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小野俊介 サル的日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2016-05-17

モフモフ

♪ ぶんぶんぶん、ハチがとぶ―

キャンパスの中、たくさんの草木が花を咲かせていて、いろんな生き物が集まってくるのだ。 かわいいヤツもいれば、お近づきにはなりたくないヤツもいる。 たとえば今の時期、ツバキにはチャドクガの幼虫がわいているので注意が必要である。 怖いモノ見たさのあなた、ちょっと 「チャドクガ」 でググって見なされ。 画像見てるだけでアレルギー反応が起きかねないので、気をつけること。

しかし、かわいいヤツらもたくさん登場する。 その代表格が、ほれ、こいつだ。 クマバチ (クマンバチ)。

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今の時期、ブンブンとすさまじい羽音をさせながら、蜜と花粉を集めている。 クマンバチって、観光地の藤棚なんかにもたくさんいますね。 そのお姿があまりに強烈にハチっぽいので、クマンバチが飛んでくると 「キャー」 だの 「ウギャー」 だのと悲鳴をあげて逃げ惑う人が多いのだが、実はクマンバチっておとなしい、穏やかな性格のハチなのである。 でね、ここが大事なところで、試験によく出るのだけど、オスは刺さない のよ。 知ってた?

ちなみに上の写真はメス。 なんとなく凶暴そうで底意地が悪そうでしょ? ヒトと同じ。 い、いや、メスも凶暴というわけではなくておとなしいけど、ムギュっとつかんだりしたら、刺すよ。 手で持ってもOKなのはオスの方。 オスはこんな顔をしてるよ。

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オスの顔の特徴は、この白い鼻メガネ。 ふざけたパーティで仮装するときにかけるアレっぽいっしょ? なんかかわいくないっすか?

実際、私もつかまえて触ったことがあるのだが、胴体のあたりの毛がモフモフして、無茶苦茶かわいいのである。

日本橋あるいは霞ヶ関界隈の不健康で陰気な職場で鬱々と仕事をしている医薬品業界人のそこのあなたも、この鼻メガネの知識があれば立派なナチュラリストだ。 お昼休み、近くの公園に出かけてみよう。 鼻メガネがいたら、そーっと近づいて観察してみよう。 鼻メガネじゃない方 (メス) を見つけたら、ぶん殴りたい上司に 「クマンバチって触れるって知ってました?」 とだけ教えてあげるのがよかろう。

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今日は毎年この時期恒例の宣伝。 東大薬学研究科大学院入試説明会が5月21日(土) の午後にあります。 修士課程・博士課程で勉強してみようか、でも、仕事との両立大変かなぁ、などと悩んでいる方、週末の息抜きを兼ねてぜひお越しください。 これね → 入試説明会|大学院入試情報|東京大学大学院薬学系研究科・薬学部 この日に限らず、大学院で勉強してみようかなぁという方には、いつでも詳しく学位取得への道を説明しますので、直接研究室にコンタクトしてください。 お待ちしています。

東大本郷キャンパスに来れば、ほれ、かわいいクマンバチにも会えるかも(笑) 

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レギュラーコース(RC)も12年目に突入。 今週月曜日から、長いような短いような半年間のコースが始まりましたよ。 例によって最初の講師はF原先生。 企業・当局いずれにも媚びず、「社会における医療のあるべき姿」 を、妙な空気なんぞ読まずに講義してくれるので、私はこの先生の講義スタイルが本当に好きなのだ。 そのことは昨年のRC初日のブログにも書いたっけ (これね → 老眼鏡と黒ケース - 小野俊介 サル的日記

製薬企業の皆さんはもうお気づきかと思うが、F原先生が解説してくれたこと、たとえば 「患者申出療養の制度的欠陥」 などを、「いやー、そのとおりです。 いい話を聴かせていただきました」 なんて貴社の上司にそのまま報告したら、たぶん、呆れられると思うよ。 「最近の超高価な抗がん剤が国を滅ぼしかねない」 なんて指摘もあったが、「まったくそのとおり。 困った話ですよね」 なんて素直に上司に報告したら、「キミ ・・・ もう明日から出社しなくていいぞ」 って言われても不思議ではない。 そんな危険な話である。

とりあえず (ややこしい概念や方法論は一朝一夕には身に着かないので)、あなたに求められるのは、あなたの拠って立つ論理と倫理を自覚すること。 かつ、稚拙でもいいから、それを言葉にして表現する技術も必要になる。(注 1) グループディスカッションを通じて、そのことに気付いてもらうこともRCの目的です。 半年間、ぜひ頑張ってください。

(注 1) さらに論理と倫理をちゃんと勉強したいヒトは、会社の上司・研修担当に頼んで、私の 「無料出張講義」 を社内で企画してください。 どの会社にも喜んで出向きます。

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というわけで、今日はちょい忙しいのでここまで。 ホントは前回までゴニョゴニョと説明してきた薬の世界の因果関係の歪み、添付文書に書かれていることの意味不明さ (を専門家と称する人たちが誰も指摘しないこと) について、山ほど書きたいことがあるのだが、あえて我慢することにする。 理屈っぽい仕事がらみのことばかり書いていると、女性読者 (家人を含む) に逃げられるのだ。(注 2)

(注 2) だからってクマンバチの顔をアップで紹介するのもどうかとは自分でも思う。

みなさん、今週も元気に頑張りましょうね。

あ、そう言えば、この映画は面白かった。 「人生スウィッチ」。 奇想天外なお話のオムニバスのようなんだけど、実は全然そうではなくて、今の日本でも現実にこの程度のことはフツーに起きていることに気付く。 というか、現実の方がずっと醜悪。

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おすすめです。

2016-05-08

因果を考えるサル

連休は何をしていたかというと、ひたすら因果 (causality) について考えていたのである。 連休明けの皆さんの疲弊しきった頭にはしんどいだろうから、今日のところは詳細な説明は勘弁しといてやる (笑) が、現在の薬効評価や安全性評価の世界に登場する因果関係の概念って、相当に曖昧である。 れぎゅらとりーさいえんすなるものの信奉者の経典、ICH E2A、 E2D といったガイドライン副作用の定義を読んでもらえばすぐに、「この業界、因果関係そのものについてはほとんど何も考えてないな」 ということが分かる。

・・・ と書くと、ちょっと気の利いた業界人は、 「小野さんは、例の 『副作用因果関係判定は、集団での評価をもっと重視すべき』 だとか、「因果関係を否定できない」 の解釈と運用が日本の規制は歪んでいる』 とかいった点を指摘しているのだな」 と勝手に思ってくれたりするかもしれぬ。 「製薬業界と一緒に、日本のガイドライン・制度の歪みを改善してくれるのね?」 などと勝手に期待してくれるかもしれぬ。

残念ながら、たぶん、そうはならない (少なくとも直接には)。 ごめんなさいね。 

私の興味はそこではなく、もう少し深いところにある。 私が考えているのは E2A に書いてある「因果関係」 がそもそもいったいなんなのか? という話。 確率的因果 (probabilitic causality) の概念をゆるーく適用しているのかと思ってガイドラインを読み直していたら、ただ 「a possibility」 とだけ書いてある。 これでは仮に確率的因果を想定してるにしても、その流派 (解釈) がはっきりとは分からない。(注 1)

(注 1) 最近出たテキストでは、ADR に加えて suspected ADR なんて言葉を提案しているのだが、これも因果論の目からは、わけの分からない言葉をますます分からなくしているだけである。 ヒュームの「因果関係は単なる人間の思考のクセ」 への回帰かもしれぬ。

興味深いのは、最近の業界人が書いた総説を読むと、皆さんが、明らかにアリストテレス以来の哲学の伝統を受け継いだ、必然性を要件とする 「因果関係」 を前提とした議論・主張を繰り広げている点である。 たぶん無意識・無自覚に、なんだろうけど。 流行の確率的因果の考え方に自分で背を向けて、哲学者好みのかび臭い 「因果関係」 をあえて採用し続けている姿に気づいてないところがちょっと滑稽。 ふだんはリベラルアーツの根幹、哲学の概念など見向きもしないくせに。

そんな状況を目にすると社会学的な興味(医薬品業界人 (産官学すべて) って、なぜこんなふうに奇妙なんだろう? という興味) もわいてくるのだが、それはさておき、やはり面白いのは薬効評価での因果の概念そのものである。

何度もこのブログにも書いたが、「この薬には○○の副作用がある」 「この薬は効く」 といった表現って、とても奇怪な表現なのである。 一言でいうと意味不明 (真偽が判断できない) なのよ。 その奇怪さをきちんと学問的に解明しようとすると、論理学因果関係論、つまり哲学の概念や方法が必要になるのだが、業界人ってそういったお勉強から逃げ回っているから、問題の所在にすら気づいていないと思う。 だからこそ、活断層因果関係の概念) の上に耐震性のない100階建てのマンション (薬事規制や薬効評価の体系) を建てて平気な顔をしていられたりするわけである。 そりゃ薬害薬害もどきが延々と起き続けるさ。

哲学の方法を参考にしたこういうアプローチって、別に机上の空論ではありません。 たとえば、「副作用とは何か」 を哲学のやり方を参考にして追究することは、「この薬には○○の副作用がある」 という意味不明の表現で成り立つ現在の添付文書の内容を具体的にどう改善していくかに直接につながるわけだし、きわめて現実的なインパクトを持っている。

というわけで、この連休中はずっとそんなややこしいことを何冊ものテキスト抱えて考えていたのでした。 内容はおいおい紹介していきますね。 気が向けば。

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・・・ というのは実は嘘で、ホントはマンガも読んでました。 すまんかった。

よつばと!

こんなにステキな漫画があるなんて。 どうしてみんな、もっと早く教えてくれないのだ? もう、まったく。 サル的日記の読者のおまいらほど頼りにならない連中はいないよな。 よつばちゃんのなんでもない毎日に、僕はメロメロだ。 大人買いして、今6巻まできたところ(13巻まで発売中)。 読み終わるのがもったいないから、毎日少しずつ、何回も何回も読んでいるのだ。 

小さな子供の汗が少し乾いて、髪の毛から発する少しツンとしたにおいって、素晴らしい。 遊び疲れて、勝手にその辺で寝てしまった汗臭い子供をかつぎあげ、お布団に寝かしてやった後の、やれやれというとてつもない安堵と幸せは、子供を育てた親ならばみんな経験がありますよね。

そういう感慨を思い出させてくれる素晴らしいマンガである。 未読のおとーさん、おかーさんは、ぜひ。 おすすめです。

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さて五月である。 この美しい季節には、理屈をこねてばかりのオッサンは似合わない。 そういえばこんな曲があったなぁと緑のキャンパスを歩きながら懐かしく思い出す。 斉藤由貴ちゃんではなく、あえて谷山浩子を紹介するのが昭和中期型ロボ (含 福山雅治)のこだわりというもの。

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♪ だけど 好きよ 好きよ 好きよ 誰よりも 好きよ ・・・

赤面するほどシンプルで思いがほとばしる素敵なフレーズを小さな声で呟きながら、「高校時代にひそかに好きだったあの背の高かった子は、今、どんなお母さんになっているのだろうね」 とちょっと遠い目になって想像したりする春の日。

2016-04-29

むやみにあやまらない

気分の良い季節になりました。 「ノルウェーの森」 に登場する 「突撃隊」 を思い出して、毎年この時期はあの赤い表紙の上巻を読み返してしまうサル的なヒトである。 彼はいつワタナベの前から姿を消したんだっけ? なんてことが頭を離れなくなってしまう。 春ってそういう季節。

皆さんお元気? ドタバタしていてブログの更新が滞っている。 すまんね。 書きたいことはいろいろとあるのに、じっくりパソコンの前に座っている余裕がない状況であった。

世間的には連休である。 大学は基本的にカレンダー通りの営業が原則。 連休の合間のとびとびの通常日に講義をあえてやるかどうかは、しかし、諸般の状況 (代わりの講義日があるかどうか、など) を考えながら、最終的にはそれぞれのセンセイが決めることになる。 以前私が1限 (朝一番) の講義を担当していたとき、5月の大型連休中日に普通に講義をしたのだが (そうするものだと勝手に思い込んでいたのだ)、講義終了後にツカツカと歩み寄ってきた学生から 「小野センセイはまじめですね。 今日はこの講義以外はすべて休講になってます。 この講義があるから僕は帰省できませんでした」 と嫌味を言われたことがあったっけ。 あの時の学生さん、ごめんね。

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製薬企業やCROへの完全無料出張講義(全10回)、今は日本橋の高級水菓子屋さんの上にあるC社で実施中である。 先週はミクロ経済学の供給側の話をしたのだが、あの部分は例によってとても1時間では話が終わらないところである。 あわただしい講義でごめんなさいね。 需要・供給の法則の実践的な応用、たとえば日本での治験数の推移がなぜ過去数十年間のような経緯をたどったのか、といった説明はまた別の機会に。 講義で分からなかったことをもっと勉強したい人は、ほれ、みんなの味方、あのタロー書房で教科書を買おう。クルーグマン、マンキュー、あるいは神取センセイがあなたを待っている。

時間が限られた講義で、私があえて余剰分析 (消費者余剰と生産者余剰ね) の概念の話をする理由は、あの部分が製薬企業人の社会人としての誇りにつながるコアだと思うから。 「薬九層倍」、「製薬企業は儲け過ぎ」 といった批判に対して、誠実かつ真正面から答えるには、ああいったモデル化された信念が必須なのよ。 自分の真心・良心に嘘をつかずに、社会の人々(患者さん、顧客) に正面から向き合うための基本技術ともいえる。

ちなみに医薬品業界には、「私たちは顧客(患者)を第一に考えています」 なんていうお題目でそういった業界批判に答えられると本気で信じている旧世代人もいるのだが、相当に情けない。 顧客のことを第一に考えない 「まともな」 ビジネスがこの世にあるわけがないことくらい、小学生でも知っている。 「患者第一の医療を目指す」 だの、「患者志向の医療」 だのといった信じられないほどナイーブな (幼稚な) 台詞が、(テレビコマーシャルなどではなく) 学会シンポジウムで薬のプロたちの口から出てくるのを耳にすると、本当に怖くなってしまうのだ。 だ、大丈夫か、この人たち? 一般人がそうした学会シンポジウムを覗いたら、 「今さら 『患者志向』 なんていいながらドヤ顔してるなんて ・・・ 前から薄々感じていたけど、医薬品業界人って、もしかして、本当に気が狂った人たちの集団なのか?」 と不安になると思うよ。

「患者第一」 なんていう当たり前すぎるお題目・台詞はテレビコマーシャルの役者さんに任せておけばよいのです。 医薬品業界人はプロなんだから、誇りと自信をもって、そこから先で議論してないとダメでしょうよ。 ね。(注 1)

(注 1) しかしこの業界、いまだに 「患者第一」 ですらない原始人が結構紛れ込んでいるように思う。 そういった連中をシステマティックに排除あるいは再教育する仕組みを真剣に考えることは、学会・当局・業界団体の大切な仕事である。

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身内の不幸があり、いろいろなことを考えた一週間であった。 ふと、私の研究室の学生のエピソードを思い出した。 数年前に50歳過ぎてから博士の学位をとったYさん。 学位の授与と前後して、Yさんのお父さんが亡くなった。 Yさんは、お父さんへの感謝として、自分が苦労して書いた論文2報を棺桶の中に入れて、旅立ちに持たせたそうである。 指導教員にとってもこれほどにうれしい論文の使い方はない。

今回旅立った故人のお見送りには、東大キャンバスの赤門そばにある古い樹木から葉っぱを一枚だけ頂き、棺桶に入れた。 東大さん、ごめんなさい。 70年ほど前のこの季節、きっと故人はそのあたりを医学生として若々しい姿で闊歩していたはずである。 新緑の若葉の香りに包まれて。

長い間、お疲れ様でした。 なーに、ほんの4,50年もすればみーんなそちらに行きますから、その時には一献傾けましょう。 ちょっとだけ待っていてください。

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さて、連休だ。 ブログなんか書いている場合ではない。 人生を楽しもう ・・・ と思っていたら、あ、いかん。 仕事を思い出してしまったではないか。 Hくん(卒業生)、Kさん(卒業生)、Kさん(社会人学生)、書いてくれた論文とレフリーへの対応、ちゃんと連休中に読んで添削します。 対応が遅れてごめんなさいね。

2016-04-19

「本当に分からない」 と 「本当は分からない」

すまんすまん。 例によってドタバタしていてブログ書いている暇があまりなかったのである。 「あまりない」 ということは、つまり、「それなりにある」 ということなのだが、細かいことは気にしてはいけない。 人間、心にゆとりを持たないといかんからな。

熊本震災、大変な目にあわれている方々に心からお見舞い申し上げます。 熊本には親戚が住んでいるのだが、体育館への避難を強いられているとのこと。 これを書いている火曜日にも大きな余震があったのですね。 いったいいつまでこの状態が続くのか、と心が痛くなる。 事態収束の日が少しでも早く来ることをお祈りしています。

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この状況下でテレビに引っ張りだこになっているのが地震学のセンセ―方である。 それぞれに難しい理屈や専門用語を駆使して、今回の異様な地震の発生のメカニズムを解説してくれている。 一番最初の大きな地震が発生したときに、その中のお一人が 「震源が浅い地震では、大きな余震がたくさん起きますから、注意してください」 と言っていたのを、へー、そんなものなのか、と思って聞いていたら、まさにそのような (いや、それよりもはるかに激しい) 経過をたどっている。 専門家の知識はすごいものだ、と感心したのである。

で、今朝。 それとは別のセンセ―がテレビに出ていた。 今回の地震が南海トラフ地震を引き起こす可能性について司会者に尋ねられたのだが、そのセンセ―の見事な答えにちょっと失笑。

これらは、かなり関係しているのではないかと言われています。

・・・。 

不確実性がきわめて高い世界で、神ならぬ人間から出てくる答えは、せいぜいがこの程度のものである。 私もお薬のプロの端くれとして、たとえば 「このお薬があの人に効くかどうか、分かりますか?」 とか、「このワクチンがあの人にあの有害事象を引き起こしたと思いますか?」 とかと一般の人たちに尋ねられても、この程度の答えしかできぬ。 地震の世界と薬効評価の世界、不確実性の構造は異なっているが、本質は同じ。 わからないものはわからない。

さらに加えて、最近強く疑問に思うのが、わからないこと (とわかること) の意味を正しく表現する語彙を私たちはちゃんと持っているのか、という点である。

たとえば、「アスピリンが効く」。 こんな簡単な文章が私には理解できないのである。 これってどういう意味だろう? どういう場合にこの文章 (命題) が正しくて(真)、どういう場合に間違っている (偽) のだろう? 

「小野さんってバカじゃないの? 治験で有効性が検証されたら、そのお薬は効くんだよ」 とお思いの方もいるだろう。 だとすると、「アスピリンが効く」 は、治験をやる前は偽で (あるいは真でも偽でもなくて)、治験後に、突然、カチッとスイッチが入ったように真になるってこと? 今現在は真なの? では100年後は? 10万年後、人類や生物がすべて死に絶えた地球(とかつて呼ばれた惑星) ではどうだろう? アスピリン飲んでたのに血管が詰まって死にかけたおじさんに向かって 「アスピリンは効く!」 と力強く言うのかな?(笑)

ほら、もうここまでの議論ですでに、とても扱いが難しい問題がいくつか登場してることにお気づきですか? たとえば(一般的な古典論理学の意味論モデルにおける) 述語論理や存在措定の話。 簡単に言うと、「アスピリンが効く」 という文章に、「人間」 が登場していないことの不自然さの問題。 そして、「アスピリンが効く」 という表現自体がそもそも変で、本来は 「(私は) アスピリンが (田中さんに) (たぶん) 効く (と思います)」 といった表現に置き換えないといけないのではないか、という点。 つまり、お薬に係る言説・主張を論理学的に正しく行うには、信念や可能性に関する様相 (モード) という概念を用いた意味論・論理が必然的に求められるのではないかということ。(注 1)

(注 1) むろん、ちゃんと論理学勉強したそこのあなたは、「そうそう、様相論理ね。 演算子は◇とか□とか。 クリプキって、ほんと、天才だよね」 などと深く頷いておられることだろう。 で、頷いているそこのあなた、うちの研究室に来ませんか? 一緒に研究やろう!

こういう話を始めると、たいていの業界人 (産官学すべて) が 「『アスピリンが効く』 なんて常識に任せればいいのよ。 日本語なんだし、大体の共通理解があれば、それで十分でしょ?」 といった反応を示すのだが、甘すぎである。 だってさ、ちょっと考えてみてよ。 アスピリンが効く」 がどのような場合に正しいか(間違っているか) が厳密に言えないヒトが、「本薬の有効性が検証された」 だの、 「ワクチンの安全性は確認されている」 だのといった主張・議論を正しくできると思いますか? 無理に決まってるよね。 ましてや、「日本人症例数が30%で十分」、「このPKプロファイルの類似性から安全性は類推できると考える」 なんていう議論は、真偽なんぞもう完全に超越した (笑) 不毛な神学論争にしかなりようがない。

正しいのか・間違っているのかが神様にも分からない言葉を使って主張を延々と繰り広げるのって、とても虚しいと私は思うのだが、業界人はどうもそうは思わないらしい。 また、主張の正しさを保証するのに、やたらと「科学的根拠」 「合理的な判断」 といった言葉を持ち出す業界人も多いのだが、そんな上っ面だけの言葉で主張を塗り固めても、論理の欠落はまったく埋まらないよ。

ちなみに、この「『アスピリンが効く』 が意味不明問題」は、 「新薬の承認審査や市販後の安全性評価は神事そのもの」 仮説の重要なパーツの一つであり、サル的なヒトの最近の研究対象の一つ。 どうですか、皆さんもこういう話を聴くと、ワクワクするでしょ? 「オラ、サイコーに燃えてきたぞ!」 と悟空スーパーサイヤ人になる時くらいドキドキしませんか? ・・・ しない? おかしいなぁ。 説明が足りないのかなぁ。 よしゃ、ではこれから3時間ばかり使って解説を ・・・ と思ったが、今日は疲れててこれ以上説明する気力がないので、次回以降に。

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というわけで今日は短いがこの辺で。 忙しいといいながら、流行りモノDVDはしっかり見ているのである。

最近見た映画。 ジュラシックワールド

問題 「この映画の内容を10字以内で説明せよ」
模範解答 「登場人物全員バカ」。

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もう一本。 「ヴィジット The Visit」

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・・・ これについては何も語るまい。 実は、一人で見るのがコワくて(笑)、家人をだまして一緒に見させたのだが、見終わった後で 「これが超一級のスリラー? フッ」 と鼻で笑われてしまったとだけ申し上げておく。 でもね、この映画の超くだらない感じ、私は結構好きである。 

2016-04-08

昇天しない

お昼ご飯に何を食べるかを考えることくらいしか楽しいことがないサル的なヒトの人生なのだが、その楽しみすら奪われつつある。

紫頭の浜先生のいうアホノミクスの恩恵なんぞこれっぽっちも受けない貧乏サラリーマンの昼飯の基本はワンコイン、つまり500円以内。 生協で食べれば何とかなる。 少し贅沢したいときには、赤門前にある海鮮丼屋さんの最安値メニュー 「大トロあぶりサーモン丼 500円」 がある。 生玉ねぎとネギトロと、ちょっとあぶったサーモンがこじんまりと乗っている。 わさび醤油を大量にドボドボとかけて、実質的には醤油メシである。 それをワシャワシャと食せば天にも昇る気分になれる、という貧乏人殺しの優れもの。 塩分摂取量的にも文字どおりの貧乏人殺しかもしれん。

で、昨日。 「今日も昇天してやろうか」 と思い、500円玉握りしめて海鮮丼屋さんへ。 いつもの「大トロあぶりサーモン丼」 を注文したら ・・・ 何やら雰囲気が変わっているのだ。 それまでの質実剛健の黒い器 (丼) が、ヤマザキ春のパン祭りの景品のような、女性好みのこじゃれた白い器に変わったぞ。 うひゃー、卵焼きが2枚も乗ってる! 透き通るくらいペラペラで薄いけど。 生玉ねぎが無くなって、代わりにカイワレが。 心なしかサーモンの量が減っている。

女性客を増やそうと思ったらこうなるんだよね ・・・ などと思いながら、丼を食べ終わり、レジでいつものように店員のおばちゃんに500円玉を出したら、おばちゃんが 「お客さんは大トロあぶりですね。  530円 です」。

・・・

・・・

かあさん。 あの海鮮丼も僕の手の届かぬところへ行ってしまったやうです。

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東大出版会の 「UP」 という小雑誌がある。 本屋さんでは無料でもらえます。 東大の先生たちによる面白い論文・エッセイが満載で読みごたえがある。 山口晃画伯のすずしろ日記も見逃せない。 そのUPだが、毎年4月号に 「東大教師が新入生にすすめる本」 という企画がある。 今年、ありがたいことに私もスペースを頂いたのである。 以下、一部引用(一部ブログ風に改変)。

サル的なヒトのおすすめ本

1. 私の読書から − 印象に残っている本

「山の仕事、山の暮らし」 (高桑信一. 山と渓谷社

母国」 という概念が無いグローバル企業が世界の市場を一色に塗ってビジネスを展開するのがもはや標準となった現在、私たちが故郷 (くに) という地面に足を着けて生きることの意味をやさしく思い出すきっかけとなるはず。 田舎暮らし入門といった流行本の対極にある田舎本。

2. これだけは読んでおこう − 研究者の立場から

「ミクロ経済分析」 (ハル R.ヴァリアン. 勁草書房

医学薬学を 「医療・薬を研究する学問」 などと勘違いしていると社会から総スカンを食らうであろう (多くの医学者・薬学者は人生で一度や二度はひどい目に遭っている)。 医学薬学が社会に受け容れられるための本質は 「(医療・薬を受けた) ヒトがどのように幸せになったか」 を考えることに在る。 「なーんだ、それって数多ある豊饒な社会科学の目指すところとまったく同じじゃないか」 ということに学生は早めに気付こう。 そのことに気付かぬまま 「どうして社会の皆さんは、医療、薬、医療従事者の価値を正しく認めないのだ?」 と逆切れしたまま年老いていく医療業界人も多いから。

あなたの思い描く医療・薬の世界を他人に伝えようと思うのなら経済学の言葉を使うのが便利で誤解が少ない。 本書は言うまでもなく世界中で定評のある教科書であり、理系・文系関係なく読める。

3. 私がすすめる東大出版会の本

「きめ方」の論理」 (佐伯 胖. 東京大学出版会

医療・薬が一人一人の患者、そして多くの人々からなる社会を幸せにするかどうかを学問として考えるには、社会選択論の基本的な概念が必須。 啓蒙書とも言えるこの本は、昔から四月になると大学生協書籍部に必ず平積みしてある定番中の定番である。 学生さんだけでなく、企業やお役所になんとなく入社してしまって、 「私はこの社会でいったい何をしているのかが分からない」 などと深い森の中で道に迷っているサラリーマンにもお勧め。


医学薬学の学生にまずヴァリアンをすすめる大学教員は、日本では私だけだろうな。 しかしこれは何ら奇をてらったものではない。 たとえば子宮頸がんワクチン訴訟がらみで今起きていることを観察してみよう。 ほれ、今業界人がいうところの有効性だの、安全性だの、リスクベネフィットだのといった言葉には 「(意味論的) 意味」 がないことにすぐ気付くでしょ? 「副作用と有害事象は違うのよ」 なんて業界人は解説してくれるが、その違いをちゃんと説明できる人、本当にいますか? 「因果関係が ・・・」 という説明は定義を繰り返しているだけで、空疎。 因果関係って何だろう? わけの分からないことを、それよりももっとわけの分からないことで説明してどうするのよ。

神事が平然とまかり通る承認審査や医薬品規制の世界で起こり続けている混乱・混沌を直視したとき、それらへのアプローチとして必要な学問がいわゆる医学薬学ではない (ましてや 「れぎゅらとりーさいえんす」 なる学問もどきでもない) ことは一目瞭然。 必要なのは、ヒトと社会の幸せのあり方を考える人類4千年の諸学問、たとえば哲学、たとえば論理学である。 経済学はそうした学問の中では新参者だけど、今風で、とても面白いよ。

(注) 紹介したヴァリアンは (比較的やさしいけど) 中級のテキストなので、ミクロ経済学のテキストをまったく読んだことのない人は、もっと易しい本をまず買ってね。

佐伯先生の 「きめ方の論理」 は、このブログでも無料出張講義でも何度も推薦してきたから、ブログ読者の中には 「買いました!」 という方もおられよう。 買うだけじゃなくて、がんばって読むこと。

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油断していて、こんなに面白い漫画を見逃してしまっていた。 ゴールデンカムイ



凶暴なおにーちゃんがお嬢ちゃんに生肉を嫌々食わされるシーンに大笑い。 残酷描写が多いので、明らかに男向け。 女性にはちょっとしんどいかも。 未読の方は、次の連休で大人買いして楽しむのがよかろう。