つい最近の新聞にこんな記事が載ったよね。 読まれた人も多いはず。
カラス、都会を去る ツバメ・スズメも減少
(前略)・・・ 都内の繁華街では、生ゴミをあさるカラスが社会問題になった。 だが最近では、我が物顔で振る舞うカラスの姿をほとんど見かけない。
この記事を書いた記者って、いったいどこのトーキョーに住んでるのかね、と家人と二人でひとしきり大笑い。
朝6時頃の渋谷を歩いてごらんよ。 それはもう、凄まじい数のカラスがゴミを漁っておるぞ。 本当に恐ろしいよ。 何十羽の群れが一斉に歩行者を威嚇して大声を上げて飛びかかってくるのである。 52歳のオッサンでも怖くて歩道を歩けず、わざわざ車道に逃げたほどだ。 それがわずか3日前の話。
とはいえ、誤解しないで頂きたいのだが、私はカラスは好きである。(注 1) 黒光りする美しい羽根。 賢そうで愛嬌のある顔。 飼えるものなら飼いたいのだが、法律で禁止されているのね。
(注 1) 私はあらゆる動物を好きである。 昆虫も好きだし、植物も好き。 嫌いなのは人間だけ。 あいつら、性根が醜いから。
先日、スイスのジュネーブに出張に行った時に (サル的なヒトがジョージ・クルーニーになった回ね → サル的日記 番外編 in Geneva - 小野俊介 サル的日記)、ちょっと面白い経験をしたのである。
会議場となった由緒ある建物は、これまた由緒ありそうな大きな庭園の中にあったのだ。 広大な芝生があって、そこにぽつりぽつりと邸宅がある風景を思い描いてください。 で、その広い芝生の中に会議場まで続く一応舗装された細い一本道。 午後2時。 晴天である。
「うーん、これで仕事が無ければもっといいのだが」 などと思いつつ、トコトコと一本道を歩くサル的なヒト。 と、突然、目の前3メートルくらいのところに何か小石のようなものが落ちてきたのである。 カツンっという乾いた音を立てて降って来た茶色い物体は、クルミの実。
「・・・ん? 広場のど真ん中にいるのに、なぜクルミが降ってくるのだ?」 と思ってたら ・・・ そう、皆さんの想像どおり。 カラスが一羽、私から少し離れたところに舞い降りてきた。 渋谷にいるヤツよりも少し小振り。 そいつがジッとこちらの様子をうかがっている。
おおっ、あれだっ! 前にニュースで見たアレだ。 カラスって賢いので、クルミを高いところから落として割って食べるのよ。 さらに賢い奴は、いちいち高いところからクルミを落とすのは効率が悪いので、車道にクルミを置いて、自動車に割らせるらしい。 内輪差・外輪差を踏まえてクルミを置く位置を調整するという賢さである。
「スイスのカラスもニポンのカラスも賢いなぁ。 ニポンの製薬業界人 (産官学すべて) はカラスの爪の垢を煎じて飲んだ方がいいよね」 などと呟きながら、まだ割れていないクルミの横を通り過ぎたのである。 頑張れよ、カラス君。 会議場までは、まだあと数百メートルはあるので歩を早める。
その数秒後。 驚くべきことが起きた。 私の前にまたもやコーンと落ちてきたクルミ。 振り返ったらさっきのクルミが消えているから、あのクルミだ。 傷がついているが、まだ割れてない。 またもや少し離れたところに降りてきて、私とクルミをじっと見ているカラス。
お気づきですね。 そう、こいつはおそらく普通の賢いカラスからさらに進化しているのである。 人間にクルミを割らせようとしてる のよ。 こっちも科学者の端くれだから仮説を検証しないと気が済まない。(注 2) 革靴の踵でクルミを踏みつける。 割れない。 結構固いぞ。 もう一回。 少しジャンプして ・・・ ベキッ。 今度は割れた。 さらに何回か踏みつけて、少し細かくしてやる。
(注 2) いや、これが仮説の検証ではないことくらい僕でも分かっているから、情緒を欠いたくだらない突っ込みはしないように。
で、カラスの方をみると ・・・ ソワソワしながら、こっちを見てる。 「もうお前の仕事は済んだのだから、早く立ち去れよ」 ってな感じ。 クルミから離れて歩き出すと、早速やって来て、クルミをついばみ始めたのであった。
たぶん、このあたりを散歩している地元の人たちや観光客の多くが、今回の僕がとったような行動を取ることを、カラス君は経験的に知っているのであろう。 みんな、面白がってクルミを割ってやるのね。 クルミの中身を奪おうとするほど空腹のかわいそうな人間はジュネーブにはあまりいなさそうだから、その意味でも安心だ。
カラスからすると、「サルってさ、なぜだか分からないけど、目の前にクルミがあると本能的に踏みつけるんだぜ。 高い空に舞い上がって、固い道路の上にクルミを上手に落とすのは難しいし、面倒くさいよね。 だから、あいつらの行動を利用すればいいのよ。 サルの目の前にポトリと落とすだけ。 サルってさ、バカだけど、道具としては使えるよね」 って感じか。 今回の件も、もしカラス界に動物行動学会があるならば、きっとこんなタイトルで報告されていることだろう。
「ケース報告: ニポン由来のサルによる本能的クルミ踏み行動について: 脚部の使い方に関するスイス由来ザルとの相違点に着目した分析」
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ここ数週間、仕事が多すぎ。 疲れすぎて、夜眠れない。 今私が抱えている仕事って、誰とも相談ができない性質のものが多くて、本当にストレスフルである。 何千億円、何百億円を動かす (正確には 「自分が動かしていると勘違いしている(笑)」) 企業の人たちは、桁が何桁も小さい大学の仕事を鼻で笑っているのかもしれんが、ストレスの大きさはプロジェクトの金額の多寡じゃないからな。
医薬品業界・医療業界・役人業界・学問業界、 「自分の役に立つかどうか」 で人の価値を判断するヤツらばかりの、いずれ劣らず不愉快な業界である。 「お、このサル、利用価値がありそうだぞ」 と思えば、気持ち悪い愛想笑いを浮かべてすり寄ってくるが、実は役に立たない (サル的なヒトが世間的な意味で利用価値があるわけがなかろうに) ことが分かると、手のひら返し。 会っても視線すら合わせなくなる。 私の関係する (した) 業界、そんなおっさん・おばさんばかりである。
そんな奴らに迎合するのは人生の無駄だから、こっちだって相手にしない。 私は、ただひたすら 「知」 を求め、「知」 を同志や若者と共有し、楽しみたいのだ。 だから何をやるにもたいてい一人ぼっちになる。
「相談できる人は誰一人いません。 助けてくれる人も、愚痴を聞いてくれる人も、誰一人いません。 誰もあなたのやることに干渉もしませんし、興味も持ちません。 すべてあなた一人です。 だから、あなたが一人で決めてください。 その責任もあなた一人でとってください」 なんて職場環境で仕事している会社員、いる? それってもはや自営業だ。 いや、従業員ゼロという制約があるのだから自営業ですらないのか。
状況のあまりの理不尽さが頭に来たので、現代意味論の教科書の中でも思いっきりややこしいのを読んで憂さを晴らすことにする。 ヘトヘトになれば眠れるだろうし。 内包タイプ理論から始まるモンタギュー意味論の本。 読むこと数十分。 頭の中でラムダ計算が踊って、夜通しうなされた(笑) 結局のところ、夜は眠れないのである。