caguirofie

哲学いろいろ

#117

もくじ→2005-05-13 - caguirofie

第三部 キリスト史観

第四章 神の似像の以後

第二節 いわば《神の似像》以後の試練と問い求め

ゆえに 《神の似像》とは このように語ってわれわれの内に生きている史観 あるいはこの史観としてわれわれが生きていること自体であります。しかもそれは 身体・スサノヲ性を基体としつつ この身体的肢体の仕組みに限定されないという・アマテラス性をとおして人間の存在・過程的時間的な行為そのものであると考えるわけでした。
この意味で この《神の似像》以後が この第四章以下の対話であります。《後続するものが先行するものから 後者の点検によって前者が忘却されるほど離れないようにしたい》(三位一体論15・3〔4〕)ということ いまはこのような意図のもとに 論点をさらに抜き出し いくらかの考察を加えたいと思うことです。

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