小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

あなたは選挙の投票先を友人に語れますか?

土曜日の朝は 「おさるのジョージ」 で目を覚まし、夜は 「七つの会議」 でワクワクドキドキする今日この頃である。 NHK万歳と言っておこう。 このくらい面白い番組を作ってくれるのなら、受信料はブツブツ言わずに払おうではないか。

「七つの会議」 http://www.nhk.or.jp/dodra/nanatsu/ は東山紀之が中年サラリーマンオヤジを渋く演じる経済ドラマである。 現実にはあんなにかっこいい中年オヤジはいないのだが、まぁそれは良しとしよう。 テーマは 会社の不祥事の内部告発。 ・・・ 急に大きい字で書いてごめんね。 びっくりした? 一部の製薬企業の方々にとっては恐ろしいほどタイムリーなトピックなので、ドキッとして心臓が止まりかけた方々がいるかもしれぬ。 スマンスマン。

組織(会社・役所・大学等)で働くサラリーマンにとっては、業務上目の当たりにしたイレギュラーな出来事を、ランチの席の和やかな話題にするか、それとも夜の飲み会で 「ここだけの話なんだけどさ ・・・」 とするか、あるいは黙って墓場まで持っていくか、は、人生の重大な判断である。 自分にとっても、他人にとっても。

おそらく、ほとんどのサラリーマンは、一つや二つ (や十や二十(笑))は、シャレではすまない仕事がらみの不祥事や事件の裏側を知っていますよね。 でも、ほとんどのサラリーマンはそれを語らない。 組織内の不祥事を告発する裏切り者は、ほとんどの場合ひどい目に遭うから。 組織管理論の世界では、これを 「ほとんどの法則」 と呼んでいる。(注 1)

(注 1) ウソです。

現実にほとんどの人 (私を含む) が無意識のうちに取っている戦略は、「組織内の不祥事をたくさん私は知ってるよ。 証拠も持っているし。 でもね、私は自分からそれを外の人たちにペラペラと話したりはしません。 でも万一、私が理不尽な扱いを受けるような事態が発生したら 全部暴露しますよ」 という秘めたる決意を、チョロチョロと、しかし相手にしっかりと伝わるようなシグナルとして外部に示すというものですね。 ゲーム理論でいう 「信憑性」 の問題である。

サラリーマン側の戦略選択に関するそのような信憑性が組織の側に伝わっていれば、囚人のジレンマゲームのナッシュ均衡、すなわち当事者にとって唯一非効率な帰結 (会社は内部告発でボロボロになり、当事者は 「内部告発者」 として後ろ指を指される) に陥ることはそう多くはないだろう。 ほとんどの場合は、ナッシュ均衡ではないが、当事者にとって効率的な帰結 (会社も社員も墓場まで秘密を共有する) に至ることになる。(注 2)

(注 2) このあたり、私の無料出張講義の後半で、西郷隆盛勝海舟の交渉を例に挙げて説明しました。 受講生は思い出してね。

しかし、当事者にとっての効率は、社会にとっての効率と一致しないのが世の中の常。 そしてそれが言うまでもなく 「七つの会議」 のテーマであり、製薬企業にとっての医薬品研究開発の背景にある最大のテーマである。

さて、妙にカッコいい東山演じる原島課長は、会社の製品の品質不良をどう受け止めるのだろうか。 組織ぐるみで隠蔽しようとする社長・上司たちにどう噛みつくのか? あるいは組織の犬(ポチ)に成り下がるのか?

組織に属する読者の皆さんは、自分の属する組織の暗部を思い浮かべて、自分が東山になった気分になって真剣に考えてみよう。  

そうやっていろいろ考えると、昔の 「天才たけしの元気が出るテレビ」 に出演していたエンペラー吉田が唱える 「エラくなくとも、正しく生きる」 という人生訓がいかに素晴らしいかを理解できる気がするのである。 そして、エンペラー吉田ほどではないかもしれないが、それなりに奇奇怪怪の世界の表裏を見てきたサル的なヒトからも一つアドバイスをするとすれば、「世の中でうまく立ち回ることしか考えていない俗物は無視して、あなたは本気で学問をしてみませんか? 真・善・美を真正面から見据えてみませんか?」 というお誘いとなる。

学問は、勉強は、楽しいよ。

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さて、明日は総選挙の投票日である。 ここ数十年、総選挙の開票日は、不思議なことになぜか毎回(笑)、どの候補者に・どの政党に投票しても(笑。 結構いろんな政党を応援しているのだが)、世の多数派と自分の間には、ほんとに深くて暗い溝があるんだなぁ、と認識させられる最悪の気分の一日である。 僕に友だちが数えるほどしかいないのは当然なのだという現実を直視する一日になる。

ごく一部のアクティブな方々 (組合の人たち等) を除き、日本のサラリーマンたちは、自分がどの政党を信頼しているかをはっきりとは語らない。 「私はこの人に投票します・しましたよ」 ってはっきり言わない。 「ねぇ、この党・候補者に投票しましょうよ」 とも誘わない。 あるいは 「投票を棄権しましょうよ。 今の選挙なんてAKBの総選挙並みの茶番よ」 とも言わない。 得意げに語るのは、テレビや新聞のコメンテーターの受け売りの、それぞれの政党・候補者へのステレオタイプな悪口だけだったりする。

みんな、実は怖いんでしょ、自分の本心の政治的なスタンスが周囲の人に、そして組織や会社の上司・同僚にばれるのが。 日本のこの監視社会の感覚は、北朝鮮や中国とあまり変わらない気がする。 憲法の御題目 (思想・良心の自由、信教の自由、表現の自由、学問の自由、・・・) のなんと虚しいこと。 ほら、これも 「七つの会議」 の世界だ。 私たちは囚人のジレンマの状況にある。

「日本では、民主主義成立の議論の前提となる合理性の仮定は成立してないのですね、アロウ先生」 と呟いてみる。