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小野俊介 サル的日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2016-09-19

いきなり登場しない

お休みの月曜日の朝。 布団の中で、目が覚めたような覚めないような幸せな気分に浸る。 時間が分からないので、ぼーっとした頭でラジオをつけると、TBSの 「伊集院光ラジオと」。 そうか、今10時頃なのだな、と放送内容で分かる。

今日のゲストはジブリ鈴木敏夫プロデューサー。 伊集院とのやり取りがなんとも楽しくて、大笑い。 あの名作、トトロの制作中の内輪話である。

鈴木: 「トトロなんか、最初、宮崎(駿監督)が描いていた、雨の森のバス停でトトロと女の子が立っている絵1枚だけしかなかったんですよ。 ストーリーを少しは宮崎が考えてるんだろうと思ったら、何も考えて無い(大笑)」

伊集院: 「原作はマンガ一枚なのね (笑)」

鈴木: 「ストーリーの最初の案もひどいんですよ。 映画の冒頭でトトロが出てきて、いきなりメイとサツキと庭先で遊んでるの (大笑) でね、『どう?』 って僕に聞くから、『これ ・・・ ちがうんじゃないすかね?』 と」

伊集院: 「『となりのトトロ』 じゃなくて 『その場にトトロ』 ですね、それ」

鈴木: 「『あのー、フツーは、こういうヤツらって映画の真ん中らへんに登場しませんか?』 と。 そう言ったら、宮崎が 『どうして?』 って聞くから、こっちも思い付きで 『ほら、 あのETだって、映画の最初は体の一部だけが出てきて、真ん中らへんで全身が出てくる ぢゃないですか』 と」

伊集院: 「うんうん」 

鈴木: 「そしたら、宮崎は 『わかった! そうだよな!』 って言って、みんなの目の前で一枚の大きな紙に線を引いて、真ん中らへんに トトロ登場! って書いて ・・・」


大笑い。 ニポン名作映画の陰にハリウッド超大作あり。 そうか、それで映画の最初のほうでちっちゃな透明なチビトトロたちが登場したのね。

*****

価格の高い抗がん剤が登場したおかげで、最近のメディアでは 「国民皆保険危機」 なる言葉が躍っている。 でも、こうした言葉遣いってなんだか間抜けで、切迫感が無い。 理由は、ほら、ここでもいつも私が申し上げている 「言葉の意味の不在」 だ。 医薬品の世界の言葉遣いって、ほんと意味不明。

国民皆保険って、あんた、いったい何を指しているのか、ってこと。

この言葉って、たぶん、たとえば次のどれか (あるいはそれらの組み合わせ) を意味・ニュアンス・強調すべき点として指すような気がするのだが、この言葉を発している人たちがそのどれを指しているのかがさっぱり分からないことが多いのだ。 発話している自分たち自身も自分の意図を理解していないのではないか、とさえ思えることがある。

(意味0) 先進国医療制度の象徴として名前が出ているだけ。 「国民皆保険」 という語を 「医療制度」 「保険制度」 などという漠然とした言葉で置き換えても一切実害ない(笑)

(意味1) 国民全員がとにかく医療保険の加入者・受益者になりうる状態。 100円分の医療 (たとえばビタミンC錠10粒とか(笑)) しかカバーされなくても皆保険ね。 それでよければ、たぶん、日本の医療保険制度はこの先数百年は安泰だと思うぞ。

(意味1') 健康リスクに関する保険のプールに一応全国民を入れること。 あ、誤解しないでね、そのことは全国民をいざというときすべて救うということぢゃないから。 現実に救われるのはお金持ちだけかも。 逆に貧乏人だけが救われてもかまわないんだけど。

(意味1'') 自腹の支払い (out-of-pocket payment) が上限7万円/月程度以内に収まる制度のこと。

(意味2) お上が強制的に (法律で) 国民を保険制度に組み込むこと。 「加入しない奴は懲役刑」 でも仕方ないよね。 あー怖い。

(意味3) 全国民の納税義務の結果である税金をふんだんに注ぎ込むことを保証されたプロジェクトのこと。

(意味3') 保険制度の経営・運営上のリスクをとにかく日本国民全員に負わせること。

(意味4) 医療保険の中で、現在技術的に入手可能なすべての治療手技や薬剤・機器へのアクセスが保証されること。 「技術的に入手可能なものがみんな手に入る」 って、相当に現実離れした夢のような世界だけど、分かってんのかな。 たとえばパプアニューギニアの住民が儀式のときに使っている秘薬 (相当に効くらしい) とか、買い付けにいくのは相当に大変 だよね。 技術的には入手可能だけど。

(意味5) 医療保険の中で、「常識人である私」 が適切と信じる手技や薬剤・機器へのアクセスが保証されること。 高価すぎる薬や美容目的の薬なんてものは 「私の常識」が許さないからね ・・・ ところで 「常識人の私」 って一体誰なんだ?

(意味6) 医療サービスの提供者たる医療機関や製薬企業が米国欧州での商売に近い額を支払ってもらえることをちゃんと保証する巨大な需要生成システム。

(意味7) 医師看護師薬剤師をはじめとする結構な数の日本人の雇用政策

(意味7’) 医師看護師薬剤師をはじめとする (政治的に) 小うるさい医療技術者集団に言うことをきかせるための国家の統制手段

(意味8) ・・・

他にもありそうな気がするがこのあたりにしておこう。 どうでしょうか、その辺の業界紙に載っているオピニオンリーダーの 「高額医薬品国民皆保険」 に関するご意見って、上のどの意味の話をしているのかが分かりますか? たぶん、ほとんど分からないでしょ?  

「薬が効く」 という言葉の意味すら放置して平気な顔をしている我々だもの。 国民皆保険についての議論がかみ合うことなんてありえないと思うよ。 結局いつものように、国会議員や業界代表や患者代表やお役人や学者やらが、互いに相手の(他人の)言ってることなどまったく理解できぬまま、議論が終わるのよ。 みんな音声は発するし(ワンコも吠えるよね)、書面にインクの染みは残す (字が書けるゾウさんがどこかの動物園にいるらしいね) けど、誰にも意味は伝わらない。

*****

評判になっていた 「健康で文化的な最低限度の生活柏木ハルコ)」。 東京都職員である生活保護担当のケースワーカーの若者のマンガ。 とても良いよ。 おすすめです。



第二巻で、受給者のおじさんが実は 「漢字が読めない」 のを隠していたことを若いねーちゃんが見抜けなかった話。 涙が止まらず。

2016-09-07

小さい人間にやられない

私はスマホを持っていない。 ガラケーである。 そのガラケーも、油断していると電池切れのままそのあたりに放置してあることが多く、肝心のときにはほぼ役に立たない。 首都圏直下型地震が来たら、僕はたぶん、電池切れのガラケーを虚しく抱えた姿勢で、ビルの谷間に埋もれた形で発見されるのだろうと覚悟してる。

ここ数年、ガラケーに家人以外からメールが来たことは一度もない。 自慢じゃないが、友人が3人しかいないからな。 四六時中スマホから 「メール (ライン)、届きましたよ! さぁ早く読め! 何してるんだ、早く読まないと腐っちゃうぞ!」 と脅迫されている人々を見ていると、「あなたたちの人生、なんだか忙 (せわ) しいね」 と心配になるのだが、余計なお世話か。

フフフ、しかしですね、実はそんな僕にも週に一回、決まって金曜日の午前中に、家人以外で唯一、メールを送ってくれる親しい友人がいるのだ。 それも写真付きのカラフルなヤツ。 青山さん からである。 どうやら洋服店を営んでおられるらしい。 昔、2着で1万8千円のスーツを買ったときに「メール会員に登録すればスーツの値段が1000円くらい安くなりますよぉ」 と店員のおねえさんが言うので、ケータイを渡していじってもらったら、いつの間にか週に1回やけに重いメールが来るようになったのだ。 やったー、友達一人ゲットだぜ。

友だちがおらず誰からもメールが来ないヒトと、資本主義代表の青山さんから週に1通はメールが来るヒト。 どっちがより淋しいヒトかはビミョーなところである。

*****

皆さんは、ふと気が付くと通勤カバンがずっしり重くなっていてびっくりした、なんてことがありませんか? 何が入ってるんだろう? と不審に思って中身を出していくと、あれまぁ、こんなもの、あんなものが入っていてびっくり。 僕の場合、マタタビ味の猫のおやつがいつの間にかカバンに入っていたことがあるぞ。 猫なんて飼ってもいないのに。 誰だよ、こんなもの僕のカバンに入れたのは? 

これって例の小さな人間の仕業らしいな。 ほれ、小学生の頃、学校の机の奥に食べかけの食パンや牛乳瓶のフタがなぜかたまってしまい、先生に怒られたことがあったでしょ。 大人になってからも、徹夜で仕事中にうたた寝をしてしまった時、ふと目を覚ますと仕事が全部終わっていてビックリ、なんてこともあるよね。 それもこれも小さい人間の仕業。 ・・・ しーーっ、これって現代科学では解明されてない謎の現象だから、誰にも言っちゃいけないよ。

今回は、本。 先週の金曜日、やけに鞄が重いことに気づいて中身を確認したら、なんと本が8冊も入っていた。 あちゃー、久しぶりに小さい人間にやられてしまったようである。

1冊目。 「本人遺産」。 南伸坊の最新刊。 「本人になってみたら、本人がそう言うのは当然だと思えるようになった」 と語る南伸坊。 このヴィトゲンシュタイン並みに深遠な名言がすごいと私本人は思う。

本人遺産

本人遺産

2冊目。 「洗えば使える泥名言」。 サイバラの最新刊。 確かにいくつか心に突き刺さる名言はあった気がする。 「なんで原稿料とか払うの? みんな好きで書いてるんでしょ? (by 出版社の社長さん)」 とか、「醤油飲んだら温(ぬく)もるで。 心配しなや (by 乞食みたいなじいちゃん)」 とか。

洗えば使える泥名言

洗えば使える泥名言

3冊目。 「Multilevel and longitudinal modeling using Stata」。 マルチレベル分析、混合効果モデルの分厚いマニュアル本。 商売に使ってる本だから、これは仕方ないか。 でも重い。

4冊目。 「週刊文春」。 言わずと知れたセンテンススプリング。 これもつい毎週買ってしまうんだよなぁ。

5冊目。 「新々貿易理論とは何か (田中鮎夢。ミネルヴァ書房)」。 いわゆる空間経済学の本は何冊か読んだのだが、「新貿易理論」 「新経済地理学」 といった領域 (呼び方) への思い入れがいまいちシロウトには分からないのだ。 テキストの数理モデルを追っていくと、その説明自体はなんとなく分かった気になるのだが、本質(にある含意) は分からないまま ・・・ といった状況だったので、思わず手に取って買ってしまった。 未読。 これから読みます。 内容のあること書けなくてすみません。

6冊目。 「A New Introduction to Modal LogicGE Hughes & MJ Cresswell)」。 様相論理の標準的入門書。 まともな薬学部の教員が手を出すような代物ではありません。 必然・可能に □ ・ ◇ でなく、L・M を使うもんだから最初はなんだか変な感じだったが、慣れてくればまぁ問題なし。 これも読みかけで止まっている。

7冊目。 「現代意味論入門 (吉本啓・中村裕昭。 くろしお出版)」。 モンタギュー意味論の全体像のイメージを要領よくまとめてくれているので重宝したのだった。 つまみ読みして、そのまま鞄に放り込んだままにしてあった。

8冊目。 「キングダム」 8巻。 ・・・ そうなのである。 実はブログ読者の皆さんには黙っていたのだが、サル的なヒトはついに手を付けてしまったのである。 こいつに手を付けたらもう終わりだぞ、自分、ということはよく分かっていたはずなのに。 今のところ43巻まで出ているらしい。 無茶苦茶面白い。

・・・ まったく、ビョーキである。 こんなにたくさんの本が鞄にあっても一度に読めるわけがないのに。 それはもちろん分かっている。 でも、「どれを鞄から出すか」 と改めて尋ねられるとまた悩んでしまうのだ。 やはり、ビョーキなのである。 世の中には同じ病気を抱えている本の虫がきっといるに違いないと信じているのだが、いかがだろうか。

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というわけで、今日は理屈っぽい話無しで終了。 理屈っぽいことばかり書いてると家人に嫌われるからな。 「これでも十分理屈っぽい」 と思われる方、ごめんね。

では皆さん、まだまだ暑いけど、頑張りましょう。

2016-08-28

棒手振り(ぼてふり) りすくべねひっと

先週の月曜日は台風のせいでひどい目にあった。 毎週月曜日はレギュラーコースという講習会がある日なのだ。 主催者としては、できるだけ予定どおりに講習会は開催したい。 しかし、無理して事故でもあったら大事である。 秋の台風シーズンはいつも天気図とにらめっこして、頭を抱えることになる。 しかし、自然には勝てんのである。

先週は台風のせいで講師の飛行機が飛ばず、休講に。 受講生の皆さん (そして講師のA先生とN先生)、すみませんでした。 もしかして 「受講生用の大量のパンとおにぎり、誰が食べたのか?」 と心配してくださる心優しい方がおられたかもしれぬが、納入業者さんのご配慮で無事にキャンセルできました。

しかし、今週もまた月曜日 (明日) の夜くらいが危ないらしいのね、例の迷走台風。 毎時更新される天気図を眺めながら、なんとか月曜日の夜、講義を受けた皆さんが無事に帰宅するくらいまではお天気がもってくれないかと祈るような気持ちである。

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レギュラーコースネタの続き。 明日は後半のディスカッションのテーマ発表とくじ引きの日である。 ディスカッションのテーマは、過去11年分のネタのプールの中から面白かったヤツ、そして、最近流行りのトピックから新ネタを私が用意する。 計4題。

ネタ選び、けっこう大変なのですよ。 だって業界の皆さんって、流行りモノ (例:国際共同開発、HTA) のテーマを出すと、D○Aだとか、れ○ゅらとりーさいえんす学会だとかの基調講演で業界代表あるいはお役人代表が話しそうなつまらない毒にも薬にもならぬことばかり、プレゼンに詰め込んでくるんだもん。

ちょっと知恵が必要なテーマも危なっかしい。 「リスクベネフィットという概念を議論して!」 と出題すると、業界人って判で押したように天秤のイラストを貼り付けてくるし。 左側がリスク、右側がベネフィットで、両側にいろんなものを載せて、重さを測るらしいね。 そういうリスクベネフィット観って相当に幼稚な気がしますよ。 どのくらい幼稚かというと、このくらい(笑)。

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江戸時代 (享保年間) の大阪道修町あたりにはこのような 「りすくべねひっと売り」 がいて、「りすくとべねひっと」 の量り売りをしていたという記録が残されているのだが、業界人って昔からリスクとかベネフィットとかをこんな風に天秤に載せることに何ら疑問を持たなかったらしいな。 

治療効果だの、副作用だの、高コストだの、製薬企業の収益だの、ドラッグラグ(の解消)だの、政府の税収増だの、個別化医療の推進だのといった目につくものをすべて、なんでもかんでも天秤に載せちゃって、「はい、ベネフィットの方がリスクよりも重ければOK」 なんだってな。 企業の儲けという大切なものを右に載せればいいのか左に載せればいいのかが分からず、テキトーにどっちかに載せたりしてる (笑)。 驚くべき大胆さである。 オラ、ビックリだよ。

今のビジネスピーポー、すなわち困ったことがあると紙に縦に一本線を引いて、 左に pros を、右に cons を書いて物事を考えてしまう中枢性疾患に冒された人たち (注 1) に多いのだが、こういうリスクベネフィット観って、危険。 この手の考え方はいつでも正当化されるわけではありませんよ。

(注 1) 僕らの世代だと、映画 「クレイマー・クレイマー Kramer vs. Kramer」 の中でダスティン・ホフマンがこれをやってたのを思い出しますね。 失業した父親が子供の親権を母親に取られそうになったときに、小さな会社に再就職をするかどうかを決める状況だったかな。 懐かしい。

「あれ? 費用便益分析っていう手法があるんじゃないの?」 って? うん、確かにあるけど、それはコストベネフィットアナリシス。 リスクベネフィットの分析ではないし、pros & cons 分析でもない。 正しく費用便益分析を行うには一通りの経済学知識が必要です。 さらに、医療文脈で費用便益分析を行うのは結構しんどいのよ。 扱うのがヒトの命だから (だから薬の世界では費用効用分析という特殊な世界に退避することが多いわけである)。 要するに、こういう天秤図式で語れるのは、せいぜいが単なる個人の思い入れ、ということ。

仮にあなたが結婚相手をホントに pros & cons のリストで決めてしまうたぐいの人間であったとしても (そういう人とはお付き合いしたくないが)、医療・お薬の世界でリスクベネフィットを考えるためには 「社会と個人の関係 (構造)」 「社会の評価と決定(の構造)」 に思いを巡らせないといけない、ということをお忘れなく。

・・・ というわけで、今(日曜日の夜 23:49)、テーマを、皆さんが毎回派手に棒手振りが登場させてくれる 「リスクベネフィット」 にするか、あるいは、もう一つ別の面白いテーマ 「企業・国が刑事・民事で訴えられる仕組み」 にするか、悩んでいるところである。 うーむ。 どっちにするかは、明日の夜をお楽しみに。

最後にこんなことを告白するのもなんだが、そもそも私には 「リスクベネフィット」 という言葉の意味がまったく分からない。 どうせまともな分析などできもしないのだから、もっと身の丈にあった言葉、たとえば 「長所と短所」 あるいは 「製品の特徴」 とでもすればいいのに。 こんな趣味の悪い外来の意味不明語を嬉しそうに使ってしまうのは、医療人や製薬業界人が自分たちを 「パンピーとは違う何かすごい判断ができる知恵者たち」 と勘違いしてるからではないか、と疑っている。 そういえば昔こんな記事も書いてたっけ。 ご参考まで → リスクベネフィットの考え方 再び - 小野俊介 サル的日記

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週末は、見逃していた映画を。 「黄金のアデーレ 名画の帰還 (Woman in Gold)」

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クリムトのあの名画に惚れ込んでいる方も多かろう。 あれがどうしてウィーンからニューヨークに 「帰還」 したかの実話に基づく映画。 おすすめです。 またここでも悲劇の源はナチスの残虐非道な行為であり、戦争である。

そんな醜悪な連中と日本が組んで、いろんな国の人たちがたくさん死んだ戦争について考える重点月間8月ももう終わりだな。 おっと、この名作を読み返すのをうっかり忘れるところだった。 未読の方はぜひどうぞ。 

夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)

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平和は素晴らしい。 自由は素晴らしい。 ひとりひとり、人間はみな愛おしい。

2016-08-21

人類の知恵と真理を追究しない

ちょっと仕事があって、日曜日だというのに早起きしたのである。 ボーっとした頭でテレビをつけたら、「おおっ! こ、これは!」 と一瞬で目が覚めてしまった。 なんと、杉本彩国生さゆり、そして杉田かおるの3人が、浴衣を着てトークをしてる。 いや、何がすごいのかはよくわからないのだが、何かがすごいことだけは分かるぞ ・・・ あ、それって論理学における ω(オメガ) 矛盾 (注 1) ではないか ・・・ などと、こちらの頭も朝からいきなりゲーデル不完全性定理の世界に突入するというシュールなことになってしまった今日この頃。 皆さんお元気?

(注 1) 式 A(1) は正しい、 式 A(2) は正しい、式 A(3) は正しい、・・・ と個々の式の正誤はすべて言えるのに、「それらの式が 『すべて』 正しい」 とは言えないという矛盾。 無限と有限の狭間で生じる。

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最近のお天気、無茶苦茶だとは思いませんか。 お昼、外でラーメンを食べたのである。 ラーメン屋から出ようとしたらその瞬間から集中豪雨に。 傘は持ってたけど、そんなもの全く役に立たない状況である。 オフィスに戻らぬわけにはいかないので、意を決してラーメン屋を飛び出すが、10秒ほどでズボンが重くなり、20秒ほどでボロ靴が水浸しに。 歩くとガッポン、ガッポンと妙な音がする。 もの悲しい。

オフィスに戻ったが、とても仕事ができる状況にはない。 たまたまその日は秘書のおばさまおねいさま方はいなかったので、まずはズボンを脱いでエアコンの吹き出し口に掛ける。 バカボンパパのステテコ姿のサル的なヒト。 急にお客さんが来ないことを祈る。

ぐちょぐちょのボロ靴と靴下も乾かさないといけないのだが、ここは大学の研究室。 乾燥機も物干しもハンガーも何もない。 しかし、私だって4千年の文明を背負った人類 (サル的だけどね) の端くれである。 プライドがあるぞ。 北京原人にはできないことが何かできるはずだ。 何かいい方法は、と ・・・ あ、そうだ。 あれだよ、あれ。

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電気ストーブとブックエンド。 人類4千年の知恵の結晶(笑)

・・・ こうしてなんとか危機を乗り切ったのだが、乾燥している間ずっと、オフィスには何とも言えない臭いが充満したのである。 強いて言えば、ドブネズミ臭とキッチンのシンクの生ごみを3日くらい放置した後の臭いを足して二で割ったような臭い。 ドブネズミってホントは嗅いだことないけどな。

というわけで、まだまだ人類には進化の余地があることが判明した2016年8月中旬。 遠い未来の人類の足は、きっと、今の我々の足ほど臭くはないはずだ。(注 2)

(注 2) そっち方面の進化ではない。

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日々 wet の実験に命をかけている薬学の先生方から、時々、「ドライラボ (実験をやらない、社会科学系の研究室ね) の人たちって、実験科学者がそうしているように、ホントに真理を極めようとしてるの?」 といった不審の目を向けられることがある。 皆さん紳士だから言い方は優しいけど。 でもそう尋ねたくなる気持ちはよく分かるのだ。

いわゆる 「れぎゅらとりーさいえんす」 での議論を見ていると、「私には現状はこう見えて、こういう問題があるように私には思えて、私的にはこうあってほしいなぁと思う」 といった私的感想が述べられているだけのことがあまりに多い。 (実際のプレゼンでは 「・・と言われている」 「・・という政策が進められている」 といった感じの、無責任な受動態 (笑) が好んで使われ、「私」 という言葉は一言も出てこないことに注意せよ。) 一体それのどのへんが 「れぎゅらとりー」 なのかというと、その 「」 が規制当局 (れぎゅらとりー えいじぇんしー) の従業員であるという、ただその一点だったりして。 もしそうだとすれば、そんなものは 「レギュラトリー」 でも 「サイエンス」 でもないよねと思う実験科学者の感覚は正しい、と僕も思う。

「規制当局で働く人の言葉は自然に規制科学になる」 などというのは、「スプーン曲げができる手品師の言葉は自然に金属工学になる」 というのと同じくらいバカげているもんね。

ただし、実験科学者がどうやら心の中で抱いているらしい 「ドライラボがやっている医薬品社会科学には、(実験科学の我々がやっているような) 真理に迫るアプローチがそもそも存在しないのでは?」 という疑念には、明確に「いいえ、存在しますよ。 あなたがそれを知らないだけ」 とお答えしたい。 例を挙げろと言われればいくらでも挙げられますよ。 

たとえば (あえて実証科学とは別の例を挙げるとすれば)、今や社会科学の常識とも言えるアロウの不可能性定理の帰結・含意をどうとらえ、どう現実に適用しうるのかを考える、なんてのは論理世界と現実世界の究極の融合であり、真理世界の探究の旅である。 もっと具体的にしましょうか。 たとえば、医薬品の価値評価 (たとえば承認) において (公理としての) 推移律や選択肢の独立はどのように・どの程度前提にしうるのか、なんていう研究も、人類4000年の真理の積み上げに貢献する良いアプローチだと思うよ。 そういう学問的な課題をドライラボがきちんと取り上げていないのが問題なのだと言われれば、まさしくそのとおり。

というわけなので、実験科学に命をかけて真理を追究している先生方、医薬品規制の界隈に蔓延 (はびこ) る科学もどきだけを見て 「ドライラボは真理を追求していない」 なんて誤解はしないでほしいのです。 私たちもあなたたちの同志です。

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昼間の暑さはともかく、夜になると次第に夏の終わりが肌で感じられるこの頃。 今日のブログの締めは昭和のこんな感じでしんみりと。 40年前の田舎の花火を思い出す。 昔の記憶はいつも鮮明だ。

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読んでくれてありがとね。

2016-08-10

事務局に大外刈りをかけられない

完全に転倒状態にありながらも、決めポーズを笑顔でとっていた体操の山室選手のファンになってしまった今日この頃。 サラリーマンのあるべき姿を指し示してくれたような気がする。 倒れようが、コケようが、とにかく最後は決めポーズ。 そんな感じで、皆さんお元気?

1600人読者には申し訳ないのだが、サル的なヒトにも夏休みが必要である。 読むだけの人には分からんだろうが、毎回のブログ書くのだって15分くらいでテキトーに書きなぐるだけ何時間もかけて構想を練って、執筆して、推敲を重ねているのだ。 大変なのだ。 だから今週くらいは手抜きさせてくれ。 頼むぞ。

今回は事実上お休みの回なのだ。 勝手にそう宣言しちゃうのだ。 だから今日は、無料出張講義で使っているこんなスライドを一枚解説するだけで勘弁してくれ。 みんなが目を背け続ける日本の医薬品評価の暗部、ブラックホールの一例。

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一般の人たちにも分かりやすく説明しますね。 新薬を承認するかどうかは、PMDAの審査官や薬事食品衛生審議会 (薬食審) という審議会のエラい委員たちが審査して決めています。 で、新薬を承認しても良いかどうかの判断基準は、大きく3つ。 (1) ちゃんと効くこと (有効性)、(2) 副作用が重くないこと (リスクベネフィットOK)、(3) 品質がちゃんとしてること。 これら3つの基準が全部OKであれば承認されて、一つでも欠けていれば承認されない。

「基準に従うだけなら、お薬の承認って誰がやっても同じじゃないの?」 と素人さんは思うかもしれないが、そういう感じじゃないのよ、実は。 これらの基準ってとても曖昧で抽象的・概念的。 基準が満たされるかどうかは100人いれば100人判断が異なるような代物です。 裁判官ごとに判決が変わるのと同じ。

で、スライドの状況を考えてみましょう。 審査官あるいは審議会委員のAさんは、この薬は効かないと思っている (でもリスクベネフィット、品質はOKと思ってる)。 Bさんは、リスクベネフィットがダメだと思ってる (でも有効性、品質はOK)。 Cさんは品質がダメだと思っている (でも有効性、リスクベネフィットはOK)。

この場合、Aさん、Bさん、Cさん個々人に 「この薬、承認して良いと思いますか?」 と尋ねたら、三人とも 「承認してはいけません」 と答えます (薬事法を知っていれば)。 この薬はどう転んでも承認されません。

しかしここで、サル知恵が働くヒトが 「一人一人の判断だと誤る可能性があるから、三人で話し合って決めましょうよ」 などと言い出したとしましょう。 「3つの基準について、順にみんなの意見を出し合いませんか? それぞれの基準が満たされているかを多数決で決めません? 民主的に」 なんてね。 すると何が起こるかというと、あいやー、多数決ではこのお薬はすべての基準を満たしていることになってしまうぞ。

「どの基準についても満たされていますね。 じゃあこの薬は承認して良いですよね」 とサル知恵のヒトの完全勝利。

たくさんの委員が決定に加わる○○審議会とか、複数の審査官が民主的に (笑) 口を挟むチーム審査では、こういうことが起こって当然ですね。 というか、過去にも、今この瞬間にも、こういうパラドクスのようなことが起きているだろうし、今後も起き続けるだろうね。

ニポンが危ないのは、当事者 (業界人、薬食審関係者、審査当局)に、こうした構図をきちんと取り上げて、この構図・メカニズムの長所と短所(危険)をちゃんとリストアップして、みんなで共有する気がまったくないこと。 正確には、当事者 (の一部) はこの構図をむしろ隠し通そうとすることが多いんだよね。 なぜかというと、こうした構図を熟知した人たちは、構図に無知なヒトに、大外刈りのような大技を簡単にかけることができるから。

ほら、よくあるでしょ? A案かB案かでもめている委員会などで 議論を効率よく進めるために、論点を整理してまいりました」 と言いながら、見事なメモを委員に配る事務局が。 論点を小分けして (このスライドの (1)、(2)、(3) のように)、それぞれの論点について順に議論していくと ・・・ あーら不思議、「委員の皆さん、どの論点についても、A案を支持される方が多数のようですね」 なんて事務局の思惑どおりに結論が導かれたりする。 委員に多数決をとったらB案が勝つのに。 なんのことはない、事務局の完全勝利 である。

こういうことって、ホントよく起きてるのよ。 皆さんが気づいていないだけ。

決定の構図に無知なヒト (つまり世の中のほとんどの人たち) に対しては、こんな荒技・大技が簡単にかけられるのだから、そりゃたまらないのである。 事務局側のヒト(笑) にしてみれば、今のまま、みんなに無知でいてもらいたいに決まっている。

どうですか、読者の皆さん。 世の中って恐ろしいでしょ? 無知って怖いでしょ? ちゃんと世の中の仕組みを勉強しましょうね。 このあたりは社会選択論という学問領域がカバーしてます。 私の無料出張講義でも重点的に教えますので、興味のあるヒトはしっかり聴いてね。

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・・・ あ、あれ? 今週はお休みの回のはずだったのに、懲りもせずに理屈っぽいことをまた長々と書いとるぞ、このサル。 バカである。

お盆にはこんなマンガがよかろう。 前者は陛下も訪れ、献花されたあの激戦地、ペリリュー島のお話。 後者はシベリア抑留のお話。 どちらもとても読みやすい絵柄で (作者が意図的にそうしている)、戦争の醜悪な姿を復習させてくれる。



おすすめです。

ではみなさん、よい夏休みをお過ごしください。 あとさ、1600人の読者さんたち、たまにはこのブログへの激励のコメント書いてもいいんですからね (笑 ← 目が笑ってない)。 夏休みなんだから。