第十六章 信仰の理論
目次→2004-11-28 - caguirofie041128
第〓部 わたしの信仰
([えんけいりぢおん](第十五章−F.ドルト/欲望の理論) - caguirofie041129よりの続きです。)
第十六章 信仰の理論
ここからは 表現しがたい信仰そのものの問題として 表現の及ぶ限りで 話し合っていこうと思う。
これまでの前提――信仰を存在思想としてとらえる / それは表現の問題である / この立ち場をつらぬく――を もはや取り払おうと思う。ただし 信仰は わたしがわたしであることの説明表現としての根拠(つまり 実際上 主観的な確信)であるから 表現したそのことじたいが 信仰そのものでもないことは やはり大前提である。従って 言いかえると やはり人間の論法では 新たなかたちですべて表現の問題でありつづける。と同時に その新たな思想(経験思考)を超えて 信仰(非経験との非思考における関係)にも 語り及ぶことになる。