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小野俊介 サル的日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2017-07-17

ひと雨くれば


人知れず咲いた 赤い朝顔ひとつ
日照り続きの 軒影に 忍ぶ恋しさよ

あぁ 好きな人は 今どこに
帰らないのか 帰るのか

あぁ わたしだって 女です
あなたばかりを 待てません ・・・

・・・ といった艶っぽい風情を鼻歌で歌いながら、無料奉仕のブログを書いているサル的なヒト。 こんなにもクソ暑いのに、よくもまぁ頑張るもんだ。 皆さんお元気? お中元・残暑お見舞いを届けたい方は遠慮なく研究室あてにどうぞ(笑)。

色恋沙汰とは無縁の本ブログだが、むろん私は色恋沙汰をバカにしてるわけではない。 むしろ大好きだ。 この歌詞くらいの艶っぽさがない人生なんぞ、そもそも生きている意味がなかろう。 読者の皆さんも枯れてる場合じゃない。 つまらん仕事なんか放りだして、ほれ、愛しいあのヒトのことをしばし思い浮かべるがよい。 若き日の恋心を思い出して、「あのヒトはあれからどんな人生を歩んでいるのだろうねぇ ・・・ 」 などと呟きながら遠い目をしてみよう。 これって人生経験ってやつがないとできない芸当ですからね。 ガキには真似できまいて。
 
それにしても、昔の歌はフレーズの響きの一つ一つが素晴らしくて気持ちが良い。 歌詞を引用しているだけでうっとりしてしまうよ。


あぁ わたしだって 女です
あなたばかりを 待てません

陽は高く 今日もまた 暑くなりそうだけど
思い出は流したいの
ひと雨くれば あぁ ・・・ 

D

*****

研修、人材育成といったものについて語る9月のシンポジウムの抄録の締切が先週だったので、あわててこんなものを書く。 アハハ、あわててると、正直に思っていることを書いちゃうものである。

何もかもが分からない中での人材育成は相当に難しい

小野俊介
東京大学大学院薬学研究科

教育機関にいながら、これまで一度も、受講者そして私が満足のいく薬の規制・評価の教育・訓練を提供した記憶がない。 その理由を考えてみる。

第一に、薬の規制・評価について私自身が「これは素晴らしい」と思える系統的な教育を受けたことがない。 すべては自学自習。 望ましい教育の姿を自身が知らないのだから、あるべき教育の姿を語れるはずがない。 情けない限りである。

第二に、私は人生において一度も「薬の評価を追求しよう」と決意した記憶がないのに、なぜか薬の評価の仕事をしている。 時には不遜にも医薬品評価の専門家のごとき顔をしたりして。 不思議である。 人事異動でたまたま薬の承認審査部門に配属されたからこんなことになったわけだが、もしたまたまロケットの開発部門に配属されていたら薬の評価とは無縁だったろう。 ところで、皆さんがこの会場にいるのはたまたま?

第三に、壇上・会場のそうそうたる諸先生方を見渡したときに、「れぎゅらとりーさいえんすの教育・訓練を受けたからこそ、私は今の指導的ポジションにいられるのですよ」 というセンセーが誰一人いないように見えるのである (勘違いだったらごめんなさい)。 先生方はそれぞれの専門領域でご活躍され、素晴らしい実績をお持ちである。 そのような先生方にとって、いわゆる 『れぎゅらとりーさいえんす』 なるものは、メシのタネとして役に立つ単なる余技・趣味にすぎないのではないのか、という疑念に苦しめられている。 出世の役に立たないことを本気で学んでくれる社会人・学生が、この世知辛い世の中、いますかね?

第四に、これが結構悩ましいのだが、薬の規制・評価とはそもそも何なのかが分からず、何を教えてよいのかがさっぱり分からない。 薬の規制、ビジネスの意思決定って、ほとんどが単なる思いつき。 「思いつきだろうとなんだろうと世の中がちゃんと回っているのだからそれで良いではないか」 とする考え方もあるが、先カンブリア時代だって世の中は回っていたことを思えば、多少は建設的でありたい。

薬がらみの言葉の大半は意味不明である。 「risk-based ほにゃらら」、「品質を作りこむ」など、その語を使う人の理解が試される言葉が多いのがこの業界だが、問題はそこではない。 たとえば薬効評価のご本尊、「薬が効く」 という文の意味が分からない(このままでは文の真偽が問えないでしょ?)。 「薬が効く」 の意味が分からないのだから、RCT で示された有効性の意味も本当は誰も分からないはず。 RCT で検証してるのは 「薬がきく」 ではなく、「薬がけく」 かもしれない。 「薬が安全」 も同様に意味不明文だから、薬害被害者・企業・当局・裁判官の間で言葉が通じないのも無理はない。

こうした点を諸先生方がいかに乗り越えているのか。私も本シンポでしっかり学んで帰りたい。


*****

三連休は寝転がって、汗をかきながら本を読む。 フムフム、多人数の囚人のジレンマでは ・・・ などと難しいことを考えているうちにたいていは意識が遠くなって、お昼寝に突入してしまうのだが、睡魔に敗れて悔いなしである。

知識(発行:思水舎)

知識(発行:思水舎)



九島さんのこの本、面白い。 著者の九島さんのスタンスが好きである。 

「著者略歴」 にあたるものが一切無いのが素晴らしい。 ほれ、だいたいすべての学術書・教養書と称するものには、「著者 デューク東郷。 19XX 年 ○月 ○日生まれ。 ○○大学××学部卒、△△大学大学院修了。 現在○○大学教授」 などといかにもエラソーな著者略歴がついているじゃありませんか。 「無知蒙昧な世間の読者を、立派な肩書を持つ高尚なセンセーが導いてあげます。 だから買えよ」 ってやつ。 それがこの本には一切ない (だから買ったのだ)。 

出版社による 「校正無し」 というのも素晴らしい。 同じ言葉には同じ表現を一律に当てはめるという出版社の方々による校正は、文の色気を確実に損ねるのよね。 私なんぞはつまらないGCPの解説書を書く時だって(笑) 「など」 と 「等」を、法律の条文どおりに使うのではなく、文章の流れ、音読したときの音の響きで使い分けているのだが、編集の人たちってそうした美的ニュアンスをきれいに塗りつぶしてくださる。(注 1)

(注 1) ただし、色気がある薬機法の解説書というのもビミョーなので、出版社の人たちは遠慮なく校正してかまわないと思います。

書き間違い、語尾の不統一を含めて、その人の文章である。 「サル的日記を、より正しい文章に校正してあげましょう」 などとぬかす輩がいるかもしれんがな、やれるもんならやってみやがれ。

2017-07-07

ついでにベーコンもくれよ

醜いなぁ、ニポン人。 幼稚すぎて、めまいがする。 選挙のたびにそう思いませんか? 何度も書いてきたが、また同じことを繰り返し書く。 イライラしてると言葉が乱れるが、しょせん読み捨てられるだけの無料ブログ、こんなもんでよかろう。

大の大人が、「○○党 惨敗」 だの 「△△党 圧勝」 だの 「××党 躍進」と大騒ぎ。 当選したら、大の大人が恥ずかしげもなく、感極まってバンザイするのな。 就職できたのがうれしいのは分かるが、内定取れた大学生ですら、人前で大声でバンザイするようなはしたない真似はしない程度の良識を持っているよね。

ニポン人、バカ丸出し。

この手のバカ丸出しは、大手町にある御用新聞も、そうでない新聞・メディアも同じである。 あのな、ワシは○○党や××党が勝とうが負けようが、そんなことはどーでもいいの。(注 1)

(注 1) 政治家がろくな人間ではないことくらいみんな知っているから。 だって政治家って、私・あなたのような、ろくでなしの国民から選ばれるんだもん。 でもさ、あんたら政治家がどこの党員でも、誰であっても、そんなことどーでもいいのよ。 どこの誰でもかまわんから、日本人みんなが幸せになるような (それが無理なら、すごく不幸せな日本人を生まないような) 政治活動をしてください。 政治家は、全国民 (全都民) の代表なのよ。

「○○党 大勝利」 といったバカ見出しを目にするたびに、私は小学校や中学校の運動会で 「紅組がんばれ!」 「白組 勝利!」 と虚しい掛け声を強制されたことを思い出す。 応援合戦なんてものをガキにやらせて、悦に入る先生たちと教育委員会おっさんたち、という気色悪い構図なのだが、子供って基本 「小国民」 だから、本気で紅組だの自分のクラスだの応援しちゃうのね。 僕はといえば、もうその頃から応援団の連中とけんかして、いじめられてたっけ。

高校でも体育祭なんてのがあるし、大学にも運動部の大学リーグや研究室対抗ソフトボール大会 (笑) なんてものがある。

しかし、子供だってさすがに大学生くらいになると、「いや、勝ち負けにこだわるのってバカっぽいっしょ。 っていうか、カッコ悪いし」 といったオトナの分別がつくようになる。 高校生くらいになれば、「どこかの教師がテキトーに決めたクラス分けで、1組にいるか、2組にいるか、3組にいるか分かれてるだけでしょ? 『2組がんばれ!』 だの 『3組の名誉にかけて・・・』 だの言ってるやつら、バカ丸出し。 オトナに踊らされてどうすんのよ?」 くらいの冷静なことを、学校裏の空き地でタバコを吸いながら言えるようになるものだ。

ところが、大人・社会人になると、また小学生並み・サル並みの知性に逆戻りするのな(大笑)。 選挙のたびに本気で 「アカ勝て! シロ勝て!」 ってわめいてるおっさん・おばさん。 それを煽り立ててメシを食うメディアの人々。 選挙出馬する候補者の出陣式ってやつがあるのだが、まともな神経の人がその光景を見たらきっと爆笑するぞ。 関係会社の社員が駆り出されて、ハチマキ巻かれて、大声で 「エイ、エイ、オーっ!」 っていう恥ずかしいポーズさせられるのな。 大のオトナが羞恥プレイ。 そういえば、ICBM つくって、壮大に国家ぐるみで運動会の応援ごっこを国民に続けさせてるあんちゃんもいるな。 みーんな、サル並み。

サル並みといえば、「アメリカをグレートにする!」 と意味不明にさけぶ赤毛サルもいる。 「ニッポンを取り戻す!」 とこれまた意味不明なスローガンを叫んでいたサルは、秋葉原でサル仲間に向かって 「こんなサルたちに私は負けるわけにはいかないっ!」 と叫んだらしいね。 運動会でムキになるこういう小学生、いますよね。

「このハゲ−っ!」 の議員なんかサルよりもサル的。 サル並み知性のサル的な仲間は増える一方である。 不謹慎かもしれんが、オラなんだかとても愉快な気分になってきたぞ! ムッキー!

ビバ! サル的仲間!! ... ところでビバってどういう意味だ?

*****

江川紹子さんの記事に、こんなことが。

... それで思い出すのは、俳優のアーノルド・シュワルツェネッガー氏が、カリフォルニア州知事に立候補し、選挙運動中に、演説会場で反対派から生卵をぶつけられた一件。 彼は、そうした行為も 「表現の自由」 の一環だと述べ、「ついでにベーコンもくれよ」 と笑い飛ばした。

ホント、かっこいいサルじゃのぉ。 いや、どっちかというとあいつはゴリラか。 秋葉原でひきつった顔で逆切れしてたニポンザルとは格が違うのね。

*****

この頃、やたらと 「AIを使って新薬の安全性を評価」 だの 「新薬の開発にAIを活用し・・」 だのというメディアの記事が増えていて、また大笑い。 突っ込みどころが多すぎて何を笑っていいのかも分からない。 いや、まともに統計科学・情報科学を理解した研究者(ドライも、ウェットも)が、まともに方法論を適用して、まともに行った研究はこれまでも、そしてこれからも無数にあるわけである。 それらは当たり前の科学の営みであり、私ごときがコメントする資格もないことは承知している。 がんばって勉強します。

笑えるのは、「とにかく流行・buzz word だけはおさえておこう」 という感じの業界の方々、そして 「予算をばらまくネタ探しに困ってるんだよね。 AIって大義名分としてはもってこいだ」 「自分たちの権限・権力を確保するためには早めに手をつけておかないと」 などという感じで検討会や委員会を急に始めたお上系の方々。 ほれ、「れぎゅらとりーさいえんす」 という名前をどこかに入れておけば、すごいことをやっているように見えるはずだ、というここ十年くらいの浅薄な流行と同じ。

きちんとした (医療系の) 情報科学統計科学で昔からメシを食ってきた本物の先生たちは、急に金回りが良くなるとそりゃ嬉しいに決まっているが、心の中では 「けっ、これまでの態度とは変わって、急にチヤホヤしやがって。 おまえら30年遅いんだよ ・・・」 と毒づいていると思うよ。 絶対に口に出しては言わないけど(笑)。 

浮かれポンチの方々はともかくとして、皆さんがいわゆるAIとヒトの接点をきちんと理解したいなら、まずはこのあたりの本から読むことをお勧めします。 中学生・高校生向けの本だから、私たち医薬品世界の住人でも読めますよ。

「薬が効く」 「薬が有効である」 「薬が安全である」 「薬が危険である」 の意味が記述できていない現在の医薬品の世界には、AIもクソもあったもんじゃないことが少しはご理解いただけるかも。

2017-06-28

薄っぺらい向上心 + 技術革新 = 物欲番長

欲しい。 ほっすぃーのである。 欲しくなったら、もう我慢できないわよ。 それが 物欲

いい年をして、欲しい欲しいなんて幼稚なこと言うもんじゃないことくらい、分かっている。 でも時々無性に欲しくなるのよ。 モノが。 サルなんだからしょうがないだろ。

今回欲しくなったモノは、こいつである。

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あの天下の Sony のデジタルペーパー、DPT-RP1 。 これまでになく会社名や商品名を大きな文字で表記しているように思えるのは皆さんの気のせいであろう。 決してサル的なヒトが商業主義に染まったわけではなく、また、もしかして Sony から宣伝費をもらえるんじゃないかなどとさもしいことを考えているわけではないことを、ここに断言しておく。

さて、何よりもこのデジタルペーパーのすごさを皆に伝えねばなるまい。 このデジタルペーパー、どこがすごいかというと ・・・

字が書ける

白黒画面の上に、きゅきゅきゅっとペンを使って、字が書ける。
表示した PDF文書の上にも字が書ける。
右利きのヒトは右手を、左利きのヒトは左手を使って、字が書ける。

もうドキドキものだよね。

実は、東大生協にも発売開始早々に実機が展示されたのだが、東大の先生・学生たちが興味津々でたかっている。 東大の人たちって、どうしてこの手のビミョーな代物尖った製品が好きなんだろう。

うすうす理由は分かっているのよ。 大学や研究所の連中がこの手のガジェットにむやみに惹かれてしまう理由、それは

「これを使うと、頭が良くなるんじゃないか? 自分」

と妄想してしまうから。

大学・研究所で働いていても、自然に頭がよくなるわけではないことは周知の事実である (企業の研究所のヒトも、そうでしょ?)。 学生の書いた論文・レポートを読んで賢くなった先生の存在なんてあまり聞いたことないしな。 さらに年々進む老化によるボケも加わってくる。

自分が日々頭が悪くなる恐怖をヒシヒシと感じる大学教員や研究者にとっては、こういうツールは、なにか魔法の杖のようなものに見えてしまう。 「これを勉強のツールとして使えば、明晰な論理判断力や創造力が復活あるいは増強するのではないか」 と。 「たかだか9万円ですむのなら、このツールに人生の再起をかけてみようじゃないか」 と。

無理です。 (`・ω・´)キリッ 

・・・ い、いや、それは分かっている。 分かってはいるのよ。 でも、頭では分かっているのに、カラダがそれを求めてしまうのよ (と、三流メロドラマ風に、ブログ冒頭へと無限ループ)。

いずれにしても、現代人の薄っぺらい向上心技術が結び付くと、最強の物欲を生むことがよく理解できる実例とは言えるだろう。

・・・ こ、こんなもんでどうっすか? Sony 広報部の皆さん。 ・・・ ダメっすか。 そうっすか。

*****

最近、自分の将来の死に方を真剣に考えるようになってきた。 痛いのはヤだし、ツラいのもヤだよな。 楽に死にたい。 皆さんもそうでしょ? その手の本がたくさん出ているので、参考にする。 これはなかなかしっかり取材してある。

老衰死 大切な身内の穏やかな最期のために

老衰死 大切な身内の穏やかな最期のために



でも、自分のことだけ考えていてもなかなかうまくはいかないわけである。 というか、その最後の最後に、なんだかとても (あなた・私ではなく) みんなの心がツラい状況が生じるかもしれない。 たとえばこんなふうな。

孤独死大国 予備軍1000万人時代のリアル

孤独死大国 予備軍1000万人時代のリアル



この本も具体的で、実践的で、とても参考になりましたよ。

オリンピックなどというくだらない遊戯につぎ込むお金を、「さぁ、ニポンの皆さん。 皆さんが安らかに死ねる環境は作りました。 あとは安心して生きるだけですよ ・・・ ちゃんと働いて税金払えよ(笑) 」 という政策に注いだら、どれだけ皆が (特に私を含む貧乏人が) 楽になるだろう、と思う。

しかしまぁ、期待しても無駄である。 ニポンの政治家のレベルは、ニポン国民 (私やあなた) のレベルと同じ。 ニポンの政治家は、金切り声を上げながら、車の後部座席から運転中の秘書の側頭部を見境なく殴りつける程度の理性しか持ち合わせていないらしいが、あれってオレだ。

母校の HSPH の名が汚されたことには無性に腹を立てているが。

2017-06-16

トントン、トントン、と

すまんすまん。 またブログ書くのサボッてました。 日々、細切れのくだらん仕事ばかりに追われて、脳みそを本格的に使う仕事を3か月くらいはしていない気がする。 それが日本の大学である。

お役所のぺーぺーの頃、たとえば昔の通産省で総括係長なんてのをやらされていた頃は、朝から晩まで、省内各課から仕事の「発注」 が何十件も舞い込んできた。 「GATT の資料、7月15日までに作成してください(ショートノーティスですみません))」 だの、「厚労省の○○法改正案の法令協議、7月3日まで(厳守)」 とか。 それらの発注文書を紙で印刷して積み上げるわけだが、たいてい机の上に50センチくらいの山が常にできていた。 それを朝から晩まで、順に処理する。 が、むろん、山が減ることはない。 一つ終えれば、一つ増える。 賽の河原のごとき虚しさである。

その合間合間に、本気の仕事、たとえば新規の予算要求、あるいは、個別案件 (宇宙ロボットの開発とか(笑)) をやるのだが、机の上に積んである50センチの高さの発注文書を日々こなしていく生活の中では、そうした自分のやりたい仕事・大切な仕事をやる脳みその余力や体力が1グラムも残ってないのである。 ニポンのサラリーマンって、たいていそんな感じでしょ?

で、皆さんのご想像どおり、大学でもそれと同じ状況が続いている。 というか、あの頃よりもひどいかも。 知恵なんぞ、1グラムも、使っていない。

*****

大学での自分のやりたい仕事・大切な仕事の一つが、むろん、研究をして、論文を書くことである。 そのためには、まずは新しいこと・知らないことを死ぬほど勉強しないといけない。 でも新しいことを勉強するのって、むちゃくちゃ楽しくて、幸せだ。 また、研究を実際に進めるには、学生さんたちと知恵を出し合って、四苦八苦、悪戦苦闘しながらアイデアをひねり出し、試行錯誤することになる。 でも新しいことを創造していく喜び、それを論文という具体的な表現にしていく喜びは何ものにも代え難い。 オラ、ハッピーだぁ! としみじみ思う。

しかし先述のように、大学にいるのに、勉強・研究する時間がほとんどない。 やっていることはというと、朝から晩まで、他人からの発注への対応。 悔しくて涙が出る。

で、前々回のブログ (これね → やけくそにならない - 小野俊介 サル的日記) から、社会人学生Aさん (女性) との会話は続くのである。

学生: 「センセー、まだ忙しい日々が続いてるみたいですね 」
サル的: 「そうなのよ、朝から晩まで、くっだらない仕事が山ほどあって、死にそうだよ 」
学生: 「で、私の論文の添削、終わりました? 」
サル的: 「あ、いや、その、急に仕事が入ってね、Methods までは読んだんだけど、まだ終わってないんですよ 」
学生: 「 先週も同じこと言ってたような気がしますけど ・・・」
サル的: 「う、うん。 正確に言うと先週は Introduction までだったから、ほんの少しは進んだのかなぁ、なーんちゃって ・・」
学生: 「 ・・・。  あのですね、センセー。 わたしこの頃、仕事でムシャクシャするとき、夜、ひとりで料理するんですよ」
サル的: 「ほぅ、それは素晴らしいね。 いい息抜きになるのかな?」
学生: 「はい。 料理って、ストレス解消になるんです。 特に嫌なおじさんにいじめられたときなんか」 
サル的: 「そうなんだ。 今の世の中、困ったおじさんが多いからねぇ 」
学生: 「はい。 そういった嫌なおじさんのことを忘れようと思って、深夜、無心になって包丁でニンジンを千切りにするんです。 トントン、トントンと 」
サル的: 「へー、ニンジンストレス発散するのね。 それ、いいかも 」
学生: 「 ふと我に返ると、いつの間にか自分でもびっくりするくらい大量のニンジンの千切りの山ができてるんです 」
サル的: 「 そ、そうなんだ 」
学生: 「 包丁で トントン、トントン、 と千切りにするんです 」
サル的: 「 トントンとするのね 」
学生: 「 トントントントン、トントン と ・・・」
サル的: 「 ・・・ トントン・・ トン? 」
学生: 「 トントントントン、トントン  ・・・ 」
サル的: 「 ・・・ も、もしかして、そのおじさんって ・・・ 」
学生: 「 ・・ トントン、トントン、トントン、トントン ・・・」
サル的: 「 ひっ、ひーっ!! 」

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学生: 「 ・・・ 」
サル的: 「そ、そうだった。 偶然にもたった今思い出したんだけど、今日の夜は僕は特段仕事がないんだった。 き、君の論文の添削、なんだか今日中に終わる気がしてきたよ」
学生: 「そうですか。 今度こそよろしくお願いしますね」
サル的: 「はいっ! 頑張らせていただきます!」

・・・ といった平和な毎日なのである。

*****

共謀罪法の成立で監視社会、密告社会が到来すると大騒ぎだが、何をいまさら。 ニポンがとうの昔から吐き気がするような監視社会であることなんぞ誰もが周知の事実である。 たとえば私ごとき小物の言動も、あることないこと、関係各所のおエラいさん連中にご注進されまくりである。 ニポンの幼稚なおエラいさん連中って、太鼓持ちからご注進を受けるのが嬉しくて仕方ないらしく、何の疑いもなしに噂話を真に受ける。 そうしたおっさんたちの心の中では、僕は危険な化け物か何からしい。 会っても絶対に目を合わせようとしないんだよな。 フフフ、かわいいやつらだ。

読者の皆さんの周囲にも、密告者がたくさんいるでしょ? 老若男女、ニポン人は告げ口が大好き。 気に入らん少数派の口をふさぎつつ、権力者への忠誠を示すには、告げ口・ご注進が一番なんだよね。 今では告げ口の内容を全国版御用新聞が報じてくれるご時世だし。 寄らば大樹の陰。 情けない。

*****

この本、どうやって将棋プログラムを進化させたかがよく分かって、とても面白いです。 将棋を知らない人もぜひどうぞ。

2017-05-30

揚げ過ぎない

さて腹が減ったぞ、と昼飯タイム。 ろくに仕事もしてないのに、お腹だけは減るんだよな。 今日は何を食べようか? ちょっと贅沢したい気分だから、こんなときは ・・・ 海鮮丼屋さんだぁ! フフフ、うれしいなぁ ・・・ と赤門方面に歩き出したサル的なヒト。

ところが、銀杏並木を歩いているときに、ふと思い出したのである。 例のアイツ。 最近新聞テレビでやたらと大騒ぎしている、あのニョロニョロしたヤツ。 兄貴刺す、じゃなくて、アニサキス。 今猛烈に増えてるんだってね。

でもさ、あんなもの、感染したって死ぬわけじゃないんでしょ? 胃が痛くなるだけなんだろ? 何をそうビビってるのよ、みんな。 情けないのぉ、大のオトナがさ。 ドーンといかんかい、ドーンと。 なぁ、龍馬どん。 生ガツオでも生サバでも、男なら刺身でバクバク食ってやろうぜよ。 心は太平洋ぜよ!

(3分後、構内の生協食堂のおばちゃんに)
「・・・あ、あのう、カツカレーのМサイズください ・・・ よく火が通ったやつ、お願いします・・・」

*****

うちの学生さんの一人が今、旦那さんと一緒に米国にいるのだが、その彼女から現地で無事出産したとのうれしいメールが。 おめでとう! よかったよかった。 米国での出産はいろいろと大変だとは聞いているが、お母さんというヤツは強いから基本大丈夫なのだ。 子熊を連れた母熊の恐ろしさは岩手の田舎に住んでいたからよく知っている。 なんか違う気がするが、まぁいいのだ。

とにかく日々の仕事の締切に追われて、どうにもならない毎日なのである。 皆さんお元気? ・・ をこんなところに入れるほどである。 多忙のせいで騎士団長殺しがまだ下巻の途中までしか読めていないのだ。 いい奴に見える騎士団長は最後はどうなるの? とか、免色ってもしかしたらとてつもなく極悪人なのか? とか、いろいろ気になって仕方ないのだが、その先を読む時間がない。 どうなるの、この先? 誰か教えて ・・・ い、いや、言わないでくれ。 絶対に言っちゃいかんぞ。

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忙しい理由の一つが、月刊薬事に半年間の予定で連載を抱えていたこと。 「医薬品評価の意味論」 というタイトルで、ややこしいことを書きまくっているのよ。 「薬が効く」 とはどういう意味なのか?を6回にも渡って、論理学・意味論の概念を使って解説するという試みである。 どう考えても史上初だろうね。 こんな無謀な試みにトライする薬学部の教員は世界中探しても僕しかいないだろう、と思う。

実は医薬品業界人って 「薬が効く」 の意味を分かっているようでまったく分かってないのである。 自分の言う 「薬が効く」 の意味を、自分が理解していないというお笑いのような状況。 前にもこのブログで書いたが (これね → オネエ言葉で薬効評価の闇を語らない - 小野俊介 サル的日記 )、たとえば一つの例は 「薬が効く」 を、「薬が白い」 とか 「薬が丸い」 のようなモノの属性と同じに扱う業界の奇妙な慣習。 むろんそういう意味で 「薬が効く」 を使うのを誰も禁止してはいないのだけど、それってとても奇妙な 「意味」 なのである。 その奇妙さを形にするとこんな感じ。

f:id:boyaboy:20170308211954j:image:w640

へへへ、このイラスト、月刊薬事5月号からお借りしました。 どうもです。

何が気持ち悪いかが分かったでしょ? この財前教授は 「私は 外傷患者を 治す」 と言わずに、「私は 治す」 とわめいてる。 これでは言ってることの真偽が常識的に判断できないのよ。 だから気持ち悪い。

「薬が効く」 という文の気持ち悪さ・意味不明さの大きな原因もそこにあります。(注 1) 「薬が 田中さんに 効く」 「薬が 被験者X氏に 効く」 と表現してはじめて文章の真偽が常識的に (業界の歪んだ言葉遣いに冒されていないフツーの患者さんに)判断できるようになる。 「効く」 は、述語論理における二項述語と解釈しないと財前教授のようになってしまうよね。

(注 1) 業界人の中には 「薬が効く」 が気持ち悪くない人もいるのな。 そういう人は、「人類も生物もすべて死に絶えた未来の地球に、なぜかポトリと落ちている下痢止めカプセル。 さて、この 「薬は効く」 のかな?」 という問題を考えてみてください。 「アメリカ人にはやたらと効くが、日本人にはまったく効かないこの薬。 さて、この 「薬は効く」 のかな?」 という別バージョンを考えてもいいぞ(笑)。


・・・ といった話を連載では書いてきたのだが、専門外のことばかり書くのはさすがに疲れてきた。 連載も残すところあと1回。 編集部の担当Uさんには 「あまりにくだらないことを書いてきたから、もしかして関係各所から苦情が来てるでしょ? 反省の気持ちをこめて、最後の回は原稿の代わりに反省ザルのイラストを何枚か載せて、それでOKってことにしませんか? ・・・ 原稿料はもらうけど」 と持ち掛けているのだが、色よい返事はまだ頂けていない。

*****

余計なこと書き過ぎて、最も肝心な話を書く気力がなくなってしまったぞ。 ごめんね。 今日のブログでは今公開されているこの素晴らしい映画のお話を書こうと思っていたのだった。 「メッセージ (原題: Arrival)」。

D

諸君、この映画は傑作である。 全員見なさい。

意味論の話を書いたのは実はその前ふりだったのだが、読者の目が死んだ魚のような色になっているので今日の講義はここまでにしておこう。 続きは次回。 じゃまたね。