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小野俊介 サル的日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2018-08-02

暴力で支配しない

極東にあるニポンとかいう島国の最近の出来事にはいつも驚かされる。 北朝鮮のホントかウソか分からない国内事情のニュースを見て 「まぁ、あの国のことだから仕方ないんじゃないの?」 などと鷹揚に語るニポン人だが、自分たちの国も北朝鮮と大して変わらんということをいまだに理解してないっぽい。

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ボクシング連盟の 「終身会長」 まわりの騒ぎに大笑い。 ルックスが明らかにそのスジの人っぽくていいよね。

補助金を配布したり、ボクシングの試合を運営・監督する実質的に重い責任を負っている組織の会長を勝手に 「終身」 にしてしまうなんてキチガイ沙汰である。 あのな、人類が1万年くらいかけて学んできた真理を一つ教えてやろう。 こっそり教えるから誰にも言うなよ。 いいな。

権力を持ったヤツは 100% 腐る

あなたのまわりのエラそうな奴らを見てれば一目瞭然でしょ。 実際、任意団体など様々なところで 「終身会長」 の地位をなんとなく確立し、その地位の旨味を決して手放さない人たちは私たちのまわりにたくさんいる (観察してみよう)。 フツーの会社・役所・大学でも、権力 (ポジション) を持つと性格が変わってしまう人たちによく出会う。 それが単なる人事のローテーションであったとしても、である。

「長いこと同じ奴に権力を持たせない」 は人類の知恵である。

もう一つ大事なポイントを指摘しておこう。 それは 「ニポン人って、顔や、態度や、声色が怖い暴力的な人にとても弱い」 という経験的事実である。 たとえば、ほら、医薬品業界、お役所、どちらにもいますよね。 態度がやたら不遜で、顔 (見た目) や声色 (話し方) が怖くて、人を脅すことを得意とする連中。 この連中はむろんそうした暴力性を自覚的に武器として使って出世して、生き延びているのだから始末に負えない。

医薬品業界で働く皆さんのまわりには暴力的なヒトなんていない? いやいや、ゴロゴロいますよ。 具体的な例を挙げれば何人かの顔がすぐに思い浮かぶと思うよ。 たとえば

・ 態度の悪い公務員・審査官
職務に関して絶対的な権力を持ってるからな。 彼らのいじめが怖くて (と同時に彼らのいじめに憧れて(笑))、逆にP〇DAに就職したり、お役所に出向・就職して心の安寧を得ようとする業界人もいる。 自分がかつて勤めていた会社が相談・申請に来たり、GMP・GCPの調査対象になるとお役人ならではの横柄な態度をとる輩がいるのはよく聞く話。 この 「天上がり」 問題、お上の国ニポンならではの闇なのでまた後日。 経済学的にモデル化すると、adverse selection の日本版ですね)

・ 役人を恫喝する国会議員 (役人が絶対に歯向かえないのを承知の上で、モノ投げつけたり、怒鳴りつけたり、睨み付けたりする輩がゾロゾロいる。 議員会館に呼びつけた私ら役人を恫喝中に、興奮しすぎてソファからずり落ちたヤクザ議員もいたっけ。 笑いを必死でこらえましたよ)

・ 会社・お役所・大学の上司・同僚・部下 (組織に普遍的な問題。 暴力的な部下が上司を脅すこともある)

・ 学校の先生 (昔から怖いセンセイはいた。 というか、実際にビンタされまくってたな、昔は)

・ 旦那さん・奥さん (どちらが脅迫者になるかはケースバイケース)

・ 組織や学校の同窓会での先輩・後輩関係 (後輩を一生恫喝し続ける先輩、いるでしょ?)

ホントはすべてに個人名の実例をつけてもよいのだが (薬の規制の仕事がらみでは誰もが思い浮かべる人たちがいますよね。 ほれ、あの人とか、あの人とか)、今回は特別に勘弁しておいてやろう。 暑いからな。(注 1)

(注 1) い、いや、暴力的な 「旦那さん」 の実例として自分の名前を書かざるを得ないからでは決してない。

こうした連中が好む常套句が 「あんたを潰すことになる」 である。 今般の日大アメフト部の暴力沙汰でも、大学の理事が例の部員と父親を呼び出して 「(監督の指示を否定してくれれば) 私が、大学はもちろん、一生面倒を見る。 ただ、そうでなかったときには、日大が総力を挙げて、潰しにいく」 と脅迫したと報告書に書かれてますね。

「日大が総力を挙げて潰す」 って、いったい何を潰すのかが分からんが、とにかく潰すらしい。 いかにも暴力性で出世した小物の好きそうなセリフである。 そんなに何かを潰したいのなら、引っ越しの梱包のときに使うプチプチしたヤツを誰かこの理事に買ってやれ。

ちなみにサル的なヒトも何度かこの手の輩に 「あなたを潰す」 と脅迫されている。 が、そんな輩の言うことなんぞ聞かないし、効きもしない。 折に触れ、きちんと殴り返してます。 だって、ほれ、サルだから (笑)。 脅迫については記録を残している (電話での恫喝は録音してまーす) から、近い将来このブログでも紹介してやろう。 びっくりするほどえげつないぞ。

いずれにせよ、この医療医薬品の業界 (産官学すべて) で、態度や顔が怖いヤツらを相変わらずのさばらせているのは、業界の皆さん自身の無責任さ・忖度に根があるということを自覚するように。 暴力的な奴らに忖度するのではなく、暴力的な奴ら (の暴力性) を指摘し、注意し、必要なら殴り返し、排除しようよ。 やり方はいくらでもあるぞ。 その気になればできるはずのことをやらないのは、あんたら自身も腐っているからだよ。 いや、アーレントの言葉を借りるならば、悪はいつだって陳腐なのだ。

最後に一つ。 年寄り連中にこの手の問題の解決を期待しないこと。 年寄りには自浄能力なんてまったくないから。 当然である。 今の年寄り連中は、そういう暴力性のある奴らを利活用(笑)して、一心同体・共生しつつ出世して、年寄りとしての地位と名声と権力を得てきたのだから。 業界内暴力団員の排除をするのは、あなたたち若い世代だ。 がんばってね。 あ、ただし若い世代の中にも、すでに暴力を自覚的に利活用して出世しているタチの悪い奴らがいるから注意すること。 そいつら (の暴力性) は若い皆さん自身がきちんと退治してください。

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スポーツ界、醜いニュースがある一方で、とてつもなく愉快なニュース写真を発見し、大笑い。

白山高校の女性部長、川本先生が甲子園バッターボックスで、嬉しくなっちゃって、バット振り回して、高野連関係者に叱られた件。 ブンブンとバットを振り回す川本先生の写真を見たが、無邪気な満面の笑顔が素晴らしい。 高校球児かくあるべし。 (→ 【高校野球】甲子園見学で白山の女性部長が打席でスイング 高野連から注意される - 産経ニュース )。

高野連おっさんもケツの穴が小さいのぉ。 これくらい見逃してやればいいのに。 ルール違反が許せないのなら、絶対に殴り返してこないこの小柄な中年のオバさんではなく、ボクシング連盟の終身会長を注意しにいけばよかろう。 「ホテルでの饗応接待品として麦焼酎は良いが、剣先するめは規定違反である」 とかな (笑)。 注意のしがいがあると思うぞ。

高野連おっさんは 「高校球児の血と汗と涙が滲んだ神聖甲子園のグランドである!」 とか言うのだろうが、それって相撲協会のおっさんたちと同じくらい嫌な臭いを発してる。

相撲協会といえば女人禁制女人禁制といえば、どこかの医大入試で、なんと 「女子の点数は一律カット」 という信じられないような暴挙をこっそりやらかしていたことがニュースに。 あ、そうだった、そもそも今日のブログはそれについて書こうとしていたことを今頃思い出したが、もう無理だな。 暑くて体力の限界だ。 また次回ね。

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トム様のミッションインポッシブルの最新作。 点数をつけるなら当然5億点以上である。 見る前から、いや、見なくてもそんなことは分かってる。 おまいらも皆、週末は映画館へ行くべし。

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2018-07-27

アルツハイマー病の薬は「きく」のか、それとも「けく」のか?

暑いから書くことがないぞ ・・・ と開き直って、この一行で終わろうかと思ったのだが、実は東京はここ数日涼しいのである。 週末にかけて台風が来るそうで、開き直りの言い訳がビミョーになっている今日この頃。 皆さんお元気ですか。

テレビのワイドショーを見てたら、この酷暑にもかかわらず部活動はほぼきっちりやっている学校がほとんどなんだってね。 熱射病でダウンする学生に大騒ぎしつつも、青春の部活動は神聖にして侵すべからず。 誰も止めないらしい。

指導者であるオトナ (教員) の言い訳が情けない。 「誰かが止めてくれないと、私たち教員は部活は止められないのです。 校長でも教育委員会でも、誰でもいいから停止命令を出してください」 「保護者の皆さん、どうか学校にクレームを入れてください。 お願いします!」 だってさ。

なんかもうコメントするのも気が滅入るようなニポンのオトナたちの無責任さである。 先の戦争のときから何にも変わらぬ。 まぁよかろう。 どうぞこのまま地獄の底まで突き進んでください。 大変な事が起きて裁判になったらあんたらみんな負けるよ。

そういえばオリンピックについても同じようなことを言うニポン人がたくさんいますね。 「開催時期 (7−8月) は大スポンサーであるアメリカ様のテレビ局様が決めるから、勝手には変えられないのだ」。 はいはい。 オリンピック期間中の学徒動員の号令もお上からめでたく出たことだし、皆さんがんばって国家一丸となって何か神聖なものに突き進んでください。 進め一億火の玉だ! 良識や責任感なんぞ燃やし尽くしてしまえばよかろう。

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アルツハイマー病の新薬の開発状況を調べていたら、最近一応それらしい (「効いた」 ような) 結果が出た試験もあるらしい。 悪役タンパクを捕まえる抗体の新薬、これまでは 「総崩れ・死屍累々」 とメディア揶揄されてきたが、実は細かく結果を見たら 「ちょっとは 『効いて』 そうなのだが ・・」 的なものもあったのよ。 たぶんそのうち、どっかの会社が一応は効いたという結果を出して、申請して、結果が出た以上蹴飛ばすわけにはいかないので承認、というコースをたどるに3万円くらいは賭けてもいいぞ。 何十・何百もプロジェクトが走っていたら、たまたま・偶然効いたように見えてしまう薬も出てくるに決まってるし。

しかしそれは本ブログ的には結構どうでもよいことだったりする。 私が気にしてるのは、例によって 「薬が効く」 という表現がいい加減だよな、という点。

そもそもこの手のアルツハイマー病の薬 (抗体) って仮に「効いても」 「効かない」 よね。 状態が悪くならないようにする薬だから、投与された人たちや観察者が 「効いた」 と思うことはほとんどないはずなのよ。 臨床試験 (RCT) で、現実には存在しない平均人を見比べて事後的に 「効いたよね」 と言えるけど、現実に存在する私やあなたには 「効いた」 かどうかなんてまったく分からないのである。 すでにこの時点で何種類もの異なる 「効く」 が登場していることにお気づきか?

こうした混乱はフツーの薬の薬効評価でも同じに起きているが、アルツハイマー病の薬の悲劇は、可能世界に 「効く (=良くなる・治る)」 を想定できない状況で 「効く」 を議論しなければならないところ。 「『良くなる・治る』 と同じ座標軸上で 『悪くならない』 を考えればよいだけのことでは?」 と割り切ってしまうのが薬効評価専門家なのだろうが、その「同じ座標軸の上にある」 という仮定が私には疑わしく見える。(注 1) 少なくとも、世間の人々が今使っている 「効く」 にそんな洗練された (机上の空論のような) 仮定は埋め込まれてないと思うよ。

(注 1) たとえば意味論的には全称量化子 (すべての・・) や存在量化子(ある・・) の否定がややこしい関係になる、など。

臨床試験の 「効く」 の意味を使って、「この薬の臨床上の 『効く』 の価値は・・」 「検出された差に臨床上の意味があるか?」 といった別の意味での 「効く」 をPMDAや企業が論じた気になっているのも相変わらず情けない。 真剣に議論している専門家には申し訳ないが、それ、人情や雰囲気が通じてるだけで、意味は通じてませんから (笑)。 で、この視点においても、アルツハイマー病の薬はビミョーで難しい。

薬の専門家と称する連中はみんな 「効く」 というけど、実は誰にも 「効かない」 アルツハイマー病薬。 そんな薬を 「やれ、ありがたや、ありがたや!」 と社会が大歓迎するのかどうかは私には分からない。 「藁 (わら) にもすがる」 という患者・ご家族の心情は100%理解できる。 が、フランスで起きたこと (現在承認されているアルツハイマー病薬の保険診療でのカバーをやめた。 理由を簡単にいうと 「あまり 『効かない』 のに副作用が出るから」) を観察していると、やはり、薬が 「効く」 「安全である」 を定義せずに、知らん顔して自分 (業界人) に都合のよい意味でだけ使ってきたツケがまわってきているのよ。 自業自得。

ポイントはね、

今、皆さんが使っている 「薬が きく」 は、本当は、「薬が かく」 だったり、「薬が けく」 だったり、「薬が こく」 だったりしてるってこと。 審査報告書でも、添付文書でも、患者への説明でも、これらをちゃんと使い分けないと意味が通じないのに、ごっちゃにして放置してるってこと。 薬のプロ、情けねぇー。

ということである。

そうした意味論的な概念の区別をきちんと織り込んだ学問体系が、AI (笑) を薬の評価や安全対策にホントに活用するのならすぐにでも必要になるはずなのだが、いわゆるれぎゅらとりーさいえんすとやらをやっている人たちがだーれもまともに議論をしてないところを見ると、そもそもその 「AIの活用」 とやらのレベルが分かって、がっかりしたりもするのだ。

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見逃していたクリント・イーストウッドの 「15時17分、パリ行き」。 やはり素晴らしい。 7億点。

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実話の映画化。 普通のおにいちゃんたちがヒーローになったプロセスを淡々と描いていく。 過剰な演出は何一つなく、本当に淡々と。 それが素晴らしい。

テロリストに立ち向かった若者の姿は、「誰かが止めてくれないと、私から部活を止めることはできないのです」 と呟くニポンのオトナたちのそれとは対極にある。 テレビ局やメディアアメリカの姿とは違う、そのへんのにぃちゃん・ねぇちゃんのアメリカ人の姿。 この映画、おすすめです。

2018-07-12

このクソ暑いのに・・・

暑くて暑くて、オフィスに着いた時にはパンツまでグショグショなのに、パンツを脱いで干すわけにもゆかぬ今日この頃。 皆さんお元気ですか。

誰かから聞いた話なのだが、極東のどこかの島国では数年後のこんな時期にオリンピックを開催するんだってさ。 この手の拷問ってなんか呼び名があったっけ?

あ、そうそう、お金も1.6兆円くらい使うらしいよ。 毎年毎年、市が何個も消滅するくらい人口が減って、崩壊必至の年金なんてあてにできず、貧乏市民は将来マジ野垂れ死にする可能性があるのでろくに金を使えず、おまけにどこかの超大国大統領とかいう阿呆が全否定している気候変動のせいで国中に災害が起きているのに、オリンピックには1.6兆円出すんだって。 今世紀末には消滅しちゃってるんだろうね、その国。 なんて名前の国だったかなぁ ・・・ ごめん、どうしても思い出せない。 夏バテのせいかも。

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「薬が効く」 という文の意味が分からないことについてはこれまで何度もこのブログで書いてきた。 この問題、(狭義の) 意味論的な分からなさだけでなく、認知言語学的にもとても興味深い問題であることに最近気づく。

今日はそれらが混ざったポイントの一つを紹介しよう。 サル的なヒトと業界人が会話しておる。 括弧内は心の声ね。

サル: 質問です。 ここに近藤さん(70歳) という頭痛持ちのおじいさんがいます。 近藤さんは今そこにいる現実の患者ね。 近藤さん2018年7月12日 22:00にアスピリン錠を飲ませます。 近藤さん頭痛は治るかな?
業界人: 治るときと治らないときがあるさ。(このサル、バカじゃねーか?)
サル: そうですね、フツーそう思いますよね。 では、なぜあなたは 「治るときと治らないときがある」 と思っているのですか?
業界人: (けっ、案の定このサルはシロウトだ。) そんなの私たち薬のプロじゃなくても常識でしょ? 重い頭痛は治らないけど、軽い頭痛なら治る。 あとね、遺伝多型に基づくPK・PDの個人差っていうのもあるのよ。 君のようなシロウトには言っても分からんだろうけどね (・・・ と鼻で笑う)。
サル: ふーん、おじさん難しい言葉知ってるんだね。 じゃさ、おじさん、もう一つ聞いてもいい?
業界人: うん、いいよ (面倒くさいサルだな)
サル: 2018年7月12日 22:00にアスピリン錠を飲んだ近藤さん頭痛が治ったとします。 でね、そのときの近藤さんの身体とまったく同じ状態の近藤さんがいたとして、アスピリン錠をまた飲ませたら、薬はまったく同じに効くと思う?
業界人: (こいつやっぱりバカだ。) タイムマシンでもない限りまったく同じ状態の近藤さんなんているわけないだろ。
サル: じゃあタイムマシンがあると想像してください。 いくら頭の固い業界人だってドラえもんくらいは想像できるでしょ?
業界人: (ムカー!) 近藤さんの状態が同じなら、同じに効くに決まってるだろ。 100回飲ませたら100回、1000回飲ませたら1000回、1億回飲ませたら1億回、同じに効くに決まってるじゃないか!
サル: ・・・ ホントに?
業界人: ホントだ!
サル: ・・・ ホントに? まるでラプラスデーモンみたいなこと言ってるんだけど、自覚してる?
業界人: 効くに決まってる! (・・・ ら、ラプラスデーモンってなんだっけ?)
サル: ねぇ、おじさんは量子力学って知ってる? 量子ってさ、事前に100%情報がそろっていても予測は確率でしかできないんだって。
業界人: て、てやんでぇ、おいらは江戸っ子でぃ!


「お薬が効く」 の意味のコアにこういうややこしい問題がある。 上の会話のサルのように 「『薬が効く』 という根源的な事象(を表す述語) は、いわば (多世界的な) 確率的なものである」 と解釈することもできるし、業界人のおっさんのように 「『薬が効く』 に (多世界的な) 確率なんて一切認めない。 薬が効くのはいわば必然、あるいはモノの本質なの」 という解釈をすることもできる。 前者がいわば量子力学的モデルで、後者は古典力学モデル (笑)。 いや、(笑) を付けたが、これはマジで科学哲学因果関係議論に登場するトピックなのである。

繰り返すが、両者の違いは 「薬が効いたり効かなかったりするのはなぜか」 に対する答え方に典型的に現れる。

量子力学モデルでは、薬が効いたり効かなかったりするのは 「そもそもそういうものだから。 結果を完全に予測することなどできないから」(一番シンプルに表現すると◇Ex)。 一方の古典力学モデルでは、薬が効いたり効かなかったりするのは、たとえば 「なにか世界の状態(条件)が違うから」(たとえば Ax → □Ex。 述語Aが条件ね)。 どちらのモデルで 「薬が効く」 を表現しているかで言ってることがまるで違うし、たとえば現実の姿の受け止め方や、現実に何をすべきかがまるで違ってくる。 ここまで触れてこなかったが、むろん昔から薬効評価の方法論 (統計モデルの想定) とも直接にリンクしている (固定効果 vs. 変量効果。 ただし 「モデルの想定」 が意味するところが統計学哲学ではだいぶ違うけど)。

わけが分からん? ではガリガリ君でもかじって心を落ち着けよう。 ガリガリ君コーンポタージュ味というのがちょっと前にあったが、なんだかビミョーな味だったっけ。

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ややこしい話を続行。 でね、薬学部にいる私としては、こうした解釈の相違が単に形而上学的な興味に終わらないことを指摘したいのである。(注 1)

(注 1) こういうのを (ひらがなではない) レギュラトリーサイエンスって呼ぶんだと思う。 たぶん。

たとえば世界のがん免疫治療を先導している高名な先生のブログにこんな記事がある (これね → 2018-06-20から1日間の記事一覧 - 中村祐輔の「これでいいのか日本の医療」)。 分かりやすく言うと (記事自体も十分に分かりやすいけど)、要は、今の群間比較試験でやっているように、効いているヒトの数 (割合) で単純に薬の善し悪しを比べていてはいけないよ、というメッセージである。

このメッセージに込められているであろう先生の意図と問題意識にはむろん共感します (だからN村先生怒らないでね (笑))が、それはさておき、ここでの問題設定とメッセージの中で、古典力学モデルと量子力学モデルが (いくつかのレベルで) ごった煮になっていて、何が何だか分からなくなっている気が。 「薬が効く」 を意味論的に定義せずに話を始めているから、当然そうなる。 意地悪な哲学者 (そして言うまでもなく統計学者) がいたら突っ込みどころ満載である。

私の気がかりは、意味が混乱することで 「善い・悪い」 を判断するための倫理規範が持ち込めなくなってしまうこと。 さらに言えば、むろん 「薬が効く」 の概念の対立軸はこれだけであるはずがなく、他にも意味はたくさんありうるのだから、実のところメッセージの意味はさらに混乱しているはずなのである (私たちがサルなので混乱に気づいていないだけである)。 うーむ。

というわけで、このクソ暑いのにこんなややこしい記事を最後まで読まされた読者を気の毒に思いつつ、今日はここまで。

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良い映画は最初の5分で分かる。 この映画がまさしくそれ。 「Gifted」。

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数学の天才的な能力を持った女の子とその周りにいる大人たちのお話。 悪人の登場数がとても少ないという意味でとても気分のよい映画である。 冒頭のスクールバスのシーン、 黒人の運転手のおばちゃんが 「乗るの? 乗らないの?」 という視線を子供に向けるシーン。 フォレストガンプの冒頭を思い出して、もうその時点で目がウルウルとしてしまったぞ。 はい、5億点だ。 良い映画決定。

アメリカ運転免許とった経験があるヒトはきっと思い出しましたね。 「子供を降ろすために停車中のスクールバスは、絶対に、追い越ししてはいけない」 というアメリカ道路交通の鉄の掟。 子供たちがのんびり乗り降りして、お迎えのお父ちゃん・お母ちゃんたちと立ち話なんかしている間はずっと、後続車はスクールバスの後ろでじっと待ってなければならないのですね。 でも、そういうものだと思っていれば別にイライラすることもない。

都会のビジネス街のようなところは別にして、郊外では、道路を横断しようとしている歩行者を見つけたら、横断歩道に限らず、ほとんどのアメリカ人ドライバーはきちんと停車してくれる。 「ほれ、渡れ、渡れ」 と手で合図したり、ウィンクしたりしてね。

一方、20世紀の頃に銭儲けだけは上手くて名をはせた極東の島国ではそんなドライバーはほぼ皆無だったらしいね。 横断歩道で歩行者が立っていても、ほとんどのドライバーはそれを無視して目の前を猛スピードで走り去っていくんだって。 そんな野蛮な国が地球から消えて本当によかったよ ・・・ で、なんて名前の国だったっけ、それ ・・・

2018-06-26

自炊、その後

基本、何をやっても裏切られるのが人生である。 同僚に裏切られ、友人に裏切られ、身内に裏切られ、最近では自分自身にも裏切られ続けているサル的なヒト。 しかしこの惨めな人生において、唯一裏切らないものがある。 それは 「自炊」。

そう、サル的なヒトは今も本の自炊を黙々と続けているのである。 自炊という言葉、知らない人はいないとは思うが念のために説明しておくと、自分の本をバラバラにして、スキャナーで読み込んで、pdf ファイルにしてしまう、というアレである。

大学・自宅にある本・雑誌をどでかい裁断機でバッサリ切ってバラバラにするのだが、その前に本の固い背表紙をカッターで取り外すなどの面倒な準備作業も必要。 夜寝る前にコツコツと10冊くらいずつ作業する。 本はたいてい埃まみれなので、作業中くしゃみ、鼻水が止まらなくなるのだが、それにも慣れたのである。

スキャンし終えた大量の 「元」 本を、ガッコーンとゴミ箱に捨てるときのなんと気持ちのいいこと。(注 1)

(注 1) その後、その手の重いゴミ袋は、階段の踊り場にあるごみ収集所までちゃんと自分でもっていかないと、秘書のおねいさまたちに叱られるので注意すること。

で、今、500冊程度を pdfにしてしまったのである。 すごいといえばすごい。 でも、これまた不思議なのだが、これだけ本を捨てたのに、自宅や学校の本棚がガラガラになったようにはまったく見えないのである。 俺の本棚は4次元空間かなんかなのだろうか?(注 2) というか、そもそも俺はいったい本を何冊持っているのだ?

(注 2) 昔、39平方メートルの 3K (つまり3部屋ね) の宿舎に住んでいたことがある。 同じサイズ・間取りの宿舎に住む職場の同僚がアメリカ人にそのことを話したら、「ん? おまえの宿舎は部屋がタテに入っているのか?」 と不審に思われたそうな。

雰囲気としては、それでもおよそ2、3割は捨てた感じ。 だとすると私の蔵書、全体では 2000冊ってとこか。 もっとも私の場合は雑誌や文庫本も1冊として数えているからちょっとフェアじゃないか。 なにがフェアさの基準なのかはよく分からんが、気にするな。 仕事がらみの単なる資料本・ビジネス本がそれとは別に数百冊あるが、それらには思い入れも何もないから単に捨ててしまえばよいので、蔵書にはカウントしない。

自分はフツーの本好きだが、世の中にはもっとすさまじい本好きがたくさんいる。 その人たちはいったいどのくらい本を持っているのだろう?

疑問を解消すべく、近所の本屋に行ってその手のことが書いてある本を探すと ・・・ あったぞ(笑) 「本で床は抜けるのか?」

本で床は抜けるのか (中公文庫)

本で床は抜けるのか (中公文庫)

他にもいくつか面白そうな関連本があるのを見つける。 欲しい。 が、これを買って蔵書を増やしてしまうとなんのこっちゃわけがわからんことになるので、立ち読みする。(注 3)

(注 3) なんと、著者の西牟田先生がこの記事を tweet してくださった。 どうもです。 立ち読みですませて申し訳ありませんでした。 あ、明日、必ず本買いますので許してください。 ブログ読者のおまいらも、この本だけはちゃんと買えよ。 いいな。

ざっと読むと、私のレベルなんぞとても蔵書が多いなどとは呼べぬことが分かった。 井上ひさし先生とか立花隆先生とかは20万冊レベル。 す、すごい。 まるでスーパーサイヤ人の最終形態レベルである。 あるいは傲慢の罪エスカノールの正午きっかりの闘級くらいか。(注 4) 要は家1軒すべて本。 だからこの手のスーパーサイヤ人の大先生がお亡くなりになると、遺族や後援者の方々がどこかの図書館と「ね、4万冊くらい引き取ってくださいよ、ね? お願い!」 といった交渉を四苦八苦しながらするらしい。 近年は図書館もお金もスペースもないのだから、そう簡単に引き取ってくれないのね。

(注 4) 漫画を読まぬよゐこは理解できずともよい。

僕の場合はたかが2000冊。 されど2000冊。 けっこうな量である。 僕の死後2000冊が部屋に残っていたら、それを処理するのは家族の仕事となる。 価値のある古本なんて一冊もないから、燃えるゴミの日 (火曜日と金曜日) と資源ゴミの日 (月曜日) に少しずつ捨てることになるわけだが、かなり面倒くさいよな、それって。

ブログの読者に (著者ではなく) 僕のサイン入りで生前贈与してやろうかとも考えたのだが、「ツルモク独身寮」 やら 「キャンパスクロッキー」 やらの卓越した昭和のギャグセンスを理解してくれる人が今どきいるかどうかは疑問である。

・・・ というわけで、サル的なヒトは今晩も 「おお、この池波正太郎仕掛人梅安はボストンの流石 (さすが) 書店で中古で買った本だな。 USED $ 2.50 って書いてあるよ。 もう20年前なのね」 「喜国雅彦の 『傷だらけの天使たち』 はサイコーっす」 などとつぶやきながら、本の背表紙カッターナイフで切り取っているのである。 へ、ヘックション!

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こういうひねくれた映画、大好き。 映画 「Three Billboards Outside Ebbing, Missouri」。 未見の方はぜひどうぞ。

D

2018-06-14

意味不明なこと言わない

新聞を読んでいると、時々おやっ?と思うような不思議な記事に出会う。 たとえばこれ。

薬の世論調査、中止へ 2018年6月13日 朝日新聞

1年延命できる薬に公的医療保険からいくら支出を認めるかを尋ねる世論調査について、厚生労働省は中止する方針を決めた。 13日の中央社会保険医療協議会中医協厚労相諮問機関)の専門部会で示す。
高額の薬が保険適用されて医療費が膨らむ懸念から、厚労省費用対効果を考える際に世論も反映させようと、昨年6月に調査実施の方針を決めていた。だが、世論調査に関しては 「保険財政の現状や公的医療保険の仕組みを理解した上での回答になるのか」 などと異論が続出していた。
厚労省は3月に有識者研究班に新薬の費用対効果を測る基準について検討を依頼。 今回の中止方針は研究班の判断を踏まえたもの。 研究班は、すでに提示されている「患者の今の状態を1年間維持するために必要な費用が計算上、従来品より500万円以上高くなる場合は、その新薬を価格引き下げの対象にする」との基準について「正当」と判断した。

「薬の世論調査」 って、なんだよ、それ。

「あたしゃね、雄々しいタケダイズムってやつの大ファンなのよ。 『不屈』 なんてサイコー! だからタケプロンカプセルを応援するわよ」
とか、
「小生は、患者を最優先に考えつつも適正利潤を求めるというロ〇ュグループの中〇製薬が好きであります! 千疋屋の上にオフィスがあるのもステキでありますっ! だから小生は断固ボンビバ錠支持でありますっ!」
とか、
そういうのが 「薬の世論調査」 なのかと思っていたら、どうもそうではないらしい。

この調査で尋ねていることは、要するに医療経済学の体系の支柱にあたる 「人の命の価値」 ね。 「まぁまぁ健康な状態での1年間の寿命を買うために、あなたはいくらまでお金を払いますか?」 という、この業界ではよくある質問である。

これを 「薬の世論調査」 と呼んでいるのだが、まずその時点で大笑いである。 これのどこが 「薬の世論調査」 なのだろう。 誰か文句をつける人がいないのかね。

で、その調査の実施にケチがついた、というのがこの記事。 「調査における質問の意図が、保険制度のことなど何も知らない一般人に理解できるのか?」 ってコワい顔した中医協委員と称する方々が怒ったのでしょうね、たぶん。

確かにそりゃそうだ。 一般人には理解できんだろう。 だけどね、私はこの委員の方々の主張にはまったく賛同しません。 医療の (あるいは行政の) 専門家を自負してるのなら今の状況を正確に表現すべきだと思います。

「この質問の文章の意味を理解できる人なんて、専門家を含め誰一人いないし、回答を分析して得られた結果の文章の意味を理解できる人も誰一人いない」 とね。 意味が分からんのは一般人も専門家も同じに決まってるじゃん。

むろん私だってこうした手法が健康経済学 health economics における精緻な理論と経験的エビデンスに則っていることくらい知っている(注 1)。 学問・科学としての健康経済学 (の、たとえばCUAの手法) にチャチなケチをつけているわけではなく、敬愛する健康経済学者の諸先生方に喧嘩を売っているわけではない。 誤解しないでね。

(注 1) 私も医療経済学を一通りはかじったことがある。 Weinstein 先生の講義の単位もしっかりとったぞ。

私が 「誰も理解できてないじゃん」 と笑っているのは専門用語(technical jargon)の表面的語彙やモデル分析の前提となる条件などではない。 文章 (命題) の意味論的な「意味」 である。 たとえばね、「(誰かの) 健康寿命を一年延ばす(維持する)」 ってどういう意味だろう? 健康寿命ってそもそも存在するのか? RCTかなんかやるのか?(笑) 仮想現実? 可能世界意味論を持ってきても解釈は難しいぞ。 根っこには因果論があるから話はさらにややこしい。 というか、こうも簡単に人の生き死にを意味論的にモデル化できているかのごとき振る舞いを見たら、ギリシア以来の哲学者が全員卒倒するだろうな、アハハ ・・・ というような議論をニポンの医療専門家と称する方々がしているのを私はかつて一度も見たことがない。

「ニポン人は健康寿命を一年延ばすのに 500万円までなら払う」 ってどういう意味だろう。 一年延ばせると神様が約束してくれるのなら神様にお礼に500万円払う ・・・ って、神様の登場か? もし神様が約束を反故にしたら「500万円返せ!」 って神様に損害賠償請求するのか。 でもあんた、請求する金額は 500万円でいいのか?(注 2) これって事実命題? それとも法則文?

(注 2) し、しまった、筆がすべって経路依存性の議論にしてしまった。 これでは専門家には解けてしまう(笑)。

こうした文章って 「その意味が正しいことをどうやって検証するの?」 がさっぱり分からないのよ。 意味が正しいんだか間違ってるんだか分からない文章。 気分はなんだか形而上学(笑)。 誰も正誤が判断できないものだから悪乗りして乱用される。

もう一つイラっとする点。 (a) シロウトさんが自分なりの意味論世界で持つ意味と、(b) 保険医療専門家と称する方々が持つ意味 の間に、正誤や優劣なんてあるわけがない。 (a) と (b) に違いはあることが多いでしょうね。 たとえば、それぞれが採用している意味論モデルの違い、あるいは、語用論プロセスの結果生じる違い。 だけど、意味の間に優劣なんかつくわけないし、「誤った意味」 なんてものもありません。 「シロウトの示す判断は意味が分からん。 何かが誤っていて採用できん」 などと口走る医療行政) の専門家傲慢さ、相変わらず気持ち悪い。 薬害とかでもめていた頃とまったく変わらんな。

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ちなみに医薬品の薬効評価の世界には、もっとひどい意味不明な文章が伝統的にありますね。 そう、「薬が効く」 「薬は安全である」

これほど悪質な意味不明文を医師薬剤師が何百年も放置してきた歴史があるのだから、「1年間の健康寿命の支払い意思額は 500万円」 程度の意味不明文は痛くも痒くもないか(笑)。

私自身、専門家に幾度となく 「『薬が効く』 『薬は安全である』 ってどういう意味?」 と尋ねてきたが、一度もまともな答えが返ってきたことがない。 考えたこともないらしい。 にもかかわらず、皆さん平気でこの表現を使いまくっているよね。 意味が分からないのになんで平気で使えるのよ、と心配になるのだが、案の定、社会のあちこちでトラブルを撒き散らしている。 ほれ、薬を飲んで大変な目にあった人たちと製薬企業・当局の間のもめごとでよくあるでしょ。

薬を飲んでひどい目にあった人いわく 「この薬は安全ではない」
企業の人たちいわく 「この薬は安全である」

「この薬は安全である」 という意味不明文を使っている限り、両者の意味のある対話は何百年経っても成立するわけがない。

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あいやー、衝撃の最終巻であった。 「セトウツミ」。 高校生のにいちゃんたちが川端で座っているだけの漫画で、53歳のジジイがまさか涙を流してしまうことになろうとは。 未読の方はぜひ。 近年まれに見る傑作なり。