私が残念な新入生だった頃(北村編)

 「新入生だった頃」なかなか難しいトピックです、、。能島職員とほぼ同じ頃の15年前に遡ることになります。ただ、彼とは恐らく真逆の生活をしていたので、書くのも躊躇われるのですが、その時期に満たされた気持ちがあってこそ、今の自分があるのだとは強く感じています。要は、学生時代は時間がある限り遊び満たされたので、今は仕事や家事に打ち込めているのです。
 関西学院高等部から推薦進学をし、同学総合政策学部に1997年入学。まだ開設したての学部で、私たちが3期生、総生徒数は1000人にも満たなかったのではないかと思います。もちろん理工学部もない時代。面積は上ヶ原の1.5倍。生徒数は数十分の一。とにかくキャンパスを歩いてもあまり人に出会いません。図書館と食堂だけに人が集中していた気がします。日々このような場所に、往復2時間をかけ車通学していました。兄がバイトし購入した新車が、私の手により(通学距離:4年10万km)で、ほぼ廃車状態になったのは言うまでもありません。三田は遠方ながらも、抜け道の農道を探したり、三田幹線を快適なスピードで走ったり、車中でレポートを仕上げたり、寄り道したりと、苦になることもなく、授業にも休むことなく「出席」だけはできていた気がします。ただ授業内容の記憶は全くありませんが。私の友人で、元関学学習指導会理事長のM君は、教室に入ると最後列に真っ先に陣取り、教授が車でには昏睡状態に。彼が凄いのは、終了のベルがなる直前に必ず目覚め、充実した顔で帰って行くのです。「来る意味あるの?」といつ聞いても、「出席すること自体に意味がある」と胸を張り意味不明なことを言っていたのを思い出します
 さて、勉強以外の活動は、手当り次第何でもやってきました。サークルでは、バスケサークル×2つ、野球サークル、テニスサークル、そして学外の小豆島でのキャンプ団体と、当会の前身となる関学学習指導会です。あとは、友人とパーティを開いたり、コンパに行ったり、イベントをしたりと、能島職員に冷ややかな目で見られる無駄な行動に日々明け暮れている状態でした。長期休みは、自転車で東京や四国に行ったり、貧乏バスでアメリカ一周をしたり、キャンプ場に長期住み込みボランティアに行ったり、スカイダイビングしたり、真冬の日本海に飛び込んだりと、家にいる時間はほぼなかった気がします。違法な事や不健全な事は恐らくしてないものの、実がない話なのでこれぐらいで控えておきます。
 2年間は、このような感じで、特に打ち込めるものもなく、手当たり次第やりたい事に手を出してきた感じです。キャンプ活動もM君に誘われるがまま入り、当日リーダーの回数を重ねるだけのものでした。後で考えると大学の貴重な2年間を無駄にしたと思いつつ、誰かが言っていた「無駄の中に豊かさがある」という言葉も同時に感じるようになりました。とにかくこの無駄な2年間が、次の2年間で関学学習指導会に打ち込める原動力となり、その後の活動に繋がり、自身の価値観のバランスを形成しているのだと考えています。
 よく分からない話となりましたが、「有意義」だろうが「無駄」だろうが、それが「出来る時間」に、やりたいと思うことを「手当り次第やる時間」があってもいいのではないかなと今も思っています。私もまた40歳前ぐらいにこのような衝動にかられる気がしています。長文・乱文にて失礼しました。(きたむら)