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2014-02-17

F/T13学生座談会


f:id:bricolaq:20140217175612j:image:right:w300 2013年12月某日、「F/T13学生座談会」と銘打つ会が都内某大学キャンパス構内にて催された。参加条件は「F/T13(フェスティバル/トーキョー13)を何かしら観た・参加した学生であること」。twitterでの呼びかけに応じ集まった大学院生、大学生と高校生の計7名が、新たに導入された学生パスやいくつかの演目、各々の考える演劇の「これから」についてゆるりと語り合った。


◎座談会参加者

杉本央実  立教大学院映像身体学専攻
中村優子  早稲田大学スポーツ科学部
福井歩   立教大学映像身体学科
宮坂美穂  高校3年生
森麻奈美  立教大学映像身体学科
清水杏里  立教大学院映像身体学専攻

◎企画・聞き手・構成
中村みなみ 立教大学院映像身体学専攻


1.全体について(学生パス・運営など)
2.『石のような水』(松田正隆×松本雄吉)
3.『光のない。(プロローグ?)』(宮沢章夫)
4.『光のない。(プロローグ?)』(小沢剛)
5.『100%トーキョー』
6.『ガネーシャvs第三帝国』
7.字幕問題
8.「これから」について

2012-04-25

Q『地下鉄』市原佐都子×吉田聡子インタビュー


f:id:bricolaq:20120419173654j:image

「Q」主宰・市原佐都子による処女作『虫虫Q』(桜美林大学卒業公演、改題『虫』で第11回AAF戯曲賞を受賞)には、新しい才能の誕生を感じた。当サイトBricolaQで「マンスリー・ブリコメンド」を始めた理由のひとつは、そのQの旗揚げ公演『油脂越し』をさりげなく紹介したかったからでもある。しかし彼女の才能は(ポジティブな意味で)まだまだ未知数だ。慌てて摘み取るようなことは一切したくないし、とにかく今はその作品世界がひろがっていくのを楽しみに待ちたい。

f:id:bricolaq:20120425060132j:image:right:w230今回は新作『地下鉄』(5月3日〜6日)に向けての特別インタビュー。宣伝美術も担当しつつQのすべての公演に出演する吉田聡子が、「ちからさんQを紹介してくれるの嬉しいけど、でもいっつも遅いじゃん、公演間際でギリギリじゃん、GWみんな予定埋まっちゃうじゃん」と嘆いていると聞いて、それなりに火の付くものを感じたので、お互いに「さとちゃん」と呼び合うこの同級生の2人にQについて語ってもらうことにした。
(聞き手:藤原ちから 撮影:橋本倫史 舞台写真提供:Q 禁無断転載
 取材協力:kate coffee@下北沢)


▼Q 新作公演『地下鉄』
2012年5月3日(木・祝)〜6日(日)@アトリエセンティオ(板橋 or 北池袋)
website       http://qchan9696.web.fc2.com/
『地下鉄』公演情報 http://qchan9696.web.fc2.com/Q/03-chikatetsu.html


f:id:bricolaq:20120419174535j:image:left:w140市原佐都子(いちはら・さとこ)
1988年大阪府生まれ福岡県育ち。桜美林大学総合文化学群演劇専修卒業。
在学中は桜美林パフォーミングアーツプログラム(通称OPAP)で鐘下辰男、高瀬久男、伊藤千枝、坂口芳貞、などの作品に出演。2010年卒業研究として初の作・演出作品「虫虫Q」を発表。2011年Qを創設し劇作演出を担う。同年「虫虫Q」をもとにした戯曲「虫」で第11回AAF戯曲賞を受賞。




f:id:bricolaq:20120419173849j:image:left:w140吉田聡子(よしだ・さとこ)
東京都出身。桜美林大学総合文化学群卒業。近年は、マームとジプシー、Qなどに出演している他、宣伝美術などをときどき行っている。





  1. 市原佐都子卒業研究『虫虫Q』 2人の馴れ初めと処女作誕生について
  2. Q第1回公演『油脂越し』   世代を超えた感覚の違い?
  3. Q第2回公演『プール』    スカトロジー全開の超快作!
  4. Q新作『地下鉄』予告編    新作のイメージ、宣伝美術について

2011-11-05

岩城京子『東京演劇現在形:八人の新進作家たちとの対話』インタビュー


f:id:bricolaq:20080228160147j:image:right:w250演劇ジャーナリスト・岩城京子がまとめたインタビュー集『東京演劇現在形:八人の新進作家たちとの対話』が2011年11月5日に刊行される。英題は『Tokyo Theatre Today: Conversations with Eight Emerging Theatre Artists』。この本、実は和英のバイリンガルになっており、東京の演劇作家を海外に紹介するためのかなり重要な書籍になりそう。

インタビューされているのは、高山明(Port B)、松井周(サンプル)、岡田利規(チェルフィッチュ)、岩井秀人(ハイバイ)、前川知大(イキウメ)、三浦大輔(ポツドール)、タニノクロウ(庭劇団ペニノ)、前田司郎(五反田団)の、概ね30代のアーティスト8人。

既存の出版社から出すのではなく、スポンサーを募って、自ら取材・編集し、流通経路も切りひらいた、インディペンデントな書籍でもある。

現在ロンドンに留学中の岩城さんは、フェスティバル/トーキョーの「批評家・イン・レジデンシー」の1人として招聘され、1週間だけ日本に滞在されていました。そこで、なぜ今、この本を出版したのか? そして日本と海外を行き来する視点から、現在の日本演劇がどう見えるのか? 観劇取材でお忙しい合間を縫って、池袋でお話をしてくださいました。(聞き手:藤原ちから)Q



岩城京子プロフィール
1977年東京都生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒。01年より主にパフォーミング・アーツ(演劇・舞踊など)を専門とするフリージャーナリストとして活動。世界13カ国で取材を行い、年間100本に及ぶ記事を執筆する。主な執筆先に、AERA、日経WOMAN、シアターガイド、朝日新聞など。来日公演プログラムへも多数寄稿。また近年はフリーランスのアート・コンサルタントとして、フェスティバル/トーキョーなどに協力する。2010年、神奈川芸術劇場クリエイティブ・パートナー就任。2011年9月よりロンドン大学ゴールドスミスカレッジ修士課程演劇学科在籍。現在、東京とロンドンを拠点に和英両文で執筆活動を行う。




▼販売店など、書籍の詳細
→岩城京子ブログ http://kyokoiwaki.com/Archive/blog000447.html



  1. 『東京演劇現在形』とは?
  2. 日本演劇の状況
  3. ノマド的な移動感覚

1/3『東京演劇現在形』とは?


f:id:bricolaq:20111105113046j:image:right― どういった内容の本なんですか?

岩城京子 私とほぼ同世代の演劇作家たちにインタビューしたものです。私の嗜好的なセンスで編集しているので、それなりの意図をもって編み上げたインタビュー集ですね。それぞれに短い序文がついていて、ちょっとした論評になっています。が、基本的に批評書にはしたくなかった。この8人を「○○系統の人たちである」と括るのではなくて、単純にこの作家たちの存在を紹介する、広める、理解を深めるといった意図で話を聞きました。私やこの本は、それを伝えるための「媒介者」として機能すればいいと思ってます。

― 先日のブログ(http://kyokoiwaki.com/Archive/blog000445.html)も拝見しましたけども、帰国されて早々に観劇されつつ、よく書かれましたね(笑)。そこにも批評の問題などについて書かれていたと思いますが、その「媒介者」としての感覚についてもう少し聞かせてください。批評との違いはありますか?

岩城 単純に、ジャーナリストと批評家では作業が違っていると思うんです。批評家は、自分なりの意見をクリエイトする人であって、その受け手側のことはそこまで考えなくてもいい。でもジャーナリストの作業として私が考えているのは、まず「聞く」ということなんです。それは取材対象者の話を聞くだけでなく、社会的なニーズを聞くってことも大事で。そのニーズに適確に応答する形で書くことで、コミュニケーションを生まないといけない。それがジャーナリストです。その立場から人に意見を伝えていきたい、あるいは対話をしていきたいと思ってます。
 つまり批評家にとって「意見を言うこと」が第一にあるとしたら、ジャーナリストはまず「意見を聞くこと」から始まって、それを拾って、伝えて、さらに深めていく、そうした段階が必要で、一方通行というよりも双方向的なオープンさが強まる。私は批評すること以上に、ジャーナリスティックな速度が必要だと思ってるんです。

― 速度というのは?

岩城 伝える速度もそうだし、相手のニーズがこっちに伝わる速度もそう。そのやりとりの速度がないと、情報として有用性がなくなってくることもあるでしょう? そして社会との繋がりや時代を読みながら、言葉を紡いでいく、ってことを考えた時に、「媒介者」が必要とされると思ったんですね。
 出版の最初の動機としては、例えばドイツに行ってドイツ演劇について知りたいと思った時に、まずレファレンス(参照できる資料)を探しますよね。ただ舞台を観るだけだと職業的に理解が深まらないので、どういった社会的文脈でそのシーンがクリエイトされているかを考えるために。そうすると、ドイツ語だけで書かれているものと、英語でも書かれているものがある。前者が圧倒的に数は多いんですけど、私を含めた多くの外国陣はドイツ語が読めないので英語のものは親切というか、世界に対してひらかれている。それが大事だと思ったんです。フランス語であれば私は少し読めるからいいけども、読めない人にとっては、無いも同然で抹殺されるわけです。
 で、翻って考えてみると、日本ではさらに日本語で書かれているものがほとんど。これじゃせっかく面白いものを作っていても完全に閉鎖社会になってしまう。そうした不安がありました。だからレファレンスになるものを、媒介者として、きちんと自分で書く必要があると思ったんです。
 今はネットがあるとはいえ、やっぱりそれはプライマリー・レファレンスにならないんですね。例えば外国人で「日本の演劇を研究しよう!」って人が出てきた時に、最初に参照するのはやっぱり本なんですよ。それが仮にものすごく優れた研究書ではないとしても、入口にはなりうると思ったんです。

― 和英のバイリンガルにしている理由は?

岩城 まず、西洋の文脈に絡め取られたくなかった。日本のアーティストが進出した時に、まず外国の記者の言葉であちらに紹介されるんですね。それはそれであっていいんですけど、日本人が向こう側が読める言葉でも発信していくべきではないかと思うんです。なぜなら、明らかにあっちの記者よりも日本の記者のほうが日本のアーティストのことを理解しているから。

― 確かにそれなりの年数、いくつもの作品も観てきてますしね。

岩城 そう、10年くらい付き合ってきてるわけだし、そのキャリアを踏まえた上できちんと伝えたかった。しかも私は彼らと同世代っていうアドバンテージがあります。日本の中でさえも、先行世代の批評家たちにはどちらかというとネガティブな烙印を押されがちな人たちなので、そこにも異論を唱えたいと思って序文でも書いたんですけど、「彼らはポジティブに世界を捉えている」ってことを言いたかった。
 ……ええと、バイリンガルの理由でしたね。和英で書いた理由としてはもうひとつ、日本のお客さんに対して「日本の演劇は世界と繋がっているんだよ」ってことを示唆したかった。和英で書かれていると「これって外国の人間が読んでも何かしら考えうるものなんだ」といった意識で読めるじゃないですか。その意識が日本の演劇社会には欠落していると思うので、そういった閉鎖性を解き放ちたかったんです。


1  

2/3日本演劇の状況


f:id:bricolaq:20111023183058j:image:right― 日本のお客の立場としては、自分たちが日頃観ているものがどういうふうに世界の中で捉えられうるのか分からないし、逆に世界の演劇事情もよく知らないけど、なんとなくきっとこれは日本ぽいんだろうなあ、という感じだけはある(笑)。

岩城 その「日本ぽいな」を言葉にしないといけない。たぶん藤原さんも私も何かしらのインナーサークルにいますよね。そうなると、その中だけで通じる専門用語というか、言葉にせずとも繋がるようなジャーゴンが生まれていくじゃないですか。それだと外部の人間と会話ができなくなっていきますよね。

― ジャーゴンって要するに、究極は、女子高生言葉とか2ちゃんねる用語のようなものですね。

岩城 そうそう。秘境の言語みたいになっていて。

― 極東の秘境……。

岩城 ほんとにそうです。その極東の秘境の部族が、部族内の言語で会話をしている。もちろんそれは世界のどこにいっても大なり小なりあることですけど、日本の演劇界にもそういう閉鎖性があって、だからなるべく外部の人間と話せるだけの意識が必要だと思うんですね。それは観る人だけじゃなくて作家もそうです。例えば、前田司郎さんが時間の概念について語っているとして、外国の人から言わせたらそれはベルクソンがもう言ってるじゃないかとか、あるいはタニノクロウさんの作品に対して、それはロバート・ウィルソンやマルターラーとどうつながってるんだ?、といった質問がおそらく出てくると思うんですね。その問いに答えうる言葉を、もちろん「どうでもいいでしょ」と言いたくなるのは十分理解したうえで、彼らはつくっていかなくてはいけないと私は思う。でも日本にいるかぎり、それはわりとしなくてもいい作業になるから。

― なるほど、海外の文脈と接続されることで、作家の言葉も鍛えられると。そういう意味では、チェルフィッチュなんかは各地でそういった経験を積み重ねてきたようにも思えますね。

岩城 ええ、岡田利規さんは自分なりの言葉をそれなりに作られているし、そうでしょうね。
 ロンドンの大学院に身を置いてみてよく分かったことなんですけど、ロンドンでは言葉の重みが十倍くらい重いんですよ。パブリックな発言は全部記録する。例えばよく山海塾の天児牛大さんが仰るんですけど、15年くらい前に喋ったことを「ニューヨークタイムス」の記者が取材中に持ち出してきたりすると。それくらい言葉への重みを捉えてジャーナリズムをやっている人たちを相手に、どんな言葉を発していくのかが問われますよね。

― 先ほどのブログを拝見しても思ったんですけど、岩城さんの文章はどこかで外国語に翻訳しうる言葉だなと感じるところがありました。常にではないにしても、翻訳可能なものとして行き来する言語訓練をされているんだなと感じます。どうしても日本語って、阿吽の呼吸的な……

岩城 うん、そこがいいところでもありますけどね。日本人ってちょっとしたエスパーになりえますよ。最近、帰ってくるたびに思う。言葉がなくて会話してるなって。テレパシーですね。

― ええ、『猿の惑星』でエスパーたちが核戦争後の世界で核を崇めてるっていう皮肉がありますけど、まさにその絵図ですよね。ガラパゴス、とも言われてますけど、きっと日本でも独特の文化輸入の仕方はあったんです。そもそもかつては様々な形で大陸文化が混入してきたと言われているし。でも戦後にかぎって見ると、60年代ビートルズ以降の洋楽輸入のようなものがあって、しかしそれも飽和状態に陥り、今度は輸出だって時に、オタク文化が国の代表のように称揚され始めたのが20世紀後半の大きな流れだったと思います。ただ、日本にあるのは「Sushi」や「Otaku」や「AKB」だけではない、といったこともそろそろ示され始めるのではないかと思うし、その意味でもこの本は重要な役割を果たすと思います。

岩城 社会学者のブルデューも言ってましたけど、西洋では「ファンクションよりもフォームのほうが優れている」って感覚で美術を残していく。ところが日本に入ってきた文化がどう変容していくかというと、全部ファンクションになっていくんですよね。日本は明らかに機能性を追求していて、インフラも整っていて便利なんだけど、ビートルズでもなんでも記号的に消費していく中で楽しんでいる感じがします。演劇も「演劇好き」っていう機能をまずは装備して、何かしらのサークルに入る。そういう消費の仕方をしている気がする。

― 機能と記号が結託して、消費していくようなエンターテインメントがしばらく主流だったということでしょうか。やっぱり「戦後」を立て直すにあたって、日本人が最も得意としたのが機能性だったのかもしれないですね。もちろん日本にも、柳宗悦の民芸運動のような意味での生活必需としての機能性の再発見はあったと思うんですけど、今のお話はおそらくそういった意味ではなくて、戦後日本の急速な近代化・ポストモダン化における大量生産・大量消費的な効率追求主義であるとか、80年代以降の広告文化の台頭といったことですよね。占領され、アメリカナイズされていく過程で、その部分がより肥大していったのかもしれないし。日本にも様式美はあったはずだけど……。

岩城 うん、谷崎潤一郎とかね。

― 『陰翳礼讃』なんて、厠の暗さとか……(笑)。岩城さんはあまり日本に居なかったけども、この数カ月の東京の節電騒ぎでは否応なく思い出しましたよ。

岩城 すごくあれは納得というか。あの時代に生きてみたいとたまに思ったりすることもありますね。

― 最近日本の演劇を観ていて思うのは、とにかくどんどん消費していく感じだなと。その感覚はお客さんだけじゃなくて、作り手にさえある気がしていて。これ、大丈夫なのかな、どこに行こうとしてるんだろうっていう。

岩城 それはありますよね。数打ちゃ当たるみたいな感じになってる。そこは市場自体がルーティーンで回ってるから作り手に数を要請するってこともあるだろうし、もっと根本的なことを言えば、日本の作品は国際マーケットに乗っていかないので、チェルフィッチュみたいに1作つくれば20都市以上回れるとかだったらそんなルーティーンは必要ないわけです。でも日本だとそれで暮らしていけない。しかもフランスみたいに助成金が付くわけでもない。でもその上で、そこで踏ん張らないと。
 お客さんにしても、ごく簡単なことを言えば、作品を観た後に何時間考えるか。単純に物量としてそこが少ない気がします。「面白かった〜、じゃあ次、何観に行く?」というルーティーン消費になってますよね。

― ツイッターも公演の告知には役に立つんだけど、わりともう感想のフォーマットが完成してきちゃったというか、「〜必見!」「〜観るべし!」「〜観たほうがいい」とか、できちゃってますね(笑)。それはもうその人の言葉なのかどうか。そして本当に作品を観て感じているのか。うまいこと言うために観るのでは本末転倒なわけです。むしろ「よっ、○○屋っ!」みたいなのがあればカラッとしていて面白そうだけど。

岩城 かけ声……(笑)。つまりこの国は、忘却の文化だと思うんですね。戦後の占領されたことについても忘却している。韓国人も中国人も、おそらくこんなに簡単に忘却はしないですよ。これは前に進むためのひとつの才能だとも思うんですけど、許容と忘却は違うしね……。なかったことにしちゃう忘却の文化が日本にはある。ツイッターも、流れていく情報じゃないですか。言ったきり、流れていく。でも本にするっていうのは、スタティックな情報なので、固定する、軸を据えるって作業をしなくちゃいけなくて、それはある程度自分の発言に勇気がないとできないことではあるんですけど、それに対してだいぶ身構えちゃう感覚の人が増えているのかな、って帰ってくるたびに思います。
 そこは単一民族で、阿吽の呼吸で分かっちゃうからかもしれない。最先端の言語ってたぶん、阿吽なんですよ。言葉は遅れてしまうから。でも一回そこでスタティックな情報をつくっておかないと、そこからの議論が始まらない。

― 議論を前に進めていくための、基本の土台のようなものが必要ということですね。最近その必要性は非常に感じます。

岩城 こんなこと言ったらアレですけど、こうした本を出版するにあたって、私は最適な人間ではないと思うんですね。もっとふさわしい人はいる。ただ、唯一私にアドバンテージがあるとしたら、インサイダーとして10年演劇ジャーナリズムをやってきたのと同時に、アウトサイダーとして外側の人間にどう伝えるか、その両方があるということです。そうでないと、インサイダーにしか伝わらないジャーゴンの言葉になっちゃうから。
 例えて言うなら、この本は、ものすごいラーメン通の人が書いたラーメンガイドではないんですよ(笑)。ただ、たまたま外国のラーメンにもそれなりに詳しくて、比較文化的、社会学的に日本のラーメンについて書ける人。それが私なんだと思う。だから単純に日本の演劇の専門家から見たら、浅いと思います。ただ私はロンドンで演劇社会学を勉強していますし、そうした視点もひっくるめて書ける人は少ないと思う。


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3/3ノマド的な移動感覚


f:id:bricolaq:20111023183120j:image:right― 岩城京子って謎の人ですね。変な話、日本に拠点を置いたままでもたぶんそれなりに重要なキャリアを順調に重ねていけたようにも思うんですけど、ひとつのところに留まらないから、今回もせっかく本を出すのに、その発売日に日本にいないっていう(笑)。

岩城 何してんの?、って感じですよね(笑)。でもその生き方は気に入っていて。定住するとヒエラルキーが生まれるので、そこの闘いに巻き込まれてしまうんですけど、移動し続けるとそんなものはなくなるじゃないですか。素浪人みたいに道場破りをしていく必要はありますけど。

― そのノマド(遊牧民)的な感じが面白いですね。物事への執着の仕方が違うのかな……。でも一方で、何度かお話した中では、ある種の郷土愛も感じますけど?

岩城 そこは明快に言葉にできない感覚はあるんですけど、震災が起きた時に、やはり日本は大切な場所だという意識が出てきたのはあります。というのも地震の時、私はたまたまフランスにいたんですけど、飛行機が飛ばなくなって、日本に入れなくなっちゃった。で、4月に帰ってきた時にはもう、今までの日本とは全然違うだろうと覚悟してたんですけど、そしたらわりと普通だったのでそれはそれで怖かった。……でもなんか、余命少ないお婆ちゃんとしての日本を看取るみたいな感覚で、日本が失くなっていく感じもあって。故郷を喪失していくような感覚を肌身で感じたんですね。それは他の国に対しては絶対ありえないことだと思う。

― 昔から様々な国や地域を転々としてらしたんですよね?

岩城 親が転勤族ではありましたしね。

― ほんとはそのあたりをお聞きしたいと思いつつ、時間がなくなってきてしまったのでいったん演劇の話に戻しますけども、以前、TPAMの丸岡ひろみさんに雑誌「エクス・ポ テン/ゼロ」でインタビューさせていただいた時に、チェルフィッチュにしても快快にしても、やはり海外では日本のカンパニーは「日本人」「東洋人」としてのオリエンタリズム的な受容を避けがたくされてしまうのではないか、といった議論が(インタビュアーの佐々木敦から)出たりもしました。日本のアーティストが海外で実際どのように受容されるのか、気になるところなのですが、そのあたりはどう感じていますか?

岩城 まず、西洋の人たちにオリエンタリズム的な見方があるかどうかで言えば、個々人で違うと思います。まったくそういうものがない人間もいます。それから、そういった絡め取られ方をすることを許容・利用している日本の作り手もいるでしょう。ただ私個人の意見を言えば、(オリエンタリズムという概念は)もちろんエドワード・サイードとかが随分昔(1978年)に疑問視した話であって、もう一切、個人的にはそういう概念を排したいんです。これだけ流動的な世界になってきた以上、国家の枠をつくること自体が私の中では……この考えはまだマイナーなのかもしれませんけど、でももう国家の枠組みを外して考えたほうが気持ちがいいと思うんですね。
 今後どんどん、特に先進国であれば変わらなくなってくる気がするんですよ。日本人だから能や狂言に親しむべきだとか、お琴の音楽に郷愁を感じるべきだ、みたいなのは、今でもすでにありえないし、シンパシーも感じないし、私自身、アメリカに住んでいたので郷愁と言えばアメリカの音楽かもしれないし、母親が家で流していた英国系のロックとか父親が好きだった落語とか、バレエを習っていた時にはチャイコフスキーが好きだったりとか、結局そういったもののミックスじゃないですか。だから「日本だから文化的にオリエンタリズムで……」とスタティックな枠で考えるのは視野が古いと思うので、自分としてはできるかぎり取り除きたいですね。
 ポストモダンとかモダンとかの括りじゃなくて、アルターモダン(http://en.wikipedia.org/wiki/Altermodern)っていう概念があります。イギリスのテイトブリテンで2年くらい前に、キュレーターが個展を開いてその言葉をつくったんです。それは、モダニズムがある絶対的なものの見方があるものだとすると、対するポストモダンはそれが崩壊して個々人がバラバラの生き方をするからまとまりがなくなっちゃうと。しかしアルターモダニズムはそれとも違って、いろんな国を渡り歩いて文化を練り上げていくという、多文化主義的な感覚なんです。そこでは縦軸の「国家」ではなくて、横軸の「移動性」で文化を編んでいく。それに近い形で私はこの本を書きたかったんですね。

― 移動性によって編み上げていく、という感覚はとても興味深いですね。ノマド的ネットワーカーがそうした編集なりキュレーションなりを実現していくということでしょうか。

岩城 今はまだ数は少ないと思うんですけど。

― この本は部数を300部しか刷らないそうですが、ほんとはもっと大々的に出していただければもっと広がりも出そうなんですけど……。でも、ひとまずは数は少なくてもそういったノマド的なネットワーカーに届くといいですね。

岩城 先ほども言ったみたいに、プライマリー・ソースとして参照できる資料がないのは致命的なので。未だに日本の現代演劇を知るための本が、極端なことを言えば、鈴木忠志の英訳本とかになってしまうのでは、さすがに困ってしまいますよね。

― まだ出版前ですが、現時点で海外での反応はありますか?

岩城 それは思いのほかロンドンに居ても感じることで、今度ロンドンのジャパン・ソサエティで、前田司郎さんのリーディングの前に、この本の内容をふまえつつ、日本のコンテンポラリー・シアターについてのプレゼンをしてくださいと言われたり。ロンドンのヤング・ヴィック劇場の前に書店があるんですけど、そこの書店員さんに直談判で営業しに行ったら、そういう本はこれまで全然なかったし置いていい、そして裏の劇場で出版パーティしていいからと無料で貸してくれることになって。ベルリンの書店の反応も良かったりとか。カルガリーの劇場のディレクターの人からも連絡がありました。

― インタビューしたこの8人はどういう意図で選んだんですか?

岩城 序文にも書いたんですけど、この人たちをひとつの枠では括れない。ただひとつ共通点を挙げられるとしたら、「現実に対して肯定的に捉えている」ということ。否定的に捉えていると言われがちな人たちですが、実は自分たちの現実を受け入れた上で、それに向き合っている。もうひとつ言うと、ものすごく自分の好みに対して絶対感を持っている人たちです。何を言われようが人の言うことは聞かんぞ、というくらい自分のやりたいことを強く持っている人たち。若干そうじゃない人も入ってますけど、でも今の流れとか世間的にこうしたほうがよいといった部分が少なからずあるにせよ、最初の段階では自分の好みから始めた、という絶対感がある人を選んだ。やりたいことがある人ではないとアーティストとして信用できない。マーケティングをして何かを始めるのならアーティストじゃなくてもいい気がするので、そうした人は選ばなかったですね。

― 年齢としては高山明さんだけ40代で、あとは30代ですね。

岩城 自分と同世代であることで私が理解しやすい、ってこともありましたけど、あとは年齢で切ることによって、ある程度の社会事象のようなまとまりは出てくる。とはいえ「こういう社会性を持った人たちですよ」というまとめかたは私自身はしてないんですけど、読み通すことによって見えてくるものはあるはずです。東京の現在はどうなっているんだ、ってことを理解できる本にもなっていると思う。

― 無理な括りはしていないけれども、文脈は紹介しているわけですね。

岩城 社会的な文脈もひっくるめて「演劇」だと思うので。だから例えばものすごく審美的なことだけを取り上げて作品批評をするのだったら、作品のディテールとかの質問をすると思うんですけど、そういうことはこの本ではあまりしてないです。どちらかというと「今なぜこういうものを作るのか?」という社会的な文脈なり切り口からの質問をしています。

― 前田司郎さんとか、どう答えてるのか気になりますね。

岩城 すごいちゃんと答えてくれてますよ(……しばらく前田司郎についての話)。人格も現れているかもしれない。その人の言葉がなるべく出るようにと思って書きました。

― わたしも彼らのインタビューを文字にした経験がありますが、みなさん、独特な言い回しや語彙を持っている人たちですよね。それを英語に訳す上での困難はなかったですか?

岩城 困難でしたよ!(笑)。日本でまず書いて、7月に外国に行って今度は英語で書き始めたんです。そしたら私の頭の中も英語になってるんで、元の日本語の文章が何を言ってるかちっとも分からない。主語がないとか、繰り返しがいっぱいあるとか。岡田利規さんが特にそうなんですけど(笑)、それもう言ったじゃん、みたいなことがずっとループで繰り返されていたり。

― ミニマルミュージックみたいな(笑)。

岩城 そうそう!(笑)で、英語脳になってた私は余剰分をカットしちゃったんです。だからエッセンスが凝縮されているので、かなり読みやすい文章にはなりました。とはいえ彼らの言葉遣いではあるんですけど、少し構築されている雰囲気になっているのは、英語で書いた後でもう一回日本語も書き直したからですね。

― ということはつまり、日本語で書いて、英語で書いて、また日本語で書き直したわけですね。その往復は、文章の強度があがりそう。

岩城 日本語の不明瞭な部分はクリアになりましたね。論理的に筋の合わないところが見えてきますから。面白い作業でした。それでもやっぱり日本人が話す言葉ではあるので、外国人が読んだ時に不思議なところはあると思います。これは説明が不十分だとか、質問に対しての答えになってないとか。

― ロンドンでは、やはりロジカルに思考する傾向がありますか?

岩城 ロジカルかどうかってことは日本人もそんなに変わらないと思います。ただあちらでは、質問されたことに関するマナーがロジカルっぽいんです。そうしないと失礼になるらしいので。だから決してあちらの人が特別に論理的に頭がいいわけではない(笑)。例えばフランスではフォーマルな場で質問する時、まずウィーかノンで答えられるような質問をしなくちゃいけないんですね。それが建前上のマナーなんです。一方答える相手は、ウィーかノンだけを答えるのでは、それも相手の仕事量に対して失礼に当たる。だから少なくとも、2センテンスは話せと(笑)。それがマナーなんですって。イギリスでもまずは結論を出す。それは結論が最後にあり、それさえもあるかどうか分からない日本語の構造とはまったく違うわけですよね。

― ……といったところで時間になってしまいました。スポンサーのお話やなぜインディペンデントで出版されたかなどもぜひ伺いたかったところですが、それはまたの機会にと思います。本の完成、楽しみにしています。ありがとうございました。Q


  3



 

2011-05-22

じゃがいもハニーとフロンティアについてクタクタ語る


BricolaQに最初に登場いただくのは、インストルメンタル・ユニット「じゃがいもハニー」のお二人、PjとTK。……といってもたぶん多くの方はご存知ないだろうけども、その正体が劇団マームとジプシーの召田実子(女優)と藤田貴大(作・演出家)だと聞けば、おおー、とざわめく人も少なからずいるのではないだろか。テーマは(事後的に)「フロンティア」について。クタクタと語ります。Q


▼マームとジプシー
藤田貴大が全作品の脚本と演出を務める演劇団体として2007年設立。同年の『スープも枯れた』にて旗揚げ。作品ごとに出演者とスタッフを集め創作を行っている。08年3月に発表した『ほろほろ』を契機にいくつもの異なったシーンを複雑に交差させ、同時進行に描く手法へと変化。09年11月に発表した『コドモもももも、森んなか』以降の作品では、「記憶」をテーマに作品を創作している。シーンのリフレインを別の角度から見せる映画的手法を特徴とし、そこで生まれる「身体の変化」も丁寧に扱っている。また、役者が本来持つパーソナリティーを観察し、劇中の人物と擦り合わせを行うことで生まれるリアルなドラマや個々の質感を作品に大きく反映させている。10年2月アゴラ劇場演劇フェスティバル 冬のサミット2009に参加し、『たゆたう、もえる』を発表。10年5月『しゃぼんのころ』を発表。10年11月に発表した『ハロースクール、バイバイ』ではKYOTO EXPERIMENT2010フリンジ企画"HAPPLAY "とF/T公募プログラムに同時参加し、ある一つのシーンをあらゆる人物の視点から描き好評を得る。11年2月『コドモもももも、森んなか』では坂あがりスカラシップ2010対象公演として再演。11年4月の『あ、ストレンジャー』ではチケット発売日から3日で販売予定数が全て終了となり、Twitterなどで話題になった。次回作は11年6月、7月、8月と続く連作公演『かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界。』
http://mum-gypsy.com/



f:id:bricolaq:20110523000622j:image:right:w300▼じゃがいもハニー
Pj(こと、召田実子)とTK(こと、藤田貴大)によるバンド のような、のような、もの。お芝居の挿入歌の作曲がきっかけ。主にマームとジプシー公演時に活動。即興性が強く、再現性の低いところが特徴。最近は、楽曲アレンジに宝トミー(こと、田中里実)の協力を得、劇中のサウンドを刻み始めている。技術は無いけど、フィーリングでここまでやってきた田舎者バンド。
試聴:http://mum-gypsy.com/music/music.php


  1. マームとジプシーという創作集団
  2. 稽古場から、午後2時の太陽
  3. 食のフロンティア

1/3 マームとジプシーという創作集団

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目下のところ彼らは、マームとジプシー夏の3連作『かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界。』の稽古中。そのある日の稽古後、荻窪の焼き鳥屋でクタクタと語ってみた。Q

 

◆―― じゃがいもハニーっていつも何してるんですか?

TK(藤田) 最近はただ、語ってんだよね。
Pj(召田) うん、クタクタ語ってる。

◆―― CD「アッコねこ」に「擬音語についてクタクタ語る」っていう短い座談会が収録されてて、「ふゃ〜ゃ」みたいな変なハモり声が出てましたよね。文字に置き換えられないような。あれ、良かったなあー。

TK 擬音語って、入れるとちょっと間抜けになるのが面白いんですよね。あと他の回では何について話したっけ?
Pj  「無音」についても語ったね、こないだ。
TK 年に2、3回、実子とはそうやって明け方まで話すんです。
Pj  夜のテンションで。
店の人 はい、お待ちっ!
TK あ、ハツ来た! ここの超うまいから、ハツ観変わりますよ。
Pj  じゃがバターも来た! こないだよりいっぱいある。嬉しい。
TK じゃがいもハニーはこういうクタクタなことしか語れませんけど、いいんすか。

◆―― うん。じゃがいもハニーの連載ページ欲しいくらいです。「召田実子の人生相談」とか実は前からやりたかったし。

Pj  真剣に答えるよ、それ。……ん、これ何? こまいの一夜干し?
TK んまーい

◆―― 2人はもう7年もの付き合いとなると、盟友みたいなものですね。

TK (もぐもぐ……)ハタチになる前はらへすはらね。……でも実子は最初、黄色い水泳帽みたいな変なの被ってたんですよ。
Pj  そう、オシャレしてたの。
TK それで人見知りしてて可哀想だから、って成田亜佑美が仲間に入れてあげたんです。慈悲の気持ちで。
Pj  ……
TK 僕は桜美林に入学してすぐ、映画のワークショップで実子に出会って。こんな可愛いイモみたいなやつがいるんだなーと思った。
Pj  ……
TK でも逆に僕のほうは実子にドン引きされてたんですよ。
Pj  だってあの頃の藤田くん、ほんとに目がイカれてて、ヤバい、この人と話したらアカン、絶対話さんわと思ってた。
TK バカだったんですよ。上京して東京の人にナメられたくないと思って、あえて悪趣味な格好して。
Pj  サングラスとかね(笑)。
TK 目、合わせたくないから。むしろ逆にただの田舎モノだったなー。
Pj  すんごいカラフルなコンバースとか履いてたしね。
TK でもね、実子はほんとには引かないで付き合ってくれたんです。これ、何度でも言うけど、僕が自転車泥棒で警察につかまった時に、ずっと待っててくれたんですよ。だけどその時に実子が手に持ってたのが、なぜか、おにぎりとモンブラン……(笑)。
Pj  もうひとり友達がいたから、その子に「大丈夫だよ」って言ってあげようと思って……
TK その子も今、マームのチラシを作ってくれたりしてますね。
Pj  みんなわりと、一緒にやってきた人たち。だけど私、たかちゃんの作品自体にはそんなに出演してなくて。制作やってたから。
TK そう、俳優もみんな制作とかでサポートに回れる子が多いんですよね。

◆―― その制作能力の高さは、桜美林大学出身の人たちの強みかもしれないですね。いわゆる「劇団員」って形でのメンバーシップではないけども、高いレベルでマームとジプシーという集団を支え合っている。

TK 劇団として団結する……や、「団結する」って言葉をあえて使うけど、そういうことは1ミリも考えたことないんです。でもみんなひとつの作品に向かって走ってる、てのは確かにあるし、作品のためにしかマームとジプシーを稼働させてないって共通認識もある。ただ、作品をやる時にもっと強くなければ、とは思ったんです。柴さん(柴幸男)と横浜の急な坂スタジオで対談した時(http://p.tl/x9fr)には「兵士を作りたい」みたいな言い方したけど、そういう意味では劇団というやり方を放棄してるわけではない。長いスパンで継続して付き合わないと出てこないものはあるし、実子とも7年やってるからこそ面白いところも分かるんです。一緒にやってるメンバーとしては、あっちゃん(成田亜佑美)も伊野(伊野香織)も、8年目になる。その点で、まるまる(荻原綾)とか尾野島さん(尾野島慎太郎)は僕の中ではわりとニューウェーブですね(笑)。高山さん(高山玲子)もそう。だけど継続して作業を重ねていくことで、彼らの中にももっとディープなところがあることが分かってきた。今までやってきた、波佐谷さん(波佐谷聡)、あっこ(斎藤章子)、ミドリカワ(緑川史絵)もそう。8月までは、チームとしてもっともがくであろうと思います。

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2/3 稽古場から、午後2時の太陽


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詳しくは以前、別のところで書いたけども、マームとジプシーの稽古は、「台本を渡す」→「役者が暗記」→「稽古で他と合わせる」といった手続きを基本的には踏まない。そこでは、役者に求められるのはテクストやその発語のタイミングを覚えることではなく、セリフの背後に広がっているイメージをつかみとって、その声や身体を通して舞台上に何ごとかを顕現することだ、と思える。そのやりとりの中からセリフが生まれることもあり、藤田は稽古場に置いたパソコンでリアルタイムに台本を書き換えていく。「戯曲を書くこと」と「俳優を演出すること」は、少なくともここではひと繋がりの、スリリングな緊張を伴った行為のようである。Q

 

TK 台本を配らないのは、俳優が芝居の全貌を見てしまうのが嘘っぱちに思えるのもあるんですよね。例えば実子はある女の人のセリフだけを必要としてるのに、台本には全部のことが書かれてしまってる。そこが見えちゃうのはどうなのかって疑問があるんです。今はまだ公演2カ月前ってこともあるから、みんなで笑い合って、そこから出てきた言葉に動きを振り付けていくほうがピュアな気がしてますね。

◆―― 大雑把な言い方になるけど、20世紀って「書き言葉=エクリチュール」の力が強かったと思うのね。出版やアカデミズムの仕組みが確立されたってこともあるし。文学や演劇にしても、明治以降の西洋文化を輸入してきた経緯があるから、オリジナルの戯曲(テクスト)への信仰はどうしても強くあったと思う。マームが稽古場でやってることは、別にそのことへの反抗や否定ではないと思うんだけど、とはいえすごく見ていてしっくり感じられるというか、フレキシブルな流動性のようなものを生み出してる気がするんですよね。そこから舞台表現の持てる豊かさが開拓される感じがするというか。

TK もちろん、書き物として、作家として、強くなりたいと思ってますよ。そこは。

◆―― 作家単体として、ってことですよね。それは分かります。でもこないだの「ユリイカ」(2011年5月号)の文章にしても、『〈建築〉としてのブックガイド』に書いてくれた原稿にしても、藤田くんはじゅうぶん机の上で書ける人だと思うんですね。だけど稽古場って、映画作家や小説家には持ちえないラボラトリー(実験室)ですよね。今日の稽古でも、召田さんの「何もないじゃない、かー!」のセリフが出た瞬間にシーンが強く動いて変なグルーヴが発生してたし。

Pj  (笑)

◆―― あの展開は、召田実子という俳優の存在とか、あの稽古場の時間を抜きにしてはありえないことだと思うんですよ。

TK そう、ほんとに今日はあのセリフひとつでひらけたものがありますね。戯曲について思うのは、机の上で完成させちゃったら動かせないものが出て来ちゃうってこと。例えば今日水道が止まったとか、日々状況は変わるし、そこに影響されたいんですよ。もちろん、みんなの日常を全て拾うことは無理。恋人の日常を分かることが無理なように、それをしたら破綻する。ただ僕は僕なりに一生懸命生きてて、生活の中で日々いろんな変更点がある。それを入れられない作品は作りたくないんです。それに机上で完成させてくと、過去のものを見ているような気持ちになっちゃって、そしたら、自分の中の純文が壊れてくと思うんです。

◆―― 純文って?

TK 例えば梶井基次郎の『檸檬』の、あの形式美。丸善の本棚の本をガタガタ重ねて、上にレモンを置いて丸善を出ていく、そのレモンが爆発するんじゃないかって妄想しているような。

◆―― へえー、ふつう純文学っていうと、むしろ確定された過去のテクスト信仰に近づきそうなものだけど、藤田くんの中では逆にもっと「今」を生きてる感じなのかな。

TK 梶井基次郎ってたぶん一篇の小説を書くのに凄い時間を費やした人だと思うんですね。未完の短編とかありながら31才で亡くなったんですけど。

◆―― ほんとに昔の人は早世だよね……。30歳そこそこで死ぬかもしれないって人生観と、まあ70歳過ぎまでは普通に生きるだろうっていう現代の感覚とは違うだろうね。

TK そうですね。結核とか、マジで治しようのない病気が今より多かったから。ほんと昔の作家のモチベーションは違うんだなってことを、20世紀とか21世紀って言葉を聞くとあらためて思います。尾崎翠さんなんて、机に座りすぎて下の畳を腐らせてるんですよ。僕も稽古場では地べたに座りたいし、公演でも開演ぎりぎりまで役者とコーヒー飲んでくっちゃべっていたい。
Pj  床を腐らせるのね……(苦笑)。
TK 宮沢賢治とかさ、自分がガブガブ血を吐いてる最中に見た空はなんて透き通ってる風でしょう、みたい文章読むと、お前!って思うよね。あんなことはないよ。

◆―― そんな話を聞くと、病床で結核を患っている正岡子規のこととか思い出しますね。

TK そう! 布団で横になって見てるから、画面の中で木が横になってるはずなんですよ。漫画家の高野文子さんも、具合悪くて倒れた時に、弟の足が目の前にある映像を描いてたり。僕はそこをやりたいんです。そこが自由自在になったらヤバいと思う。

◆―― ああ、今日、稽古場でも実際にちょっとやってましたよね? あれを見て、ついにこの人たち重力と戦い始めたなーって思った(笑)。

Pj  うん、戦い始めた(笑)。

◆―― 夏の3連作のうち、7月の『待ってた食卓、』は初めての北海道公演で、藤田くんにとっては故郷(伊達市)への凱旋にもなると思うけども、北海道という、あの大きなフロンティアだった土地だからこそ生まれるものもありそうですね。開拓者たちの夢とか挫折とか、あったと思うし。

TK すごくいい作品になると思いますよ。今までは「町」っていうのを1時間半なり2時間なりの尺で描いてたけど、今回の夏の3連作を全部見てくれたら、きっとクロニクルの全貌が見えてきて絶対面白いと思います。

◆―― ここ数作、「町」のランドスケープを見せることにこだわっているように思うけど、今日の稽古場では、登場人物たちそれぞれの距離感みたいなのが見えてくる気がしました。

TK そうですね。言葉は悪いけど、ホームレスのおじさんが貧しくても、気が狂ってても、「午後2時」とか「朝」とかって時間は平等に訪れますよね。例えばある町の空を飛行機が飛んでたら、その音をみんな聴くことになっている。その「そうなっている」感じが今、気になるんです。そこは平田オリザさんの『演劇入門』に書いてあった「セミパブリックな場所」とか「運命共同体」って言葉から引っかかってきたところではあるんだけど、でも僕の芝居が描くのは同じところに向かって運命を共にする人ではない。もっとノイズがあるというか。だけど午後2時に誰かがどこかにいるってことは平等にあるんですよ。

◆―― 最近の作品で、三人称とか神の視点とかでもない、偏在性のような別の語り手がどこかにいるような気がするのは、その辺りにヒントがあるのかもしれないですね。例えば『あ、ストレンジャー』では、床に描かれてある地図を太陽の光が照らしていたわけですけど。

TK あの太陽もまさにそれで、部屋の中にいても外にいても、太陽が今昇ってるって感覚はどこかで体験してるはず。そのあたりがここ数作の、「町」のランドスケープを見せたいという発想にも確かに繋がっていると思いますね。


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3/3 食のフロンティア


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夏の3連作『かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界。』は、「食」をテーマにしている。これまで人間の「記憶」をテーマの中枢に置いてきたマームとジプシーが、その「記憶」を現実世界に具現化するものとしての「食」に強い関心を示し始めたのは、必然といえばそうかもしれない。我々は一軒目の焼き鳥屋を出て、荻窪の路地を歩いて、近くにあった中華屋に入った。Q

 

TK 4月ってどんだけ長かったんだろう……。終わる時涙が出たくらい。SNACでの『あ、ストレンジャー』が1年前くらいな気がしますもん。そのあと北海道に夏の公演の下見に行って、立て続けにワークショップして。ほんとにずっと休みがなくて、何、この砂漠みたいに乾ききったものは?っていう。
Pj  渇いてんのか、潤ってんのかねえ。

◆―― ピータンでも食べますか。そういえばこのお店、前に超ヤバいお酒飲んだことあった。へんなのが入ってたの。見たことないものが……

Pj  物体?

◆―― や、物体ではなかったかな……。あ、これだ、「至宝三鞭酒」!

Pj  何これ。鹿、オットセイ、山狼?

◆―― ……の外生殖器で醸造されてるみたいね。

TK じゃあそれいきますか。それを1合と、あとシンルーチュと、
Pj  檸檬酒。
TK ロックで。ザーサイ食べますか。あとピータンは……ピータン豆腐にする?

◆―― 実子先生はピータン食べれます?

Pj  食べれまふ。

◆―― ふつうのピータンと、ピータン豆腐、どっち?

Pj  とうふ。
TK じゃ、ピータン豆腐で。……あ、ここもだ。中華料理屋ってよく「福」の字を逆さまにしますよね。横浜でもよく見かけるんですけど。これってなんで逆さなんですか?
店の人 あの、わたしは日本語、わからない、フー……
TK ラッキー、幸せなのかな?
店の人 そうそう。同じ、フードウ……。
TK 福を呼ぶ?
店の人 そうそう!

◆―― ふーん。ほら、至宝三鞭酒ってこのお酒。匂いからしてすごいよ。ちょっと舐めてみる?

TK 三国志の闘いの前とかに出てきそうですよね。豪傑たちが飲んでそう。…………くはっ! これは凄い……。でも美味いかも。美味いっつーか(苦笑)。
Pj  すご! でも甘いよね。
TK ちょっとミントっぽい匂い? このお酒、強いっすねー!
店の人 45度。
Pj  え! ウォッカのほうがまだ度数低いね。
TK だがしかし、なんでオットセイなんだろう……。
Pj  強そう。性器自体にそういうのが宿ってんのかな。
TK 精神論ぽいけど、白子もやっぱり精巣ですもんね。
Pj  生きてる感じがするもんね、そいつらたちのアレのエキスで。最近、『トリコ』だっけ?
TK 『世紀末リーダー伝たけし!』の人(島袋光年)が今描いてる漫画だよね。モリモリのが鳥獣とかを倒してく。
Pj  超デカいワニとか食べてるやつ。なんかそれみたいだなあーって思った。
TK きっと『火の鳥』みたく、不老不死が夢だったわけですよね。それでいろんな人に食わせて実験してた王様とかもいるんだろうな。そこが食の世界を広げた部分もあると思う。でも美食家とかってどんだけ努力してきたのかな……。マジで命賭けてるよね。この3つの精巣を食べれるってことが分かった以上、もはやありとあらゆる精巣を食べている人たちが世の中にはいるってことだろうし(笑)。
Pj  魚とかもさ、ある日、ふつうにいろいろ食べてて、フグ食べたらダメだったってことでしょ。
TK フグなんて、死ぬのが分かっててみんな食べて、やっぱ死ぬっていう……。

◆―― 納豆とか、かなりのフロンティアですよね。

TK 納豆、フロンティアっすね!(笑)
Pj  全体的に、腐らせる系はヤバいね……
TK マヨネーズとか、確かバイキング発祥だと思うんですよ。海の上でドレッシングとして、卵と塩とかでモリモリにして栄養食として食べてたのがそれじゃないかな、って話を聞いたことある。たぶんビールも最初は偶然腐った水を飲んだとしか思えないんだけど。
Pj  最初はきっとマズかったと思うね。

◆―― ビールは修道院で作られてたっていうね。しかし食の先人たちは偉大だなー。我々は先人たちの犠牲の上に胡座かいてるな。

Pj  おこぼれ頂いてますね。
TK パイオニアたちは必死だったよね。なんで米を食べようって思ったんだろう。ただの草じゃん。村のはじかれ者とかがどうしてもお腹減っちゃって、草とか食べてるうちに、これは旨みがあるぞ、って発見があったのか。どうしてあれを煮るって経緯に至ったのか。きっとそこまで100年くらいはかかったと思うんだよね。……そういえばちからさん、甲府で猪鍋食べてきたんですよね? あれも凄そう。

◆―― あ、ちょうどマームが相模湖でワークショップやってたでしょ。どうせならもう一歩足を伸ばして猪鍋でも食べに行こうかって思って。最近、高級ではないけど、美味しいもの、を食べたくて。

TK 熊って食べたことありますか?
Pj  熊、ない。
TK 鹿とかは乳臭くて、ラム肉のほうが美味いんですけどね。北海道では熊も食べられんですよ。硬くて、臭みがある。でも猪は食べたことなくて。

◆―― 山梨あたりに行くと結構あるみたいだよ。でも初めて食べたのは、横浜の山のほうの、農家の離れに住んでた時に、大家さんがよく野菜をくれてたのね。そしたらある日突然、「猪を狩ってきたけど、食うか?」って(笑)。もちろん食べたけど、超美味かった。

TK 豚とは違うんですか?
Pj  豚はそんなに生臭くないもんね。

◆―― やっぱり豚は人間が食べやすいように飼育も交配もされてきてるだろうけど、猪肉は硬くて、ぬぐいがたい野生の感じがある。きっと熊もそうなのだろう。食べてみたいなあ。あと甲府では馬肉も食べたよ。ふきのとうの天ぷらも美味しかったし、B級グルメの鳥もつ煮も3軒くらい食べ歩いたけど、最後の居酒屋で食べたのがプリプリで柔らかくて超感動した!

TK どんだけいい旅してるんすか(笑)。

◆―― でも食ってほんと地域ごとに微妙に違うし、まさにマームの今度の連作のテーマだと思うけど。

TK ほんと、食以外にないと思ってますもん今。生きてれば必ず食べますからね。そうそう、昨日の桜美林大学のワークショップ、みんな朝食を食べてくる子たちだったんですよ。おにぎりひとつでもお腹に入れて来てるんだよね。それが泣けた。みんな食べることはやめないんだなって。(地震の影響で)大学だって5月から開講だし、ほんとに上京したての子もいて、でも朝ごはん食べて、得体の知れない僕のワークショップに集まってくれた。それだけでなんか僕の中では得体の知れないグルーヴを感じてました。
Pj  時間なくて走らないと間に合わないから、おにぎりひとつだけでも買う、みたいな子もいたね。
TK 東北出身の子とかもいるんだけど、それとはまた別に、もちろん無関係ではないけど、生存本能が働いている。食べるって行為はポジティブだと思うんですね。僕は逆に、公演前とか、追い詰められると食べなくなるけど……。でも食べることは、安直な言い方をすると、生きるってことじゃないですか。それは素晴らしいことだなと思って。……ちょっといい話していいですか?
Pj  いいよ。
TK 4月後半ほんとに疲れてて、昨日も淵野辺からどうやって帰ったか覚えてないんだ。それで、かなやん(制作・林香菜)が途中で電車降りたこととかも覚えてないわけ。たぶん声かけてくれたと思うけど、それで西荻で、どうやって帰ったかもわかんないけど、おでん買ってたんだ。
Pj  セブンで?
TK そ、大根と、もちきんちゃくを買ってたの。それで気付いたら朝になってもう冷めてたんだけど、その冷えたおでんを食べながら泣きそうになった。そんなに疲れてても食べることをやめてなかったんだーって思って。しかもおにぎりとかじゃなくて、おでんってことは、店員とのやりとりがあったってことでしょ? 

◆―― 大根ともちきんちゃくを要求したわけですよね。

TK 食べることは今の時代、嫌味じゃないと思ってるんです。嫌味って言葉は適切ではないかもしれないけど、でも舞台で何か意味あるものを背負おうとするのは、やれちゃうんだけど安直というか、嫌味に思えるんですよね。もちろん食べ物の話をしても震災のことがよぎる人もいるだろうけど、だけど食べるっていうのは、これこそ、プリミティブな力じゃないですか。人間の原始的な機能のことを淡々と語るっていうのは、僕の中で唯一、今の時代にすんなりくることなんです。

◆―― それも「午後二時の太陽」ってことですね。誰でも等しく腹は減るから。でも実際、最近急に社会性とか公共性とかって言葉が、意味ありげなんだけど、空転し始めたなーと思っていて。もちろんそこに切迫感があるのは分かるけど、むしろそれは今までもあったことだし、例えば苦しんでいる人がどこかにいる、ってことも平然と無視してきてるわけですよね。日常の中で。まあ気持ちはほんとに分かるんですけど……。

TK 今の文字列って、戸川純の「社会性や公共性が希薄にな〜る♪」って歌のまんまですね。あの歌、最悪だよな。(♪戸川純バンド「オープン・ダ・ドー」)
Pj  藤田くんちにあったねその曲。
TK 戸川純ヤバい。ほんとこわい。

◆―― 今日稽古場で実ちゃんが歌ってたブルーハーツみたいに、今のもビート効かせて歌えばよかったかな?(笑)

TK あれもしたい、これもしたい、もっとしたい、もっともっとしたい〜、ってあらためて聴くとヤバいよね。僕には〜夢がある〜♪
Pj  フフ(笑)
TK こないだフジロックでクロマニヨンズ聴いて、ヒロト(甲本ヒロト)が、よかったー、会えてよかったー、って言って歌い出すんだけど、ブルーハーツは社会性っていうよりももっと原始的な、原始人みたいなんですよね。しかも歳取るたんびに原点回帰してく。ハイロウズよりも好きだもん、クロマニヨンズ。

◆―― そういえば今日のマームの稽古も、もうなんか、バンドみたいな感じもしましたね。

TK それは思ってますね。今回の3連作も、例えば実子(召田実子)とあっちゃん(成田亜佑美)が一回7月で抜けた後に、8月に聡子(吉田聡子)と青柳(青柳いづみ)とかが入ってきたら、ギターでいうピックアップが変わるんです。つまりマームとジプシーとして出せる音の違うギターが現れる。そこが面白い。

◆―― あれ、なんか実ちゃんがマフラーに埋まってる感じですけど。首ありますか?(笑)

Pj  フフフ(笑)
TK だけど話を戻すと、こないだディズニーの「イッツ・ア・スモールワールド」とか聴いてたら気持ち悪くなっちゃって、なんだろう、小さな世界って発想はないなあと思って。世界は狭いってやっぱ思えないんだよね。世界がもしも100人の村だったら……みたいなのも、ああいう統計的なことは信じられなくてさ。規模を縮小して考えたら分かりやすいんだけど、そうしちゃったら怖いことってありますよね。

◆―― 物量が消えちゃうから。

TK そう。と同時に、個々が持っているアイデンティティとかナイーブさとかデリケートさを排すから。そういう捉え方は危険だなって思うし、ぞっとしたりもする。もちろん集約したい気持ちがあるから、言葉って生まれるとは思います。言葉で一致団結する部分もある。だけどその凝縮の仕方があまりに野蛮だなって思うこともありますよ。でもね、「午後2時」っていうのは時差があるにしても広く存在するわけだし、お腹が空くってことも結構みんなそうだし。
Pj  「結構みんなそう」くらいがいいよね。
TK ……その曖昧さがいいなって思うかな。
Pj  んじゃ、そろそろ終電なので帰りまふ。

◆―― じゃあ人生相談コーナーの件、考えておいてください。

Pj  はい、未来ある日本のために。フフフ。



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(収録:2011年5月5日、荻窪にて)
舞台写真撮影:飯田浩一/提供:マームとジプシー 禁無断転載


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