紙くずの部屋にいた

六月九日の地図です

とある目的意識とともに「日本のロック / ポップス 〜 シ」をさがして・・ もとい、ディグってたら、見つけたぞ。


って、云ったら、「何を?」って聞くのが礼儀。


永遠を((c)ランボー@怒りのアフガン)・・ もとい、ザ・シェイクスを!


ディティールにこだわれば、二十一年と半年さがしてたレコードを見つけたぞ、何を? 永遠を。海に、太陽が溶け込む、その歌は。

今も走り続けていた。少しだけくたびれた顔して。


はやすぎて、ミシェール・ガソ・エレファソトになれなかったバンドだった。

モト・ライオンのお気に入りだった。

バーズを。ペイル・ファウンテンズを。ウォーター・ボーイズを好きなひとたちだった。

そして、ロック・トレインは今も走り続けていた!


the shakes


ギターの響きが時を打ち、いきおいあまって、日本橋にゆく。かしましく'かしまし'の最終巻を日本銀行の券をわたして、おいしくいただく。

はずむ。かわいいよ、はずむ。正直なところ、おまえがしあわせなら、誰のそばにいようとかまいやしなかったんだ。星は。真昼の星は、無条件にかがやくから。観あげるか。そうしないか、それだけだから。


あぁ、それにしたって、桂遊生丸先生の、原作なしのマンガってあるんだろうか。いちど読んでみたいものだ。あぁ、だれか知っているやつはいねぇか。あいつなら知ってそうだ。あぁ、そうだ。こんなときは、あいつに聞こう。さぁ、股下な。レディース・アンド・ジェントル麺。

おしえて、chibinovaお兄ちゃん先生

わたしが読んだことのある作品は『姫恋人』という短篇だけなんですがね。聖シリウス女学院高等部随一の秀才として名高い中山翠というノンケの少女に恋心を抱く、中等部の西園華恋というガチな少女が、ある日意を決して「聖夜祭ご一緒しませんか」と誘いをかけ・・・みたいなところから始まるお話。女子校が舞台の青春小説や少女漫画って、まさにこういうかんじだよなぁと思います。ていうか、もうまっすぐに翠を慕う華恋がかわいくてかわいくて。桂遊生丸の作風って、なんとなくコゲどんぼからの影響がかんじられますよね。華恋のキャラクターがねぇ、どうも美紗さんにかぶったりして。翠のアップとかみると、あ、なんかこがわみさきの画風っぽいと思ったりもするんだけど。『かしまし』はねぇ、おっしゃる通りはずむがかわいいんですよ。だから明日太も惚れてしまったわけで。なんかね、やす菜もとまりも何を考えていてどうしたいのかがよくわからん。読者が「はずむに恋すれどそれを自分で認めたくないジレンマ」を汲み取れるのは明日太だけなんですよ。たとえば、いま連載されている「とりかえばやもの」でぱっと思いつくのが、森永あいの『僕と彼女の×××』という漫画なんだけど、これはもう萌えどころをそこに絞ってきてる。それでいて、女の子たちの配置も絶妙。だから、読んでてBL的にすごく気持ちいい漫画なんですね。で、もひとつ思い出した。ジャンプで『いちご100%』を描いていた河下水希が、ぶ〜け時代に桃栗みかん名義で残した『あかねちゃんOVER DRIVE』。ある死にかけた男の魂が、あかねちゃんという美少女の体に入ってしまったことから始まるドタバタものなんだけど、ここにはあかねちゃんに言い寄られてその気になってしまう静香ちゃんというコが出てくる。そのコがねぇ、もうめちゃめちゃかわいいの。桃栗みかんは女の子たちにもちゃんと思い入れを持っていて、かわいく描こうという意気をすごくかんじられるところが好き。そういうの、読者にはちゃんとわかるじゃないですか。たとえば『ハチクロ』の萌えツボは、森田兄弟のハガレンエピソードなんだろうなとか。もちろん漫画家たるもの、自身の生み出したキャラクターには等しく愛情を注いでいるんだろうけれども、なんていうのかな、たとえばBL誌に載せる短篇の扉絵に、バーンと美少女を描いちゃう今市子とか、そういうのが好きなんですよ。なんかまた重箱の隅を偏愛してるようなこと言ってますけど、これはもう性分ですね。で、やっぱり『あかねちゃんOVER DRIVE』も、萌えツボはBL展開なんです。そもそも桃栗みかんって、やおい同人を描いてた人だし。話が長くなりましたが、つまり言いたかったのは「『かしまし』はBLという視点でならグッとくるお話だったけれど、わたしは桂遊生丸にグッとくる百合(もちろんどういうものがグッとくるかは好みがあるけど)を描いて欲しかった」ということ。それは『姫恋人』という作品の存在があることで、これを突き詰めればもっとえげつないものができていたはずだという勝手な期待からくるものだとはわかっているけれど、それでも言わずにはいられなかったのです。なぜなら・・・「BLが好きです。でも百合はもっと好きです!」