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小野俊介 サル的日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2016-07-20

勉強の夏、ニポンの夏

暑いですねぇ。 皆さんお元気ですか。

サル的なヒトは今年も意を決して、あれを持ち歩いていますよ。 お肌のシミ・そばかすが気になる中年男性の味方、日傘。 毎朝、「どうか知人に会いませんように。 軟弱野郎と思われませんように」 とお祈りしながら、駅までの炎天下の道を日傘をさして歩いているのである。 でもね、日傘ってホント涼しくて快適なのよ。 一度さしたらやめられないのよね。 フフフ ・・・ あ、あれ? 前回からのオネエ言葉がまだ治ってないわよ。 どうしたいいのかしら?

*****

今日はC社での無料出張講義の日である。 10回シリーズ中の9回目。 もうすぐ終了である。 目を輝かせて熱心に聞いてくれる受講生の方々がおり、とても嬉しい。 「講義を受けること」 の有り難みを感じているようにはまるで見えないうちの大学の学生たちに爪の垢を煎じて飲ませたい。

受講生の皆さん、今日のテーマ 「論理」 はいかがでしたか? 医学薬学系の人たちって、論理学のちゃんとした講義を受ける機会はなかなかないから、新鮮だったでしょ? 分かっているようで実は分かっていないこともたくさんあることに気づいたことと思います。

ブログ読者にも講義内容をちょっとだけサービスしてやろう。 ちょっとだけだぞ。 オラ、ケチだからな。

例題1: 「すべてのヒトに薬が効く」 の否定は?

答: 「薬が効かないヒトがいる」。 ¬∀xAx ⇔ ∃x ¬Ax だからね。 「すべてのヒトに薬が効かない (∀x ¬Ax)」 は正解じゃないことに注意。

例題2: 医薬品開発や承認審査でいう 「ならば」 は、論理学でいう何に近い?

答: 双条件法、つまり iff (if and only if) でしたね。 オペレーターでいうと ←→(両矢印)。 「副作用死が出た」 ならば 「承認を取り消す」 の実例を使って、「えー、それってウソつきじゃん」 と思える場合を偽、「うん、それならウソつきじゃない」 を真として、真理表で真偽を考えたら、双条件法 (iff) の真偽のパターンがしっくりくるのでしたよね。 思い出した?

例題3: 「承認薬ならば安全である」 の否定は?

答: (承認薬)→ (安全) とは、つまり、(承認薬ではない)⋁ (安全)。 その否定だから、¬((承認薬ではない)⋁ (安全)) ⇔ ¬(承認薬ではない) ⋀ ¬(安全) ⇔ (承認薬) ⋀ (安全でない)

つまり日本語的にいうと 「承認薬なのに、安全でない」。 これが正解。


最後の例題3は論理学をちゃんと勉強したことがないと難問ですよね。 こうした論理の言葉遣いの常識を知らないで治験の総括報告書や申請資料や審査報告書を書いている業界人 (含当局) はいませんか? たくさんいるでしょ?(笑) たぶん、そういう人たちが書いている文章って、あちこちに奇妙な論理の穴が開いていると思うよ。 きちんと勉強しましょうね。 

基本からちゃんと勉強したければ、ほれ、会社の研修担当の責任者に 「小野センセに無料出張講義を頼んでください! お願いします!」 と頼んでみると良いよ。 自分で言うのもなんだが、もう15社もやったから、講義内容はムダに高度に練り上げられたものになっております。 他の大学のセンセ (注 1)・研修屋さんからは絶対に聴けない内容の講義であることは保証します。

(注 1) いや、東大でもこの講義は聴けないのだった。 こんなに楽しい内容の講義なんて、自分の大学ではまったく担当してないものな、自分。

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最近、政治がらみの本を立ち読みしてたら (白井聡さん(「永続敗戦論」 の著者)と内田樹さんの対談だったと思うが、間違ってたらゴメンなさい。 なんせ立ち読みだったもんで・・)、

ヨーロッパなどで急成長している、「外国人を排斥せよ! 自国民・自国の会社のみが甘い汁を吸える社会にせよ!」 って叫んでる極右政党をみんな怖がってるけど、あれって要は 『我が国もニポンを目指せ!』 って言ってるだけだよ。 移民受け容れとかほぼゼロだし。 ニポンってなんと素晴らしい国なんだろうと思ってるんだろうね」

・・・ といった感じのコメントがあって、大笑い。 そうか、ニポンって極右政党あこがれの国だったんだ。 どうりで息が詰まるわけだ。 うかつにもそんなことにすら気づかずに51年間も生きてきた平成28年の夏。

大橋巨泉さんも、永六輔さんも亡くなった。 私たちの昭和文化を築いた平和主義の大先輩たちが亡くなっていくのは、とても心細い。

また今年も 「レイテ戦記」 を読み返す夏が来たやうである。

属国民主主義論

属国民主主義論



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属国といえば、たとえばICHを、いいモノ、素晴らしいモノと信じて疑わない医薬品業界人が多いのだが、どこか間抜けである。 「ICHの○○ガイドラインでは、ニポンが議論をリードした!」 などと臆面もなく自慢をしている人もいるが、この手の人たちの口から、お釈迦様の掌の上にいること自体をどう思っているかの見識が語られることは決してない。 きっと夜の居酒屋では 「日本こそがグローバル世界をリードしていくんだ!」 とか気勢を上げているんだろうけど。 ちなみに、こうした一群の人たちこそが 日本の 「失われた25年」 の責任者たちだったはずなのだが、引退する気配も宗旨替えする気配も一向にない。 「失われた50年」 コースに突入する可能性大。

アメリカ様 (正確にはアメリカ様の強欲資本主義の支持者たち) が過去数十年、世界戦略としてやってきたことに対する、当たり前で健全な疑いすら持ってないとすれば、本当に掌の上で踊っているサルである。 あるいは、そんな深い歴史認識レベルで苦悩する業界人たちはグローバル化礼賛のご時勢の中でとっくに死に絶え、今交渉に参加してるのは、「ほら、褒めておくんなせぇ、アメリカ親分。 アジア開発の段取り、親分の満足する落としどころに仕上げましたぜ。 ご褒美に親分の息のかかったグローバル団体か学会のポスト、あるいはニポン国内の天下りポストへの推薦、お願いしまっせ!」 といった江戸時代岡っ引き程度の人たちばかりなのかも、という気がしないでもない。 属国の業界人にふさわしい振る舞いではあるのだけど。

薬価・保険収載の話になると 「あのな、若い連中は知らんだろうが、昔日米 MOSS 協議というのがあってじゃな、・・・」 という話 (アメリカ様からの対日圧力の超分かり易い歴史的事例) をいつもひっぱり出し、それに対する何の批判も、わだかまりも、自嘲も無く、それを自明の前提としてあっけらかんと議論を始める人たちも同類ですね。

情けない。

疑おう。 考えよう。 意見しよう。 そのために、学ぼう。

2016-07-08

オネエ言葉で薬効評価の闇を語らない

・・・ う、う、・・・ う、う、う、 ・・・(嗚咽) ・・・

大学のそばの海鮮丼屋さんでメシを食うと、一食ごとに丼の形のスタンプを一つ押してくれる。 さらに8のつく日には大サービスで、なんと、二つもスタンプを押してくれるのだ。

今日は8日。 ワクワクしながら海鮮丼屋さん行った。 いつもの大トロあぶりサーモン丼を食べ、レジのおばちゃんにお金を払って、「これ、お願いします!」 と良い子の大きな声でスタンプ用のカードを差し出した。 おばちゃんは 「はい、6番のところに押しておきましたよー。 毎度ありがとうございまーす」 とニコニコしながらカードを返してくれた。 

あ、あれ? スタンプ1個だけ? ・・・ 今日は何日だったっけ?? 今日はハチのつく日ではなかったっけ? と思ったのだが、あいにく腕時計もしていない。 も、もしかして僕の勘違いかもしれない。 ス、スタンプ1個なんて、どうってことないよ。 目から涙がじんわり出そうになったのだが、自分の勘違いが悪いことにして、そのまま研究室に帰る。

研究室に戻って、部屋にいる秘書のおばちゃんおねーさまたちに 「ただいま。 今日は海鮮丼食べてきました」 と報告したら、

秘書さん 「えー、小野センセも? 私たちもさっき食べて帰って来たところですよぉ。 だって、今日はスタンプ2倍の日ですからね。 スタンプ2倍の日にしかあの店には行かないんです、私たち」。
サル的 「 ・・・ ぼ、ぼくは、なぜか1個しかスタンプ押してもらえませんでした ・・・」
秘書さん 「なにぃ!? もぅ、気が弱いんだから。 私たちが今から一緒に行って、押してもらうようにお願いしましょうか?」
サル的 「い、いいです。 もういいんです。 放っておいてください ・・ う、う、・・・(冒頭へ)」

サル的なヒトは 「スタンプが一つ足りないんじゃないですか?」 という台詞をどうしても発することができないのだ。 レジのおばちゃんの機嫌を損ねるのが怖くて、それが確認できないダメ人間なのである。 もう50歳を過ぎてるというのに。 生存能力が著しく劣っていることは自覚している。 絶滅寸前なのは当然である。

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今日の記事は、これの続編ですよ。 → 「本当に分からない」 と 「本当は分からない」 - 小野俊介 サル的日記

お薬の薬効評価や承認審査の世界のプロが使う言葉・文章って実にいい加減で、わけが分からないことについては、これまでもいろいろ書いてきた。 最も象徴的なのが

「薬Aが効く」

という文章ね。 「薬Aが有効である」 「薬Aは有効性が検証されている」 など、バリエーションは山ほどあるが、基本形は同じ。 「薬Aが安全である」 も同じ形です。

この文って、真か偽かが問いようがない、不完全な文なのよ。 「真とか偽とか言われても、ワシャ素人だし、よく分からんなぁ」 と思うかもしれんが、簡単である。 たとえば 「1+1は2である」 は真(true)。 「太陽は西から上る(細かい条件等は略)」 は偽(false)。

「薬Aが効く(効いた)」 を見てください。 「A」には、皆さんの知ってる薬の名前を何でもいいからテキトーに入れてみよう。 ロスバスタチンとか、オプジーボとか。 で、この文の真偽なのだが、皆さん、答えられますか? もし誰かが 「ねぇ、ロスバスタチンって効くの? ねぇ、効くの?」 としつこく尋ねてきたら、イラッと来ませんか? きっとこう言いたくなるでしょ? 「誰に (何に、どの病気に) だよ?」 って。

そのイライラは論理学的に当然なのである。 「薬Aが効く」 は、そもそも、まともな文、つまりちゃんとした論理学的な命題になってないのだから。 「薬Aが効く」 と同様に、真偽が問えないイライラする不完全な表現の例はいくらでも挙げられるよ。 たとえば、

「私(医師) は治す」

もそう。 白衣を着たオッサンが 「へへへ。 私は治すよ。 治すのじゃー!」 とか病院で叫んでいたら、完全に危ないヒトだ。 危ない、と思うのは、言っている文の内容が変なのではなくて、それ以前の問題、 「口から出ている台詞が文なのかどうなのかが分からない」 という怖さである。

他にもたとえば、「私は (将棋の) 対局する」 という文も、対局相手がいるのかいないのか分からなければ真偽が分からないよね。

では、これらはどうすれば真偽が問える、まともな 「文」 と呼べるモノになるか? 答えは、先ほどのイライラしたヒトの言うとおり、

「薬Aが 田中さんに (○さんに) 効く」

とすればOK。 これではじめて文の意味 (真偽) を問うことができる。 「佐藤医師は 木村さん (の腰痛) を 治す」 「羽生さんが 渡辺さんと 対局する」 となったら、ほら、「はい、そのとおりです(真)」 「いいえ、それはウソです(偽)」 と答えることができるでしょ。

このように、二つの項の関係があってはじめて意味が問えるのであれば、その二項関係を明確にした記述をしないといけないのである。 当然だよね。 論理学では、たとえば 「a が b に効く(E)」 については Eab ってな感じにして、二項述語の世界で扱う (注: 他にも扱い方はある) のだが、ややこしいことはいいや。 

皆さんが知っておくべきこと、それは、「この薬は有効です」 「あの薬は安全です」 「この薬剤の有効性は検証されています」 といった、医薬品業界でよく見かける文章 (もどき) が基本的に意味不明、つまり、正しいとも誤りとも言えないような怪しい代物であるということ。

たとえば、「○○ワクチンが安全である」(あるいは逆に 「○○ワクチンが危険である」) を出発点にして何かの主張 (「こんな副作用は起きてはならない」 とか) を導いたとしても、その主張は虚しい、無意味なものにしかならないってこと。 だって、出発点が意味不明なんだもん。

で、私が恐ろしいのは、それらが意味不明であることを薬のプロがほとんど意識していないという事実だったりする。

HPVワクチンの混迷の背景に、今日ここで述べたどうにもならない闇が広がっているのは皆さんもうご存知のとおり。 当事者間で通じる言語がないという悲劇と言える。

また、「人類みな兄弟。 だから効く薬は、世界の誰にでも効く (に決まってる)」 なんていう単なる仮説 (注 1) から、あたかも論理学的 (演繹的) に 「だから日本人にも効く (に決まっている)」 が導けるかのような錯覚をしたり (注 2)、それを前提にしたガイドラインを平気で作ってしまえるのは、こうした背景があるのではないか、と社会学的に推察してるのよ。 だって、業界人の皆さんって 「薬は ○○に 効く」 の「○○に」 が無くても何十年も平気で生きている、相当に不思議な人たちなんだもん。 中には確信犯的にその 「○○に」 の項を避けている業界人もいるけどね。

(注 1) 「人類みな兄弟」 仮説は、確率的な方法論(つまり統計学ね)を用いて実証的に検証すべき仮説 (群) である。 細かな仮説に応じていろいろな結論(真偽)が疫学的に・実験科学的に出てくるのだろうし、それで健全。 宗教的信念のような取扱いをしたり、推論における真の前提扱いするのは、不健全。

(注 2) ちなみに、タブローで確かめてみればすぐに分かるのだが、「お薬を飲んだヒト(例:日本人) の中に効く人が存在する」 すら、それが論理的に満たされるには、存在措定を含め、厳しい条件が必要になる。 「へー、そうなんだ ・・・」 と呆れるほどである。

実は、ここはまだ薬効評価の闇 (いい加減さ) のほんの入口よ。 今日の話は、さらに様相論理的な闇につながっていくのよね、フフフ ・・・ (つづく)。

・・・ とまぁ、なぜか最後はオネエ言葉になりながら、理屈っぽい話を長々としてしまった。 すまんかった。 この論理学シリーズ、この先も時々やるから、覚悟しておくように ・・・ あ、読者がまた一人逃げた。

2016-07-01

お医者さんには幕の内よりもうな重がお勧め

実はサル的なヒト、ある月刊誌のコラムの連載を持っているのだ。 そして月末、つまり今日がその締切日である。 しかし、賢明な読者の皆さんは容易に想像がつくと思うが、サル的なヒトは現時点で一文字も原稿を書いていない (キリッ)。 何を書くかまったく決めていない。 アイデアさえも思い浮かばないのである。 

にもかかわらず、このヒトは、こともあろうに一銭にもならぬこんなブログなんぞを書き始めてしまった。 現実逃避にも程がある。 というか、現実逃避の方向を完全に間違えてるぞ、自分。 せめて、急に部屋の掃除を始めるとか、大学に住んでる野良ネコを触りに行くとか、そういう方向の現実逃避をしてもらいたいものだとつくづく思うのだ。

こんなことで立派な原稿が書けるのであろうか。 断言しても良いが、無理である。

「こんな福祉目的のブログを書く気力とネタを、お金を頂いて書くコラムの方に回すべきである」 というのは資本主義社会の正論である。 論理学的に一点の曇りもない妥当文である気すらする。 しかし、ヒト(いや、サル)はそんなふうには行動しないからヒト(サル)なのだ。

というわけで、書くべき原稿をさておいて今日の記事などを書いてみることにする。 心して読んでね。

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ところで医薬品業界人ならみんな知ってるよね、このニュース。 内容は要約。

お医者さんに昼飯おごると見返りあり
(New York Times, June 20, 2016、JAMA Inten Med 2016)

JAMA Internal Medicine の最新号に掲載された分析によると、どうやら米国のお医者さんは、製薬会社に 1200円とか 1800円くらいの昼飯をおごってもらうと、その会社のお薬を多く処方してくれるようになるそうである。 たとえばね、その辺のメシ屋でお医者さんに 1500円くらいの昼メシをおごってあげると、ロスバスタチン (コレステロール下げる薬) を 1.18倍(類薬選択とのOR) に、ネビボロール (降圧薬) を 1.7倍に、オルメサルタン (降圧薬) を 1.52倍に、デスベンラファキシン (抗うつ薬)を 2.18倍に、それぞれ処方を増やしてくれるってよ。


やったな、製薬企業のみなさん! ちゃんと効果があるってことじゃん、昼メシ接待。 費用対効果も無茶苦茶に良さそうだな。 おめでとう!

・・・ いやいや、もちろん分かってますって。 「失礼なことゆーな! 医師にわが社の製品の情報をきちんと伝えて、その長所をご理解頂いたから、処方が増えたに決まってるじゃないか!」 でしょ? はいはい、分かってますって。 私だってこの業界で30年近く生きているのだ、そのくらいは分かってますって(笑) あとね、今日のブログはそこがポイントじゃないから、安心して。

この手の問題を実はあまり解決する気のない人たちは 「あ、それCOI (conflicts of interest) の問題ね」 なんて言葉で片づけてしまうことが多い。 というか、ニポン人が 「COIを開示すべき (キリッ)」 とか格好いいこと言ってるときには、たいてい 「ホントのCOIは一切言わないからね (キリッ)」 の宣言に近い。

ニポンで、ニポン人が最も気にする利害って、お金のやり取りだと思う? 研究費のように組織対組織 (例: 会社と大学) で受けるようなものだと思う? 違うよね。 狭いニポン社会・ニポンの組織で、ニポン人のオッサンが最も気にすること、それは 「自分の地位・名誉 (面子)・仕事・人間関係

たとえば、新薬を承認するかどうかの審議会や、研究費を誰に配分するかを決める委員会を考えてみましょう。 確かに 「どこかの企業から研究費もらってる」 とか 「料亭で何回かメシを奢ってもらった」 は判断に影響すると思う。 でもね、それらよりもはるかに影響が大きいのは、「○○センセイの師匠・弟子である」 とか、「××大学の同窓・一門である」 とか、「うちの家内が実は○○先生の親戚である」 とかではないかと私は思うのよ。 あるいは、「アイツには前に学会で恥をかかされた」 とか、「10年前にポストを争って、負けた」 とかも、ものすごく影響するよね。 というか、威張りん坊のニポン人オッサン社会を突き詰めていくと、それがすべてだったりしませんかね。 要は、単なる人間関係の好き嫌い (笑)。 

金銭の授受にしても、みんなが注目する 「あの会社からお金をもらっている」 よりも、むしろ 「頭を下げたのにお金をもらえなかった」 「あの会社に研究費を断られた」 ときの恨みの方がずっと効いているはずである。 プライドの高いエラいセンセイ方って、お金なんてもらえてフツーなんだもん。 何かのはずみでもらえなかった時のことを痛烈に覚えているに決まってるじゃん。 「この恨み、はらさでおくべきか!」 と浦見魔太郎のような気分になることは容易に想像できる。 つまり、表には決して出てこない、恨みのこもった影の金銭こそが宣言させるべきホントのCOIなのである。

ニポン人のみなさんも、そんなことくらいよく知ってるくせに、どうして声に出さないの?(棒)
 
アメリカのようにたくさんの国(州)から成り立っていて、人間がたくさんいて、プロ・専門家がたくさんいれば、人間関係の好き嫌いの影響は確率的にだいぶ薄められる。 だって、誰か (とその一派) が仕事を失敗したら、その代わりに立派にその仕事を担える別の一派がいるのよね。 代わり (スペア) はアメリカ中にたくさんいて、いつでも虎視眈々と交代を狙ってる。

だけど、ニポンのような狭小サイズの国では状況はまったく違いますね。 ニポンの医学薬学医薬品業界って、専門家がたったワンセットしかいない。 今、現に表舞台にいる人たちだけ。 役人や審査官や研究評価者も唯一のワンセット。 で、みんな顔見知り。 全員がディープな利害関係者。 学会やシンポやお上の委員会に出てくる人みんな同じ。 ワンセットを取り替えようと思っても、代わりのワンセットが存在しないというすごい状況。 政府批判的な団体・個人ですらワンセットしかいない感じだもんね。

そんなニポンだから、COIとして本来真っ先に宣言させないといけないのは、「私はこのヒトと20年来の知り合いです」 とか、「私はこのヒトが嫌いです」 とか、「私はこの会社が嫌いです」 とかであろう。 新薬の承認審査だったら、「この審査官には前に意地悪をされたので、今回は忌避します」 とか、「以前に寄付金の依頼を断って恨みを買っているので、この専門委員は拒否します」 とかいう逆側 (申請者側) からの宣言もむろん必要ですね。 アメリカの真似して、アメリカと同じような経済的COIのみを宣言したって、何の意味もないのよ。 でもね、ニポン人は誰も本気で 「フェアで効率的な社会を作りたい」 なんて思ってないのだから、お作法以上のことは何もしない。 ホント、ニポン社会って、おそろしい社会なのだ。

製薬会社の人たちがお医者さんに 1500円の昼メシをおごる効果を、一方の当事者たる医師会の学術誌が面白がって取り上げて掲載するアメリカって、やっぱり懐が深いよね。 

一方、仮にニポン社会の人間関係をめぐるCOIを本気で研究しようと思ったら、まず自分の身 (職) を守ることから始めないと危険である。 まわりにいる替えの効かない一式が全員敵になる。(笑) ニポンではメディアの人たちもワンセットのみで取替えが効かない。 ホントはディープにCOIまみれなのにCOIを宣言しない人たちだから、危険。 また、仮に研究者がニポンのホントのCOIの分析結果をまとめたとしても、国内の医学薬学誌や医薬品業界紙には投稿しないよね。 不愉快な思いをするだけ。 ニポンの臨床研究の問題など (例:データ改ざん) がまず外国誌に投稿されるのは当然である。 

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期せずして、紹介する映画も息が詰まるようなニポン社会にピッタリである。 「顔のないヒトラーたち」

D

第二次大戦後西ドイツ。 ナチスの一員としてユダヤ人虐殺に加わっていた事実を隠して、知らん顔して普通の日々を送っている人たち。 政府にも、学校にも、会社にも、住宅街にも、どこにでもいるナチスの残党と密告者たち。 臭いものには蓋で、人類への大罪を見て見ぬふりをする市井の人たち。

そんな絶望的な状況で、アウシュビッツの犯罪を立証しようとする主人公の検事 ・・・ というお話である。 超おすすめ。

「あいやー、これってニポンの現在の姿か?」 と思うはずだよ。

2016-06-17

鑑真和尚に統計学を学ぶ

舛添先生を引きずり降ろした怒りの都民とやら (笑) とマスメディアが、次に、「日当という腐った不労所得ポケットに収めた公私混同サラリーマンを全員クビにするキャンペーン」 及び 「賄賂で勝ち取った東京オリンピックなんぞ直ちに止めろ!キャンペーン」 を始めてほしいと心から期待している今日この頃。 皆さんお元気?

オリンピックなどという愚かなバカ騒ぎに金出す余裕は今の日本にはない。 日本に圧倒的に欠けている低−中所得者向けの公営賃貸住宅をどんどん作れ。 そうしないと若者も貧乏高齢者も死に場所すらなくなるよ」 と警告する方々がいるが、私もまったく同感。

でもやるんだよね、オリンピック。 みんな、ワーとかキャーとか大騒ぎして、瞳孔が開いた阿呆のような顔をしてニポン人選手を応援するんだよね。 その間だけは、社会保障崩壊寸前問題も、待機児童問題も、高齢者孤独死の問題も、全部忘れたふりするんだよね。 すばらしい。 「国際共同開発バンザイ!」 と現実を忘れたふりして大騒ぎしているうちに、製薬業界でのニポン人の仕事が脳みそ不要の単なる雑用だけになってしまった現代史の闇をふと思い出したりする。

増税は先送り。 目先の選挙に勝つために、ま、とりあえず先送っとけ、ということね。 数十年後の勤労者の皆さん (我々の子供世代) は、ワシら高齢者世代を支えるために、稼ぎの8割を税金社会保険料として供出しないといけないらしいね。 心身を削っての年寄り孝行、ありがたいことである。 「ニポン死ね」 の捨て台詞が街中にあふれかえる、そんな夢も希望もない時代が 確実に 来るわけだが、ま、先送っとけ。

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ところで、読者の皆さんは、高い専門性に裏付けられた高度な能力を駆使して日々仕事をしている医薬品業界人だから、アメリカ統計学会が今年の3月に 「あんたらが大好きな頻度論のp値の使い方、だいたい間違えてるぞ。 あんたらの使い方ってほとんどが誤用ばっかりなんだから、有意性検定とか、もう止めた方がいいぞ」 という声明を出したことなど、全員、とっくに知ってるよね。 え? 知らない? ・・・ うーん、舛添先生のように自主的に給与返納した方がいいかも。

現在の薬効評価で使われている頻度論的な統計学の体系、特に仮説検定の体系って、昔から 「変なところだらけだよね」 と言われています。 そもそもが、その手の体系の創始者・ご本尊たるフィッシャー大先生と、その弟子のピアソン先生が、互いに 「お前の考え方は変だぞ」 と大ゲンカしてたんだから (大笑)、どのくらい変かは推して知るべしである。

分かり易いところでは、たとえば、「p=0.05 には何の意味もない」 ことは有名ですよね。 もし当時 「8.6秒バズーカー」 とかいうお笑いが流行っていたら、今頃は p=0.086 がいろんな決定の閾値になっていたかもね。 「無意味だからこそ p = 0.05 が生き延びる」 と逆説的に語る専門家もいるが、ダメじゃん、それ。

p 値が仮説(「お薬が40%効く」 とか) 自体の信頼性の確率と誤解されるのも有名な話。 でもニポンとかいう極東の不思議な国では、トクホ特定保健用食品) とかいうよく分からない食品規制を市民に広めるのに、たぶん意図的に誤解をフル活用してるんだよね。 「p < 0.05ではなく、p < 0.1 ですから、これは条件付きトクホです」 ってヤツ。 「ちょっとビミョーなトクホなんですよ」 なーんてね。 ・・・ なんだよ、それ? 

トクホのお役所のHPには 「有意傾向があれば有効性の根拠にしていいじゃないか」 と堂々と書いてあるし、れぎゅらとりーさいえんすというよく分からないモノを専門にする大学のセンセも 「p < 0.1 とは有効性の科学的根拠が少し劣るということだが・・・」 と堂々と書いてあるが、これらはみんな隔靴掻痒的な説明で、ここに書いた表現だけでは到底正当化されるようなものではない。(注 1)

(注 1) どちらも、p 値を 「科学的根拠」 という大それたものに祭り上げ、食品の効果についてちゃんと 「科学的」 に考えるべきこと(効果のメカニズム、健康分配的な含意、リスクマネジメントなど) をすべて棚上げしてしまうという、恐ろしい手抜き説明である。 これこそまさに今回のアメリカ統計学会の声明が 「おまえら、統計学を勝手に神格化して、誤用して、変な手抜きに使うんじゃねーよ」 としたこと。

また、p値を使って説明する限り、どんなに分かりやすく説明したとしても、その正当化を市民が理解できるようなものではない。 だから 「健康食品を有難がるパンピーはさ、何も考えないでいいから。 どうせ分かんないから。 誤解したままでいいから」 という構図なわけである。 ダメじゃん、それ。

企業の新薬開発がらみだと、「金かけて例数増やせば、効きが悪い薬も効いたように見せられる」 が一番愛されている p値の使い方である。 安全性でライバル品を蹴落とそうと思ったら、市販後にでかい例数の試験やって、無理矢理に有意差つければいいのですよね。 ガチでやりすぎて自社品が負けてしまったりして(笑)。 割付がうまく医師にばれるようにやってくれよな。

FDAやPMDAの新薬の審査で p < 0.05 が有効性の検証の錦の御旗になっているのは言うに及ばず。 ほぼ完全に脳死状態の審査官でも p <0.05 かどうかは区別がつくから、これほど楽チンな指標はない。 あまりに楽チンで、給料泥棒と言われてしまうおそれがあるため、引き換えに 「検出された差の臨床的意義を説明せよ」 という意味不明の照会事項を企業に出すのも、これまたニポンの当局の伝統芸能ですよね。 現実に存在しない確率人に臨床的な意義もクソもあるわけなかろうに。

今回のアメリカ統計学会の声明は、こうした奇怪な現状に対しての、誠実な統計学者からの問題提起 である。 統計学者の中には、四の五のいわずに現行の社会のシステム (例: 新薬の承認審査のシステム) を支持して、現行のシステムでメシが食えていればよし、というヒトも多いのであろうから。

p値を誤解し、誤用している世間の人たちに、「無知蒙昧な非統計家たちよ。 お前らバカだなぁ。 p値を正しく理解しろよ。 統計学を勉強しろよ。 統計家を敬え!」 とこれまでのように高飛車な態度をとるのではなく、「p値・有意性の検定を広めて統計学マンセー者を増やした結果がこの思考停止社会だとすれば、それは統計学者の歴史的な大失態だぞ、おい。 正しい道を提案するのが科学者としての責任ある態度ではないか?」 という感じの反省が声明の端々に見え隠れしている。 とてもステキな大人の姿勢である。 失態・失敗から学ぶのが大人。 失態・失敗があると、責任者を引きずり下ろして快哉を叫ぶしか能がないニポン人にはとても真似できぬ姿勢である。

*****

統計学の根っこをそろそろ変えません? という今回のアメリカの学者からの提案。 背景には統計解析手法コンピュータのソフト・ハードの能力の進化もあるわけだが、さて、これから世の中がどう変わるか、変わらぬか。 実は私にはまだ分からない。 ベイズ統計の教科書が急に売れるようになることだけは間違いなさそうだな。

ただし、ニポンとニポン人にこれから起きることは、サル的なヒトでも簡単に予想できるぞ。

まずは 「頭のいいアメリカ人の言うことを忠実に学ぶ」 のね。 ニポンの当局の人たちは 「進んだアメリカで起きること (例: 規制やガイドライン) を周回遅れで真似する」 のね。 今は ICH があるから、きっとこの統計の件はそのうち ICH のトピックの一つになって、ニポン人がアメリカ人と一緒にクリエイティブな議論をしているようなふりをするだろうが、実態アメリカ人の賢い連中にシロウト軍団のニポン人がお勉強させてもらうだけなのは言うまでもない。

そうした動きの中で アメリカで起きたことを忠実に・素早くニポンに持ち帰って、さも自分のアイデアであるかのようにニポン人に広められるヒトが、ニポンの次世代統計学・承認審査のオピニオンリーダーとしてもてはやされ、学会シンポジウムに出ずっぱりになる」 のね。 いつもどおりの途上国パターン。

マッカーサー将軍様、ニポン人の社会年齢はあの頃と同じ12歳のままみたいですぜ。 というか、鑑真(688 - 763)の時代から何も変わっとらんな、ニポン(笑)。(注 2)

(注 2) だけどね、私は、「このままではニポン・ニポン人が生き残れない!」 などとくだらないビジネスコンサルタントのようなことを主張するつもりも毛頭ないので誤解しないでね。 軽薄で役に立たないよね、その手のコンサル系のニポン人論は。 むしろ、こんな珍妙な (笑) ニポン人が興味深い社会を作って、何千年も世界の重要な一角を占めているという歴史的事実を重んじ、面白いなぁと思うのだ。

2016-06-08

役得なんて、クソくらえ

東京駅に着いたその日は わたしおさげの少女だったの
ポケットに膨らむ夢に わたし買ったの 赤いハイヒール
・・・
アラン・ドロンと僕をくらべて 陽気に笑う君が好きだよー ♪

最近、通勤時には昔のいわゆる歌謡曲フォークソングを聴くことが多いのだ。 近頃のどーでもいいようなにぃちゃん・ねぇちゃんが歌っている曲はまったく心に届かないもので。 一言でいえば老化ですね。

で、今朝は太田裕美である。 「木綿のハンカチーフ」、「雨だれ」、「9月の雨」、「南風」、そしてこの 「赤いハイヒール」。 うーむ、懐かしくてジーンとくる。 しかし、冒頭の歌詞を呟きながら、アレ? と思ったのである。 

この曲を最初に聴いたのはたぶん40年くらい前。 その時からずっと、(この純朴な女の子を好きな) 男が「アラン・ドロンと僕をくらべてよ! ねぇ、どっちがイイ男?」 なんて冗談を言って、元気を無くした女の子を笑わせている光景だと思い込んでいた。 が、今朝になってふと、その解釈は間違いだと気付いたのである。 「アラン・ドロンと僕をくらべて」 いるのは、女の子の方なのね。 女の子が、男をからかって冗談を言いながら笑っていて、それが男から見ると 「かわいいなぁ」 という光景。

あいやー。 40年モノの思い違いだ。 僕らの人生、何事につけ、こんな思い違いばかりなのであろうな。 まぁいいさ。 ほとんどの思い違いは、解消されないまま記憶の澱みに沈み、最後は焼却炉で白い煙になる。

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舛添先生が盛大に攻撃されている。 どうやら日本人はみんな舛添先生が嫌いらしいな。 私にとって、舛添先生は国際政治学の講義を受けた尊敬する大先生であり、何が起ころうとも学問の師であることに変わりはない。

1980年代、ミッテラン政権をとった頃だった。 フランスという国の政治はとても難しい。 ステレオタイプな 「左と右の対立」 といった単純な構図で説明するのは危険で、歴史・文化、そして経済 (当時もグローバル化の問題が影を落としていた) のあらゆる側面を踏まえないといけないよ、というような講義であった。 「フランス人って相当にタフでややこしい奴らだぞ」 ということ。 ♪ オー、シャンゼリゼ― ♪ などと歌っている場合でないことは、バカ学生だった私にも十分理解できた。 政治学という学問の奥深さを垣間見せてくれた素晴らしい講義であった。

最近の舛添問題を論じるテレビを見ていて驚いたことがある。 それは、僕とは全然違う人たちだと思っていたニポンの皆さんの多くが、僕ととても似ていたこと。 ほとんどのニポン人は、清廉潔白で、金銭的に潔癖で、アンフェアな役得を良しとしない、反腐敗の人たちなのね。 なーんだ、知らなかったよ。 僕なんかアホだから、いわゆる役得 (ふんぞり返ってエラそうにできることを含む) がほとほと嫌になって自分から役人を辞めてしまった口だし、今だって100%ボランティアの 「完全無料出張講義」 なんてものが楽しくて仕方ない変人なので、そんな自分と同じ価値観を持ったニポン人がこれほど多いとは新鮮な驚きなのである。

気に入ったぞ、汚い役得嫌いのニポン人たちよ! 嬉しいから、そんなニポン人たちに、これまでずっと隠蔽されてきた極秘ネタをリークしてあげよう。 しーっ、公安に聴かれると危ないから、小さな声で言うよ。 それは 「日当」 ってやつだ。 「にっとー」 と読むらしい。 

どうやらニポンでは、公務員や企業のサラリーマン連中が出張のたびに、給料とは別に 「日当」 という金をコソーリと封筒でもらって、ポケットに入れてるらしいぞ。 知らなかったでしょ? なんでも、出張した旅先では、ふだん家で食べるよりもメシに金がかかるから、その分を役所や会社が補填するという屁理屈らしい。

おまえら、自分ちの田畑に自分の肥を撒いて作った麦と大根を食ってた江戸時代の住人かよ。 大笑い。

今時、コンビニで弁当買えば日本全国どこでも同じ金でメシなんぞ食える。 東京人は知らんだろうから教えてやるが、うちの四国の田舎のスーパーで惣菜・弁当買うと、東京よりもずっと安くてうまいぞ。 逆にお金が浮くほどだ。 「新幹線の弁当は高い」 だって? アホか。 新幹線乗る前にコンビニでおにぎり買えよ。 「現地でのバス代なんかも含まれている」? そんなの実費精算すればいいじゃないか。 都内ではそうしてるでしょ?

いや、それ以前にだな、サラリーマンのあんたたちさ、メシとクソは日本中どこにいてもする だろうが。 なんで余計な金をもらわなきゃいかんのよ。
 
汚い役得や余禄を嫌うニポン人の同士たちよ。 ニポンのサラリーマンたちをこのまま放っておくと、そのうち調子にのって、「旅先の慣れない便器でウンコすると、お尻に負担がかかって切れ痔になりやすいのよ。 その分の追加の医療費ってことで、日当くれよ」 とか、「出張先で排便すると、ふだん使ってない紙で拭くから、パンツに汚れが付きやすいのよ。 洗濯代、補填してよ」 とか言い出しかねないよ。 いや、マジで。 忌々しき事態だとは思いませんか。

そもそも多くの日本人サラリーマンにとって、出張にいけること自体が役得なんだもんね。 海外出張はなおさらだ。 たとえば ICH だの DIA だので、税金や手数料や会社の金で海外出張に行けて、いいホテルに泊まって、豪華なタダメシにありつけるのは、誰がどう見ても完全に役得の世界である。 海外出張に行けない同僚たちが、心の中で 「けっ、あいつら何が 『もう海外は疲れた』 だ。 あいつらばっかり楽しい思いしやがって」 と妬むのは至極当然のこと。 さらに加えて日当を払うなんて、泥棒に追い銭とはこのことだ。

ほれ、みんな、舛添先生をいじめてる場合じゃない。 明日から 「日当」 撲滅キャンペーン始めよう! あんな不当な汚い金をもらっている特権階級の連中をつるし上げようぢゃあないか! ・・・ あ、あれ? みんなどうしたの? 顔色が悪いよ? どうして腰が引けてるの? 僕と同じ、反腐敗の闘士ぢゃあなかったの? 変だなぁ (棒)。

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映画 「オデッセイ」。 細菌がいない、死んだ火星の土を、農耕可能な生きた土に変えるのに、主役のマット・デイモンが鼻に耳栓を差し込んで、廃棄されていた同僚のウンコを撒くシーンが印象的。 なんてったって、監督があのリドリー・スコットだもの。 目をつぶってでもおすすめですよ。

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なんか今日の記事はやたらとウンコだったな。 正直すまんかった(笑)