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小野俊介 サル的日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2016-06-17

鑑真和尚に統計学を学ぶ

舛添先生を引きずり降ろした怒りの都民とやら (笑) とマスメディアが、次に、「日当という腐った不労所得をポケットに収めた公私混同サラリーマンを全員クビにするキャンペーン」 及び 「賄賂で勝ち取った東京オリンピックなんぞ直ちに止めろ!キャンペーン」 を始めてほしいと心から期待している今日この頃。 皆さんお元気?

オリンピックなどという愚かなバカ騒ぎに金出す余裕は今の日本にはない。 日本に圧倒的に欠けている低−中所得者向けの公営賃貸住宅をどんどん作れ。 そうしないと若者も貧乏高齢者も死に場所すらなくなるよ」 と警告する方々がいるが、私もまったく同感。

でもやるんだよね、オリンピック。 みんな、ワーとかキャーとか大騒ぎして、瞳孔が開いた阿呆のような顔をしてニポン人選手を応援するんだよね。 その間だけは、社会保障崩壊寸前問題も、待機児童問題も、高齢者孤独死の問題も、全部忘れたふりするんだよね。 すばらしい。 「国際共同開発バンザイ!」 と現実を忘れたふりして大騒ぎしているうちに、製薬業界でのニポン人の仕事が脳みそ不要の単なる雑用だけになってしまった現代史の闇をふと思い出したりする。

増税は先送り。 目先の選挙に勝つために、ま、とりあえず先送っとけ、ということね。 数十年後の勤労者の皆さん (我々の子供世代) は、ワシら高齢者世代を支えるために、稼ぎの8割を税金社会保険料として供出しないといけないらしいね。 心身を削っての年寄り孝行、ありがたいことである。 「ニポン死ね」 の捨て台詞が街中にあふれかえる、そんな夢も希望もない時代が 確実に 来るわけだが、ま、先送っとけ。

*****

ところで、読者の皆さんは、高い専門性に裏付けられた高度な能力を駆使して日々仕事をしている医薬品業界人だから、アメリカ統計学会が今年の3月に 「あんたらが大好きな頻度論のp値の使い方、だいたい間違えてるぞ。 あんたらの使い方ってほとんどが誤用ばっかりなんだから、有意性検定とか、もう止めた方がいいぞ」 という声明を出したことなど、全員、とっくに知ってるよね。 え? 知らない? ・・・ うーん、舛添先生のように自主的に給与返納した方がいいかも。

現在の薬効評価で使われている頻度論的な統計学の体系、特に仮説検定の体系って、昔から 「変なところだらけだよね」 と言われています。 そもそもが、その手の体系の創始者・ご本尊たるフィッシャー大先生と、その弟子のピアソン先生が、互いに 「お前の考え方は変だぞ」 と大ゲンカしてたんだから (大笑)、どのくらい変かは推して知るべしである。

分かり易いところでは、たとえば、「p=0.05 には何の意味もない」 ことは有名ですよね。 もし当時 「8.6秒バズーカー」 とかいうお笑いが流行っていたら、今頃は p=0.086 がいろんな決定の閾値になっていたかもね。 「無意味だからこそ p = 0.05 が生き延びる」 と逆説的に語る専門家もいるが、ダメじゃん、それ。

p 値が仮説(「お薬が40%効く」 とか) 自体の信頼性の確率と誤解されるのも有名な話。 でもニポンとかいう極東の不思議な国では、トクホ特定保健用食品) とかいうよく分からない食品規制を市民に広めるのに、たぶん意図的に誤解をフル活用してるんだよね。 「p < 0.05ではなく、p < 0.1 ですから、これは条件付きトクホです」 ってヤツ。 「ちょっとビミョーなトクホなんですよ」 なーんてね。 ・・・ なんだよ、それ? 

トクホのお役所のHPには 「有意傾向があれば有効性の根拠にしていいじゃないか」 と堂々と書いてあるし、れぎゅらとりーさいえんすというよく分からないモノを専門にする大学のセンセも 「p < 0.1 とは有効性の科学的根拠が少し劣るということだが・・・」 と堂々と書いてあるが、これらはみんな隔靴掻痒的な説明で、ここに書いた表現だけでは到底正当化されるようなものではない。(注 1)

(注 1) どちらも、p 値を 「科学的根拠」 という大それたものに祭り上げ、食品の効果についてちゃんと 「科学的」 に考えるべきこと(効果のメカニズム、健康分配的な含意、リスクマネジメントなど) をすべて棚上げしてしまうという、恐ろしい手抜き説明である。 これこそまさに今回のアメリカ統計学会の声明が 「おまえら、統計学を勝手に神格化して、誤用して、変な手抜きに使うんじゃねーよ」 としたこと。

また、p値を使って説明する限り、どんなに分かりやすく説明したとしても、その正当化を市民が理解できるようなものではない。 だから 「健康食品を有難がるパンピーはさ、何も考えないでいいから。 どうせ分かんないから。 誤解したままでいいから」 という構図なわけである。 ダメじゃん、それ。

企業の新薬開発がらみだと、「金かけて例数増やせば、効きが悪い薬も効いたように見せられる」 が一番愛されている p値の使い方である。 安全性でライバル品を蹴落とそうと思ったら、市販後にでかい例数の試験やって、無理矢理に有意差つければいいのですよね。 ガチでやりすぎて自社品が負けてしまったりして(笑)。 割付がうまく医師にばれるようにやってくれよな。

FDAやPMDAの新薬の審査で p < 0.05 が有効性の検証の錦の御旗になっているのは言うに及ばず。 ほぼ完全に脳死状態の審査官でも p <0.05 かどうかは区別がつくから、これほど楽チンな指標はない。 あまりに楽チンで、給料泥棒と言われてしまうおそれがあるため、引き換えに 「検出された差の臨床的意義を説明せよ」 という意味不明の照会事項を企業に出すのも、これまたニポンの当局の伝統芸能ですよね。 現実に存在しない確率人に臨床的な意義もクソもあるわけなかろうに。

今回のアメリカ統計学会の声明は、こうした奇怪な現状に対しての、誠実な統計学者からの問題提起 である。 統計学者の中には、四の五のいわずに現行の社会のシステム (例: 新薬の承認審査のシステム) を支持して、現行のシステムでメシが食えていればよし、というヒトも多いのであろうから。

p値を誤解し、誤用している世間の人たちに、「無知蒙昧な非統計家たちよ。 お前らバカだなぁ。 p値を正しく理解しろよ。 統計学を勉強しろよ。 統計家を敬え!」 とこれまでのように高飛車な態度をとるのではなく、「p値・有意性の検定を広めて統計学マンセー者を増やした結果がこの思考停止社会だとすれば、それは統計学者の歴史的な大失態だぞ、おい。 正しい道を提案するのが科学者としての責任ある態度ではないか?」 という感じの反省が声明の端々に見え隠れしている。 とてもステキな大人の姿勢である。 失態・失敗から学ぶのが大人。 失態・失敗があると、責任者を引きずり下ろして快哉を叫ぶしか能がないニポン人にはとても真似できぬ姿勢である。

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統計学の根っこをそろそろ変えません? という今回のアメリカの学者からの提案。 背景には統計解析手法コンピュータのソフト・ハードの能力の進化もあるわけだが、さて、これから世の中がどう変わるか、変わらぬか。 実は私にはまだ分からない。 ベイズ統計の教科書が急に売れるようになることだけは間違いなさそうだな。

ただし、ニポンとニポン人にこれから起きることは、サル的なヒトでも簡単に予想できるぞ。

まずは 「頭のいいアメリカ人の言うことを忠実に学ぶ」 のね。 ニポンの当局の人たちは 「進んだアメリカで起きること (例: 規制やガイドライン) を周回遅れで真似する」 のね。 今は ICH があるから、きっとこの統計の件はそのうち ICH のトピックの一つになって、ニポン人がアメリカ人と一緒にクリエイティブな議論をしているようなふりをするだろうが、実態アメリカ人の賢い連中にシロウト軍団のニポン人がお勉強させてもらうだけなのは言うまでもない。

そうした動きの中で アメリカで起きたことを忠実に・素早くニポンに持ち帰って、さも自分のアイデアであるかのようにニポン人に広められるヒトが、ニポンの次世代統計学・承認審査のオピニオンリーダーとしてもてはやされ、学会シンポジウムに出ずっぱりになる」 のね。 いつもどおりの途上国パターン。

マッカーサー将軍様、ニポン人の社会年齢はあの頃と同じ12歳のままみたいですぜ。 というか、鑑真(688 - 763)の時代から何も変わっとらんな、ニポン(笑)。(注 2)

(注 2) だけどね、私は、「このままではニポン・ニポン人が生き残れない!」 などとくだらないビジネスコンサルタントのようなことを主張するつもりも毛頭ないので誤解しないでね。 軽薄で役に立たないよね、その手のコンサル系のニポン人論は。 むしろ、こんな珍妙な (笑) ニポン人が興味深い社会を作って、何千年も世界の重要な一角を占めているという歴史的事実を重んじ、面白いなぁと思うのだ。

2016-06-08

役得なんて、クソくらえ

東京駅に着いたその日は わたしおさげの少女だったの
胸ポケットに膨らむ夢に わたし買ったの 赤いハイヒール
・・・
アラン・ドロンと僕をくらべて 陽気に笑う君が好きだよー ♪

最近、通勤時には昔のいわゆる歌謡曲フォークソングを聴くことが多いのだ。 近頃のどーでもいいようなにぃちゃん・ねぇちゃんが歌っている曲はまったく心に届かないもので。 一言でいえば老化ですね。

で、今朝は太田裕美である。 「木綿のハンカチーフ」、「雨だれ」、「9月の雨」、「南風」、そしてこの 「赤いハイヒール」。 うーむ、懐かしくてジーンとくる。 しかし、冒頭の歌詞を呟きながら、アレ? と思ったのである。 

この曲を最初に聴いたのはたぶん40年くらい前。 その時からずっと、(この純朴な女の子を好きな) 男が「アラン・ドロンと僕をくらべてよ! ねぇ、どっちがイイ男?」 なんて冗談を言って、元気を無くした女の子を笑わせている光景だと思い込んでいた。 が、今朝になってふと、その解釈は間違いだと気付いたのである。 「アラン・ドロンと僕をくらべて」 いるのは、女の子の方なのね。 女の子が、男をからかって冗談を言いながら笑っていて、それが男から見ると 「かわいいなぁ」 という光景。

あいやー。 40年モノの思い違いだ。 僕らの人生、何事につけ、こんな思い違いばかりなのであろうな。 まぁいいさ。 ほとんどの思い違いは、解消されないまま記憶の澱みに沈み、最後は焼却炉で白い煙になる。

*****

舛添先生が盛大に攻撃されている。 どうやら日本人はみんな舛添先生が嫌いらしいな。 私にとって、舛添先生は国際政治学の講義を受けた尊敬する大先生であり、何が起ころうとも学問の師であることに変わりはない。

1980年代、ミッテラン政権をとった頃だった。 フランスという国の政治はとても難しい。 ステレオタイプな 「左と右の対立」 といった単純な構図で説明するのは危険で、歴史・文化、そして経済 (当時もグローバル化の問題が影を落としていた) のあらゆる側面を踏まえないといけないよ、というような講義であった。 「フランス人って相当にタフでややこしい奴らだぞ」 ということ。 ♪ オー、シャンゼリゼ― ♪ などと歌っている場合でないことは、バカ学生だった私にも十分理解できた。 政治学という学問の奥深さを垣間見せてくれた素晴らしい講義であった。

最近の舛添問題を論じるテレビを見ていて驚いたことがある。 それは、僕とは全然違う人たちだと思っていたニポンの皆さんの多くが、僕ととても似ていたこと。 ほとんどのニポン人は、清廉潔白で、金銭的に潔癖で、アンフェアな役得を良しとしない、反腐敗の人たちなのね。 なーんだ、知らなかったよ。 僕なんかアホだから、いわゆる役得 (ふんぞり返ってエラそうにできることを含む) がほとほと嫌になって自分から役人を辞めてしまった口だし、今だって100%ボランティアの 「完全無料出張講義」 なんてものが楽しくて仕方ない変人なので、そんな自分と同じ価値観を持ったニポン人がこれほど多いとは新鮮な驚きなのである。

気に入ったぞ、汚い役得嫌いのニポン人たちよ! 嬉しいから、そんなニポン人たちに、これまでずっと隠蔽されてきた極秘ネタをリークしてあげよう。 しーっ、公安に聴かれると危ないから、小さな声で言うよ。 それは 「日当」 ってやつだ。 「にっとー」 と読むらしい。 

どうやらニポンでは、公務員や企業のサラリーマン連中が出張のたびに、給料とは別に 「日当」 という金をコソーリと封筒でもらって、ポケットに入れてるらしいぞ。 知らなかったでしょ? なんでも、出張した旅先では、ふだん家で食べるよりもメシに金がかかるから、その分を役所や会社が補填するという屁理屈らしい。

おまえら、自分ちの田畑に自分の肥を撒いて作った麦と大根を食ってた江戸時代の住人かよ。 大笑い。

今時、コンビニで弁当買えば日本全国どこでも同じ金でメシなんぞ食える。 東京人は知らんだろうから教えてやるが、うちの四国の田舎のスーパーで惣菜・弁当買うと、東京よりもずっと安くてうまいぞ。 逆にお金が浮くほどだ。 「新幹線の弁当は高い」 だって? アホか。 新幹線乗る前にコンビニでおにぎり買えよ。 「現地でのバス代なんかも含まれている」? そんなの実費精算すればいいじゃないか。 都内ではそうしてるでしょ?

いや、それ以前にだな、サラリーマンのあんたたちさ、メシとクソは日本中どこにいてもする だろうが。 なんで余計な金をもらわなきゃいかんのよ。
 
汚い役得や余禄を嫌うニポン人の同士たちよ。 ニポンのサラリーマンたちをこのまま放っておくと、そのうち調子にのって、「旅先の慣れない便器でウンコすると、お尻に負担がかかって切れ痔になりやすいのよ。 その分の追加の医療費ってことで、日当くれよ」 とか、「出張先で排便すると、ふだん使ってない紙で拭くから、パンツに汚れが付きやすいのよ。 洗濯代、補填してよ」 とか言い出しかねないよ。 いや、マジで。 忌々しき事態だとは思いませんか。

そもそも多くの日本人サラリーマンにとって、出張にいけること自体が役得なんだもんね。 海外出張はなおさらだ。 たとえば ICH だの DIA だので、税金や手数料や会社の金で海外出張に行けて、いいホテルに泊まって、豪華なタダメシにありつけるのは、誰がどう見ても完全に役得の世界である。 海外出張に行けない同僚たちが、心の中で 「けっ、あいつら何が 『もう海外は疲れた』 だ。 あいつらばっかり楽しい思いしやがって」 と妬むのは至極当然のこと。 さらに加えて日当を払うなんて、泥棒に追い銭とはこのことだ。

ほれ、みんな、舛添先生をいじめてる場合じゃない。 明日から 「日当」 撲滅キャンペーン始めよう! あんな不当な汚い金をもらっている特権階級の連中をつるし上げようぢゃあないか! ・・・ あ、あれ? みんなどうしたの? 顔色が悪いよ? どうして腰が引けてるの? 僕と同じ、反腐敗の闘士ぢゃあなかったの? 変だなぁ (棒)。

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映画 「オデッセイ」。 細菌がいない、死んだ火星の土を、農耕可能な生きた土に変えるのに、主役のマット・デイモンが鼻に耳栓を差し込んで、廃棄されていた同僚のウンコを撒くシーンが印象的。 なんてったって、監督があのリドリー・スコットだもの。 目をつぶってでもおすすめですよ。

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なんか今日の記事はやたらとウンコだったな。 正直すまんかった(笑)

2016-05-29

二週間もご無沙汰しない

「一週間のご無沙汰でした」 ・・・ なんて台詞で、玉置宏さんの名前をピーンと思い浮かべる年代の人たちに主としてお送りしているこのサル的日記である。 お口の恋人、ロッテの提供ですよ。(注 1) ちょっと忙しくて、二週間のご無沙汰になってしまった。 すまんすまん。 そんな皆さん方、お元気?

(注 1) ウソである。 ところで、もうかってる会社さん、サル的日記のスポンサーになりませんか。 スポンサーになってくれれば、毎回ばれないように記事のどこかで、歯の浮くようなセリフで会社の製品をほめてあげるぞ。 「いやー、あの薬の効果の切れ味には驚いた! リスクベネフィット、サイコー!!」 なんてな ・・・ ん? これっていわゆる商業広告が載ってる現在のすべての医学誌・薬学誌そのものぢゃあないか (大笑)

C社で実施中の無料出張講義ももう4回目。 中盤の難所、不確実性の話に差しかかりましたよ。 「確率・統計」 という言葉を聴くだけで目の輝きが4割くらい下がってしまう製薬業界人が多い今日この頃。 だからこそ私もちゃんとやる気スウィッチを入れてあげないといけないと思うのだ。 

「確率・統計」 の基本概念を、私が統計家以外の業界人にしつこく教えるのには、もう一つ理由がある。 いわば シビリアンコントロール。 (注 2) 統計家に新薬開発の方針決定のすべてを任せてはいけないから。 当然だけど。 統計学に限らず、進化した学問の理屈って危険なのである。 放っておくと暴走するのである。

(注 2) チビリアンコントロールではないので注意すること。(参照 → チビリアンコントロールの重要性 - 小野俊介 サル的日記

大多数の良心的な統計専門家は、たとえば 「現在の薬効評価モデルにおける意思決定の弱点は? 社会に与えるコストは?」 といった統計学を一歩超えた問題を、社会の一員の義務として、シロウトと一緒に面白がって考えてくれる。 私が尊敬するセンセイや同僚の統計家は、皆、そう。 だけど、中には不埒な統計家、社会の一員としての義務を果たすことを面倒くさいと思う統計家がもしかしたらいるかもしれない。

「シロウト (= 企業の薬事や開発の人たち、お役人、当局の統計担当以外の審査官) との対話なんて面倒くさいよね」 と心の中でつぶやきながら、社会の幸せに関わる重大な問題を単なる統計学の効率の問題に上手にすげ替えて、「こういう新しいやり方は時代の流れですから」 とか言いながら、社会にとって重大な方針転換を勝手に進めてしまうかもしれない。

ここ数十年のグローバル開発の推進やデータの扱いの標準化の中で、よもやそんな危ないことは起きてませんよね? 「危ないことなんか起きてないし、そんな悪意を持った統計家なんかいないよ。 あんた、疑いすぎだよ」って答えが業界人からは返ってくるのだろうが、私はそんな答え、まったく信じません。 だって、平均的な業界人の、統計学を含む意思決定科学リテラシーの驚くべき低さ、知ってるもん(失礼なこと言ってゴメンね)。

たとえば線形モデルや交互作用項といった概念がない人たちに、グローバル試験の解析モデルに暗黙裡に採用されている人種差や地域差に関する想定・前提は分からないだろうし、ましてやその背景で (これまた暗黙裡に) 誰かがこっそり採用しているちょっと危険な倫理スタンスの含意など議論できるはずがない。 もしかして、アメリカあたりで大流行のネオリベの手下たちの言いなりになっちゃうかもよ。

そういう議論に将来あなた自身が参加してもらうためのきっかけを作るのが、私の講義の目的である。 10年後、20年後の医薬品開発・承認審査で、現在と同様の盲目的 「科学」 信仰独裁政権 (あ、これって例の 「れぎゅらとりーさいえんす」 ってやつだ。 笑) が続いているか、あるいは、シビリアンコントロールがちゃんと働く健全な世界になっているかは、あなた方次第。

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最近、深夜になるとほぼ必ず聴いているのが NHK「ラジオ深夜便」。 ほんの数年前には 「あれってジジイ・ババアの聴く番組だろ? 地味な朗読や戦前のヒット曲なんか聴いて何が面白いのだ?」 などと思っていた自分。 なんと未成熟なガキだったのだろう。 情けない。

戦前の流行歌なんてものが流れてくると、ちょっと楽しいのな。 ちあきなおみ特集なんてのがあると、仕事を忘れて 「ほー」 と聞きほれてしまう。 この前なんか、女性アナウンサーが 『ごん狐』を深夜2時に淡々と朗読してくれたおかげで、涙が止まらなくなって、これまた仕事にならなくなってしまったぞ。(注 3)

(注 3) ごんぎつね。 新美南吉の代表作。 最後、改心したキツネが鉄砲で撃たれてしまう哀しいお話である。 子供の頃に読んだよね。

他にも、たとえばこんな曲が深夜3時頃にしんみり流れてくる。 ほんと、深夜放送っていいなぁと思う。 ラジオ深夜便の歌 「唐街雨情」。

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♪ 愛しいあなたに会いたくて ...んー  雨ん中 ...

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そんなこんなで、雨音がかすかに伝わる晩春の深夜。 研修会のディスカッショントピックを考えないといけないので今日はこの辺で。 司会はわたくし玉置宏、お口の恋人ロッテの提供でお送りしました。

2016-05-17

モフモフ

♪ ぶんぶんぶん、ハチがとぶ―

キャンパスの中、たくさんの草木が花を咲かせていて、いろんな生き物が集まってくるのだ。 かわいいヤツもいれば、お近づきにはなりたくないヤツもいる。 たとえば今の時期、ツバキにはチャドクガの幼虫がわいているので注意が必要である。 怖いモノ見たさのあなた、ちょっと 「チャドクガ」 でググって見なされ。 画像見てるだけでアレルギー反応が起きかねないので、気をつけること。

しかし、かわいいヤツらもたくさん登場する。 その代表格が、ほれ、こいつだ。 クマバチ (クマンバチ)。

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今の時期、ブンブンとすさまじい羽音をさせながら、蜜と花粉を集めている。 クマンバチって、観光地の藤棚なんかにもたくさんいますね。 そのお姿があまりに強烈にハチっぽいので、クマンバチが飛んでくると 「キャー」 だの 「ウギャー」 だのと悲鳴をあげて逃げ惑う人が多いのだが、実はクマンバチっておとなしい、穏やかな性格のハチなのである。 でね、ここが大事なところで、試験によく出るのだけど、オスは刺さない のよ。 知ってた?

ちなみに上の写真はメス。 なんとなく凶暴そうで底意地が悪そうでしょ? ヒトと同じ。 い、いや、メスも凶暴というわけではなくておとなしいけど、ムギュっとつかんだりしたら、刺すよ。 手で持ってもOKなのはオスの方。 オスはこんな顔をしてるよ。

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オスの顔の特徴は、この白い鼻メガネ。 ふざけたパーティで仮装するときにかけるアレっぽいっしょ? なんかかわいくないっすか?

実際、私もつかまえて触ったことがあるのだが、胴体のあたりの毛がモフモフして、無茶苦茶かわいいのである。

日本橋あるいは霞ヶ関界隈の不健康で陰気な職場で鬱々と仕事をしている医薬品業界人のそこのあなたも、この鼻メガネの知識があれば立派なナチュラリストだ。 お昼休み、近くの公園に出かけてみよう。 鼻メガネがいたら、そーっと近づいて観察してみよう。 鼻メガネじゃない方 (メス) を見つけたら、ぶん殴りたい上司に 「クマンバチって触れるって知ってました?」 とだけ教えてあげるのがよかろう。

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今日は毎年この時期恒例の宣伝。 東大薬学研究科大学院入試説明会が5月21日(土) の午後にあります。 修士課程・博士課程で勉強してみようか、でも、仕事との両立大変かなぁ、などと悩んでいる方、週末の息抜きを兼ねてぜひお越しください。 これね → 入試説明会|大学院入試情報|東京大学大学院薬学系研究科・薬学部 この日に限らず、大学院で勉強してみようかなぁという方には、いつでも詳しく学位取得への道を説明しますので、直接研究室にコンタクトしてください。 お待ちしています。

東大本郷キャンパスに来れば、ほれ、かわいいクマンバチにも会えるかも(笑) 

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レギュラーコース(RC)も12年目に突入。 今週月曜日から、長いような短いような半年間のコースが始まりましたよ。 例によって最初の講師はF原先生。 企業・当局いずれにも媚びず、「社会における医療のあるべき姿」 を、妙な空気なんぞ読まずに講義してくれるので、私はこの先生の講義スタイルが本当に好きなのだ。 そのことは昨年のRC初日のブログにも書いたっけ (これね → 老眼鏡と黒ケース - 小野俊介 サル的日記

製薬企業の皆さんはもうお気づきかと思うが、F原先生が解説してくれたこと、たとえば 「患者申出療養の制度的欠陥」 などを、「いやー、そのとおりです。 いい話を聴かせていただきました」 なんて貴社の上司にそのまま報告したら、たぶん、呆れられると思うよ。 「最近の超高価な抗がん剤が国を滅ぼしかねない」 なんて指摘もあったが、「まったくそのとおり。 困った話ですよね」 なんて素直に上司に報告したら、「キミ ・・・ もう明日から出社しなくていいぞ」 って言われても不思議ではない。 そんな危険な話である。

とりあえず (ややこしい概念や方法論は一朝一夕には身に着かないので)、あなたに求められるのは、あなたの拠って立つ論理と倫理を自覚すること。 かつ、稚拙でもいいから、それを言葉にして表現する技術も必要になる。(注 1) グループディスカッションを通じて、そのことに気付いてもらうこともRCの目的です。 半年間、ぜひ頑張ってください。

(注 1) さらに論理と倫理をちゃんと勉強したいヒトは、会社の上司・研修担当に頼んで、私の 「無料出張講義」 を社内で企画してください。 どの会社にも喜んで出向きます。

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というわけで、今日はちょい忙しいのでここまで。 ホントは前回までゴニョゴニョと説明してきた薬の世界の因果関係の歪み、添付文書に書かれていることの意味不明さ (を専門家と称する人たちが誰も指摘しないこと) について、山ほど書きたいことがあるのだが、あえて我慢することにする。 理屈っぽい仕事がらみのことばかり書いていると、女性読者 (家人を含む) に逃げられるのだ。(注 2)

(注 2) だからってクマンバチの顔をアップで紹介するのもどうかとは自分でも思う。

みなさん、今週も元気に頑張りましょうね。

あ、そう言えば、この映画は面白かった。 「人生スウィッチ」。 奇想天外なお話のオムニバスのようなんだけど、実は全然そうではなくて、今の日本でも現実にこの程度のことはフツーに起きていることに気付く。 というか、現実の方がずっと醜悪。

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おすすめです。

2016-05-08

因果を考えるサル

連休は何をしていたかというと、ひたすら因果 (causality) について考えていたのである。 連休明けの皆さんの疲弊しきった頭にはしんどいだろうから、今日のところは詳細な説明は勘弁しといてやる (笑) が、現在の薬効評価や安全性評価の世界に登場する因果関係の概念って、相当に曖昧である。 れぎゅらとりーさいえんすなるものの信奉者の経典、ICH E2A、 E2D といったガイドライン副作用の定義を読んでもらえばすぐに、「この業界、因果関係そのものについてはほとんど何も考えてないな」 ということが分かる。

・・・ と書くと、ちょっと気の利いた業界人は、 「小野さんは、例の 『副作用因果関係判定は、集団での評価をもっと重視すべき』 だとか、「因果関係を否定できない」 の解釈と運用が日本の規制は歪んでいる』 とかいった点を指摘しているのだな」 と勝手に思ってくれたりするかもしれぬ。 「製薬業界と一緒に、日本のガイドライン・制度の歪みを改善してくれるのね?」 などと勝手に期待してくれるかもしれぬ。

残念ながら、たぶん、そうはならない (少なくとも直接には)。 ごめんなさいね。 

私の興味はそこではなく、もう少し深いところにある。 私が考えているのは E2A に書いてある「因果関係」 がそもそもいったいなんなのか? という話。 確率的因果 (probabilitic causality) の概念をゆるーく適用しているのかと思ってガイドラインを読み直していたら、ただ 「a possibility」 とだけ書いてある。 これでは仮に確率的因果を想定してるにしても、その流派 (解釈) がはっきりとは分からない。(注 1)

(注 1) 最近出たテキストでは、ADR に加えて suspected ADR なんて言葉を提案しているのだが、これも因果論の目からは、わけの分からない言葉をますます分からなくしているだけである。 ヒュームの「因果関係は単なる人間の思考のクセ」 への回帰かもしれぬ。

興味深いのは、最近の業界人が書いた総説を読むと、皆さんが、明らかにアリストテレス以来の哲学の伝統を受け継いだ、必然性を要件とする 「因果関係」 を前提とした議論・主張を繰り広げている点である。 たぶん無意識・無自覚に、なんだろうけど。 流行の確率的因果の考え方に自分で背を向けて、哲学者好みのかび臭い 「因果関係」 をあえて採用し続けている姿に気づいてないところがちょっと滑稽。 ふだんはリベラルアーツの根幹、哲学の概念など見向きもしないくせに。

そんな状況を目にすると社会学的な興味(医薬品業界人 (産官学すべて) って、なぜこんなふうに奇妙なんだろう? という興味) もわいてくるのだが、それはさておき、やはり面白いのは薬効評価での因果の概念そのものである。

何度もこのブログにも書いたが、「この薬には○○の副作用がある」 「この薬は効く」 といった表現って、とても奇怪な表現なのである。 一言でいうと意味不明 (真偽が判断できない) なのよ。 その奇怪さをきちんと学問的に解明しようとすると、論理学因果関係論、つまり哲学の概念や方法が必要になるのだが、業界人ってそういったお勉強から逃げ回っているから、問題の所在にすら気づいていないと思う。 だからこそ、活断層因果関係の概念) の上に耐震性のない100階建てのマンション (薬事規制や薬効評価の体系) を建てて平気な顔をしていられたりするわけである。 そりゃ薬害薬害もどきが延々と起き続けるさ。

哲学の方法を参考にしたこういうアプローチって、別に机上の空論ではありません。 たとえば、「副作用とは何か」 を哲学のやり方を参考にして追究することは、「この薬には○○の副作用がある」 という意味不明の表現で成り立つ現在の添付文書の内容を具体的にどう改善していくかに直接につながるわけだし、きわめて現実的なインパクトを持っている。

というわけで、この連休中はずっとそんなややこしいことを何冊ものテキスト抱えて考えていたのでした。 内容はおいおい紹介していきますね。 気が向けば。

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・・・ というのは実は嘘で、ホントはマンガも読んでました。 すまんかった。

よつばと!

こんなにステキな漫画があるなんて。 どうしてみんな、もっと早く教えてくれないのだ? もう、まったく。 サル的日記の読者のおまいらほど頼りにならない連中はいないよな。 よつばちゃんのなんでもない毎日に、僕はメロメロだ。 大人買いして、今6巻まできたところ(13巻まで発売中)。 読み終わるのがもったいないから、毎日少しずつ、何回も何回も読んでいるのだ。 

小さな子供の汗が少し乾いて、髪の毛から発する少しツンとしたにおいって、素晴らしい。 遊び疲れて、勝手にその辺で寝てしまった汗臭い子供をかつぎあげ、お布団に寝かしてやった後の、やれやれというとてつもない安堵と幸せは、子供を育てた親ならばみんな経験がありますよね。

そういう感慨を思い出させてくれる素晴らしいマンガである。 未読のおとーさん、おかーさんは、ぜひ。 おすすめです。

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さて五月である。 この美しい季節には、理屈をこねてばかりのオッサンは似合わない。 そういえばこんな曲があったなぁと緑のキャンパスを歩きながら懐かしく思い出す。 斉藤由貴ちゃんではなく、あえて谷山浩子を紹介するのが昭和中期型ロボ (含 福山雅治)のこだわりというもの。

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♪ だけど 好きよ 好きよ 好きよ 誰よりも 好きよ ・・・

赤面するほどシンプルで思いがほとばしる素敵なフレーズを小さな声で呟きながら、「高校時代にひそかに好きだったあの背の高かった子は、今、どんなお母さんになっているのだろうね」 とちょっと遠い目になって想像したりする春の日。