶』を買ってハンバーグを食べる生活のどちらがいい生活だろうか問われれば当然後者の方がいい生活にちがいないなあと思ってしまうわけで、そうするとこうなるともしも自分が研究者として飯を食えるようになったら若い人たちに飯を食うくらいなら本を買えとか偉そうに説教するのだろうし、僕の好きなDJの人は学生時代に食事を抜いてレコードを買ったと言っていたのでそう考えると別にそういう偉そうなことを言ってもいいんじゃないかと自分に甘くなってみたりもするのだけれど、そうはいっても美味しいものを食べることは重要なことなので無理をしてはいけないと思う。思うし、そういえば先日妙に寿司が食べたくなってついに魚を食べれないのにお金を払って寿司を食べに行ったのだけれどやはり美味しくなくてもう当分魚は食べたくないなあと思ったし本当に魚は食べられない。カルシウムをどこから摂取すればよいのだろうか、しかし。

つまりはというかとにかくというかお金になる仕事は無事終わったので良かったということで相変わらずいくらもらえるのか分からない仕事をしてしまって、もしかしたらこうしてずっといくら貰えるのか分からない仕事を延々と続けていくのではないだろうかという考えが頭を過ぎったのだけれど、そう考えたら給料制というか固定給が貰える仕事というのは幸せだよなあと思うのだけれど山の手線に揺られるサラリーマンの人たちを見ているとやっぱ向いてないよなあとかも思うし、どうでもいいけれどスーツは着れない。でも着ろといわれたら、着る。

つまりは相変わらず先の見えない人生だという単純な事実が目の前にぶら下がっているというだけの話で、コンスタントに勉強はしているのだけれど今日も研究室で考えていたことといえば今の三足の草鞋でもう固定させようということで、この三つを絡ませながら進んでいけばよいだろうと心に決めて、それに合わせて冬学期の授業を取ることにしたのだけれど、それでも表象文化の授業に遊びに行きたいとか馬鹿なことを考えるのでなんとか止めなければいけないし、こういう馬鹿なことをしなければもう少しよい生活ができるのだよねとまた呟きそうになったのだけれどこれは先の議論とまったく同じ帰結をもたらすので省略する。

そんな困った人生を誰が想像しただろうか!と友人に相談を持ちかけると、お前はそんなもんだよ、と言われたのできっとそんなもんなのだろう。

思いの他本を読めるので、今のうちに畳み掛けたいし、いい加減まともなこと書きたいなあと思うし、サイエンスやりたいし、サイエンス以外もやりたい。いっそのことうちの研究室に置いてあるありとあらゆる分野の本をすべて読破してもいいのではないかと思うくらいだが、実際にはそんなことはしない。集中してものごとに取り組むのは楽しいのだけれど、気がかりなことはやはりあるわけで。なんだかな。

進化する階層―生命の発生から言語の誕生まで

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哲学する民主主義―伝統と改革の市民的構造 (叢書「世界認識の最前線」)

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認知意味論: 言語から見た人間の心

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うーん、考えたいことがたくさんありすぎる・・。