caguirofie

哲学いろいろ

#9

――やしろ資本のおもろ――
もくじ→2006-09-17 - caguirofie060917

第一章 やしろ資本推進力について

第八節 したがって新しい《せぢ》関係の動態の確立へ向けて

聞こえ大君が
降れて あすびよわれば
天が下 平らげて
ちよわれ
(巻一・1)

われわれが このおもろを聞くとき 自己を そらぞらしい者でなくとも 何か障子(壁)一枚をへだてて たえず向こうから・外からやってくる者として 了解せざるを得ない。筋のとおって(降れて) ゆたかになる(あすびよわる) また 天下が平らぐことは わたし(素朴な主観)と地続きであるのに そこに 謡い舞う聞こえ大君や平らげてちよわる按司添いが一枚かんでいる。

  • もっとも 聞こえ大君も按司添いも 抽象化され ただの表現じょうの文句であるとするなら 全体のおもろとして 主観の中に内面化されていると言いうる。そういう素朴な願いとして。そうして もういちど具体的に 聞こえ大君や平らげてちよわるその者との関係を受け止めて オモロするなら ともあれ 社会的であり 前近代的だがヤシロロジの原形に近い。要するに 聞こえ大君らは われわれがそのヤシロロジにおいて ひとつのアマテラシテ(象徴)としたのであるなら。
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