マルグレーテという女
かつてデンマークには、エストリゼンという貴族があった。
エストリゼン家の娘に、マルグレーテというものがいた。
その邸宅の庭師の息子に、同じくらい歳の少年がいた。名をシグールといった。
マルグレーテは庭を眺めるのが大好きで、庭の手入れをするシグールとは、顔を合わせる機会が多かった。
「これは何て言う花なの、シグール?」
「ハマナスです、お嬢様」
「素敵ね! でもあの紫の花も素敵だわ。あれは?」
「クレマチスです、お嬢様」
「あの黄色い花も可愛いわ!」
「あれはガーベラです、お嬢様」
「貴方が育てたの、シグール?」
「ええ、まあ……その……お嬢様に、喜んでいただきたくて……」
幼い頃から多くの時間をともに過ごした二人は身分の違いこそあれ、互いに惹かれ合っていた。若い二人の想いを留めるものは、存在しなかった。
しかし、幸せな子供の時間は何時までも続くものではなかった。
時が流れ、15になったマルグレーテは、父親から、お前は花嫁になるのだと言われ、嫁ぎ先を告げられる。
それは政略結婚に他ならなかった。若くとも貴族であるマルグレーテは、父の心は解っていた。
結論から言えば、マルグレーテにはそれが受け入れられなかった。
若さゆえの情熱、そして無謀から……シグールのもとを訪ねていた。
そして、駆け落ちしたのだ。
だが二人とも、身分を捨てて、居場所を捨てて、二人だけで野山の中で花を愛でて暮らしていく……なんて事は不可能なことだと思えるくらいには、大人であった。
若者二人、どこまでも逃げられるわけでもなく、かといって、かくまってくれる場所もない。当然追っ手は出されている。連れ戻されれば二人、二度と再開は叶わない……。
思い詰めた二人が出した結論は……
「生きて結ばれないのなら……生まれ変わって結ばれましょう」
約束を交わし、それぞれ自ら命を断つ事……。
人知れず山奥まで逃げ込んだ二人……
月だけが、二人を見つめていた……。
シグールが、先に自分の首を切った。
マルグレーテはその様に愛おしさを感じ、血に濡れたその亡骸に接吻した。
そして自らの首を掻き切った……。
二人の亡骸は重なり、そのまま永遠に覚めない眠りにつく。
そうなるはずだった。
…………マルグレーテは、驚愕と共に目を開いた……そう、目を開いたのだ……確実に自らの首を掻き切り、死んだはずだったのに……。
まだ暗黒の空に満月が君臨している時間……彼女は新たな自分としての産声をあげた……
……ヴァンパイアとして……。
過去、血族でそういった者が居たのか……はたまた満月の魔力がそうさせたのか……あるいは愛するものを失った絶望がそうさせたのか……真実は定かではないが、彼女が闇堕ちしたことは、紛れもない事実だった……。
そして、シグールは……最愛の男は……紛れもない永遠の眠りに着いていたのだった……。
マルグレーテは闇の眷属として生き、老いることもなく、人の世に出ることもなく……それから数百年の年月が流れた……。
彼女は一時たりとも忘れた事は無かった……。
来世の契りを誓った、愛する男のことを……。
そして現代。
サイキックエナジーの減少にともない、日本へと渡ってきた彼女は……己の運命の歯車が、動く音を聞いた……。
マルグレーテは、シグールと再会したのだ……。
否、それは勿論シグールではなかった……シグールは既に、亡くなっているのだから。
だが……その顔……その声……何気無い仕草……醸し出す雰囲気……そのすべてが、かつてのシグールを思い出させる……生まれ変わりとしか思えない……運命が自分と彼とを引き合わせたのだ……そう思わせるような少年に出会ったのだった。
その少年の名は、穂照・海と言った……。