カラー・パープルとか

空回りの積み重ねが社会を動かすのではないか。イーストウッドが抽出した「それ以上の力」は日常と非日常の区別なしに「そこにある」のは間違いなさそうだ。「何がしたいのか」という自らへの問いはあまりにもバカバカしい。また、「これこれこうせねばならない」という当為のかたちをとった命令が自らに下されるのもホントのところ信じてない。できれば「これこれこうせざるを得ない」というところにいたいのだけれども。そこはもう、なかなかどうして。
起きている時間と空間の抽象化は避けられない。だからせめて意識だけでも具体的な事物に具体的に関わろうとはする。こちらはこちらで具体的な歩みは一歩目から抽象化への道に繋がってしまうわけで、まあ、それでも行くしかないけれど、尻込みしてばかり。
リハビリが必要なのかもしれないけど、そんな暇はないし、そもそもリハビリ自体が怪しいではないか。自由の効かなくなった思考や志向や視線や身体、まあなんでもいいけど、それこそ冷蔵庫の残り物でおいしいもの作ってしまうような動き方を今すぐ始めないとね。
「NYPD15分署」(ジェイムズ・フォーリー)、「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」(マイケル・チミノ)とチャイニーズマフィア二本立てで見てから、見ずに過ごしてしまった「カラー・パープル」(スティーブン・スピルバーグ)をようやく。「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」のミッキー・ロークになりたいな。