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2014-03-25

「シアンの途中 ―徳永京子の稽古場見学記―」#1 遊園地再生事業団『ヒネミの商人』



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第1回 遊園地再生事業団 『ヒネミの商人』

見学日&場所:3月11日 @座・高円寺地下稽古場

公演情報
期間:3月20日(木)〜30日(日)、会場:座・高円寺1、料金:一般5000円
http://hinemi.roa-polo.com


〈既知〉と〈未知〉

 行く前にぼんやりと考えていたのは『ヒネミの商人』が含む〈既知〉と〈未知〉だ。これはとても単純な話で、出演俳優の中にさまざまな経験値が混在している、ということ。9人のキャストのうち、宮川賢と中村ゆうじは初演の『ヒネミの商人』を経験しているが、他の7人は初めて。片岡礼子、ノゾエ征爾、佐々木幸子は初の宮沢作品だが、笠木泉は約20年の、山村麻由美はこの数年の付き合いで、遊園地再生事業団(以下、遊園地)の正式メンバーである上村聡と牛尾千聖も、団員としての時間に開きがある。
 俳優と作品、俳優同士、俳優と演出家それぞれの関係の中で立ち現れる無数の〈既知〉と〈未知〉のレイヤーは、作品が完成するまでの過程にダイレクトに反映される。それはもちろん、ほとんどの舞台に言えることなのだが、前回の上演から21年という決して短くない時間を内包するこの作品には、そのレイヤーのグラデーションがたっぷり交差していると思うのだ。

初演の低温

 『ヒネミの商人』は1993年に上演された遊園地初期の作品で、作・演出の宮沢は、この前年に発表した『ヒネミ』で岸田戯曲賞を受賞している。2作のタイトルにあるヒネミは日根水と書く架空の町で、どちらもそこが物語の舞台になってはいるが、『ヒネミの商人』は『ヒネミ』の続編ではない。
 宮沢は、毒と無意味とスタイリッシュさとスピードを舞台に持ち込んで一世を風靡したラジカル・ガジベリビンバ・システムの活動を89年に停止、90年の『遊園地再生』からまったく異なる作風──のちに「静かな演劇」と呼ばれるもの──に転じるのだが、そこから数えて3作目のこの作品は、スタイルが確立された時期ならではの厳密さで、まさに「静かな演劇」そのものだったように思う。
 「静かな演劇」が、宮沢、岩松了、平田オリザがほぼ同時期に発表した舞台の共通点から付けられた名前なのは知られているが、当然、それぞれに違いはあって、宮沢の特色はまず、会話のあいだに挟み込まれる長い間(ま)だった。人物と人物、人物と世界の間に生じる/存在する途切れ=間(ま)を顕在化させて物語を一時停止させ、あるいはズラし、物語の進行は単線ではないのだと観客に気付かせ、思考を促した。『ヒネミの商人』初演時の長い間(ま)は、文字通り沈黙のうちに「ここで語られていないものについて考えてよ」と語りかけてきたし、そこにあった無愛想さは、岩から湧いたばかりの水のようにひんやりと、こちらの体に染み入った。

消失したもの、出現したもの

 訪れたのは3月11日で、稽古はすでに終盤の調整に入り始めたところ。銀行の営業マン(ノゾエ)が、着任の挨拶に来ただけの小さな印刷屋(夫:中村、妻:笠木、娘:牛尾、従業員:上村)で、微妙に積極的に、不条理な関わりを持ってしまうシーンが中心だった。近所の商店の店主(宮川)、妻の姉(片岡)、娘の同級生(佐々木)も、その安西家を訪れるから、登場人物のほぼ全員がひとつの場所を出入りする。

 ショックだった。笑える。俳優やスタッフの間から、そして見学者の私からも、自然に笑いが起きる。誰かがおかしなことをやっているのではない。ただ戯曲がはっきりと、笑いを指向していることがわかった。
 宮沢は、今からちょうど1年前、ラジカル・ガジベリビンバ・システムの衣鉢を継ぐ格好で続いて来たシティボーイズのライブ、シティボーイズリミックス『西瓜割の棒、あなたたちの春に、桜の下ではじめる準備を』の作・演出を手がけたが、笑いに挑んだのはそれが23年ぶりで、その間に生み出してきた舞台は──宮沢本人の普段の話や文章が、多分にユーモアを含んでいるにも関わらず──笑いに対してほとんど無関心だった。つまり昨年のシティボーイズリミックス以外で、笑える宮沢の舞台は、この20年なかったはずだ。その初期を飾った『ヒネミの商人』がこんなに笑えるなんて。
 休憩時間に、宮沢に話を聞いた。


徳永 「これ、笑える話だったんですね。と言うより、むしろ笑いを狙って書いているとしか思えないところもあって、今、とても驚いてます」

宮沢 「そうなんだよ。自分でもそうは思っていなかったし、初演の時はわけのわからないものを書いたつもりだったんだけど」

徳永 「思っていた以上に、当時の宮沢さんの体内に、笑いが残っていたということでしょうか」

宮沢 「そうなるのかな。自分では、リーディングをやった(2012年)ことが大きい。そこで、結構笑える話なんだってことに気付いた。この作品の新しさ自体が、(時間を経て)すでに変わったってことなんだろうね。ただ、(初演当時も)完成形として持っていたイメージはこれだったと思う」

徳永 「戯曲はほとんど書き換えていないですよね」

宮沢 「どうしても時代に合わない単語なんかを少し削っただけ。でも、テレビはブラウン管だし、電話は携帯じゃないし、写真は現像屋さんに頼んでるし、そういう部分(現代との違い)はそのまま残してる」

徳永 「だとすると、笑える理由は間(ま)ってことだと思うんですが。間(ま)が初演よりも相当、短くなってる」

宮沢 「うん、短くしてる。というか、短くなっちゃったね。リーディングの時から、自然にそうなってたんだよ」


 挑発的とも思えた長い間(ま)が自然に消えて、その結果、笑いが生まれた。約20年という時間が、あんなに厳かに徹底されていたものをあっさりと振るい落として、戯曲が内包していた別のポテンシャルを示した、というわけか。しかもそのイニシアチブをとっているのは、初演に出演した、つまり、あの間(ま)が1番濃厚だった時期を身体で経験した中村と宮川なのだ。中村と宮川はホン読みの時点から今のリズムだったそうで、それは明らかに全体に影響を及ぼして、笠木も上村も、これまでの遊園地では観なかった柔らかい佇まいを見せる。
 記憶の中の『ヒネミの商人』が大きく更新される。と同時に、頭の中にあった〈既知〉と〈未知〉のグラデーションが、ゆっくりと大きなスプーンでかき回される。

変化と、再演という過程

徳永 「中村さんと宮川さんをまたキャスティングされた理由は?」

宮沢 「僕が好きな俳優は、やる戯曲によって違う。今回、中村くんと宮川くんをまたキャスティングしたのは、この作品について考えた時、ふたりの存在というか、ありようが好きだと思ったから。それともうひとつ。俳優が20年という年月を重ねたということがどういうことなのか見たかったんだよ」

徳永 「そこは今、どんなふうにご覧になっているんですか」

宮沢 「再演することにしたのは、何よりこの戯曲に愛着があったのが大きいし、あの時代に書いた言葉がいまどう受け止められるか試したいと思ったこともある。それで、笠木に相談したんだよ。で、笠木もたぶん、自分がこの話に出られる年齢になってきたってことで、同意してくれたんじゃないかな。今回はかなり彼女に助けられた。過去の戯曲を読んで、そこにある役を自分ができるかもしれないと、俳優や女優が考えてくれるって幸福だよね。そこに時間の意味があるでしょう。20年があったから成立した何かっていうか。そういう意味では中村くんも宮川くんも、初演の時より高校生の娘がいるって設定は無理がない。もっと年上の子供がいてもいいくらいで、だから自然に観られるっていうか」

徳永 「初演の時の空気を記憶している人としてキャスティングされたのではないと」

宮沢 「ふたりとも覚えてないでしょ。俺もまったく覚えてないし(笑)。そもそもこの話は、スタイルよりもテーマに興味があって書いたんだよね。つまり、貨幣ってものについて考えようとしていた時期だった。これを書いたあとに『資本論』を読んだりね。ちょうど今、ビットコイン問題が出てきてわかったけど、結局、紙(紙幣)がデジタルになっただけで、幻想をやり取りしてることは変わってないんだね。それこそシェイクスピア(『ヒネミの商人』は『ヴェニスの商人』を下敷きにしている)の時代と」

徳永 「かつての宮沢作品にあった長い間(ま)は、考える時間を半強制的にくれて、私自身、そこで開かれた扉がいくつかありました。その間(ま)がすっかりなくなっていたことに驚いたんですが」

宮沢 「(自分がやっていることは)進歩史観じゃないから。大瀧詠一さんも『日本ポップス伝』とか、音楽に関する研究で常に意識していたのは、今が1番進んでいる状態ではないってことで、僕もそれはすごく共感する。いまある私達の方法はきっと何か参照先があったわけで、急に出現したんじゃないでしょう。過去がすべてだめじゃないし、過去の財産の上に自分たちの方法もあるしね。だからいろんなやり方があってよくて、今はたまたまでこういうやり方ってことだと思う」


 この10年、大学の講義や著書『80年代地下文化論』、ラジオドキュメンタリー「林美雄 空白の3分16秒」などで、広角から過去を検証し続ける宮沢が口にした「進歩史観ではない」という言葉は、力みのない口調とは裏腹に、ずしりと来た。どこまでが過去で、どこからが歴史か、今まで考えたことがなかったけれど、それがつながる場所を教えてもらったような気がした。
 再演が今回のような舞台になるとは初演時には誰も想像できなかったように、何年後かに再々演される時に、今回とも初演とは違う演出で上演がなされる可能性は、当たり前にある。舞台上の長い間(ま)は消えたが、非・進歩史観という長い時間軸が織り込まれた。さらに『ヴェニスの商人』のことを考えれば400年を越す時間が地下水のように流れているわけで、『ヒネミの商人』が含む〈既知〉や〈未知〉のレイヤーはますます増えていく。だが、時間のグラデーションを意識するのは、宮沢の舞台を観る時にとてもふさわしいことのような気がする。