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哲学いろいろ

文体――第三十三章 旧約聖書つづき

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2005-02-12 - caguirofie050212よりのつづきです。)

第三十三章 旧約聖書つづき

《先験的な》領域にかかわる話を いくらか つづけようと思います。
テシベ人エリヤが来て 《理念》が完全にと言ってよいほど知られるようになったなら いまの精神の政治学は すでに 過去のでもなく また未来のでもなく 現在の過程である。ただし無力の そして 文体として弱いそれであるところの。わたし個人は このように前章からのと少しちがって 表現の方針を 転換しているかたちではある。
民主主義を言うことは じっさい そういう自己の政府の民主制に発しているし まず始めに――ただしもちろん 方針は いろんなかたちがあり 人それぞれである―― そういうものとして 起こって来ることなのだと思われる。ここでは 文体の基盤として もっとも弱いと思われるところの 一つに 旧約聖書を取り上げている。べつに キリスト教の歴史とか それにまつわる特にヨーロッパ社会の歴史をながめてみようというのではない。しばらく きわめて弱い基盤にかんする文体を 例に採る。陰の声としては これが 文体の・または自己の政府の もっとも弱い基盤をつくってくれる そして 民主主義のなにゆえにかも おしえてくれると思われるからである。

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