「インビクタス」クリント・イーストウッド


グラン・トリノ」と「チェンジリング」を見てしまったあとだと地味な映画に見える。1度目はさらっと見て、もう1回。
イーストウッドが画面の中から消えてしまうというのはこういうことだったのか。
誰も主人公がいない映画。ラグビーに関しては素人でしかないマンデラがチームに協会に口を出して、ワールドカップで優勝してしまう。でもマンデラが主人公という感じもしない。スプリングボクスの主将、フランソワ・ピナール演じるマット・デイモンの方が主人公かといえばそうでもなさそうだし。とにかくすべてはさらっとした感触で画面が流れてゆく。
白人支配の象徴ともなっていた緑とゴールドのユニフォームを変えようとする黒人側からの動きを説得してなんとか多数決で抑えてみたり、チームには黒人の子供たちと練習して白人と黒人の融和というPR活動に参加させたり、いやがるチームメイトに新しい国家の歌詞を配ってみたりと、まあマンデラとピナールの働きかけはことごとく黒人の側からも白人の側からも面倒くさがられるばかり。けれども優勝してしまう。
この映画のキモはマンデラがピナールを大統領執務室に呼び寄せた際に主将に問いかけられる「持っている力以上の力を出すためにどうすればよいのか」という一言にある。
「持っている力以上の力」。「持っている力」と「それ以上の力」は別々のものとしてある。「持っている力」がそれぞれ組み合わさって世界を動かそうとするのではなく「持っている力」から「それ以上の力」を切り離して「それ以上の力」を組み合わせていくこと。このことがマンデラが成し遂げてしまったことだ。