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2015-03-06

セルフ・ナラタージュ #01 神里雄大(岡崎藝術座)



▼はじめに

ある作家について語る時、彼らの過去作品に言及することや、演劇史そのものを参照しながら彼らの資質をどう位置づけるか考えることは、よくある。でも、そうした切り口に留まらず、彼らの人生そのものになぜか引きつけられてしまう相手がいるのも事実だ。

このインタビューシリーズで目指すのは、私にとってそうした存在である人々のルーツを訊ね、創作の地下深くを流れる水脈を知ること。過去を語ってもらいながら、未来に通じる道をさがす「セルフ・ナラタージュ」。第1回は、劇作家・演出家の神里雄大(岡崎藝術座)。昨年の3月と、今年の1月に訊いた話をもとにして、彼の行く先を見つめる。

(聞き手・撮影:落 雅季子 写真提供:神里雄大)


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ブエノスアイレスのラ・ボカにて


▼2014.3.21 登戸

2014年冬、神里は祖母の住むペルーのリマに滞在していた。その間には第58回岸田戯曲賞に『(飲めない人のための)ブラックコーヒー』でノミネートされていたが、彼の関心はそうした日本国内のトピックにとどまってはいなかった。帰国したばかりの彼の話には、これまで/これからの彼の創作活動に通じる鍵が散りばめられており、どこか得体の知れないエネルギーに満ちていた。


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― まずはお帰りなさい。今年の岸田國士戯曲賞にノミネートされた時は、南米にいらしたんですよね。

神里 受賞については特に気にしないようにしてて……といっても気になるものだけど、当日の発表時間は、ペルーでは早朝だったので僕は寝てました。果報は寝てマテ茶。

― ……。

神里 つまんなかった? 果報じゃなかったですけどね(笑)。まあいいんじゃないですかね。次の日にはもう忘れました。

― 1月の前半から3月まで、どこにどれくらい滞在したんですか。

神里 僕の外国の親戚は、全部父方なんですが、ペルーのリマのばあちゃんちに3週間くらいいて、そのあと1週間クスコとマチュピチュに旅行して、リマに戻ってからアルゼンチンのブエノスアイレスに5日、パラグアイアスンシオンに3日です。そこからリマに一週間ほど戻ってから、叔父のいるラスベガスに2週間行きました。12時間くらいのフライトも、慣れてほとんど寝てるので何も感じなくなってきましたよ。

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マチュピチュにて



【神里雄大のルーツ】
― リマにいらっしゃるおばあさまは、おいくつなんですか?

神里 今年数えで88歳だったかな。20年前にじいちゃんが亡くなったので、それからばあちゃんは一人暮らしですね。

― おばあさまが、最初にペルーに渡られた時の経緯を教えていただけますか。

神里 もともと、僕のひいじいちゃんが大正時代の移民政策・出稼ぎで、沖縄からペルーのリマに渡りました。そして戦前にじいちゃんが生まれて、12歳くらいで大宜味村という沖縄本島北部の村に戻ってきたんです。じいちゃんとばあちゃんは家が近かった縁で結婚して、父親が生まれた。うちの父親は小学校1年生まで那覇にいて、またじいちゃんたちと一緒にリマに戻ったんですね。だから父親はリマ育ちで、20歳過ぎに北海道に留学に来て母親と出会ったの。結婚してからリマに行ってそこで僕が生まれたから、僕はペルー国籍だけど、生後半年で日本に戻って来たので、ペルーの記憶はほとんどないです。沖縄の血を引いてるから顔は外国風だけど……まあ沖縄に行けば普通の顔だよ! ちなみに叔父さんは、ラスベガスで医者をしてます。日系の沖縄系ペルー人女性と結婚して、家庭内ではスペイン語を使ってるの。日系でありながら、スペイン語を話すというのはアメリカでも珍しいらしいんです。

― おばあさまとのリマでの暮らしについて教えてください。

神里 ばあちゃんは戦後にペルーに渡ったので、スペイン語は母語じゃない。でも、日本語も抜けてきているので、いくつか言語が混ざってる感じです。僕とは日本語しかしゃべらないけど、たとえばペルー人の友達が家に遊びに来ていて、そこに僕が話しかけたりするとスペイン語になって、うちなーぐちも混ざるかな。スペイン語5:日本の標準語4:うちなーぐち1くらいで、僕と喋る時は日本語8:スペイン語2のイメージ。
今回、リマでひいじいちゃんたちの墓参りをしたんだけど、ばあちゃんにとってはすごく大きな出来事だったみたいですね。ばあちゃんはカトリックなんだけど、仏壇も持ってて線香もあげるんです。帰り際に、ばあちゃんに仏壇のことをよろしく頼まれて。前だったらそういうの嫌だったけど、今は自分がどう考えるかよりも、誰かが大事にしているものは否定すべきではないって思う。「仏壇を頼む」って言われて「自分はそういうのは信じないから嫌だ」と言うのはあまりにも子どもじみてる。今後自分がどういう生活をするかはわからないけど、責任持たなきゃとは思いました。

― それはたとえば言語が混ざっているとか、カトリックと仏壇の渾然一体さを含めて、自分のルーツとして引き受けて行くということ?

神里 さっき「日本語とスペイン語が混ざってる」って言ったけど、でも言葉ってそういうものですよね。宗教だって、いろんな人の気持ちや思惑や政治が入り込んで今の信仰のあり方になってるし、混ざってるほうが自然だと思う。ペルーって「人種」を気にしないところがあると僕は思ってて。インカ帝国時代からの民族や日系、スペイン系、中国系……いろんな人がいる。2か月弱しか向こうにいなかったから大げさなこと言えないんだけど、帰国してみると、どうもこの日本はあまりに血が濃くて、どこか違う星だとすら感じる。他者が本当にいなくて厳しいなって、自分の環境をちょっと呪うよね。外国で文化習慣があまりに違う時にくじけそうになるこの弱さが、この環境のせいなんじゃないかって思うこともあります。

― 今回より以前に南米に滞在したことはなかったんでしたっけ?

神里 20年前にパラグアイに2年住んでましたけど、南米に行ったのはそれ以来でした。自分にとっても、パラグアイの2年間がだいぶ人格形成に関わったなっていう実感がもともとあって、作るものや興味のあるテーマが直結してるのは間違いないということは今回改めて感じましたね。

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リマの沖縄県人会によるOkinawa Matsuriにて



日本人学校での生活】
― パラグアイのアスンシオンにいた時のことを教えていただけますか。

神里 父親はスペイン語と英語が出来るので、ずっと南米関係の仕事をしてるんですね。その赴任に伴って、小学校4年生から6年生まで住んでました。帰ってきた直後に、阪神大震災地下鉄サリン事件がありましたね。

― 今回の旅で、母校であるアスンシオンの日本人学校も訪ねたんですよね。

神里 この学校には小学1年生から中学3年生までが在学しているんだけど、僕が学校に通ってた時代は今の生徒たちが生まれるより前なんだよね……。時間を飛び越えて、記憶の中の場所と場所がつながるのはおもしろかった。日本人学校の先生方の雰囲気も変わってなかった。人数が少ないので、ひとつの教室に集まってごはんを食べるし、スクールバスで帰る時も先生が皆でずーっと両手を振ってくれる。家族みたいな場所です。

― なるほど。ちなみに学校にいた頃はどういうキャラクターだったんですか。

神里 恥ずかしいんですけど、僕あだなが「しんちゃん」だったんですよ。どうしてか今まで忘れてたんだけど、当時『クレヨンしんちゃん』の物まねをよくやってて、それで「しんちゃん」だったの(笑)。まあ、そんなキャラです。



【南米と日本の距離】
― 私、パラグアイっていうと「マテ茶」と「グァラニー」くらいしか知らないんですよね……。

神里 それ、僕の芝居(『グァラニーがいっぱい』2009年)で得た知識じゃん……。しかも「マテ茶」ってもはや日本語じゃん……。グァラニーはパラグアイの通貨単位ですけど、もともとはインディオ部族の名前なんですよ。パラグアイは、スペイン語とグァラニー語が公用語。地方行くとグァラニー語しかしゃべれない人もいるとか。ちなみに、ただ「マテ」っていうと温かいマテ茶を指します。水出しの冷たいマテ茶は「テレレ」と呼びます。専用の水筒をみんな持ってて、道ばたで飲んだりしてますよ。暑いので、みんな仕事してないんじゃないかな。でも、蒸し暑いというよりは、太陽に押さえつけられるような暑さなんです。あそこに行って、ことあるごとに「南米っぽい」って言われる、僕の創作イメージの根源がわかった気がしました。あの暑さと土の色ですね。太陽に焼かれたような、レンガ色の土があるんですよ。

― かつてパラグアイに住んでいて、その暑さと土の色に愛着と創作を捧げたい気持ちがあるのに、永遠に異邦人の気持ちも同時にあって、それを持て余す暑苦しさも結局その太陽に通じてしまうのが、「南米っぽい」と言われる所以かもしれないですね。大人になったことで、南米との付き合い方や距離感が変わったと思いますか?

神里 今回来ることで変わりました。最初は、無理だな、こりゃ住めねえなと思いましたが、今はわりといけそう。それも、移住というより近所の散歩感覚です。「血」の話をするなら、自分の「日本人としての血」はどうでもいいけど、「血縁」というものについてはどうでもよくないと思うようになった。ずっと離ればなれでいた血縁を、普段そばにいる他者よりも優先しようとは思わないけど、せっかく近くに来たなら会っておきたいなって。

― 遠くに自分の過去を知ってる人がいてくれるのは安心感につながるし、自分を見つめ直す足場にもなりますよね。「南米に住めると思うようになった」というのはどういう感覚なのですか。

神里 たとえば日系ペルー人は、別に「住みたい」「住みたくない」という理由でペルーにいるわけじゃないでしょう。「親が移住したから住んでいるけれど、日本の心は忘れない」みたいなことは、「選択」じゃなくて「生き方」ですから。だから、僕が「南米に住める」と言ったのは、目的が「住む」ことじゃなくなったという意味かな。「住む」ことは、手段ではあっても目的にはしてはならないという意味で「言葉を使う」ことと似ていると思うの。日本語で話してると、いかに表現するかが目的になるし、どんどん内にこもる。喋り慣れてない英語やスペイン語はもっと何かを「伝える」ためだけにあって、もどかしさはあるんだけど、一方ではすっきりする。登山みたいに、もやもや抱えたままのぼって行くと汗で流れる感じ。狭いところで考えてることを、母語じゃないものが外に連れ出してくれる、そのシンプルさですね。期間限定でも、住んでみるとそこが大事になってきて、日本で気にしてた情報や関係性はその場所ではたいしたことじゃない。それこそ、「岸田賞にノミネートされましたが、取れませんでした」という事実は、あの町にいる限り何でもなくて、自分の靴にゴミがついたことのほうが正直気になる。

― 今回3月11日に帰国したわけだけど、あれくらいの大規模な災害や大事件が日本で起きたとしたらペルーで何を考えたんでしょうね。

神里 もちろん心配するでしょう。でも恐らく、自分たちの生活は変わらない。だって、チェルノブイリの時だって日本人の生活は変わらなかったし、原発も止まらなかったでしょう。

― それは遠い日本を切り離しているのではなくて、自分とペルーの周りの環境を、より強く大事に思うということなんですね。

神里 自分の靴の汚れより原発が大事になっちゃったら身が持たないって認めてから、何かが始まると思うんだけどなあ。
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― 南米の滞在を経て、書くものや作るものが変わる予感はあります?

神里 あります。今までは、よくも悪くも人の目を気にして作ってた。前はもっと、はみ出たかったけど、無意識に枠に収まろうとしてた。今は、皆がどういう考えを持っていてもいいと思う。自分はこれがいいと思うものはいいし、やりたくないことはやりたくないって言う。前からそうは言ってたんだけど(笑)周りの反応を予測しなくていいと思ったということかな。何だか、第二の人生始まったつもりでやってますよ。




▼1年の空白

さて、この神里雄大のパーソナリティに踏み込んだインタビューをどう形にしていくべきか。考えながら原稿を整えたり、手を入れたり、温め直したりしているうちに、彼の南米の滞在をもとにした新作『+51 アビアシオン, サンボルハ』が上演されることを知った。2014年8月に行われた試演を観て、きっとこれは岡崎藝術座の新しい境地になるという予感を得た。彼の長い旅(それは時間にしてみればたった2か月弱のことだけれど)を、曲がりくねった道なりに、観客がたどっていくような体験になると思った。

試演を観るにあたり、どこにも公開していなかった手元のインタビュー原稿は、私の作品理解をひそかに助けた。いくつかの固有名詞は、すでに彼から説明を受けていたし、彼の先祖が南米に渡った経緯も、私は(作品を初めて見る人よりは)よく理解していた。だから、インタビューを公開することは『+51 アビアシオン, サンボルハ』の観客にとって有益なことになるだろうと思った。しかし同時に、これを単なる「観劇の前情報」ではない形で届けたいとも考えていた。

それからしばらくの時間を経て、私は、戯曲を書き上げたという神里雄大に連絡を取り、ふたたび話を訊くことにした。帰国したばかりの頃の感覚が、現在の日本の政治情勢や、具体的な創作活動に臨むうちにどのように変化したのだろう。自分のルーツを探る旅から、彼は何か新しいものを掴むところにたどりついたのだろうか?




▼2015.1.23下北沢

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― お久しぶりです。あれから南米には行ってないんですか?

神里 行ってないです。お金もないし、暇がない。行くならやっぱり半年くらい行きたいんですよね。

― 去年帰国された頃から日本の状況もずいぶん変わりましたけれど、日本の政治の情勢は今も気になってる?

神里 気にはなってるけど、問題なのは政治じゃないと思ってる。2011年の『レッドと黒の膨張する半球体』の時にやったのは、ある種の国民批判だったわけだけど、結局そこに戻りますね。今の日本には、他人の人生に対する「謙虚さ」が存在しない。ネトウヨもリベラルと言われる人も、みんなが相手を攻撃するばっかりで、他人の存在を蔑ろにするようなことを平気でやるのは、相手がどういう思想の持ち主であれどうなのって思うよ。ある信念を持って中東情勢に関わってた人が捕まったら「自己責任」。でもイチローが活躍したら「日本人すげえ」ってなる。でも、そういう矛盾に対して、自分も加担してる人間のひとりだし、もう日本は終わってるんじゃないかって。そんな感じですね……最近の僕は(ため息)。

― ……だとすると、今は何に意味を見出してるのでしょう?

神里 終わってるってことは何の意味も見出せないってことで、ただ「終わってる」という状況だけがある感じかな。無責任な物言いだとは思いますけどね……。たとえば僕は子どもが好きだけれども、今の日本ではつくれないなって思ってしまう……。

― そういう、ある種の閉塞感を抱えながら新作をつくっているところだと思うんですけど、今回の作品のタイトルの『+51 アビアシオン、サンボルハ』は、おばあさまの住んでいらっしゃるリマの住所と、ペルーの国際電話の国コードだそうですね。最初の「+51」は、何て読むんですか?

神里 「プラスゴーイチ」です。アビアシオン、サンボルハっていうのがスペイン語だから、シンクエンタ・イ・ウノ(※スペイン語で51)にしようかと思ったけど、わかりにくいので日本語にしました。

― 昨年の8月に森下スタジオで試演を見た時、神里さんが台本の冒頭部分を読んだパフォーマンスがかなり面白かったんですよね。自分の体験に対する内向きのベクトルがありながら、舞台が日本から遠い南米だったせいか、内にこもった独りよがりなものがなくて。

神里 今作は、僕個人の体験をもとにしているし、固有名とかの情報量が特に多いと思う。特定の人間の特異な体験やバックグラウンドに支えられて出来てるものは、見る側にフックがないからこそシンプルに行くしかないと思ってます。でも、今回は自分の体験を書きながらも、確実に外には向かってる。ひとりで抱え込んでる話ではないし、8月の試演よりドライに距離が取れてる。

― 前作の『(飲めない人のための)ブラックコーヒー』には、誘拐された女の子のエピソードとか、自分の「意見」の及ばない存在がいましたよね。今作も、演出家の佐野碩とか、ペルーのおばあちゃんたちが話の中に出て来ていて、そういう他人の生きてきた道筋を尊重している作品をつくっていることは、「日本終わってる」っていうさっきの話とは逆のベクトルに思えるんですよ。

神里 そうかもしれない。話が戻るけど、僕個人の意見で言えば原発は反対だし、沖縄の基地も県外移設するべき。それはリベラル的な考え方だとは思うし、それに相反する意見は、愉快な気分にはならない。ただし、自分の属するコミュニティの中で対話が行われた上で、自分の意見と違う結論が導かれたならそれは尊重せざるを得ない。自分がそこに留まるかは、ともかくとしてね。だから日本で国民的議論が巻き起こった上で、原発は稼働させることになったならそれはしょうがない。いちばんの問題はそこで、今は誰しも、妥協する気もなければ対話する気すら見せない。限られた人間と同じ空間にいてものをつくることで、演劇という表現形式が、観客との対話の機会を奪うことだけはやりたくないっていうのが僕の意見で、上演が、違う意見を持つ人たちが対話を通して理解を深める場であればいいと思うけど、自分がそれを操作するのもえらそうな話だなと思うから……。結局自分も演劇において、相手を自分の持っていきたいところに行かせることは演出としてやるし、常にその綱引きですよね。


【南米に住むという実感】
― 前みたいに、純粋に南米住みたいなあとはもう思ってない?

神里 住みたいですよ。でも、まだまだ日本を切り離しては考えられない。

― 生活もだけど、創作も?

神里 普段の思考はすべて日本語でおこなってるわけだから。別の言語で創作するのは、まだ現実的ではないと思う。

― 南米では英語などを使って生活していたと思うんですけど、純粋に意志を伝えるための外国語は、創作のための思考には届かないのでしょうか。

神里 今は日本にいて生活をしてるから実感がないけど、あの時は確かにスペイン語がしゃべれなくても創作出来るんじゃないか? と思ってた。だから、今ここにいる時の実感よりも、行って順応した時にどうなるかが重要なんですよ。

― それが今のモードなんですね。でも、日本で新作を無理してつくってるわけではなくて、ある種の必然性を持ってつくってるんですよね?

神里 もちろん、楽な方に流れたくないからそういう無理はするけど、つくりたいからつくってるのは間違いないです。

― でも今日聞いてきたような、神里さんの社会に対する「終わっている」モードと、作品をつくっていくための気持ちの盛り上がりがあまり一致してない気もするんです。

神里 「終わってる」といいながら、どこかで何かを待って、何かが出来ると思ってるんだよね。もし自暴自棄だったら、たぶん家からも出ないし書こうとも思わないはずだから。

― そこにはすごく興味がある。それでも何か変わるかもしれない、起こるかもしれないっていう気持ちと同時に「終わってるという状況だけがある」という気持ちなわけですよね。

神里 まあ、もっとしょうもない話かもしれない。「子どもは欲しくないけどセックスはしたい」みたいな。

― ……う、うん?

神里 誰もがみんな子どもをつくろうと思ってセックスするわけじゃないでしょ。「欲」の部分と、「現状認識」や「理性」の部分は話は別だと思う。現状認識だと今の日本はかなり厳しくて、子どもなんてつくれない状況だと僕は思ってしまうけど、欲の部分では作品をつくりたいと思う自分がいる。種として子孫を残すべきであるっていう理性的な考えも、欲がないと机上の空論でしょ。欲がないとセックスできないし。社会には、ヤクザもいれば詐欺師もいて、サラリーマンもいる。僕はたまたま劇作家をやっている。集団の中で、自分の役割がどうあるべきか理性的に考えることと、やりたいから何かをやるという欲の話は別、というのが大きな前提。

― これは今日話した感触ですけど、やっぱり神里さんが何か作品をつくる時には、絶対的に他者を必要として、想定して描いている感じはあるんですよ。

神里 「観客」って誰なのかって考えると、結局のところ、「観客」「役者」みたいな言葉は演劇の中での言い方にすぎない。普通に街を歩いててすれ違う人に「観客」も「役者」もなくて、それは「人」と「人」なんですよ。そう考えるようになってきてるのかもしれない。だから別に作り手然としてなくてもいい気がするというか。でも何事においても外部がないと、ものはつくらないですよね。少なくとも僕はそう。

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― その「外部」は状況によって変化したり進化したりする?

神里 昔は、「劇場」に観に来るお客さんのことばかり考えてしまってたけど、それがいつのまにか「東京」になって、「東京」でもなくなって、つまりそういうことなんじゃないかなって。自分で考える範囲がひろがって、身体的な意味のスケール感がもう少し出たんじゃないかなって思いますね。




▼おわりに

神里雄大と南米との深い結びつきは、彼が生まれるずっと前から続いてきた。多くの人の生き様が長い年月の中で絡みあい、彼という作家を通して日本の演劇のフィールドにあらわれたことは、時間がけっしてひとりの人間の中を一直線に流れるものではないということを教えてくれるようだ。

新作『+51 アビアシオン, サンボルハ』ツアーの開始には間に合わなかったが、1年弱の時間をかけてひとりの劇作家・演出家としての彼の話を聴き、上演される1作品のためだけではない言葉を引き出すようつとめた。

下北沢でのインタビューの最後に彼が言った「普通に街を歩いててすれ違う人に「観客」も「役者」もなくて、それは「人」と「人」なんですよ。」という言葉が今も印象に残る。彼の今見ている世界のひろがりは、彼の作品がこれから開拓しつづける地平にきっと通じているだろう。